不朽のモウカ   作:tapi@shu

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閑話四

 欧州の古くからあまり変わらぬ街並みに溶け込んでいて、溶け込めていない少女がただ一人で街を歩く。街の中にごく平然と交わっているようでありながら、人とは少し雰囲気を滲み出してもいるのだが、すれ違う人々はそれに感づくことは出来ずにいた。

 その夜の中に溶けこむような黒く、腰にも届くほど長い髪は、欧州人のそれとは違い東アジア人系のそれに近い。欧州では珍しい色の髪を靡かせているはずなのに、誰も注視しないのは彼女の空気が薄いからではない。存在を馴染ませているから。

 幼い顔立ちだ。しかし、無表情のせいからか幼さをあまり感じさせず、瞳の中の強い光には意志と決意が垣間見れ、行き交う人々より頭一つ二つ以上に小さな体に不釣り合いな理性と凛々しさを自然と出している。

 

 今は上手く溶け込んでいるが、以前の少女であればこの人混みの中に交じることさえ出来ずにいた。

(これも鍛錬の成果と言えよう)

 

 重厚で威厳の溢れるような声にならない声で、彼は言った。

 その声を唯一聞き取れる彼──``天壌の劫火``アラストールの契約者『炎髪灼眼の討ち手』は、同じく声にならない凛とした、どこか幼さの残る声で、うんとだけ少し不服そうに答える。

 彼女がなぜ不服なのかすぐに察したのか、アラストールは励ましのつもりで補足をするのだが、

 

(我とて知らぬ事が多かったのだ。不備を恥じる必要はない)

 

 不備の言葉に少女は僅かに反応してしまう。

 表面上は全くの無反応の様に見えるが、少女の内心ではやや膨れていた。

 自らに大きな力を与えた``紅世の王``の不器用な励ましに、聡明な彼女は勿論気付くも、不必要な言葉を交わす必要のない強い信頼関係であるため、ありがとうの言葉は告げずに心内だけで感謝したのみ。

 『不備』に必要以上に反応してしまったのは、やはりこの間ようなことがあったばかりだろう。完璧のフレイムヘイズであれと育てられ、それに見合う力と知識を付けてきたが、実際に人間社会と向き合った時には、己の不備を指摘され、諭された。

 悔しかったというよりは、情けない気持ち。自分を育ててくれた彼・彼女に申し訳が立たない気持ちで一

杯になった。

 

(それでも、良かったと思えてる)

 

 結果的にはいい経験だったと断言できる。

 いや、そうさせてくれたのは教えてくれた師の一人になったゾフィー・サバリッシュのおかげと言えよう。

 先日までゾフィーと共に行動して現在のフレイムヘイズの戦い以外での生き方、潜み方(常識)を学んだ。彼女に感謝の念は絶たない。

 

(でも、面倒なことばかり)

 

 フレイムヘイズなのに人間となるべく同じように振舞わなければならない。それは例えば、お金を得るには盗むだけでは駄目だったり、人間との関わりを断絶しないで紛れることであったりと、ゾフィーに会うまで全く問題視してなかったものばかりだった。

 これが今のフレイムヘイズの在り様だとゾフィーは言うのだ。そう言われれば、彼女を在り方とする『完全なフレイムヘイズ』としては守らざるを得ない。

 外界宿の利用もその一つだ。フレイムヘイズに必要不可欠な``紅世の徒``の情報を始め、なりたての討ち手への訓育、金銭面と交通面での援助など、現代の形に沿った支援を行う。それらを組織の力を有効活用するのも現代のフレイムヘイズに求められる技量であるらしい。

 積極的に使うか否かについては個人の判断でとのことであるが、利用法は心得よとのことであった。

 それが便利であることを聡明な彼女は考えるべくもなく理解は出来たが、それは彼女の感性や感情とは異なる所でもある。

 他を気にしなくてはならない組織は、フレイムヘイズとしての役割を忠実にこなすためには面倒であり、何より相手は組織だ。利用していたはずが利用されている何てことも起こりかねない。率直に他者との慣れ合いなんてごめんという感情もある。

