“穢れ”し少年の吸血記 〜聖騎士の息子は、真祖の少女に救われた〜   作:ダート

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家族に焦がれ、灼熱に焦げる

「フゥゥ…………」

 

 古い本と木の香りが混ざった独特の空気の中、ようやく緊張を解くことができた。

 元々はあった埃の匂いは、今やすっかり消え去っている。そう、ここはオレがこの館で目覚めた部屋だ。

 

 ひとまずオレの置かれた状況とその深刻さを教えてくれたルミィナは、ルカと話がしたいと言ってオレを退室させた。適当に時間を潰せとしか指示されなかったオレは、館内を散策すると迷うという直感を蔑ろにすることなく、こうして何とか自室(?)に戻ってきたというわけだ。

 

「………………はあ」

 

 部屋に置かれた机(元々なかったはずなのに、部屋に戻ると何故か置かれていた)には、クリスタル製のティーカップがある。それに注がれたものを見つめて、思わずため息が漏れた。

 赤々とした液体。芳醇な香りが鼻腔を魅惑的にくすぐり、誘惑してくるこれが何なのか。考えずとも、この身の宿す本能が嫌でも教えてくれる。

 

「いらないっていうのにな」

 

 無理やり持たされたもの。所在なく持っているのもクラクラするから、とにかくあそこに置いている。だけどいやらしいことに、わざわざ透明なカップに注がれているせいで、ついついチラチラと視界に赤が入ってくる。

 あれに触れた空気が、わざわざオレの鼻に集まって、脳まで赤く蕩かすようで……………。

 

「っ!」

 

 積まれた本で蓋をする。そのまま箱みたいにして、本で囲い込んで視界からも閉め出した。

 

「……………………」

 

 頭の中は、これからのことでいっぱいだ。

 一体自分はどうなるのか。話を聞く限り、最悪の場合はここで監禁生活だってあり得る。それは嫌だ。しかし、嫌だと言っても、いきなり外に放られたらそれはそれで何もできない。

 取り止めの無い思考が渦を巻く。

 

 ルカたちの会話の内容も気になる。きっとオレの処遇や今後について話し合っているんだろう。

 ただ、だからと言ってオレにできることはやはり何ひとつなかった。

 

 悶々とした時間をただ過ごしても無駄だ。とりあえずここには欠けている知識を埋めてくれそうな本で溢れているし、さっきルミィナから叩き込まれた情報の復習だってした方がいい。呼び出されるまでの時間の潰し方は、一応は見つかったようだった。

 

 

-------------------------------------------------------

 

「なるほど? つまり魔法なのか魔術なのかは、その魔力が何に由来するかで決まるってことか。宗教って面倒なもんだな」

 

 適当に手に取った、やたらに仰々しい装丁の本は、魔法とクリシエ教について簡単にその関係性を解説するものだった。

 

 まず、魔法とは望む事象を引き起こす奇跡のことだとされ、その奇跡には代償として魔力が必要になる。これが大前提とされており、この魔法の定義を『広義の魔法』と呼ぶらしい。で、そんな奇跡を起こすために必要となる魔力の種類によって、クリシエ教はさらに『魔法』と『魔術』の2種類へと分けているらしいのだ。

 

 クリシエ教では魔力を、『神々が人類に対し、魔物への対抗手段として魔法の使用を認め、そのために分け与えた力』なのだとしているらしい。

 この、『神に分け与えられた魔力によって奇跡を成すもの』を『魔法』とし(本では『狭義の魔法』とも記されている)、それ以外の"神に由来しない力"によって行われる奇跡を魔術としている。何だか魔術を外法だの邪法だのと忌み、禁忌とみなしているらしかった。

 

 つまり、こうなる。

 

 広義の魔法 = 狭義の魔法 + 魔術

 狭義の魔法 = 神に由来する、宗教的に“正しい”魔法

 魔術 = 狭義の魔法以外の全て

 

 要するに宗教上の都合、というヤツだ。神に選ばれた自分たち以外にも魔法を使う者がいることを説明するためのものだと思う。

 他にも魔法や魔術の定義の変遷やそのキッカケとなった事件や騒動、論争などについてもいろいろ記載されていたが、知らない人間の名前や用語、地名などが大量に出てきて頭が受け付けなかった。まあ、オレにはどうでもいい情報なので、後から学び直すつもりもない。

