熊本県の地名由来です。
予めご了承ください。
「本日の訓練はここまでだ。解散!」
『お疲れ様でした!』
『お疲れ様でした・・・』
陽も傾き、水平線の向こう側に太陽が落ちるところで、黒森峰女学園戦車隊の訓練は終了した。
まほの号令で、全員が挨拶をする。けれど、その挨拶の声量も2種類あるように織部には聞こえた。
まだ余力を残しているかのような、威勢のいい挨拶は恐らく2年生以上の隊員のもので、もうへとへとと言わんばかりの疲労感を漂わせる挨拶は多分新入隊員のものだろう。
しかしそれも無理のない事だ。
昨日、適性試験結果が受験者全員に返され、それぞれが指定された戦車の、指定されたポジションについて、いきなり訓練が始まったのだ。最初は2年生以上の先輩が操縦や砲撃を教えたが、すぐに新入隊員だけで戦車を動かすこととなった。
昨日は基本動作だけで訓練は終わったのだが、今日はそれ以上に濃い訓練となった。
最初はまほの指示で進行方向を変える走行訓練を行ったのだが、その方向を変える指示の間隔が異常なまでに狭く、急な進路変更指示についていけない戦車は置いてけぼりを喰らうこととなった。
その後は砲撃訓練。目標との距離や照準器の見方、角度の計算などは初日の講義で教えていたので、ここでの先輩のサポートは当然と言わんばかりに無かった。的に命中させる生徒もいれば、命中させられない生徒もいる。外したらエリカから怒号が飛んできたらしい。
新入隊員の中には戦車道経験者もいただろうが、この訓練の厳しさは相当堪えたに違いない。校舎へと向かう新入隊員たちの足取りは重い。
対照的に、2年生以上の隊員たちは『疲れたねー』とか『お腹空いたなぁ』とか言っている。もう慣れっこなのだろう。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
そんな中で、織部と小梅は2人並んで校舎へと歩いていた。
一緒に戻ろうとどちらが言ったわけでもないし、元々約束していたわけでもないのだが、こうして今2人で歩いている。
だが、どちらも話しかけたりはしない。
小梅はやはり一昨日の、過失とはいえ書庫で織部に押し倒されたことを覚えていて、あの時の事を思い出すとろくに話す事もできないのだ。
そして織部は、自分が小梅に恋している事に気付いていたので、好きな人に対する距離の取り方が分からず、前は普通に話せたのに今では話せなくなっていた。
そしてもう一つ、話しかけられない理由はある。それは、小梅は今日もまた戦車に乗ることはできず、新入隊員の訓練を見学することしかできなかったからだ。
小梅は結局、未だ戦車に乗せてもらえずにいる。今、新入隊員が戦車に乗り始め、自分は戦車に乗ることができない小梅の事を想うと、迂闊に話しかける事も難しかったのだ。
このままではいずれ、新入隊員が小梅の実力を上回ってしまうかもしれない。
そうなれば、まだ小梅の中に残っている戦車道に対する意欲も、劣等感や悔しさなどで消えてしまう事も考えられる。
そして最悪の場合は、小梅が戦車道を辞めてしまうかもしれない。小梅が『西住みほの行動が間違っていなかったことを証明する』という意志が残っている限りそれはないだろうが、万が一の可能性もあり得る。
だが、今まで小梅を奮い立たせてきたのはその強い意志だ。それが無くなってしまえばどうなるかは今の織部には分からないが、いい方向に転ばないという事だけは分かる。
どうにかして、小梅を戦車に乗せてあげたかった。
でも、織部一人ではどうすることもできない。
そして、小梅自身がこれからどうしたいのかも、織部には分からない。
「・・・・・・あの、春貴さん」
「はい」
考え事をしている最中で、隣を歩く当の小梅から話しかけられた。
「あの・・・・・・よろしければ、なんですけど・・・・・・」
歯切れの悪い言葉を小梅が告げる。
一昨日の出来事以来、織部と小梅はろくに言葉も交わせない状況にあった。朝会う時も、昼食を共にする時も、帰り道でも、言葉を交わす事が以前より少なくなってしまった。
