“穢れ”し少年の吸血記 〜聖騎士の息子は、真祖の少女に救われた〜   作:ダート

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変容の兆し

 

 

 また、夢だった。

 あの村だ。あの村の、ここは……オレが倒れていた場所。

 

 ドムッ、と……自分の身体が鳴らした音を聞いた。

 

 背中を固くて、感じたことのないほど冷たいものが乱暴に擦ったのかと思った。

 

 けど……直後の焼かれるような感覚と、そんな感覚すら切り裂いて脊髄を割る激痛に、いやでも何をされたのか理解する。

 

 背中の灼熱の感覚とは対照的に、全身は血の気の引いた、凍えるような寒さで震えて————

 

 いや——痙攣している、のか。

 

「があ、ギぁっあああぁあぁあ‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

 叫びをあげる間にも、異物が容赦なく入り込み、体の中身を押し分ける。痛くて、熱くて、怖くて……全身からの苦痛を口から吐いたような声が止まらなかった。

 

 自分のものとは思えない、人間というケモノの断末魔。

 

「ひっでェもんだなァおい」

「ぁ、ぁアト……ら……」

 

 真っ青な顔でガチガチと歯を鳴らすのは、◼️◼️◼️だ。

 背後の男は、そんな◼️◼️◼️を人質にしていた。だから、動けなかった。

 

「ひどすぎるよなァ」

「ぁ、……ぁぁ……ぁぐっ⁈」

「てめぇのことだァ、ガキ」

 

 やめろと、頭の中の自分が叫ぶ。

 もう起きたこと。覆せない過ぎ去った過去。

 

 それでも、いや、だからこそ。

 男が何をしようとしているか、分かってしまう。

 

「俺はなあ、ガキ。仲間を見捨てるヤツがいッちばん気に入らねえんだよ」

「…………ぇ?」

 

 この男に、◼️◼️◼️を助けるつもりなんてなかったんだ。

 

「ふッ……ざげるなあ゛ッッ‼︎ やぐぞぐ——ゲッハ! だずげる゛っでえ゛、ごふッ、ぃ゛っだぁあ゛あ゛あ゛あ゛ッッ‼︎‼︎」

 

 初めから殺す気だった。何か理由をつけて済ませる気だった。

 

「仲間が命ィはってるのを何とも思わねぇのか⁈ このクソがァア‼︎‼︎」

「あ゛————ぇ…………?」

 

 振り下ろされた。

 何の躊躇もなく。

 声とは裏腹に、なんの怒りもない顔で。

 喜色すら浮かんだ顔で。

 

「カフッ! ぃ……た……」

 

 眼前に倒れ伏した◼️◼️◼️の赤い赤い大切な暖かな生命が漏れ出す溢れ出す零れ落ちていく。

 強く、強く手を握った。こうしていれば2人天に昇っても、きっと一緒にいられると思った。そう願って、助かりたいよりずっと強く祈った。

 

 だけどそうして冷たくなっていき、たったぼくだけ残された。こんな怖い場所に置いて行かれて、恐ろしい顔に囲まれて。

 

「や……て……」

 

 割れる音を()から聞いた。

 死んだって守るのに、もうそんな英雄ごっこをさせてくれる◼️◼️◼️すらいなくなった。

 

「…………けて……」

 

 勇気も怒りも上手に剥ぎ取られて毟り取られて踏みつぶされて、剥き出しの"子ども"のぼくが引き摺り出される。

 

 こわい怖いいたいことやめてごめんなさいもうしません良い子にいい子に死にますから————

 

 だから、子どものぼくは叫ぶしかなかった。

 

「たずげでえ゛! お父さ゛あ゛ぁあ゛————!!」

 

 硬い頭蓋の割れる音。

 それが最後の音だった。

 心はとっくに屈してて、やっともらえた良い子のご褒美(終わり)を前にして、キャッキャッキャッとはしゃいでた————————

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「っ、…………ハ、く……?!」

 

 悪寒で目が覚めた。

 汗の不快感。じっとりとして、ベタついた嫌な汗。

 もう恐怖はない。ただただ不安だけが残留している。

 

