前々世は人、前世は馬、そして現世はウマ娘   作:めめん

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 お待たせいたしました。第2話です。
 前回、第1話の時点でのお気に入り登録や評価、本当にありがとうございます。
 同時に、お気に入り登録件数250件オーバー、UA数3700越えという事実に、正直めちゃくちゃ驚いています……(笑)
 皆様のご期待に応えられるよう、少しでも良い作品が書けるよう精進していきたいです。


至高の星の黒き王 中編

00/

 

 日本競馬界にとって90年代後半は、次々と押し寄せる「外国産馬産駒」という波に「内国産馬産駒」が主流は渡さないと真っ向から立ち向かっていた時代だった。

 特にトニービン、サンデーサイレンス、ブライアンズタイムという当時の生産者たちの間で「三強」「御三家」とも称されたほどの実績を挙げていた3頭の外国産種牡馬の産駒たちに、他馬がどう抗うかが注目されていた。

 

 そんな時代に俺・キョクセイコクオーは生まれ、そして「両親共に内国産馬」というある種のハンディキャップを背負いクラシック戦線を戦うことになった。

 サラブレッド三大始祖の一頭であるバイアリータークから父・シンボリルドルフまで24代続いてきた血――当時の時点ですでに「過去の産物」「とうの昔に過ぎ去った栄光」と化していたそれも己の身に宿し――

 

 

01/

 

 

 97年の俺は、1月中旬に中山競馬場で行われた3歳(旧4歳)限定オープン特別競走《ジュニアカップ》――当時は芝2000メートルだったが、99年から芝1600メートルに変更された――から始動した。

 またしても1番人気こそ逃したが、前走に続いてこのレースでも見事逃げ切り2連勝。

 しかし、「溜め逃げ」は上手く決まらず、2着との距離は3/4馬身。2着以下の馬は末脚が一気に伸びたが、俺はそれほど伸びなかったと今後の課題も残した。

 

「やっぱり、こいつが真価を発揮できるのは2400以上かな?」

 

 レース後、ターフから戻ってきた俺と騎手を出迎えた調教師が、開口一番鞍上にそう問うた。

 それに対して騎手も俺から降りながら「そうですね」とどこか冷めたような声で肯定する。

 我が鞍上を務めるこの男、腕はあるのだが性格がとにかくシャイでおまけに口下手なため、暗い性格と思われがちなのが玉にキズだ。

 現に俺の鞍上に決まる以前は、その性格が災いして騎乗する馬に恵まれていなかったと聞く。自己アピールや競馬界での人間関係の構築――要はコネ作り――がヘタクソだったらしい。

 それを知った当時の俺は、「競馬の世界もリア充気質なやつのほうが得をするんだなぁ」などと大人社会の世知辛さを馬に転生してから改めて感じたのであった。

 

 なお、俺はこのレースに勝利したことによって収得賞金が1600万円を超えて条件クラスを卒業となり、晴れてオープン馬の仲間入りを果たした。

 そのため陣営は、次走を3月に行われる3歳(旧4歳)限定GIIレース《弥生賞》とすることに決定。俺は生涯2度目の重賞競走に挑むこととなった。

 この《弥生賞》は、3歳(旧4歳)クラシックレースのひとつであるGIレース《皐月賞》のトライアルでもあり、3着以内に入れば《皐月賞》の優先出走権が与えられる。

 また、施行されるのが中山競馬場かつ内容も芝2000メートルと《皐月賞》と完全に同じなので、その年のクラシック戦線の前哨戦として競馬関係者から注目されている重要なレースでもある。

 

 ステイヤー――当時は推定――である俺にとって2000メートルという距離が最大の懸念事項であったが、「すでに2000メートル以下のレースを3勝しているのだから充分勝機はある」という陣営の言葉を聞き、「やれるだけやるだけだな」と腹をくくった。

 

『引退後のんびり穏やかな余生を送るために、ひとつでも多くのレースを勝たなくては!』

 

 そして俺は、改めて自らの人間臭さ全開な目標を胸に秘め、厩舎の馬房の中で嘶いた。

 

 

02/

 

 

 トレセンで調教に明け暮れているうちに、およそ1か月半という時間はあっという間に過ぎ去って3月となり、いよいよ《弥生賞》の時を迎えた。

 調子は心身ともに問題なし。あとはレース本番で自分の走りをできるかどうかだ。

 

(中山の芝2000メートルはこれで3戦目かつ3戦連続――

 これまでどおりのレースができれば、最悪3位入着はできるだろう……)

 

 俺はそんなことを考えながら、特に何の問題もなくゆっくりとゲートの中に納まった。

 馬の中にはこのゲート入りを嫌がるものも少なからずいるが、俺はこれに関してはまったく苦にならない。

 こういう時、前世の人間だった頃の精神が今もそのまま残っているというのは、本当に便利でありがたいものだ。

 他の馬や陣営が知れば「反則だ!」と間違いなく怒るであろうが、こればかりは俺も望んでこうなったわけではないので諦めてほしい。

 

(――ん?)

 

 緊張を和らげるためにゲート内で軽く息を整えていると、なにやら左側――俺が今回納まったゲートは3枠4番だ――のほうが少々騒がしくなってきた。

 どうやら1頭ゲートの中で暴れているやつがいるらしい。

 

『誰だ?』

『8番か……』

『新馬戦からいきなり来たやつか』

 

 近隣のゲート内から聞こえる他の馬たちのそのようなつぶやきを耳にしながら、俺は8番ゲートがある左側の方に目を向ける。

 

『!?』

 

 それにより、俺――いや、俺を含むゲートに納まっていた馬とその鞍上の騎手たちは、とんでもない光景を目の当たりすることとなった。

 

 

『厩務員さぁぁぁぁぁぁん! どこいったんだよー!?』

 

 

 ――正直、今思い出してもすごい光景だったと思う。

 8番ゲートに納まっていた馬が鞍上の騎手を振り落とした挙句、()()()()()()()()()()()外に飛び出してしまったのである。

 

『なんだアイツは……?』

 

 思わずそんな声が漏れた。

 レース前に興奮して荒れる馬は多いと聞いていたが、あのような行為に及ぶ馬は正直聞いたことがなかった。

 

 しかし、ゲートの下を潜り抜けるとはなかなか柔軟な体を持ったやつである。

 俺も体の柔らかさは少しばかり自信があるが、あそこまでの芸当ができるかどうかはわからない。

 ――試してみようとも思わないが。

 そんな真似をすれば、最悪大怪我を負って予後不良――安楽死なんてオチも充分あり得る。

 

「荒れているな……」

 

 ふと鞍上の口からポツリとそのような言葉が漏れた。

 どうやら彼も目の前で係員に取り押さえられてゲートの裏側へと連行されていく8番の様子を眺めていたようだ。

 

 ――と、ここで、8番のゼッケンに書かれていたやつの名前が偶然俺の目に留まった。

 

 サイレンススズカ。

 それがそいつの名前だった。

 

 ――だが我が鞍上よ。あれは荒れているんじゃあない。

 

 

『うわぁぁぁぁぁぁん! 厩務員さーん!』

 

 

 ――寂しくて泣きわめいているだけだ。

 完全に親とはぐれて迷子になった子供のソレだ。

 

 8番ことサイレンススズカが馬体検査を行うため発走時刻が遅れる旨のアナウンスが競馬場内に響き渡り、騎手たちが係員からゲート入りをやり直すため全頭一度ゲートから出るよう指示を受けている中、俺は内心頭を抱えていた。

 

(なんであんなお子様がこの大一番なレースに出走しているんだ……?)

