春に芽吹く梅の花   作:プロッター

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瑠璃唐綿(ブルースター)

 休日を挟んだ週明け。

 月曜日の訓練メニューは学園艦外周の遊歩道走り込みで、今格納庫前に集合している隊員たちは全員、体操服やジャージなどの動きやすい服装に着替えている。織部もまた、ジャージだった。

 しかし、走り始めるその前に隊長のまほが集合をかけた。そして今のまほは、この前見たような黒森峰の校章がプリントされたタンクトップではない、いつものタンクジャケットを着ている。傍に立つエリカも同様、他にも数十名の隊員がタンクジャケットだった。

 

「今日から、正式に新入隊員が配属される事になる。ここまでの訓練、よく頑張った」

 

 まほに言われて、新入隊員たちが全員頭を下げる。人数は、最初に入ってきた新入隊員の3分の2ぐらいだ。これだけの人数が、あの厳しい訓練をよく耐え抜いたと、織部自身も感慨深い気持ちになる。何せ、見てるだけで厳しいと分かる訓練だったのだから、実際に戦車に乗っていた隊員たちも辛かったろう。

 それを乗り越えて今日、正式に皆は黒森峰戦車隊の一員として迎え入れられたのだ。

 隊員たちも拍手をして新入隊員を温かく迎える。厳しいイメージのある黒森峰でも、それぐらいの祝う気持ちはあったようだ。

 拍手で迎えられ、これまでの苦労と努力が認められたことで、新入隊員たちは涙ぐんでいた。

 

「新たに入隊した者はタンクジャケットの採寸、それ以外の者は通常通り走り込みだ」

『はい!』

 

 正式に入隊と言う事で、いよいよあのタンクジャケットが支給される事になるのだ。黒森峰戦車隊に入ることを望む者にとっては、誰でも一度は袖を通したいというあのジャケット。これで、もう立派に黒森峰戦車隊の一員として認められる。

 新入隊員たちが採寸の為に校舎へ向かうのを横目に見ながら、元居た隊員たちと織部は走り込みを始めた。

 コースはいつも通り、学園艦を縁どるような遊歩道。4月も半ばを過ぎて、気温が順調に上がってきているので、春先であっても脱水症状などに気を付けなければならない。

 今遊歩道を走る織部も、自分の体調を十分に考慮して無理のない程度に走っている。

 そしてその隣には、小梅がいた。

 

「大丈夫ですか?春貴さん」

「まだ大丈夫。問題ないよ」

 

 早く走り終えれば何か褒美があるというわけでもないが、わざわざペースの遅い織部に合わせて走る事も無いだろうに。小梅のためにもならないだろう。織部はそう思っていた。

 織部のその考えに小梅は気付いたのか、小梅は織部に笑いかけてきてくれた。

 

「私の事は心配しないでください。私もこうしてゆっくり走る事で、ペースを乱さずに済んでいますから」

「そうか・・・・・・」

 

 一応、小梅が大丈夫だというのならそれでもいいかと織部は割り切って、走る事に集中する。

 途中何人かに抜かれていくが、織部も小梅も対抗心を燃やすことなくペースを守って走る。黒森峰学園艦はやたらと広く大きいので、この学園艦を縁取るような走り込みのコースで周回遅れになるという事は無いはずだ。

 

「・・・・・・あの、小梅さん」

「はい?」

 

 今、織部と小梅の周囲には人がいない。目視できる範囲では、少し先の方を走っている生徒が1人いるが、この距離では声は聞こえまい。後ろを見ても、走っている生徒の姿はない。

 

「・・・・・・この前は・・・・・・本当に、わざとじゃなかったんだ。でも、あんな事をして・・・・・・」

 

 切り出した話題は、織部が小梅に対する恋心に気付いてしまったきっかけとなった事故、書庫で故意ではないとはいえ小梅を押し倒してしまった件だ。

 あの事故が無ければ、織部は自身の内にある気持ちを認める事も、気持ちに気付く事もできなかったのだが、同時に小梅に対してひどい事をしてしまったという自覚もある。罪悪感だってもちろんある。小梅の心に傷を負わせてしまったかもしれないと、今でも不安でならない。

 好きな人にあんなことをしてしまったのだから、悔やむに悔やみきれない。

 

