十九世紀末。フレイムヘイズにとっては、最悪の事柄がついには起きてしまった。フレイムヘイズの誰もが避けようのないことだと分かってもいたことでもあった。
俺がその話を聞いたのが約半世紀前であり、俺が思ってたよりは状況が持った印象があるものの、やはり起きては欲しくなかった出来事。
南北アメリカの地で古来より神と謳われたフレイムヘイズ、『大地の四神』の反乱である。
神と呼ばれるだけあってその力は強大であり、他のフレイムヘイズとは一線を画した特異性の持つフレイムヘイズである。
古来より、と言うように彼らの歴史は長い。本当の年数を俺は知らないが、俺がこの世界に逆行した頃には、フレイムヘイズの基礎知識としてウェルに教わったことがあることからも、最低でも三百以上の時は生きていることは分かるだろう。
三百とは理屈上の数字で、実際には千歳は軽く超すだろうと俺は見ている。他のフレイムヘイズらが彼らに寄せる非常な尊崇の念を考えれば、千の時を生きると言われても簡単に信じられるというものだ。
フレイムヘイズの実力を簡単に推し量るには、生きた年数が一番分かりやすい目安であるため、彼らの実力を想像すると背筋が寒くなる。俺のような例外もいるがこの際は置いておく。
尤も、『最古の』なんて呼ばれ方をするフレイムヘイズも居ることから、『大地の四神』は彼らに比べたら若いのかもしれないが。
アメリカに旅立ったことがないので『大地の四神』とは、面識がないものの『最古のフレイムヘイズ』とは、一度だけ面識があったりはするのだが……うん、その『最古のフレイムヘイズ』の破壊力は、背筋が寒くなるの言葉だけでは全然甘く。背筋が凍りつく、むしろ背筋が氷河期と言ったほうが正しいのかもしれない。それほどまでに圧巻の光景であり、圧倒的な戦闘力であった。
その彼らに追従する力を持つとされているのだから『大地の四神』も十二分に化物だ。神などと呼ばれている時点で、察しろよと言われるかもしれないけど。
言葉や文字だけで表せるような彼らの実力じゃないが、数値に表すならフレイムヘイズ百人分の力と言えば、想像しやすいのではないだろうか。このフレイムヘイズたちは、俺のようなひ弱な者でも、ましてやひよこのような生まれたばかりの者たちでもない。
厳しい戦いを生き残ってきた猛者と言われる類のフレイムヘイズ百人分の力。
たった四人のフレイムヘイズに猛者百人分の力が内蔵されているのだ。空恐ろしいなんて次元は超えている。彼らに反乱される側の人間が哀れに見えてしまう。人間など、彼らにすれば蟻以下のような存在の持ち主なのだから。
人間の強さは銃器などを使った戦闘力だけではないが(ドレルに言わせれば組織力だとかになるだろう)、あまりにも大地の四神とは存在そのモノの差がありすぎるのだ。人間の抵抗は無意味と化すだろうことは分かりきっている。
被害は人間だけじゃない。
人間の作った物も見境なく破壊され、住んでいた場所は跡形もなく消えさってしまう。
こんな事態が歴史の表側に出てしまえば、一大事。その事態を防ぐためにも、百を超えるフレイムヘイズが現地へと飛んだ訳だが。
「リーズ、紅茶淹れてー」
「……はあ、いいわ。ちょっと待ってて」
「よろしく」
俺は飛ぶこと無く、欧州の外界宿の一角に居座っていた。それも結構偉そうにふんぞり返りながら。これが今、俺のすることである。
強さ関係なしにフレイムヘイズの多くは欧州に居る。当たり前だが、その数多い中でも強者に値するフレイムヘイズは一握りである。
フレイムヘイズの数に比例するように``紅世の徒``の数も多いのが欧州だが、有名なフレイムヘイズがいるだけでも``紅世の徒``の暴走の抑止力になる。普段はそうやって、欧州の平和──俺としてはそれでも危険地帯だと思ってる──は守られているのだが、今はそうはいかない状況にある。
数少ない猛者たちは、大地の四神の暴走を止めるために、アメリカと渡ってしまっている。
それも彼らを説得するために行っているのだから、大地の四神とも縁深い者たち……つまりは古くより共闘している猛者たちが行ってしまっていることになっている。
結果、今の欧州には選りすぐりのフレイムヘイズは極僅かであり、残っているのも生まれたてのひよこばかり。
