随分先ですが、筆者は気長に待つことにします。
読者の皆様も、ゆったりとこの作品を読んでいただければと思います。
完結はまだまだ先ですが、よろしくお願いします。
間もなく連休を迎える日の夜。
黒森峰戦車隊副隊長・逸見エリカは、ドイツ料理店のテーブル席の1つで、頬杖を突きながら考え事をしていた。
エリカは戦車隊の副隊長として、隊長である西住まほの傍に控え、普段の事務や訓練ではまほの補佐を務めている。訓練中の指示も半分ほどはエリカが下していた。
そのエリカが副隊長に任命されたのは、2年生に進級するよりも前、春休みに突入する前からだ。
新学期に入ってからではなく、そのような中途半端な時期に副隊長になったのはなぜか。
理由は単純、その春休み前に元副隊長の西住みほが黒森峰を去ってしまったから。
「・・・・・・・・・・・・」
みほがまだ副隊長として黒森峰にいた頃―――いや、みほと同い年のエリカが戦車隊に入隊したての頃、エリカは1年生にして期待の新人とされていた。
性格は勤勉で真面目、適性試験で車長の判定が出たエリカは指揮能力も高く、新人に任せられる雑務もそつなくこなしていた。同じ戦車に搭乗する乗員と共に戦車隊の中で頭角を現していき、遂には1年生でありながら戦車隊でナンバー3の地位にまで上り詰めた。いわば、エリカはたたき上げとも言える。
先輩たちは、エリカの頑張りを素直に評価し、彼女こそが次の副隊長に相応しい、もう先輩たちの実力を超えていると、誰もがそう言っていた。前の副隊長が3年生であったために、新学期に入ってから副隊長不在の期間が続いていた。だが隊長であるまほは、副隊長を新2、3年生の中から選ばず、入隊希望者が正式に入隊してから決めるとしていた。
だが、隊長のまほは、副隊長に自らの妹であるみほを指名した。
みほは、言わずと知れた西住流の直系の娘であり、まほの妹でもある。隊長のまほが西住流の後継者筆頭とされており、その妹であるみほは後継者の第2候補。そう考えれば、みほが副隊長に任命されるのも、ある程度納得はできる。
だが、エリカは頭では納得しても、心では納得していなかった。
みほはエリカと同じく適性試験で車長判定が出ていて、戦車に乗っている間は真剣に戦車道に取り組み、搭乗員に的確な指示を下している。指揮能力と状況判断能力で言えば、エリカに劣らない、いやむしろエリカより上だろう。
だが、同じく西住流でみほの姉であるまほのような厳しさは余り見受けられず、むしろその逆、少し優しく柔らかい、和やかな雰囲気がした。
それは普段の学校生活においても同じだった。戦車に乗っている間は凛々しいのに、戦車を降りたらそれが嘘のようにおっちょこちょいで、よくドジを踏んでは周りからくすくすと笑われている。戦車に乗っていない時のみほは、危なっかしいという印象をエリカは抱いていた。もし戦車道とは無縁の者がみほの姿を見たら、彼女が西住流の後継者第2候補とは誰も思うまい。
だが、だからこそ、そんなどこかぽわぽわしていて頼りないみほが副隊長を務めているというのが、エリカは気に食わなかった。
誇り高き西住流の人間であるはずのみほが、普段はドジでおっちょこちょいで危なっかしい行動をとり、戦車道では厳しさの欠片も見せない。彼女が声を張り上げて指揮を下している時など、まったくと言っていいほどない。
エリカは元々、西住まほに、西住流に憧れて黒森峰に入学した。だからこそ、自分も西住流のような人間でありたいと願い、普段から真面目に、そして自分にも他人にも厳しくしている。
もしかしたら自分は、みほ以上に西住流に近い人間なのかもしれないと、心の中でだけ思う事は幾度となくあった。
だから、西住流のイメージとは全くかけ離れた雰囲気のみほが、西住流の影響を色濃く受けている黒森峰をまほと共に率いているというのが、エリカは気に入らなかったのだ。
「・・・・・・・・・・・・」
