冒険都市リーマの近郊に、鬱蒼とした森林がある。公式に「死林」なんていう呼称が付けられるほどに陰樹の生い茂ったその森は、名前に反して、きちんと整備されている。森を四分するように砂利道が走り、道の端には柵が設けられ、一定間隔で看板と非常用の信号弾と照明弾が備え付けられている。
──さて。ただ迷わないようにするだけなら、道の整備と看板だけで良いだろう。なぜワザワザ、柵や信号弾、果ては照明弾までも設置しているのか。それは。
「あぁ、ちくしょう!! 神様···!!」
こういう場合のためだ。
涙混じりに嘆きを漏らし、走る。背後から聞こえてくる湿った音は、長年連れ添った相棒──愛馬のスレイプニールが食われている音だろう。断続的に聞こえていた嘶きは、もはや咀嚼音と水音に変わってしまった。
そして、私も、すぐにそうなる運命にある。
「薄汚い魔物め、食らえ!!」
背後に迫っていた、紫色の熊のような魔物に向けて照明弾を放つ。真夜中であろうと辺りを昼間に変えてしまうほどの光量を目近に浴び、熊型の魔物が唸りを上げて脚を止める。だが、今ので終わりではない。
「GYAAAAA!!」
咆哮が聞こえた。そう知覚した時には、既に視界が傾いていた。
「ッ!?」
迫ってくる地面に備え、両腕を翳す。不格好ながら受け身を取れたが、残念ながら、もう終わりだ。救援要請用の信号弾はとっくに打ち上げている。だというのに、救助が来る気配はなかった。
「痛···い、な。」
強すぎる痛覚に対する防護として、脳が感覚を遮断した──という訳ではないだろう。だって、確かに痛むのだから。だが、それはあまりに軽微すぎる。本来なら、気を失って然るべきだ。
腱が切られた、なんてレベルではない。両足が、ふくらはぎからごっそりと消失して──噛み千切られていた。下手人たる青い狼型の魔物は、最早私が逃げられないと知ってか、戦利品をクチャクチャと美味しそうに咀嚼している。
「···。」
だが、奴は狡猾だ。照明弾に手を伸ばそうとすると、途端に私の足から口を離し、強靭な四肢へと力を込めた。熊型の魔物の背後でスリップストリームのごとく照明弾を避けてみせた奴だ。私が照明弾を手に取れば、今度は腕を持っていくだろう。
「あぁ、クソ···。」
歴戦の戦士であれば、ここで「死んでたまるか!」と立ち上がり、起死回生の一手を繰り出すのであろうが、生憎、私は行商人に過ぎない。体はそれなりに鍛えているが、討伐に魔剣使いを動員しなければならないような魔物が相手では、このとおり、為す術などない。
私は首から提げた"お守り"を握りしめ、迫る赤い口と血に濡れた白い牙を見据え──想起する。
◆ ◆ ◆
「お前ら、動くんじゃねぇ!! おい、お前、金目の物を持ってこい!!」
これは──もう10年以上前だろうか、私が10になるかならないかの時に、私のいた孤児院に強盗が入ったときのことだ。運悪く人質になってしまった私は、背中にナイフを突き付けられ、ただ首から提げた"お守り"を握りしめて震えることしかできなかった。
孤児院の院長は早々に縛り上げられ、犯人の男は、私たち子供を脅して孤児院じゅうから金目の物を集めさせた。魔石やルビー、絵画から壺まで、幅広く。運ぶことを考えていないのか、血走った男の目には、それらを換金したときにどれだけの価値になるか、という数値しか見えていないようだった。
そんな目に、不幸なことに、私の首から提げられた"お守り"──材質のよく分からない、黒い円形のペンダントが映ったらしい。
「おい、お前。それも寄越せ。」
「え? こ、これは···。」
私は口ごもった。このペンダントは、物心ついた時には既にこの孤児院にいた私が、唯一、院長から「きみが持っていたものですよ。」と教えられたものだ。親の顔を知らない私にとっては、これは自分の存在を証明するモノといっても過言ではなかった。
「早く外せって言ってるんだ!!」
「い、嫌ですッ!!」
「なんだと!?」
男が激昂する。ナイフが煌めき、私はペンダントを抱き抱えるように体を硬直させた。