「・・・・・・私は、大丈夫です。気にしていませんよ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 小梅が織部に笑いかけてくれる。それだけで、織部は報われたような気持ちになるし、そして何よりその笑顔にくぎ付けになってしまう。小梅に出会ってから、もの悲しげな顔や憂鬱そうな顔を見ることが多かったからか、最近になって見せてくれる笑顔がとても新鮮に感じる。そして、そんな小梅の笑顔が、織部は好きだ。

 

「・・・・・・むしろ、嬉しかったというか・・・」

 

 小梅がボソッと何かを呟くが、織部には聞こえなかった。聞き返すと、小梅は少し顔を赤らめて『何でもないです・・・』とだけ言う。

 それはともかく、あの時も言ったが織部は何かお詫びがしたかった。それは小梅に対して悪い事をしてしまった事による償いと言うのもあるし、小梅に嫌われたくないという気持ちの表れでもある。

 

「でも何か、小梅さんにはお詫びをしたくて・・・・・・」

「・・・・・・私は本当に、大丈夫ですから」

「けど・・・・・・」

 

 小梅は、織部が社交辞令とかではなく、本当にお詫びがしたいと思ってそう言っているという事に気付いている。

 本当に小梅はあの時の事を不快に思ってなどいない、むしろ心地よかったとさえ思っている。

 だからお詫びなんていらないと思っているのだが、ここで断ると織部はなお気にしてしまうかもしれない。だから、ここは織部の厚意を受けた方がいいかな、と思った。

 そして何より。

 

「・・・・・・分かりました。では、お詫びと言っては何ですが・・・」

「?」

「私と―――」

 

 告げられたお願いの内容を聞いて、織部は少し首をかしげる。

 

「・・・・・・そんな事でいいの?」

「ええ、それでOKです。これで恨みっこなしにしましょう」

「・・・・・・・・・・・・分かった」

 

 何より、これで織部との距離を少しでも縮められたらいいな、と思ったから、小梅は織部の厚意を受け入れたのだ。

 

 

 ゆっくりと走ったからか、織部と小梅は全体でも最後の方で走り込みを終えた。格納庫の前に戻った時には既にほとんどの隊員たちが戻っていたが、織部と小梅が一緒に帰ってきたのを見て、三河と直下が何やら訳知り顔で笑っていた。織部は何も見ていないふりをして整列する。

 新入隊員たちは、採寸が終わった後は解散となったらしい、既にその姿はない。

 まほが訓練終了の号令をかけ、隊員たちは挨拶をして帰り支度を始める。だが、その段階でまほが小梅に声を掛けてきた。

 

「赤星、制服に着替えたら隊長室に来てほしい。話がある」

「・・・・・・はい、分かりました」

 

 呼び出しを受けた小梅。そして校舎へと向かう小梅の足取りは重い。

 この前まほから話を聞き、新入隊員の指導を小梅に任せるということが分かっていたので、恐らくまほはこれからそれを小梅に言うのだろう。

その話は小梅が外で聞いていたので、新入隊員が正式に入ったこのタイミングで話されることとは、これから話す話もそれだと小梅自身も分かっているはずだ。

 だが、隊長と一対一の状況で話をするというのがやはり緊張するのだろう。その気持ちはよくわかる。織部だって、この前しほと一対一で訓練用の高台にいた時、緊張のあまり倒れてしまったのだから。

 これからの状況に対する緊張を隠せない小梅に対して、織部はその小さな肩に優しく手を置いた。

 

「?」

 

 小梅が織部の顔を見上げる、織部は小梅に対して優しく微笑んで見せる。

 

「・・・・・・大丈夫。そんな心配することは無いと思うよ」

 

 その言葉で緊張がほぐれたのか、小梅は前を歩くまほの背中を見据えて、大きく頷いた。

 

 

 まほと話を終えた小梅は、織部と共に戦車を停めてある格納庫を訪れていた。明かりもついていない格納庫の中は薄暗く、注意しなければ躓いたり戦車にぶつかりそうだ。

 そんな中を小梅は、慣れているような足取りで進んでいく。織部はかろうじて見える小梅の背中を見失わないように後についていく。

 やがて小梅は、1輌の戦車の前で立ち止まった。その戦車は、黒森峰戦車隊特有の黄土色に塗られている。黒森峰の校章と、前面の傾斜装甲が特徴的なその車輌は、黒森峰戦車隊の半数以上を占めている主力戦車・パンターG型だ。

 小梅はそのパンターに歩み寄り、手入れされている装甲に手を触れる。

 

「・・・・・・乗れるんだね、遂に」

「・・・・・・はい」

 