一方でまほは、そんなエリカの心情を知ってか知らずか、副隊長補佐と言う立場をエリカに与えてみほをサポートさせた。エリカは知らないが、高い実力を誇り、皆から次代の副隊長として期待されていたエリカを、ただの平隊員の立場に留まらせておくのは少々惜しいと判断したまほが、エリカに補佐の立場を与えたのだ。
しかしそれは、却ってエリカの中に燻るみほへの嫉妬に近い感情を助長させてしまった。
みほに近い場所にいればいるほど、本来の西住流と、みほの間にある大きな差を痛感することとなり、エリカは次第にみほに対して敵愾心にも似た感情を覚えていった。
だがある時、隊長のまほが席を外し、エリカとみほと2人きりになった時の事。
『・・・・・・逸見さんは、戦車道・・・好き?』
と、みほが聞いてきた。
エリカは何をふざけた事を、と表情に表しながら皮肉交じりにこう言った。
好きじゃなければ、わざわざここまで来ないと。
『・・・私も、戦車道は好きだよ』
もし、みほが『私は嫌い』などとほざいたら、エリカは本気で頬をひっぱたいただろう。
西住流の直系であるみほが『戦車道なんて嫌い』と言ってしまえば、それは師範、そして姉であるまほへの背反の意思を示し、西住流のこれからを背負う意志が全くないと言っているも同然。
『でも、最近の逸見さんは・・・・・・そうは見えない』
『・・・・・・・・・・・・・・・なんですって?』
『だって・・・・・・戦車に乗ってる時も、すごく不機嫌そうな顔をしていたから』
どうやらみほにも、人を見る目はあったらしい。そしてエリカ自身、そんな顔をしているとは思ってなかった。みほへの嫉妬心や敵愾心に心を支配されているせいか、無意識にそんな顔をしてしまっていたようだ。
そしてその理由の一端にみほがあるとは、当の本人は知る由もない。
『戦車に乗るのが好きなら、どうしてそんな顔をしてるの・・・?』
その理由はあんたにあるのよ、とエリカは思ったが口には出さない。
『戦車に乗るのが好きなら、その気持ちは大切にした方がいいと思う』
私に説教する気か、とエリカは最初思ったが、語るみほの顔が戦車に乗っている時以上に真剣なものであることに気付き、大人しく聞く事にする。
『戦車に乗る事を嫌いになると、自分がどうして戦車道を歩んでいるのか、自分はどうして戦車に乗ってるのか、それが分からなくなるから』
『・・・・・・・・・・・・・・・』
『自分の道を見失わないために、その戦車に乗るのが好きっていう気持ちは、ずっと大切にした方がいいと私は思うよ』
そうかもしれない。
どうやらエリカは、みほに対する敵対心に気を取られ、大切な事を忘れてしまっていたようだ。
エリカ自身も、戦車道を愛しているという事を。
戦車道を愛し、西住まほを尊敬し、西住流に憧れて、自分は黒森峰に来たのだという事を。
だがみほに対する嫉妬心や敵愾心が芽生え、次第にそれを忘れてしまっていたらしい。
その気持ちを思い出させてくれたことに対しては、みほに礼を言わせてもらう。
『・・・・・・ありがと』
だが、みほの表情は曇っていて、ぼそぼそと何かを言っていた。
エリカは読唇術を持たないため何を言っているのかは分からなかったが、こう言っているようにも思えた。
私みたいにはなってほしくないから、と。
ともあれ、それ以来エリカのみほに対する暗い感情は幾分か晴れ、名前で呼び合うまでには親しい関係となった。ただ、最初にみほがエリカの事を名前で呼び、エリカはそれが釈然としなかったが、釣られる形でみほを名前で呼ぶようになってきた。
みほはエリカの事を友達と思っていたようだが、エリカからすればみほはそこまで親しい存在ではない。
ただ、エリカにとってのみほは、戦車に乗るうえで大切な事を思い出させてくれた恩人とも言える。けれど西住流ながらもその頼りないみほがエリカは気に入らなかったので、友達とまでは言えない。言うなればライバルとも言える存在だ。
