春に芽吹く梅の花   作:プロッター

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金盞花(キンセンカ)

 西住みほが転校した。

 その情報は、光のような速さで黒森峰女学園全体に知れ渡る事になった。

 生徒が1人転校するというのは、頻繁にあるような事ではないが、どの学校でも起こりうる事だ。なので、普通ならばその転校した生徒と別に親しくもない生徒は、『そうなんだ』とか『どうしてだろうね』と言ってその話題はおしまいになってしまうだろう。

 だが、西住みほに限ってはそうはいかなかった。

 みほは、高校戦車道における強豪校として全国に名を馳せている黒森峰女学園の戦車隊で、副隊長を務めていたのだ。これだけであれば、そのみほが転校してしまった事は黒森峰女学園における戦車道履修生の間でしか話題にならないだろう。

 だが、それだけではなかった。

昨年の7月に行われた第62回戦車道全国高校生大会。黒森峰女学園は、前人未到の10連覇を目指していた。

 その決勝戦。相手は、黒森峰と同じように強豪校として知られているプラウダ高校。だが、対戦相手は別に気にすることではない。

 問題はその試合中。プラウダ高校の戦車が、みほが車長を務めるティーガーⅠの前を走行するⅢ号戦車J型を攻撃し川へと転落させる。それを見たみほは、フラッグ車であるにもかかわらず自らの戦車を降りてⅢ号戦車の乗員を助けようと川へと飛び込んだ。

 司令塔である車長を失ったティーガーⅠはその後どうすることもできず、プラウダ高校の戦車の砲撃を受けてしまい大破。そのティーガーⅠは先ほども述べた通りフラッグ車であったために、黒森峰女学園は敗北。

 プラウダ高校が優勝してしまい、黒森峰女学園の悲願の10連覇の夢は叶わなかった。

 この試合中にみほが取った行動は、ごく普通の一般人が見れば褒められたものだと思う。勝ち負けにこだわらず、自分の身を挺してまで仲間を救おうとしたのだから。選手の鑑と評する者も一部いたぐらいだ。

 だが、黒森峰女学園ではその意見は通用しない。

 そもそも黒森峰女学園は、日本戦車道における二大流派の一つ・西住流の息がかかっており、『撃てば必中 守りは固く 進む姿は乱れ無し 鉄の掟 鋼の心』をモットーとする西住流の影響を大きく受けている。黒森峰の隊長も西住流の後継者であるので、いわば黒森峰女学園の戦車道履修生は、ほぼ全員が西住流の門下生のようなものだった。

 そして西住流には、勝利を貴び犠牲無くして勝利は得られないという精神が根付いている。

 つまり西住流からすれば、みほは先の決勝戦で、黒森峰の勝利のために犠牲になったⅢ号戦車とその搭乗員にかまけて、黒森峰の勝利をみすみす逃してしまったというわけだ。

 当然ながら、西住流師範がそれを許すはずもない。たとえその人物が副隊長であっても、自分の娘であっても、師範―――西住しほは厳しい言葉をみほに浴びせた。

 それだけなら、恐らくみほは耐えられただろう。戦車道の世界に限らず、師範とその門下生がぶつかるというのは、割とよくある話だった。

 だが黒森峰女学園は、決勝戦を前にして『10連覇の夢は叶ったも同然、前人未到の領域に足を踏み入れた』と確信していた。

 自分の学校が他のどの学校にも成し得なかった偉業を成し遂げられると知れば、戦車道履修生でなくとも喜びを、期待を、希望を胸にしていた。

 それが、たった1人の起こした、たった1つのイレギュラーによって全て水泡に帰してしまったのだから、学校全体が落胆ムードに包まれてしまうのも必然と言える流れだ。

 加えて、勝敗がかかっているフラッグ車の車長は、日本でも由緒ある戦車道流派の直系の人間だった。勝利は約束されているはずだったのに、その人物が原因で黒森峰の勝利を逃してしまったのだ。