その異変には根津や直下、斑田に三河も気づいていて、2人は喧嘩でもしてしまったのかと思っている。
実際は全くの逆で、お互いに知る由もないがお互いに相手の事を好いているのだ。しかし互いに恋愛経験が乏しく、というか無いため相手との距離感を掴めずにいた。
その結果、周りからは喧嘩してお互いに口を利かなくなってしまったとみられているのだ。
そんな状況下で小梅が話しかけてくるとは思わなかった。
「今夜・・・また、一緒に走りませんか・・・?」
小梅から告げられたのは、ジョギングの誘いだった。
先週夜に一緒にジョギングをしたが、途中アクシデントに見舞われて中断することとなり、小梅の考えたルートを完走する事は叶わなかった。どころか、小梅と急接近する事になってしまったので、あの時の事は忘れてなどいない。
そしてそれは、小梅も覚えているだろうに、また誘ってきてくれた。
確かに、織部の体力は全くと言っていいほどついてはいないので、少しでも体を鍛えておきたい。
それに、小梅が何も声を掛けてこなければ、織部だって小梅に何かを話しかけることもできなかっただろう。新入隊員に後れを取っている小梅自身がこの先どうしたいのかを聞く事なんてできはしない。
何より―――
「・・・いいよ。僕も、少し小梅さんと走りたいと思ったから」
少しでも好きな人と一緒にいたいから。
それこそが、織部が小梅からの誘いを受けた最大の理由だ。だが、馬鹿正直に『小梅と一緒にいたいから』と言って誘いを受けるような真似は流石の織部もしない。だから、『一緒に走りたい』と少し言い方を変えたのだ。
しかし、その言葉だけでも小梅の顔を赤くするには十分だった。
「じゃ、じゃあ・・・・・・8時にいつもの交差点で・・・・・・っ」
そう言って小梅は、校舎へと走り去っていってしまった。
何がいけなかったのだろうか、と思いながら織部が歩いていると、不意に背中を叩かれた。
「・・・・・・やるじゃん」
その主は三河。何やら意地悪気な、全てを知っているような、そんな笑みを浮かべていた。
だが織部は、三河の言葉の意味が分からなかったので聞き返す。
「どういう事?」
「・・・・・・本人は気付いていないと来たか。こりゃ道は険しいねぇ~」
「???」
三河が織部に対して呆れたかのように苦笑してまた背中を叩き、校舎へと戻って行く。
三河は、先ほど小梅が織部を誘った(何に誘ったのかは分かっていない)のを見て喧嘩しているわけではないという事に気付き、そして小梅が顔を赤らめていたのを見て、小梅が織部に対しどんな感情を抱いているのか、おおよその見当をつけていたのだ。
一方、何が何だかさっぱり分からない織部は、エリカに注意されるまで呆然と立ち尽くし、考える事しかできなかった。
8時、織部は小梅に指定された場所で待っていた。着ているのは当然ジャージ、夕食は少し早めに済ませたので走っている最中に気持ち悪くなるという事も無いだろう。
街灯の下で待っていると、黒森峰のジャージを着た小梅が駆けてきた。
「お待たせしました・・・」
「大丈夫、待ってないよ」
そして2人で準備運動をして走り出す。今夜走るルートは、前走った住宅街と商店街を経て川沿いを走るのではなく、艦の中央部にある大通りを往復するらしい。
黒森峰学園艦の全長はおよそ9000mあり、その内戦車道の訓練場にスペースが取られているので、大通りはせいぜい全長が4~5000m。その半分以上を往復するらしいので、走る距離は大体4~5キロぐらいか。
織部と小梅は今、その中央通りを船尾に向けて、この前と同じように、隣同士並んで走っている。大通りは学園艦縁遊歩道とは違い街灯もそれなりに設置されているので道が明るく、足元を取られるような事にはならないだろう。
無言で、最低限の呼吸以外に何も口から発さずに、2人は夜道を走る。体力の無い織部が走ったまま話しかけると、息切れで何を言ってるかわからなくなってしまうからだ。
