隻眼鬼面の鎧武者が俺に一太刀入れる姿が、一瞬一瞬が細切れのような時間でとてもスローに明確に見える。
これがスーパースローってやつか、貴重な体験だな、うん。なんて言う余裕こそはないものの、思う余裕だけは残されているこの数瞬は、俺にとっては万の時間にも値するほど長い時間だった。
懐かしきは死の体験というところだろうか。
嫌だな。こんな体験はもうしたくなかったというのに。その為に逃げて、その為に生きる事にしがみついていたのに。これではまるで無意味だったみたいじゃないか。
こんなにもあっさりと、数百年ぶりの感覚に襲われるなんて、夢にも思っていなかったよ。
痛いのは嫌いだし、怖いのも好きじゃない。
平和と安全をなによりも愛するのに、なんでこんな目に遭うんだろう。
本当に嫌になる、この世の中。
ただフレイムヘイズの世界に限らず、生と死は必ずつきものであり、始まりがあれば終わりもあるのは宇宙の真理とも言うべきものだ。半永久的存在のフレイムヘイズもその理に漏れることはない。
常日頃から、この世界は弱肉強食であることを知っている俺は、好みが弱肉に入る方であることも正しく理解はしていた。
その上で、生きる術を必死に模索した挙句に『死から逃げる』の結論に至り、危機から身を離すために『逃げる』という手段を用いた。
間違っていた選択ではなかった。この選択を選んだからこそ、今まで生きてこれたんだと胸を張れるし、俺の本当に目指すところの平和な日常は未だに手に入れていないのだから、それを手に入れるまでは生きていたい。というか、むしろそれを手に入れてからこそ生きていきたい。
あ、だったらこのまま死ぬ訳にはいかないじゃないか。
鉄と鉄がぶつかり合う音がしてから、すぐに音を追うように痛みが脳へと伝わってくる。
左の脇腹がとても熱く、身体を多少動かしただけでも痛みが全身に伝わる。痛みは尋常ではなく、早く気絶してしまったほうが楽に思え、それが甘美な響きなのだがここで気絶する訳にはいかないと、必死に意識を保つ。
倒れそうになる体に鞭を打ち、脇目に見える刀を持った恐ろしいやつからなんとか距離を取る。
「だ、大丈夫だ」
「大丈夫には見えないわよ!」
我ながら消え入りそうな声で、よくもいけしゃあしゃあと大丈夫なんて言葉が出たなと思う。
リーズの少し甘い優しい声の響きでさえも、左の脇腹の怪我に響きそうだ。そんなことはさすがにないとは思うが、そう思わせるほどに痛かった。
こんな状態でも思考を保っている自分に驚きながらも、冷静に逃げるを事を考える。
「ふむ、早く逃げたほうがよかろう」
「どうやって逃げるのよ?」
「ウェル……」
「炎弾くらいはできると思うけど、『嵐の夜』を含む、繊細な自在式が必要な自在法は出来ないよ。モウカは今意識保つので精一杯なんだから」
手っ取り早く『嵐の夜』で引き上げようと考えたのに、ウェルはそれは不可能だと否定した。
ウェルの言っていることは珍しく正しい。今の俺の状態では思考を保ち、立っているのがやっとであるのは間違いない。本当は痛くて痛くて、泣きたいんだ。本当に打たれ弱いんだから……でも、事態がそれを許してくれない。
隻眼鬼面の見るからに怪しい雰囲気を醸し出している何かから、なんとか膠着状態を保っているに過ぎない。
口々に「──強者、望む──」とか言っているが、そんなのは俺は望んでいない。そういうのは俺の役目じゃなくて、欧州一位を名乗っていたりした『極光の射手』とかにしろよ。何を勘違いしたのかしらないが、俺は強者じゃない!
ここに断言しよう。
だから俺を逃してよ、ね?