 黒森峰戦車隊にかかっていた期待は、失望や呆れなどの負の感情へ変わってしまった。

 最初はそれも小さな火であったが、その火は次第に大きくなっていき、ついには、そのイレギュラーを起こした張本人である西住みほ本人に不満がぶつけられてしまう。

 直接罵詈雑言がみほに向けられたというわけではない。ただ、陰口が目立つようになった。

 10連覇の夢を踏みにじった。

 裏切り者。

 西住流の面汚し。

 黒森峰の恥さらし。

 理不尽とも、言いがかりとも言える言葉もあったが、なまじ陰口であったために反論する事も難しい。

 中には、本当に面と向かって先ほどのような言葉を述べたり、机にカッターで傷をつけたり、上履きにゴミを詰めるなど、直接みほに害を与える輩までいたぐらいだった。

 挙句の果てには、戦車隊の隊長でありみほの実姉でもある西住まほは、みほを庇うような真似を一切しなかった。

 最後の頼れる存在とも言える姉のまほにさえ見放されてしまったみほは、ショックのあまり戦車道を辞める事を決意し、2年生になるのを待たずして黒森峰を去ってしまい、戦車道とは無縁の学校へと転校してしまった。

 みほが去った後は、一部の人間を除いて悲しむことは無く、むしろ『清々した』と言う生徒が多かったという。

 

 新学期を前にして、桜の木が芽吹き始める頃。

 黒森峰女学園学園艦にある1つの公園、桜の木の下に設えてあるベンチに、1人の少女が座っていた。

 やや癖のある、赤みがかった茶髪のショートヘアのその少女は、黒森峰女学園指定の黒のジャージを着ている。今は春休み期間中であるので、普通の人が見ればこの少女を見れば『トレーニングでもしていたのかな?』と言う感想を抱くだろう。

 事実彼女は、先ほどまでジョギングをしていたのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 運動をした後なので顔がわずかに上気していて、額にも汗が浮かんでいるが、少女はそれを拭う事もせずに、ただ地面をじっと見つめている。傍に立つ桜の木は、満開とは言わずとも五分咲き、良くて七分咲きぐらいには咲いているというのに、少女の顔はそれとは対照的に暗く沈んでしまっていた。

 ジョギング中はこんな顔じゃなかったのに、と少女は思う。ジョギングをしている間だけは、自分の中にあるモヤモヤとか、頭の中を支配している嫌な思い出から目を逸らすことができたのだから。

 でも、いざ息が上がって休憩がてらベンチに座ると、目を背けていたものが一気に押し寄せてくる。否応なくそれを思い出してしまう。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 少女の名は、赤星小梅。この春から、黒森峰女学園2年生に進級する事が決まっている。

 そして、彼女は黒森峰女学園で、戦車道を履修している戦車隊の一員だ。

 もっと言えば彼女こそが、昨年の全国大会の決勝戦で、川に転落したⅢ号戦車の車長だった。

 

「・・・・・・・・・・・・う」

 

 自分の胸を、掴む。

 思い出すのは、西住みほの事だった。何もしていない時、ふと考えてしまうのはこのことばかりだ。

 みほは、自分たちのミスで川に落ちてしまった自分たちの事を助けるために、フラッグ車の車長であるにもかかわらず戦車を降りて川に潜って、自分たちを救ってくれた。

 でも、それは黒森峰女学園では、西住流では“道から外れた行動”と決めつけられてしまい、みほは矢面に立たされてしまった。

 そのみほが受けた仕打ちは、思い出すだけで涙が出てきてしまう。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 小梅は、小梅を救ってくれたみほが皆から非難されているにもかかわらず、何もできなかった。

 何もできないまま、みほは黒森峰を去ってしまった。

 自分にとって大切な人が困っているのに、何もできない自分が情けなくて、悔しくて、悲しかった。

 

「・・・・・・・・・・・・うっ、ううっ・・・」

 

 堪える事の出来ない涙が、とめどなくあふれてくる。視界が歪み、地面に涙のシミがいくつもできる。手で目を抑えても、涙は止まらない。

 

「うぁ・・・・・・・・・・・・あぁ・・・・・・・・・・・・」

 

 声が漏れ出る。誰かに聞かれてしまうかもしれなかったが、それを気にする余裕など今の小梅にはない。

 あふれる感情のままに涙を流し続ける小梅の耳に、誰かの足音が入り込んできた。

 通りすがりの誰かだったら別にいい。でも、学校の誰かだったら嫌だった。今の小梅の服は黒森峰のジャージなのだから、黒森峰の生徒だというのはすぐにわかってしまう。もしかしたら興味を抱かれて深い詮索をされるかもしれない。でも小梅は、今はこの胸の中にある思い出に、感情には触れてほしくはなかった。