 

 出走するか否かを決めるのは馬自身ではなくオーナーである馬主ということはわかってはいるのだが、そう思わずにはいられなかった。

 なぜなら、目の前にいるサイレンススズカは、その見た目――この頃のアイツの馬体重は430キロにも満たなかった。競走馬の平均馬体重は480キロ前後といわれている――も中身も未だに子供であったからだ。

 

 

03/

 

 

 ――結果から言ってしまうと、《弥生賞》はギリギリ3位入着で終わった。

 勝てなかった理由としては、2000メートルという距離が俺向きではなかったというのもあるが、スタート直後に先頭争いが内と外で入り乱れる形になったのでハナ――競馬用語で先頭のこと――に立てなかったのが大きい。

 これにより俺は得意とする「逃げ」ではなく「先行」という形でレースをすることを強いられてしまい、最後まで自分のペースで走ることができなかった。

 それでもなんとか3着に入って《皐月賞》の優先出走権を得られたことに関しては、本当に自分を褒めてやりたい。

 

 ――言っておくが、断じてサイレンススズカのせいでレース前から調子が狂ったわけではない。断じて。

 なお、そのサイレンススズカだが、アイツはその後スタートで盛大に出遅れて最終的に8着と撃沈し、《皐月賞》に駒を進めることはなかった。

 むしろ、あれだけやらかしておいて3着以内に入っていたらファンは喜ぶかもしれないが、俺や他馬たちからすれば「ふざけんな!」とブチ切れものである。

 

 

04/

 

 

 《弥生賞》後、陣営は先のレース内容と結果から俺を「自分のペースに持ち込めば最後まで安定した走りができるが、それができなければ簡単に崩れる馬」であると結論付けた。

 「いかに先頭争いで負けないか」という議題は先頭を突っ走ることが仕事の逃げ馬たちが必ずぶち当たる大きな壁であるが、ここに来て俺には「スタートしてからゴールするまで己のペースで走らなければ勝てない」という制約まで加わってしまったのである。

 簡単に説明してしまうと、俺は「競馬のレースにおいて()()()()()()()()()()()()()()馬」だったということだ。

 調教師は俺がもともとステイヤー気質だったので当初から「まさか」とは思っていたようだが、残念なことにそれが大当たりであった。

 

 《皐月賞》は芝2000メートルという距離の関係上、競馬関係者やファンからは「その世代において最も速い馬が勝つ」とまで言われているレースだ。

 そんなレースに、短距離走者(スプリンター)でも中距離走者でもない持久走者(マラソンランナー)である俺が走る――

 誰も口にはしなかったが、「勝てるわけねーだろ……」という諦めムード同然な重苦しい空気が陣営内で漂い始めたのは言うまでもないことだった。

 実際、当時の俺ですら「掲示板内に入着できれば上出来か」とか「ダービーからが本番だな」と思っていたほどである。

 

 そんな状況の中、ただ1人――俺の鞍上を務める騎手だけは違っていた。

 彼だけは先のレースの結果から「《皐月賞》は間違いなく勝てる」という手ごたえを確かに掴んでいたのである。

 

 

05/

 

 

 4月になり、いよいよ《皐月賞》本番を迎えた。

 この日の俺は、これまでの5戦3勝――加えて着外は0――という成績から考えると「低評価じゃないか?」と疑問を口にしたくなる全18頭中9番人気であった。

 

 しかし、これにはいくつかの理由がある。

 前走《弥生賞》の結果や、「優勝候補となる馬が複数頭存在する」ことなどが主な理由だが、最大の理由は「逃げ馬でありながら馬番が大外8枠18番」であることだろう。

 

 逃げ馬は先頭を走る関係上、「他馬を気にすることなく経済コースを走れる」ことが最大の強みであるため、はじめから経済コースに近い内枠スタートであるほど有利とされる。

 それに対して、今回俺がスタートする18番ゲートは言わずもがな全出走馬中最も経済コースから遠い位置。

 スタートと同時に無理に経済コースに入ろうと内側に行けば、他馬と接触したり、馬群に呑み込まれ先頭争いに敗れる可能性がある。

 加えて、外側から内側に行く場合、コースの形状から他馬よりも最短で十数メートル、長ければ数十メートルから100メートルは余分に走らなければならなくなる。内側に行かずに常に外側を走っていても同様だ。

 このことから、多くの馬券師は「キョクセイコクオーが勝利する可能性は低い」と判断し、俺の馬券を買うことを絞ったというわけだ。

 それでも人気が一桁台であるのは、ひとえに父であるシンボリルドルフの存在が大きい。

 父のファンであった者、「ルドルフの子ならもしかしたら……」という淡い期待を抱いた者、俺に父の姿を重ねる者――そういった人たちが俺の馬券を買ってくれたがゆえの9番人気だ。

 おそらく俺がルドルフ以外の種牡馬の産駒であったら、人気は下から数えたほうが早かっただろう。

 

 ――スタート地点でゲート入りを待つ俺の顔に、少々強めの風が吹き当たる。

 今日の天気は晴れ。芝の状況も良いが、やや風が強い。

 この風がレース中の馬場にどう影響するだろうか、と俺が考えていると、スタンドの方からわあっと歓声が沸いた。

 その直後、中山競馬場に鳴り響く関東GIレースお馴染みのファンファーレ。そして再び沸き上がる大歓声――運命の時が来た。

 

 ゼッケン番号が偶数かつ18番である俺は、最後にゆっくりとゲートに納まった。

 係員が離れ態勢が完了次第、ゲートが開いてレースが始まる。俺にとってその時間はわずか数秒。緊張をほぐすために一呼吸入れる暇もない。

 

(こうなったら、やれるだけやるだけだ!)