まして、アメリカで起きているのはフレイムヘイズ同士の喧嘩。そこに``紅世の徒``が関与する意味はない。``紅世の徒``からすれば、勝手に欧州からアメリカへとフレイムヘイズが渡って、なんだか知らないが欧州ががら空きになったように見えるだろう。
これをチャンスと思わない``紅世の徒``はいない。
しかし、フレイムヘイズとして、``紅世の徒``の欧州での暴挙を見過ごすわけにもいかない。
今の状況とは、欧州で``紅世の徒``を抑えなくてはならないのに、アメリカの同胞の暴走も抑えなくてはならない板挟み状態であった。
誰がどう見ても危機的状況である。
だが、ドレルはこの状況を危機とは捉えず、好機と見た。ピンチがチャンスとはよく言うもので、ドレルは『こんな時だからこそ、組織の真の力を示すことが出来る』と嬉々として言った。
いやいや、この爺さん何を抜かすんだよ。厄介ごとを俺に回すんじゃないだろうなと、俺は心底恐怖に震えていたと思う。だって、ドレルの眼の奥がすごく光っていて、にやりとこちらを見ながら笑うんだ。嫌な予感しかしない。
「『弔詞の詠み手』や『儀装の駆り手』などの屈指の打ち手が居なくても、こちらにも天に轟く名前を持つフレイムヘイズはいるからね。君が偶然この外界宿に来てくれ助かったよ」
見た目には似つかわない、悪戯を思いついた少年のような笑みを俺の目の前でして、きっと俺以外の誰かに言ったのだ。
天に轟く名前を持つ者? はて、一体誰のことですかね。俺には想像つかないです。あっ、もしかして雷鳴のごとく鳴り響くかの『紫電』の方ですか?
偶然って、呼び出したのは貴方でしょうに。俺は、ドレルに一時的にだが平和な場所が見つかったとの連絡を受けて、嵐のごとくドレルの居る外界宿に訪ねてきたのに、聞かされたのは先程の言葉だった。
「大地の四神の怒りを治めろと言われるよりはマシなのかもしれないけど」
「どっちもどっちでしょそんなの。はい、紅茶」
「お、ありがとう」
数枚の書類だけが並ぶこじんまりとしたテーブルの上に、食器独特の高い音を立てながら紅茶とミルクが置かれる。
ミルクを適量入れてから、香りを味わうことなく一口。
紅茶の味に詳しいわけではないので、率直な感想を言葉にする。
「ん、うまいね」
「普通よ、ふつう」
顔の表情を珍しく変えずに、普段の少し甘い声も抑えた淡々とした声でリーズは自然に答えた。
「そんなもんか?」
「そんなもんよ」
そんなもんらしい。
「…………」
「…………」
静かな時間が少しだけ訪れる。
部屋に響くのは、紅茶を飲む音と菓子のクッキーを食べる音だけだった。
いつも騒がしいウェルの声は今この時はない。彼女の意思を表出させる神器『エティア』を、寝室に置いてあるからだ。手元に戻そうと思えば、俺の意思一つで戻せるが、今はその必要はない。俺にだって気の休まる時は欲しいのだ。
クッキーと紅茶に伸ばしていた手を、テーブルの上の資料に向けて手に取る。
その資料にはすでに慣れ親しんだ英語で、俺への仕事の依頼が書かれている。
まとまっている資料の一枚目にはタイトルが書いてある。
『フレイムヘイズの効率的な運搬と守護』、と。
「確かにどっちもどっちだよ」
「でしょ?」
リーズが少しだけ自信に満ちた顔をする。ほらね、と言外に言っているようだった。
「大地の四神を説得に行くか、こちらで守りの要となるかの二択を突きつけてくるなんてね」
ドレルと知り合わなければよかったと本気でそう思った瞬間である。
大地の四神の説得に行くを選択した場合、俺は文字通り戦場行きが確定しただろう。化物を相手取った戦いに参戦するのは初めてのことではない。過去には、史上でもたった二度しか起きていない『大戦』を仮にも経験して、生き残っている。それに比べれば今回のほうが、生存率は高いだろうが、だからといって自ら出向くような真似はしたくない。
俺の自在法である『嵐の夜』の集団戦においての有効性は、不本意ながら知れ渡っていて、俺が居ればないよりはマシ程度の活躍はできるとは思うが、俺は戦いで活躍するなんていう自殺願望は持ちえていない。
よって、自然と消去法になるのだが、残ってしまった選択肢もまた危険な選択肢であることを俺は知っていた。
──守りの要
多くの猛者が居なくなった欧州の穴埋めといった意味である。
言葉の通りに守りとは欧州の地を``紅世の徒``から守ることそのものを指し、要とはその主戦力になる事を言う。
