出来ることなら今回のこの戦いには『極光の射手』の助力があればとつくづく思う。何を隠そう、『極光の射手』とは最速の名を自他共に認められるほど、素早いフレイムヘイズだ。その速度は脅威で、時には攻めにも守りにも活用できるほどの汎用性がある。俺が着目しているのは、その速度があればあっという間に戦闘区域からの離脱が可能になる。助力があればと思うのは、いざという時には戦線離脱を容易に図れてしまう安全に基づくものだった。
速さは俺にはない要素である。
『嵐の夜』は逃げるために編み出した自在法だけあって、俺が逃げる際には十二分な効果を齎してくれるが、それ以上の安全性があるなら、それを求めるのもまた俺にとっては当たり前のこと。命は一つ、尊く儚い。簡単に消えさってしまうもの。ならば、その安全策は二重でも、三重でもいくらあってもいいものだし、いくらあっても足りないものだろう。
保身に保身を重ね、念には念を入れて安全を確保する。これがフレイムヘイズとして長生きする秘訣であることは、俺の存在によって証明されている。
危険な場所には近づかないことも大切なのだが、今回に限って言えば、戦いの助力も悪く無い話だった。
「``海魔(クラーケン)``の一斉討伐の日がついにやってきたか」
「モウカも待ち遠しそうだったもんね」
「危険なイベントはとっとと終わらせたかったからね」
でも、待ち遠しかったわけじゃない。待ち遠しい訳が無い。
戦いが起きるんだよ? 戦いが起きるということはつまり、そこには危険が伴うんだよ?
それを間違っても楽しみに待つわけがない。むしろ、その状況を楽しみにしていたのは間違いなくウェルの方だろう。正確には、戦いに巻き込まれて慌てふためく俺の姿を楽しみに、だけど。ウェルが俺をおちょくる姿がもうありありと眼に浮かぶよ。
「貴方は今回は必死な形相で『絶対に逃げる!』って言い出さないじゃない? 珍しいわね」
リーズが不思議そうに目を細めてこちらを見る。
不思議に思う気持ちは分からないでもない。
いつもの俺なら、それこそ安全第一を常日頃より心がけている俺なら、こんな危険な仕事を引き受けようとはしないだろう。俺のことをよく知っているリーズだからこそ出る疑問。
当たり前だ。
誰が好き好んで``紅世の徒``の殲滅になどに出張るものか。俺は最弱のフレイムヘイズ。そんな実力ドベの俺が大層な戦いに巻き込まれれば、川辺の貝殻のごとく簡単に波に飲み込まれて消えてしまう。気付いたら存在が消えてしまうよ。危険を多分に含める戦いに、自ら率先して参戦するはずがない。どんな弱小の``紅世の徒``からも逃げているこの俺がだ。
リーズがどれほど``紅世の徒``への恐怖を抱いているかは知らない。俺と一緒に付き合ってきて、安全やら平和やらの大切さは骨の髄まで染み込んでいるだろうが、それが``紅世の徒``への恐怖へと繋がるかは別だ。
もしかしたら、真に``紅世の徒``を恐れているのは数多くいるフレイムヘイズたちの中で俺だけかもしれない。
リーズは俺が逃げるといえば、一緒に付いて来てくれるだろう。そして、今回もそう言うと思ってただけに、珍しがっている。
「珍しいなんてもんじゃないさ。もう二度とない機会かもしれないよ」
「大戦の時は八方塞がりで嫌々戦うしかなかった時だったしねー」
「じゃあ、今回が初めってことじゃない。自分から戦いに参戦するの」
「そうなるね。うん、そう考えると感慨深いな」
逃げに逃げてきた俺がついにというか、やっとというか、戦闘らしい戦闘に参加する。俺のふゅーちゃーぷらんにはこんな予定はなかったが、その時がやってきてしまったということだ。
参戦自体は、だいぶ前から決まっていたこと。この件に関しては外界宿からの正式な依頼でもある。念のために言っておくが、今回は強制参加ではなかった。ドレルからは、俺が参戦したほうが俺の持つ特性ゆえに、優位によりスムーズに事が進むとは言われたが、強制はされなかったのである。珍しいことに。
ならば、何故今回だけは逃げずに、参戦したか。
これには非常に複雑な事情と、将来性を見越した一つの拙い戦略であった。
そうでもなければ、誰がこんな面倒なことに首を突っ込むか。