数十分ほど走ったところで、フェンスに突き当たる。この先は、戦車道の演習場だ。後はここから折り返して来た道を逆戻りするのだが、ちょうどいいのでここで休憩する事にする2人。
そして目に入ったのは、あの花壇だ。
「「・・・・・・・・・・・・」」
足が吸い寄せられるかのように、織部と小梅はその花壇へと歩み寄る。そして、お互いの過去を告白した日のように、ベンチに2人並んで座る。
少しの間沈黙していたが、やがて先に口を開いたのは小梅だ。
「・・・・・・新入隊員の皆さん、頑張ってますね」
その話題を選んだ理由は分からないが、小梅の本音を聞くには好都合だと織部自身は思った。
「小梅さんも入隊した時、あんな厳しい訓練を受けたって事?」
「・・・・・・ええ。あの時のことは、思い出すだけで冷や汗が出てきます・・・」
冗談めかして言う小梅に、織部は安心する。まだ心に余裕がある、それほど追い詰められてはいないという事だ。
「やっぱり・・・小梅さんもすごいよ。あんな訓練、僕だったらとても耐えきれない」
「そんな、私なんて・・・・・・」
小梅が少し照れるように微笑み、視線を下に向ける。
その顔を見て、織部は心が安らぐと同時に、痛んだ。
このように可愛らしい笑みを浮かべられる小梅も、過去に心に大きな傷を負い涙を流し、そして今は苦悩を抱えていると思うと、やりきれない気持ちになってしまう。
だからこそ、何とかしてあげたいと織部は思う。
小梅がこのまま、苦悩を抱えたまま戦車道の日々を過ごしていくのは見ていられない。黙っていられない。
だから、織部は小梅がこれからどうしたいのかを、聞きたかった。
できる事なら、織部は小梅の力になりたかった。
「・・・・・・小梅さんも、戦車に乗りたい?」
少し間を開けてから織部が問いかけると、小梅は夜空を見上げて、小さく呟いた。
「・・・・・・はい」
やはりまだ、小梅の戦車道に対する意欲は消えてはいない。
「でも・・・・・・」
否定的な接続詞が口をついて出たので、織部は少し不安になる。
「前にも言いましたけど・・・やっぱり私が戦車に乗れなくなったのは私自身のせいですし・・・」
そんなことは無い、とは断言できない。
黒森峰から見れば、黒森峰が優勝を逃したそもそもの原因は小梅の乗っていたⅢ号戦車にあるとみているし、学校の生徒たちもそうだと信じてやまない。
それによって小梅がひどい仕打ちをこれまで受けてきた事も事実。根拠のない言葉で慰める事も難しかった。
「・・・・・・今は新入隊員の指導が続いていて、いつかは、私を超えるんじゃないかな、って思うんです」
「・・・・・・・・・」
自嘲気味に話す小梅の言葉に、織部は心がズキッと痛む。
小梅の過去を知っているから、小梅の意欲を知っているから、何より小梅の事が好きだから、小梅が悲観し、諦めるような事を言うのが辛かった。
「そうなれば、戦車に乗せてもらえない私はいずれ・・・・・・」
俯いて、そして、告げた。
「戦車隊から、外されてしまうかもしれませんね・・・・・・」
織部の目が見開かれた。
黒森峰の戦車隊は厳しい。それは新入隊員に対する訓練から見てもそうだし、隊長、さらにその隊長の師範から見てもそうだというのが分かる。
その厳しい戦車隊の中で、戦車に乗せられない人物よりも実力が上の者が入れば、その実力が下の者は外されてしまう可能性だって十分に考えられる。
もし、それに則り小梅が戦車隊から外されてしまえば、小梅の『みほの戦車道が間違っていないことを証明したい』という信念も、その信念を掲げて自分に辛い状況であっても今まで黒森峰に残り続けていた小梅のこれまでの事も全て、無駄の一言で片づけられてしまう。
そんな事、織部は黙って許せるはずがなかった。
それを証明するかのように、織部は隣に座る小梅の手を握る。小梅への恋心に気付いて恥ずかしいとか、そんな感情は二の次だ。
しかし、手を握られた小梅の方は顔を赤くして織部の事を見たが、織部の表情には照れやからかいと言った感情が見えず、至極真剣な表情で小梅の事を見据えていた。
「そんな事、させない」