そしていずれは、戦車の練度ではこの頼りないみほを超えて、西住流を、この黒森峰を率いて見せると心に誓い、みほは越えるべき存在となった。
だが、みほの事をそう認識した後で、あの事件が起きた。
第62回、戦車道全国高校生大会の決勝戦の事だ。
雨の降りしきる中で、あの時、エリカの車輌はみほの車輌のすぐ後ろについていた。そしてみほの車輌の前には小梅の車輌がつき、エリカと小梅の2人で護衛をしていたのだ。
隊長であるまほと残りの車輌とは、相手のプラウダの主力部隊の手によって引き離されてしまい、みほたちはなんとか主力と合流しようと川沿いの舗装されていない道を走行していたのだ。
しかしそこを狙いプラウダの別動隊がやってきて攻撃を仕掛けてきた。小梅のⅢ号戦車はフラッグ車を守ろうと応戦したが戦車の足元を狙撃されてバランスを崩し、川へと転落した。
前の車輌がいなくなった事で、フラッグ車のみほは攻撃のチャンスを得た事になる。それにまだ彼我の距離はかなりあったので、相手に一撃をお見舞いした後で後退すればまだ勝機もあったかもしれない。
だが、あろうことかフラッグ車のみほは攻撃、後退の指示も出さず、戦車を降りて川に落ちた小梅の戦車の搭乗員を助けようとしたのだった。
その様子を見ていたエリカは『何やってんの!』と冗談抜きで叫んだが、みほは止まらず川に飛び込んだ。
だが、エリカの脳はすぐに状況を再認識して、このままではフラッグ車はただの的になってしまうと瞬時に思い至って、操縦手に急いでフラッグ車の前に移動して盾になるように指示を下す。けれど、土手のような形になってしまっている道の脇を進むのは、いくら練度の高い操縦手でも難しく、前に出るのに大分時間がかかった。それでも、どうにかして前に出ようとしたが、タッチの差でフラッグ車は狙撃され、撃破判定を受けた。
それはすなわち、黒森峰が負けた事を意味していた。
10連覇の夢は、断たれたのだ。
試合後、まほを含めてフラッグ車が撃破された時の詳細を深くは知らない黒森峰戦車隊の隊員は『まさか負けるなんて・・・』とそれなりのショックを受けているだけで、憤りはしていなかった。
だが、あの場所にいたエリカは違った。
『あなた、一体どういうつもりなの!?どうしてあんなことをしたの!?』
エリカはみほに詰め寄り、胸倉をつかむ勢いでみほに問う。
『・・・・・・私は・・・』
エリカの怒号と周りからの視線に晒されて、みほは涙を額ににじませるが、真っ直ぐな瞳でこう言った。
『・・・・・・仲間を・・・皆を、助けたかったの・・・!』
雨の音と、歓喜に満ちたプラウダ高校の戦車隊の声が、その場にこだました。
その後、みほは試合を見ていたしほによって西住流本家に呼び出され、みほは自分の行動を叱責された。
そして、試合の詳細を知った黒森峰戦車隊のメンバーは黒森峰の優勝を、10連覇を逃したみほの事を責め立て、さらには戦車隊に所属していない普通の生徒たちも学校の偉業を砕いたみほの事を批判した。
まほは、みほに責任を取らせる形でしばらくの間は戦車に乗せなかった。みほがフラッグ車を降りる事になった直接の原因を作った車輌の車長の小梅とその搭乗員も、また同じように罰せられた。
だが、その罰則期間が終わってもみほは戦車に乗ろうとはしなかった。
そしてある時、みほはエリカにこんな言葉をこぼした。
『私はもう・・・西住流には、戦車道には向いていないのかも・・・』
エリカは、その言葉にはただ『さあね』としか答えなかった。
一時の間はみほに対して親しみを抱いていたエリカも、あの決勝戦でのことをきっかけにみほと話をする機会も激減し、副隊長補佐としてみほの傍にいる時以外はみほには近づかなかった。
やはり、エリカの心の底には西住流に対する憧れが根付いており、黒森峰の優勝を逃してその西住流の教えに反した、西住流の直系のみほの事をエリカは嫌うようになった。