 

 俺は半ばヤケクソ気味に覚悟を決めた。

 これまでのように鞍上の指示に従いながら、ただ目の前のターフを全力で突っ走る――俺にできることはそれだけだ。

 

 

 ――目の前のゲートが開いた。

 第57回《皐月賞》のスタートである。

 

 

06/

 

 

 スタートと同時に、俺は全速力で前に向かって走りながら少しずつ右――内側にその身を寄せていく。

 それは客観的に見れば「大胆」という言葉がピッタリなほどド派手な斜め移動だった。

 一歩間違えたら斜行――馬を斜めに走らせることで他馬の進路を妨害する反則行為――となりかねないそんな俺の走りにスタンドからざわめきに似た歓声が沸き上がる。

 

(俺の鞍上も随分と無茶なことを考えるもんだ)

 

 良く言えば「果敢」、悪く言えば「無謀」な切り込み策――これをやろうと決めたのは、俺ではなく我が鞍上である。

 彼は俺たちのスタートが大外の18番に決まると、悲観するどころかむしろ喜んでいた。

 なぜなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()からだ。

 前走の時のように他の馬と先頭争いをする必要がないうえに、俺は最初から自分のペースで走ることができる――まさに一石二鳥。

 あとは最内に向かって斜めに進路を変更するだけで、先頭(ハナ)を取り「逃げ」の態勢を整えることが可能となる。

 ――だが、先も述べたとおり、一歩間違えたら斜行と判断されてもおかしくないハイリスクな戦法だ。

 俺は鞍上の狙い通り先頭に躍り出ると同時に、今の行為で審議の青ランプが点灯していないことを強く願った。

 

 1、2コーナーを曲がり切り、向こう正面の直線に入ったところで、先頭の俺と2番手の距離差はわずか1馬身。

 俺は少しでも前に出て後方との距離を広げたかったが、口のハミから伝わる鞍上からの指示は「待て」であった。

 彼のその判断に「本当にまだ何もしなくて大丈夫なのか?」と半信半疑になりながらも、俺は素直に従い走り続ける。

 

 ――1000メートルを通過。ゴールまで残り1000メートル。

 ここまでのタイムはおよそ61秒。芝2000メートルのレースとしては平均的なペース。

 先頭を走る俺と2番手の距離は未だに1馬身差。

 

(残り半分を切ったぞ!? 本当にまだ何もしなくていいのか!?)

 

 ゴールまでの距離が1メートル、2メートルと縮まっていく度に、俺の中で焦りが生まれ、その感情は少しずつ大きくなっていく。

 

 ――1100メートルを通過。

 特に変化はない。

 

(おいおい……!)

 

 ――1200メートルを通過。

 やはり変化もなければ、何の動きもない。

 

(――こうなったら、こっちで勝手に仕掛けるか……!?)

 

 ――1300メートルを通過。

 

(――!)

 

 ここでハミにかかっていた力が一気に緩んだ。

 「走れ」という鞍上からの無言の指示――それを瞬時に感じ取った俺は、ここまで焦らされた鬱憤を晴らすかの如く、一気に加速した。

 

 少しずつ俺と2番手の距離差が広がっていく。

 その差は1400メートル通過時点で2馬身。3コーナーに入り1500メートルを通過した時には3馬身――

 そしてそのまま4コーナーへ。

 

(ここだ!)

 

 4コーナーに入ると同時に、俺はさらに加速する。

 内(ラチ)――コース内側の柵のこと――スレスレの最内を、最短距離かつ最高速で駆け抜け、コーナーを曲がり切る。

 

 最後の直線。この時点で2番手とは4馬身の差。

 泣いても笑っても、あとはここを真っ直ぐ全力で突っ走るだけだ。

 

 ――残り200メートル。

 未だに後方との距離差は変わらない。

 スタンドから聞こえてくる歓声に怒号や悲鳴が混ざり始める。

 

 ――残り150メートル。

 まだ先頭は俺。距離差が3馬身に縮まった。

 ここで鞍上から右の横っ腹に1発、いや2発鞭が入る。

 4本の足を奮い立たせ、体中に残っている力を可能な限り全てそちらに回す。

 

 ――残り100メートル。

 スタンドから響き渡る歓声と怒号と悲鳴がさらに大きくなる。

 もう後ろがどうなっているかを確かめる余裕はない。

 鞍上からさらに2発鞭が打たれる。

 

 ――残り50メートル。

 スタンド内で誰かが放り投げた大量の馬券と新聞が宙を舞い、そして散っていく。

 後ろから何かがものすごいスピードで近づいてくる気配を感じる。

 鞭打ち1発。

 

 そして――

 

 

07/

 

 ――気がついた時には、すでに俺はゴール板の前を駆け抜け、そのまま再び1コーナーをゆっくりと歩くような速さで曲がっているところだった。

 どうやら全ての力を走ること一点に回していたせいで、十数秒ほど意識が飛んでしまっていたらしい。

 意識が戻ると同時に、どっと音をたてるように体中に疲労感が一気に襲い掛かってきた。

 

(疲れた……)

 

 レースの結果よりも最初に思ったことがそれだった。

 俺は呆けつつもハミと鞍から伝わる騎手の指示に従い、引き続きトコトコとターフを歩く。

 1コーナーを過ぎたところでくるりとUターンしてスタンドの方へと戻る。

 

(そういえば、レースはどうなったんだ……?)

 

 スタンド前に戻ってきたところで俺はようやくレースのことを思い出す。

 

(俺はいったい何着だったんだ……?

 最後に後ろからものすごい勢いで誰かが末脚を発揮して突っ込んできたところまでは記憶があるが……

 《皐月賞》はどうなった!?)

 

 そんな具合に内心若干慌てていた俺をスタンド前で出迎えたのは、大勢のカメラマンと彼らの持つカメラから放たれるいくつものシャッター音だった。

 

『へっ……?』

 

 思わずそんな声が漏れる。

 カメラのレンズが自分に向いていることに気づいた俺は慌てて下げていた首を上げたが、相当お間抜けな面を彼らの前に曝してしまったかもしれない。

 

 ――意識を周囲に向ける。

 スタンドからざわめきと共に様々な声が俺の耳に入ってきた。

 

「大波乱だ!」

「逃げ切っちまったぞ!」

「ふざけんな! 金返せ!」

「テイオー以来のGI勝利馬だ!」

「死ね!」

「勝った! ルドルフの子が勝った!」

 

 ――聞こえてきた声の内容は、その多くが先ほどのレースについてのものであった。

 競馬は公営競技――すなわち「莫大な額の金が絡むギャンブル」という側面も持つため暴言の数も相当なものだが、やはりレース結果に対する驚きの声が過半数を占めていた。

 

(そうか、シンボリルドルフの産駒が勝ったのか……)

 

 俺は呑気にそんな感想を抱きつつターフからグランプリロード――中山競馬場にあるコースとパドックを繋ぐ屋外馬道――へと戻る。

 そこにはすでに親の顔よりも見慣れた調教師と厩務員が、今まで見たことがないほどの満面の笑みを浮かべて俺と鞍上を待っていた。

 

(? なんでこいつらそんなに喜んでいるんだ?)