「参戦する価値があるんだ。そして、この戦いには大きな意義がある。今この一刻を身を危険に晒してでもね」
「貴方にしては随分強気に出るじゃない」
こんなに強気になったのは長いフレイムヘイズ人生で初めてかもしれないな。
「うむ、今日は珍しいことが続くな。嵐が来なければいいが」
「大丈夫。だって、私たちが嵐みたいなもんだから。それにもう……嵐はすぐそこ」
この身に宿る力を存分に扱う日は近い。
◆ ◆ ◆
``海魔(クラーケン)``の一斉討伐には大義名分がある。討伐案に関してだけ言えば、だいぶ昔からあったことだが、これがついに通ったのには幾つもの理由がある。と、同時に俺が参戦するに至るまでの理由もある。
そもそも血気盛んなフレイムヘイズにとっては大義名分なんて要らず、相手が``紅世の徒``というだけで十分な気もするが、それだけでは外界宿が命を出して従わせるには少々薄い理由になる。やれと命令されるのは皆嫌なもので、卑屈で性根曲がりのフレイムヘイズは命令をされれば、中学生の反抗期のように嫌だと反射的に答えるだろう。俺だって仕事を外界宿(ドレル)から押し付けられるのは不平不満を覚えているくらいだ。
外界宿が機能するようになり、はるか昔に比べれば手を結ぶことを覚えたフレイムヘイズであるが、まだまだ浸透しきっていない部分が大きい。また``海魔(クラーケン)``自体はそれほど強い``紅世の徒``の集団ではないのも影響している。
``海魔(クラーケン)``は所謂、海を縄張りとする``紅世の徒``の総称であり、中にはもしかしたら``紅世の王``も紛れている可能性もあるが、あくまで可能性としか言えずに断定できないので、実質は分からないのと同じ。それでも``海魔(クラーケン)``に襲われてフレイムヘイズになった例は聞くけれど、``海魔(クラーケン)``に襲われて死んだフレイムヘイズの話を聞かないことから、強力な``王``はいないのではないかと言われている。
``海魔(クラーケン)``は非常に慎重でもある。人間はよく襲うくせに、フレイムヘイズが人間と居合わせていると襲ってこない事が多い。賢いのか、それとも俺のように臆病なのかは定かではないが、そういった小物臭漂う行動からも``紅世の王``がいないと言われる所以であった。
そう、フレイムヘイズにはそれほど被害が出ていないのだ。たとえ、襲われたとしても``海魔(クラーケン)``は諸説として弱いとされているから軽く露払い出来ると安直に考えるフレイムヘイズも多い。よって危険性の薄さから、『``海魔(クラーケン)``を殲滅せよ』と誰かに言われた所で、わざわざ殲滅するほどの相手でもない。取るに足らない相手と考える輩が多い。そういった考えを持つものは、主に復讐者としての面が強いフレイムヘイズたち。つまり大多数に渡る。
外界宿が中々、一斉討滅に踏みきれなかった理由に一つである。
その安易な考え方──``海魔(クラーケン)``を舐めるような考え方に異を唱え、今に至るまで声高々に殲滅を主張する者もいた。
``海魔(クラーケン)``はフレイムヘイズに被害を出すことがほぼ無いだけで、人間に手を出さない訳ではない。``海魔(クラーケン)``を殲滅しなければ人がこれからも襲われ続け、世界のバランスが崩れてしまうと危惧する者たち。フレイムヘイズの使命に燃えるフレイムヘイズたちが、愚直に``海魔(クラーケン)``の危険性を説いていたのだ。
俺が知るだけでも、この両者の意見の食い違いは百年以上は続いている。
そして、それがようやく最近になり外界宿が``海魔(クラーケン)``の危険性に警鐘を鳴らし、誰もがそれに納得させられるだけの大義名分を手にすることが出来た。
たった一つの判断に百年以上の時を費やすことを冷静に考えれば、失笑ものだと俺は思うわけだが、それでも結論が出ただけマシだとドレルは言っていた。
外界宿が機能する前のフレイムヘイズの堅い頭のままなら、いつまでも己の主張を曲げずに、平行線を辿ってた未来がありありと浮かぶ。それを考えたら、確かにドレルの言う通りだった。
「大義名分なんて関係なしにやっちゃえばいいのに」
