“穢れ”し少年の吸血記 〜聖騎士の息子は、真祖の少女に救われた〜   作:ダート

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狂乱の先

 

 場を静寂が支配する。

 

 最前列で少年に襲いかかった男たちは、踊る様に痙攣しながら血を吐き散らす。そして、自ら作った血溜まりに音を立てて沈んだ。

 

 その呼吸は止まっている。

 だが、呼吸をやめたのは、その惨劇を目の当たりにした全ての人間に共通することだった。

 

「ハァッ……、ハァッ……、ハァッ……、ハァぁぁッ……」

 

 少年の荒い呼吸だけが、静寂の中に響いている。

 呻くようなその呼吸は、飢えた獣のそれとも、苦痛にあえぐ亡者のそれとも聞き取れる。

 

 男たちは冷水を浴びせられたように青ざめ、どうしたらいいか分からないと、“頭”へすがる様な視線を向ける。

 

 手下の一人が、震えた声を絞り出す様に叫んだ。

 

「な、なんだよあれ……魔法、か? ()()引きずり出すなんて魔法聞いたことねえよ……頭ぁ! あ、あのガキ魔法師だなんて聞いてねえ……!」

「……ま、魔導具だ! どんな効果かは分からねえが、あのガキが魔法師なんざあり得ねえ! こんな魔法が使えんなら、教会がほっとくわけがねえ!」

 

 青い顔ですがり付く手下を突き飛ばして、ブレニッドは怒鳴る。そうであって欲しいという祈りを込めて、自分を奮い立たせる様に。

 

 そもそもブレニッドの知識では、魔法によってあんな体内を直接損傷させるようなことは不可能なはずだった。ブレニッドには魔法学の深い知識などないが、これは常識とすら言える大原則。確か内界とかいう概念で説明されるが、ともかくあり得ないことが起きていること。そしてその矛先がどこに向けられているのかだけは容易に理解できた。

 

 狩場は一瞬で死地と化していた。

 

「それに見ろテメェら! アイツらを殺してから明らかに弱ってやがるだろォが! こんなムチャクチャしやがる魔導具だ、相当な代償があるに決まってらァ! そいつはもう、打ち止めだっ!!」

 

 祈りの込められたブレニッドの言葉はしかし、今の手下たちがすがるには十分な説得力と希望を持っていた。

 

 現に、仲間を惨たらしく殺してから、敵は如実に弱っている。呼吸は荒くなり、元々虚ろげだった気配はさらに弱々しいものへと変わっていた。

 

「死にかけでも完治する魔導具に、()()ィ引きずり出す魔導具まであるときた。どれか一つでも手に入れりゃあ遊んで暮らせるぞ、テメェら!!」

 

 その言葉に、男たちは勢いを取り戻す。

 

「よくもやってくれたなクソガキ……」

「もう一度腹かっさばいて中身ぶちまけてやるぜ」

 

 なぜか動かない少年に、憎しみと狂気を目に宿した男たちがにじり寄る。少年に、再び殺意が向けられた。

 

 

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 気が付いたら、身体は鉛の様に重くなり、地面に膝を付いていた。

 視界の紅は溶け消え、世界は元の正しい色を取り戻している。

 

 喉が、渇いている。焼けるような渇きとは裏腹に、身体は芯から凍えて、震えが止まらない。

 

「ここは……オレ、どうして……?」

 

 最後の記憶は、自分の心臓が動いていないことに気づいた瞬間。そこから先の記憶は、プッツリと途絶えている。

 

 何とか思い出そうとしているそんな中、不意に足音がして顔を上げた。

 

「——なッ?!」

 

 周りを、武装した男たちに囲まれている。

 向けられるいくつもの視線は、そのどれもが血走った殺意と憎しみにギラついていた。

 

————殺される。

 

 身体が警鐘を鳴らし、本能がここから離れろと訴える。けど、こんなの唐突すぎる。意味が訳が何一つ分からない。

 

「まっ、なん……、オレ、ちがぅ——」

 

 あまりに突然の出来事に、うまく言葉が出てこない。ただ必死に、「違う」と伝えようとした。何が違うのかも分からない。でも、そんな目を向けられる覚えはない。そんな殺意を向けられるような人間じゃない。

 

 言わなきゃならない言葉が多すぎる。否定と疑問に挟み込まれて、身動き一つできなかった。

 