「アトラ?」

「ッ!? ––––––––ガっ、ぶェ!!」

 

 すぐ側から聞こえた声に、不意をつかれた。弾かれたように飛び上がって、信じられないことに天井にぶつかって床に墜落した。

 

「え?! ア、アトラ?!」

「あ、ぐ……? ルカ?」

 

 本当に信じられない。何だってオレは床に突っ伏して、こうしてルカに見下ろされているのか。

 ルカはあまりに当然の反応(驚愕を表情に浮かべたまま駆け寄ってくる)を示して、潰れた虫みたいになっているオレを気遣わしげに抱き起こす。

 あわあわとするその様子を見ただけで、不思議と不安は薄れてくれた。

 どんな夢を見ていたのかも、もう上手く思い出せない。

 

「だいじょうぶ?! 今ルミィナを呼ぶから」

 

 その言葉で、もう嫌というほど頭がハッキリした。

 寝起きの気だるさなんか、一瞬で吹っ飛んだ。

 

「いや! 大丈夫だから、ルカ。本当にごめん、ちょっと上手くいかなかったんだ、はは」

 

 何がどう上手くいかなかったんだか、自分でもよく分からない物言いだったが、ルカは少し落ち着いてくれた。取り敢えずは意思疎通ができることに安心した様子。当たり前だ。いきなり飛び跳ねて勝手に墜落しているようなヤツ、頭がおかしすぎるとしか思えない。言葉を解するかどうかから心配にもなるだろう。

 

「もう! 何で急に暴れたの? びっくりしたんだよ!」

「ごめん、その……夢見がさ、悪くて」

「夢……?」

「うん。まあどんな夢だったかは覚えていないけど、何だかすごく変な夢だった」

 

 要領を得ないオレの言葉に、ルカはしきりに頭を悩ませる。

 

「いや、ほら……そういうことってあるだろ? 半分寝ぼけてるってときもさ」

 

 そんな記憶はない。ないが、何となく実感として理解できるのは、人間の頃の経験が関係しているんだろうか?

 そう思うと、こうして人間としての本来のオレが今のオレにも影響を残してくれているようで安心する。

 

「ふ~ん、そうなんだ。眠るって大変だね。私は眠るってしたことがないから、とても不思議」

「へ~、ルカは寝たことないのか。じゃあ夢とか言われても目覚めがどうこう言われてもわからな…………ちょっと待った」

 

 ルカはしれっとした顔で、何か突拍子もないことを言った。

 

「眠らない? 眠らないって……何で?」

「? 眠るって、したことないってことだけど……変かな?」

「……いや、変って、いうか……………」

 

 何か当然の前提が噛み合わない。

 噛み合わないけど、こうも当たり前の部分が噛み合わないと、何をどう言えば良いのか咄嗟に浮かばない。何から確認すれば良いやら、さっぱりわからない。

 

 オレの様子に首を傾げるルカと、思考停止しているオレ。互いに見つめ合う謎の時間。

 

「あー、まあ、うん。あっ、そういえばオレ、どのくらいこうしてたんだ?」

 

 なんだか上手く頭が働かないから、いったん疑問を保留する。棚上げともいう。

 ルカは一瞬だけ思い出すように虚空へ視線を投げてから––––––––

 

「2日!」

 

 なんて、とても元気よく答えてくれた。

 ピンと伸びた細い指が、"2日"が聴き間違えでないことを示している。

 

「2日ぁ?! そんなに寝てたのかオレ!?」

 

 唖然とするほかない。だって2日だ。オレはてっきり、数十分とか数時間とか、そんな返答を想定していたんだ。

 それが2日?! そりゃ頭だって怠けもする。

 

「っ! ––––––––ああ、はぁ、よかった」

 

 咄嗟に嫌な予感がして確認したが、寝ている間に()()をするなんてことはなかったらしい。いや、我ながら2日ぶりの覚醒でまず頭をよぎるのがコレとは虚しくなる。

 

 身体は少し重い。当然だろう。不思議と今は空腹を感じていないものの、本当ならもっと不調を感じても良いくらいだ。

 ひとまず自分におかしなところがないのを確認できたので、ようやく周囲に意識を割ける。

 

