「みんな、お疲れ様~」
今日はパスパレの練習日だった。朝からスタジオにこもって今度のライブでやる曲を通して、できていないところとかを確認していた。
あたしはいつも通り弾いていたつもりだった。だけど音でバレてしまったんだろう。途中から千聖ちゃんからは鋭い、麻弥ちゃんからは心配そうな視線をもらっていた。彩ちゃんとイヴちゃんは気づいていなかったみたいだけど。
「何かありましたか?」と麻弥ちゃんに聞かれた。「何もないよ?」とあたしは返した。
「何かあったわよね」と千聖ちゃんに言われた。「何もないよ?」とあたしは返した。
あたしはいつも通り笑って楽しく弾いて見せていたのに。あたしの演技もまだまだなんだろう。
練習中、何度も聞いたその問いかけにあたしは何度も同じ言葉を繰り返していた。やがて諦めたように千聖ちゃんがため息をつく。面倒な人ね、と言われた。千聖ちゃんが次に向けたのは麻弥ちゃんと同じ心配そうな目だった。見透かされたうえでその視線を送られているのはそれだけ千聖ちゃんが本気で心配しているということ。
あたしは笑って誤魔化すことしかできなかった。
いつもなら彩ちゃんの居残りに付き合ってあげるところだけど今日はそんな気分じゃない。本番前だから千聖ちゃんたちが残ることを知っていたしこれ以上はボロしか出さないと思ったから。
みんなに挨拶をしてあたしはスタジオから出た。事務所の廊下を歩いていればスタッフさんたちが声をかけてくる。受け答えをするのも面倒だったあたしには急いでいると嘘をついた。余裕がなさすぎて笑えて来た。
一人になりたかった。何もかもから今は目を背けていたかった。そうでないと余計なことを考えてしまうから。
だけどこういう時に限って昔からあたしを放っておかない人がいるんだ。
「日菜」
事務所の外、すぐ目の前。スーツ姿で車に持たれていたのは蒼くんだった。無視して通り過ぎるわけにもいかずあたしは立ち止まった。今日はバンド練習があると聞いていたのにどうしてここにいるんだろう。こころちゃんのお世話はしなくてもいいのかな。なんて、今はどうでもいいか。
「蒼くん?」
「迎えに来た」
「どうしたの急に。そんなこと頼んだ覚え……」
「話があるんだ」
嫌だと言ったら引いてくれるだろうか。
……いや、そんなことないか。だって記憶がなくても根は蒼くんだもんね。いつだって少し強引。だけどそれがあるから今までいろんな景色だって見れてきたんだ。
正直、この後の展開は見たくないのが本音だけど。でも見なくちゃ、あたしも蒼くんもそしておねーちゃんも前には進めないよね。
「うん。いいよ」
いつも通りの笑顔を向ける。蒼くんは後部座席の扉を開いた。あたしはそれに乗り込む。
走り出した車の行き先は知らない。だけどなんとなく思い描く場所があって自然を口角が上がっていた。
♢♢♢
蒼くんが車を停めたのは公園だった。夕暮れ時の公園は誰もいなくて遊具の影が長く伸びていた。
先に下りたあたしの後を蒼くんがついてきてくれる。ブランコの前に設置されている囲いに腰を下ろす。それを見て蒼くんは足を止めた。
蒼くんなら四歩ほどで追いつく距離。だけどその距離を保ったまま近づこうとはしなかった。
天を見上げる。あたしには眩しすぎて目を閉じた。
「……あたし、蒼くんに謝らないといけないことがあるんだ」
「謝らないといけないこと?」
「うん。遊園地に行った時、急に抱きついちゃってごめんね」
「……あぁ。そのことか」
蒼くんに目を向けるもその表情は変わらない。あいかわらず真面目で困ってしまう。
「日菜は悪くない。俺が体勢を崩したのが原因だっただろ」
「けどそれで抱きついたのはあたしだもん。おねーちゃんを傷つけた原因も、きっとそれでしょ?」