一瞬だけ、金属のそれとは違う、魔力的な光が目に映り──男の腕が、飛んだ。
「···は?」
「···え?」
びちゃっ、と、不快極まる音を立て、不快極まる臭いが漂ってくる。
「う、うわぁぁぁ!? う、うで、腕がぁぁ!?」
「···もしかして、チャンスかな、これ。」
よく分からないが、男の腕が撥ねられたらしい。目を固く閉じていたから、何が起こったのかは分からなかったけれど。
「さて?」
頭上で聞こえた声に、振り向く。修道服に身を包んだ院長が、あ、いや、修道服に身を包んで
「実は、院長先生は、以前"マッスル·きらり"という名前で呼ばれていましてね。」
怯えた顔で血を流し続ける強盗の男へ、バキバキと拳を鳴らしながら、院長が歩み寄っていく。
正直、強盗なんぞよりも院長の方が怖かった。
──場面が切り替わる。
目に映るのは、一面の花畑。強盗事件から数年経ち、私が義父母に引き取られた直後のことだ。魔界病院や、各地の商店に様々な品物を卸す商人であった彼らに連れられて、私はブーストドラッグの原料となる植物を栽培している農家に来ていた。やがて義父母の跡を継ぐであろう私と農家の顔合わせ、という名目ではあったが、実際のところ、彼らは視界を覆う鮮やかな花を私に見せたかったのだと、後で語ってくれた。
だが、その植物には、当然のごとく毒性がある。薬の原料となるということは、そういうことだ。その農園にはいくつかの種類の植物が植わっていたが、私の脳を侵したのは、幻覚を見せる効果のある植物の花粉だった。まだ幼かった私には、大人であれば効果が出ないような微量の花粉でも、症状が出てしまうのだと、後で知った。
ゆらゆらと目前を漂う光に誘われ、義父母が目を離した隙に畑へと迷い込む。吸入した量が少なかったのか、すぐに光は途切れ、私は正常な視界を取り戻した。だが、私が佇んでいたところには、今度は体の自由を奪う効果をもつ植物が植わっていた。
「ぇ、ぁ···?」
声すら出せず、地面へと倒れ込む。自覚できるほど呼吸と心拍が稀薄になり、意識も遠のいていく。
あぁ、死ぬんだ。
そう思い、首から提げた"お守り"に目を向けた。両手がもはやピクリとも動かず、それを握りしめることはできなかった。滲む視界の中で、黒いペンダントは僅かに輝いて見えた。
──気付いた時には、私は農家のベッドで寝かされていた。後から義父母に聞いた話によると、畑の中に倒れていた私を探すのに難儀していると、不意に畑の植物がまるで紅海のように割れ、私までの道を作り出したらしい。彼らが私の元に駆け付けた頃には、既に体内の毒は魔法によって解毒されていたらしい。
義父は、「きっと妖精の加護だ。おまえは良い商人になれるぞ。」と言っていた。
◆ ◆ ◆
──走馬灯か。
そう理解すると同時に視界が回転する。視界が暗転する寸前に私が見たのは、首から血を吹き出す私の胴体だった。
そして、次に目に映ったのは、だだっ広く何もない空間だった。
「あ、れ?」
数度、瞬く。視界どころか、聴覚も、触覚も、何一つとして回復していない──何も感じ取れないのに、確かに、私は周囲の様子を知覚していた。矛盾した状況を深く考えるより先に、沈黙したはずの聴覚が背後に迫る一つの足音を捉えた。
停止した平衡·方向感覚を無視して振り向くと、何も見えないはずの視界に、滑らかな金髪をツインテールに結い、起伏の激しい身体をまるでウェディングドレスのような純白の衣装で包んだ女性が、ほんの数歩の距離に立っていた。
「···え?」
何故か不快げに、そして沈痛に歪められていたが、彼女はこの世ならざる美貌を持っていた。加えて、男好きのしそうな肢体。およそ私の会ったことのないほどの魅力的な女性に、私は「ここは死後の世界で、彼女は女神か、それに準ずるものだろう」という仮説を大真面目に頭の中で構築した。ちなみに、"天使"と形容しなかったのは、魔界に住む者の性として、戦争相手である天界の神に仕える天使に、あまり良いイメージがないからだ。
「···。」