 

 ここに来て俺は、ようやく今の状況が何か変だということに気がついた。

 

 俺に向けられていたいくつものカメラ――

 スタンドから聞こえた「シンボリルドルフ産駒の馬が勝った」という声――

 そして、今俺の目の前でがっしりと握手を交わしている鞍上から降りた騎手と調教師――

 

『…………』

 

 数秒ほどの沈黙。

 その間に厩務員が俺のハミに引き綱を取りつけた。

 

『まさか……!』

 

 俺は思わず首を電光掲示板の方へと向ける。

 突然の俺の行動に引き綱を手にしていた厩務員がバランスを崩して転びそうになっていたが、それどころではなかった。

 

 電光掲示板の一点――着順結果の表示欄を俺は睨みつけるようにじっと見つめる。

 そしてはっきりとこの目で見た。1着を示す一番上に、俺のゼッケン番号である18の数字が表示されているのを――

 また、当初懸念していた審議の青ランプは点灯していなかった。

 

(勝った……?)

 

 「信じられない」という気持ちのほうが先行したため、思わず疑問形になってしまう。

 しかし、時間が経過する毎にその気持ちは徐々に薄れていき、やがて目の前の現実を理解し、受け止め始める。

 そして――

 

 

『勝った!』

 

 

 ――俺は胸の中で喜びの感情を爆発させた。

 

 

 未だに「信じられない」という思いは確かにある。

 だが、それ以上に俺は純粋に嬉しかった。ここまでの努力が結ばれたという結果に。

 

 第57回《皐月賞》。

 俺はそれに勝利し、悲願の重賞初制覇を果たした。

 GII、GIIIを飛び越えて、俺はいきなりGIホースの仲間入りをしたのである。

 同時に、俺の鞍上を務めた騎手にとってもこれが初のGI勝利となった。

 さらに言ってしまうと、彼は今回のレースが《皐月賞》初挑戦にして初制覇であった。

 

 

08/

 

 

 《皐月賞》を制した我が陣営は、早速次なるレース《東京優駿》に向けての調整を始めた。

 

 《東京優駿》とは、クラシック2戦目にあたる「府中」こと東京競馬場で施行される芝2400メートルのGIレースだ。

 一般的には副題の《日本ダービー》という名称のほうが広く知られている――そのため、以降はこちらの名称を用いる――このレースは、日本競馬界において非常に重要かつ特別な意味合いを持つ。

 日本の競馬に関わる全ての者たちにとって、このレースに出走することが最大の憧れであると同時に、このレースに勝利することは最大の栄誉であり誇りであるとされる。

 それほどのレースに俺が出走する――《皐月賞》上位5着までの馬には優先出走権が与えられるため、この時点で俺は無条件で出走できる――とあって、陣営の気合いの入れ様と緊張は凄まじいものだった。

 特に調教師や厩務員たちは「厩舎初のダービー馬が誕生するかもしれない」という期待もあり、俺に対する調教や日々の世話、生活管理に今まで以上の熱が籠っていた。

 ――ちなみに、俺は「厩舎初のGIホース」兼「厩舎初のクラシックホース」でもあったので、このことも当時の彼らを突き動かしていた一因だったと思われる。

 

 そんな厩舎の面々とは打って変わって、馬主のほうは非常に落ち着いた様子――というより気楽にダービーに向けて構えていた。

 人生最初に買った馬がいきなりGIホースとなってすでに元は取ってくれたからか、それともGIホースのオーナーとなれたことで満足したのか、「勝つ」か「負ける」かよりも「最後まで無事に走ってくれればそれでいい」というほどの欲の浅さであった。

 

「もちろん、二冠、三冠狙えるのなら狙ってほしいし、勝てるレースはどんどん勝ってほしいけどね!」

 

 《皐月賞》を制し、ウイナーズサークルで記念撮影を行った際、彼女が俺たちに向けて笑いながらそう言った時のことは今でもはっきりと覚えている。

 あの時は彼女のそんな呑気な物言いに、騎手も調教師も、そして俺も「はぁ……?」と曖昧な返事をしてしまったものである。

 

 また、俺の生産者である生まれ故郷の牧場主も、俺がGIホースとなりダービーに出走するというだけで大満足なご様子だった。

 もともと産馬業は競馬好きだった先代が趣味の延長で始めたものだったらしく、彼や牧場の者たちにとって「中央のGIに出走する馬を世に送り出す」ことは長年の夢だったという。

 そんな中で俺が《皐月賞》に出走し、なおかつこれに勝利して《日本ダービー》にも出走するときたものだから、彼らの喜びようは言わずもがなである。

 これまた《皐月賞》での記念撮影時の話だが、久しぶりに再会した牧場主は、首に優勝レイを掛けた俺の姿を見た瞬間涙ぐむやいなや「俺はこれ以上は何も望まん!」などと叫び出してしまった。

 

「お前がこうしてGI馬になってくれただけで俺は満足だ! これ以上望んだら罰が当たる!

 クロよ、あとはお前の思うがままにダービーや他のレースも駆け抜けてくれ!」

 

 白髪頭の初老の親父がそう言って男泣きしながら抱き着いてくるものだから、俺はどうすればいいのかわからず困惑した。

 ちなみに「クロ」とは牧場にいた頃の俺の愛称のひとつであり、幼名とも言える呼び名だ。

 周りに目を向けると、騎手も調教師も厩務員も馬主も皆、俺同様「どうしようか」と目の前の光景に困り果てていたが、牧場主の気持ちがわからなくもなかったのか、結果的に全員「彼が自ら俺の首から離れるのを苦笑いを浮かべながら待つ」という選択をした。

 ――なお、牧場主が男泣きを止めて俺の首から離れるまでにそれから5分ほど時間を要した。

 

 

09/

 

 

 そんなこんなあって《日本ダービー》に向けて日々黙々と調教を続ける皐月賞馬である俺だったが、意外なことに競馬関係者からそれほど注目されることはなかった。

 というのも、先の《皐月賞》における俺もとい()()()の勝利は、フロック――「幸運が重なった結果によるまぐれ勝ち」と多くのマスコミや競馬評論家たちから見なされたためだ。

 

 曰く、「人気上位馬が不利な展開を強いられた」。

 曰く、「外側の馬場の調子があまり良くなかった」。

 曰く、「人気薄の逃げ馬によく見られる逃げ切り勝ち」。

 ――彼らの言い分を挙げるとだいたいこんな感じである。

 

 実際、レースにおいて「優勝候補」とされた人気上位馬たちは、後方でお互いを牽制し合って先行する俺に目もくれなかったため、最終的に仕掛けるタイミングを見誤ったことで敗れたのは事実だ。

 しかし、だからといって「キョクセイコクオーにクラシックを制するだけの実力は本来ない」と断言するのは、さすがに話が飛躍しすぎだろう。

 もちろん、異議を唱える評論家やファンも少なからずいたが、全体からすれば所詮は少数派に過ぎなかった彼らの声は、多数派によってもみ消し同然に無視されることとなった。

 

 「結果が全てだ」と言われるのが競馬の世界の常だが、その「結果」を得るために俺たち馬や騎手、調教師に厩務員、馬主やその他陣営に関わっている多くの人々は日々努力を重ねている。

 ゆえに、「常に結果だけで物事を語るな」と俺は皆に言いたい。

 ――言ったところで馬だから人間には言葉が伝わらないが。

 

 なお、俺の勝利がフロック扱いされていた理由としては、《皐月賞》以前に俺が勝利した3戦にひとつも「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()」のも一因だ。

 簡単に言ってしまえば、「当時の競馬関係者は皆、俺の真の実力がどれほどのものなのか測りかねていた」のである。

 そのため、《皐月賞》での俺の勝利をフロックということにしておくことで、他者を、そして自分自身を納得させていたわけだ。

 

『――それならダービーでは誰が見ても実力による勝利だと納得する勝ち方をしてやる』

 

 一日を終え、夜の闇で薄暗くなった厩舎の馬房の中で、俺は自分に言い聞かせるようにそう呟いた。

 

『ダービーも勝って二冠馬になれば俺の将来は間違いなく安泰! 約束されたも当然だ!