オランダのとある港へ向かう途中、ここまでの流れを一緒に見て来ていながら全く理解していなかったようだったので、あらかたの流れを教えてあげれば、リーズはそんなことを言った。さらには、それまでの過程が必要になるフレイムヘイズに、面倒くさい奴らばっかりと評価して締めくくった。
ホント、面倒な奴らばかりだよ。フレイムヘイズも``紅世の徒``も。
「おいおい、リーズ。君はいつからそんな物騒な考え方になったんだよ」
「別にいいじゃない。それに、貴方は自分の関係ないところなら何が起きたって問題ないでしょ?」
「本当に俺に関係ないならいいんだけどな」
残念ながら世の中は、そう上手くはできていない。どこかしらかで関係性が出てきてしまい、巻き込まれるなんてことはザラに起きる。それこそ、外界宿と深く関わりがあり、俺個人の名もそれなりに知れ渡ってしまっているから、完全に無関係でいられる出来事があるか存在そのものが怪しいものだ。
完全に蚊帳の外というのもどこか寂しいような気もするが……
「リーズこそどうなんだ? 今回の一件ならやっぱり逃げるか? それとも積極的に関わるか?」
「私は貴方に着いて行くだけよ。全部貴方任せ」
「……楽でいいね」
考えることを完全に他人に任せきってしまっている。
これを気楽と言わずになんというのか。
「貴方に頼っていると言って欲しいわ」
「物は言い様なんだな」
「本当のことじゃない。それで」
「うん?」
「それで、その大義名分って一体何?」
リーズが改まって疑問を口にした。
「大義名分なんて関係ないんじゃなかったのか?」
「自分の戦う理由ぐらいは知りたいわよ」
「うむ、道理だな」
リーズの言葉に、彼女と契約した``王``フルカスが同意した。
そうだね。
ここまでは大前提の話。肝心の内容には全く入っていない。どのようなの部分が抜け落ちている。では、その部分についても教えておくとしよう。かなりの部分はドレルとウェルからの受け売りだけどね。
大義名分──常識を知らないとばかりに自分本位に戦うフレイムヘイズが、指向性を持って戦わせるにまで至る理由であり、フレイムヘイズにとって``海魔(クラーケン)``を倒すことに意味が生まれさせるにいたった経緯。それを一言で言うなら、
「時代。大義名分は時代が変わったからこそ出来た」
「貴方はあれね。もっと直接的に言うべきよ。私にはさっぱり分からないわ」
「リーズはあれだ。もう少し考えようよ、自分で」
「その役は貴方が居るからいいの。それより、早く早く」
言葉は淡々としているが、青い瞳を輝かせて続きを迫ってくる。
俺はリーズの将来を考えて、物事を考える癖をつけてほしいから意味ありげに言っているのに、簡単に一刀両断してくれる。
俺も考えるのはそこまで得意じゃないんだけどなと、ぼやいてから本題に入る。
昔と今とで変わったこと。人間社会を基準に考えると、それこそ文明やら文化やらと挙げられるものはキリがないが、不変の存在のフレイムヘイズを基準とした時、その数はぐんと減る。細かい変化ではなく、時代の変化と言うほど大きい変化ならなおさら当てはまる事項は少ない。
俺がここで言う時代の変化とは、結局のところある一つの自在法のこと。
「封絶によって起きた常識の変化とでも言うべきかな」
「あの噂好きのせいとも言えるよね。あいつが、あの神が現れるのは一種の新しい時代への宣言のようなものだから」
またあの封絶なのねとリーズが呟きを零した。
そうなんだよ、またなんだよ。
いや、またという言い方は間違っているかもしれない。封絶が広く認知されるようになった、動乱がまだ収まりきっていないだけの話だ。どんな常識知らずのフレイムヘイズであっても、すでに常識と化している部分がある革命的な自在法。これが本当に、フレイムヘイズ限定ではなくこの世界の全ての常識となるにはまだ時間がかかる。
秘匿を秘する役割として、人間を守る手段として、何より都合の良い自在法を一刻も早く世界に完全に行き渡らせたい。
そんな意思がフレイムヘイズと``紅世の徒``の双方である中で、現れたのはそれを否定する者たち。彼らは『革正団(レボルシオン)』と名乗った。今まで暗黙の了解として、両界で``紅世``を秘することをしていたのに、それを公にしようと暴挙に出る者たちだ。
そんな彼らが、さらに秘することになる封絶を許すはずもなく、戦いの際には封絶を張ろうともしない。