「・・・・・・・・・・・・え?」
織部の真剣みを帯びた声に、小梅は怯みそうになる。でも、その顔から目が離せない。
「小梅さんは言ったよね。『みほさんの戦車道が間違っていないことを証明する』っていう信念を持っているからこそ、黒森峰で耐えてきたって」
織部の言葉に小梅は頷く。
「小梅さんが戦車隊から外されれば、その信念も、これまで小梅さんが黒森峰で耐え忍んできた事も全部無駄になる。そんな事、僕が絶対にさせない」
「・・・・・・春貴さん」
「これまでの小梅さんの努力、信念を無かったことに何てしたくない。だからもし、赤星さんが戦車隊から外されるなんてことがあったら、僕が全力で、阻止する」
織部の言葉に、嘘偽りはないのだろう。表情と声のトーンから、織部が真剣に告げているのが小梅にも分かる。
でも、小梅には一つ解せない事がある。
「・・・・・・どうしてそんなに、私の事を・・・?」
織部はどうして、ここまで小梅の事を気にかけてくれているのか。
小梅に何があったのかを話すまでは、織部は小梅の事を気にかけてくれていた。その後も、織部は小梅の事を見捨てようとはせず、小梅から離れようともせず、ずっと真摯に小梅に向き合ってくれている。
そして今、織部はまた小梅の本音を聞いて、小梅の力になりたいと言った。
一体どうして、織部はそこまで小梅の事を気にかけ、小梅の力になろうとしている?
それが、小梅には分からない。
「・・・・・・前に言ったよね。僕はいじめられていたって」
忘れるわけがない。あの時、この場所で聞いた織部の過去の事は、話を聞いた小梅の心に残っている。ましてや好きな人の過去の事を、忘れるはずはなかった。
「僕はあの時、理不尽な理由でいじめを受けて学校に行けなくなって、ひどく落ち込んだよ」
過去の事を思い出し、表情を陰らせる織部から、小梅は目を逸らさない。
「僕自身が辛い体験をして落ち込んでいたからこそ、同じように悩み落ち込んでいる人の事を放っておけないから」
それに、と告げて織部はつばを飲み込み、そして告げた。
「僕は小梅さんの事を、大切な人だと思ってるから」
小梅は、その言葉を聞いた瞬間、心臓が飛び上がったような気がした。
それほどまでに織部の言葉は、小梅の心に響いた。
一方織部はそこまで言ったところで、小梅の手を強く握っていたことに気付き、慌てて手を離す。
「・・・・・・ごめん、なんか偉そうに言っちゃって」
「・・・・・・そんな事、無いです」
だが、小梅が再び手を握ってくる。突然小梅に手を握られて、先ほどは一切気にしていなかった柔らかい手の感触と温かい体温を感じたことに、織部の心臓が飛び出しそうになる。
「偉そうなんかじゃ、全然ないです。私の事を心配してくれて、私の事を放っておけなくて、それでさっきみたいに私のために力を貸してくれるって言葉を聞いただけで・・・・・・」
そこで少し俯いて、やがて言った。
「私は、嬉しいですよ」
微笑み、告げたその言葉に織部は心を射抜かれたような感覚に陥った、ような気がする。
しばしの間、小梅に見惚れていると、小梅自身も手を繋いでいたことが恥ずかしくなって、そっと手を離した。
そして、2人はまだジョギング中だったことを思い出し、立ち上がる。
「・・・・・・じゃあ、走りますか」
「・・・・・・そうだね」
2人は何だか気恥ずかしい気持ちになりながらも、走り出す。先ほどまで走ってきた中央通りを逆方向に走るのだ。
再び隣同士で走っている中で、小梅は先ほどの織部の言葉を思い出していた。
『同じように悩み落ち込んでいる人の事を放っておけないから』
『小梅さんの事を、大切な人だと思っているから』
あの言葉を聞いた時、小梅は確信した。
やっぱり、織部は心優しい、強い人だと。
そしてそこに、小梅自身は惚れてしまったのだと。
自分と同じ境遇に陥って悩み、もがき苦しんでいる人を放っておけず、助けようとしている織部の生き方に、小梅は深く感銘を受けて、そして恋慕の情を抱いてしまったのだ。