 だから————

 

「ぅ、……ぁく」

 

 呻きだけが、枯れた喉から漏れ出た。

 

「よくもやってくれたなクソガキ……」

 

 殺される。訳もわからず殺される。

 

 全身の毛穴が開いた様な不快感。背中を伝う冷たい汗に、吐き気の波が押し寄せては引いて行く。

 

 迫る死の予感に、腹の両わきがヒクヒクと痙攣して、上手く力が入らない。まるで自分の体じゃないみたいだ。

 

「ぁ、あぁ……」

 

 喉からこぼれた震えた声は、男の足音に踏み潰された。

 もう目の前。逃げられない。間に合わない。

 

「もう一度腹ぁかっさばいて、中身ぶちまけてやる」

 

 その『もう一度』という言葉が、妙に引っかかった。いつかの夢の内容を思い出しかけているような、ほんの些細な引っかかり。

 

『中身』という言葉が、引っかかっていたものを頭の中から引きずりだす。忘れていた、忘れていたかった記憶。けど身体が覚えていた。

 

「あ……」

 

 ある光景を思い出した。

 

 貫かれる身体、激痛、恐怖。

 

 何度も何度も何度も何度も何度も。

 

 刺された。切られた。踏まれて。潰されて。

 

 潰れたぼくを見下ろす顔は……そう、まさにこんな顔で…………。

 

「あぁアあ——」

 

————ぼくは、皆んなと一緒に、殺サレタンダ。

 

「アァあぁアアぁあァあああぁアああッッッッ!!!!」

「うお——ギャッ!」

 

 身体は弾かれた様に動いた。

 

 叫んで、叫んで、がむしゃらに腕を振り回す。目の前にいた男の頭蓋が潰れた感触なんて、まるで気にも留めなかった。

 

「速——カッ?!」

「あぎぃいィい! うでえぇえ、おれのうでがあぁァあァア!!!!」

「剣を弾きやがった?!」

「こ、これも魔導具だってのかよ……!?」

「頭ぁムリだぁ!!」

 

 いつの間にか指先からは黒い爪が伸び、爪ではあり得ない硬質な音を立てて剣を弾き、男たちを切り裂いて行く。

 

 剣が体に当たっても、まるで痛くない。

 

 男たちはただ腕を振り回すだけで、その数を減らして行く。ひとり、またひとりと減っていく。殺している実感なんてない。本当に、数が減っていくという事実だけが心にあった。

 

「チィッ! これも魔導具か? 一体いくつ持ってやがる……。——短剣は下がれェ! 盾ェ持ってるヤツは前出ろ! 間から槍で刺し殺せェ!!」

 

 予想外の展開を前に、“頭”と呼ばれた大柄の男が青筋を浮かべながら叫ぶ。

 すると、男たちの動きが統率のとれたものへと変わった。

 

「オレたちの後ろに下がれ!」

「グゥウッ! 盾ごと持ってかれ……!」

「おい、槍持ってないなら手伝え! 後ろから支えるぞ!」

「なんだこいつ! 刺さんねえ!?」

 

 爪が盾と衝突して、深い爪痕を刻む。木と皮でできた軽い盾だ。盾の男は爪の斬撃を受け止め切れず、体ごと崩れそうになる。

 だがその度に、槍を持てなかった他の男たちがその背中を支え、両わきから槍が突き出された。

 

 でも、それも痛くない。怖くない。

 

 槍の刃は皮膚をわずかに傷つけるだけで、体を撫でて……それだけだ。突き立つことすらできない。

 なんだってこんなナマクラを使っているのか分からないと、冷静な自分が笑った。暴れる自分と、それに右往左往する男たち。その滑稽な役者たちを嗤いながら、他人事として眺めている自分がいる。

 

「おかしいだろォが…………」

 

 腕を振るい、体を返り血に染める中、誰かの憎々しげな呟きが聞こえてくる。おかしいなら、そんなのは始めからだった。

 

「槍を防ぐ魔導具があんなら、あん時に使ってるはずだ。それだけじゃねえ、あんだけの効果だ。一つの魔導具で足りるはずがねえ。あのガキはいくつ持ってやがる? あの格好だぁ、隠し持つにも限界が…………まさか……」

 