「自室、だよな」

 

 部屋は相変わらず本に溢れている。オレが部屋を出たときと変わらない。この部屋だけ見ても、時間の経過には気付けなかっただろう。

 ふと、鼻腔を赤い香りがくすぐった。

 

 無意識に、視線が動く。

 部屋に唯一の机の上。そこには、不自然に箱のような形で本が積まれている。まるで何かを本で閉じ込めているみたいだ。

 その箱の中から、無視できない芳醇な香りが漏れ出ている。

 

「アトラ?」

 

 ルカの声にも、興味が湧かない。いや、正確には全ての意識がその箱の中身に注がれている。

 無造作に、けれど慎重に本を退かすと、どこか見覚えのあるティーカップが現れた。透明なそれには、全く時間の経過を感じさせない赤い液体が、一切手付かずのままに放置されていた。

 

 一瞬で嚥下する。啜り上げる。飲もうとか吸おうとか味わおうとか、そんな考えは浮かばなかった。呼吸に意識を割かないのと同じ次元で、意識がハッキリしたときには空っぽのティーカップが、澄んだ音でソーサーを奏でていた。

 

「ああ! アトラ、飲めたの?! 克服したんだ!」

 

 わー!、と何かを祝福するルカの声。

 よく分からない。克服も何も、吸血鬼が血を好むなんて当然のことだ。

 

「–––––––––––––––––」

 

 何か、違和感があった。

 けれど、何がおかしいのか分からない。思い出せない。

 

「ま、思い出せないってことは大したことじゃないか」

 

 喜ぶルカを見ていると、なんだかこっちまで嬉しくなる。そんな感情の前に、違和感なんてものは消え去っていた。

 

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 リビングの窓から、ぼんやりと外を眺める。

 外は大雨。風によって加速した雨粒が、ガラスにあたっては流れ落ちていく。なんだか心地いい音だった。

 外よりも中の方が明るいからだろう。窓は室内を写していて、窓の反射越しにルカが紅茶を注ぐのが見える。白磁に金彩の美しいカップからは、早速いい香りが立ち込めていた。

 

「アトラ、紅茶淹れたよ~」

「ああ。ありがとう」

 

 ルカと向かい合うように腰を落ち着け、2人無言でカップを傾ける。なんだかそれだけのことで、やたらに落ち着く。2日の間に心に変化でもあったのか、不思議とルカに対する親近感というか、身内という実感みたいなものが芽吹き、完全に根付いているのを感じた。

 

 ––––––––また、違和感。オレはルカに対してここまで油断し切っていただろうか?

 

「————————」

「ん、アトラ? ……あ、美味しくなかった、かな?」

「いや、別にそんなんじゃない。っていうか、紅茶の美味しいとか不味いとかはまだピンとこないや」

「あはは、アトラもなんだ!」

 

 「私もー!」とにこやかに返答するルカを見ていると、なんとなく目の前の彼女を守らなければならないことを()()()()感覚がある。それは少しうっすらとした輪郭でありながら、決して無視できない存在感を持ってもいた。

 何かが塗り替えられているのがわかる。ただ、それが何なのかが分からない。いや、興味が湧かない。ルカの笑顔を見ていると、どういうわけか疑問や違和感が薄らいでいく。それが心地よくて、何事かを一生懸命に話してくれるルカの姿を、頻りに視界に収めようと努めている自分がいた。

 

「なんだかアトラ、緊張が解けたね」

「確かに。不思議と不安が消えてるな」

「柔らかい感じ。以前のアトラみたい」

「以前の?」

 

 何か、心が騒めく。しかし、やはりそれも一瞬のこと。

 

「うん。あ! 以前のアトラの話、聞きたいよね? えっとね~」

 

 自然と口が動いた。

 

「いや、もう以前の自分だとか、人間だっただとかさ。そういうのは良いんだ」

「え————アトラ?」

「今はもう吸血鬼なんだしさ。過去のことより、これからのことを知りたい。必要だろ?」

「————————あ、うん。…………ほんと?」

 

 なぜかルカは困惑した様子で、恐る恐ると訊いてくる。一体オレの何がそんな表情をさせているのか、とても苦しい。

 

「もっと、ほんとは人間でありたかったんだって、見えてたから。

 …………人間に戻りたくて、今の自分がまだ受け入れ切れてなくて、でも私に助けられて…………だから、恩を返さないといけないから頑張らなきゃって見えてたの。

 …………だから私は、恩返しが終わっちゃったらアトラが壊れちゃいそうって思って、はやくそれ以外のことを見つけてあげなきゃって、思ってた、から」

 

 たどたどしく、腫れ物にでも触れるような独白。

 

「そうだったのか?

