春に芽吹く梅の花   作:プロッター

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小町藤(コマチフジ)

 逃げ出したい。

 心の中ではそう叫んでいるが、現実ではそんなことは許されない。廊下を歩く織部の視線はタイル張りの床に向いたまま、前を歩く先生の歩調に合わせて、織部も仕方なく脚を動かしている。だが織部には、その脚がまるで自分の意志に反して動いているような感覚だった。

 階段を上りいくつもの教室を通り過ぎて、やがて1つの教室の前にたどり着く先生と織部。

 先に先生がドアを開けて教室の中に入っていく。織部は教室の中から見えない位置で、先生から呼ばれるのを待つ。

 中で先生が何かを言っているが、緊張感が頂点に達している織部の耳にはろくに内容も入ってこない。

 握りしめられた両の手にも、背中にも、額にも、緊張による汗が滲んでいるのが分かる。

 呼吸が早くなり、胸の鼓動も高鳴る。高鳴る鼓動を抑えようと自らの胸に手を当てたところで。

 

「では、中にどうぞ」

 

 ついに先生から呼ばれて、織部は足を教室の中へと踏み入れる。

 その瞬間、教室にいた生徒たちは驚きの声を上げた。特に、一番廊下寄りの一番前の席に座っている少女など、驚きの余り声も上げられず口を大きく開けていた。その少女に限らず、他の生徒たちも似たように口元を抑えていたり、隣同士でヒソヒソと話をしたりしていた。

 『質実剛健』、『謹厳実直』というモットーが掲げられているこの学校の生徒にしては少々狼狽えすぎな気がするが、無理もない事だと織部自身は思っている。

 何せ、自分はこの学校においては完全なる異端なのだから。言わば、色とりどりの宝石が詰まる宝石箱の中に薄汚い石ころが1つ混ざるようなものだ。

 

「自己紹介をお願いします」

 

 先生に促されて、織部は黒板の前で姿勢を正し、目の前にいる総勢30人以上の生徒全員に顔が見えるように、そして全員に聞こえるように挨拶をした。

 

「今年度から当面の間、黒森峰女学園に留学することになりました、織部春貴と言います。どうぞ、よろしくお願いします」

 

 黒森峰女学園は、校名からも分かる通り女子校だ。

 そして織部は、正真正銘の男。

 だが織部の服は、黒い襟にグレーのシャツと上は女子と同じだが、下は黒のスラックス。シャツの襟には白い十字が縫い付けられている。スラックスとスカートという違いがあるものの、織部の着ている服は黒森峰女学園の制服だ。

 本来ならば、男の織部が女子校に留学するなどあり得ない事だ。ましてや留学先は、勤勉で真面目というイメージが全国で定着している、かの有名な黒森峰女学園。

 だが実際に、織部はこうして黒森峰女学園に留学しており、校長からの許可もある。

 なぜ、このような異例の事態が起きてしまったのか。その経緯は、先生の口から簡単に説明された。

 

「織部さんは将来、日本戦車道連盟に就く事を考えていて、その話が日本戦車道連盟と高校戦車道連盟に伝わり、しばらくの間この黒森峰で戦車道について学ぶ事になりました」

 

 先生の言葉を聞いても、納得できないという生徒は大勢いる。

 見たところ、織部は別に目立ったところはないごく普通の一般的な高校生だ。その高校生の夢が日本戦車道連盟に就くという事はまだ分かる。だが、どうしてその話が急に戦車道連盟にまで伝わるのか。

 それと、将来戦車道連盟に就くために戦車道を勉強するというのも分かるが、なぜ女子校の黒森峰に来るのか。共学で戦車道の授業がある学校は他にもあるというのに。

 分からないことだらけだったが、先生は説明は終わったと言わんばかりに、織部を席に座るよう促す。

 織部に用意されたのは、一番窓際で一番後ろの席だ。あくまで織部は留学生であって、言ってしまえば後付けなので、この位置なのは当然だろう。

 しかし、織部の隣と前の席に座る女子は、織部の事を興味深そうに見ている。織部が『よろしく』と挨拶をしても、相手はぎこちなく返事をするだけだ。織部はこれも仕方ないなと割り切ることにする。

 今日は新学期1日目という事もあり、まずはクラス全員の自己紹介という事になった。

 黒森峰女学園は1年生から2年生に進級する際にクラス替えが行われるが、2年生から3年生に進級する時はクラス替えは無い。つまり(織部はさておき)このクラスにいる生徒たちは、卒業するまで同じクラスと言うわけだ。