そして、ほどなくしてみほは戦車の訓練を休むことが増えて、やがて戦車隊を、黒森峰を去る準備を始め、春休み前に黒森峰を去ってしまい、エリカは新学期から副隊長になるようにまほから告げられた。
「お待たせしました、ハンバーグセットでございます」
そこで、エリカの意識は店員の声と目の前に置かれたハンバーグの美味しそうな匂い、そして鉄板とソースによるジュージューという音によって現実に戻された。
とりあえず、今まで考えていたことは放り投げて、今は目の前のハンバーグを食すことに専念しよう。でないと、せっかく来たのに食事が美味しくなくては損をした気分になる。
ナプキンを膝の上に乗せ、手を合わせていただきますをし、セットてついてくる野菜スープを一口飲む。温かいスープと野菜の風味がエリカの身も心も温める。
次にナイフとフォークを手にし、ハンバーグを切り取る。ハンバーグにナイフを差し込むと、肉汁があふれ出してエリカの食欲をそそる。切り取ったハンバーグをフォークで刺し、そして口に運ぶ。
「・・・・・・美味しい」
自然と笑みがこぼれる。そこで一口ライスを食べて、またハンバーグを切り取って口に運ぶ。二口目も美味しい。
エリカの好物はハンバーグだ。ずっと昔からそうだった。だが、それは決して口外しない。
何故って、子供っぽいと思われるからだ。実際、中学生の頃『好きな食べ物は?』と友人に聞かれた際にハンバーグと答えたら、『意外と子供っぽいんだね』と言われた。その時は少し恥ずかしかったし、確かに子供っぽいとは自分でも思った。
けれど好物を簡単に忘れるのも変えるのも難しいので、以降エリカは自分から好物を誰かに話すという事をしなくなった。
今も、皆から気付かれないように私服に着替えて、さらに髪型も少しいじって、一見逸見エリカだとは分からないようにしながら1人でハンバーグを食べに来ている。
ハンバーグは好きだが、カロリーも高いので週に1度しか食べない。そう言う縛りをつけているあたり、エリカは自分に厳しいとも言える。
ともあれ、副隊長として隊員たちに厳しく接し、真面目な態度で学業に励んでいるエリカの好物がハンバーグとは、決して悟られたくは―――
「逸見副隊長、お疲れ様です」
間違いなく、自分の名を呼ばれてエリカは顔を上げる。上げてしまった。
その目線の先にいたのは、留学というイレギュラーな形で黒森峰にやってきた男子・織部春貴。そしてその横には赤星小梅、さらにその後ろには根津、斑田、直下、三河と、エリカの同期の車長たち。そしてさっきの声は男のものだったから、自分が逸見エリカだと真っ先に気付いたのは織部という事になる。現に、傍にいる小梅や根津たちは、『え?この人がエリカさん?』と言った感じで戸惑っている。
髪型を変えて、普段とは少し違う感じの私服を着ているというのに、なぜバレてしまったのか。それは素直に気になる。
「・・・・・・よく、分かったわね」
「目元とか、髪の色とかがなんとなく似ていると思いまして」
なるほど、確かにそこはどうにもならない。だが、今日だけ見られたのならば、自分の好物がハンバーグだとは気づかれないだろうし、特に問題はない。
エリカは織部たちから視線を逸らし、ハンバーグを食べる事に再び専念する。
それは決して食い意地が張っているわけではなく、『今は話しかけるな』という意思表示だというのは織部たちも理解したので、大人しく織部たちは通された席へと向かう。
エリカが織部たちと話をしたくなかったのは、好物を食べてる最中という理由も少なからずあるが、それ以上の理由はある。
それは、織部の事が気に食わないからだ。
そもそも、先ほどまでみほが黒森峰から去るまでの経緯を思い出していたのは、この前偶然聞いてしまった、織部とまほの話だ。
まほは、みほの事を本当は庇いたかったのだが、西住流のメンツと黒森峰戦車隊の事を考えて庇わなかった、と言っていた。