 ……ありがとう、別に大丈夫だよ。今の自分に抵抗はないし、吸血鬼になる以前のことなんて覚えてもいないんだしさ。そんなことに拘ってない」

 

 ツラツラと口が動く。まるで自分が自分じゃないようで、けれど抵抗しようとも思えなかった。

 だってこれは()()が思っていることだ。思っていることを言っているだけなんだから、抵抗も何もないはずだ。

 けれど––––––––

 

「まあ、家族くらいはいたかも知れないけど、そんなのは————————————」

 

 ————どうだって良い。

 

 そう口にしようとして、オレの中の何かがそれを堰き止める。

 それだけは、言わせない。決してそれだけは、何があっても許さないと。

 猛烈な反感。拒絶と嫌悪は自身に向けられている。信じられない禁忌を犯すことになる予感。それらが、オレにその続きを言わせない。

 

「カ––––––––ぅ……」

 

 言葉が続かない。それは彼女を不安にさせる。不快にさせる。続けないといけない。

 けれど、それと鬩ぎ合う何かを無視できない。ここでこれを無視すれば、捨ててしまえば、何か決定的な終わりになる予感がある。

 呑まれてはならない。けど、それは何に? 何から何を守れば良いんだ? オレを、()()から守るなんて、意味が分から––––––––

 

「アトラ!」

「っ!」

 

 肩が跳ねる。いつの間にか眼前にはルカの不安な顔があった。なんて顔するんだ。そんな顔だけはさせてはいけないっていうのに。

 

 何か考えろ。繋げろ。話せ。

 彼女はそれを望ンデイル。

 

「あ! そうだルカに聞きたいことがあったんだった!」

「アトラ————————」

「ちょっと教えてもらってもいいかな」

 

 苦しい。その表情が苦しい。

 

 ルカは数秒間、ただオレの目を覗き込んでいた。

 長い睫毛の奥から見据えてくる、漆黒の瞳。微かに振れるそこから、感情は読み取れない。

 ただ、何をキッカケにしてか、ルカの顔が離れる。

 

「……………………」

 

 何故か、オレは緊張していたらしい。

 ルカは音もなく座り直すと、少し不機嫌そうに目を細めるのだった。その仕草はどことなく赤い魔女を彷彿とさせるのが、少し可笑しかった。

 

「なに」

「——え?」

「だから、アトラが聴きたいこと! なに」

「あ、…………あ~……」

 

 まずい。ちゃんと考えていなかった。

 まさか正直に"浮かばない"なんてバカなことを言うわけにはいかない。

 

「え~……っとぉ、アレ、だ」

「アレ、じゃ分かんないよ?」

「あ~……アっ! そう、ルカ! ルカはいつオレを助けてくれたんだよ!」

 

 電撃的に浮かんだ疑問を、どうだとばかりに口にする。

 だがルカは眉根に力を入れ、如何にも困惑顔をしていた。

 

「ルカがオレを助けたのって、てっきり盗賊たちを殺したあの時だと思ってたんだよ」

 

 血の池と、そこから盗賊たちを串刺した紅い槍。

 今なら断言できる。あれはルカだ。オレじゃない。

 

 だから、てっきりルカがオレを助けたのはあの瞬間だと、よく考えずに感覚的に理解していた。

 だって、オレがあの村で目覚めたとき、目の前にルカはいなかったんだから。

 

「けどその前に、ルカはオレを眷属にして助けてくれていたんだろ? けど、あのときルカはいなかったじゃないか」

 