 

「本選びを間違えた。使えもしない魔法の話なんて見てもしょうがない……もっと吸血鬼についての本は……」

 

 何冊目かも分からない本を閉じ、適当な場所に積む。

 兎にも角にも自分のことを知る必要があるのだ。今は魔法だの社会だの国だのではない。

 求めているのは吸血鬼についての情報だった。

 

 ざっと見回すと、『魔物という瑕疵』という緑の重厚な本が目にとまった。

 自分のことを知るために魔物の本に期待することに、なんだかとてもウンザリとした抵抗を感じつつも、適当なページを開く。

 

「魔物図鑑って感じか……『血の群体』……『肉の霧魔』……『縋る嘆き』…………どれも物騒だけど、吸血鬼の項目はないな…………って、これシリーズものか」

 

 よく見ると、『魔物という瑕疵』に『参 ~堕ちた精霊編~』とある。精霊が何で、堕ちたとは何なのかはさっぱり分からないが、他のなんとか編に、それこそ真祖編なんてないか調べてみた方がいいかもしれない。

 

「真祖、か…………」

 

 ふと、ルカの顔が浮かんだ。

 冷静になってみると、さっきまでのオレでは思い至れなかったことにまで考えが及ぶ。

 

 ルカはオレに寄り添ってくれていた。それは不器用だったかもしれないけど、それでも彼女にとっての精一杯で不安を和らげようとしてくれていたと思う。

 オレは……情けないことに、それに縋りついていただけだった。

 

 だけど、ルカこそが最大の被害者でもあることは間違いないのだ。オレはあんな狼狽えているんじゃなくて、救ってくれた恩人にこそ支えとなると示すべきだったはずなのだ。

 

 だって生まれた瞬間から、彼女は孤独だったのだから。

 親もなく、いつの間にか誕生し、その瞬間から世界に疎まれていたなんて————

 

「————ん、……あ、レ?」

 

 そこまで考えて、()()に思考が、及ぶ。

 

「おや……って、親……家族……………………、ッ!」

 

 ようやく、本当にようやく気づく。

 

「親! オレは真祖じゃない! じゃあ、じゃあ絶対に親がいるッ! 家族が!!」

 

 そう、オレは人間だった!

 なら当然、オレという存在自体が、両親という存在を証明している!

 

「なんで気づかなかったんだ、バカ!」

 

 罵倒しながら、その実なんとなく理解していた。

 オレに親がいた。それはいい。

 

 なら、その親は()()にいるのか————

 

「…………………………………………死んで……るよ……ぜったい」

 

 当然、当たり前にこういうことになる。

 

 あの村で生きていたオレの親なら、当たり前に同じ村で生きていただろう。

 

 なら、あの村で死んでいたオレの親は、当たり前に同じ村で——()()、なっている。

 

 当たり前だ。あまりに、当たり前。

 取り返しはつかない、当然の帰結。

 もう、どうにもならない起きた事。

 

「……………………」

 

 心に罪が広がっていく。

 なんで考えなかったか、答えは出ていた。

 考えたくなかった。

 

 盗賊以外に生きてる人間のいなかったあの場所。

 

 知らない人たちの、かつてあたたかかったはずのカラダ。

 

 あの中に————()()……のだろうか……。

 

 死んででも忘れてはならなかった、大切な人。

 踏み躙られ、何に代えても助けたかったはずの命。

 

 ()()だった?

 あの、オレが踏んだ()()が、お母さん?

 それとも、()()()()いたのが、お父さん?

 

「っ、違う……! 違う違うちがうソレはチガウ! アレじゃない……チガウチガウチガウチガウチガウ…………ッッッ!!!!」

 

 頭の中、楽しげに列挙してくる思考を塗りつぶす。

 声で塗りつぶそうとしても、

 頭を両手で掴み、いっそ潰れてしまえと力を込めても、

 ソレでもその(思考)は止まらなかった。

 

 望んでもないのに、目覚めた瞬間を思い出す。

 右手を握っていたのは……だれ?

 

 ————本当に?

 

 アレは……だれ、だ?

 家族じゃない。

 だって、オレと変わらないくらいの死体だった。

 

 ——————ほんとうに?

 

 本当だ!

 アレは家族じゃない!