女性は無言のまま、ツインテールを揺らして二歩ほど距離を詰めた。
手を伸ばせば、その肢体を掻き抱くことも容易なほどの至近距離にあって、私には劣情の一片もなかった。別に私が男色ということではなく、完成され過ぎた芸術品には、ただ「美しい」と評することしかできないように、食指を動かすのが、とても「外れた」ことのように思えたのだ。
「···ごめんなさい、マスター。」
「···え? あ、頭を上げてください!!」
蒼い瞳を潤ませた彼女は、私の目の前でいきなり腰を折り、深々と頭を下げた。流石に困惑し、それを数倍して焦って頭を上げるよう懇願する。懇願とは情けない言い方だが、事実、彼女に頭を上げさせる為とはいえ、易々と触れる訳にもいかず、頭を下げさせたままというのもすこぶる居心地が悪く、私の心中を的確に言い表すならば、やはり、"懇願"という言葉が最適だった。
そんな思いが通じたのか、彼女はゆっくりと頭を上げると、まだ目を潤ませているものの、僅かに微笑んでくれた。
「と、いうかここは一体···? ここは死後の世界で、貴女は女神様という仮説を立ててみたのですが、どうにもしっくり来ません。」
「ふふっ、ここは死後の世界ではありませんし、私も女神などという高尚なものではありませんよ。···私は、ティナ=エンプレス。あなたの魔剣です、マスター。」
困惑する。ただの商人に過ぎない私は魔剣なんて持っていなかったし、持とうと思ったこともなかった。
「あなたが困惑するのも無理はありません。順を追って説明したいのですが、生憎、ここは時間制限のある空間ですので、手短に行きますね。」
「は、はい。分かりました。」
緊張に顔を強張らせて頷くと、彼女は可笑しそうに、また微笑した。
「ここは、私とあなたの意識の共有部分。荒耶識、という言葉をご存知ですか?」
「概念としては。」
荒耶識。人間の集合無意識のことだ。確か、人間界の宗教のひとつにそんな考え方があったと記憶している。
「ここは、それのスケールダウン版だと思ってください。ここには、私のあなたの二人しかいません。表層意識の一切を捨てて、深層の奥底、無意識の部分を通じて二人きりで会話するための空間、と言いましょうか。」
「は、はぁ。」
よく分からないが、つまり素晴らしく秘匿性の高い結界みたいなものか。
「微妙に違いますが、そういう認識でも構いません。次に、「あなたの魔剣」とはどういうことなのか、簡潔に言いますと···そうですね、マスター、子供の頃は、孤児院に居ましたよね。筋肉質な院長さんと、沢山の子供たちが一緒に暮らしていたのを、覚えていますか?」
「···確かにその通りですが、どうしてそれを?」
彼女は微笑むだけで、答えようとはしなかった。
「あなたは12才のころに、子供の居ない商人の夫婦に引き取られましたよね。引き取られてすぐは、ご両親にあんまり馴染めなくて、それを悲しく思ったご両親に、お花畑に連れて行かれたこともありましたっけ。マスターにいきなり幻覚作用のある花粉が効果を発揮したときは、流石に驚きました。」
「なんなんだ、貴女は。」
流石に気味が悪くなり、語調を強める。そういえば、さっきは声に出していないはずの疑問にまで答えられた。加えて、ここは無意識の共有点だという。つまり、それは。
「えぇ。確かに、あなたの考えは私に直接伝わります。ですが、記憶を読むことまではできません。これは、私も一緒に経験した思い出ですから。」
「一緒に···?」
何を言っているんだ、と思うより早く、彼女の、扇情的なほど大きく開かれたデザインの胸元を飾る、黒いペンダントが目についた。
「それは。」
奇しくも、私の"お守り"とお揃いの、材質の分からない、黒い円形のペンダント。
「気付きましたか? マスター。これは、私とあなたを繋ぐ"縁"。洒落みたいですけど、私は、これを通じて、ずっとマスターを守ってきたんですよ?」
「え? あ、じゃあ···。」
強盗の腕を撥ね飛ばしたのも、畑で倒れた私を両親に見つけさせたのも、私の全身を侵していた毒を解毒したのも?
