夕日を背景に様々なお祭りの飾り付けが黒く塗りつぶされていく光景は、お祭り前夜の雰囲気を最大限に醸し出している。そんな雰囲気に踊らされてか、リーズの隣を歩く男──モウカはどこか浮き足立っている。
彼がお祭り好きであることを発覚したのは今更のことではない。外界宿東京本部に所属となってからも、この時期がやってくると毎年のようにお祭りへ出かけた。
リーズ自身もお祭りとは全く縁がなかったわけではない。フレイムヘイズになる前から、祭り事が開かれていることを知っていたが、行きたいと思うことはあまりなかった。
お祭りの独特の高揚感漂う雰囲気は嫌いではないが、人混み自体がそれほど好きではなかったのだ。それが、東京に来てからちょくちょくモウカと祭りを付き添うようになってから、避けていた人混みにも慣れることが出来た。
一人ではおそらく無理。だけれど、彼と一緒ならお祭りを共に楽しむことが出来る。
そっと、彼との距離を縮める。彼はそれを気にも留めないが、それが逆に自分の存在を際限なく受け止めてくれているように倒錯する。一方通行な気持ちではあったが、確かに幸せの感情が存在する。ずっと、出来れば永遠にこの時間が訪れていればいいとさえ思える。
戦いはリーズだって好まない。
これには少なからず彼の影響はあるだろうが、むしろそういった影響は両手を上げて喜びたい。長い時がお互いを影響するなら、彼にだって自分の影響があるはずだ。
フレイムヘイズは殺されさえしなければ時間は無限にある。たとえ人類が滅亡しても、人間としての営みを放棄して生きることも可能なフレイムヘイズなら、生きることは出来るのだ。
だから、モウカは生きるために殺されないための方法をとにかく必死に取っている。その生へのしがみつきに、昔は何度か見苦しいと感じることも多々あった。
(私も貴方とまだまだ生きたいからそれに乗じてる……人って変わるものね)
長い時間を掛けての変貌だっただろう。昔のリーズはただ、自分が生き残るだけの術をモウカから盗み取ろうとしてただけなのに、気付けば共に生を歩むと信じて疑わなくなっていたのだから。
ただ、これだけ彼と歩んでいれば当然見えてくるものがある。
(貴方は一体、何者なの?)
まずは見た目。
黒髪黒目は欧州では珍しい。いないわけではないので、彼がたまたまそういう人種だったというだけの可能性もある。だが、あまりにもこの国の今の時代の人間と類似し過ぎていないだろうか。
彼の持つ知識。
モウカは自身でそんなに頭が良くないと言いつつも、何かしらの教育を受けたであろう知識を披露することがたまにあった。その知識の出処はどこからなのか分からない。リーズは300年程一緒にいたが、彼の過去について問たことはない。
フレイムヘイズの過去は往々にして重い。復讐者たる彼の過去に無遠慮に触れるのは禁忌とも言える。良からぬ争いの種になることもあり、軽々しく聞けるものではない。
自分と彼の関係ならもう聞けるほどの仲になっているはず、という自負はリーズの中にあるが、踏み込むのには躊躇してしまう。
しかし、それではやはり疑問は解消されないのだ。
リーズも自分の頭が良くないことを自覚している。考える事自体もかなり苦手な部類だ。いや、だからこそかも知れない。長年に蓄積した僅かな違和感があるからこそ疑問は明確になったのかもしれない。
モウカはリーズよりも古い時代の人間とは到底思えない。
彼の考え方は非常に現代的であることが、目下で見て取れた。彼がどんな先見の明に長けていたとしても、それぞれの時代に紛れ込み、違和感を薄め、適応するのが得意だったとしても、根本の彼を構成している部分は、どうにも現代(いま)よりなのだ。
そうでなければ、モウカとあの少年が似通ってるなんて思うはずがない。いくら容姿の特徴が類似していて、二人共地味だからといって、モウカの積み上げた500年とたった十数年の少年では『生きてきた』ことの重みが違いすぎる。
「いい雰囲気だね。たまらない」
商店街でそこかしこで祭りの準備に勤しむ人らと、そんな人らに煽られて活気溢れた顔になる人達を見て、モウカは非常に満足気だ。