エリカからすれば、まほは尊敬し、敬愛している人物であり、心酔していると言っても過言ではない。
だがその尊敬しているまほとは、西住流の教えや考えを尊重し、邪道を一切認めず、いかなる時も前に進み続ける、凛々しく気高い人物だ。
しかしそんなまほが、黒森峰の、西住流の教えに反する失態を犯した妹の事を庇いたかったなどと言ったのは、完全にエリカの予想を超えてしまっていた。
まほは恐らく、西住流師範のようにみほの事を責め、厳しく当たるだろうと思っていた。次期西住流師範となるであろうまほも西住流の教えが染み付いていて、犠牲を助けようとしたみほの事を叱責するだろうと思っていたのに。
『みほは、人として正しい事をしたと思っている。姉としても、誇らしい』
西住流としては間違った事をした、と言っていたが、『人として正しい』とまで言うとは思わなかった。
西住流の人間であるまほならば、みほの行動を褒めはしないと思っていたのに。まほはあの時確かにそう言った。
エリカの尊敬するまほとは先に言ったような性格で、姉妹だからと優しく接するような事は、甘やかすような事はしないと思っていたのに。
この話を聞いて、エリカは自分の尊敬するまほがどんな人物なのか分からなくなってしまい、あの時は小梅を一人置いてその場を離れてしまった。
そして、まほの言葉からみほの事を思い出し、先ほどのように過去の事を思い出す機会が増えた。
それと織部に何の関係があるのか、と問われたらエリカは即答できる自信がある。
2年生新学期から留学という形で黒森峰にやってきた新参者の織部が、黒森峰の事情を、まほの心情を何も知らないくせに、まほの苦悩に満ちていたであろう過去を思い出させて本音を吐き出させ、さらにはエリカの中にある西住まほという人間のイメージを崩したからだ。
要するに、新参者のくせに黒森峰戦車隊の内情を嗅ぎまわし、引っ掻きまわしている織部が気に食わないのだ。
実際の所、織部はただ小梅の事を心配し、そこから連鎖的に黒森峰戦車隊の事情を深く知り、さらにみほとまほの間にある確執の真実を知ってしまったのだ。
さらに織部の内にある行動原理は、“自分と同じように辛い境遇にある人を助けたい”という気持ちなので、織部には悪意はないし、罪も全くとは言わないが無い。戦車隊の内情を嗅ぎまわったり引っ掻きまわしているというつもりも自覚も無い。
だが、そんな事はエリカが知るはずもない。織部の事を、小梅の事を知らない、言ってしまえば蚊帳の外のエリカからすれば、先ほどの織部に対するような印象を抱くのが自然とも言える。
「・・・・・・・・・・・・」
無意識に、ハンバーグに突き刺すフォークに力が入ってしまっていた。エリカはフンと鼻で息を吐きそのハンバーグの欠片を口に放り込む。
とにかく、今のエリカは、迷っていた。
この先どうするのか。
そしてこれから、まほとどう向き合って行けばいいのか。
テーブル席に着き、各々何を頼むか決めて店員に注文した後、織部たちは雑談に興じていた。話題は専ら、連休明けの中間試験についてだ。
「やっぱ物理は分かりにくいな。何とかの法則だの何エネルギーだのと、やたらと難しい単語を使って表現が回りくどい」
根津が不貞腐れながらぶつぶつと文句を言っている。隣に座る織部はお冷を飲みながら、一理あると頷く。
「どの科目に重点を置くかっていうのがポイントだよね。得意科目に力を入れるか、苦手科目に力を入れるか」
「私は苦手科目に力入れるなぁ。得意科目は大体点が取れるからそんなに勉強しなくても平気だし、苦手科目でちょっとでも点を取っとけば得だし」
直下と三河は、何の科目に力を入れて勉強するかを話している。
「織部君は、何か嫌いな科目ってあったりするの?」
「数学と物理に生物・・・理数系全般が苦手だね」
「へぇ・・・意外ですね。苦手科目なんて無いと思いました・・・・・・」