 男だったと思う、いや男だった!

 ならアレが父親だって?! あり得ない!

 親なんて年齢じゃないのだけは、絶対に間違いなかった!

 

 だから、アレは関係ない……家族じゃない……………………!!

 

 ————————ホんとうニ?

 

 頭の中、知らない自分が、のこった()()()を無理やり見せ(考えさせ)ようと破顔(わら)う。

 そして、決定的なことを——言った。

 

 家族ッテ、親ダケダッタッケ?

 

「————————————————エ……?」

 

 もう、聞こえない。

 さっきまでの声は消えている。

 

 けど、遅かった。もうきいた。聞こえてしまった。

 

「きょう……だい?」

 

 きょうだいって、なんだよ?

 

 目覚めた時点で手を握っていたなら、それはきっと死の間際でも握り続けていたからだ。

 

 ……なんで?

 

 だって、それじゃ逃げられない。

 手なんて握ってたら、腕を振れない。

 

 じゃあ、なんで握る?

 

「手を引いてた、んだ……」

 

 手を引いていた。

 引っ張っていた。

 すぐ近くまで死が迫っているのに、いや、殺されるときにすら離さなかった。

 

 それは、尋常じゃない絆だ。

 それこそ、家族のソレでもないと説明が————

 

「ぁ……」

 

 オレは、その手をどうしたっけ?

 起き上がるとき、手から引き剥がしたんだ。無意識に。邪魔だったから。

 

 煩わしいと。穢らわしいと。ゴミのように放って、その記憶すらゴミにした。

 

 オレ(オマエ)は、家族(きょうだい)をゴミにしたんだ————————

 

「ぁ、ぁあアああア違ァぁあうチガウ違うチガウふざけるなぁああああぁぁああああっッ!?!?!?!?」

 

 吹き飛んだ。

 重厚な本の群れが、砂利のように部屋にばら撒かれる。

 そこに刻まれた跡を見ても、オレはしばらく自分の()に気づかなかった。

 

 脳が、すりつぶされそうだった。

 

「ハぁ、はァ、……ぅ、ッッハァあぁぁ……ぁ、ぁ………………」

 

 紅に染まりそうな思考を、ただ一つの理性が押しとどめる。

 

「ぃ、行かないと……探さないと……あんなところに…………」

 

 置いていけない。

 あんな、死の場所に。

 あんな、命を冒涜する場所に。

 

「放置、なんて……ぜったいしちゃ、ダメだ」

 

 再会しよう。

 そして確かめよう。

 オレが愛した人たちを。

 オレを愛してくれた人を。

 

 扉に向かう。

 身体は熱にうかされたようなのに、使命感だけは背中を押す。

 

 そうして重くて軽い悪夢の中みたいな足取りで数歩歩くと、扉はひとりでに開いた。

 

 顔を上げる。

 視界が変わる。

 

 ————目の前には、赤い女が立っていた。

 

「来なさい」

 

 それだけ。部屋に入ることもなくひとことだけ告げて、館の主はもう歩いていた。ついてこないなんて考えもしない。オレの意見も求めてない。来いと言ったら来るに決まっているという風だ。

 

「……………………」

 

 実際に、オレには付いて行く他にない。

 少し冷えてきた頭で考えれば、そもそもあの村に行くのだって、場所も知らないのにできるはずもないことに思い至る。

 

 だから、あの場所に行くには知っている2人のどちらかに教えてもらわなければならず、結局こうして話す機会を得なければならなかったのだ。

 ちょうどいいと言えば、ちょうどいい。

 

 遠ざかる気配を急いで追う。置いて行かれてはぐれたら、その瞬間に迷うのが分かるからだ。

 

---------------------------------------------------

 

 長い廊下を歩く。細く、しかし天井の高い廊下は、進む方向の右手側が大きなガラス窓になっていて、落ち着いた雰囲気の庭が一望できる。優しい光に照らされ、そよぐ木々の葉が時の経過を緩やかにしている。

 

 しかしそんな外と、廊下の空気は対照的だ。

 

 ここまででもう十数分は歩いている。その間にも、この館に対しては疑問ばかりが増えていた。

 

 例えば、ここに来るまでに見たある庭の光景と、さっき通った回廊から見た中庭では、その季節感が全く異なっている。さっき窓からは雪に白く染まった平原が見えていたのに、今の中庭には雪の一欠片も見当たらなかった。