 声の主は何か思い至った様子で睨んできた。驚愕と困惑が顔に張り付いている。そのとき、屋敷から数人の男が、手に何か棒状のものを持って出て来るのが見えた。

 それが視界の端に見えた途端、本能が警鐘を叩き鳴らし

けたたましく何かを伝えてきた。

 

————アレは、マズイ。

 

 直感。

 赤熱した感情を冷ますには充分な悪寒が、身体の芯から滲み、広がるのを感じた。

 

「か、かか、頭ーー!」

「テメェらまだ探してやがったのか!?」

「へい! そんであった、ありやした、お宝ですぜ! 執務室をもっかい調べたら、頭の座ってた椅子の裏に仕掛けがあって——」

「——うるせえッ、テメェの目は腐ってんのか!! 今はお宝だの言ってる場合じゃ——」

 

 場違いな声を発する手下に、顎を砕かんという勢いで振り下ろされた拳が、止まる。

 

「——待て。テメェそれは……」

「ヒッ——え? ……あっ、へ、へい! おのぞみの“聖具”でさあ」

「っ! そいつをよこせ!」

 

 返事を待たずに、男は手下の腕からソレを引ったくると、穂先を向けて走り寄ってきた。それがマズイと分かる。分かっているのに、身体はまるで従わない。

 喉が渇くのに理性の許しがいらないように、それを癒すのにすら許可はいらないと。この身体は、ただ血だけを求めていた。

 

「うがっ! なっ、盾が!?」

 

 がむしゃらな斬撃で、すでに盾役は5人に数を減らし、槍を構えているのも3人になっていた。

 

 逃げたい。今すぐ背を向けて、がむしゃらに足を止めずに駆けて……なのに、やっぱり身体は動かない。無限に繰り返される反射運動に、ただただ翻弄されている気分だった。反射的にニンゲンを追い、目の前の血の香りに脳が痺れて、「もっと」を求めて腕が閃く。

 

 これじゃまるで、自分がニンゲンじゃないみたいじゃないか。

 

 爪から心地いい感触が伝わる度に、ドス黒くて何か粘性のある感情が湧いてくる。どこか冷静な自分が、ソレに呑まれたら終わりだと告げていた。

 

 でも、止められない。

 

 熱を持った思考は、冷静になれという考えすら燃やし捨ててしまう。

 

 だから、止まらない。

 

 いや、このときになるともう、「止まらない」は「止めたくない」に変わっていた。

 

「どけぇーーーー!!!!」

「か、頭?! あぶねぇ、さがれ頭ぁ‼︎」

 

 思考が赤熱し、再び視界は紅く染まり始める。

 

 この渇きが、もうすぐ潤されるという確信。その高揚感に、口角はとっくに吊り上がっていた。

 

「こんのバケモンがあぁああ!!!!」

 

 大柄の男が、何か棒状のものを突き出す。

 熱に浮かされた様な頭では、それが何なのかを思い出せない。けどそれを向けられてはならないのは理解していた。悪寒すらも興奮に塗りつぶされていたのに、その穂先を間近にして、氷水を浴びせられたように感情が沈静化する。身体の操作権が、今更になって投げ返される。

 

 それでも、躱すにはもう手遅れだった。

 

 次の瞬間、男の突き出したソレをオレの腹が迎え入れ、抵抗なく侵入した。

 

「グ……?」

 

 思考がまとまらない。

 避けられなかったのは分かるのに、なんで避けないといけなかったのかが思い出せない。

 

 腹部に、銀色の細い棒が……おし当てられている……。

 

 なぜかちからが入らない……。ぬけていく…………。

 

「せなか……あつ……」

 

 あつくて あつくて 手をまわすと 何かにふれた 。

 

 気になってせなか をみる と

 

「あ゛…………?」

 

 

————背中からは、貫通した白銀の穂先が生えていた。

 

 

「グ——ギ……」

 

 頭の熱が消え去り、同時に、空けられた孔から感覚が死んでいくのを感じる。

 

 思考が輪郭を取り戻し、状況理解が一瞬で完了する。

 

 同時に思い出した。

 ずっと感じていた悪寒、聞こえていた警鐘は、全てこの槍に対してのものだったんだ。

 けどもう遅すぎる。

 こんな致命的事態に陥って、今さら思考の自由が戻ってきても、絶望するしかできることがない。

 

