“穢れ”し少年の吸血記 〜聖騎士の息子は、真祖の少女に救われた〜   作:ダート

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最悪の聖地

 

 アトラとの会話にルカが満足したと判断したルミィナは、まだ何も知らない吸血鬼に、自身がどれだけ危険な状況に置かれているかを教えるべく口を開いた。

 

「まず先に言っておくわ。坊や、アナタは命を狙われる立場にある。だから、今から言うことを良く聴いておきなさい。坊やが勝手に死ぬのは構わないけれど、それだとルカちゃんが悲しむもの」

 

 ルミィナの言葉に、アトラに驚きはなかった。

 命を狙われるくらいは予想している。が、死ぬのは構わないの下り、傷付かないでもない。

 

「ぐ……ま、まあ、目の前に吸血鬼なんていたら……そりゃ怖いし殺そうともするかもしれないですけど」

「いいえ。もしも坊やが『怖いから排除しようとしている』程度の認識なのだとしたら、それは大きな間違いよ」

 

 納得して頷くアトラの言葉を、ルミィナは切り捨てる。その程度であれば、わざわざこうして話す必要はない。

 

「ここは『神聖国家シグファレム』——通称『教国』。ここレッゾア大陸最大の宗教国家であると同時に、吸血鬼にとって最悪の地。もし今いる場所が他の国だったのなら、私は『教国』にだけは近づくなと言ったわ。ここ以上に吸血鬼を殺している国はないもの」

「殺っ…………!」

 

 アトラの目が見開かれる。そんな話が出て来るとは思ってもみなかった。アトラにとってこの国は、記憶がなくとも故郷であり、それ故に緊張感は持ちつつも決定的危機感までは持っていなかった。

 どこかで、ここは自分に優しい場所と決めつけていた。その考えがどうしようもない程の勘違いだと知ったアトラは、途端にこれからの生活を想像するのが恐ろしくなる。

 

 今のアトラの目には、部屋の窓から見える一見のどかな森の景色も、途端に誰が見ているかも分からない、不気味で得体の知れない場所へと変貌した。

 

「理由としては、『教国』の国教である『クリシエ教』が挙げられるわ。連中の考え方は簡単で、『この世界は神の庭であり、人間は庭師である。かつての6柱の神々がこの地を去り数千年、未だ降臨の気配はない。それは神の庭に、神が過ごすに相応しくない『穢れ』が存在する故のこと。庭師たる我々は、これの発見、排除、根絶に持てる全てで当たらなくてはならない』というものよ。つまり、『クリシエ教』にとって最も重要なことは、この『穢れ』を排除すること。この目的の為なら、この国は戦争も辞さないわ」

「……その、『穢れ』って……」

 

 アトラの声は、内心を表すかのように震えていた。

 頭に浮かんだ不吉な予感。それを否定して欲しいと、その眼が語る。だが、ルミィナはその様を愉しむ様に口角を上げて、無慈悲に言い放つ。

 

「坊やの想像通りよ。この『穢れ』にね、坊や————アナタは指定されているのよ」

「————————」

 

 それは死刑宣告だった。自分はこの国にとって『穢れ』であり、その排除の為には戦争すら起こす連中の総本山。そこにアトラはいるのだ。

 

 頭の中に、村での一件が蘇る。アトラはただの盗賊一人に殺されかけた。槍一本で、それまで優勢だったのが幻であったかの様に、あまりにも容易く貫かれたのを覚えている。

 たった一人にあれだった。なら、それこそ軍を動かされたらどうなるかは考えるまでもない。

 

「アトラ」

 

 もう、外には出られない。

 いつ見つかって、誰に襲われるかも分からない中で、外を出歩く訳にはいかない。

 今後のオレの人生、全部この家の中で過ごすのか?

 

「アトラ?」

 

 それは、アトラという少年に絶望を抱かせるには十分だった。外に待つのは死の運命。中に待つのは死ぬまでの長く孤独な時間。死なない為に、ただ無目的に過ごす空虚な人生だ。マシな方を選び、ただ終わりまでの時間を過ごす。

 

 それは、早いか遅いかの違いでしかない。死刑と終身刑のどちらかを選べ。そういう二択でしかない。

 

「オ、レは…………」

 

 未来への絶望と諦観が、アトラの瞳に暗い影を落とす。

 その中で————

 

「もう、アトラ! 聞いてる? ねーえーっ!」

「——ッ! なん、ル、ルカ?」

 

 少女の声が、絶望に身を任せようとするアトラの意識を引き留めた。

 

 ルカの顔がアトラの目の前にあった。その顔に己が運命への悲観はなく、吸い込まれそうなほど黒い瞳は、まっすぐにアトラへと向けられている。

 そして、その瞳に負けない力強さで言った。

 

「大丈夫だよ、アトラ。大丈夫」

「だいじょうぶ……?」

「うん! だってアトラ、私が吸血鬼だって分からなかったでしょ? だからね、他の人からも分からないの!」

「ぇ……?」

「つまりルカちゃんが言いたいのは、坊やがルカちゃんを吸血鬼と分からなかった様に、他の人間も坊やが吸血鬼かどうかを外見から判断するなんてできないということよ。人間との外見上の違いなんて無いもの」