 

 明らかにおかしい。おかしいのだが、それを尋ねることのできる空気を、ルミィナは纏っていない。

 

 チリチリとした、嫌な空気だった。

 次の瞬間には、前を行くルミィナが振り向きざまにこの胸を刺し貫いてくるとかの物騒な妄想が止まらなくなるような、そんな空気。

 歩くたびに様々な自分の“死”が、頭に浮かんでは消えて、また浮かぶ。

 

 ————その感覚こそが“殺気”というものを向けられるということなのだとは、後から気づいたことだった。

 

 無言で後に続くことさらに数分。そろそろ道を覚えることを諦めていた頃、行く手を異質な扉が阻んでいた。

 高さはオレ2人分、幅は4人分と言ったところ。黒くあからさまに重厚なそれは、木の温もりを感じられるこの館には不似合いで、けれど萎縮するどころかその威容を誇るかのようにも思えた。

 

 無意識的に、ルミィナの前に出る。見た目から察せられる扉の重量から考えて、なんとなくルミィナでは開けられないと思ってのことだった。

 

「ぅぉ……」

 

 見た目に反して、黒い扉はオレの手を避けるように、押してもないのにひとりでに開いていく。重さを感じさせないほど滑らかな開門は、周囲の空気を音を立ててかき混ぜた。

 ひんやりとした空気が解き放たれる。道の先には、ここまでと打って変わって石の冷たさしか感じられない空間が待ち構えている。

 

 その拒絶的な空気に一瞬足がすくむ。ただ、ルミィナはやはり歩調を乱すことなくその空間に身を投じた。

 

「早く来なさい」

 

 振り向くことなく命じられるのがおもしろくない。けど、ここに置いていかれたら間違いなく戻れないし、オレを見下ろす黒い扉にすら急かされているようで、やはりおとなしく従うしかなかった。

 

 石畳の床は、不思議と足音を発しなかった。空気が動く。少しの間を置いて、背後で重い扉の閉まる音がした。それに退路が絶たれた、なんておかしな考えが浮かんだのを、オレは笑うべきなのかすら分からない。

 

「これ、は————?!」

 

 少し歩くとすぐに、地下神殿を思わせる大空間が広がっていた。こんなの、どう見てもあの館よりも広大な空間だった。

 

 等間隔に並ぶ白い柱。それがどこまでも、見通せないほど彼方まで続いている。

 天井の高さもわからない。不思議な薄明かりに照らされた柱は、途中で暗闇に完全にのまれてしまうからだ。いや、そもそも天井があるのかすら分からない。雲も星もない夜空が広がっていると言われても納得してしまうほど、とにかく果てがなかった。

 

「さて、話をしましょう。坊や」

 

 その声に、忘我から引き戻される。

 ルミィナとの間には、いつの間にか随分と距離ができていた。

 

 急いで駆け寄ろうとするオレを、なぜかルミィナは片手で制する。そこにいろということらしい。

 

 なぜか声ははっきり聞き取れるし、それはこっちの声も同じなんだろう。だから距離への違和感にさえ目を瞑るなら、会話に支障はないわけだ。

 

「話って、なんですか? わざわざこんな場所でないとできない話なんです?」

「ええ、ここなら坊やも遠慮なく騒げるでしょう?」

 

 額がくすぐったい。手で拭うと、自分が汗を流していることに気づいた。それも大量に。緊張するにしたって、少し行き過ぎている。

 

「坊やはルカちゃんのことをどう思っているの?」

「え、どうって……命の恩人、ですけど」

「そう。それだけ?」

 

 暑くはない。むしろ寒い気がする。

 いや、違う。これは怖気だ。

 

「それだけ、って…………」

 

 何が訊きたいのか分からず、たどたどしい応えを返す。なんて事のない質問。雑談と言えるような話題だ。身構えていたようなことは何も起きていない。

 

 けれど悪寒は絶えず、空気が弛緩することもまるでない。

 

「坊やは、ルカちゃんに何かを頼まれたらどうするの?」

「どうするって、まあできるだけ叶えたいとは思いますよ。命を救われた分は、少なくとも返さないとですし。……どう返せばいいかなんて、まだ分かりませんけど」

「そうね。やっぱり危険よね」

「————————ハイ?」

 