心内でそう愚痴るも届いているはずもなく、また言っても見逃してくれないのは、あのリーズの刀とは違ってすごく切れ味のよさそうな刀を構えていることからも予想できるけどさ。
「……ああ、どうしてこうなっちゃったのかな」
どうしようもない後悔が口に出る。
どうしてこうなってしまったのだろうか。たぶん、最も戦場では口にしてはいけない言葉かもしれないが、これぐらい身の内から吐き出さないとやっていられない。
「だから、日本行きは嫌だったんだよ」
「なに? この状況に面して愚痴? 弱気? そういうのって最低だと思うわ」
リーズから心抉るような正論を俺に言う。どこか非難めいた声色を含んで。
肩を貸してもらっていて、こういう事言うのは……最低なんだろうな。でも、許して欲しい。過去に幾度も命の危機があったといえども、本当に死の淵に立たされたのはこれで四度目。内二度は本当に死んだようなもんで、残りの二度は奇跡の生還のようなものなんだ。
あの大戦でだって、俺は致命傷は負ったことはない。それどころか大怪我すらもしなかった。小さな怪我はいくつもあったし、泣きたくなるような場面は数多くあったけど、本当の意味で死が迫ったのは今回は初めてだった。
本心では、もう二度とこんな目に遭うまいとしてたのに。
「反省も後悔も後にして頂戴。それよりどうするのよ」
「逃げたいけど、リーズは戦える?」
「貴方に傷一つ付けられないフレイムヘイズが相手になると思う?」
「ふむ、それにあの者、強者を求めているようだからの。我が契約者では些か力不足じゃないか?」
「モウカだって十分力不足だよ。ね?」
「ああ、全くその通りなんだけどな」
「──我、強者、求む──」
「ほら、相手してあげなよ、モウカ」
「だから、俺は違うって! ぐっ」
「馬鹿。大声出しちゃ駄目じゃない。もう、世話が焼けるわね」
リーズがそう言って、自在法で作った鉄で傷口を強引に塞ぎ出血を抑えた。
正直、硬いのが痛い。せめて、その着ている服の裾とかを破って止血じゃないのか。
行為自体はありがたいので、甘んじて鉄の塊を受け付けるけど。
こういうやりとりをしながらも、ジリジリと交代していき、距離を開いていく。
まるで熊にあった時の対応法みたいだなと、我ながらの苦肉の策に苦笑する。
というか、一撃加えたんだから、分かるものじゃないのか。俺が強いかどうかなんて。どうやって俺が強いかどうかを判断してるかしらないが、どうにか俺が弱いことを証明して、去ってもらうか。
もう一つは……逃げるしかない。
逃げる、しかない。
……逃げたいな。
逃げて早く傷の手当てをして、この生々しい痛みとはおさらばして、剣と自在法の世界からもバイバイしたい。
あと一歩、もう一歩、さらに一歩、もっと一歩。
本当に少しずつ、少しずつだが距離を取る。隻眼鬼面の鎧武者は、こちらが飛び掛ってくるのを待っているのか、未だに刀を構えたままで、襲ってこない。
はて、おかしい。これは一体どういうことなんだ。
疑問が思い浮かぶものの、これ幸いとどんどん距離を離していく。
「──我、刀匠なり、我──」
そこから始まったのは、自白だった。
この鎧武者がなぜこうなったのかを示すヒントがあるであろう、語り。
だが勿論、俺にとっては、
「今だ、逃げるぞ!」
「りょーかーい」
「言うと思った。貴方はしっかり捕まってなさいよ」
「ふむ、彼の者の過去を知れるまたとない機会で名残惜しいが去るとしよう」
こうして、謎の危険な鎧武者、辻斬りとの邂逅は意外とあっさりとした膜引きであった。
「──我、逃げる者、追わず──」
去り際に聞こえた、その声はどこか寂し気だった……気がする。
◆ ◆ ◆
鎧武者から和船まで逃げた後、俺は傷の治癒のために身体を横にして安静にした。
