前々世は人、前世は馬、そして現世はウマ娘   作:めめん

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 はじめまして、めめんと申します。
 ウマ娘の二次創作小説を読みたいあまり、自給自足に乗り出してしまいました(笑)。
 駄文&不定期グダグダ更新全開でお送りいたしますが、よろしければお付き合いいただけましたら幸いです。

 最初の数話はプロローグである「前世編」となります。
 この「前世編」ではウマ娘要素は一切ないので、予めご了承ください。

 ――最初からいきなりこんな展開で、我ながら本当に大丈夫なんだろうか……?


Prologue 前世編
至高の星の黒き王 前編


00/

 

 

 突然だが、「畜生道」というものをご存じだろうか?

 仏教由来の言葉で、簡単に説明してしまえば「生きとし生けるものが死後輪廻転生する6つの世界のうちのひとつで、()()()()()()()として生まれ変わるパターン」のことだ。

 なぜこんなことをいきなり言い出したかというと、現に俺が人間以外の動物――馬に生まれ変わってしまったからである。

 それもあろうことか人間であった頃、すなわち「前世の記憶を()()()()持ったままの状態」でだ。

 

 

01/

 

 

 もう今から二十数年前の話であるが、俺は気がついたら北海道のとある小さな牧場の馬房内で1頭の仔馬としてこの世界に産まれ出でた。

 前世はどのような最期を迎えたのかは覚えておらず――もしかしたら突然死だったのかもしれない――いきなり人間から馬になっていたので、正直めちゃくちゃ困惑した。

 しかし、馬としての本能なのか、それともすぐそばにいた今生の母の「早く立たないと貴方は死んでしまうわ!」という必至の懇願からか、1時間ほど時間をかけた末になんとか細い4本の足で立ち上がることに成功。

 こうして俺の第2の人生もとい()()がスタートした。

 

 ――いやぁ、今思い返してみると、生まれ変わった最初の1年目は本当に色々と苦労した。

 なにぶん人間であった前世の記憶と知識――前者はある程度しか覚えていなかったのは残念なことなのか幸いなのか――を継承したまま馬になってしまったご身分である。主食が草であることや、糞尿はその場で垂れ流さなきゃいけないことなど事あるごとに惨めさや悔しさ、羞恥心に苛まれた。

 甘い物が食べたいとか、トイレがほしいとか、大きいほうをしたらせめて尻を洗わせてほしいとか、そんなことを何度思い人知れずそして馬知れず涙を流したかは正直数え切れない。

 しかし、やはり馬としての本能が最終的に勝ったのか、それとも心のどこかで諦めがついてしまったのか、1年ほど経過したころにはそういったものには慣れてしまい、以降は気にすることもなくなった。

 ――健康診断で尻の穴の中奥深くまで腕を突っ込まれることだけは、未だに慣れないが。

 

 そして、馬になったからといってのんびりぐうたらな毎日を送ることもできなかった。

 なぜなら、俺の品種はサラブレッドであり、かつ父があのシンボリルドルフであったからだ。

 

 シンボリルドルフ――

 前世では競馬をはじめギャンブルとは無縁の人生だったので、最初名前だけ聞いた時はピンとしなかった。

 競走馬なんてナリタブライアンとかテイエムオペラオーとかディープインパクトとかオルフェーヴルくらいしか知らなかったし。それも名前だけ知っている程度。

 そのため、「誰だそいつ?」というのがその時の正直な感想で、後に「めちゃくちゃ強かった三冠馬で、日本競馬史にその名を轟かせてる名馬中の名馬」と知った時は本当に驚いた。

 そんな偉大な父・シンボリルドルフの産駒である俺は、当然競走馬を目指すことが産声をあげる前から決定していた。

 しかし、この国だけでも年間生み出されるサラブレッドは数千頭、多いと1万頭に達するといわれており、そのほとんどは競走馬になれずに終わるものがほとんどで、最悪の場合、実験動物や馬肉にされる。

 おまけに、競走馬になれたとしても中央競馬の重賞レースに出走できる馬は競走馬全体のほんのひとつまみ。レースに勝てない馬は人知れず引退していずこかへと姿を消していく――

 そんな現代の人間社会以上に「勝ち組」と「負け組」の格差が激しいというか激しすぎる生存競争な世界で生きることを強いられてしまった俺は、「せめてサラブレッドとしてはまともな生涯を送れますように!」と内心必死に祈りながら幼き日々を過ごすことになった。