「はい。ついでに言えば、大病や大怪我をしないよう、ずっと陰から見守っていました。あ、いえ、"陰"というのは、もちろん比喩的な意味ですよ? マスターの許可なしに、私は実体化出来ないので。」
「そ、そうなんですか。あ、いえ、えっと、ありがとうございました。」
「い、いえ、魔剣として当然のことですから、頭をあげてください、マスター!!」
今度は私が頭を下げる。慌てたように、今度は彼女が、私とは違って、私の肩に触れて顔を上げさせた。
「魔剣として当然···と、いうか、貴女は、いつから私の魔剣だったんですか? 私の記憶では、このペンダントは物心ついた時から私が持っていたのですが。」
「···私は、魔剣使いだった、マスターの
「それで、私に回したと?」
「はい。私は魔剣として顕現した場合の戦闘能力だけでなく、魔剣少女として顕現した場合にも、魔法を使ってある程度は戦えるという特技がありますから、あなたの護衛には最適でした。それに、並みの魔剣使いでは、私の魔力消費に耐えられませんから、生まれた時から"縁"を繋いで、親和性を高めようという考えもあったのでしょう。」
どうやら、私の親は私を魔剣使いにしたかったらしい。その願いどころか顔すら知らずに商人となり、こうして死ぬとは、親不孝も甚だしいが、向こうも私を捨てたのだから、まぁ、おあいこだろう。
「マスター。」
「は、はい。」
改まった声音で呼ばれ、背筋を正してしまう。滑稽な挙動だっただろうが、彼女は、今度は微笑まなかった。
「マスター。確かに、あなたは死んでしまいました。ですが、まだ···まだ、助かる方法があります!!」
「何を···。」
何を馬鹿な。正直、そう思った。私は首を撥ねられたのだ。生物であれば、もはや死は免れない。
「マスターの首を食い千切ったのは、魔物です。魔物には、私の魔法は通じません。」
魔物は、自然界に存在する既存の生物が、高濃度の魔力に晒されることで変貌して生まれる。変化するのは外観だけではなく、凶暴性や各種ステータスも大幅に上昇する。高濃度の魔力を取り込んだという性質上、魔力抵抗は凄まじいものがあるだろう。故に、魔物の討伐には魔剣使いが駆り出されるのだ。
「ですが、マスターが魔剣使いとして私を使えば、あの程度の魔物は一瞬で蹴散らせます!!」
そうかもしれない。だが、前提として、だ。
「もう遅いよ。···死に体からの回復なら、確かに君が居ればなんとかなっただろうが──私は、もう死体なんだよ。」
自分でも驚くほど、冷たく、硬質な声が出た。何より驚いたのは、自分で現状を口に出し、現実を直視してしまえば、もっと取り乱して冷静さを欠くかと思ったのに、その程度で済んだことだ。
「いいえ、マスター。まだ、手はあります。」
また、視界が暗くなっていく。そういえば、時間制限があると、彼女はそう言っていた。
◆ ◆ ◆
次に目に映ったのは、一面の焔だった。但し、蒼い炎だが。
完全燃焼による高温の炎──という訳ではない。むしろ、その炎は仄かに暖かいだけで、人肌程度しか熱を持っていなかった。一面の炎が消え、視界がクリアになると、目の前には、魔物どもに貪られ、血と臓物を撒き散らす、
「···は?」
呆けた声を出すと、ようやく私の存在に気付いたらしい魔物が、一斉にこちらを向く。いや、私は確かにここに居るし、服装も完全にそのままだし、夢(?)の中で会った、ティナ=エンプレスと名乗る女性とお揃いのペンダントも、ちゃんと首に懸かっている。のだが、どういう訳か、私の肉体は、見るも無惨に食い散らかされていた。
「Grrrrr···」
魔物が私の存在を知覚し、私の声が確かに空気を震わせている以上、私が幽霊ということは考えにくい。いや、幽霊に何が出来て何が出来ないかなんて知らないが。
「GAAAA!!」
「うわあっ!?」
熊型の魔物が振るった剛腕を、咄嗟に腕を翳してガードする。腕が肘から切り取られ、鮮血が──噴き···出···あれ?