 

(でも、私は完全なフレイムヘイズだから……)

 

 感情を抜きにすれば、外界宿を有効活用する方がメリットが大きいと考え、実行する。それがフレイムヘイズ足らんとする彼女の在り方だから。

 

「では、これよりどこへ向かうとする?」

「東。外界宿の資料に``紅世の徒``の活発化が見られる」

「ならばそうするが良い」

 

 アラストールは彼女を意見に口を出すこともなく肯定し、彼女は「うん」と言い切らない内に、足はすでに東へ向いていた。

 

 

 

 

 

 少女は初めて口説かれた。それも初対面で。

 口説くことの意味を知らない少女はそのよく喋る男、ピエトロ・モンテヴェルディの言っている意味のほとんどを理解できずにいたが、意味を問うこともなく自身の要求のみを告げる。

 東へ行きたい、と。

 

「完全にスルーか。これはまた厳しい反応だ。これはそうだな、かつての『炎髪灼眼の討ち手』を思い出す」

「全く何言ってんだい。無視された経験なんて一人や二人なんて数じゃないだろうにさ」

 

 ピエトロの喋る声とは別の声、野太くも明るいその声はピエトロと契約した``紅世の王`である``珠漣の清韻``センティアのものだ。ピエトロは自身の契約した``王``を僕のおふくろと少女たちに告げて紹介した。

 おふくろの言葉にやや少女は首を傾げたが、特に気にすること無く少女は『贄殿遮那』のフレイムヘイズとだけ答えて、無言の圧力で話をすすめるよう促す。

 

「まあそう睨まないでくれ。東、というと日本への橋渡しでいいのかな?」

 

 顎髭を触って考える素振りをしたのは本当に素振りだったのか。少女の意思を的確に読み取ったピエトロに内心では、喋るだけの男からそこそこ使えるフレイムヘイズにランクアップする。ただの馬鹿から馬鹿なだけじゃないと評価が変わったに過ぎないが。

 『天窮の聞き手』ピエトロ・モンテヴェルディはこう見えて、外界宿の重任。自らが束ねている数十人の運行管理者からなる『モンテベルディのコーロ』を率いて、欧州を中心に世界各地に交通支援を行なっていた。その活動は多岐に渡り、討ち手らのための交通手段の確保と提供、資金面の援助。その交通ネットワークから得る情報を用いての``紅世の徒``の捜索を行なっている。

 少女がゾフィーに有効利用するように言われた組織の一つであり、また今日は手紙を手に握っていた。

 愛想なく手紙をピエトロに手渡すと、ピエトロは怪訝そうに手紙を受け取りながらもすぐさまに確認すると、顔に驚きの表情が浮かんだ。

 

「おお、これはこれは」

「驚いたね! 『肝っ玉母さん(ムッタークラージェ)』からの紹介状さ!」

 

 驚きの声を出した後は、黙々と手紙の内容を読み取り始めるも、それほど内容は書いていなかったのかすぐに顔を上げた。その顔には先程までの気取った雰囲気が失せ、真剣な表情を作っていた。

 

「君が強力なフレイムヘイズであると認めて頼みたいことがある」

 

 手紙の内容には何が書いてあったのか。

 ピエトロの改まった態度に、少女は人の変わり身の速さを知る。

 

「オーストリアに居たとされるとある``紅世の徒``が東へ逃げ、日本で目撃されたらしい」

 

 ``紅世の徒``の言葉に大きく少女は反応する。少女の内に宿る``紅世の王``も深く唸り、ピエトロの言葉に耳を傾ける。

 少女たちが東へと歩を進める理由は唯一つ。この世を我が物顔で跋扈し、世界のバランスを崩壊せしめんとする``紅世の徒``の討滅する──フレイムヘイズの使命に他ならない。

 その天命である``紅世の徒``の話題ともなれば、軽い発言を繰り返した男の言葉であろうが、見逃せるはずがない。

 

「討滅の依頼?」

「その通り。目標の名は``皁彦士``オオナムチ。古来より顕現している強力な``紅世の王``だ」

「……``紅世の王``」

 

 少女は声にならない声で、自身の``王``へと呼びかけた。

 

(アラストール、知ってる?)