(・・・・・・やっぱり、好きなんだなぁ)
一方で織部は、どうすれば小梅が戦車に乗れるようになるか、考えていた。そして、小梅が戦車隊から外されないようにするためには、どうすればいいのかを考えていた。
だが、その答えは見えかかっていた。
しかしそれは、織部自身の立場を危うくしかねない手段だ。故に、すぐに行動に移すのは難しい。だが、ぐずぐずしていると、新入隊員たちが育ってしまい、小梅の立場もまた危うくなる。
けれど、留学という形で半年間の間黒森峰にいる織部自身と、みほの戦車道が間違っていないと証明するために黒森峰で耐え続けてきた小梅、どちらの立場を優先するかなど、織部にはわざわざ選ぶまでも無い事だ。
この時織部は、小梅を助けるために自分の将来さえも棒に振ろうとしている事に気付いてはいなかった。
翌日の戦車道の訓練開始時、織部は新入隊員の人数が減っているように感じた。
おそらくは、昨日の訓練で心折れた人が辞めてしまったのだろう。いくら1週間猶予があってその間に戦車道を諦める事は自由と言っても、流石に早すぎやしないかと織部は思わなくも無かったが、本人に無理強いをするのはいけないので深くは考えないことにする。
だが、人数が減った新入隊員への追い打ちと言わんばかりに、今日の訓練は新入隊員と上級生隊員の、草原地帯での模擬戦だった。
また随分と厳しいスケジュールだなと織部は思ったし、新入隊員もざわついたが、まほはちゃんとこの訓練の意義を説明する。
戦車を動かすうえで大切なものはチームワークだ。それは戦車内でも、自分の属するチームでも重要である。その重要性を学び、理解してもらうために今日の訓練は模擬戦なのだ。
それで新入隊員たちは納得したようだ。ただ、今日試合をするのは新入隊員の半分ぐらいであり、残りの新入隊員はまた明日模擬戦を行うようだ。
今回見学する生徒は、大人数用の高台へと向かう。
エリカが見学する生徒を連れて行くのを見送ると、まほは次に審判役を決める。
「審判長は赤星」
「はい」
まずは小梅が審判長に任命される。これまでの模擬戦でもそうだったのでこれは妥当だ。
と思っていたのだが。
「副審は・・・織部と八代で頼む」
「・・・・・・はい」
今、まほは間違いなく織部を副審に任命した。
これまで織部は一度も副審をやった事などない。模擬戦の際は大体小梅の後ろについて審判の仕事を見ていただけだったので、いきなり副審を任されるとは思わなかった。
隊員たちに準備に取り掛かるように告げると、隊員たちは戦車に乗りこんでいく。
そこで織部は、まほに呼び出された。
「急な事だが、君にもいずれは審判長をやってもらいたいと思ってる。だから今回は、副審をお願いしたい」
「なるほど」
「審判のやり方は、赤星から聞いてくれ。赤星が審判歴が長いからな」
「分かりました」
そして、今日の訓練後には簡単な報告書を出すように指示を出すと、まほもまた自分の戦車であるティーガーⅠに乗り込んだ。模擬戦、しかも新入隊員相手に隊長自ら参戦するとは、手加減する気が無いらしい。
それはともかく、織部は小梅の所に向かう。小梅は、通信用のインカムと双眼鏡を人数分用意し、織部と、今回副審を任された八代と言う生徒に渡す。
八代はもう副審に慣れているようだったが、織部はまだ不安だった。だから、小梅に聞く事にする。
「副審は、双眼鏡でフィールドを確認して、どの地点でどちらのチームのどの戦車が撃破されたかを、審判長・・・私に報告するんです。各戦車への通達は私がします」
「・・・なるほど、分かった」
その後、織部は北、八代は東、小梅は西の高台に上って模擬戦を監視する。
織部のいる高台からは、他の新入隊員が見学をしている高台が見える。皆、興味津々と言ったように演習場内を走る戦車の様子を見ている。
西側に展開された部隊は、まほ率いる上級生チーム。戦車数は6輌。
東側に展開されているのは、新入隊員たちのチーム。戦車数は同じく6輌。
ルールは殲滅戦。どちらかのチームが全滅すれば勝ちだ。