 

 俺のそんな胸中を見透かしていたのか、母は度々「貴方はお父さんに負けないくらい立派な競走馬になるわ」と言ってくれていたが、当時の俺はそんな母の言葉を「そりゃあ、誰だって自分が腹を痛めて産んだ子供は可愛いだろうよ」などと思い受け流していた。

 生後1年程度で早くも反抗期である。馬にも人間のように反抗期があるのかは正直わからないが。

 ――この母の言葉が、単に親心から来た慰め程度のものではなかったことに気づくのは、俺が生まれた牧場を離れて少しばかり時間が経ってからだ。

 今思えば当時の俺は前世における人間としての思考やらプライドやらを中途半端に持ち続けてしまっていた莫迦な男もとい莫迦な牡馬だった。

 無意識に「俺はお前たちとは根本的に違う存在なんだ」と優越感に浸っていたのかもしれない。

 

 

02/

 

 

 さて、それからサラブレッドとしてある程度の調教を施され2歳となった俺は、競走馬となるための第一歩――俺に相応しい馬主を得るため、札幌競馬場で開催されるセリ市に出されることになった。

 人間的に考えると「子供を質に出す」行為ゆえ良いイメージはしないかもしれないが、サラブレッド的には生産者が馬主も兼ねるケースのほうが珍しく、こうして売りに出されるのがあたりまえのことだ。

 自分で言うのもなんだが、そもそも馬という生き物は人間以上に養育費もとい飼育費や維持費がかかる。そのため、俺が生まれた牧場のような小規模な生産者が生まれてから死ぬまでサラブレッドの面倒を見るというのは、はっきり言って自分の首を常に鎖でギリギリと締め付ける行為に等しい。

 ぶっちゃけ、そんなことができるのは父ルドルフが生まれたシンボリ牧場――実際父の馬主も兼ねていた――のような大規模な牧場くらいだ。もちろん例外もあるが。

 

 閑話休題。

 セリ市だが、結果的に言えば俺は無事に落札され(ぬし)()りとなることはなかった。

 しかし、この頃の競馬界――特に中央競馬――は外国産種牡馬を父もしくは母父に持つ産駒が主力となりつつあったこともあり、俺の落札額はセリに出された馬全体から見て真ん中より少し上といったところであった。

 シンボリルドルフの産駒はすでに数多く存在していたこと、母の現役時代の成績がお世辞にも良くなかった――数年の現役生活で挙げた勝利がたった1勝――ことも買い手側にはマイナスに見られたようだ。

 

 ――で、俺を落札して馬主になった人物だが、これがなんと当時20代後半の若い女だった。

 なんでも、実家がもともと資産家だったが、本人もバブル景気の頃に投資や競馬で一山当てて成り上がったらしい。

 それで「金持ちらしいことをしよう」と馬主になることを決意し、その記念すべき最初の一頭として《「皇帝」ルドルフ》の子である俺を買ったそうだ。

 

 ――正直に言おう。この時の俺は先行きが不安で仕方がなかった。

 この女、性格はとにかく楽観的で、発言も行動もどこか子供っぽく、大抵のことも「まぁ、なんとかなるっしょ~」といったノリでホイホイ進めてしまうのである。

 はたして自分は本当に競走馬として真っ当にデビューすることができるのか、と俺は内心ハラハラだった。

 ――だが、さすがは資産家の娘。実家にそれなりのツテがあったようで、気づいた頃には美浦のトレーニングセンターのとある厩舎へ俺を入厩させることが決まっていた。

 また、それとほぼ同時に俺の名前も決まった。

 

 キョクセイコクオー。

 「至高の星の黒き王」という意味の名――それが競走馬としての、そして今生における俺の名前となった。漢字表記では「極星黒王」と書くらしい。

 「キョクセイ」は額のちょうど真ん中に綺麗な星がひとつあること、「コクオー」は俺が青毛で額を除いて全身が真っ黒だったことと某世紀末救世主なあの作品――どうやらこの世界にも存在していたらしい――に登場するでっかい黒い馬も名前に由来する。

 一応後者に関しては、母父がタケシバオーであることにも由来するらしいが、間違いなく頭の固いお偉いさんからまんがいち馬名に関して何か言われた時のための理由付けだろう。馬主が最初に俺の姿を間近で見た時の第一声が「ラオウの馬みたい!」だったし……