本当はわかってた。あの時おねーちゃんがいなくなった理由くらい。
わかっていたから知らないフリをしたかった。傷つけることだって、ダメなことだって理解していたからこそ目を瞑っていたかった。
だけどそれはやめよう。そろそろ本音で話さなきゃね。
「魔が差した。その言葉があの時のあたしには一番合ってたと思う。だけどその言葉で済ませちゃダメだって、そう思うんだ」
「そうか」
きっと蒼くんは気にしてない。だからあれはなんでもないことになってると思う。
それじゃあ、あたしの気は晴れない。
「……久しぶりだよね。蒼くんとここに来るのも」
「え?」
蒼くんが目を丸くする。あたしは小さく笑って目を逸らした。
「ここ、あたしとおねーちゃんが蒼くんと初めて出会った場所なんだよ」
「……そうなのか」
「うん。偶然とは言え、蒼くんがここに連れてきてくれた時は少しだけ期待しちゃった」
記憶が戻っていれば全て元通りなのだから。その方が嬉しいに決まっている。みんなハッピーで、誰も止めやしないだろう。だってそれが本来の蒼くんなのだから。
「だけど、蒼くんは覚えてないよね」
ここで出会って、毎日のように顔を合わせるようになって、惹かれ合った。何をするにも初めてばかりが詰まっているように思えた。充実していて、楽しかった時間を君は知らない。
「大丈夫だよ。蒼くんが覚えてなくてもあたしはずっと覚えてるから。忘れていてもあたしはずっと覚えてるから」
忘れられないキラキラしていた日々。これでも記憶力はいい方なのだから蒼くんが恥ずかしがっていた思い出だって忘れてやるもんか。
「日菜、俺は」
「ダメだよ」
一歩踏み出した蒼くんにあたしは言う。蒼くんは困惑していて、だからこそあたしは笑顔を向けた。
「ダメだよ。それ以上は言っちゃ」
蒼くんは誰よりも真面目だった。
蒼くんは誰よりも不器用だった。
蒼くんは誰よりも恥ずかしがり屋だった。
蒼くんは誰よりも、誰かの感情の変化に敏感だった。
それを踏まえれば蒼くんが次にあたしにかけてくれる言葉くらい容易に想像できた。
わかっていたんだ。ずっと蒼くんの想いが揺らいでいないことも。
けど、だからって、諦めたくもなかったんだよ。
本当にあたしは蒼くんのことが大好きだから。
「ねぇ蒼くん。今度海に行こうよ。船に乗って、見たことないくらいキレイな景色見に行こうよ」
あたしは蒼くんが記憶を取り戻した後に言いたい。今伝えるのはきっと不公平なのだ。
返事は聞かずにただ下手くそな笑顔を向けた。
「……日菜」
蒼くんは間を置いた後、静かにあたしの名前を呼んだ。「なぁに?」と返した声は震えた気がした。
「俺は、記憶がないから昔のことなんてわからないし今日菜にどんな言葉をかければいいのかも正直わからない。幼なじみだって事実も聞いたものに過ぎないから実感だってない」
__だけど一つだけ言えることがある。
「お前には感謝している。怒って、笑ってくれたのも全部俺のためだって知ってる。俺のために時間を費やして、色々記憶が戻る方法を探してくれたことも知ってる。
お前がいてくれて、紗夜との関係をいいものにしようとしてくれたこと、俺は感謝してもしきれないくらいだ。本当にありがとう」
ああ、本当に蒼くんはズルい。そんなこと言われたら、やってきたことが間違ってなかったみたいじゃん。あたしは一歩間違ったら二人の仲を壊してるのに。感謝されるなんて間違ってるのに。
「やっぱ、日菜は笑った方がいいよ。歪じゃない、太陽みたいな笑顔が似合ってる」
涙が止まらなかった。
涙を拭うあたし。蒼くんは頭を優しく撫でてくれた。それだけであたしは幸せだった。