 目指せ、引退後の悠々自適な暮らし! 廃用にだけはされてたまるか!』

 

 ――前世から引き継いだ人間臭さ全開な本心と共に。

 

 

10/

 

 

 5月末。いよいよダービーの時が刻一刻と迫っていた頃、俺の陣営の人々はダービー出走が決まったライバルたちの情報を集めることに奔走していた。

 そしてその結果、ある2頭の馬がダービーにおける脅威となるだろうと踏んだ。

 

 まず1頭はシルクジャスティス。

 ブライアンズタイムを父に持つこの馬は、鬼のような末脚を持ち味としており、オープン特別とGIIIを連勝してダービーに駒を進めてきた。

 そのため、前評判では今ダービーにおける注目株にして優勝候補の一角として取り上げられていた。

 最後の直線が長い東京競馬場において、4コーナーを曲がり切るまでにどれだけこいつから距離を離せるかが勝負の分かれ目になるというのが陣営の考えであった。

 

 そしてもう1頭は、サイレンススズカであった。

 《弥生賞》の後、条件戦とオープン特別を連勝してダービーの切符を手にしたこいつは、中央競馬に数多くの強豪を送り込んできた名種牡馬・サンデーサイレンスの産駒である。

 当然、ダービー優勝候補の一頭だが、同時に「希代の快速馬」「サンデーサイレンス産駒最大の大物」としても注目されており、そのスピードは「同世代最速」とも評されていた。

 ――しかし、陣営がサイレンススズカを脅威とみなしていた最大の理由は、そのスピード以前に俺と同じく脚質が「逃げ」であるためだ。

 もしダービー本番でもこいつが逃げに徹してしまえば、素のスピードで劣る俺では先頭争いに100%敗北する。

 「ハナに立てなければほぼ敗北確定」な俺にとってはシルクジャスティス以上に厄介な相手である。

 

「サイレンススズカよりも先にハナに立ち、なおかつシルクジャスティスとの差を広げつつ走らなきゃならんか……」

 

 集めた情報からまとめ上げたダービーにおける戦術案に改めて目を通しながら、調教師は眉間にシワを寄せた。

 

「――いけそうか?」

 

 そして調教に向かうために厩務員の手を借りて俺の鞍上に乗ったばかりの騎手に彼は訪ねた。

 すなわち、「この2頭に勝てるか?」と――

 

「少なくともサイレンススズカはなんとかなると思います」

 

 鞍上からの即答だった。

 これには厩務員も調教師も、そして俺も驚いた。

 

「何か策でもあるのか?」

「いえ、ないです」

 

 またも即答。

 「作戦はないが勝つ自信はある」――どういうことだろうか?

 俺がそう思っていると、鞍上は再び口を開いた。

 

「サイレンススズカのこれまでのレースをビデオで視たんですが、明らかに前走は抑えて走っていました。芝2200のレースです。

 新馬戦やその前の条件戦では最後の直線でぐーんと脚を伸ばしていたんですけど……

 たぶん、まだ2400以上の距離を走り切れるほど体ができ上がっていないんじゃないでしょうか?」

「つまり、ダービーでも抑えると?」

「えぇ。馬の性格的にハナを切りにいくとは思いますが、これまでのように飛ばしはしない気がします。

 4角あたりからスタミナが切れて失速する可能性が高いですから……」

「ふむ……」

 

 一理ある、と言いたそうな顔をしながら調教師が顎に手をやった。

 

「――しかし、それはあくまでもお前の憶測だろう?

 本当にサイレンススズカが抑えるとは限らんぞ?」

「いえ、間違いなく抑えますよ」

 

 またまた即答。

 しかも確かな自信を持った発言だった。

 

「《皐月賞》の頃から僕は“逃げる”と言い続けていますからね」

「!」

 

 

 ここで時を少しだけ――《皐月賞》の頃に戻す。

 我が鞍上を務めていた騎手は、レース後の勝利ジョッキーインタビューでこのような発言をしていた。

 

「ダービーでも逃げて勝ちます」

 

 「逃げ宣言」である。

 《皐月賞》を含むこれまでのレースを全て逃げて制してきた俺からすれば「ダービーでも逃げる」というのはあたりまえのことだ。

 ――というより、俺にはそれしか勝つ術がない。

 しかし、先も述べたとおり、当時の他陣営や評論家、マスコミは俺の実力を測りかねていた。

 そのため、彼のこの「逃げ宣言」も真に受ける者はおらず、むしろ逆に「はじめてGIに勝ったから舞い上がっているな」と失笑や嘲笑をもって迎えられていた。

 

 その後も、彼はダービーに向けての意気込みを決して多くはない――このことからも当時の俺たちがいかに注目されていなかったかがわかる――記者たちから尋ねられても、変わらぬ答えで返した。

 

「絶対に逃げます」

「ダービーは何があっても逃げます」

「単独先行です。ハナを切ります」

 

 また、サイレンススズカのダービー出走が決定し、そのことを問われた際も意思は変えていないことを堂々とアピールしていた。

 

「他に逃げ馬がいても関係ありません。必ず先頭に立ちます」

 

 ――おかしな話だが、これほど彼が強気な発言をしていたのに、当時の俺たちはまったく他陣営からはマークされていなかった。

 やはり「フロックで《皐月賞》を制した無名の陣営が余韻に浸り浮かれている」という風に見られていた。

 当然、この風評は騎手本人の耳にも届いていたのだが、彼はそれでもこの強気な「逃げ宣言」を止めることはなかった。

 

 

 ――それこそが彼の真の狙いだったからだ。

 

 

 「キョクセイコクオーの《皐月賞》勝利はフロック」「騎手も陣営も初のGI制覇に浮かれている」――大多数のこの評価は、ダービーまで何があっても覆ることはない。

 ――ならば、逆にこれを最大限に利用させてもらおう。

 騎手はそう思い至ったのである。

 