傷は思ったより深くはなかったが、出血が酷く、なんとか布で縛って止血をする。消毒することも出来ないので、傷口から入ってくるであろう細菌に対しては、ウェルが定期的に『清めの炎』で身体を清めて、いい状態を保つ。傷に対しては、存在の力が人間より並外れているフレイムヘイズなので、治癒能力が高いので、自然治癒に任せた。
その横になっている間。リーズが甲斐甲斐しく世話をしてくれたのは本当に助かった。フレイムヘイズは特に食事を必要としてはいないが、気力の補充という点では食事は十分な意味を持つ。
「どう美味しい?」
少し自信の見える笑みで、優しく俺に聞いてきた。
美味しいとは言えない生の野菜に塩を振り掛けたものだが、食べられないことも無いのでまずくないと無難に答える。
美味しくないと言っているようなものだが、リーズはその言葉を聞くと『そう、じゃあ次はもっと美味しい野菜を取ってくるわ』としっかり言外の意味を理解して答えた。
農家の人には済まないと思いながらも、もっと美味しいのを作ってくれと俺は自分勝手に鼓舞した。
リーズには料理という概念はないのか疑問に思ったが、口には出さない。世話になってるから文句は言えない。だけど、せめて怪我が治った後、少し料理を教えたほうがいいなとは思う。
俺も特別出来るわけではないが、さすがに煮る焼くして、簡単な炒め物やスープの類は出来る。
サバリッシュさん辺りなら、世界各国の料理とか教えてもらえそうだ。
こんな目にまであわされたのだ。一つ二つは、俺の我儘を聞いて欲しい。リーズが旅先で美味しい料理を振舞ってくれれば、さぞかしこれからは楽しい旅になるだろう。
でも、そうすると材料にも拘らないといけなくなるな。
……そうだ。それはドレルに頼むとしよう。こんな危険な目にあう可能性があって送り込んだのだ、いくら未来のユートピアの為とは言え、この代価は大きい。足りない分の代価は現金で払ってもらうか、何れ繋がるであろう各地の外界宿から名産品を集めてもらおう。
それがいいな。
(さて、そろそろ反省会だな)
一日目には、昨日までの直視したくない現実から逃避するように、明るい未来を想像し。まだまともに身体を動かせないが出血が止まった二日目には、現実を見つめる。
こうやって熟考する機会は多いが、せっかくつい最近に貴重な経験を出きたのだから、それを生かさない手はない。
(別に過去に無理に向き合わなくてもいいのに)
(それじゃ駄目だろ。同じ目にあわないようしないと、いつか死んでしまう)
(そう言われると、私も真面目に考えないと駄目かな。モウカにはまだ死んで欲しくないし)
(嬉しいことを言ってくれるじゃないか)
(え? だって、モウカほど面白い生き方して、無残な死に方しそうな人いなさそうだし。今はまだ、モウカで楽しみたいかな)
ウェルに感動して、少し出た俺の涙を返して欲しい。
たまには、心温まる言葉をかけてくれてもいいじゃないか。
そうは思うものの、こいつがこいつらしいことを言うのが、どこかホッとする自分がいるのを否めない自分が憎たらしい。
声に出して反省会をしないのは、今は夜。俺もいい加減、怪我を負っているとは言っても寝疲れて、もしくは寝すぎて目を覚ましてしまったからであるのと。
リーズは付きっきりで看病してくれていて、疲れたのか俺の足を枕がわりに寝ているから。太股部分とは言え硬いのによく寝れるものだ。
お互いに旅用のござのようなものを敷いているので一応ざこ寝ではない。
すやすやと幸せそうに寝ているリーズを起こしてしまわないように、考慮した結果、音にならない声で反省会をすることにした。
反省会、とは言うものの一方的な俺の反省にすぎない。ウェルには何かを求めるようなことをしても、まともな答えは返ってこないのは知っているので、俺が一人で考え、反省するだけ。
一応、形の上ではウェルも参加しているので反省会だ。
(実は反省することも決まってるんだけどね)
(どんなこと?)