 一番廊下側の一番前の席にいる、出席番号1番の生徒が立ち上がり、黒板の前に立つ。織部が教室に入った時口を大きく開けて驚いていた子だ。

 だが、その生徒の顔は織部の記憶にもある、見た顔だった。

 やや癖のある赤みがかった茶髪のショートヘア。着ている服はあの時とは違って黒森峰の制服だが、その顔は忘れた事などない。

春休みに会った、桜の木の下で泣いていたあの子だ。

 

「出席番号1番、赤星小梅です。よろしくお願いします」

 

 飾らないシンプルな自己紹介をする小梅。

教室の中からはまばらな拍手が起き、織部も拍手をする。

 小梅が席に戻ると、その後ろに座る生徒が立ち上がり、前に立って自己紹介をする。内容は小梅と同じように自分の名前と挨拶だけだったが、小梅の時と比べると拍手をする生徒の数が心なしか多い気がする。

 その後も順番にクラスメイトの自己紹介が進んでいき、織部の前の席に座る一番最後の生徒が自己紹介を終えたが、織部は呼ばれなかった。一番最初にこの教室に来た際に自己紹介をしたので、当然と言えば当然のことだが。

 そして、自己紹介をしてきた中で小梅の時だけ拍手が小さかった気がしたのは、織部の気のせいだろうか。

 

 休み時間は、1年生の時に同じクラスだった者同士、クラスは違えど交友があった者同士で話をしている傍ら、織部は1人教室の隅で机に座り、珍しいものを見る目で見られる中で黒森峰の生徒手帳を見ていた。

 小梅はチラチラと織部の事を見ていたが、結局近づきも話しかけもせずに、織部同様1人で休み時間を過ごしていた。

 織部は春休みに小梅とコンタクトがあった事で、休み時間にでも話しかけてみようかと最初思っていた。しかし、自己紹介の際に小梅の時だけ拍手が小さかったことから、クラスの何人かが小梅に対して何らかの感情を抱いているというのが推測できる。

 そしておそらく、その感情とはプラス方面のものではないというのも。

イレギュラーな存在の自分がそんな小梅に声を掛けて、余計小梅に注目を集めさせるのはマズいと思い、話しかけるのは控えることにした。

 

 新学期初日という事もあり通常授業は無く、オリエンテーションだけで半日が経過し、昼食を摂る事無く生徒たちは下校となった。

 織部は新しい環境で、周りからの好奇の視線に晒されながらもなんとか1日を乗り切り、緊張から解放されたことで『ふぅ~』と息を吐き、教室を後にする。

 昇降口までの間でも、織部のクラスの生徒はもちろん、他の生徒からも驚嘆と興味の入り混じった視線を浴びる事になる。

 その多くの視線から逃げるように昇降口へと早歩きで向かい、さっさと靴を履き替えて校門を通り過ぎ学校の外に出る。

 そう言えば昼ごはん食べてないしどうしようかと思ったところで、声がかかった。

 

「織部さん」

 

 その声は、織部も聞き覚えがあるものだ。声を掛けてきた人物を予測し、その声のした方向を見れば、予想通りの人物が立っていた。

 

「赤星さん、どうしました?」

「あの時はどうも・・・」

 

 小梅が頭を下げる。

 あの時というのは、春休みに公園で会った時のことを言っているのだろう。織部と小梅が話をしたのはあの時しかないので、それ以外考えられない。

 

「まさか、こんな形で再会するなんて、思いませんでした・・・」

「・・・そうだね。僕も会えるなんて思わなかったです」

 

 校門の前で向かい合う2人。

 だが、自分たちと同年代の男が黒森峰の制服を着ているのと、“あの”赤星小梅がその男と一緒に話しているのが奇異に映ったのか、周りからの注目を集めてしまう。

 周りからの注目を集めている事に先に気付いた織部が、小梅と話をしたいのはやまやまだったのだが、この状況で話を続けるのは少し気まずいため、場所を移す事にする。

 だが、ただ場所を移そうと言っても理由を聞かれるかもしれない。それを聞かれてすらすらと答えられる自信が織部には無いので、何か適当に理由をつけることにした。

 

「・・・そうだ、赤星さん」

「はい?」

「・・・昼ごはんはまだですか?」

「え、はい・・・まだです」

「良ければ、一緒にどうです?」

 