 先ほど、小梅はまほから2つの話を受けた。

 1つは、新入隊員の指導をする事。と言っても、これは分かっていた事だし、小梅一人で担当する事でもないので、別に問題はない。

 そして、もう1つの話とは、この新入隊員指導を機に、戦車にまた乗る事ができるようになった事だ。

 その話を聞いた後、小梅は笑みを浮かべて、はきはきとした声でこう言った。

 

『ありがとうございます!隊長のご期待に沿えるよう、頑張ります!』

 

 およそ10カ月ぶりに戦車に乗る事になった小梅。搭乗する戦車は、あの全国大会決勝戦で乗っていたⅢ号戦車ではなく、このパンター。

 戦車が変わったのは、恐らくまほなりの気遣いだろう。あの時落ちた戦車に対して小梅は、あまりいい思い出がないだろうから。

 事実、この前戦車道博物館に行った際、小梅は展示されていたⅢ号戦車のレプリカを見た途端、あの時の事を思い出してしまったから、まほの気遣いも正解と言える。

指導をする事、戦車に乗る事が決まったと織部に伝えると、織部もまるで自分の事のように喜んでくれた。

 小梅のここまで積み重ねてきた努力がついに報われる。ついに、1人の戦車乗りとして復活することができるのだと。

 そこで明日からの指導を前に、小梅は一度自分の乗る戦車を見ておきたいと申し出て、今こうして格納庫にやってきたのだ。

 

「ちょっと、良いですか?」

 

 小梅が断りを入れると、小梅は戦車をよじ登る。そしてハッチを開けて、戦車の中へと滑り込んだ。

 車長の席に座った小梅は、どこか懐かしい気持ちになる。

 乗っていた戦車はあの時とは違うが、鉄と油の匂いは変わらないし、皆よりも少し高い位置に座って車内を見渡す感覚も、以前と同じだ。

 戦車の手入れで中に入った事は何度かあったが、それはまだ戦車に乗る事を認められていない時だ。認められた今、またこの車長の席に座ると、その時とは違う、懐かしい感覚が蘇ってくる。

 

(ああ・・・・・・)

 

 暗い車内を見て、そして空気を感じて、小梅は目を閉じる。

 

(・・・・・・戻って来たんだ・・・)

 

 わずかな間だけだが、パンターの車長席に座っていた小梅はやがて席を立ち、戦車から降りた。

 地面に足をつけると、織部が顔を綻ばせて小梅の事を見ている。その織部の表情の理由が小梅には分からず首をかしげると、織部が小梅の事を見たまま告げる。

 

「今の小梅さん、すごくいい顔してるよ」

「へっ・・・・・・そうですか?」

「うん。何だか、生き生きしてる感じだ」

 

 織部に言われて、小梅は顔に手をやる。自分では気づかなかったがまさかそんな恥ずかしい顔をしていたとは。

 一方で織部は出会った初めの頃は暗い顔をしている印象が強かった小梅が、最近では笑顔を見せるようになったことに心底安心し、また嬉しかった。

 そして今、再び戦車に乗る事になり、小梅の顔は一層輝いて見える。

 その顔を見た織部がこんなことを言った。

 

「その顔、僕は好きだ」

 

 その言葉を聞いた直後、小梅が顔を赤くして俯いてしまう。

 そして発言した織部本人も、バカなことを言ってしまったと後悔していた。『顔が好き』なんて、遠回しに告白しているようだし、どころかただの面食いと思われるかもしれない。

 だが、ここでその言葉を否定してしまうと今の小梅の顔は全然輝いてもいないというニュアンスで取られてしまう。

 

「えっと、好きっていうのはそう言う意味じゃなくて・・・・・・」

 

 織部が取り繕うとするが、俯いていた小梅は織部の顔を見て、にこりと笑った。

 

「・・・・・・ありがとう、嬉しいです」

 

 その顔を見ただけで、織部はほんの少し体が軽くなり、あれこれ深く考えるのはやめておいた。

 一度発した言葉を撤回して忘れさせるのは不可能に近い事だし、そして何より小梅の生き生きとした表情が織部は好きであることに変わりは無い。それに小梅も少々恥ずかしがりはしたが、嬉しそうにしていたので良しとすることにした。

 小梅は、再び戦車を見上げて大きく頷く。

 そして、織部に向き直った。

 

「じゃあ、行きましょうか」

「・・・・・・分かった」

 