 ダメだ。話が噛み合わない。話す気がない。

 

 空気は鉛のように重く、こんなに広い空間にいるのに、こんなにも息苦しい。

 

 おかしい。これじゃあまるで、審判でも受けている咎人さながらだ。

 

「本来、真祖の眷属に自由意志なんてないのよ。真祖には無条件で服従し、その意思にのみ従うの。だから裏切りなんて起こり得ない。主人に逆らうという思考自体ができないものなの」

 

 冷たい汗が床に落ちる。この流れは、まずい。予感がある。けれど止められない。ルミィナはこれを目的にここにいる。このためにオレを呼び込んだ。

 

「けれど坊やは違う。坊やには人間性という()()がある。それは本来有り得なかったこと。

 坊やはルカちゃんに恩があるから、恩に報いる範囲で協力したい。そうね?

 ————けれどね、私が求めているのは服従なの。それも絶対のね。間違っても任意の協力などではないのよ、坊や」

「————————」

 

 動け、と本能が告げる。

 先手を譲るな。

 後手にまわるな。

 動かれたら逆転できないぞ、と。

 

 ソレらを黙らせる。全力で抑え込む。

 

「坊やにはルカちゃんを裏切る余地がある。それじゃ困るの。だから躾ける必要があるわけ。

 本当はルカちゃんに任せたいけれど、あの子は優しすぎるから。だから私に屈服して貰わないといけない。頭ではなく、身体と本能に刻まないと————」

 

 途端、薄暗い空間が強烈な陽の光に照らし出された。

 

 いや、違う。そう錯覚するほどの熱源が、ルミィナのはるか頭上に出現しただけだ。

 

「————主従関係をね」

 

 そう言い終わるのと、太陽が地に落ちたのとは同時だったと思う。

 とにかくそれは一瞬で————

 

「ッ!?!?」

 

 身体が灼熱に蹂躙されるのを、それこそ全身で感じた。

 

----------------------------------------------------------------------------------------------

 

 赤熱した流星が降り注ぐ。轟音はその圧だけでも人を轢殺できるだろう。

 流星はまさにふさわしい速度で対象を捉え、回避も逃避も許さない。ひとたび地に落ちれば、周囲の空間ごと破滅で塗り潰す。

 

 轟音は6度。その全てが、間断なく1人の少年に叩き込まれていた。

 

 その奇跡を操る魔女は、その光景を()()に見据え、呆れたように鼻を鳴らす。

 

「本当にふざけた不可侵性よね。これだけ撃ち込んで、一部の炭化で済むなんて。誇りなさい坊や。ルカちゃんに及ばずとも、その身は十分に他を圧倒できるわ」

 

 流星の落下地点、まだ姿の見えないアトラに投げかけられた賛辞は、彼女にしては本当に珍しく、皮肉も他意もない賞賛であった。

 

 もっとも、それを受け取れる余裕を彼は持たない。

 

 徐々に煙が晴れ、周囲の様子が視認できるようになる。

 彼の姿は、流星の落下地点にのこるクレーターより十数メートル離れた場所にあった。全身はルミィナの言に違わずボロボロで、所々に黒く炭化した箇所があるのもその通りであった。

 

 彼がそこに立っているのは、咄嗟にあの距離まで身を逃したからではない。単に直撃を受け、踏みとどまることができずに吹き飛ばされた結果だった。

 異常なのは、あれだけの破滅的魔弾を受けてもなお原型を留めているという事実と、今も炭化した自身の一部を手で()()()、しかしみるみるうちにその欠損を修復してゆく光景である。

 

 ほとんど生まれたままの姿と化した少年は、何かを堪えるように肩で息をしている。しゃがれた、そして弱々しい声が不気味に響いた。まだ喉や気管が焼けているが故のことだ。

 

「カッへ、ヒィ……ッく、きなり、っゲぉ、なに、を…………るゥカ、は、こ……知ってるん、げェぇっハ!!!!」

 

 最後に大きく嘔吐(えず)いてから、彼は一転して苦しげな呼吸をやめた。

 今の一瞬で完治したのだと、魔女は彼の回復能力について脳内に記録する。

 