切断面からは一滴の血も出ず、そこからは、先ほど見たのと同じ、蒼い焔が噴き上がっていた。焔は数瞬だけ揺らめくと、腕の形を取り、その色と質感を変え──そして、元通り、私の腕となった。
「···は?」
意味が分からない。切断された肘より先は消失──いや、焼失か?──しているし、腕は綺麗に元通りだ。もしかして、この怪物じみた変容が、彼女の言っていた「手」なのだろうか。
「は、はは、はははは!! すごい!! 凄いぞ!!」
不死身の肉体を手に入れた。まるでお伽噺の英雄にでもなった気分だ。倦怠感の類いもなく、代償が必要という訳でもなさそうだ。
「素晴らしいな、ティナ=エンプレス!! 貴女は最高だ!!」
デッドマンズ·ハイとでも言えば良いのか。とにかく、私は変な高揚感に駆られていた。生物であれば須く持っている"生存本能"が、23年に渡る任を終え、解放されたことを喜んでいるかのようだ。
「ふぅ。ところで、そろそろ鬱陶しいな。どうするか。」
叫んでいる間じゅう、ずっと私の身体を切り刻もうと四苦八苦していた魔物たちを睥睨する。僅かに怯んだ様子の魔物たちに、一層、私の気持ちは昂った。
──そういえば、私の身体は美味しかったか?
『マスター。報復を?』
脳裏に直接語られた言葉に、心底からの笑みを浮かべて応える。
「無論ですよ、ティナ=エンプレス。とはいえ攻撃手段が乏しいですが···。」
「ふふっ、面白いことを言うのですね、マスター。」
いや、実際問題、殴る蹴るぐらいしか攻撃手段がない。一応、商品を抱えて旅をする者として、短剣術は嗜んでいるが、それだって護身術の域だ。対魔物に通じるような技巧はないし、そもそも、魔物には魔剣しか──あ?
「もう、ようやくお気付きですか?
「···すみません。何分、つい先ほどまで貴女の存在を認知していなかったもので。」
「それは仕方ありませんよ、マスター。何度かコンタクトを試みたことはありましたが、基本、私はあなたを見守るだけでしたから。」
「そう言って頂けると、ありがたいです。」
ふと、視界の隅にキラキラと光るモノを発見した。
いつか見た、中空に円を描くような、魔導の光。
「マスターは初めてですから、私がエスコートしますね。···と言っても、私もそうなのですけど。」
「そうなんですか?」
「はい。···ではマスター。その輪の中に、腕を入れて頂けますか?」
「えっと、こうですか?」
幾度となく切り刻まれながら、それを完全に無視して話を進める。空気を震わせない彼女の声に従って、右手を伸ばす。
「では、参りましょう。マスター。」
「えぇ。ティナ=エンプレス。」
右手で渦巻き始めた魔力をそのままに、空いた左手を魔物に向かって突き出し、中指を立てる。およそ普段の私であればやらないような下品な挙措だが、どういう訳か、その動作はごく自然に私の意思として実行された。
心中に浮かぶのは、報復の二文字。
「
右手に握った黄金の大鎌を振るう。一閃重撃。一撃多斬。煌めく流星のごとき軌跡を一本だけ中空に描き、群がる魔物を鏖殺した。
◆ ◆ ◆
「···ふぅ。」
体内に未だ篭る熱を吐き出しながら、私は元来た道を歩いていた。連れ合いには、行きとは違って魔物ではなく、見目麗しい女性を連れて──というか、私の魔剣である、ティナ=エンプレスを連れて。
「あの、マスター。怒っていらっしゃらいますか?」