この試合の詳細は報告書に記さなければならないので、一部始終を注意深く見ていなければならない。審判長の小梅も報告書を書いていたのだから、恐らく織部の書くものは今後審判長となる時のための練習のようなものだろう。
やがて試合開始時刻となり、審判長の小梅が試合開始の宣言をした。
模擬戦の結果、勝ったのは上級生チームだった。
まあ、大半が戦車道初心者で構成された新入生チームが、既に最低でも1年以上経験している隊員がほとんどの上級生チームに勝つことは、元々難しかったのだ。
ただ、もう少し手加減をしてやってもいいんじゃないかとは織部も思った。
上級生チームの動きはいつもと同じく切れがあり、初心者相手であっても容赦なく攻撃を仕掛けていた。まだ戦車に乗り始めて2日ぐらいしか経っておらず、命中率もそれほどではないので、上級生チーム相手に砲撃しても、新入生チームも撃破するのは1輌がやっとだった。
訓練後、織部たち審判も格納庫の前に戻り、他の隊員たちと共に整列をする。試合をしたらしき新入隊員たちは、自車が撃破された衝撃で煤や灰を被っており、疲れ切った顔をしていた。中には、撃破された衝撃とショックで泣きじゃくってしまっている隊員もいる。
「今日の訓練はここまでだ。模擬戦を行った者は、今日の試合の事を忘れず次に臨むように。では、解散!」
『お疲れ様でした!』
『お疲れ様でした・・・』
昨日と同じように、はきはきとした挨拶をする上級生組と、疲労困憊と言わんばかりの挨拶をする新入隊員組。
織部はインカムと双眼鏡を返そうと思ったが、場所が分からないので小梅に聞く事にする。
小梅はちょうど、八代からもインカムと双眼鏡を受け取ったところだったので、自分も渡そうと思った。ついでに、置いてある場所も聞いておきたい。
「小梅さん、これありがとう」
「あ、はい」
そう言って双眼鏡とインカムを渡したところで、不意に織部の手と小梅の手が触れ合った。
「「!!」」
瞬間、小梅の顔が真っ赤になり、織部から双眼鏡とインカムをひったくるように受け取ってそそくさとどこかへ行ってしまった。審判で使った道具を片付けに行ったのだろうが、あの状況では一緒に行っても気まずい空気になってしまうので、追わずに織部は教室に戻って報告書を書くことにした。
教室に行く前に隊長室でまほから報告書の原紙を貰い、教室で報告書を書き始める。
日時、天候、模擬戦の目的、戦闘の流れ、総評・・・書く事は多岐にわたり、少しの時間では終わりそうも無かった。
だが、めげずに記入していく織部。試合中に書いたメモを取り出して戦闘の流れを大まかに書いていく。まほも精密なものを期待してなどいないだろうが、それでもできる限り丁寧に書く。
そこで、教室の扉から、タンクジャケットから制服に着替えた小梅が入ってきた。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
先ほど、手が触れてしまった事で気まずくなってしまい、声を掛けることもできず言葉をかけることもできず、黙々と報告書を書く作業に戻る織部。小梅も、自分の席で報告書を書き始めた。
織部は報告書を書いたのは今回が初めてだが、それでも小梅より先に書き始めていたので、書き終えるのも小梅より早かった。
そして、あまりまほを待たせるのも申し訳ないと思ったので、先に出す事にする。
明かりが最低限しか灯っておらず、陽が傾いて薄暗くなった廊下を歩き、階段をいくつか降りて隊長室の前に着く。
ノックをしようとしたところで、中から声が聞こえた。
『今年の新入隊員はどうでしょうか、隊長』
聞こえたのは、副隊長のエリカの声だ。
『・・・多少動きにムラがあり、砲撃の腕もまだまだだが、筋は良い』
『そうですね。4号車のパンターも、こちらの履帯を正確に撃ち抜いてきましたからね』
『2号車のⅢ号も、命中こそはできなかったがこちらの車輌に掠り傷を追わせてきた。あれは、もう少し鍛錬を重ねれば十分命中を狙える』
2人はどうやら、今日の模擬戦での新入生チームの動きを振り返っているらしい。