「坊やに攻撃を加えることは知っているわよ? 眷属が危機に陥れば、親たる真祖にも何かしら分かるでしょうしね。ルカちゃんには、坊やの耐久試験をすると伝えてあるわ」

「……耐久、試験?」

「ええ。坊やがどの程度頑丈なのかは、なるべく早い段階で理解しておくべきものでしょう。どこまでなら支障なく活動できて、どこからは危険なのか。その理解をここで済ませてもらうわ」

「なら——」

「————もっとも」

 

 少年の希望に縋る手を振り解くように、魔女はキッパリと告げる。

 

「こんなことでは終わらない。本当に死ぬ寸前まで続けるから、それが嫌なら私を力で止めなさい」

 

 言い終わると同時に、空中に待機していた魔弾へ号令が飛ぶ。

 だが、魔弾に炙られるだけだった少年は、今度はそうではなかった。

 

「っ!」

 

 アトラの踏み抜いた床が、冗談じみた音を立ててひび割れる。直後、その場に魔弾が殺到していた。

 予備動作のほとんどない高速の跳躍は、彼の獲得した身体能力の為せる技である。

 

 だが、彼には実践経験が圧倒的に不足していた。

 次の手を考えずに反射的に行なった回避行動。反射だけでルミィナの高速の魔弾を躱せたのは確かに凄まじい功績ではあったが、移動のできない空中というのが不味かった。

 

「ぁ————」

 

 気づいた時には、躱した数の倍の魔弾が鎌首をもたげていた。

 

 轟音が轟く。全身を丸め、四肢と背中に魔弾を浴びながらも、アトラは驚異的な防御力と回復力を発揮していた。

 全身を灼熱と衝撃に曝されながらも、脳内では次の一手を考えている。

 

 落下し、地に足が付いた瞬間に、全力でルミィナへと跳躍する。それが彼の導き出した簡易な方途だった。

 仮にそれで失敗しても、今度は周囲の柱を蹴って追撃すればいい。こちらが限界に至る前に、愚直に迅速に繰り返せば、いずれはこの手も届き得る。

 

 ————しかし、魔女との戦いに()などなかった。

 

「ぐゥ……! いつ——までッ!」

 

 魔弾の雨に曝される中、アトラは徐々に気づき始めていた。もうとっくに、自身が落下していても良いころであると。

 しかし大地は未だ遠い。否、それどころか遠ざかっているようにすら思える。

 

 アトラが戸惑いを強める中、魔弾の爆雨がようやく停止する。

 

 そこでようやく、彼は自身が空中に浮かんでいることを知るのだった。

 

「驚いた? 風と結界を操れるとね、こういう拘束もできるのよ」

 

 すでにアトラの両の腕は、肘から先が消えていた。間断無き魔弾の爆雨から自身を守る盾として使われたが故のことだ。しかし、その雨も止んだ今、早くもその腕は再生を間に合わせ、何事もなかったように白い肌を纏っている。

 

 その腕を、アトラは懸命に振り回して足掻く。

 何も起こらない。

 空中に縫い留められた彼は、ピンで留められた虫も同然だった。

 

 重ねて、流石に破壊されては再生するを繰り返していた吸血鬼は、微かに渇きを自覚しつつもあった。もとより、アトラは吸血鬼となって以来、十分な吸血など行えていない。十全な状態とはとても言えなかった。

 

 そして渇きとともに、吸血鬼としての本能、凶暴な獣性ともいえる感情が湧き上がってくることを、彼は薄々感じていた。

 

 赤熱する思考。滲み出る残虐性。

 人間に、ただのエサであるべき存在に好きにされている屈辱。

 

 そんな人外の本性が、思考と視界を染め始める。

 

 同時にルミィナも、灼熱の魔弾の通りが先ほどまでと変わり、途端に悪くなったことに気づいていた。ようやくかと、内心で口角を釣り上げる。

 

 ルミィナはアトラを屈服させて明確な上下関係を構築することを目的にしている。そのためには、とっとと吸血鬼として全力を出させ、それをなお明確に上回る必要がある。

 

 本番はここからなのだ。

 

「そう、もう耐性を獲得したの」

 

 感情のない声は、魔女のもの。

 

 魔法とは、世界に我が儘を聞き届けさせる法則とも言える。

 今起こしたい事象が、今起き得ない事象であるほどに、世界は術者に資格(才能)代償(魔力)を要求する。

 