人通りが多いから彼のうるさいパートナーのウェルは音には出してないが、感想を彼に言ってることだろう。
リーズはその楽しそうな顔のモウカを見て、自分自身も楽しくなっていた。
こんな平穏がずっと続けばいい。
彼ならきっとこんなことを思っているだろう。リーズもまた同じことを思っている。
他のフレイムヘイズがこの光景を見てどう思うか。自分たちと同じく、感傷に浸るのだろうか。それとも、争いがないことに居場所の無さを感じて、いたたまれなくなってしまうのか。こんな平穏を世界に齎せるように目標を立てるのだろうか。
「ねえ、あの子のことはいいの?」
「悠二くんのことか。思うところがないわけじゃなかったけど」
モウカが悠二の質問を突き放したのは意外だった。
モウカもやっぱり悠二とは似通ってる部分があることを自覚しているようで、相談に乗るかと思っていた。
「いやね。多分、あの場にいる誰よりも彼のことを理解できるとは思うんだよ」
「なんとなく、分かるわ」
同じ人種、という言い方は変かもしれないが。モウカと悠二は同じ時代に生まれたと言われても違和感はない。それはやっぱり容姿の特徴が似てるから、というだけでは説明がつかない。
リーズの言葉に、何かを感じ取ったのかモウカは「わかっちゃうかー」と、頭を掻いて苦笑いをした。困ったようには見えない。
彼ももうバレても構わないと思っていたのかもしれない。今までにだって、疑わしいことは多かったが、隠す素振りは見せたことはなかった。
モウカがゆっくりとリーズに体を向け、リーズに視線を合わせた。顔は真剣そのものだ。
「秘密にしてたわけじゃないけど、俺の秘密聞きたい?」
長年の違和感と疑問が解けるチャンスが訪れた。
肯定すればそれだけで、モウカは包み隠さず答えてくれるはずだ。嘘を答えることはないだろう。リーズには嘘をつかれたこともないが、つかれても彼の嘘を見抜く程度にはよく見てきた自信がある。
だからリーズは、その質問には喜色を混じえながら答えられる。
「別にいいわ」
そう答えると彼は不思議そうな顔をした。
話してもらえることが分かれば、リーズは十分に満足できる。彼からの無条件の信頼を得られたように受け取ることだって出来る。
「今まで、結構気にしてた素振りがあった気がするんだけど……」
「いいの。それより今晩の調達をしましょ」
戸惑うモウカの腕を引っ張って、近場のスーパーへと入っていく。
リーズはモウカと共に過ごすようになって炊事を担うようになった。それは御崎市にきたほんの僅かな時間であろうと変わらず、ウィークリーマンションを仮宿として、キッチンで腕を振るう。これは口うるさいあいつには出来ない、リーズだけの特権である。
(やっぱり、こんな平穏が一番よね)
しかし、生きることが戦いなら、リーズは率先して戦おう。
生き残る方法は全てモウカが模索してくれる。ならば、リーズは彼の盾となり槍となる。
これから起こるだろう大戦の大騒動を前に、リーズは自身の役割に忠実を誓う。
◆ ◆ ◆
判断を下さないといけない時は着々と迫ってきている。判断を下すことは、悠二本人の意思だけで決まるような軽いものではないが、悠二自身に大きく関わるものである。判断の時であると同時に、悠二の中で『覚悟』を決める時が近づいているように感じていた。
悠二の出会った二組のフレイムヘイズよりも地味で、自分と同じく平凡そうな身なりのフレイムヘイズに突きつけられた『戦う』と『逃げる』の選択。悠二がどこかで考えないようにしていた問題に強制的に向き合わされた結果になった。
考えたくはなかったのはこの街を、御崎市を今すぐに離れること。
生まれ育ち、慣れ親しんだ街を離れる。長い時間を通して学校での勉学とともに築き上げ、育んできた友人たち。心機一転ではない地元の学校とはいえ、新たな環境と新たな友を得て、始まったばかりの高校生活は、少々予想外の闖入者も混じりながらも、最近ではそれをも溶け込み、日常となった。
非日常へ片足を突っ込んではいるが、それなりに日々を謳歌できる今は、幾つもの問題を抱えていたとしても悠二の中では捨てがたいものへと変貌していた。
「ターッッッチ!」
