``螺旋の風琴``リャナンシーは遠くは``紅世``、近きはこの世界においての最高の自在師である。彼女の織り成す自在法は、彼女の存在の儚さとは比べものにならない程の効率性と効果性を生み出すことが出来る。かつて、その優れすぎた力によって``王``に目を付けられ、啼くことしか出来ぬ鳥籠の中の鳥へとなってしまったが、今はその籠から自ら飛び出し、この世界を一つの目的を達成するために飛び回っていた。
過去に響いた``螺旋の風琴``の名を隠してでも、その一つの目的を達成しようとしていた。
その目的には大きく人間が関与している。
鳥籠に捕まえられるよりも、更に昔の話。それは、自在に存在の力を操り、小さい存在の力しか持っていないのにも関わらず強大な``紅世の王``にも引けを取らないはずの彼女が、捕まってしまった原因となる話。
一人の人間の男性に恋慕の感情を寄せていた我侭で、天真爛漫だった``紅世の徒``の話である。
人間の美術家、絵師ドナートと人間を喰らい生きる``紅世の徒``リャナンシー。古くはこの二人の恋物語が、彼女の今の生きる全てとなっている。
そんな彼女が、その自在法を編み出したのは必然ともいえる結果だった。
「『封絶』? それは自在法の名だよね?」
「そう。是非とも広めて貰いたい自在法の名だ」
ユーラシア大陸は極東部に位置する中国の地にして、二人にして四人と一人が長い歴史のあるシルクロードの道を歩いていた。
ここからヨーロッパにある外界宿にいる『愁夢の吹き手』ドレル・クーベリックに、今回の件を直接問い正すべく、モウカは日本からなんとか和船で中国へと上陸し帰路に着いていた。
彼が少し遠回りになるシルクロードを通っているのは、単に彼の趣味である各地の観光がてらであった。日本ではまともな観光も出来なかったので、せめて中国ではという思いからの行動だった。
シルクロードは今も定期的に貿易に使われていたり、多くの旅人が利用することからも、なかなかに整備された道のりで、今までの道無き道を行く隠れ身の旅とは違ってかなり楽な旅になっていた。これは、道がいいだけでなく、人が通ることからも宿屋が一定の距離感であるのも理由の一つであった。
人が多い分、``紅世の徒``との遭遇率やら、厄介事に巻き込まれる危険性の高さも無視出来るものではなかったが、今回の旅に限って言えば強力な旅のお供がいることからも、モウカは比較的安心してシルクロードの道を堪能していた。
その度のお供は、リーズは当然の事ながら、モウカに全く存在を気付かせずに現れた、モウカの唯一の``紅世の徒``の友。``紅世``最高の自在師である。
モウカは、どこから湧いたかも分からない友がいきなり現れて、先の経験から心臓に手痛いダメージを受けつつも、暫くの時を一緒に旅をするのを笑顔で歓迎した。
リャナンシーは武闘派とは言いがたいが、あらゆる自在法を使いこなせる彼女がいれば、逃げることも容易いという心算の基でモウカが許可したことは、リーズはもちろんのこと、リャナンシーも理解している。
(分かりやすいフレイムヘイズではあるのだが)
あらゆる情報に飲まれ苛まれているモウカという人物は、真実の姿を見つけるのも、そしてその思考を正しく理解するのも難しいフレイムヘイズではあるのだが、分かって理解さえすれば、これほど分かりやすいフレイムヘイズもいないとリャナンシーは思う。
(その噂に違わぬ程度の実力も持っているわけだ。そうではなくては、こうも長生きは出来まい。本人は否定しているが)
『不朽の逃げ手』が強いわけではないことを過去の邂逅でも知っている。それと同時に、弱いだけのフレイムヘイズではないことも。
そんな不可思議なモウカへのリャナンシーの評価は、我が友人に次ぐ愉快な思考の持ち主である。
内心で、友人とモウカが同列に並べられていることをモウカが知れば、顔を真っ赤にして否定するだろうことをリャナンシーは想像して、心の中だけで笑う。
心の中で笑っていることなど、おくびにも出さずにリャナンシーはモウカとの会話を続ける。
「かの私の友人が開発し、私が昇華させた自在法なのだが、興味はあるかな?」
「あるさ。だって自在師で有名なその二人が関わったならね。ただ、前者の人物の自在法という時点で少し怖い……」
「あの``王``の自在法には悩まされ続けたもんね」