 小梅に促され、織部と小梅は格納庫を出て学校を後にして、次の目的地へと向かった。

 

 

 

「・・・本当に、こんな事でいいの?」

 

 向かい合って座る織部と小梅。

 過失的に押し倒してしまった事に対するお詫びがこんな事でいいのかと改めて不安になり、聞いてみたのだがその小梅自身は十分だと言わんばかりに頷いた。

 

「ええ、これで十分ですよ」

 

 小梅が告げたところで店員が料理を持ってきた。織部の前に置かれたものはハンバーグ、小梅の前に置かれたのはカリーヴルストだ。

 小梅がお願いしたこととは、織部と一緒にご飯を食べるという事だった。

 食事をする場所は別に決めてはいなかったので、とりあえずあのドイツ料理店という事になり、今こうして2人はその店にいる。

 織部としては、好きになった小梅と一緒に食事をするという事自体は別に嫌ではない。むしろ小梅と一緒に時間を過ごせるのだから嬉しい。

 しかして、お詫びがこの程度の事でいいのだろうか。

 

「そんなに気にしなくても大丈夫ですよ。あの時の事は、もう私も気にしていませんから」

「そう・・・・・・それならいいんだけど・・・・・・」

 

 あの時の事を小梅は気にしてないと言った事に織部は安心したが、本当に何とも思っていないというのはそれはそれで傷つく。なんだか自分が男として見られていないような気がするからだ。

 

「~♪」

 

 そんな織部の気持ちなどつゆ知らず、小梅は美味しそうにカリーヴルストを食べている。まあ、小梅が気にしていないと言っているのだし、食事を楽しんでいるようだし多くは言わない事にしよう。

 そう思い、織部もハンバーグを食べることにする。出来立てで熱かったがとても美味しい。ライスに乗せるとまた格別だ。

 そんな感じでしばしの間ハンバーグの味に舌鼓を打っていると、小梅がこちらを見ている事に気付いた。

 

「・・・・・・どうかした?」

 

 気になったので小梅に尋ねると、小梅は『な、何でもないですよ』と言ってヴルストと一緒に皿に載っているポテトを齧る。

 だが、小梅の言葉が嘘だというのに織部は気付いていた。

 小梅は、織部に話したい事があるということだろう。だが、小梅は今食事を楽しんでいるし、うっかり辛い話を切り出させてしまうとせっかくのご飯も不味くなってしまいかねない。だから、食べ終わるまで待つことにした。

 少しの間、織部と小梅がそれぞれ自分の料理を食すことに集中し、やがて食べ終わり水を飲むと、小梅がかしこまって姿勢を正す。

 やはり、何か話したいことがあったようだ。

 

「・・・・・・少し、私の話を聞いてもらっても、良いですか?」

「・・・いいよ。話してみて」

 

 小梅は間違いなく何かに困っている、あるいは不安を抱いている。

 小梅に惚れてしまった以上、織部は小梅の力になりたかった。いや、惚れた事を差し引いても、新学期初日から寄り添うようにしてきた織部は、小梅の中にある不安や恐れを取り除いてあげられるように、力になりたかった。たとえ、織部に何もできなくても、話だけは聞いてあげたかった。

 

「明日から・・・私は新入隊員の皆さんと一緒の戦車に乗って、皆さんの指導役になるんです」

「・・・・・・」

 

 織部もその話は聞いていたので、素直にうなずく。けれど、このタイミングで話して来るという事は、小梅の言いたいことがなんとなくだが織部には分かった。

 

「それで、やっぱり不安なんです・・・。皆が、私についてきてくれるかどうか・・・私が、ちゃんと指導できるかが。後輩なんて今までいた事ありませんでしたし・・・」

 

 やっぱりそう言う話かと織部は思った。小梅の優しい性格と過去の経験から、小梅はあまり楽観的に物事を考えられないと織部は分かっていた。だから明日からの新人指導に対して及び腰なのだというおおよその予想もほんのわずかだがついていた。

 だからと言って織部は小梅の事を笑ったりはしない。同じ立場に織部が立ったとしたらと想像し、織部だって同じように人を指導する立場に立ったことなどないので、いざ経験者として人にものを教えるとなると尻込みしてしまうのも分からなくはない。

 でも、そんな織部でもほんの少しだけだけだが言えることはある。

 

「・・・・・・僕も、人を指導したことなんてないから、あれこれこうした方がいいなんて指図する事はできない」

「・・・・・・」

 