 他陣営を油断させて自分たちに目を向けさせなければ、ダービー本番においてマークされることはなく悠々と逃げることができる。

 さらに、堂々と「逃げ宣言」をすれば同じ逃げ馬であるサイレンススズカの陣営は萎縮して先頭争いを回避する可能性が高まる――

 

 これこそ、騎手がダービー勝利に向けて放った最大の一手――「心理戦」であった。

 そして、「サイレンススズカが前走を抑えて走った」という事実をもって、彼のこの一世一代の策は完全に成功した。

 

 彼は調教師に「策はない」と答えた。

 しかし、それはあくまでも「今はない」ということであって、「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()」とまでは言っていない。

 すでにこの時点で彼の策は発動し、十分すぎる成果をあげていたのだ。

 

 

 かつて若き日の織田信長はあえて「うつけ者」を演じたことで周囲の強国を油断させ、やがて桶狭間の戦いで今川義元を破り全国にその名を轟かせたと云われている。

 俺はこの時、自らの鞍上を務めるシャイで物静かな男が、一瞬そんな偉人と重なって見えた。

 ――いや、戦いが始まる前から勝利しようとしている「戦略家」というところは、むしろ織田信長ではなく毛利元就に近いかもしれない。

 

 

11/

 

 

 6月。ついに運命の時を迎えた。

 第64回《日本ダービー》――1994年に国内で生を受けた約9800頭のサラブレッドの頂点を決める一大レース。

 そして、そんな大舞台に立てるのは選び抜かれたわずか18頭。その内の1頭が俺だと思うと感慨深い。

 ――実際は牝馬限定の《優駿牝馬(オークス)》があるので、実際にこのレースに勝利した馬が「世代最強」というわけではないのだが、あえて置いておく。

 

(そういえば、府中のターフを走るのは去年の3歳ステークス以来だな……)

 

 俺は、本馬場に入ったらまずは久しぶりの芝の感触を確かめよう、と考えながら東京競馬場の地下馬道をトコトコと歩いていた。

 

 ――運命のいたずらか、競馬の神様の粋な計らいか、それとも単に抽選に参加した我が鞍上のくじ運かは知らないが、今回も俺は大外の8枠18番からのスタートとなった。

 《皐月賞》と同じ番号ということから、馬主は「もしかして、これ勝てるんじゃない?」と二冠の希望を抱いていたが、おそらく陣営の他の面々も同じことを思っていただろう。

 不思議なことに、今年のクラシックレースはここまで俺が制した《皐月賞》の他、牝馬限定の《桜花賞》と《優駿牝馬(オークス)》も()()()()()()()()()()()()()()ので、そのことも陣営の精神にある程度の落ち着きや余裕をもたらした。

 実際、俺も今まで以上に勝てる気がした。

 

 また、この事実は競馬関係者やファンの間でも少なからず話題になり、数日前から「今年のクラシックの大外には()()()がある」と噂された。

 そして、今回のダービーの大外が皐月賞馬である俺ということも相まって「キョクセイコクオーが二冠を達成するのでは?」という気持ちを彼らに少なからず抱かせた。

 ――しかし、ファンや馬券師たちはともかく、他の陣営や評論家たちは、ここまで練りに練ってきた戦略や戦術、自信をもって挙げてきた優勝予想を今さら修正するわけにもいかない。

 そのため、彼らはその胸の内に一握の不安を抱えながらダービー当日を迎えることとなったのである。

 

 尾花栗毛のトウショウファルコ――余談だが、こいつの名前の由来も俺同様、某世紀末救世主なあの作品のキャラクターである――をはじめとした誘導馬たちに先導されて、俺たちは本馬場へと足を踏み入れた。

 およそ18万人もの観衆が詰めかけた東京競馬場が、本日の主役である俺たちの登場により沸き返り、文字どおり大地を振るわせた。

 ――だが、「真の主役」となるのはこの中のたった1頭と1人のみ。

 そして、俺と鞍上はその座を掴み取るために、これからこの大観衆が見守るターフを駆けるのだ。

 

 芝2400メートルという短そうで長く、長そうで短い、競走馬と騎手にとって生涯最大の真剣勝負が始まる――

 

 

12/

 

 

 ファンファーレが鳴り響き、東京競馬場のスタンドというスタンドを埋め尽くした大観衆のボルテージは最高潮に達していた。

 しかし、さすがは幾多のライバルたちを蹴散らしてダービーという大舞台まで勝ち進んできた優駿たち。表だって()れ込んでいるものは1頭もいない。

 ――俺はここにきて少しばかり鼓動が高鳴っているのを感じているが。

 

(さすがに《皐月賞》とは違うな……)

 

 これが《日本ダービー》――日本競馬界にとって最も特別とされるレースの空気か、と俺は改めて己が立っている場所の雰囲気を全身で感じながら、ライバルたちが続々とゲートに納まっていくのを静かに見つめた。

 同時に、今のうちに軽く数度深呼吸をして少しばかり昂っていた気持ちを落ち着かせる。

 《皐月賞》の時と同様、俺がゲートに入って態勢が整い次第レースが始まるからだ。

 

 今回の俺は18頭中5番人気。

 《皐月賞》よりは上がってはいるが、二冠の期待がかかる皐月賞馬にしてはやはり低評価であった。

 先の勝利をフロックとする風評は相当根強かったらしい。

 

(だが、俺たちにとってはそのほうがいい……)

 

 俺は一度視線を2頭の馬に向ける。

 

 3枠5番・シルクジャスティス。単勝3番人気。

 おそらく後方からの競馬になるだろう。

 最後の直線に入るまでに可能な限り差を広げておきたい。

 

 そして、4枠8番・サイレンススズカ。単勝4番人気。

 《弥生賞》の時と同じ馬番だったので、一瞬「またゲートを潜ったりしないよな……?」と思ってしまったが、どうやら今回はそうなる様子はなさそうだ。

 まずはこいつとの先頭争いを制さなければ俺に勝機はない。

 以前とは違い、黄緑色のメンコ――馬用の覆面のこと。用途や効果、デザインは馬によって様々だが、主に集中力を高めるために付ける――をしていたのでわかりやすい。

 

 陣営が脅威とみなした2頭――それがどちらも皐月賞馬である俺よりも単勝人気が上であるのは、それだけファンから「ダービーを制しても文句のない実力を有している」と判断されたからだ。

 つまり、この2頭に競り勝ち、俺が――()()()がダービーを制すれば、俺たちの実力が証明されるということでもある。

 この2頭よりも上に1番人気と2番人気の馬がいるが、この2頭はどちらも先の《皐月賞》で一度負かしている。

 油断するつもりはないが、前走同様――いや、前走以上の走りができればこの2頭にはまず負けることはないだろう。

 

(単勝人気なんかいくらでもくれてやる――!)

