そうなん△   作:オリスケ

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第4話

 過ごし慣れた静けさだった。

 冬の山には何の音もなく、時間だけがただ過ぎていくようにも感じられた。

 たまに吹く微風が、常緑樹の葉を囁かせ、落ち葉をカサカサと鳴らすくらい。いっそ強烈な程に、辺りはしぃんと静まりかえっている。

 街中にいては感じられない、ゼロに近い静寂。私はこれに親しみすら感じている。

 雄大な自然に包まれ、緩やかな時間の流れに浸るのが、ソロキャンプの醍醐味の一つだ。

 広がる芝生。遠くに見える山嶺。あるいは生い茂る木々の最中。そこでぼうっと身体を休めていると、心が安らぐ。

 私は昔から、静かなのが好きだった。

 人間は自然が必要なんだ、やはり動物は自然から生まれたんだ……と、そんなサムい事を考えたりもする。

 自然は私を包み込み、決して脅かさない。

 つい数時間前までは、冬の寒さすらも、私の味方だったんだ。

 

 

 

 

 

「へくちっ……たたぁ」

 

 可愛らしいくしゃみの声の後に、痛みへの呻きが続く。

 なでしこは赤くなった鼻を擦り、ジャケットを着こんだ自分の身体をさする。

 

「やっぱり、じっとしてると寒いねぇ、リンちゃん」

「だな」

「よく漫画だと、そうなんした人達が裸で抱き締めあったりしてるよね」

「濡れた服を着てるとまずいからね」

「……リンちゃん、かもんっ!」

「死ぬ気か」

 

 両手を広げるなでしこに嘆息。

 お姉さんが私たちと別行動を初めて、二時間。なでしこはすっかりいつもの調子を取り戻していた。鈴の鳴るような声で、時たま冗談を言ったり、はしゃいだりする。

 身じろぎの度にうめき声を出さなければ、まるっきりいつも通りのなでしこだった。

 

「傷、まだ痛む?」

「んー、痛くないって言うと嘘になるけど、もう全然気にならないよ。リンちゃんとお姉ちゃんのお陰だね」

 

 なでしこの折れた足には、私がズボンの上から添え木を施した。その辺に落ちている枝を使用するのは憚られて、折れたテントの支柱をタオルでくるんで、それを別のタオルで、なでしこの足に巻き付けている。多少不格好だが、骨の折れた足を放っておく方が問題だから、気にしていられない。

 ちなみに、折れた支柱を発見した段階で、テントを立てる事が不可能であることが確定した。万事順調とはいかないが、なでしこはいつも通りのゆるい笑顔を私に向ける。

 

「リンちゃん、凄いねー。山のお医者さんだ」

「……別に、大した事はしてないよ」

「こういうの、どこかで勉強したの? それとも、ソロキャンプで必須知識だったり?」

「単に本に書いてあっただけだよ。サバイバル系の小説とかだと、こういう展開、結構あるし」

 

 まさか自分がその当事者になるとは、夢にも思わなかったけれど。事実は小説より奇なりとは、まさしくこういうことなのだろう。

 会話が途切れると、まるで波が寄せ返すように、静寂が耳を騒がせる。

 何となく気まずい。どうしてだろう、なでしこと一緒のキャンプだって、静かな時はある。そして、それが何より心地良い時間のはずなのに。

 

「……静かだねぇ。みーんな、寒さで寝ちゃってるのかな」

 

 なでしこも同じ感想を抱いたみたいだ。照れ隠しのようにそう言ってはにかんでみせる。

 

「……車の前に飛び出してきたの、タヌキだったよね? タヌキって冬眠しないのかな」

「どうだろう。動物全部が冬眠するわけじゃないと思うけど……ウサギとかも、冬眠しないよね」

「ウサギさんかぁ。この山にもいるのかな」

 

 なでしこが両手を頭の上に乗せ、うさ耳を作りながら聞いてくる。いつも通りの、何気ない会話。それがありがたい。何もできないなら、何か考えている方が気が紛れる。私は昔読んだ本の知識を、頭から引っ張り出す。

 

「冬眠しない動物は、後は鹿とか……熊とか」

「くま?」

「冬眠はするんだけどね。餌が十分にとれなかったり、子供を持ってたりすると、食べ物を探して歩き回るらしいよ」

「食べ物……」

 

 なでしこの顔が、さぁっと分かりやすく青ざめた。

 

「ど、どどどうしようリンちゃん。わたしたち、食べられちゃったりしないかな……?」

「……行きがけの道に、猛獣注意の道路標識あったな」

「わぁぁぁ、さもありなん!?」

「なんで古語」

 