「私も被害者よ。そのキチガイの」
「ふむ、我もだな」
モウカとリーズは共に、どこか遠くの思い出を思い出すかのように、遠くを見つめる。ウェルからはやれやれといった雰囲気が言葉からも滲み出ていた。
この一連の仕草だけで、この一行があの``王``と浅からぬ関係を持っていたことを知らせている。
リャナンシーはそんな彼らに苦笑だけをして、多少強引に話を進める。このままだと彼らのトラウマスイッチが入って、話が進まなくなる可能性を恐れての判断だった。
「友人のことはさておきだ。この自在法に危険性はない。いや、むしろ安全性に特化しているといえばいいか」
リャナンシーは言葉を巧みに選ぶ。
モウカがより興味の持つ方向へと、自ら率先してこの自在法を宣伝してくれるように誘導しようとした。
当然、モウカはそんなリャナンシーの思惑など知らず、安全性に特化という言葉にこれでもかというほどの喰い付きを見せる。
「乗った! その話乗った!」
「ちょっとモウカ! そんな簡単に決めて問題ないの?」
「この人は本当に『安全』だとか『平和』なんていう安い言葉に釣られるわよね」
リーズは「はぁ」と自然に溜息が出る。言葉には呆れ以外の成分は含まれていない。
ただ、リーズはだからこそ彼らしいとも思う。
ここまでの愚直さこそが長生きをしてきた秘訣であるのは、百年の付き添いで証明されていた。
そして、彼女はそんな彼の相方であり、良き理解者である。自分以上に彼を理解できている人間はいないであろうとも思っている。
だからこそ、彼女の次の行動は、
「全く貴方は単純なんだから。それでその『封絶』とやらはどんな自在法なの?」
モウカに同じく、リャナンシーの言葉に釣られてやることだった。
そもそもモウカより頭が回らないことも、頭がよくないことも分かっているリーズに、モウカの行動を否定したり、妨害するという選択肢は存在しない。
どうしても気にくわない時のみ、口を出す程度だった。
リャナンシーはモウカとリーズの言葉を聞き、心得たとばかりに首を縦に振る。
「では、言葉で説明するよりも先に実演したほうがいいだろうな」
リャナンシーは一度目を閉じて、呟く。
『封絶』と。
地面には深い緑色の火線の紋章が引かれ、リャナンシーの付近から炎の壁が現れ、三人を包む程度の小さなドームを形成した。深い緑色の混じった世界がドーム内に構築され、深い緑色の炎が舞い散っている。
まるで現実と隔離されたような世界であり、モノが時が止まっているように見えた。
それも一瞬のことで、瞬きをしたら元の世界へと戻っていた。
モウカたちがその一瞬の出来事に呆然としている最中、リャナンシーは少し使いすぎたかと反省の言葉を零してから、自信に満ちた声で彼は言った。
「これが『封絶』。フレイムヘイズと``紅世の徒``、そして人間の有り様を大きく変化させるかもしれない、自在法だよ」
◆ ◆ ◆
海色の火線が地面に現れドーム型に世界が覆われる。先ほどのリャナンシーが構築したものに比べ、大きさは比べるまでもなく大きく、自在式は非常に荒かった。それでも簡単に形を成すことが出来た『封絶』という自在法はリャナンシーの言う通りに、誰でも簡単に出来ると銘打てる代物だった。
海色の炎の散る世界の中で、モウカは改めて周囲を見渡して唸る。
風で靡き聞こえるはずの木々の囁きもなく、風の音もない。遠くに見える人は動く気配を見せずに、止まっていて、時間の止まった世界のようだった。
「封じて、絶するか」
漢字で書けば、なるほどとても分かりやすいとモウカは吐露した。
本来の世界とは絶され、封鎖された世界。それがこの『封絶』の世界。
モウカたちはそれを身をもって、感嘆と一緒に感じていた。
「その通り。この『封絶』内では、元の世界との隔離を可能として、隠匿と修復を行うことが出来る」
「隠匿は分かる。つまり、この世界で動けるのは俺たちだけ」
眼の前の光景を見れば動くことが出来ているのが自分たちだけであることは、モウカも認識できている。
止まっている彼らの意識はどうなっているかは分からないが、少なくとも認知は出来ていないことは目に見るよりも明らか。止まった時間を把握できる者はいない。仮に出来る者がいれば、それはきっと人間を止めた何かだ。
「それは私にも分かるわ。でも、修復って?」