「あっ」

 

 アトラの顔に納得の色が浮かんだ。アトラから見て、ルカは普通の明るい女の子にしか見えない。だからこそ、ルカが真祖の吸血鬼であると知った時に驚いたのだ。

 

「そうか……そうだ! オレもルカも見た目は人間なんだ! ああ、そうだよ、なんで忘れてたんだこんなこと! よかった……オレ、てっきりここから出られないんだって……一生ここで閉じ籠もらないといけないんだって、思って……」

 

 安堵した。ルカの言葉に、涙が滲むほど安堵した。出られる。自分は外を歩ける。それがこんなに嬉しいことだったなんて知らなかった。

 

「ね、だから大丈夫なの! そんな顔しないで良いんだよ。もしもの時だって、アトラは私の眷属だもん! 人間なんかに負けないんだから!」

「はは……なんか評価高いな。オレ、吸血鬼になってから一度殺されかけてるんだけど、忘れてないか?」

 

 ルカの信頼の眼差しに、アトラは頭をかきながら笑みを返す。その瞳に先程までの影はない。

 

「それは仕方ないよ。あの時はアトラすごく弱ってたし、血も全然足りなかったはずだから。私たちって、血が無くなっちゃうと力が出せなくなって、すごく弱くなっちゃうんだ。それに……聖槍があったから」

「聖槍……?」

 

 よく分からない単語に首をひねる。

 

「その辺りについても説明するわね。まったく、急にこの世の終わりみたいな顔をしたかと思えば、女の子に励まされて泣くだなんて。情け無いったらないわね」

「ぅ……そ、そもそも——」

「話を最後まで聞かず、勝手に絶望していたのは坊やでしょう。私は外見についても言うつもりだったのに」

 

 嘘つけ!と叫ぶのを、すんでのところでなんとか堪える。間違いない、目の前にいるのは魔女だ。魔女はオレの様子を愉しんでいたし、ルカの言葉が無ければさらに追い込んでいたに違いない。

 オレには分かる。目の前の魔女は間違いなく、最悪のサディストだ。

 

「さて。ルカちゃんが言っていた聖槍だけれど、これは吸血鬼にとって最大の脅威よ。本来、吸血鬼に剣や槍は効かないわ。魔法もそう。〈攻勢魔法〉は威力を減殺されるし、〈心理魔法〉に至っては全く効果がないわ。物的・魔的を問わず、あらゆる攻撃が決定打にならない。それが吸血鬼という存在よ」

「…………剣も魔法も効かないなら無敵じゃないですか。でも実際は違った。オレは刺されてるし殺されかけてる……あの槍で」

「そう、それが例外に当たる『聖具』よ。坊やの様な『穢れ』にも通用する、神の奇跡を宿した武具。それがあの村にあったのはとても面倒なことなのよ?」

「面倒なこと、ですか?」

 

 村での一件は、すでにアトラの中では終わったことだった。だが、ルミィナの様子は終わった出来事を話すそれとは違う。未だに面倒な状況から脱していないという態度だ。

 

「『聖具』は——中でも聖槍は、聖騎士でない限り持ち得ない。つまり、あの村には聖騎士がいた。盗賊に聖騎士から強奪する力はないでしょうから、あの村に住んでいた聖騎士の不在中に、予備の『聖具』を盗み取った————そんなところでしょうね」

「聖騎士————」

 

 アトラの動かないはずの心臓が、跳ねた。

 

 その言葉を聞くのは、つらい。つらくて、悲しくて、寂しくて……どうしようもないほど()()たくなる。覚えてもいない日々に、そのあまりの遠さに、胸が締め付けられる。

 

「——あら、随分おもしろい顔をするのね」

「え? あ、いや、なんか……懐かしい感じがして」

「それはそうでしょうね。聖騎士とは面識があったでしょうし、坊やには身近な存在だったはずだもの」

「会ったこと……あるかな? そもそも、盗賊たちの持っていた『聖具』があの村で手に入れたものかも分からない気がするんですけど」

 

 『聖具』を持つ者は限られる。その中でも聖槍となれば聖騎士のみ。ルミィナはそう言った。

 だが、その後に続いた言葉に、アトラは疑問を抱かずにはいられなかった。

 

 ルミィナは、盗賊たちが『聖具』を入手したのはあの村であると断じている。それが、アトラには分からなかった。あの村の襲撃以前に入手していた可能性を、ルミィナは初めから放棄しているのだから。

 

「いいえ、分かるわ」

 

 アトラの呈した疑問に、ルミィナはやはり断じる言い方で返した。

 

「それはなぜ?」

「『聖具』はここ『神聖国家シグファレム』でしか作れないのよ。だからこそ、他国は製造方法を知る目的で『聖具』を高値で買い取るの。破格の値段でね。聖槍一本売れたなら、盗賊稼業とは一生縁のない裕福な暮らしが送れるわ。なら、わざわざあんな村を襲う必要がない」