 

 「競馬に絶対はない」という言葉があるように、馬券の売り上げの数字だけがレースの結果を決める絶対条件とはならない。

 ゆえに、俺が何番人気かなんて本当はどうでもいいし、別に気にもしない。

 

 

 1番人気なんていらない。

 俺たちが欲しいのは1着だ。

 

 目標はただひとつ。

 誰よりも先にゴール板の前を駆け抜ける――!

 

 

 ――係員の引き綱に従い、ゆっくりとゲートに入る。

 

(今は引退後のこととか、平穏で安定した暮らしがしたいなんて考えている余裕はない――)

 

 ――俺のハミから引き綱を外した係員が、駆け足でゲートの外に出た。

 

(ただ今は――誰にも負けたくない!)

 

 ――ゲートが開くと同時に、俺たちは一斉に前へと駆け出した。

 

 

13/

 

 

 およそ18万人の歓声と夢――欲望ともいう――を一身に受けながら、俺は最初の直線を走る。

 今回はスタートと同時にハミから伝わる鞍上の手綱の力が一瞬で抜け落ちたので、俺は最初から全力全開で4本の脚を動かした。

 

 ――なんとしてもサイレンススズカよりも先にハナを切れ。

 鞍上からそう言われたような気がした。

 

『言われなくても先刻承知よ!』

 

 思わずそう叫びながら府中のターフを駆ける。

 そして、ある程度走ったところで右側のハミに徐々に力が加わってきた。

 

 少しずつ左――東京競馬場は左回りのコースなので内(ラチ)は左側である――に寄れという鞍上からの指示だ。

 指示どおり、俺はスピードを落とすことなくその身を滑り込ませるように大外から内(ラチ)の方へと寄せていく。

 

 ――ある程度内側に来たところで、視界の左側に一頭の馬の姿が映る。

 8番のゼッケン、黄緑色のメンコ、そして栗毛の馬体――サイレンススズカだ。

 

『――ッ』

 

 俺はその姿を捉えると同時に脚を速めた。

 アイツだけは前に行かせるわけにはいかない――!

 

「――!」

 

 鞍上が右手の手綱に先ほどよりも力を籠めた。

 それに合わせるように、俺は先ほどよりも早めに内側へと寄っていく。

 

 ――そして、1コーナーを曲がる直前、完全に経済コースにその身を置いた俺は、サイレンススズカの頭を抑えるような形で先頭に立った。

 スタートしてからわずか20秒ほどで、鞍上の狙いどおりの単独先行による「逃げ」を行うための体制がこの時点で完成した。

 

(予想どおり、サイレンススズカの騎手は抑えたな)

 

 サイレンススズカから2馬身ほど差を開いた俺は、鞍上の策が見事に効果を発揮していると実感した。

 

『なんで行かせてくれない!? 後続と距離をとらないと最後の直線で抜かされるぞ!?』

 

 ――背後からそのような声が聞こえた。

 おそらくサイレンススズカが鞍上の指示に対して不満を漏らしているのだろう。

 

 2コーナーを曲がっている途中で、左右両方のハミに数秒ほどぐぐっと力が籠った。

 鞍上からの「ペースを落とせ」という合図だ。

 ここから最後の直線まで力を温存して、4コーナーを曲がり切ると同時に勝負に出る――俺たちが理想としている「溜め逃げ」の形に持ち込むのだ。

 俺は素直にその指示に従う。

 

 向こう正面に入ると同時に、レースはスローペースに移行した。

 先頭を走る俺がペースを落としたため、後続の17頭もそれに合わせたためである。

 俺は2番手との距離差を1馬身半から2馬身程度に維持しつつ、ひたすら前に向かって走り続ける。

 同時に、このペースを存分に利用して最初の直線の先頭争いで少しばかり消耗した体力を回復し、乱れた息を整えていく。

 

 そしてスローペースのまま3コーナーへ。

 すでにゴールまで1000メートルを切っているが、鞍上からの指示はなかった。

 

(慌てるな……

 おそらく仕掛けるのは4角からだ……)

 

 府中の3コーナー独特の上り坂を駆け上がりながら、俺はその時が来るのを待ち続けた。

 

 3コーナーを曲がり切り、東京競馬場の芝レースにおける名物「大ケヤキ」――実際植えられている木は(ケヤキ)ではなく(エノキ)らしい――の外側を通過する。

 ゴールまで残り800メートル。

 スタンドから聞こえてくる歓声が大きくなってきた。

 また、後方に控えていた数頭が中段まで上がってきたのか、背後から聞こえる他馬たちの足音に乱れが生じ始める。

 ――鞍上からの指示はまだない。

 

(…………)

 

 俺は何も考えず。ただ視線を前にだけ向けて走り続ける。

 しかし、いつ鞍上から指示が来てもいいように、ハミを咥えている口に神経を集中させた。

 

 そして、いよいよ4コーナーに入った。

 前走の時と同様、内(ラチ)を沿うように最内を最短距離で駆けていく。

 

『ここだ!』

『――!』

 

 視界の右側、その隅に黄緑色のメンコが映る。

 言わずもがなサイレンススズカである。

 4コーナーを曲がり切る前から、自らのその快速ぶりを他馬たちに見せつけるつもりのようだ。

 

 ――だが、やつの首は上がっていた。

 鞍上が手綱を引いて、必死に押さえつけていたからである。

 サイレンススズカがかかってしまっている――騎手と馬の呼吸が合っていない状態のこと。折り合いを欠くとも――のは誰が見ても明らかであった。

 

『――それじゃあ勝てん』

 

 思わず口から漏れてしまった一言。

 その言葉と同時に、俺の鞍上からついに指示が来た。

 ハミにかかる力が徐々に緩んでいく。

 俺はそれに合わせるように再びペースを上げていった。

 それに続くように、俺をマークしていた先行集団の馬たちも次々と脚を速めていく。

 

 4コーナーを曲がり切り、最後の直線。未だに先頭は俺。

 この時点での俺と2番手との距離差はおよそ1馬身半。

 中段から後方の馬たちが続々と大外に回り、やがて18頭が横に広がる形となる。

 

 ――そして、ハミから伝わっていた鞍上が手綱を握る力が一瞬でふっと消失した。

 

(来た……!)

 

 口の中で一気に緩んだハミを、噛み千切らんばかりの勢いで力一杯咥えこむ。

 そして、4本の脚に残る全ての力を注ぎ込こんで、俺は最後のスパートをかけた。

 ゴールまでの距離は残り500メートルを切っていた。

 

 

14/

 

 

 

 東京競馬場の最後の直線には、百数十メートルにおよぶ上り坂がある。

 高低差こそ最大2メートルだが、最後の最後で出走馬と騎手たちを待ち受けるそれは、正面から見るとまるで高い壁のようだ。

 

(だが、それがどうした!)