 そう。目覚めたあのとき。その時点でオレは人間じゃなかったはずだ。

 だったら、ルカは何をしていたんだろう、なんて疑問が浮かぶのは当然だと思う。

 

「————————」

 

 けど、ルカはすぐに答えなかった。

 何かを突きつけられたような、そんな表情。罪を詳らかにされたような、詰問を受けているような、そんな間だった。

 

 しかしそれも一瞬。浮かんでいた何かの感情は、次の瞬間にはその瞳の奥に沈んでしまっていた。

 

「あ、アトラは『聖印』って知ってる?」

 

 逃げた、そんなことはオレにだって分かる。

 けれど、それが何から逃げたのかまでは分からない。

 

 ルカはまだ、オレに言えない何かを抱えているらしかった。

 それが少しだけ悲しくて、ほんの僅かに怒りに類する感情の芽を感じる。

 

「いや、————」

「アトラを刺した槍に刻まれてた光る紋様のこと」

「————————」

 

 頭をもたげた追求の気持ちは、その一言で霧散した。

 

「オレを刺した……って、あの槍、だよな……銀色の」

「うん」

 

 居住まいを正す。

 これほどに直接的な脅威はない。

 今のオレは、魔法以上にあの槍の方がずっと怖かった。

 

「それで、その『聖印』っていうのはなんなんだ、ルカ」

「えと、そんなに詳しい訳じゃないけど——」

 

 ルカは自分から話を出しておきながら、よく分からない前置きをして語り出す。

 

「『聖印』っていうのはね? んー……武器とか道具とかに特別な力を持たせるため……の……紋様? なんだって。

 似たことができるのはあるけど、『聖印』は特別だってルミィナは言ってたから、うん……すごいみたい」

 

 ルカは懸命に『聖印』について思い出そうと努めているらしい。

 その様子を見るに、あまり他人に説明し慣れている感じではないようだった。

 

 正直言ってルミィナの方が説明は上手いだろう。

 けど、ルカにはルミィナにはないオレに対する気遣いみたいなものがあって、それだけでたどたどしさなんて何の不満にもならなかった。

 どう言えばオレに分かりやすいだろうとか、これじゃ難しいかなとか、そういう考えが伝わってくる。

 

「ただ……この『聖印』は私たち"穢れ"を浄化する力があるんだって」

 

 "浄化"という言葉を口にするとき、ルカの声から少し張りが消える。

 心なしか、微かに表情も翳って見えた。

 

 当然だ。自分を害する力を"浄化"なんて説明しなくてはならないなんて、その度に突きつけられるものがある。

 

 だから——

 

「なるほど。『聖印』が特別なのは、オレたちが()()力を持たせるからなんだな。

 他にも力を与える方法はあるけど、オレたちが特に()()()力も持たせるから厄介だって、そういうことで合ってるか?」

「…………」

 

 だからオレは、そんな言葉は使わなかった。

 オレの妙な言い方に、ルカは一瞬キョトンとする。

 

 それでも、遅れて意図が分かってくれたらしい。

 

「うん! そうなの! アトラは合ってる、すっごく合ってる‼︎」

 

 その笑みで胸が満たされるのが分かった。

 さっきまであった、得体の知れない焦燥感や不安感が消える。

 ルカにはそうあって欲しかった。

 

「それでね、この『聖印』が刻まれたのが『聖具』って言うんだって! 剣なら聖剣、槍なら聖槍っていうみたい」

 

 明るくなった表情を眺めながら、ふと聞き覚えのある言葉だと思った。

 あの男の言葉だ。オレを刺した盗賊の男。確かに"聖具"だとか"聖槍"だとかと言っていた。つまり、この『聖印』という特別な技術は、この国ではかなり一般的に知られているということなのかも知れない。

 それはつまり、オレを刺し貫いたあの槍みたいなものが、この国には溢れているという最悪の事態があり得るということだった。

 

「そんなものがあんな小さな村にすらあったなら、結構みんな持ってるってことだよな。…………なんか、改めてキツいんだなって……はは」

 

 そんな弱音が漏れる。今更言っても仕方ないこととは知っているし、こんな言い方をしたらルカが励まさざると得ないことだって分かっているのに。

 励ましてほしい。優しい言葉をかけてもらいたい。慰めてほしい。

 なんて無様だろう。

 