「なのに襲ったということは……襲撃以前は持っていなかった、てことになるのか」

「そういうことよ。つまり、あの村には『聖具』があった。『聖具』があった以上は聖騎士がいたということ。当然、それほど大きくない村で一度も会わないはずがない。聖騎士と面識があるのは、ほぼ間違いないわね」

「そうか……。もしも、その聖騎士が……今のオレを見たら…………どう、なりますかね?」

 

 何を思っての質問なのか、自分でも分からない。ただ、結果として期待した答えは返って来なかった。

 

「————殺すわね。間違いなく」

「——ッ!」

 

 端的な答え。その予想された答えは、なぜか胸を抉る。裏切られた気持ちだった。

 

「普通の人間は、坊やの正体には気付けない。けれどね、連中は例外よ。近づき過ぎれば察知されるわ。そうなれば終わり。ルカちゃんならともかく、今の坊やでは勝ち目は無いわね。逃げ切ることも難しいんじゃないかしら」

「そう、ですか……」

 

 ルミィナは求めてもいない情報をアトラにもたらす。

 

 アトラの沈んだ表情を聖騎士に怯えてのものと考えたのか、ルカがわざとらしい声で、また聞いてもいないことを喋り始めた。

 

「大丈夫だよ! えっとね、聖騎士や『聖具』が近くにあるとね、分かるの。こう……いやだなーって感じがするんだけど……分かるかな? 普通は分かるんだけど、喉が渇いてるときはむずかしいかも。……あっ! じゃあアトラはまだ知らないんだ!」

「……いや、たぶん分かる。あの槍を見た時に感じたものがルカの言ういやな感じだと思う」

 

 その感覚が頭をよぎり、アトラの眉間にシワが寄った。

 

「要するに、あの感覚がしたら近付かなければ良いんだろ? それで、全力でその場から離れる」

「うん、見つかる前なら簡単だからね!」

 

 アトラが自分の話を理解したのを見て、ルカは上機嫌に足をブラブラとした。

 ルミィナはそれに一瞬目をやるが、とくにたしなめることもなく、視線は再びアトラへと向けられる。

 

「そんな聖騎士と面識がある。関係次第では、今の坊やには好ましくないのは理解できるわね?」

「まあ、そうですね……」

 

 その聖騎士との関係次第では、聖騎士に吸血鬼とバレずとも、向こうは“人間としてのアトラ”を探そうとする。アトラの顔を知り、探そうとする聖騎士は、今のアトラにとって危険でしかない。ルミィナの懸念は、つまりはそういうことだった。

 

「ここで坊やが聖騎士との関係を覚えていれば早いのだけれど……それも難しいみたいね。こっちは私が調べさせるわ。…………こんなところかしら」

 

 長かったルミィナの話が終わった頃、窓の外はすっかり日が落ちていた。

 

「話は終わりよ。私はこの後ルカちゃんに話があるから、坊やは部屋に戻っていなさい。暇なら部屋の本を自由に読むと良いわ。坊やの知りたいことは大抵分かるはずよ」

「ああ、あの部屋がオレの自室になるのか。……本棚とか余ってないですよね? 整理しないと訳が分かんなくなりそうで」

「…………はい、付けたわ、本棚」

「はい?」

 

 一瞬黙ったかと思えば、ルミィナは不思議なことを口にする。そして、それ以降オレの言葉は完全に無視された。どうやらとっとと退出しろということらしい。

 

 アトラはどこか腑に落ちない顔をしながらも、しぶしぶ席を立ち、部屋を後にすることにした。退出の際、アトラの背中に「今度家の中を案内するねー」というルカの声が投げかけられた。それに「まずはトイレから頼む」と返して、薄明かりが点々と灯す暗い廊下を、与えられた自室へと進んだ。

 

 部屋に続いてるはずの廊下を歩く。廊下には等間隔に窓が付き、外から月明かりを取り込んでいた。

 

「——ん?」

 

 ふとした違和感。それは窓の外の景色に対してだ。

 窓の外では、晴れたら気持ち良さそうな草原が広がり、月の青白い光を受けながら、波のように風になびいている。暗闇に浮かび上がるその光景は、それ自体はとても綺麗だった。

 ただ…………。

 

「草原? ……さっきの部屋で見たときは森の中だったよな?」

 

 ルミィナとルカが今も残って話をしているあの部屋にも、これより大きな窓が付いていた。そこから見る外の光景は、こことは随分と違っていたと思う。

 その違いは、もはや全く違う場所と言っていい。

 

「…………ま、いっか」

 

 部屋が近いのもあり、アトラはその事実にすぐに興味を失った。もう見えている部屋の扉へと廊下を進み、扉を開く。すると、アトラは一瞬体を固めて————

 

「ん? えっ? ええぇっ!?」

 

 暗い廊下に、アトラの声が響いた。


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