『後は・・・最終日までにどれだけ残るかが疑問ですね』
『西住流の戦車道は、他のように甘くはない。それについてこれなければ、それも仕方ない事だ』
『はい、それは重々分かっております』
やはり、西住流を背負っているからこそ、訓練には、いや戦車道には一切の手心を加えないのだろう。だから先ほどの模擬戦でも、新入隊員相手に一切手加減をしなかったのだ。
戦車道の世界とは、やはり厳しいものだなと思いながら、ノックをしようとする。
ところが。
『織部に副審を任せましたが、どうでしょうか』
『彼にはいずれ、審判長をやってもらおうと思っている。今回はそのための予行演習のつもりだったし、今後しばらくの間は織部に副審をやってもらうつもりだ』
いきなり自分の話題を出されたので、ノックするのに戸惑いが生じる。だが、その内容は事前に織部に伝わっていた事だったので、別に驚きはしない。
『それと、赤星の件ですが・・・』
『ああ、赤星は・・・』
だが、エリカが切り出した話題を聞いた瞬間、織部は急いでノックをした。
『入りなさい』
エリカから許可をもらい、織部はドアを開けて中へと入る。
「失礼します。今日の模擬戦の報告書の提出に来ました」
「ご苦労だった。初めての審判はどうだ?」
「・・・正直、緊張しましたが、今後回数を重ねて慣れていきたいと思います」
「・・・そうか、分かった」
まほが織部に話しかけながら報告書を受け取る。およそ数分で報告書を読み終えると、顔を上げて織部と顔を合わせた。
「初めてにしては上手く書けている。これなら問題ない」
「ありがとうございます」
織部が頭を下げると、脇に控えていたエリカが『フン』と鼻で息を吐く。何か面白くない事でもあるのだろうが、織部はエリカとはまだ交流が全くと言っていいほどないので性格もまだ分からない。エリカが何を考えているかはとりあえず置いておくことにした。
だが、織部は褒められても先ほどのエリカとまほの言葉の続きが、『赤星の件』という言葉が気になって仕方がなかった。
だから、聞かずにはいられなかった。
「・・・・・・西住隊長」
「なんだ?」
まほが、小梅をどうするのかを。
「少々・・・お話があるのですが、よろしいでしょうか」
「構わないが、どうかしたのか?」
まほが特に深く疑いもせずに織部からの話を聞く態勢に入る。
だが、そこで織部はチラッとエリカを見る。この話は、あまり他人には聞かれたくないものだった。エリカの性格が分からない上に親交が少なく赤の他人に近い存在のエリカから、これからまほと話をする際に色々織部も問い詰められてしまうかもしれない。
そんな織部の視線に気付いて、まほがエリカに話しかけた。
「エリカ、すまないが少し席を外してくれ」
「・・・はい、分かりました」
エリカは、気が乗らないようだったが大人しくまほの指示に従い、隊長室を出ていった。
これで、今この隊長室にいるのは、まほと織部だけだ。
「・・・で、話とは何だ?」
まほが聞いてくる。
織部は、まほのような、自分と同じ高校生とは思えないような立場と肩書を持つ人物と真正面から向き合い、胸が張り裂けそうなくらい鼓動が高まっていた。
そして、これから自分が言う事は、下手をすればまほの癇に障るかもしれないし、余計なおせっかいなのかもしれない。そして、それが原因で自分が元居た学校に強制送還されるかもしれなかった。
もしかしたら織部は今、中学1年生の時の不登校から復帰する時以上に緊張しているかもしれない。
でも、恐れていては何もできない。何も言えない。このままではじり貧だ。
だから、勇気を振り絞って、告げた。
「聞きたいことが、あります」
「聞きたい事?」
まほが聞き返す。
織部は、まほの目を見据えて、言った。
「・・・赤星小梅さんの事についてです」
シクラメン
科・属名:サクラソウ科シクラメン属
学名:Cyclamen persicum
和名:篝火花
別名:豚の饅頭、
原産地:地中海沿岸
花言葉:気後れ、遠慮、内気、はにかみ