 小梅も、ただ自分の不安な気持ちや思いを聞いてほしかっただけであって、アドバイスまで求めてはいない。

 もう、自分はこの短い期間で織部に頼りすぎてしまい、助けられ過ぎていると小梅は分かっていた。

 自分の過去を聞いてもらって、戦車道博物館では気持ちを落ち着かせてもらって、夜のジョギングでは怪我をした自分の事を介抱してくれて、そして何より、織部の言葉が黒森峰で失意のどん底にいた小梅の事を救ってくれて。

 だからこそ、その真摯で優しい織部の事が好きになったのだが、これ以上織部の手助けを必要とするのは少々烏滸がましい。

 でも、織部は。

 

「だけど、1つだけ言わせてほしい」

「?」

 

 織部はそう前置きをして、こう言った。

 

「無理して厳しく教えようとはしないで、いつも通りの小梅さんで教えていけば、いいんじゃないかな」

「・・・・・・いつも通りの、私・・・?」

 

 確認するように小梅が聞き、織部は頷く。

 

「無理に厳しくしようとすると、逆に自分自身が罪悪感や申し訳なさで辛くなる。いつも通りの優しい小梅さんで教えてあげれば、教わる側も付いてくるはずだよ。黒森峰に入学して、その戦車隊に入って1週間の特訓を耐え抜いたんだから、そこまで反発的な態度も取らないと思うし・・・あくまで推測だけどね」

「・・・・・・・・・・・・」

「だからまあ・・・・・・舐められるような事は無いとは思うけど・・・。ともかく、教える側だからって変に気張ったり厳しくしようと取り繕ったりもしないで、いつも通りに教えればいいと思うよ」

 

 小梅自身、不安だったが強豪校である黒森峰の一車長として、そして先輩として厳しく接していこうと考えていた。

 だが、普段からあまり怒ったり厳しくしたりしない、どちらかと言えば物腰が柔らかい小梅はその厳しく指導するという事に対して不安を抱いていた。それが、先ほど織部に話した事にもつながっている。

 だが、織部から『無理して厳しくしなくてもいい』という言葉を聞いて、肩の荷が下りたような気持ちになった。

 

「それと、自分一人だけでやって行こうとも思わない方がいい」

「・・・・・・え?」

「小梅さんだけじゃないんでしょ?他に新入隊員の指導をする人は」

 

 今年入った新入隊員の指導をするのは、何も小梅だけではない。根津や斑田達同期の車長に、もちろん3年生だって行う。

 

「躓きそうになったり、行き詰ったりしたら、迷わず皆を頼った方がいいよ。なんでもかんでも、1人で抱え込まない方がいい」

 

 そうだ。今まで―――小梅自身が黒森峰で矢面に立たされて自分を孤独だと思い込んでいた時、小梅は誰にも相談しようとはしなかった。

 

「・・・・・・皆に頼ろうとはせず、全部自分一人で抱え込もうとすると、いずれまた・・・・・・昔みたいになるよ」

 

 織部はそれを、小梅から話を聞いて分かっていた。だからそれを、あえてもう一度教えた。

 小梅はそれに気づき、またその時の事を思い出して、空になった皿に目を移す。

 

「それに・・・・・・僕だっている」

 

 小梅が顔を上げて織部の顔を見る。

 

「話を聞いてあげるくらいだったら、僕にでもできる。今みたいにね」

 

 まるで、具体的に小梅の力に慣れないことを悔やむような、悲しい笑みを浮かべながら織部が肩をすくめる。

 

「僕だって今こうして偉そうに言ってるけど、人を指導した事なんて一度も無い。だから僕の言葉が正しいなんて確証はどこにもないし、小梅さんがその通りにしないといけないなんて事は無い。だから僕の言ったことは、単なる一個人の意見として聞き流しても・・・・・・」

「いいえ」

 

 織部の言葉を遮る形で、小梅が口を開く。

 そして、今なおもの悲し気な顔をしている織部に向けて笑みを浮かべてこう言った。

 

「私は・・・・・・これまで何度も春貴さんの言葉に救われました・・・。春貴さんの言葉を信じてきたから、今の私があって、だから・・・・・・」

 

 小梅は、織部の顔を真っ直ぐに見据えて、告げた。

 

「春貴さんを・・・・・・春貴さんの言葉を、信じます」

 

