初めて出会った日から、きっとあたしは君のことが好きだった。
だけどそれと同じくらいおねーちゃんのことも好きだったんだ。
選びたくても選べない。そんな運命を天秤にかけられたのは中学生の時だった。
結果はわかりやすいと思う。あたしはどちらも選べないまま、何もできないまま、失ったのだ。
あの日の自分は間違いだらけだっただろう。
だからあたしは変わるために、昨日までの自分を捨てるんだ。
今日、新しく生まれ変わらなければいけない。
二度と大切なものを失わないために新たな一歩を踏み出した。
♢♢♢
「おねーちゃん」
「……どうしたのよ」
あたしはリビングにいたその後ろ姿に声を掛ける。録画していた動物番組を見ていたおねーちゃんは振り向きはしないもののちゃんと返事はしてくれるみたいで安心した。
「今日、Roseliaの練習ないの?」
「あるわよ」
「何時に終わるの?」
「それを知ってどうする気?」
ただでは教えてくれないみたいだ。リサちーにでも聞けばすぐに教えてくれるだろうけどそれでは意味がないと思っていた。これは、あたしたちの問題なのだから。
言葉を吐き出す前に一度深呼吸をした。まっすぐにおねーちゃんの後ろ姿をこの瞳に映す。
「話があるんだ」
「……そう」
「だから、いつ終わるのか知りたい」
おそらくおねーちゃんはあたしがどんな話をするのか見当がついているのだろう。双子だしそれくらいの意思疎通はできていると思う。
だからこそ、何も言わずに黙り込んでいるのだ。怖くて仕方ないから何も言えないのだ。そんなところ、似なくてもよかったのに。
「おねーちゃん」
「……また今度ではダメなの?」
「わかってるくせに。逃げないでよ」
これでは仲違いしていた頃と何も変わりがない。
蒼くんがいなくなって荒れて言葉を交わせなくなった日々と何も変わりはない。
「あたしはもう追いかけるだけの日々なんて嫌だよ」
だからお願い。逃げないで。
「……十七時以降なら何時でもいいわ」
テレビの音量に負けてしまいそうなほど小さく震えた声だった。一字一句聞き逃すことなくあたしは記憶する。一人頷いた。
「それなら十七時におねーちゃんたちが練習してるスタジオで待ち合わせね」
おねーちゃんはあたしの言葉に何か返すことはなかった。無言は了解だと捉えてあたしはリビングを出た。
♢♢♢
泣いた顔も笑った顔もすべて鮮明に覚えている。元々記憶力がいい方だからというのと大好きな人たちの表情は覚えておきたいという思いがあったから。
あたしは、天才らしい。みんな、あたしが何でもできる人だと勘違いしているからあたしのことをそう呼んでいた。
確かにある程度のことなら確かにできてしまう。だけど本当に手に入れたいものが手に入らないのなら天才という肩書きに何の意味があるというのだろうか。欲しくもない栄光ばかり手にして何の意味があるというのだろうか。
わからない。この問いに答えがあるのか知っている人がいるのかどうかすら怪しいだろう。
器用だけど実は不器用。だからこそ苦しむことになっている。そんなあたしのことを人は何と呼ぶのだろうか。
「蒼くん」
君は、何と呼ぶのだろうか。
「日菜」
何と呼ばれようと構わない。だってその肩書き自体に意味などないのだから。
意味があるのは残した栄光。もしくは何をしようとしたのか。それが人にどれだけの意味を持たせたのか、だ。
「バカなことはやめてくれ」
「バカなことだなんて、ひどいなぁー。あたしは結構本気なんだけど」
今日言葉を交わしたおねーちゃんのように震えた声だった。
昼も二時間ほど過ぎて太陽がてっぺんから傾いている。晴天と呼ぶには雲が多いように見えた。ちょうど蒼くんのいる位置は影で、雲の隙間から覗く太陽はあたしのことを照らしていた。
「いいからゆっくりこっちに戻ってこいって」
「いいんだよ蒼くん。止めないで。これは蒼くんのためなんだから」
距離にしてみればそう遠くはない。それでも蒼くんが近づかない理由はきっと一つだけ。
「やめろ日菜。お願いだから」