「ガあぁあああぁあああ……あ……ぁ!?!?」

 

 槍が捻りを加えられながら、乱暴に引き抜かれた。

 

 カクンと、膝が抜ける。

 気づけば、視界にはまだらに紅くなった地面が広がって……これが全部自分のかと思うと、クラリとした。

 

「え゛……ぅ……?」

 

 倒れた感覚すら、なかった。

 孔を開けられたというのに、そこに痛みはない。それがなおのこと不気味で恐ろしい。

 怖くて怖くて、しかたなかった。

 

「頭、そいつは?」

「屋敷で見つけたってェ“聖具”だ。見た目通りなら聖槍になるんだろうな、こいつァ……」

 

 “聖具”たる槍の穂先が掲げられる。

 柄と同じく白銀色のその穂先は、ダレカの血に紅く汚れている。

 

 そして次の瞬間、それは起こった。

 

「「「————ッ!!」」」

 

 その現象に、男たちがざわめく。

 掠れた声が、オレの喉から漏れた。

 

「…………ぅ、そだろ……?」

 

 白銀の穂先が仄かな光を放ち、付着した血が煙を上げて消えて行く……あれは、オレの血だ……。

 

「ぁんな……、で……」

 

 あんなものが身体を貫いたかと思うと、背筋が凍る。体の中を、肉を掻き分けながら貫いたなんて、もう取り返しがつかない。ただただアレが、あの、今目の前で起きたことが、()()()()で起こっているのを、そしてその末路を迎えるのを待つしかない。

 

 恐怖が歯を鳴らす。

 空けられた孔は、今どうなってしまっているのか……感覚の死んでいる状態では分からない。

 

「……っが、グゥ……ギィい——!」

 

 傷を見ようとしてもうまく力が入らない。

 力の入れ方すら思い出せない。自然にやれたことが、身体の記憶が抜けていく。空いた孔からこぼれ落ちていく。

 

 その不可逆な喪失。その喪失感は例えようもない。

 

「“聖印”が……反応して…………!」

「なんでだよ……こいつは“あの”ガキだろぉ?! だったら人間じゃねーか!?」

 

 ざわめきは広がる。

 目の前で何が起きているのか分からないと、ざわめく中には震えた声も混ざっていた。

 

「んなもん、決まってんだろォが」

 

 低い声が響く。

 その声は、槍を持った男のものだ。

 

「元から魔導具はひとつっきり。人間をバケモンにしちまうって効果でもあったんだろ。だから聖印がこんな反応をしたっつゥわけだ」

「で、でもよう……なんだってそんなモンを聖騎士が……自分の息子に……?」

「聖騎士はバケモンをころすやつらって聞きやすぜ?」

「うるせェなっ! んなもん俺が知るか! だがァそれ以外ねェだろうがっ!」

 

 手下からの矢継ぎ早の質問に、槍の男が青筋を浮かべて睨み、黙らせる。

 そして、オレを見下ろした。

 

「チッ! ……おう、ガキ。テメェのおかげで俺の手下どももこんだけだ。もう盗賊稼業を続けることもできねェ」

「そ、そんなぁ?! じ、じゃあ、おれたちぃこれからどうすりゃあ……」

「傭兵に戻るのも、これじゃあムリだぁ……」

「——うるっせぇってんだろぉがッ!! こん槍ィ売っぱりゃあどうとでもなんだよ! 『王国』も『帝国』も聖具は欲しくて仕方がねえだろォからな。買い手にはこまらねェ。…………てわけだガキ。聖騎士の息子がバケモンになるなんざァ皮肉だがよ、オヤジの槍で殺されるっつんなら悪くねえだろ?」

 

 槍が構えられる。

 

 もうすっかり血を消し去った白銀の槍は、先端を虫のように倒れたオレへ向け、頭部を貫かんと穂先を輝かせていた。その場違いなほどの美しい輝きは、喜色を浮かべてすら感じられた。

 

「……………………」

 

 今度こそ、殺される…………。

 

 身体の感覚はとっくに、完全に消えていた。あるのはただただ、凍てつく様な寒さと、焼けるような渇きだけ。

 視界も、端から暗くなりつつある。唯一十全に機能しているのは、もう聴覚くらいだった。

 