 そんな惨めな弱音に対して、ルカは少し慌てたように何かを言おうとして——

 

「それはないわね。同時に存在できる『聖印』の数には限りがあるもの」

 

 ——それを、魔女の言葉が取り上げた。

 

「ルミィナ……さん」

 

 いつからそこにいたのか、ルミィナは相変わらず冷めた目でオレを見ていた。

 ルミィナのいる扉の前からはやや距離がある。

 なのに、ルミィナが今のオレの浅ましさを見下していることだけは、何故かはっきりと伝わってくる。

 

「ルミィナ! あ、ちょっと待ってて。今ルミィナの分も用意するから!」

「大丈夫よルカちゃん。さっき部屋で飲んでいたの。ありがとう」

 

 コツコツとした足音が近づいて来る。

 

                      コツコツ

 

                   後ろを通り。

 

           コツコツ

 

           真横を通り。

 

 ポス

 

 対面に、座った。

 

「————————」

 

 身体が緊張しているのが、嫌でも分かった。

 ルミィナはオレに主従関係を刻むと言った。

 そしてそれは、ほぼ完璧に成功したらしい。

 

 刻まれた恐怖は、目を合わせることすら難しくさせるほどだった。

 

「あら、いいのよ坊や。さっきみたいに『怖いよ~』って続けても。

 私が慰めてあげましょうか?

 ルカちゃんに()()()()()なんて、素敵すぎる身分だとは思わない?」

 

 ルミィナには完全に見抜かれていた。

 言葉一つひとつが、オレの醜さをほじくり出して晒しあげてくる。

 

「やめて、ルミィナ。アトラにひどいよ……私、本当に怖かったんだよ……?」

「————そうね、少しやり過ぎたわ。もう、ルカちゃんもそんな顔しないでちょうだい」

「もうしないって、約束したよ?」

「ええ、ええ、約束したわ。ちゃんと守るから、ほら元気を出して」

 

 それは、オレにはよく分からないやり取りだった。

 ルカは見たことのない、今にも泣きそうな顔でルミィナを責めている。

 泣きそうなのも、責めているのも、それは初めて見るものだった。

 

「アトラにも、……ちゃんと謝って」

「ええ。——ごめんなさい、坊や。この前は少し興が乗り過ぎたみたい」

「ぅえっ、あ、はい」

 

 急にこっちに振られたから、よく分かりもせずに返答を返してしまった。

 だが、オレのその一言で事態は収束に向かってくれたらしい。ルカはまだ表情が暗いものの、さっきみたいな、こっちの胸が締め付けられる表情ではなくなってくれた。

 それだけでいい。それだけで、どうにか安心する。

 

「……………………」

 

 そんなオレを見るルミィナの目は、どこか観察めいていた。

 

「さ、それじゃあ前回の"試験"の結果だけれど——」

 

 空気を変える、凛とした声。

 

「しけん……?」

「ええ、試験。耐久試験、したでしょう?」

「っ、そう……でした」

 

 ようやく言わんとしていることが分かる。ルミィナはあの戦いについての話題を口にしようとしているらしい。

 あれは"試験"なんてもんじゃない。"躾け"や"調教"に類する何かだ。

 

「まず、坊やの耐久力について。これは合格。私が保証するわ。坊やを魔法によって害せる人間は、世界でも一握りでしょう。」

「本当⁈ やったねアトラ! ルミィナが言うなら本当だよ‼︎」

 

 「アトラは強いんだよ」なんて、自分ごとみたいに喜ぶルカ。

 悪いけど、オレは全然実感がない。

 

「別に強くはない……だろ」

 

 だって、オレの戦績は全戦全敗だ。

 盗賊には刺され、ルカには力負けし、ルミィナには手も足も出なかった。

 

「それに、魔法なんて使われたら……それこそ頭の中をボンッてされたらお終いだろ。

 強くなんて……ないよ。弱い、オレは」

 