 足音が近づいてくる。

 でも、ここは黒森峰の学園艦なのだから、生徒に会う可能性は比較的高い。

 さらに、足音が近づいてくる。

 このまま、自分の前を通り過ぎてほしい。今の自分には、構ってほしくなかった。1人で、泣かせてほしかった。

 でも、それとは裏腹に足音の主は、小梅の近くで歩を止めてしまう。

 それでも、構わず小梅は涙を流し続ける。嗚咽を洩らして、俯いたまま顔を上げようとはしない。

 

「・・・・・・大丈夫ですか?」

 

 足音の主であろう人物は、声を掛けてきた。その声は、男のものだ。

 誰に?決まっている、小梅にだ。

 声を掛けられても、顔を上げたくはなかった。でも、声の主は一向にここを離れる気配がしないので、涙ぐみながらも顔を上げて、その人の顔を見る。

 声を掛けてきたのは、小梅より少し背の高い、けれど自分と同じような年頃の少年だった。短い黒髪に、優しそうな目が特徴的だ。着ている服は、白のシャツに黒いデニムと、決して悪い印象は抱けない。

 その少年は、心配そうな顔で小梅の事を見下ろしていた。

 

「どこか・・・具合でも悪いんですか?」

 

 それだけの言葉だったが、小梅にとってはもう随分と聞いていないような優しい言葉だった。

 あの決勝戦以降、友達とは疎遠だったし、あの時一緒に戦車に乗っていた人たちも今はもういない。

 小梅は今、この黒森峰学園艦で孤独に近かった。

 そんな中。この名前も知らない人は、小梅に優しい声を掛けてくれた。

 それがどうしようもなく嬉しくて――――

 

「・・・・・・・・・・・・う、うぁぁ・・・」

「え、ちょっと、本当に大丈夫ですか!?」

 

 小梅はまた、涙を流してしまった。

 少年は、本当に小梅がどこか体調が悪いのかと心配して救急車まで呼び出そうとしたが、それは流石にやめてほしいと小梅が涙混じりに制止した。

 さらにこの状況が変に見えたらしく、公園の外を歩いていたおじいさんから疑惑の眼差しを向けられてしまい、さらなる混乱を招いてしまった。

 

 やがて小梅の涙が収まって呼吸も整い、一息ついたところで、声を掛けてくれた少年にお礼とお詫びをする。

 

「ごめんなさい。なんだか、迷惑をかけてしまって・・・・・・」

「いえ、大丈夫です。僕の方こそ、急に声を掛けたりしてすみませんでした」

 

 少年もまた頭を下げる。謝りたいのは小梅の方だったのに、少年にまで謝らせてしまうとは。また小梅は、自分のちっぽけさを嘆きそうになる。

 

「名乗りもしないで、すみません。僕は織部春貴(おりべはるき)。この春から高校2年生になる、ただの学生です」

 

 相手が名乗ったのだから自分も名乗らなければならない。小梅はそう思い、自分も名乗ることにした。

 

「私は・・・赤星小梅って言います。見ての通り黒森峰の学生で、私ももうすぐ2年生になるんです」

「・・・と言う事は、同い年ですか」

「そうなりますね・・・」

 

 同い年だからと言って、初対面であることに変わりは無い。それは置いておき、織部は改めて尋ねる。

 

「それで・・・・・・さっきはどうしたんですか?随分・・・泣いていましたけど・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 言われて小梅は、また思い出してしまう。

 これまでのみほと自分を取り巻く環境、そして今に至るまでの経緯。

 そして胸の内に暗い感情が浮かび上がり、目頭が熱くなってきてしまう。

 

「あ、話したくないなら、無理に話さなくてもいいですよ。嫌な事を思い出させてしまったみたいなら、素直に謝ります」

「いえ・・・大丈夫、です・・・・・・」

 

 口では大丈夫と言っていても、小梅は目を抑えて涙が流れないように堪えている。

 織部はそんな苦しんでいる小梅をどうにかしたかった。目の前で女の子が泣いていて、黙って見過ごせない。

 織部はそこで、かつて自分が涙を流した時に親からしてもらった事を思い出し、それを実行する。

 