海水が岩に当たりざぶんと独特な音を生み出す。今日の海はもう少しすれば荒れるだろう。それがちょうどいいと思っていた。
「蒼くんの記憶、あたしが取り戻してあげたいんだ」
だから何も言わないで、ただその目に焼き付けてよ。あたしの姿を。
あの日も最初はこういう天気だった。荒れてくれれば、完璧なんだ。だからもっと、荒れ狂ってよ。
背後、真下にある海にあたしはそう祈った。
「あたしを殺したくないんなら、早く思い出してよ蒼くん。おねーちゃんや奏ちゃん、撫子さんたちのことだけでいいから。あたしのことは思い出せなくてもいいから」
蒼くんが記憶を取り戻すにはあの日をやり直せばいい。あたしはそう思っている。
あの日と立場は逆だけど、それでも効果はあるだろう。そうだと信じている。
蒼くんは小さく首を横に振った。あたしの行動を否定するそれは気分のいいものではなかった。
「違うだろ。そんな方法で思い出せたって誰が喜ぶって言うんだ。他に試すべきことはあるんじゃないのか?なあ、日菜。そんなことしてまで俺が記憶を取り戻さなかったらどうする気なんだよ。誰が紗夜のことを支えるんだよ」
「……昔からいつだってあたしの周りには人がいた。元気だからって理由で人見知りばっかしてたおねーちゃんよりも友達は多かった。だけどおねーちゃんは違ったんだよ。おねーちゃんの隣にはいつだって蒼くんだけだった。他の子に見る気もしないで君のことだけを見て、想って、信じてきた。おねーちゃんの隣にいるのはあたしじゃなかったよ。
あたしが必要とされていないんだ。だからいなくなっても変わらないんだ、日常ってやつはね」
蒼くんの顔つきが変わった気がした。
雲が太陽を妨げる。昼過ぎなのに薄暗くて段々とあの日に近づいていた。
「俺にはお前が必要だ」
たったそれだけだった。それだけの言葉はあたしの思考を止めるのに十分だった。
「いくら紗夜が俺のことを思っていたとしても俺には記憶がないんだぞ。紗夜の好きなものも嫌いなものも好きなことも嫌いなことも、何をすれば喜んで何をすれば悲しむのかも今の俺は知らないんだ。何も知らないんだよ。
だから、俺のためにいてくれよ。紗夜との仲を、俺は一人じゃ取り持てないから」
自分勝手だった。あたしは君のために決断したことなのに君の身勝手な言葉のせいですべてが崩れてしまいそうだった。一番勝手なのはあたしだということからは目を背けて、やっぱりあたしは変われないのかもしれないと笑うことしかできない。
「……遅いよ。全部。だってあたしはもうこの感情を知る前には戻れないんだよ?何も知らずにいたかった。おねーちゃんのことも、蒼くんのことも、知らなければあたしは苦しんでなかったかもしれないもん。
あたしはあたしのことを嫌いにならずに済んだかもしれないじゃん」
「お前が自分のことを嫌いだって言うんなら俺はその分お前を好きでいる。どんな気持でも俺は全部受け止めてやる。すべてに応えることはできなくても応えられる分は全部」
だから、いなくなるなんて悲しいことは言わないでくれよ。俺たちのために、明日も今日と変わらないままでいいから側にいてくれ。
「ははっ…………なにそれ、ズルいよそんなの……」
そんなこと言われたら諦めることを諦めるしかないじゃん。
涙に濡れるあたしを慰めてくれるのはいつだって蒼くんかおねーちゃんだった。だけどいつしか泣きたくなっても二人には頼らずに一人で泣くようになった。不安そうな瞳を向けられても笑顔でかわし続けてきた。
全ては二人のためだとそう言い張って。何も言わないことが正しいと信じて生きていたんだ。
だけどこんなの。無理だよ。気持ちなんて、押さえつけられるわけないじゃん。
あたしは両目から溢れ出す涙を乱暴に拭った。ピントの合わない視界でも彼のことがかっこよく見えてしまうのはさっきの言葉と、フィルターがかかっているから。
「__好き」
その言葉はあっさりと口にできた。今までの葛藤がすべて水の泡。だけど悪い気はしなかった。
「ずっとずっと、子供の頃からずっと好きでした」
初めて伝えた本当の想いは、自然な笑顔と共に彼に届いた。
それがあたしは嬉しかった。