 そう、それが怖い。

 刺されて灰になるのだってもちろん怖い。

 けど、いきなり脳をあの魔弾みたいなので爆散されたら、一体どんな感覚に襲われるのか。

 それだって、たまらなく怖かった。魔法なんて得体の知れない何でもありな脅威に、オレはどうやって立ち回ればいいのか分からない。

 

「それは考えなくていいことよ」

 

 ため息混じりに、魔女は断言する。

 

「それは考えてもどうしようもないってことですか? けどそれじゃあ、オレは魔法使いに会ったらどうしようも————」

「そうね、『内界』についても覚えていないのは知ってるわ。ああ、本当に面倒だこと」

「ないかい、ですか?」

 

 知らない。一切何も浮かばない。

 

「そう。完全に自身の魔力が支配している、他者の魔力が干渉できない空間のこと。今は体内空間と思いなさい。他者の魔力が干渉できない以上、そこで魔法を発現させることはできないの。

 これはあらゆる生物が持つもの。私はもちろん、ルカちゃんにも坊やにも、この『内界』の保護は存在するわ。

 だから、いきなり坊やの内臓を内側から焼く、なんて楽しいことはできないワケ」

 

 「できるならやっていた」と付け加えて、ルミィナの手が虚空を彷徨う。

 

「持ってくるね」

「ごめんなさい、やっぱりお願いできる?」

「うん!」

 

 どうやら紅茶を飲もうとしていたらしい。らしいのだが、ここにルミィナの分はなかったので、その手が空を切った訳だ。

 ルカは軽い足取りで離席し、退室しようとする。

 

「ルカちゃん。はしたないから、そう忙しなく跳ねないの」

「は~い」

 

 ゆったりと扉に手をかけ、優雅にお辞儀してから退室する。

 閉まった扉の向こうから、トトトトという足音が走り去る。聞いちゃいない。

 

「ふふ、まったく」

 

 指示を無視されたはずのルミィナは、柔らかな表情で足音を見送るのだった。

 

「……………………」

「……………………」

 

 さて、空気が重い。

 思えばオレとルミィナを繋いでいたのがルカだった。

 ルカ抜きで対面するなんて、それこそあの"躾け"のときだけ。

 リラックスしろというのが、どだい無理な話だ。

 

「それで、坊やは『内界』について理解はできた?」

「っ、あー、はい。たぶん……大丈夫です」

「そう? 本当にそうかしら」

「————————」

 

 ……………………まずい。

 

 冷や汗が滲みでる。

 オレは何かを求められているのに、それが何なのか浮かばない。

 それが、まずい。

 

「いや、ちょっと……」

 

 何だ? オレが言いそうなことがあるはずだ。

 何を予定されている?

 

 きっと『内界』に関することだろう。

 オレが『内界』について理解できているなら、きっと疑問とするべきことがある。

 

 何だ? それは一体、何なんだ?

 

 『内界』とは何か。それは、とにかく何か不可侵な領域ということだったと思う。

 体内空間とでも思えばいいらしいから、ひとまずその前提で理解していいはずだ。

 この『内界』のおかげで、オレは体内に直接攻撃されるようなことはないという。

 そしてそれは、他のあらゆる生物にも共通のことで、つまり互いに体内に干渉できな————

 

「あ」

 

 オレの、あの視界は?

 

 そうだ、あの紅に染まる視界はどうなるんだ?

 オレはアレで、ナニをして来た?

 

 紅いのモヤのかかる記憶。そこに手を突っ込んで、薄く、断片的な記憶をかき集める。

 

 紅い視界。

 

  赤い、人形。

 

    赤い……糸。

 

 そう、赤い糸だ。

 アレを弄ると、人は死んだ。

 アレは、ナンダ?

 

「思い至った?」

「——はい」

 

 一瞬、なんであの視界のことを知っているのかという疑問が湧く。

 ただそれも、他人事として見ていた記憶が教えてくれた。

 そう、信じられないことにオレは、あの視界で目の前の魔女を眺めていたのだ。

 

 ————なんで今まで、こんなことが思い出せなかったのダロう?