「いやいや、フツーにあるよ苦手な科目ぐらい」
小梅と斑田は、織部の知られざる苦手科目を聞いて少しばかり驚いていた。
どれだけ織部が勉強を頑張ってここまで来たと言っても、織部にだって苦手な科目はある。それは先ほど言った通り、理数系の科目だ。根津の言った通り表現がどうも回りくどいような気がするし、化学式なんて何かの呪文にしか聞こえない。数学だって、公式を覚えるのに苦労するし、グラフの作成も困難を極める。
それでも、何とかものにして平均以上の点を修めて、どうにかここまでやってきた。
「せっかくのゴールデンウィークも試験勉強と訓練に潰れるなんて、ついてないねぇ」
心底がっかりしたように三河が呟く。
中間試験は、ゴールデンウィーク明けの最初の週に行われる。おそらくは去年もそうだったのだろうが、この時期に中間試験となるとゴールデンウィークに手放しに遊ぶ事などできはしない。中間試験抜きにしても、戦車道の訓練があるから、やはり世間一般よりゴールデンウィークに対する期待度は、薄いのだろう。
そして、さらに気にするべきことがあった。
「中間試験を超えたら、次は全国大会・・・なんだっけ」
そう、中間試験を乗り越えた先にあるのは、戦車道全国高校生大会だった。おそらくは、小梅にとって、まほにとって、そしてここにはいない西住みほにとって、人生の分岐点とも言えるであろうイベント。
当然、黒森峰は参戦する。去年の雪辱を果たすために、そして、去年潰えた前人未到の10連覇を再び目指すために。
「まだ、誰が試合に出るかは決まってないけどね」
三河が背もたれに背を預けて天井を見上げながら呟く。
最終的に誰が試合に出るのかを決めるのは、隊長と副隊長だ。日々の訓練の内容を顧みて、さらに過去に行われた模擬戦、練習試合での戦果も加味し、そして隊全体の戦車性能のバランスも考えて、試合に参加する戦車と選手が決められる。
去年出られたからと言って、今年も出られるという保証はない。模擬戦や練習試合で戦果を挙げたからと驕り、研鑽する事を忘れる輩は大体代表から弾かれる。そんな人物は、真面目な黒森峰にはいないと思っていたのだが、やはりそう言う事がたまにあるらしい。人間の性と言うやつか。
だからと言って、戦車道の経験がまだ浅い1年生が全く試合に出ないという事も、無いらしい。
現に、ここにいる織部以外の車長たちは全員織部と同じ2年生で、去年の全国大会の時は1年生だった。実力のある1年生であれば、2年生や3年生の先輩を差し置いて大会に出る事も可能なのだろう。
黒森峰戦車隊は完全に実力主義であるために、先輩が後輩よりも上に立つことはもちろん、後輩が先輩を超す事だってある。
逸見エリカがその代表的な例に当たる。彼女は入隊してからめきめきと力を伸ばし、先輩たちを追い抜いていった。そして今、3年生を差し置き副隊長の命を受けてまほの横にいる。
「私は・・・・・・今年出られる可能性は低いですね・・・。去年の事もあるし、私の車輌は私以外1年生ですから・・・」
小梅が少ししょんぼりとしながら話す。確かに、戦車に乗る事を再び認められたからと言って去年の事が帳消しになったわけではない。
そして、小梅が車長を務めるパンターの搭乗員は砲手、操縦手、通信手、装填手の全員が今年入ったばかりの1年生。過酷な最初の1週間の訓練や、その後の通常訓練を乗り越えたからと言って、じゃあ大会にも問題なく参加させられる、と簡単にはいかないだろう。
「赤星さんが一番大変だよね。搭乗員全員を指導するなんて」
直下が心底心配そうに小梅の事を見る。
直下の言う通り、搭乗員がほぼ全員1年生と言う戦車は極稀だ。他の戦車は大体、1人か2人が新入隊員でそれ以外は全員2年生以上の経験者で構成されている。