 

 なお、蛇足すぎる余談だが、俺の馬主はこの数年後に俺の半弟――父はオグリキャップ――も購入し、そいつに「マツカゼキャップ」という名前を付けた。

 こちらの名前の由来は、某傾奇者が主人公の漫画に登場するデカい馬から来ている。

 このマツカゼとはお互い競走馬としての現役生活を終えて種牡馬となった時に初めて顔を合わせたのだが、名は体を表すのか俺よりも一回りほど大きな馬体をしていた。

 ――うん。なんか少し悔しかった。某ヒゲの赤い配管工も弟を前にした時はこんな気持ちになっているのだろうか、なんて思った。

 

 

03/

 

 

 話を戻そう。

 こうして入厩した俺は、そこではじめの数ヵ月間みっちりと競走馬としての調教を施され、やがて俺の鞍上に決まった騎手と共に同年10月、東京競馬場で新馬戦――芝1800メートル――に挑むこととなった。

 1番人気でこそなかったが、肝心のレースはスタートと同時に先頭に立ってそのまま逃げ切り見事勝利。幸先の良いデビューを飾った。

 

 続いて翌11月に同じく東京競馬場で行われた《府中3歳ステークス》――現在の《東京スポーツ杯2歳ステークス》。日本では2000年まで馬齢は数え年を採用していたので、現在用いられている国際的な年齢表記と1歳ずれていた――に出走。

 俺にとって生涯初の重賞競争挑戦――このレースの格付けはGIIIだが、当時はJRAの独自グレードだった――となったが、残念ながら連勝とはならず、このレースは5着で終わった。

 しかし、ギリギリとはいえ入着したため、調教師をはじめとした陣営の面々は俺の今後の走りに手ごたえを感じたらしく、俺の次の出走予定レースは12月に行われるオープン特別競走《ホープフルステークス》に決まった。

 ――なお、ここでいう《ホープフルステークス》とは2013年まで行われていた上述どおりの芝2000メートルの2歳(旧3歳)限定オープン特別競走で、現在施行されている同名のGIレースとは別物である。

 

 

04/

 

 

 12月。俺は予定どおり《ホープフルステークス》に出走した。

 このレースはあの《有馬記念》当日に中山競馬場で施行されていたため、この日の中山競馬場のスタンドにはすでに大勢の観衆が詰めかけていた。

 無論、彼らの目的は俺たち2歳馬(旧3歳馬)ではなくこの後に行われる《有馬記念》なので、スタンドから聞こえてくる声援や歓声はプロ野球の2軍戦並にわびしいものだ。

 「せっかくだから来年のクラシック戦線に名乗りを上げそうなやつでも探してみるか」という言葉が込められた何百、何千の視線が自らに向けられているのを感じた。

 

 ――だからだろうか、この時俺は「少しばかりあいつらを驚かせてやろう」と少々ムキになった。

 

 新馬線の時と同様、スタートと同時に先頭に立つと、俺は少しずつ加速した。

 これまでの調教と過去2度のレースから陣営は俺に最も向いている脚質は「逃げ」だと断定し、今後のレースは逃げ主体でいくことになっていたからだ。

 1コーナーを曲がり終える頃には俺を含む12頭は縦長の陣形を形成し、先頭を行く俺とその後方2番手との差は3馬身ほど開いていた。

 

 ここまでは予定どおり。

 だが、これで終わりじゃない。

 

 1000メートルを通過したところで再び加速。2番手との差が4馬身、5馬身と広がっていく。

 そして、それに気がついた後続馬たちが1頭また1頭と足を速め始めた。

 これ以上差が広がると、最後の直線に入る頃には完全に俺のセーフティーリードになってしまうからだ。それだけは阻止しようと、後続は俺との差を縮めようとする。

 俺はそれを大して気にも留めず、そのまま単独で3、4コーナーに突入。特に何事もなく3コーナーを曲がり切り、そのまま4コーナーへ。

 ――と、ここで俺の口に含まれていたハミがぐっぐっと鞍上の騎手が握る手綱越しに数度軽く引っ張られた。騎手からの「ペースを落とせ」という指示だ。

 俺はそれに素直に従い、速度を少しずつ落としながら4コーナーを曲がっていく。それとほぼ同時に、後方から聞こえてくるドドドドドという音が少しずつ近づき、大きくなってくる。