開発者であるリャナンシー以外が持つ疑問をリーズが口にした。
モウカもそのリーズの疑問に、首を縦に振って同意の仕草をする。
リャナンシーはその疑問を当然のことだと受け止め、良い質問だねとリーズに賞賛を送ってから、どこか楽しそうに疑問に答え始めた。
「では、リーズ・コロナーロ。そこの木でも貫いて見せてくれないか?」
リャナンシーの言葉にリーズは「お安い御用よ」と肯定して、一振りの鉄の槍を手に出現させる。
女子の筋力ではとてもじゃないが、振り回すことも持ち上げることすら出来ないであろう大きさと重量を見た目からも分かる重槍だったが、リーズは軽く持ち上げ、槍を木へと容赦無く投げ込む。
結構な速度で飛来する槍は、見事に木の幹の中心を貫き、ポッカリと丸い穴を作る。大量の葉と枝を芯を失った木が支えらられるはずもなく、めきめきと音を立てながら木が倒れる。
その様子をしっかりと眺め、リーズはモウカに振り向き、どうよと自慢気な顔を見せる。
その顔にモウカは、フレイムヘイズの師として褒めてやればいいのか、それとも自身の自在法『嵐の夜』を使えば木なんて軽く薙ぎ倒せるという現実を教えてやるべきか悩むが、見て見ぬふりをすることに決める。
リャナンシーは木を倒すまでのリーズの動作や鉄の生成の自在法の様子を目を細くして見つめ、倒れた木を見て、「ほう」と感心し、リーズの成長を見て取る。
「それでは修復をお見せしよう」
そう言ってリャナンシーは人差し指を空に向けて突き出す。
すると、指の先にモウカが封絶を作った際に溢れ、無駄になったと思われる海色の存在の力が収束する。一度収束した炎は癒すように木の周りへと近づき、木を元の形へと戻した。
その光景はまさに修復というの名に相応しいものであった。
「ふむ、素晴らしき光景だな」
「なるほど、確かに修復だ」
フルカスは賛美の声を、モウカは納得の声をあげた。
リーズはその光景に目を奪われ、ウェルは感嘆の声を漏らす。
リャナンシーは彼らのリアクションに満足しながら、どうかねといった視線を無言で送る。
モウカはその視線を受け取り、思ったことを口にする。
「『封絶』という自在法の意味は分かった。さっきリャナンシーが言った通りだね」
フレイムヘイズと``紅世の徒``、そして人間の有り様を大きく変化させる。この言葉にモウカは得心を得ていた。
「この自在法によって、フレイムヘイズと``紅世の徒``の争いは今後は人の目に映ることはない。それどころか」
「時や場所を選ばず戦えるようになるねー。それこそ、モウカの『嵐の夜』が人間に気を使わなくなるように」
モウカの言葉に続けてウェルが答える。
その二人の言葉に、リャナンシーはその通りだよと肯定の意を示す。
モウカに限らず、元より人の目につかないように、人の世に干渉しないように生きてきたフレイムヘイズにとっては、うってつけの自在法であった。この自在法によって人間への``この世の本当のこと``に対する隠秘性はより高まることは想像に難くない。
これは流行る、とモウカは確信する。簡単に習得でき、なおかつその有用性の高さを考えれば、この自在法が主流になることは時間の問題だろうとモウカは考える。
「いくつか質問があるわ」
リーズが手を上げてリャナンシーに質問を提案し、リャナンシーはそれを無言で促す。
「封絶内の修復ってどの程度まで可能なの?」
リーズらしい単純な質問ではあったが、意外といい質問だった。
モウカもその質問の答えに興味があり、自然とリャナンシーに目線が行く。
リャナンシーは教え子の質問に答えるかのように、優しく微笑んでから、質問に回答する。
「魂無き物から生きているモノの修復までは可能だ。ただ、トーチとなったものの人間の復元は今のところ不可能だ」
「建物や人間の修復まで出来るのか。木みたいな生き物を修復できるのだから、当然と言えば当然なのかもしれない」
「微妙な境界線だね。でも、人間も修復できるのは予想以上の効果だよね」
「そうね。あと、もう一つ。なんで、私達なの? これほどの自在法なら別に」
この話に飛びつくものはゴマンといるはず。
リーズの最後の問いに、先ほどまでの優しい微笑みが消え、リャナンシーは少し自嘲気味に苦笑しながら言う。
「私は……友人が少ないからね」
他人事とは思えないモウカは、リャナンシーと共に遠いどこかを見つめた。