 昼時だったので食事がてら話をすればいいと思って言ったのだが、これでは余計に周りからの誤解を招くだけではないか。それに、小梅と織部の面識は春休みのあの時、1度しかない。そんな相手から急に食事に誘われたら誰だった怪しむだろうに。

 自分の言った言葉の重さに気付いて、恐る恐る小梅の顔を伺うと、予想通り小梅は拍子抜けしたような顔をしていた。けれど、すぐに表情を綻ばせて織部の事を見る。

 

「・・・ええ、いいですよ。私も、あの時のお礼がしたいですし」

 

 とりあえず、不信感は抱かれなかったようだ。織部は心の中でホッとする。

 けれど、小梅が表情に出さずとも心の中では警戒心を解いていないという事も十分あり得る。

 悪い印象を与えてしまったな、と織部は反省する。

 しかし織部は気付いていないが、小梅は織部が自分を食事に誘ってくれたことが嬉しかったのだ。

 春休みに出会い、もう2度と会うことは無いと思っていた人物とまた会う事できたのだから。

 

 黒森峰学園艦は建学時から西住流と、18世紀頃から西住流と交流があったプロイセン及びその後に生まれたドイツの影響を色濃く受けており、学園艦全体がドイツ気質、つまり勤勉で真面目なイメージがある。

 さらに、戦車道強豪校ということで練習場が広く設けてあり、甲板上の人が生活をする居住区以外のスペースは、全て戦車道の練習場になっていた。

そして勤勉で真面目というイメージ通り、黒森峰学園艦には学生寮の他にはスーパーや病院、書店、コンビニなど必要最低限の施設しかなく、ゲームセンターや映画館などの娯楽施設は存在しない(映画館がある学園艦は稀だが)。

 だが、戦車道の強豪校という事もあって、戦車にまつわるありとあらゆる商品を販売する戦車専門店『せんしゃ倶楽部』、トレーニングジム、そして主に戦車道での疲れを癒すための温浴施設は完備されている。

 また、料理店もある。種類は定食屋、大手チェーンのファミレス、そしてドイツ料理店の3種類しかないが。

 その中で織部と小梅が昼食を摂るために訪れたのは、ドイツ料理店だ。広さはそこそこ。この店は8時から22時まで営業しており、19時を過ぎると黒森峰学園艦名物・ノンアルコールビールの1杯無料サービスが提供される。それ目当てで夕食はこの店で食べる人も多い。

 今はちょうどお昼時と言うのもあって大半の席が埋まっていたが、空いている席も少し残っていた。織部と小梅は店員に2人掛けの空いている席に通される。

 案内された席まで向かう間に、織部は店内を見渡す。春休みに1度黒森峰学園艦を訪れた際にこの店に来た事があるのだが、それでも見慣れない場所に足を踏み入れたので、周りへの関心が高い。

 やはりここは黒森峰学園艦なので、客の半数以上を占めているのは黒森峰の生徒だ。だが、皆食事やお喋りに夢中で織部や小梅には気づいていない。中には、ハンバーグを満面の笑みで食している銀髪の少女もいたが、あんなに美味しそうに食べているのを見れば料理人としては嬉しいだろうし、今食べられているハンバーグもハンバーグ冥利に尽きるというものだろう、等と下らない事を考えながら織部は店内を歩く。

 いくら学園艦全体が勤勉で真面目な雰囲気があっても、そこで生活する人々も四六時中肩肘張って過ごしているというわけではない。そんな生活を続けていれば無駄に疲弊してしまう。なので、黒森峰の人間は各々適度な息抜きの仕方を身につけている。それは読書だったり、身体を動かす事だったり、こういった場所での仲間との談話だったりする。

 やがて織部は、小梅と向かい合う形で案内された席に着く。

 食事に誘ったのは織部の方で、あの場で話をするのは少し人の目が合ったのでマズいと思っての事だったのだ。

 だから、何か話し始めるのならまずは織部から会話を始めるのが普通だろう。

 しかし、いざ面と向かって向かい合うと言葉が出てこない。

 織部の人生で、身内でもない女性と向かい合って座り食事をするという場面に直面したことは1度も無い。初めてのことに対する緊張も相まって、上手い言葉が出てこない。

 何から話そうかと思っていたところで、小梅が口を開いた。

 

「あの・・・・・・織部さん」

「あ、はい」

「・・・改めて、お久しぶりです」

「ああ、そうですね・・・」

 