 

「坊やの魔眼について、使われて分かったことを教えておくわね」

 

 心なしか、『使われた』の部分で怖気が走った気がする。

 

「坊やの魔眼は、対象の体内の血液を自在に掌握するものよ。だから、坊やが掌握した血をめちゃくちゃにすれば、血液の通う臓器は内側から破裂するでしょうね」

「…………なんですか、それ」

 

 それはまさに、オレが恐れた魔法使いそのものだ。

 『内界』の説明と真正面から衝突している。

 

「それができないって話が『内界』でしたよね?」

「そうね。そしてそれを突破できる者を『内界突破者』と呼ぶわね。

 矛盾しているけれど、坊やはまるで魔力を自覚しない『未覚醒者』なのに、その瞳だけは世界有数の『内界突破者』の資格を持つのよ。こんな例は見たことがないわね。ええ、その眼を持つという一点のみでも、坊やには価値があるわ」

 

 何が嬉しいのか、ルミィナの表情は自然な笑みを湛えている。そんな表情を向けられるのは、思えば初めてのことだった。

 

「……あっ、でもルミィナさんには通用しませんでしたよね? いや、あまりハッキリとは覚えてませんけど、なんかとても困惑したのは覚えてます」

 

 その時の視界は……思い出せない。他人の夢を思い出そうとでもしているような曖昧さだ。

 

「そう。覚えていないのなら、今見てみなさい」

「え」

「通用しなかったのは覚えているのでしょう? なら躊躇する必要はないわ」

「それ、は……そうですけど」

 

 あの視界に、知っている人を入れたくない。

 あれは、良くないものだ。そこに入れるというのは、その相手を殺すという意思表示みたいなものだと思う。

 

 例えば刃物で切れない皮膚を持っているとしたって、オレは冗談でもルカに剣を向けるなんてことはできない。あの顔に切り掛かるなんてこと、出来っこない。その行為そのものが、一種の敵意の表明だからだ。

 

 それに何より————

 

「あと、どうやってアレを使えばいいのか分かりません」

 

 ————やろうとしても、やりようがない。

 

 感覚自体は、何となく分かる気がする。

 例えるなら、任意に利き目を切り替えるような、そんな感覚。

 

 こんなのどうしようもない。

 

「そう————今後の課題ね」

 

 意外にもすんなりと頷いてくれることに驚いた。

 もっとこう、「分かりませんじゃないでしょう。やりなさい」くらいのことは言われると思っていた。

 

 そうホッとしたのも束の間。

 

「あれを多用したら坊やの人間性が消滅するかも知れないから、そのうち魔眼の制御は完璧にしないとならないわね」

 

 ルミィナは、何だかとんでもないことを口にした。

 

「人間性が消えるって…………何ですか?」

「坊やは自覚がないでしょうけど、ならそうね……今目の前に人がいて、坊やは喉が渇いている。

 さ、坊やはどうするの?」

 

 質問の意図が分からない。

 分からないから、ごく自然な回答をした。

 

「渇きを癒しますね。普通に」

 

 至極当然のことだ。

 さっきの内界について訊かれたときとはまるで違う、なんの悩みようもない質問だった。

 

「そう。それを嫌っていたはずね」

「え?」

 

 記憶を探る。

 けど、そんな記憶はなかった。

 

「いや……オレ、別に吸血を嫌ってなんてないですよね?」

「そう。ルカちゃんが何かお願いして来たらどうするの?」

「はい? それは当然、叶えますよ」

「どの範囲で? どんなことでも叶えるということ?」

「いや————」

 

 少し、違和感があった。

 けどそれもすぐに霧散して、形を失ってしまう。

 だから、これもすぐに応えられた。

 

「そりゃ、当たり前じゃないですか?」

「でしょうね。けれど、ルカちゃんは人間としての坊やも求めているのよ。

 だから、アナタはお呼びじゃないの。早く"食事"をするべきね。ルカちゃんの濃度が強すぎる影響もあるでしょうから。

 坊やの眼は、血を使い過ぎるみたいね」

 

 それきり、ルミィナは黙ってしまう。

 結局、会話が弾んだやら弾まなかったやら分からない。

 

 ただ、ルミィナの『食事』という言葉に、どうしてか無性に昂る響きを感じたことだけは確かなことだった。

 

「いいですね。待ち遠しいです」

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