 一瞬、ほんの一瞬だけ、織部は少し呆けたような表情を浮かべる。だが、小梅から信じると告げられて照れくさくなり、思わず視線を下に逸らす。

 

「・・・・・・僕なんかの言葉を信じてくれて・・・ありがとう」

 

 その言葉に小梅は、笑って見せた。

 

 

 翌日から、まほの言った通り小梅は新人指導に当たることとなった。

 前に述べたように、新人の指導をするのは小梅だけではない。だが、実際に同じ戦車に乗って直接指導をするというケースは少ないようで、根津に斑田、直下や三河は誰の指導をするかの指示を受け、無線機で指導をする形をとるらしい。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 小梅の搭乗するパンターに乗っている4人の新入隊員たちは今、そのパンターの前に整列している。全員1週間の特訓を耐え抜いた、真に黒森峰戦車隊に入りたいと願っていた子たちだろう。

 全員姿勢を正しており、目は真っ直ぐに小梅の事を見ている。その目だけで、誰もふざけているつもりがないというのが分かる。あの1週間の訓練で気が引き締まったのか、それとも元からそう言う性格なのか。それは、これから知っていけばいいことだ。

 

『いつも通りの小梅さんで教えていけば、いいんじゃないかな』

 

 織部のあの言葉は、肝に銘じている。変に取り繕ったりせず、無理に厳しくしようともせずに、織部の言ういつもの優しい小梅の態度で接していけばいい、という意味で織部は言ってくれた。

 

「・・・私が、このパンターの車長で、皆さんの指導役を仰せつかった赤星小梅です。よろしくお願いします」

『お願いします!』

 

 小梅が自己紹介をすると、威勢のいい返事が返ってくる。仮入隊の時に聞いたような覇気の無い挨拶ではなかったので、内心小梅は少し驚いていた。正式に入隊し、タンクジャケットも支給されたことで黒森峰戦車隊の一員になったという自覚が強くなったようだ。

 

「これから皆さんとは、一緒のチームで動きますので、協力していきましょう」

『はい!』

「では、それぞれのポジションについてください」

『了解!』

 

 小梅が告げると、4人の新入隊員はパンターに乗り込み、それぞれの定位置につく。

 小梅も最後に乗り込もうとしたところで、格納庫の脇に立っていた織部と目が合った。

 織部も小梅に気付いたようで、小さくガッツポーズを取った。おそらくは、『頑張って』と言っているのだろう。

 小梅もそれに、ガッツポーズで返し、うんと頷いてからよじ登って戦車に乗りこむ。そして車長席に座って車内を見回す。既に定位置についている隊員たちが、前をじっと見て待機している。

 小梅は、去年Ⅲ号戦車の車長として戦車に乗っていたころを思い出していた。

 入隊直後の適性試験で“車長”判定が出て、まほから車長に任命された時は面食らい、できるわけがないと不安になっていた。けれど、同じく車長に選ばれた根津や斑田たち同期の皆に励まされて車長の任務を全うし、全国大会に出られるほどの腕前を身につけた。

 そしてふと、今はここにいない人物の事も思い出す。

 

(・・・・・・みほさん)

 

 西住流の直系で、隊長のまほの妹だからという理由もあったが、西住みほもまた小梅と同じ車長だった。

 あの全国大会決勝戦以前から小梅はみほと交流があった。親友・・・とまでは言えないがそれなりに関わりのあった、知人とも言える関係だった。

 だからこそ、川に落ちた自分の事を助けてくれたみほの事を今も尊敬してやまないし、みほが黒森峰を去ったと知った時はひどく落ち込んだ。

 それから織部の手助けを受けて小梅は立ち直り、みほのあの時の行動が、みほの戦車道が間違っていなかったと証明したいから、今こうして戦車に乗っている。

 その信念は揺るぎなく、これから先曲げるつもりもない。

 だから小梅は、これからも、自分の戦車道を歩み続けるのだ。

 

(私も・・・・・・頑張ります!)

 

 車内に取り付けられているスピーカーから、隊長であるまほから前進開始の指示が下る。

 小梅は、車長として操縦手及び同乗している乗組員たちに指示を出した。

 

戦車、前へ(パンツァー・マルシュ)!」

 




ブルースター
科・属名:キョウチクトウ科ルリトウワタ属
学名:Oxypetalum coeruleum
和名:瑠璃唐綿
別名:オキシペトラム、トゥイーディア
原産地:ブラジル、ウルグアイ
花言葉:信じあう心、幸福な愛

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