雨が降っていた。
揺れ動く足元。
君は必死に俺に手を伸ばしていた。
俺はその手を掴んで引き寄せる。
安心した君の顔。俺も安心した。
ゆっくりと歩いていく。
君を預けた瞬間揺らぐ視界。
自分の身体が傾いていた。
バランスを崩して倒れた。
そのまま傾く床を滑っていく。
君が俺の名前を呼んでいた。
最後に見たのは君の絶望したような表情。
そんな顔してほしくなくて笑った。
そのあと俺を包んだのは大量の水だった。
苦しくて、もがいて、でも息はできなくて。
俺はそのまま意識を失った。
♢♢♢
「っ!……なんだよ、今の……」
俺を襲ったのは悪夢だった。あまりにもリアルな夢に飛び起きてしまう。まるで一度体験したことあるような感覚。頭を割るような頭痛がした。
「……紗夜、お前はなんで……ッ!」
登場人物は四人いた。
俺と俺が助けた子、その子を俺から預かった子、そして俺たちを見ていた子。俺はその全員を知っている。
俺と紗夜と日菜とあと昨日御門奏と名乗った女の子。
ずっと悲しそうな顔をしていたのは紗夜だった。俺がずっと見て来た表情と同じだった。
あの夢は一体なんなんだろう。
あの状況から察するに俺は紗夜を助けて水に包まれた。水ってのは海なんだろう。ということはあれは船の上か?なんで俺たちは船の上にいたんだ。
夢のことで現実のことではないのに俺はどうしてかその理由を必死に考えていた。
まるであれが本当にあったことのように錯覚して、胸の奥に疑問がもやもやと引っかかっている。
♢♢♢
「お兄ちゃんに会いました」
突然家に現れた奏ちゃんにそう言われた瞬間、鈍器で頭を殴られた感覚に陥った。
どうして蒼くんと会うことができたのか。なんでそんなことをあたしに言って来たのか。わからないし理解したくもない。
「……どこで会ったの」
「つい二日前、ライブハウスの近くを通ったらそこにいました。偶然ですよ」
「……まあ、そうだろうね」
その日はおねーちゃんがいなくなった日。蒼くんと分かれて探していた日。あの時分かれて探さなければ、もしかしたら蒼くんと奏ちゃんは出会っていなかったかもしれない。なんて、出会った後に考えても仕方ないけど。
「日菜さんは、会わない方がいいって言ってましたけどそんなことなかったですよ。お兄ちゃんに会わなかったら知らないこともありましたから」
「……それでもあたしは会ってほしくなかったよ」
もちろん、奏ちゃんが壊れてしまうかもしれないという恐怖はあった。だけどそれは乗り越えられると思っていた。奏ちゃんはあたしが思っているよりも強い子だから。だからあたしは奏ちゃんと蒼くんを会わせたくはなかった。
「それは、どうしてですか?」
わからない、かな?
だって蒼くんと出会ってしまったら、奏ちゃんもあたしの好敵手だ。
おねーちゃん一人で既に手に負えないレベルなのに奏ちゃんまで加わったらどうにもできないよ。
結局あたしは、今でも蒼くんの隣にいられるとどこかで信じているだけなんだろう。そうであってほしいと、本気で想っているんだ。
「……話はそれだけ?なら帰ってよ」
「日菜さんはなんで逃げているんですか」
「何が」
唐突に言われた発言にあたしは理解が追いつかなかった。否、わかりたくなかったからわからないフリをしているだけに過ぎないのだろう。
「もちろん、お兄ちゃんのことですよ」
お願いだから、逃げさせてよ。
「今日ここに来たのは日菜さんが私たちからお兄ちゃんを遠ざける理由を聞きたかったからです。前は壊れてほしくないって言ってた。お兄ちゃんを見つけたって聞いた日に紗夜さんに何かあったって知ったからそうなってほしくないって意味で言ってるんだって、そう思ってました。
けど違ったんですね」
気づかなければよかったのに。
「私が、誰よりも一番近くでお兄ちゃんのことを見て来たのに。その私が、お兄ちゃんが誰に見られているかに気が付かないわけないじゃないですか」
「……まあ、そうだよね」
蒼くんと家族である奏ちゃんにあたしの想いが隠し通せるはずがなかった。
「私たちのことを遠ざけておいて逃げる理由が私にはわかりません。だってチャンスじゃないですか。記憶をなくしている今が一番、日菜さんからしたら可能性がある。なのにどうして日菜さんは逃げるんですか」
「チャンスなんてないんだよ」
「日菜さん……?」
「……奏ちゃんにはわかんないよ」
そんなの、伝えられるなら伝えてるよ。けど蒼くんと関わって痛いほどわかるんだ。
蒼くんは今もあの頃と変わらない。
おねーちゃんが大好きで、おねーちゃんが一番で、おねーちゃんがいれば笑顔になって。
あたしのことなんて見てくれない。あたしじゃだめなんだ。蒼くんにも、おねーちゃんにも、あたしが支えるのじゃ不十分。そもそもあたしじゃ勝てない。仮に勝てたとしても、おねーちゃんが壊れちゃうならあたしは。
絶対に恋しちゃいけない相手だった。最初から叶わない恋だから。それでもあたしはキミが好きで好きでたまらなくて。
今日もまた夢を見る。
蒼くんが好きなのはあたしで。ずっと前、出会った頃からあたしで。恋人になるのもあたしであれと、そう思う。
そんな明日を今も夢見てる。
「ねぇ。奏ちゃんは蒼くんが家族じゃなかったらって考えたことある?」
「……何の話ですか」
「あたしはね、あるんだ。蒼くんが幼なじみじゃない、そんな世界だったらって」
何度だって考えた。そうなったらあたしにチャンスがあったのかもって。けどそんなことはなかったんだ。
何度考えてもあたしと出会う未来が見えない。何度考えてもおねーちゃんと蒼くんが出会う未来しか見えない。あたしとおねーちゃんが仲違いしたまま大人になることだってあったかもしれない。
あたしたちの仲を取り持ってくれたのは蒼くんだ。蒼くんが幼なじみでなければきっと。
「最悪なんだ、今よりずっと。いないなんて考えられない。
あたしは、壊れちゃうくらいなら今の方がいい。あたしが諦めればいいだけの話なんだから」
「日菜さんが諦める理由なんてないんですよ」
「ううん。あたしは諦めなきゃ。じゃないと大好きな人たちは目の前からいなくなっちゃうから」
怖くて震えて夜も寝れなくて。
探して焦って何度でも泣いて。
太陽も月もあたしを照らしてはくれない。
あたしはまだ暗闇を歩き続けている。
ねえ、お願い。なんでもするから、言うこと聞くし暴言だって何度でも吐かれたってかまわないから。
だからお願い。あたしから離れないでよ。
そう思ってふと顔を上げた。ある事実に気づいて笑えた。どうしてその事実に今更気づいたのだろう。もっと早く気づいたってよかっただろうに。
__蒼くんがいなくなって壊れてたのはおねーちゃんだけじゃなかったんだ。