軽快な声と同時に、人肌独特の生ぬるい感覚が悠二を襲う。それは思考の渦から周囲の喧騒へと意識を浮かび上がらせた。
授業中だというのにやけに騒がしい。それもそのはず、夏真っ盛りなこの時期に、体育のプールとは名ばかりの憩いの水遊びの時間だった。
プールの授業は例え泳ぐことをノルマに課せられていたとしても、ひたすらに熱されていく教室の中での授業とは異なる開放感と、火照り過ぎた体を冷やす中和剤となり、些か激しい運動も多少では苦にしない。
この時間に限っては夏休み直前の授業とあって、その僅かに邪魔なノルマすらも存在しない完全なる癒やしの時となっている。
暑さからの反動と夏休み前の独特の高揚感を重ねれば、テーマーパーク並みの喧騒がこの大きくもないプールであっても上がるのは当然であった。
他人から見れば悠二の思考はただぼーっと突っ立っていただけにしか見えなかったのかもしれない。鬼ごっこをしている最中に呆けているなと、冗談交じりの罵声が遊んでいる友達から飛び交う。
シャナには何をしているんだと半ば叱られ気味に聞かれれば、思考してた内容をこんなところでおおっぴらにいうことも出来ない。なので、目についた競泳用コースで泳いでいる仲の良い女の子を理由にすれば、軽く一発殴られた。それにまた周りが面白おかしく反応すれば、笑顔を作る。
『今』を維持できるのが一番幸せで、楽なのではと思うことさえある。それが保留や先延ばしという、断じて良いとは言えないなあなあなものでも。仮初の平穏であっても。
(ここに居たい)
トーチであり、本物の残りカスの自分が。本当はその残りカスも消えて、存在が無かったことにさえなっていたかもしれない自分が、異質となってしまったが生前と変わらない生活を送っている。
その中にはシャナも混じって、不自然を感じないほど交わり、問題と直面しているのに、このままで脳天気に、あるいは楽観的に想う。
(ここにいるのは、全然おかしなこと……じゃない)
だから、もっとここで在りたいと。
あのフレイムヘイズも言っていた。選択肢は投げられたが、それ以外の案だってあるかもしれない。それを模索するための限られてはいるが期間だって、まだある。
悠二はそう思い始めると、居ても立ってもいられなくなった。
まだいい案は思い浮かんではいないけれど、自分の意志は決まった。
(いつもの僕なら、うやむやにしてたのかも)
意思が弱い訳ではないとは思うのだが、平凡な日々に浸っていると、ついぞ非日常のことを曖昧にしてしまいがちだ。
楽観的と言われれば、否定はできない。
自分がトーチであると言われたときは、それは情けない様をシャナに見せていたに違いない。思い出すと、苦笑いが出る。それでも、次には言い方を良くすれば驚くほど冷静になれていた。
自分は自分だと開き直ったのかもしれないし、そうは言われても、変わらずに日常を過ごせたから薄れていってしまったのかもしれない。
ふと、このことを思い出しては悩み、また保留をしていく。
何か決定的なことがない限りは、そんな毎日を過ごしていたのではないかと容易に想像できる。
(なら、これはいい機会だったのかも)
最後の決定打が、何かを失った後とかだって考えられたのでは。そう考えるのならば、失う前に決意を固めることが出来たのは、良かったとさえ言える。
そして、何よりも自分たちに協力してくれそうなフレイムヘイズがいる。あの日、屋根の上では無碍に別れを告げられたが、マージョリー・ドーのような話しかけづらさや、シャナのようなある種の硬さを感じない。悠二にとってはシャナよりも相談しやすそうな相手だった。
その日、悠二は学校が終わるとシャナに適当な理由をつけて、学校を飛び出した。フレイムヘイズの気配は独特でわかりやすい。この街にいれば、見つけ出せる自信はあった。
(本当はシャナにも相談するべきなんだろうけど)
彼女には中途半端とにべもなく切られる可能性があると思うと、出だしから相談するのは避けたかった。
しっかりと構想を練って、彼女を納得させられるような案を上げて、少しは頼りになる所を見せたかった。
しかし、それは──自分の感情を最も理解してくれていると勝手に思っていたフレイムヘイズに否定されることになる。