(古来より存在する強力な``紅世の王``だ。しかし、此奴が敵だとすると些か……)

(私では力不足?)

 

 寂しげに言う少女の声。

 普段は平坦で感情の起伏を感じさせないだけに、色を纏ったその声にアラストールは、「い、いや……しかし」とこちらも普段では見せない慌てた様子を見せる。

 少女は、困らせてしまったというのに不思議と笑ってしまった。自分でもよく分からない気持ち。それでも、少女の次の言葉は自信と誇りの溢れたものであった。

 

(大丈夫。私は『フレイムヘイズ』だから)

 

 故に、少女のその依頼への回答は``紅世の徒``の討滅が内容の時点で決まっている。

 

「その依頼、受ける」

「おお! それはありがたい!」

「これで祈願の達成もあと僅かってね!」

 

 少女を置いて騒ぎ始めるピエトロらに、少女は不甲斐ない念を向けた。彼らも一端のフレイムヘイズなら、誇りを持ち、自らで解決するぐらいの意気込みを持つべきだ、と。それこそ自分の師の一人である戦場にて無敵とも言うべき戦果を誇る彼女のように。

 これも一つのフレイムヘイズの形であることは頭の片隅で理解出来るも、十分な納得には至らなかった。

 

(だけど関係ない。私は使命を全うすればいいだけだから)

 

 感情は捨て置き、使命に全身を委ねる。それが彼女の全てであり、今の彼女の唯一の支えでもあった。

 落ち着きを取り戻した彼らは、少女の日本行きへの話を進める。日本へと向かうのは明日の朝。ここモスクワより飛行機で東京に到着の手順だった。

 途中、飛行機の言葉に首を捻り、その反応から少女がまだ飛行機に乗ったことが無いことにピエトロは気付いたのか、問題ないよと少女の不安を削ぐようなフォローをする。

 

「電車と基本的には変わらないよ。今、君は荷物を持っていないようだから手ぶらで大丈夫だろうし、ゲートでチケットを見せて、ハイ終わりさ。それでも不安なら案内役を出すが」

 

 暗に未熟、経験不足と言われているようでやや不服な顔を少女は反応してしまった。

 最近、どうにも自分が思った以上に完成されていないことに、自分自身への不甲斐なさがこういった反応になって出てしまったようだ。

 他者にも察されるほどの反応だったようで、明るく野太い声に諭される。

 

「なに、おかしな話じゃないさ。近代的になっていく世の中についていけないフレイムヘイズなんて幾らでもいる。意固地になって昔のやり方を変えないより、なんでも利用していくほうがずっと柔軟で頭が良いと思うんだけど、どうかい?」

 

 取り繕うように無表情をもう一度作り直し、小さく頷く。

 その様子を微笑ましそうに見るピエトロに、ちょっと強めの視線を送りつつ、案内役については断った。他人に甘えることを許さないと自らに課したことを、僅かでも違えないように。

 日本行きの予定もあらかた決まると、ピエトロはため息を一回吐き、「これで借りが多少は彼に返せる」と呟いた。

 その言葉に疑問を含んだ視線を送ると、ピエトロは苦笑しながらも答えてくれる。

 

「いや、ね。彼、『不朽の逃げ手』には『革正団』の時には大きな借りを作ってしまってね」

(ほう、『不朽の逃げ手』はまだ現存か)

 

 知っているフレイムヘイズだったのか、アラストールが思ってもみない反応を見せる。

 誰? と尋ねると古き知り合いだとだけ返事が返ってくる。

 どうやら『不朽の逃げ手』は歴戦の討ち手らしいことだけは理解する。

 