 織部の記憶に間違いが無ければ、小梅とあの公園で会ったのは新学期が始まる1カ月ほど前ぐらいだったか。

 桜の木の下で泣いていた女の子に声を掛けて、その子の背中を撫でて慰めたなんて経験はそうそうない。織部としてもあんなことをしたのは初めてだったので、あの時のことは、織部の記憶にもしっかりと刻まれている。

 その子とまさか、こんな形で再会する事になるとは思わなかった。

 

「でも、びっくりしました・・・。まさか男の織部さんが、女子校の黒森峰に留学してくるなんて」

「いや、それは僕自身も驚いてます」

「先生はああ言ってましたけど・・・一体どうして・・・」

 

 あの先生の説明では少々説明不足だろうな、とは紹介された織部も分かっていた。あれで納得できる人はそうそういないだろう。

 

「・・・大体は先生の言った通りですよ。でも、少し補足すると・・・。そうですね・・・・・・」

 

 店員が運んできた水を一口飲んで、考えをまとめてから話し出す。

 

「僕は・・・個人的に日本戦車道連盟とつながりがあるんです。それで、僕が将来戦車道連盟で働きたいって話が伝わって・・・」

「戦車道連盟に?どうして・・・・・・」

 

 日本戦車道連盟とは、社会人・学生を問わず国内の戦車道の指導及び管理、さらに公式戦の運営と開催を行っている組織である。その連盟と個人的なコンタクトがあるというだけで驚きだった。

 

「もしかして、家に戦車道連盟の関係者がいるとか?」

「いや、そうではなくて」

「じゃあ、プロ戦車道選手が身内にいるとか・・・」

「そうでもなくて・・・・・・」

 

 そこで、小梅はぐいぐいと質問してしまった事に気付き『ごめんなさい・・・』と小さく謝る。織部はそれに笑顔で『大丈夫だよ』と告げると、話を続ける。

 

「・・・それで、この黒森峰女学園は西住流の影響を大きく受けていて、その西住流の家元の西住しほさんが高校戦車道連盟の理事長も務めているから、その人にも話が伝わって―――」

 

 そこで織部は気付いた。

 織部の話を聞き始めた時は別に変った所の無かった小梅の表情が、今はほんの少しだが陰っている。

 自分が何か変な事を言ってしまっただろうか。いや、織部が黒森峰に来た経緯そのものは誰がどう聞いても変だと思うだろうが、恐らくそれ以外の要因がある。

 だが、何を聞いて小梅は落ち込んでしまったのかは、残念ながら今の織部には分からない。

 

「・・・・・・あ、何か食べましょうか」

 

 とりあえず、この話を続けるのはまずい。そう思い織部は話題を変えることにした。

 

「・・・そうですね」

 

 小梅は、織部の話の中で出てきた“ある単語”を聞いて、自分の顔が沈んでしまっているのは分かっていた。そして、織部はそれに気づいたうえで小梅を気遣って話題を変えてくれた。

 それが小梅には何よりありがたかったし、自分みたいな人のことを気遣ってくれたことが嬉しかった。

 お互いにメニューを見て、悩んだ末に織部はシュニッツェル、小梅はクネーデルを注文することにした。

 そして料理が来るまでの間、またしてもお互いに沈黙してしまう。

 さっきの織部がここに来た経緯の話で小梅が落ち込んでしまったのは、多分“何か”がきっかけになっているのだろう。

 そのきっかけが分からない以上、どのような話をすればいいのか織部には分からない。

 何を話したらいいだろうかと織部が頭を働かせていたところで、黒森峰の制服を着た少女たちが、織部と小梅の座るテーブルの脇を通り過ぎる。

 その少女たちが、小梅を見てヒソヒソと何かを話しているのを織部は聞き逃さなかった。

 そして、小梅がそのヒソヒソ話を聞いてまた落ち込んでしまったのも、織部は見逃さない。

 そこで織部は、確信した。

 最初にあの公園で出会った時も思ったが、恐らく小梅の心には“何か”が突き刺さっている。それは、簡単には取り除けないような大きなどす黒い―――多分過去や記憶、辛い思い出だろう。

 

「・・・・・・赤星さん」

「あ、はい。なんでしょう?」

 

 小梅が落ち込んだ表情を引っ込めて、織部の言葉を待つ。

 まだろくに話もしていない相手に対してこんなことを聞くというのは、少し配慮が足りていないんじゃないだろうか、デリカシーに欠けているんじゃないか、と織部は自問自答する。

