話と言われて思い浮かぶのは一つだけ。
だから逃げ出したいのは本音だった。だけどそれも今日で終わりにしなければいけないようだ。
「あれ紗夜?帰らないの?」
「この後日菜と待ち合わせしてるんです。だからもう少し残っています」
「そっか。無理はしないでね」
Roseliaの練習後、スタジオ内に残っていた私に声を掛けたのは今井さんだった。心配そうな表情の彼女に私は大丈夫ですよと笑いかけた。
一人はあまり好きではない。
昔から人と話すことがあまり得意ではなかった。仲良くなりたくてもどうすればいいのかわからなくて。
気がつけば私の周りから人はいなくなっていた。いつだって日菜の周りにばかり人が集まっていた。振る舞い方のわからない。私と日菜は双子なのに同じようにはできなくて、一人で泣くことだってあった。
そんな時に隣にいてくれたのはいつだって蒼夜だった。
彼だって日菜と同じように周りに人が絶えない人だったのに彼は私が泣き止むまで一緒にいてくれた。それだけでなく泣き止んだ後は私もみんなの輪に入れてくれたのだ。
その日から私の世界に彼は必要不可欠な存在になった。
いつだって私が呼べば来てくれた。みんなが堅物だと言って近づこうとしなかったのに進んで私の隣にいてくれた。
蒼夜は私のヒーローで、だからこそずっと一緒にいてくれるのだと思っていた。願っていた。
彼が私の元に現れた日、救われた気持ちだった。だけどそれも一瞬だった。埋め尽くす罪悪感と自殺願望。頼っていた今までが嘘偽りで本当は私の存在が迷惑だったのではないのかと錯覚して、実際そうなのかもしれないと思う。
記憶がないのだって、忘れたいくらいのことだったってことなのでしょう?
……ねえ日菜。話って何?今更私と何を話したいって言うの?私は、貴方と向き合うことがまだまだ怖くて仕方ないというのに。
「紗夜」
それはいるはずのない声だった。スタジオの扉の先、肩で息をして、ただまっすぐに私の名前を呼んでいた。
どうして?ねえどうして貴方がここにいるの?なんて。わかっているわ。どうせ日菜は最初からこうするつもりだったのでしょう?だから家で話そうとしなかったのでしょう?わかるわよ。私たちは双子なのだから。
「待ってたわよ蒼夜」
私の言葉に蒼夜は驚いていた。だけどすぐにキリッとした表情に変わった。
そう、貴方も覚悟を決めてきたのね。
「曖昧な関係はもう終わりにしようぜ」
「……そうね」
扉を閉めてゆっくりと部屋の中に入ってくる。
別にこのまま曖昧なままでもいいのに。
きっとその想いは受け取ってはもらえないのだろう。
「日菜は?」
「家まで送り届けたよ」
「そう。話はできたのね」
「……知ってたのか。俺たちが会ってたこと」
「まさか」
知るはずがない。蒼夜と大切な話をする時、日菜は一度だって私に声を掛けたことはない。蒼夜のことに関して私は一度だって日菜に相談されたことがない。
それはきっと、私が気づいていることに気づいていたから、かしらね。
「__紗夜。俺はお前のことを恋人だとは思えない」
わかりきっていることだった。だけど蒼夜の口から聞こえてきた言葉を信じたくなかった。
「お前はあくまでもお嬢様の知り合いに過ぎない。学校の後輩で、バンド仲間で、ギタリストであって、それ以上の感情を俺は持てない。俺が一番大切なのは、守らなければいけないのはお嬢様だから。だからお前がどれだけ辛そうでも泣こうと笑おうと、俺はお前の望みに応えられない」
知っていた。それが今の彼なのだと理解できないほど私は愚かではない。だけどそれを理解したいかと聞かれればそんなことはないのだ。
「だから、また一から始めませんか?」
「え?」
いつの間にか彼は私の二歩前まで迫ってきていた。彼のことを見上げる。会わない間にまた伸びていた身長。あの日よりも距離を感じるのは当然だった。
「俺と、友だちになってください」
そんな言葉と共に伸ばされた右手。困惑して彼の顔を見つめれば「俺たちの第一歩だろ?」と微笑んでいた。
初めてであった頃も確かこういう出会い方だった。
砂場で一人静かに遊んでいた私に彼が声を掛けたのだ。曇りのない笑顔で寂しさを隠して一人殻に閉じこもっていた私に外の世界を教えてくれた。
__あぁ。貴方は記憶がなくても蒼夜のままなのね。
涙が流れたのは仕方のないことだった。拭いても溢れてどうにもできない。それでも歪む視界で彼を確認することは簡単だった。
おそるおそるその手を握る。彼はまた驚いたような顔をしていた。
「……何度だって、なるわよ」
上手く笑えていただろうか。
そんな心配は彼の表情を見れば杞憂だと思った。
♢♢♢
涙に濡れて真っ赤になった目でスタジオの受付を通ればそこにいた月島さんに驚かれた。何事もなかったかのように立ち去る。
蒼夜は私のことを家まで送ってくれるらしい。きっとここに来ると決めた時からそのつもりでいてくれたのだろう。嬉しくないはずがなかった。
運転席には蒼夜。その隣に私。思えばこれは一年ぶりのドライブだった。
会話はない。それでもその事実だけで私は満足だった。
「……紗夜」
「……なによ」
「Roseliaの練習、また行ってもいいだろうか」
「……それは、湊さんに聞いてください」
私に決定権はない。Roseliaのことは全て湊さん次第なのだ。
だけど、一つだけ言えるとするのなら。
「……まあ、私は良いと思うわよ」
「そうか」
チラッと盗み見た横顔。どこか嬉しそうに見えたのはきっと気のせいではないはずだ。
「ねえ蒼夜」
今度、海に行きましょう。
過去から進むための一つの願い。それを彼に告げようとした。
「紗夜!!」
それは私を呼ぶ声に妨げられた。彼は必死な表情で私に手を伸ばす。
状況を理解するよりも衝撃の方が先だった。
感じたことのないそれは意識を飛ばすには十分すぎて。最後に見たのは頭から血を流す彼の姿だった。