「西へ東へ大忙し。彼の居る場所が戦乱の嵐ってさ! 各所に散らばる『革正団』相手によくもまあ戦ってくれたんだよ」

「『大戦』以来の``紅世の徒``との大きな戦いで、旗揚げの『炎髪灼眼の討ち手』もいなければ、指揮を執っていた我らが『肝っ玉母さん(ムッタークラージェ)』は、親友の死で早々にリタイア。頼れるのは自分たち外界宿の住人だけ」

 

 『肝っ玉母さん(ムッタークラージェ)』、師のゾフィーが戦いから戦線離脱したことがあったとは驚きだった。それも怪我などの自らが戦闘不能になるのではなく、友の死という不可解な理由。

 アラストールには会得する所のがあるのか、深く唸るだけ。

 意味はやっぱり分からない。

 

「でも、その住人も元は復讐を終えて第一線から遠のいた者や、戦闘に向かない者が多いのが現実だったのさ。そんな中で、外界宿が主導で戦線を率いていくのは無理難題だった。そこで、満を持して『不朽の逃げ手』の登場さ!」

「我らが外界宿の顔役が最前線で荒らすものだから、外界宿側の士気もようやく向上。まして彼は、現フレイムヘイズの時の人の一人だからね! 彼の参戦を機に続々と名のある者が集まって終息を迎えたってわけだ」

 

 一通り説明を終えたのか、ふうと息をつき水を一杯飲み切る。

 彼の話をまとめると、先の戦は『不朽の逃げ手』が引っ張ったから勝てたということだろうか。

 アラストールとも知古のようだし、他者にあまり興味を持たない彼女も多少ながら興味を持った。

 

「日本に着いたら、まず最初に外界宿東京総本部に行くといい。``皁彦士``の詳しい情報を得るのもそうだけど、彼に会うことも出来るよ」

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 黒い髪に瞳。それだけなら自分と同じようないで立ちだが、雰囲気が柔らかい。それとも緊張感がないだけだろうか。フレイムヘイズらしさを感じさせないのも、その雰囲気に大きく影響しているだろう。

 『不朽の逃げ手』と名乗ったその人物は、ピエトロが言ったような猛者とも言うべき活躍を見せるような強いフレイムヘイズには見えない。

 

「久しぶりだな。『不朽の逃げ手』と``晴嵐の根``」

 

 違和感を抱いているのは、自身だけだったのか、アラストールはやや親しみの込められた挨拶をした。

 その声で声の主が誰か悟ったのか、『不朽の逃げ手』の顔が驚きに染まる。

 

「サバリッシュさんに聞いていたとはいえ、実際に聞くと感慨深いな。いやはや、お久しぶりです。『炎髪灼眼の討ち手』に``天壌の劫火``」

「まーた、堅物と再会するなんてねー。長生きするもんだね、モウカ。初めまして幼いフレイムヘイズさん?」

 

 かたや感嘆が大きくも礼儀正しく挨拶した青年、かたやおちゃらけとした適当な挨拶に少女を小馬鹿にしたように言う笑い声を伴った女性の声。

 女性の声は自分が馬鹿にされているようで何だか腹が立つ。

 それを知ってか知らずか、モウカと呼ばれたフレイムヘイズは苦笑しながら謝ってくる。本当にフレイムヘイズらしからない。

 

「旧交を温めるような親しい仲でもないから、仕事の話をしようか」

「依頼の詳細を」

 

 どこかの女と違って必要以上の言葉は発さず、端的に答える。

 今度は逆に、相手側がその態度が気に食わなかったのか、ぶーたれる様に言う。

 

「モウカと違って愛想良くない。つまらなーい。これだから堅物のフレイムヘイズは」

「ウェル、いい加減おちょくるの止めてよ。相手は天下の『炎髪灼眼の討ち手』なんだからさ……」

 

 誰よりもフレイムヘイズ然とする『炎髪灼眼の討ち手』の討ち手と、誰よりも人間らしさ然とする『不朽の逃げ手』。

 ``紅世の徒``を討滅することこそが使命とする少女と``紅世の徒``の討滅の使命から逃げ続ける青年。

 真逆の性質を持つ、二人の初めての邂逅だった。


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