「え? 何故ですか?」
確かに、魔物に食い荒らされたであろう愛馬と、愛馬を亡くしたが故に、自力で目的地であるリーマまで運ばなければいけない荷物を思い、憂えていたが、そこまで深刻そうな顔をしていただろうか。
「い、いえ。私の独断で、マスターの身体をそんな風にしてしまったので···。」
「なんだ、そんなことですか。」
苦笑して、私は立ち止まった。数歩後ろを歩いていた彼女も、距離を保ったまま停止する。
「貴女が何をどうやって、私の身体をこのように変容せしめたのかは分かりません。ですが、たとえそれが禁術と呼ばれる類いのものであろうと、封印指定を受けるような代物であろうとも、私は、貴女を責めたりはしません。」
だって、貴女はずっと、私のために、私を守ってきてくれたのだから。その判断に異を唱えることなど、私には絶対にできない。この命があるのは、彼女のお蔭なのだから。
「あ、安心してください。マスター。私が使ったのは"魂の物質化"に過ぎません。マスターに危害が及ぶようなモノでは、決して──!!」
絶句した。
魂とは、万物を構成する"元素"を要素として持たない、けれど確かに存在する、いわば"概念"だ。世界を天·魔·人界の3つではなく、
これが魔剣か。そう実感した。
「おーい、大丈夫かー!!」
「うわっ!?」
唐突に聞こえた叫び声に、驚いて肩を跳ねさせる。ティナ=エンプレスの背後にちょうど隠れる位置、数十メートル後方の私と魔物の死体があるあたりに、こちらに向けて大きく手を振る人影が見えた。
「大丈夫でーす!!」
叫び返して手を振り、近寄っていく。
「お前も信号弾を見たのか? 残念だが、気を落とすことはない。彼は、運が悪かったんだ。お前の所為じゃないぞ。」
「···ぇ?」
「ん? お前が、この魔物どもを蹴散らしたんだよな? と言うか、死体はきちんと埋葬しろよ。」
···ちょっと何を言っているのか分からない。状況を整理しよう。
1.目の前には、首のない、無惨に食い荒らされた死体。(救援要請用信号弾が確認されていた。)
2.周囲には多数の魔物の死骸。
3.その付近にいた、魔剣少女を顕現させている魔剣使い。
仮説:3の魔剣使いが、1の打ち上げた信号弾を見て駆け付けたが、運悪く彼はもう殺されていたため、せめて仇討ちだけでもと、2の魔物の討伐した。
矛盾点:なし。
──ふむ?
「えぇ。確かにその通りです。今、他に魔物が居ないかどうかを見て回っていた所でして。」
「あぁ、そうだったのか。じゃあ、そっちは任せるよ。埋葬は俺がやっておくから。」
「ありがとうございます。」
気さくに言ってくれた魔剣使いに頭を下げ、今度こそ馬車へと向かう。
──が、問題が発生した。
「しまった···。」
そこには、無惨に食い荒らされた馬の死体と、
「野盗か、最悪だ···。」
さて、やることが山積みだ。
まずリーマへ行って、卸し先に謝罪(義務)。次いでユグドラシルへ戻り、卸し元へ謝罪(義務)。魔剣使いになったことを商人ギルドと魔剣機関へ報告し(義務)、野盗の討伐依頼と商品の奪還依頼···は、自分でやればいいか? 折角、魔剣使いになったのだし。と、なると、戦闘訓練やティナ=エンプレスの性能の把握(義務ではないがほぼ必須)。
「あぁ、神様···。」
私は頭を抱え、そのまま膝を付いた。