 なでしこの大げさなリアクションに苦笑が漏れる。しかし、緩んだ私の頬にも、冷や汗が伝う。

 熊。もし冬眠から覚めた熊がいたなら、洒落にならない事態だ。装備も不十分な女の子二人なんて、熊からすれば格好の餌だ。

 特になでしこなんて……そう考えてしまった私の脳裏に、映像がよぎる。逃げられず、木に寄りかかって震えるなでしこ。熊に組みしだかれ、柔らかな肌に牙が食い込み悲鳴が上がる。骨を折られ、頭を踏みつぶされ、最後に残った抵抗すらも奪われる。

 そうして助けを呼ぶことも出来ず、足を引きずられ、生きたまま巣穴へと運ばれる。

 

「へくちっ……ったた」

 

 なでしこがくしゃみをして、私の意識は悪質な妄想から帰ってくる。

 ビー玉のようなくりくりした目が、私をまっすぐ、心配そうに見つめる。

 

「リンちゃん?」

「……たき火、しようか。寒いし、火があれば動物も近寄って来ないだろうし」

「っ……うん、いいねっ。やろうやろう!」

 

 私の提案に、なでしこはぱぁっと笑顔の花を咲かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 その辺に落ちている枝葉は、朝露が染みついてしっとりと濡れた物ばかりだった。たき火に適した乾いた木の調達は、今の時間では難しそうだ。

 そこで、太めの木々を細かく切り分ける事にした。細かい木なら乾燥も早いし、中心の方は堅いが水気は少ない。

 薪割り斧を使って、木を細かく裁断していく。

なでしこはずっと耳を塞いで俯いていた。枝の折れる音が、自分の足の骨を連想させるのだろう。

 側で見ていた私でさえも、枝が悲鳴を上げる度に、二度と思い出したくない光景が脳裏をよぎる。私は目を瞑って、できる限り黙々と作業に集中する。まだ辺りは明るいが、本当に火が必要になるのは夜だ。夜に火を絶やさないよう、薪は多めに割らなくちゃいけない。

 そうして、小山ができるくらいの量になると、乾いたものや特に小さい物を選定する。

 木の質は良くなかったが、着火剤の数は一個で足りた。この辺りは長年のソロキャンプの経験が生きた。直ぐに赤々とした火が灯り、遠赤外線が私となでしこの身体を温める。

 

「はぁぁ……あったかいなぁ。やっぱりたき火はいいね、リンちゃん」

「……だな」

 

 なでしこに相槌を返し、私も彼女の隣に寄りかかり、身体を落ち着けさせる。

 親しんだたき火の温かさは、身体だけでなく、緊張と不安に強ばった空気すらも綻ばせてくれた。心を剥き出しにするようだった沈黙は、いつも私を包み込むような、自然の優しさを取り戻している。

 ぐぅぅ、となでしこのお腹が鳴った。一瞬はっとしたなでしこは、僅かに頬を染めて、恥ずかしそうに頭を掻く。

 

「……お腹すいたね、リンちゃん」

「ぶっちゃけ、いつ言うのか楽しみにしてた」

 

 私は脇に置いていたクーラーボックスの蓋を開ける。

 食べかけのパック詰めされた肉が四つ。二リットルのペットボトルが一本。それが私達に残された食料だ。

 終わりの見えない待機を続けるには、余りに心許ない量。一人なら間違いなく半狂乱になってしまうだろう、命のタイムリミット。すぐそこに控えている、餓えという言葉が脳裏にちらつく。

 けれど私は、涎を垂らさんばかりに心待ちにするなでしこに、笑顔を作って振り向いた。

 

 

 

 

 

 

 

「ん~~~っ!」

 

 この極限状態においても、なでしこの食欲は健在だった。肉を一切れほおばる度に、蕩けそうな笑みを浮かべて歓喜の声を上げる。

 

「ほんと、おいしそうに食べるな、なでしこは」

 

 何度目かも分からない感想が漏れる。毎度毎度、呆れる程の食いっぷりを見せるなでしこだったが、こんな状態でも全く衰えないとは。

 

「あきちゃんが、よく『外メシはうまい』っていう説を出すんだよ。危ない状況ほどおいしく感じるんだって。わたし、本当にあきちゃんの言う通りだと思うっ」

「お前、大体いつもうまいって言ってるよな」

「デンジャラスな女ですからっ」

「危なっかしい女の間違いだと思う」

 

 遭難しても足が折れても、目の前の肉に集中できるなんて、大物なのか馬鹿なのか。

 たき火から十分に熱を持った薪を幾つか取り出し、焚き火台の上に乗せて金網を敷く。網の上に乗った八枚の肉で、今日のご飯は終了だ。さもしさに気が参りそうになりながら、私は焼き上がった肉をなでしこの紙皿の上に置いた。

 

「はい、焼けたよなでしこ」

「ありがとう……ごめんねリンちゃん」

「いいよ。怪我してるんだから、じっとしてな。したいことがあったら、私が手伝うからさ」

「じゃあじゃあ、その大っきいお肉、私が予約します!」

「遠慮無いなお前」

 