以上のことを踏まえて、ドレルの言葉を意訳するなら『お前が欧州守ってくれ』になる。
無茶ぶりだなんてもんじゃない。無謀。破茶滅茶。俺にとっては死の宣告とも言えた。
決まりきっているいるが、俺の回答は否。絶対に否だ。
喚いて叫んで泣いて怒って意思表示をする。絶対に嫌だと我侭ではない。
暴れたさ。俺が暴れれば嵐だって引き起こすさ。
俺の暴走によってドレルの居た外界宿は崩壊し、ドレルは泣く泣く俺を自由の身へと返上することになった──わけもなく、どおどおとドレルに落ち着くように言われ、リーズにしがみつかれて、まさかのウェルにまで諭されて、外界宿は事無きを得た。
リーズに腕を組まれて拘束され、ウェルが俺の暴走した様を笑ってくるが、落ち着きを取り戻した俺にドレルは詳しい説明をした。
その説明した内容が、手元にある書類にも書いてある。
「最初にこの話を聞いた時は、俺は一体どうなることかと思ったよ。死ぬことを覚悟したぐらい」
「あの時の貴方の慌てようはすごかったわね」
リーズがその時のことを思い浮かべたのか、コロコロと笑いながら言った。
「ふむ、我にはその様がなんだか似合っているように思えたがな」
「まるでウェルみたいなことを言うんだな、フルカスは」
「ふむ、それは遠慮したいな。先の言葉は撤回しよう」
ウェルと同類にみなされるのを嫌ってか、自分の発言をなかった事にしようとしたが、言った時点ですでに俺の中では同類扱いだぞ、フルカス。口は災いの元だと覚えていおくんだな。
たった一言で人が傷つくことを知るべきだ。特に、普段は悪口(?)を言わないような人物に言われると余計にね。
リーズはフルカスの早変わりな発言に苦笑しながら、こちらをその青い瞳で見つめる。
「でも、本当はあそこで私を振りきってでも逃げたかったでしょ?」
分かってるわよ、と言いたげな表情だ。
分かられてしまったか、と俺は表情で返す。伝わったかどうかは分からない。
本当なら、そんな狭められたたった2つの選択肢からではなく、第三の選択肢の全てから逃げるのコマンドを選びたかったのだが、俺はついにはそれを選択することが出来なかった。
ドレルが強制した所で、俺が逃げ延びることは出来るだろう。過去に追いかけっこをして追い詰められた相手ではあるが、ドレルの正体を知り、自在法の制限を課していない今であれば逃げることぐらい訳ないはずだ。
だのに、何故このようなことになってしまっているか。
その理由は、もう一人のフレイムヘイズの存在だった。
「でも、まあやっぱり主戦場よりはマシだよ、ここは。こうやって紅茶が飲めるぐらいには余裕があるわけだし」
「うまいが抜けてるじゃない」
「あれ、普通じゃなかったの?」
「うまいと言ったのは貴方でしょ」
「そうだったかな?」
「そうだったわ」
そうだったらしい。
にこやかにリーズに断言されてしまった。
こういうやりとりもまた平穏を感じる一時と言える。
今こうやって過ごしている間にも、アメリカでは壮絶な戦いが起きているというのに、この温度差。俺は自分の選択が正しかったと胸を晴れるというもの。二択問題だけど。正解率は二分の一だけど。
さりとて、この平穏もそうそう長く続くものでもない。
まだ多くのフレイムヘイズがアメリカへ渡り始めて日が浅く、一年と経っていない。``紅世の徒``も違和感を感じているとは思うが、動き出すのにはまだ時間がかかるだろう。だが、もしも``紅世の徒``が動き出したとしても、俺の力を必要とするような緊急事態に陥らなければ問題はない。
そう、何も起きなければいいんだ。何も起きなければ、ね。
それに、
「俺の仕事は守りの要といっても、撤退のための切り札。逃げる道の防衛が役割だしね」
「ええ、貴方にピッタリの役だと思うわ」
ドレルと並ぶ外界宿のもう一人の顔役。フレイムヘイズの行く道を支援する``珠漣の清韻``センティアの契約者、『无窮の聞き手』ピエトロ・モンテベルディの本拠地──イタリアはジェノヴァの外界宿。
ピエトロ率いる『コーロ』の補佐をする為に、俺はアメリカの死転がる戦場ではなく、ここに居る。
「そもそもピエトロが、俺がドレルから逃げようとしたときに文字通りに道を塞いだ張本人だけどな」
行く道を照らすはずのフレイムヘイズに、生きる道を塞がれた俺は外界宿にクレームを言っても許されると思う。