当たり前だが、1年生の新入隊員が入ったという事はそれとは反対に3年生の隊員は卒業していなくなってしまったという事になる。そうなると、1車輌内で個々人の学年が混在している戦車は、卒業してしまった隊員による欠員、穴ができてしまう。それを補う形で新入隊員が入るのだ。
本当にゼロから、全員が1年生の新入隊員ばかりで構成された戦車は正直言って戦力にはならず、実際の試合では単なる囮程度の戦果しか期待できない。
隊全体の練度が高い水準であることを基本とする西住流―――黒森峰戦車隊はそれを良しとはしない。
にも拘らず、今回小梅は自分以外が1年生と言う構成の戦車に乗る事を命ぜられた。
それは、まほが暗に小梅の戦車に対して戦力外通告を出しているという捉え方もあるが、小梅はそうは思えなかった。
もっと別の目的や、狙いがあるのではないかと小梅は思っている。
「でも、小梅さんの戦車は短い期間で大分伸びてきているよ。動きも射撃の精度も、他の戦車に引けを取らない」
小梅が戦車に乗る事になって以来、通常訓練での監視役や模擬戦での主審・副審は織部に任せられることになった。と言っても、その役割を務めるのは織部1人ではなく、ほかに数人同じ役に就く者はいる。模擬戦で主審を務めた事だって1、2回程度しかない。
ともあれ、織部は戦車の動きを高台から監視する機会が前よりもさらに増えた。織部はもちろん監視役・審判として全ての戦車を俯瞰的に見ているが、とりわけ小梅の乗るパンターの動きには注意していた。
その理由は至極単純に、気になっているからだ。小梅以外全員が新入隊員という不安要素の強い戦車がどれだけの戦果を挙げられるのかが気になったし、長いブランクが明けてから戦車に乗った小梅がどれだけ頑張っているのかもまた気になったからだ。
小梅の戦車の動きや射撃精度は、最初はやはり新入隊員が多い事もあって粗があるように見えた。だが、それらもすぐに克服されたようで、実力をめきめきと伸ばしていき、1カ月近くたった今では他の戦車よりも少し劣る程度、あるいは互角と言った強さに、織部は見えた。
ところが、織部が率直な意見を言ったら、なぜか隣に座っている根津が何やら生暖かい目を織部に向けてきた。その目の真意を聞こうとすると、先に根津が口を開いた。
「随分と、赤星の戦車は熱心に見てるんだな」
指摘を受けて、織部はハッとする。
黒森峰戦車隊の戦車の数はおよそ50輌以上。その戦車全車輌が一度に訓練をするわけではないし、まだ乗員がいない故に稼働状態ではない戦車もあるが、1度に訓練をする戦車の台数は20輌前後。その中で小梅が乗る戦車は当然1輌だけ。しかも小梅の乗る戦車と同じパンターは結構いる。その1輌を即座に見つけて、さらにその戦車の変化を感じられるのは、その戦車を熱心に観察していてこそできるような芸当だ。
つまりは、織部はその戦車に意識を大きく向けているという事になる。
「あ、いやそれは・・・・・・」
弁明という名の言い訳をしようとするが、既に根津、斑田、直下、三河の目は『全部分かっている』と如実に言っていた。
そして肝心の小梅はと言うと。
「・・・・・・春貴さん、私の事を見ててくれたんですね・・・」
「あ・・・・・・うん」
まさかその理由の根底にあるのは小梅の事が好きだという感情だという事を、小梅には絶対に悟られたくはない。
「・・・・・・すごく、嬉しいです」
頬を赤くし、瞳を揺らす小梅は、どうやらその根底の感情には気づいていないらしい。
一先ず織部はホッとした。
そこで、店員が料理を運んできたので、織部たちは食事に専念する事にした。
織部たちの話がチラッと聞こえたが、エリカは気にせずに会計を済ませた。
ああして織部は、まるで元から黒森峰にいたかのように皆の輪に溶け込んでいる。それは恐らく、織部自身が真面目で人から嫌われにくい性格をしているからだろう。
織部と共に審判をしたことがある隊員たちも、それなりに織部と話をする機会はあったらしいようで、今の根津達ほどではないが織部とは親しくなった。