 

 俺はまったく臆することなく、坂を駆け上がった。

 スピードが落ちることはない。

 あたりまえだ。こっちはここまで体力をギリギリまで温存してきたのだ。

 この程度で俺の脚が止まると思ったら大間違いだ。

 

 ――スタンドから聞こえる歓声がさらに大きくなる。

 その中には明らかに悲鳴も混ざっていた。

 それもそのはずだ。俺がここにきて一気に2番手以下の後続を引き離したのだから。

 その差は、俺と2番手で5馬身。

 俺が軽々と坂を上っていく後ろで、他の馬たちは必死になって脚を動かしていた。

 ここに来て、俺と他の馬たちの素のスタミナの差が表れた。

 

 ――残り200メートル。

 坂を上り終えると同時に、鞍上から一発鞭が入った。

 

『心配するな! まだ余裕だ!』

 

 言われるまでもないと、さらに脚を速める。

 あとはもうゴール板の前を通過するまで、ただ前に向かって走るだけだ。

 

 ――残り100メートル。

 後ろからドドドドドという轟音と共に、坂を上り切った他の馬たちが一斉にスパートをかけた。

 

 ――残り50メートル。

 鞍上から2度目、そして最後の鞭打ち。

 それに応えるように、俺は必死に脚を動かし続ける。

 

(《皐月賞》の時は意識が飛んでしまったが――)

 

 ――残り10メートル。

 

(今度はその瞬間を目に焼き付けるッ!)

 

 そして俺は――誰よりも先にゴール板の前を駆け抜けた。

 2着となったシルクジャスティスとの差は1馬身。

 「ダービーは最も運のある馬が勝つ」などと云われているが、もはやこれは「運」でも「フロック」でもない、誰が見ても文句なしの実力によってもぎ取った完全勝利――逃げ切り勝ちであった。

 

 勝ち時計2分25秒9。

 奇しくも6年前のダービーで、シンボリルドルフ産駒の代表格であったトウカイテイオーが叩き出したタイムと同じだった。

 

 

15/

 

 

『おいテメエ、いったいどんな魔法を使いやがった?』

『ん?』

 

 ゴール板の前を駆け抜けた後、再び1コーナーと2コーナーを軽い足取りで通過していると、2着のシルクジャスティスから声をかけられた。

 

『魔法なんかじゃない。はじめから先頭を走り続けていただけだ』

『そうかよ……』

 

 ――おそらく先ほどの最後の直線において、前を重い足取りで走っていた他馬たちに大外後方から差しかかった瞬間、彼は自らの勝利を確信していたのだろう。

 だが、そんな他馬たちを差し切る直前、それよりもさらに先を駆けていた俺の姿を見た。

 それが未だに信じられない――といったところか。

 

『――《菊花賞》だ』

『えっ?』

『《菊花賞》では必ずテメエを差し切る。

 このまま勝ち逃げだけはさせねえ……!』

 

 そう言い切ると、シルクジャスティスは鞍上に導かれながら俺の前から歩き去っていった。

 

『ああっ!? ジャスティス、俺を置いていかないでくれよぉ~!』

 

 その後に続くように、もう1頭の馬が俺の前を通り過ぎていく。

 ゼッケン7番のエリモダンディーだ。

 シルクジャスティスとは同じ厩舎に所属していると聞いている。

 彼のその様子から、2頭の仲は悪くないのだろう。

 ――しかし、「伊達男(ダンディー)」なんて名前の割には妙に女々しい雰囲気のするやつだ。小柄な体格だからだろうか?

 

『――あ! そこの黒いキミ!

 さっきジャスティスから何か言われていたみたいだけど、気を悪くしないでくれよ?

 アイツ口は悪いし、素行不良が目立つけど、決して悪いヤツじゃあないんだ』

 

 馬場を後にする直前、俺の存在に気づいたエリモダンディーが俺の方に一度顔を向けてそう言ってきた。

 そして、「それじゃ!」と一言付け加え、今度こそ馬場を後にする。

 

『おかしな連中だな……』

 

 去っていった2頭に対するその時の感想はそれだった。

 数秒程度のすれ違い同然の会話だったので、良い印象も悪い印象も抱けなかったというのもあるが。

 

 さて、ウイニングランだと鞍上の指示に従ってくびすを返したところで、今度は黄緑色のメンコが目に入った。

 もはや説明不要だがサイレンススズカだ。

 

『――なぜ勝てなかったんだ……?』

 

 やつは自分がなぜ負けたのか、その理由がわからずに文字どおり上の空で自問自答を繰り返していた。

 そんな姿を見た俺は、勝者の余裕からだろうか、思わず声をかけてしまった。

 

『単にお前の脚が速いだけじゃ勝てないってことさ』

『!』

 

 俺の存在に気づいたサイレンススズカが、豆鉄砲を食らった鳩のような顔を向ける。

 

『どういう意味だ、それは?』

『さぁね。自分で考えな』

 

 俺はハッと笑い、小馬鹿にするような、はたまた見下しているような態度でやつの横を通り過ぎていった。

 ――今思えば、この時の俺はダービーに勝利して二冠馬となったために無意識に舞い上がっていた。

 

 

16/

 

 

 俺たちがスタンドの方へと戻っていく度に、再び歓声は大きくなっていく。

 そして、鞍上の見事な騎乗に対する賞賛を意味する、彼の名前の大合唱――コールが巻き起こった。

 

「…………」

 

 鞍上は無言で俺をスタンド前まで歩かせていくが、俺は彼の気持ちを確かに感じていた。

 手綱を握る手が震えていることがハミにもしっかりと伝わっていたからだ。

 

 リーディングは下から見ていったほうが早く名前が見つかり、「無名」「すでに終わった騎手」などの烙印を押されていた男――

 そんな彼が、これまた「すでに終わった血統」「過去の産物」といった扱いをされていた俺という馬と共にダービーを制したのだ。

 彼の胸の中で湧き上がっている感情は、おそらく一言では言い表せないだろう。

 

(もう少し喜んでも罰は当たらないと思うんだがなぁ……)

 

 俺は内心苦笑いを浮かべながらスタンドの前を通り過ぎていく。

 この勝利は俺の力ではなく、彼の実力によるものだということは俺は十分理解していたからだ。

 同時に、俺の中ではひとつの想いが浮かび上がっていた。

 

 

 ――この男となら俺はいけるところまでいける!

 

 

 それは鞍上の騎手に対する確かな信頼と、彼と共に掴む栄光への確かな手ごたえであった。

 

 

 騎手が歓声に応える形で、ぐっと左手を大きく突き上げる。

 スタンドがさらにわあっと沸き上がった。




 【悲報】前世編、少し長くなりそう……

 当初はあらすじ程度で2、3話で終わるはずだったのに……(苦笑)
 筆が乗ってしまった結果がこれだよ!
 次回で1997年は終了する予定です。

 ――本当にコレ、ウマ娘の二次創作なのか……?


 【今回の史実との主な相違点】
 ●第64回《日本ダービー》の出走馬が18頭
 史実の第64回《日本ダービー》は、出走直前に競走中止となった馬がいたので17頭によるレースでした。

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