彼らの存在について、今まさにフレイムヘイズと``紅世の徒``を困らせている。年々その数が増えていくのも悩みの種だ。これ以上増えていくようなことがあれば、小規模な小競り合いではなく戦争が起きる。数百年ぶりの大きな戦いが。
それを避けたいと考えるのは俺に限った話ではなく、ドレルを始めとする外界宿の面々が中心となり、今はその予防策に忙しい。
その一環として都合よく挙がったのは``海魔(クラーケン)``の一斉討伐だった。
「``海魔(クラーケン)``の特徴は、海にいる``紅世の徒``であることと、未だに封絶を使わずに人を喰っていること。これの意味する所が分かるかな?」
「 『革正団(レボルシオン)』と``海魔(クラーケン)``の共通点ってことでしょ? 封絶を張らないってことじゃないの?」
「そのとおり! リーズちゃんも賢くなったねー」
「あんたに言われても小馬鹿にされているようで嬉しくないわ」
ウェルに褒められても少しも嬉しくしなさそうなリーズに苦笑しながら、説明を続ける。
「これで大義名分が揃ったわけだ。``海魔(クラーケン)``討伐は『革正団(レボルシオン)』への警告。このまま続ければフレイムヘイズを揚げて一斉討伐をするぞという脅迫、見せしめな訳だ」
「一見してみれば``海魔(クラーケン)``も『革正団(レボルシオン)』もやってることは変わらないんだよね」
「こじつけみたいじゃない」
「戦いなんてそんなもんだよ。やられる側にとっては、理不尽な暴力でしかない。俺がよく知ってる」
「……説得力が桁違いね」
長生きは伊達じゃないんだよ。長い年月で色々と経験してきた。貴重な体験、興味を唆られることも多かったが、そのどれにも危険が伴い、リスクを背負わなくてはならないことばかりだったな。
リーズを助けた時だって、本当は見捨てようとしたのに、あの名前も言いたくない奴に因縁付けられて巻き込まれた。
当時は半ば自暴自棄だった気がする。
「大義名分とやらは分かったわ。でも、それって貴方が参戦する理由にならないんじゃない? 貴方は『革正団(レボルシオン)』なんてどうでもいいと言ってたし」
「今でもどうでもいいよ。変な宗教活動は勝手にやればって思ってるし」
布教活動だかなんだかしらないが、封絶を張らない事自体の不利益は俺にはほぼ皆無だ。俺も``この世の本当のこと``の秘匿が人間に露見されれば面倒な事になるだろうが、俺はそうはならないだろうと楽観視している。これに関して危機感を持っているのはフレイムヘイズに限らないのだし、俺以外が頑張れば済むことだろう。まるで他人事だが、実際にはドレルなどが頑張っているのだしなんとかなると踏んでいる。
問題なのはそれで大規模戦闘が起きて巻き込まれることだが、今回はその戦闘に巻き込まれないための予防策と言えるだろう。
ようするに今回の参戦は、未来の逃亡経路を作るためのもの。
俺には俺の思惑があって参戦する。
「俺には究極の二択しかなかったんだ」
「どういうこと?」
「今の戦いに巻き込まれるか、未来の戦いに巻き込まれるか、だよ」
本当は両方共避けることなのだが、どうせ無理だろうと達観している。
無論、足掻くことを忘れるわけではないが、人生時には諦めも大切。ただ、命を投げ捨てるようなことは絶対にない。
「よし、ついたぞ」
オランダの大きな港へとたどり着く。
時間はすでに夕暮れで、俺たちの乗る船は明日の早朝出発の予定となっている。今夜はどこかの宿で旅疲れを少しだけでも癒し、明日へと備えることになるのだが、
「ここで一人待ち合わせをしてるんだけど……」
ハワイで共に戦うことになるだろう心強い仲間。俺の護衛役。
その人物とはオランダで落ち合う予定になっている。だが、周りを見渡してもその人物の姿は見つからない。その雰囲気と美しい容姿のため、またかなりきつい眼光と荒い性格をしているから、付近にいれば気付けないはずはないのだけれど。
俺があたりをキョロキョロと見渡していると、何を探しているか気になったリーズが誰を探しているのか尋ねてきた。
俺がその問いに答えようとする前に、ウェルが先に一言でその人物を表す言葉を言ってしまう。
「爆弾魔だね」
否定できないその言葉に俺は苦笑するしかなかった。