 おそらく徐々にペースを落としていく俺を見て「スタミナが切れてきて失速を始めた」と判断した後続馬の騎手たちが相次いで仕掛けてきたのだろう。

 

『残念だったな。こいつはフェイクだ』

 

 俺は内心そう呟きながらほくそ笑んだ。

 後続馬たちは上手く俺と鞍上の策に乗ってくれたようだ。

 4コーナーを経済コース――最内で曲がり切り最後の直線。それから1馬身ほどの差で2番手以降も続々と直線に入ってくる。

 ここで鞍上から俺の右尻に鞭打ち一発。「行け!」という耳元に聞こえた声に応える形で俺は三度加速した。

 後続の馬や騎手たちは驚いただろう。このまま差し切れると思っていた俺が、みるみる速度を上げて自分たちをまた引き離し始めたのだから。

 もちろん、彼らがそれを黙って見過ごすわけがない。馬たちは足を速め、騎手たちは各々の愛馬に鞭を入れる。

 ――しかし悲しいかな、すでに俺との距離を縮めるためにここまで駆けてきた馬たちの足取りは重く、いくら人馬共に力を振るっても俺との差は少しずつ広がっていく。

 

 入厩してからの連日の調教でわかったことだが、俺は先天的に他の馬よりもスタミナがあり、騎手や調教師たち曰く「長距離(ステイヤー)向き」の馬らしい。

 また、父や母父からの遺伝か、直線での伸びも――さすがに差し馬の末脚ほどではないが――良いらしく、彼らから一定の評価を受けていた。

 このふたつの特徴から彼らと俺が編み出した戦術が「1コーナーを曲がり切るまでは徹底的に逃げ、以降は後続と一定の距離間を維持したまま走り、4コーナーに入るところで少しペースを落として力を溜めて、直線に入ると同時に一気にそれを解き放って後続を突き放す」というスタミナにものを言わせた「溜め逃げ」である。

 上手く決まれば――いや、炸裂すれば俺がラストスパートをかけた頃には他の馬たちは今回のように次々と息切れを起こして自滅同然に後方へと沈んでいく。

 悪く言ってしまえば「ゴリ押し」だが、外国産馬を父に持つ馬が高確率で保有している「爆発的な末脚」や「素のスピードの速さ」に俺が真っ向から挑むにはこれがベターでありベストな戦術であり、同時に()()()()()()()()()()()()()()

 

 後ろから聞こえる馬群の足音とスタンドから聞こえてくるわずかばかり――それでもスタート前よりは明らかに大きくなっていた歓声を耳にしながら、俺はゴール板の前を通過した。

 終わってみれば2着とは3馬身半の差をつけての快勝。見方によっては圧勝と言っても間違いではない結果だった。

 

 

05/

 

 

 大勢の観客の前で見事なまでの逃げ切り勝ちを披露した俺だったが、残念ながらこの勝利で翌年のクラシック戦線における注目株の1頭として注目されることはなかった。

 まぁ、ここまでの戦績が3戦2勝で、今回のレース以外に勝ったレースが新馬戦なうえ、あちらは特に見どころはない――本当にいたって普通の逃げ切り勝ちだったから「逃げ馬にはよくある勝ち方」と判断されてしまったのだろう。

 ――しかし、この微妙すぎる外野からの評価が、後のクラシック戦線において俺の陣営には非常に有利に働くことになる。

 

 こうして、俺の競走馬としてのルーキーイヤーは、上々の滑り出しという形で幕を下ろした。

 そして年が明けた1997年――俺はその年のレースにおいて、後に生涯最大のライバルとなる1頭の馬と出会うことになる。




 「前世編」の世界における競馬界は、主人公が存在する影響で若干史実の競馬界と違いがあります。
 ちなみに、血統や経歴はぜんぜん違いますが、主人公は当時実在したある日本の競走馬がモデルです。
 また、今回は名前は出てきませんでしたが、主人公の母馬と生産者、馬主もオリキャラで名前があります。
 調教師や騎手といった競馬関係者の人々は実在するor実在した方々のため、あえて名前は出さず、今後も極力伏せていく予定です。
 「ここはさすがに名前出さないと不自然だ」という状況に陥った場合のみ、やむを得ず出すという可能性はあります。

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