 アトラという少年を中空に縫い付けることは、彼女にとってそう大層な"我が儘"ではなかった。

 アトラが如何に吸血鬼という人を超えた存在であれ、その体重は少年そのものだ。この魔法に際して、現にルミィナは殆ど魔力を消費していなかった。

 

 ————()()()()()()()()()

 

 空中にアトラを保持していた魔法が霧散した。

 少年の身体が自由落下を開始する。すでにアトラの纏う空気は、人のそれを大きく逸脱していた。

 

 ————アトラを中空に縫い付けるために必要とされる代償(魔力)が、たった数秒で指数関数的に増大したのだ。

 それはつまり、アトラという吸血鬼への件の事象が、それだけ"現実的でない"事象へ変質したことを意味していた。現在のアトラを中空へ縫い付けるという行為は、城一つをそうするのと同位の代償(魔力)を要求される法外の"我が儘"と化している。

 

 紅い瞳はルミィナを捉えて離さない。逃がさない。許さない。

 

 ここからは対吸血鬼の戦いである。純粋に魔法で、人類の敵とされる個体を攻略しなければならない。

 

「フフ——」

 

 久しぶりの魔法戦に、つい笑みが溢れたとき————

 

 ————怪物が地に着地し、同時にその姿がかき消えた。

 

 視認困難な高速移動。纏った障壁魔法の一部が激しく損傷したことで、ルミィナはかろうじて起きたことを逆算できる。

 即座に障壁を張り直すのと、敵の攻撃は同時だった。

 

「がああああああアアあぁアァあああ!!!!!!」

 

 苛立たしげに、黒い刃じみた爪が叩きつけられる。不可視の障壁越しに、その獰猛な瞳がルミィナと交錯した。

 

 光が差し込む。岩すら溶解させる熱線が、アトラの表層を焼きただれさせる。

 耳に残る叫びをあげて、怪物は一瞬で距離を離した。

 

 少年だったものが、地に落ちる。

 

 興奮した獣の呼吸音が一転し、音のひとつもなく、静まり返った。地に落ちた彼は、頭を掻き抱いた状態で静止している。

 

 何か激しい葛藤を口内に留めていたらしかった。

 ————が、それもすぐに止まった。

 

 残響だけがあった。

 ——————が、それも今や止んだ。

 

 少年の脳内で渦巻いていた理性の制止。

 ————————あゝ、それももう死んでしまった。

 

 一見して危険度の下がったその様子に反し、ルミィナは肌の泡立つ感覚を覚える。

 

「モウ——イイ」

 

 少年の顔が、ゆっくりと上がる。

 緩慢な動作は、死へのカウントダウンそのものだ。

 

「お前ハ、イラナイ」

 

 その死が(おもて)を上げる。

 その瞳は、これまでで最も禍々しい紅い光を放っていた。

 

「————そう、その眼が坊やの能力というわけ」

 

 向けられて初めて、ルミィナはこの眷属の力を理解した。

 

 なるほどこれは————破格である。

 対象の体内の血を自在に繰る魔眼など、魔女を以てしても不知のものだ。

 それが自身には効果を発揮しないという、魔法理論上の安全が保障されているのを理解していて尚、彼女は自身の中に恐怖を自覚せざるを得なかった。

 

 一方で、彼は困惑の渦中にいた。

 盗賊たちを即座に死滅せしめた死の視線。

 それを向けられているというのに、しかしルミィナは平然と吸血鬼を見下ろしている。既に能力は発揮されているはずにも関わらず、彼女の"赤い糸"は視認できない。

 それどころか、何か黒いモヤに包まれて見え、その身体の輪郭すら視認できない。これでは寧ろ肉眼の方がよほど良いではないか。

 

 その困惑は彼を硬直させ————

 

「ジギィ————ィぁ?!?!!!!!」

 

 ————そして、その硬直は致命的だった。

 

 周囲一帯を覆い尽くす、極大の火柱が屹立する。

 

 天まで届かんという勢いで発生したその天災は際限なく広がり続け、その全てを飲み込み、

 

「————————、——————ぉ、————トウ、——サ————………………」

 

 彼が自身の失態を悔いる間も与えることなく、遂に怪物を沈黙せしめた。

 

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