 サァ……と腕の先が崩れ、灰となり飛んでいった。

 それが自分の死に方なんだと理解した。

 灰になり、朽ちて死ぬ。何の形も残さずに。跡形もなく。

 

 

————この身体は、どうしようもなく……バケモノなんだ。

 

 

「な、なんだァこりゃあ!?!?」

 

 突如驚愕と怯えの混ざった声が上がった。

 

 閉ざしたまぶたは重く、視界は闇に閉ざされている。

 ただ、チャプチャプという、水たまりを踏んだような音が聞こえていた。

 気づかないうちに雨でも降ったのかも知れない。いつ降ってもおかしくない空ではあった。灰となったこの身が、雨に溶け込み、地に染み込み、やがて花を咲かせるのだろうか。

 

 もしもそうなら…………救われる気がした。こんなオレでも、何かを残せるならどんなにいいか。

 

 そんな想像に縋る間にも、男たちの困惑した声はだんだんと大きくなって、それはついには悲鳴へと変わる。

 

「わ、わわ!」

「うわっ、な、どこから?!」

「ひぃいっ!?」

 

 バジャバシャという水音が聞こえる。

 

 流石に違和感を感じた。雨が降ったにしても、水音からして水位の上がり方が異常だ。とんでもない土砂降りでもない限り、あんな音を出す水たまりにはならない。

 そして当然、そんな雨の降り方であれば気づかないわけがない。

 

 なら、この音は……?

 

 あまりに場違いな音が気になって、オレはまぶたをもう一度開いた。今のオレは、これにすら苦労を感じた。

 

「————————っ!?」

 

 声が出せたなら、きっと男たちと同じ声を上げていただろう。それほどに、目の前の光景は異質で、周囲の景色は余りにも地獄じみている。

 

「ち、血だぁっ!!」

 

 男の金切り声。

 そう。まぶたを閉じた間に、辺りはどこからか湧き出た血によって、紅い池のようになっていた。

 

 なぜかその池は、俺の周りだけは避けている。まるでオレがそうしているように見えるだろうが、オレにこんなマネをした覚えはない。

 

「まだ広がってやがる!」

 

 男たちが騒いでいる間にも池は広がり、男たちの足を赤黒く汚して行く。やがて、男たち全てが足を血の色で染めた時——

 

「チィッ! テメェの仕業かァっ!!」

 

 頭と呼ばれていた男が、一人だけ汚れていないオレに気が付いた。

 

 槍が再び振り上げられる。

 

 今度こそ死を覚悟した、次の瞬間——

 

「ガプッ————」

 

————血の池から勢いよく生えた紅い槍が、男たちを一瞬で串刺しにした。

 

 貫かれた男たちの誰一人として、現状を理解できない。刺されているとすら分かってないかも知れない。

 男たちは自身を貫いた槍と、決定された死を前にして、完全に思考を停止していた。

 

「ォ、ォぉォ…………」

 

 急速に、男たちの身体が水分を失い萎んでいく。男たちの流した血が全て、紅い槍と血の池に吸収されていく。

 

 そして、干からびて枯れ枝の様な死体が出来た時——

 

「————」

 

 視覚はここで限界を迎えた。

 視界は暗くなり、もはや目蓋が開いているのかすら分からない。僅かにあった体の()の感覚も消え、自分の形すらも思い出せなくなっていく。

 

 消えていく……。

 オレという存在が消えていく……。

 

 そうして意識も暗闇に沈んでいく中、誰かが近づいて来るのを、残った聴覚で感じた。

 

「アトラしっかりして! アトラっ! ……ひどい……灰化が……こんなに……」

 

 それは少女の声だった。記憶にない声。

 

 なのに、なぜか聞いてホッとした。

 この声をもう聞けないと思っていたのに、それが聞けて安心した。

 

「アトラ、口を開けて。お願い、飲んでよぅ……」

 

 声は震えている。泣いているのかもしれない。

 

 それは……いやだ……。オレは、この子に泣いて欲しくない……。

 

 少女の声は、次第に聞き取れない音へと変わる。

 聴覚すらも死に始めたんだと、すぐに理解できた。

 

 ほとんど音の消えた無音の世界で、感覚は閉ざされ、意識は薄れていく。

 

「……ッ、…………ッ! ……ぅ……なったら…………」

 

 閉じきった感覚の中、唇になにか暖かいものが触れた気が……した……………………………………。

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