蒼夜の記憶と奮闘して早一ヶ月。何の成果も得られていないうちに夏はあっさり過ぎ去った。
蒼夜が帰ってきてからずっと夢を見ている気分だった。いっそ全部夢であってほしかった。
彼のことを考えすぎてバンドも学業も疎かになりつつある。
「おねーちゃん」
「日菜?」
「話があるんだけど、今大丈夫?」
「…ええ」
ノックと共に部屋に入って来たのは日菜だった。ベッドに寝転んでいた身体を起こし日菜と向き合う。
「どうかしたの日菜」
「あのね、明日ってRoseliaの練習休みでしょ?よかったら一緒に遊園地行かない?」
唐突な提案。内容はとても日菜らしい。
「別に構わないわよ」
明日は自主練習をするつもりだったけどせっかくの誘い。一日くらいやらなくても平気だろう。
私の回答にいつもなら明るく元気に喜ぶ日菜だけど今日は様子が違う。表情は曇ったまま。それでいて私の表情を伺っていた。
「あ、あのねおねーちゃん」
「ええ」
「その日なんだけど……蒼くんも、誘っていいかな……?」
様子を伺っていたのはそういうことらしい。私が今の蒼夜のことをあまり好きでないことは日菜にはバレていたみたいだ。
一応、今の蒼夜に思うところはある。けどそれはわざわざ日菜の提案を断る程のものではない。遅かれ早かれ、蒼夜とはちゃんと向き合わねばいけないのだ。ならこの誘いはありがたいものだと捉えるべきだろう。
「……わかったわ。蒼夜も入れて三人で行きましょう」
私の言葉に驚いたような表情を日菜は浮かべた。自分から言っておいてその反応は少しおかしな気がする。
「……いいの?」
「ええ。いつまでも逃げていられないもの」
今の蒼夜の隣にいて何かが得られるのか。それはわからない。けど関わらなければ失われた時間を取り戻すこともできない。やり方が当たっているかどうかなんてわからない。
それでも蒼夜の記憶が戻る可能性が少しでもあるというのなら。私はこの身であればいくらだって犠牲にする覚悟を持っている。
けれどもしも仮に__ずっと蒼夜の記憶が戻らなければ。揺れる二つの時間の狭間でどう生きればいい。
記憶なら昔通りでいい。空白の一年を埋めるためにこれまで以上に一緒に過ごせばいい。恋人らしいことももっとすればいい。
「わかった!蒼くんにも伝えとくね!」
そう言って笑顔で部屋から出て行った日菜は嵐のようで。私はまたベッドに背を預けた。
恋人らしいことももっとすればいい。か。
けど逆なら。もし今のままならどうすればいいのだろう。
顔も三日月も変わっていないのに口調も呼び方も姿勢も振る舞いも変わって、知らない服装に知らない趣味に知らない表情。それなのに見慣れた笑い方が混ざって、もう何度脳を掻き乱されたか覚えていない。
知っている顔に浮かぶ私の知らない表情。
知っている声に知らない口振りが上乗せされる。
知っている不器用さが知らない器用さに変わる。
知っている蒼夜が日に日に私の知らない蒼夜になっていく恐怖が今日も募っていく。
垣間見える蒼夜らしさと不意に目にする初めての姿、行動、言動。
私は一体どうすればいい。どう接すればいい。
そもそも今の彼を蒼夜と言ってもいいのか。魅力的だった彼とは全く違う人間になったというのにそれを仕方ないと割り切れと言うのか。そんなもの無理に決まっている。
私が好きな蒼夜はクールで真面目で誠実で器用で頼りになる彼じゃない。
明るくて馬鹿で優しくて不器用で容量は悪いけど真っ直ぐで正義感の強い彼だ。
日に日に増えていく蒼夜の面影を見せる別人の誰かに困惑せざるを得ない。
確かにそこに、今では手の届く範囲に存在しているはずなのに、もう私の知っている彼がいないのではないかと錯覚してしまう。
違う。蒼夜は蒼夜だ。他の何者でもない。それは私が一番しっている。
信じなければいけない。彼の記憶が元に戻ることを。信じられなければいないことに変わりないのだ。
わかっている。頭の中ではそうだとわかっているのに。
やっぱり納得したくない。記憶を無くしているという事実を。
日菜に言ったことは全て本心。
蒼夜とは一緒にいたい。また同じ時を共有したい。
けどそれと同時に私の存在すら忘れてしまっている彼のことを認めたくない自分もいて。
自分のことなのに自分がわからなくなって。
ただそっと目を閉じた。