「紗夜、大丈夫?」
「っ!すみません。もう一度お願いします」
「……いえ。少し休憩にしましょう」
結局あの日から数日紗夜はうちに泊まることになった。あのまま帰せるわけがなかった。それに今の紗夜が日菜に会ったらどうなるかわかったもんじゃない。またあの仲違いをしていた頃に戻ってしまうのではないかと思うと怖くて仕方なかった。
紗夜の問題を放っておくわけにはいかなかったから友希那も呼んで話し合った。これからのRoseliaの練習をどうするのかについて。それが話の主な内容だった。
「私は紗夜が参加したいと言うのなら参加させるべきだと思うわ。だけど、そうね。今リサたちの話していたこともあるし蒼夜にはしばらく練習に来ないようにしてもらうわ」
友希那がそう言ってくれたことにひどく安心したことを覚えている。Roseliaが結成したての頃なら脱退と言われてもおかしくない状態なのに。成長したなぁなんて思っていた。
それがあってRoseliaの練習に蒼夜が参加することはなくなった。日菜のお願いを破る形になってしまったけどこれに関しては受け止めてもらうしかない。それに、何度も頭を下げて謝る蒼夜の姿を見たら自主的にここに来ることはないだろうと思った。
練習を一日休んで、それから復帰した紗夜。その演奏はお世辞にも上手いとは言えたものではない。ミスが多かった。あの完璧な演奏が取り柄の紗夜の演奏が何度も崩れた。それはここにいるのがあの氷川紗夜なのか疑うレベルだった。この一時間の間に何度演奏が止まったか、とっくに数えることはやめていた。段々とミスを重ねるごとに目に見えてわかる紗夜の焦り。心配するなは無理な話。
誰もが事の深刻さを目の当たりにした。
「さ、紗夜!一緒にカフェ行かない?ほら、気分転換も大事でしょ?」
「そ、そうですよ!一緒に行きましょう!」
「……今井さん、宇田川さん」
「それに誰だって調子悪い日はあるんだし、ね?」
「……すみません。今は一人にしてもらえませんか」
「え、う、うん……」
アタシとあこの励ましの言葉は何もないかのように受け流された。ギターを置いて一人スタジオから出て行く紗夜の背中を誰も追うことができない。
「……やっぱり、まだ切り替えられないよね」
「好きな人、恋人が自分のもとから離れていきそうなのだから当然よ」
「……大丈夫、でしょうか……」
「紗夜さん……」
紗夜が今までどんな想いを抱えていたのかなんてアタシたちにはわからない。支えたくてもどう支えればいいのか。考えてもわからなくて。
今の紗夜よりも真面目で厳しくてだけど優しい紗夜の方が好きだから、戻ってほしいと願ってしまう。
「……リサ。日菜と連絡取れたの?」
「うん。取れたのは取れたんだけど……」
「けど?」
アタシはカバンからスマホを取り出して日菜とのトークアプリを開く。それをそのまま友希那に渡した。
「『リサちー迷惑かけてごめんね。心配しないで。あたしはもう蒼くんにアタックしたりしないから』これは……」
「日菜から送られてきたメッセージだよ。昨日送られてきたの」
「なんか日菜ちゃんぽくない文章だね」
「……そう、ですね……」
それはアタシも思っていた。日菜にしては大人しい文章だし日菜があっさり諦めるとも思えない。いくら紗夜のためと言えどそんな簡単に引き下がれるだろうか。この文章は色んなことを我慢しているような、そんな気がして仕方ない。
「送られてきたのはそれだけ?」
「うん。他はたわいもないやりとりしかしてないから……」
アタシたちは知らないけれど仲良くなってもなお紗夜と日菜の二人は蒼夜のことで溝がある。多分埋まらない溝なのかもしれない。
アタシたちは想像している何十倍も二人のことを知らない。だからそうにもできない。悔しくてもどかしくて辛くて仕方ない。
「……たとえどちらに転んでも、私たちは変わらずにいなければいけないわね」
♢♢♢
Roseliaの練習から追い出されて早一週間が経った。俺はお嬢様の送り迎えのついでにハロハピのバンド練習を見ることになっていた。
最近までRoseliaの練習を見て来たのだから技術は劣る。それでもこのバンドは誰かを笑顔にしようと、したいという意思が伝わってきて。それに応えたくて自然と教えるのに熱が入っていた。
「お疲れ様です蒼夜さん」
「お疲れ様です花音様」
練習が終わりスタジオ内を片付け着替え中のお嬢様を外で待っているとお嬢様よりも先に現れたのは花音様だった。優しく微笑むその顔を見ればこちらも自然と笑顔になってしまうというもの。さすがはハロハピの癒し担当だと思った。
「他の皆様はどうなさったんですか?」
「みんなまだ着替えてますよ。ただ会話が弾んでるみたいで……」
「そうでしたか」
容易に想像できる光景。おそらく美咲様が絡まれているのだろう。美咲様には日頃からお世話になっているし後で謝っておかなくては。
「……あの、蒼夜さん」
「はい。なんでしょうか」
「Roseliaの練習に行かなくなったのってやっぱり、紗夜ちゃん関係ですか……?」
花音様は普段、人の懐に入り込むような発言はしない。どこで地雷を踏んでしまうかわからないから、それを恐れて人の事情に深入りしない。
だけどたまに、ごく稀に踏み込んでくることがある。
聞かないといけないほど重要な理由があるのか、それとも好奇心からか。それは一切わからないが花音様は真剣でその中に少しだけ不安が見えた。
「そうですね。主にそうです」
俺は隠す理由もないからそう返した。俺の返答に花音様の表情から不安の割合が増えたように思えた。
「大丈夫、なんですか?」
「……さぁ、どうなんでしょうか。僕にはどうすればいいのかわかりません。記憶がないなんて、言い訳でしかないんですから」
紗夜や日菜、奏ちゃんにはそんなことを言い訳にしてはいけない。そう最近思う。
だけど何も思い出せない俺はどうすればいいのかわからない。
何をすれば喜んでくれるのかはまだ理解できていない。ただ何をすれば悲しむのは理解していて。そのうえで俺は俺のことを大切に思ってくれている人を傷つけてしまった。
これで紗夜のことを壊してしまえば俺はRoseliaのメンバーに、日菜に、奏ちゃんに何を言われるだろう。想像したくない。でももしそうなったら受け止めなければ。
「ちゃんと話してみたらいいんじゃないですか?」
花音様の言葉に俺は思考を止めた。
「ちゃんと今何を思っているのか話してみないと。何もわかっていないのに離れちゃうのは悲しいですよ。全部一から話してみて、それからならどう行動する方がいいのかも見えてくるんじゃないですか?」
確かにそうなのかもしれない。俺は過去の話を遠ざけて来た。というよりは俺の過去を知っている人たちがその話をしない限り聞いて来なかった。俺は自分のことのはずなのに知ろうとしなかった。知らなくてもいいんだって思っていた。
けどそんなはずがないよな。
「ありがとうございます花音様。お嬢様には用事があるから先に帰っていると伝えてもらっていいですか?」
「はい。頑張ってくださいね」
その声に頷いて、俺は車に乗った。シートベルトをつけてエンジンをかける。アクセルを踏んで向かう先は一つだけ。