「・・・・・・ちょっと、失礼します」

 

 織部は、小梅の背中を優しく撫でた。小梅からすれば予想外の出来事だったのだが、驚きはしたものの忌避感は抱かず、不思議と安心するような気持ちになることができた。

 込み上げてきた涙も、徐々に引いていく。

 胸の内に渦巻く暗い感情も、晴れていく。

 織部の手を背中に感じた小梅は、自分でもリラックスしていると分かる。

 少しの間背中を撫でた織部はやがて、手を離す。小梅は、少し目が赤くなってしまっていたが、それでも自分の事を慰めてくれたことに関しては礼を言う。

 

「ありがとうございます。少し、楽になりました」

「それはよかった」

 

 せっかく小梅が落ち着いたのだ。これ以上深入りをしてまた悲しませるわけにはいかない。

 だから織部は、何も聞かずに笑顔を小梅に向ける。

 

「・・・・・・心配をかけてしまって、すみませんでした」

「いや、元気になったようでよかったです」

 

 小梅が頭を下げるが、織部は気にしていない風に手を振る。

 

「何かお詫びをしないと・・・・・・」

「いやそんな・・・・・・お詫びが欲しくてああしたわけでもないですし」

「でも・・・・・・」

 

 小梅がせめて何かお礼がしたいと言うが、織部はそれをやんわりと否定する。別に格好つけているとか良いところを見せておきたいとかそう言うわけではなくて、単純に恐れ多いからだ。

 小梅も、相手が善意で断っていると知り、これ以上押し付けるのも悪いと思って、改めて感謝の言葉を述べることにした。

 

「・・・・・・ありがとうございます」

「では、僕はこれで」

 

 織部は踵を返して公園を出ようとするが、その背中を小梅は呼び止める。

 

「あ、あのっ」

「はい?」

 

 1人で泣いていた小梅の事を心配して声を掛けて来てくれて、お互いに名前を知り、泣きそうになった自分の事を慰めてくれてくれたのだ。これっきりで別れてしまうというのは少しもの悲しい。

 

「・・・・・・また、会えたりしますか?」

 

 小梅の言葉を受けて織部は少し考えるが、やがてふっと笑って答えた。

 

「・・・会えます。きっと」

 

 そして織部は会釈をして、公園から去って行った。

 その織部の背中を、小梅は見えなくなるまで見つめ続ける。が、織部が曲がり角を曲がった事で背中が見えなくなってから、小梅はふと思った。

 ここは黒森峰女学園の学園艦で、先ほどの織部のような同年代の男子がいるという事自体稀だ。

 きっと織部も何らかの理由があって、一時的にここにいるのだろう。

 という事は、春休みが終わってしまえば織部はここからいなくなってしまう。

 それは織部も分かっていた事だろうに『きっと会える』と言ったのは、おそらく社交辞令か小梅を傷つけないための心遣いだろう。

 それに気づき、小梅は少し肩を落とす。だがすぐに頭を振って、もう会えないのが寂しいとか悲しいとかそんな考えを払拭する。

 初めて会った人なのに、何を当てにしているのか。

 今自分の中に渦巻く心配事や不安要素は、すべて自分で何とかしなければならないものだ。

 見ず知らずの人に頼ろうなんて、生ぬるい。

 小梅はそう思い、ジョギングを再開した。

 先ほどまでは感情のままに涙を流していたのに、今は頭が冷静に働いているあたり、小梅も真面目な校風で通っている黒森峰女学園の生徒の1人だと言える。

 けれど、先ほどまで背中に当てられていた織部の手の感触と温かさだけは、忘れられなかった。




キンセンカ
科・属名:キク科キンセンカ属
学名:Calendula officinalis
和名:金盞花
別名:カレンデュラ、ポットマリーゴールド
原産地:地中海沿岸
花言葉:失望、悲嘆、寂しさ、別れの苦しみ


赤星小梅編、スタートです。
全体的に暗い幕開けとなりましたが、
ここまで読んでくださりありがとうございます。

ご指摘、ご感想等があればお気軽にどうぞ。
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