 しかし、このままでは小梅の心に突き刺さっている“何か”を知ることができない。それに、小梅はその“何か”にずっと苦しまされてしまうだろう。

 織部はその小梅の心に突き刺さっているものが何かを聞いて、その上で自分が何かできるという保証はない。

 けれど、このまま小梅を放っておくことなんてできない。

 初めて会った時に声を掛けたのも、1人で泣いている女の子を放ってなんておけなかったからだ。

 織部が目の前で苦しんでいる人を助けたいと自然に思えるのは、織部自身が優しい性格をしているのもあるし、織部の“過去”もあるのだが、そのことは今は置いておく。

 だから、少々危ない橋を渡るという事は分かっているが、織部は聞いた。

 

「・・・・・・何か、あったんですか?最初に会った時もそうですが、ひどく落ち込んだ様子で・・・」

「っ・・・・・・」

 

 小梅は、触れてほしくないところに触れられた、と言わんばかりに胸の前で左手を握る。膝に置かれていた右手も、握られる。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 小梅は迷う。

 織部は、最初に公園で泣いていた自分を慰めてくれた時や、先ほど自分が落ち込んでいるのを見て話題を変えてくれたのを見るに、悪い人ではなさそうだ。

 それに、これまでの小梅の態度には織部を心配させてしまうような箇所がいくつもあったのは、自分でもわかっている。織部はそれが心配で先ほどのような質問をしてきたのも、小梅は理解していた。

 そこまで分かっていても、小梅は自分の中にある不安や恐れ、悩みを織部に話すのはまだできなかった。

 それは、いくら織部が悪い人ではなさそうだと思っていても、まだ出会ってから間もない相手に自分の恐れている事や不安な事を告げるなんて、相手からすれば迷惑かもしれないからだ。

 それに、小梅は自分の心の内にある問題は全て、自分の手で解決しなければならない事だと思っていた。

 故に小梅は、こう言う。

 

「・・・・・・ごめんなさい・・・。話すのは、まだ少し・・・・・・」

 

 まだ、と言ってしまったのは、小梅の心にもほんの少しだけ、自分の中にある悩みや不安を少しでもいいから聞いてほしい、言いたいという気持ちがあったからだ。

 小梅の言葉を聞いた織部は。

 

「・・・分かりました。今は、聞かないでおきます」

 

 やはり織部も、出会って間もない、長い時を積み重ねて向き合ってきたわけでもない相手からいきなり『何かあったの?』と聞かれて、何も考えず自分の事をぺらぺら話すようなことを小梅はしないだろうと、思っていた。

 初めて会った時、なぜ泣いていたのかを言わなかった事から、小梅は口が軽いようには思えない。そして今、恐らく小梅は『出会って間もない相手に自分の心中を吐露するなんて相手からすれば迷惑かもしれない』と思っているだろうと織部は考えていた。

 だから、話すのを断られてもショックはなかった。まあ、自分が信用に足りない人物に見えたか、と少し落ち込みはしたが。

 けれど、垣間見えた小梅の落ち込んだ様子は忘れようと思っても忘れられない事だし、初めて出会った時に小梅が泣いている理由もまだ聞いていない。いつかは、小梅自身の口から本心を聞きたいと思い、あえて“今は”とだけ言った。

 そこで店員が注文していた料理を持ってきたので、会話を打ち切ってまずは目の前の料理を食べることに専念する織部と小梅。

 

 織部は、あの公園で最初に小梅の事を見た時、放っておけないと率直に感じた。

 小梅が泣いていた理由は今も分からないが、人目も憚らず泣いているなんて何か大きな理由があるに違いない。

 どうして小梅は、あの時泣いていたのか。

どうして小梅は、度々落ち込んだ表情を見せるのか。

 織部にはそれが分からなかったし、気がかりでもあった。小梅に気があるとかそう言うわけではないが、織部は一度ある事柄が気になってしまうと、それに囚われ拘ってしまう性分なのだ。

 だからといって、小梅の心の中に土足で入り込むような真似はしない。

 織部は小梅が自分から話してくれるまで、待つだけだ。

 平たく言えば織部は、小梅の事を放っておけなくなったのだ。




コマチフジ
科・属名:マメ科ハーデンベルギア属
学名:Hardenbergia violacea
和名:小町藤
原産地:オーストラリア東部沿岸地帯~タスマニア
花言葉:奇跡的な再会
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