(やっぱりね、相手を脅すというのは良くなかったよ)
どこか甘えた考えがあったんだろう。
こうしたほうが楽だと分かった瞬間に、いつもの警戒心や慎重さが欠如してしまった。
誰しも、楽な道があれば楽な道を選びたくなってしまう。俺にとっては、あのとき``紅世の徒``に対して行った行動は、逃げるための手段ではなく、ただその場を助かるためだけの偽りの平穏だった。その場しのぎ。この後のことを顧みない、あまりにも危険な行為。
それが楽な道に見え、選んでしまったことが、今回の鎧武者による死の危機を招いてしまった。
あの時、それこそ己の存在を誇張するなら、自在法を使って逃げるべきだったのだ。
『嵐の夜』を使えば、自分の力を相手に思い知らせることも出来たし、逃げることも出来た。もしくは、リーズと協力して一点突破による逃げに徹すればよかった。
思えば、この旅自体、どれもこれもが俺らしくないものだった。
``紅世の徒``に気付くのが遅れたのもそうだが、それ以上に日本に来るという選択を選んだこと。
俺は選んだ時こそは、明るい未来に生きるためだと言ったが、結局それは俺の力の本質とは違った選択。却って真逆。攻めの姿勢。
自分自身の手で未来を掴みとろうとする、逃げという後ろ向きとは逆の方向である前向きの方向性。
この選択が間違っていた。
俺は勘違いしていたんだ。
自分が思ったよりも長く生きて、自分にはある程度の力があると。少なくとも大抵の敵から生きながらえる力も付いていると。
調子に乗っていたんだ。
やはり名を馳せることが出来たことで、メリット・デメリットを考える冷静な部分とは別に、心は嬉しかった。男にとっては一つのロマンのようなものだから、しょうがないといえばしょうがないが、それでは長生きは出来なくなる。
(俺に出来るのはやっぱり逃げること。逃げて逃げて、死から逃げること。生を掴みとるんじゃなく、しがみつくんじゃなくて、死から逃げる)
もう一度、心を引き締めなくてはいけない。
俺がなぜ『不朽の逃げ手』であると言われるのであるのかを、理解しなくてはいけない。
俺が今まで、どうやって生きてきたのかを思い出さなくてはいけない。
(そうだよ。モウカはそうやって──)
──愉快に逃げ惑う姿が、私にとっては一番魅力的だよ
ケラケラ笑うウェルの声を聞きながら、俺は再び眠りにつき、次に目を覚ましたら、身体はだいぶ楽になっていた。
出血が止まり、まだ体は重いが寝たきりからは解放された。
身体を起こした俺の姿を見て、ある程度落ち着いたのが分かり、ホッと胸を撫で下ろす動作をしてから、俺に尋ねる。
「気になってたことが一つあるんだけど、いい?」
「うん、なんでも聞いてくれ。答えられる限りは答える」
ちょっとした恩返しのつもりで。
「あの鎧武者に斬られた時、もうだめだと正直私は思ったのよ」
「ふむ、それは我も思った」
「なのに貴方は平気だった。それに、その時に」
「鉄の音が聞こえた、か?」
リーズの疑問は尤もだった。
俺もあの時は、身体の上半身が下半身に別れを告げるとばっかし思っていた。だというのに、実際には平気だった。平気……じゃなかったが、死にはしなかった。
その理由はリーズも聞いていた、鉄の音。
「これ、だよ」
青いローブを取り出し、その鉄の音の原因を見せる。
見事に真っ二つになって、元来の使い方などできなくなっているその鉄の塊。
「なんだ。じゃあ貴方の命の恩人は私みたいなものじゃない」
かつて、リーズと初めて出会ったときに貰った不器用な刀が真っ二つになっていた。
「全くその通りだ」
危機一髪の所で命を救われてばっかしだ。
死に直面する己の不運に嘆くべきか、それでも生きていられる悪運に喜ぶべきか、俺には分からなかった。
だが、この時の俺は知る由もなかった。
この後に俺に船がないという不運が降り掛かることを。