 ひとパック分の肉を、一枚一枚、大事に食べる。胃袋の大きさ……というか規格が違うので、なでしこが若干多めだ。併せて持ってきた焼き肉のタレにたっぷり浸けて食べる。

 

「そういえば、覚えてる? 遭難した人が、焼き肉のタレだけで何週間も生きてたってニュースがあったよね」

「ああ、そういえば、そんなのもあったような?」

「さすが焼き肉のタレだよね! 何でもおいしくするばかりか、命まで救っちゃうなんて!」

「あれ、後で嘘情報だって追記されてなかったっけ」

「……自分に嘘をつくのが一番ずるいんだよ、焼き肉のタレさん」

「何に対しての説教だ、何に」

 

 まあ、実際に嘘という訳でもないんだろう。肉以外に必要な塩分や糖分を取れるし、栄養価は高いと思う。今の私だって、それを期待して多めに使用している。肉がなくなった時は、最悪コレを飲むことも候補に入るのだろう。

 一パックだけの焼き肉は直ぐに終わり、たき火を囲んでのご飯は終わった。なでしこは少し物足りなさそうにしていたが、さすがに食糧事情は分かっているため、文句を言うことはしない。

 腹に食べ物を入れ、身体もたき火で十分に温まると、私たちはまた木に寄りかかり、時が過ぎるままにじっと過ごす。

 パチパチと、たき火が跳ねる音が響く。温かく、一瞬でも満ち足りた時が流れる。

 

「……お姉さん、大丈夫かな」

 

 緊張から解き放たれた心から、つい弱音が漏れた。

 助けを呼ぶために、たった一人で山を下りていったお姉さん。無意味と分かっても、考えずにはいられない。

 

「お姉ちゃんなら、きっと大丈夫だよ。今頃おりゃーって、山を駆け下りてる筈だから。川の鮭とか捕まえながら」

「熊かよ。それはそれで怖いな」

「体力に定評のある各務原家ですからっ。お姉ちゃん、私なんかよりとっても強いんだよ」

 

 なでしこはお姉さんの無事を信じて疑わない。それだけで、この姉妹の信頼と、なでしこの精神力の強さを感じさせられる。

 

「……そうだと、いいな」

「きっとそうだよ」

「うん……そうだな」

 

 結局、ここにいないお姉さんの事を考えたってどうしようもないのだ。

 それなら、なでしこのように、理由などなくても生存を信じる事が最良なのは間違いない。

 なでしこの笑顔が眩しくて、自分の後ろ向きな性格が、ほんの少し嫌になった。

 冬の山は相変わらず灰色で湿っぽい。鬱蒼としていて、鬱屈で、味気ない。このまま永遠に変わらないのではないかと思わされてしまう。

 しかし、それは結局、私の勘違いでしかなくて。灰色に濁った空は徐々に光を落とし、空気を更に冷ややかなものに変えていく。たき火の橙色の光が存在感を強め、パチンと空気の爆ぜる音を奏でる。

 ぴゅうと風が吹き、たき火では誤魔化しきれない寒気が背筋を伝う。

 

「――そろそろ、寝袋を出そうか」

「そうだね……あ」

 

 提案にすぐに頷いたなでしこだったが、ふと思い出したように声を上げた。一瞬の停滞の後、気まずそうに表情を濁らせる。

 

「なでしこ、どうかした?」

「ん、その……た、大したことじゃないんだけど」

「いいよ、言ってみなよ。私に出来ることなら、何でもするから」

 

 優しくそう諭すも、なでしこはかつてない歯切れ悪さで、言葉に詰まったような仕草を見せる。じっと待っていると、次第に顔にぽうっと火が灯る。たき火の熱が、そのままなでしこの顔に移ったみたいだ。

 

「あの……ほ、本当は絶対、こんなこと言わないからね? 怖いとか、自分じゃできないとかじゃないんだよ? 分かるよね?」

「ちゃんと分かってるって……何?」

 

 言わなきゃ分からないと、先を促す。

 なでしこは、この暗闇でも分かるくらいに顔を真っ赤に火照らせて、おずおずと口を開く。

 痛む足首を庇いつつ、しきりに太ももを摺り合わせているのに気づいたのは、残念ながらその後だった。

 

「……おトイレしたい」

「……ああ」

 

 足を怪我してるもんな。冬服はしっかり着こんでて脱ぎにくいもんな。

 けど、そうか……私がやらなきゃいけないのか。

 予想していなかった初めての体験に、私は上手い返答を返せず。

 行為の最中に「誰にも言わないから」と約束したのが、私のなでしこに対する、精一杯の慰めだった。

 




日常(?)パート下手くそでごめんなさい。

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