だが、エリカ自身はまだ織部の事を認めてはいなかった。むしろその逆、織部の事を嫌っていた。
西住流師範や黒森峰、日本戦車道連盟から認めれて黒森峰に留学する事が認められたのは聞いていたが、その目的はあくまで戦車道の勉強をするためだ。それは、黒森峰の内情を知る事とは決してイコールでは結ばれない。
エリカが織部に求める事とは、ただ戦車道に関する知識を学び戦車道のサポートをする事だけで、去年の全国大会以来複雑になってしまった黒森峰戦車隊の内情を探り事態をややこしくする事など望んでいない。
だが、織部はまほの真意を聞こうと深入りして、まほ自身も辛かったであろう全国大会の事を思い出させ、本音を浮き彫りにした。留学生の、部外者の、門外漢のやるべき事の範疇を超えている。
それがエリカは嫌いで、気に食わなかった。
考えが態度に現れてしまったのか、千円札をバンとカウンターに叩きつける。店員がビクッと怯えたようにレジスターを動かし、おつりを恐る恐るエリカに渡す。
そんな店員の事などエリカの眼中にはない。あるのは、今なお根津や小梅たちと楽しそうに話をしながら料理を食べている織部。
エリカは小さく舌打ちをし、店を出て行った。
ゴールデンウィーク前の最後の戦車道の訓練が終わる。整列し、号令を終えると隊員たちは各々校舎へと戻って行く。
今日の訓練は10対10の模擬戦で、ルールはフラッグ戦。各チームフラッグ車を決めて、その車輌を護衛しつつ敵チームのフラッグ車を狙う試合方式だ。近くに開催される全国大会に備えての事だ。
新入隊員たちもこのフラッグ戦は初めてだったようで、その初めての試合方式に少し緊張していたようだ。だが、そこはしっかりと先輩隊員が指導してくれた。
それはさておき、明日からはゴールデンウィーク。世間では羽を休める貴重な休みだが、黒森峰戦車隊は通常通り訓練があるので休みも何もない。ただ、中間試験が近い事とせっかくのゴールデンウィークだからという理由で、訓練の時間は少々短くなる。
戦車隊に属さない、そして何か部活動をやっているわけでもない者は皆、普通にゴールデンウィークを満喫するのだろう。
「審判役は、模擬戦の報告書を書いて提出したらあがっていいぞ」
「分かりました」
まほから指示を受けた織部と2人の審判役の生徒は、皆と同じように校舎の方へと向かって行く。
エリカの目に映る織部の傍にいるのは、今日審判をした隊員たちだ。恐らくは報告書をどう書くかを話し合っているのだろうが、和やかな感じがしていた。
「あ~、ゴールデンウィークも訓練かぁ」
「試験勉強もあるし、実家にも帰れないよ~」
ぶつくさ不満げな事を言っている隊員たちもまた目に入る。というか、よくよく見ればその隊員たちは自分の乗るティーガーⅡの乗員ではないか。
「あんた達、そんなに不満があるんなら辞めてくれたってかまわないのよ」
「あ、し、失礼しました!」
「気を付けます!」
エリカがキッと睨みつけて言うと、その文句を垂れていた隊員たちはこぞって姿勢を正して敬礼をエリカに向ける。
基本的に上下関係を大切にする戦車隊の中では、同じ年齢であっても立場が上の者に対しては戦車道の時間だけは敬語を使う。エリカは副隊長なので、3年生の先輩もエリカに対しては敬語を使っている。
「試験が近いからって練習で手を抜いたり腕が鈍ったりしたら許さないから」
「・・・・・・はい、分かりました」
エリカの配下にある隊員は、少し反省したのか肩を落として校舎へと歩いて行った。
そして、その話声が聞こえたのか、織部がエリカの方を見ていたが、エリカはそのことには気づかなかった。
ラベンダー
科・属名:シソ科ラベンダー属
学名:Lavandula angustifolia
和名:薫衣草
別名:クンイソウ
原産地:地中海沿岸
花言葉:不信感、疑惑、沈黙、期待、私に答えてください