少し長めですが、よろしくお願いします。
中間試験も終わり、それまでの試験に対する緊張感や不安などの気持ちから解放された生徒たち。だがホッとしたのもつかの間、すぐに試験が返ってきて生徒たちは悲喜こもごもな反応を見せる。
織部もその例に漏れず、返ってきた試験を見て『うわー』とか『よしよし』とか小声でつぶやく。全体的に平均以上の点数は取れているので良しとしよう。特に、得意と自負している現代文は96点と全科目で一番点が取れたのでそれだけでも満足だ。反対に一番点が取れなかったのは物理。元々理数系が苦手だった故だが、一応平均点以上は取れていたので及第点と言ったところか。
そして、生徒一人一人に学年、クラス、科目ごとの順位が記された紙が渡される織部の学校とは違い、黒森峰は学年順位が廊下に貼りだされる。休み時間に興味本位で織部が廊下の外に出てみれば、その順位が記された模造紙を前に人だかりができていて、ざわざわと話している様子が見える。
だが、織部は見に行こうとは思わない。あくまで留学生であり、正式には黒森峰の生徒ではない自分の成績は順位には載っていないだろうと思ったし、他人の成績に興味も無かったからだ。
すると、人だかりから小梅、根津、斑田の3人がやってきた。根津は渋い表情をしているが、斑田は少し口元がにやけていて、小梅は微笑んでいた。三者三様の反応を目にして織部も、ほんのわずかだが3人の出来栄えに興味が湧く。それは、自分の成績が順位に反映されていないことによる、一種の羨望の気持ちもあった。
「どうだった?」
織部が聞くと、斑田はうんと頷く。どうやら、斑田は自分の成績が納得いくものだったらしい。
一方で根津は、はぁと小さく息を吐く。あまり芳しくはなかったようだ。
そして小梅は苦笑する。予想通り、という意味かそうではなかったのか、判断はつかない。
深くは尋ねないことにした。
「織部は見ないのか?」
「多分僕の名前は載ってないと思うから・・・」
根津が問いかけるが織部は首を横に振る。
ところが、小梅は『あれ?』と首をかしげて言った。
「春貴さんの名前、ありましたけど?」
「え?」
「確か、47位ぐらい・・・」
隣で根津が『私より上だと・・・!?』と驚愕している。
一方で織部は、自分の名前もあった事に少し驚く。しかし同時に、少々女っぽいと言う自覚はあった織部の名前を多分200人以上いる中からよく見つけられたものだと織部は思った。
そしてそう思ったのは斑田も同じらしい。
「よく織部君の名前見つけられたね。あの中から」
「私の近くにあったので・・・」
斑田の顔が、少し小梅を試すように笑っているのに織部は気付いていたが、何を試そうとしていたのかは織部には分からない。
斑田は、小梅が織部の事を好きだという事を知っていたので、ちょっとしたからかいも含めていたのだが小梅にはそれは通用しなかったらしい。事実、小梅の順位は52位と織部のすぐ近くだったのだ。
「まさか、織部に負けるとは・・・・・・」
「そんな心底屈辱的に・・・」
ちなみに、斑田の成績は37位、根津は56位だった。根津は織部より順位が低い事を悔やんでいたが、200人近い2年生の中でこの順位は上位と言っても過言ではない。落ち込むことは無いのだが、やけに対抗心を燃やす根津の心情が、織部にはあまり理解できなかった。恐らく、元来根津は負けず嫌いな性格をしているのかもしれない、と言う事に織部はしておいた。
戦車道の訓練が終わった後、織部は小梅、根津、斑田、三河、直下といつものメンバーで帰路に就いていた。4日間の中間試験期間中は戦車道の訓練も無かったので、こうしてこの6人で帰るのも随分と久しく感じる。
だが、そんな帰り道で一際目立っているのは三河だ。“どんより”という言葉が似合う雰囲気を纏っている。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「どうしたの、三河さん・・・」
「実はねぇ、数学で赤点ギリギリの点とっちゃったんだって」
三河に織部が問うと、直下が苦笑しながら答える。確か、三河と直下はクラスが近いからそう言う話もしたのだろう。三河は直下の言葉を聞いて、傷口に塩を練りこまれたかのように身体をぶるぶると震わせている。
しかして、赤点ギリギリと言う点に縁がない織部も、そのショックは分からなくもない。もし自分も同じような点を取ったりしたら、今の三河のように落ち込んでしまうかもしれない。
「・・・・・・・・・・・・まさか・・・途中から解答欄がずれていたなんて・・・」
『・・・・・・・・・・・・』
どうしようもないケアレスミスを聞き、全員黙り込んでしまう。途中から、というのが不幸中の幸いだろう。これでもっと最初の方から間違えていたなんて言ったら、赤点どころではなかった。
流石にこの雰囲気に晒され続けるのが苦しいのは誰も同じだったようで、斑田が話題を提供した。
「ところで、今年もまた副隊長が1位だったね」
「ああ、そうだったな。やっぱすごいなあの人は」
斑田の話題に根津が乗っかる。そして副隊長とは他ならない、逸見エリカの事だ。前に小梅が、エリカはドイツ語が得意と言っていたが、学年1位を取るほど勉強ができるというのは知らなかった。
やはり副隊長となると、馬鹿ではやっていけないのだろう。
とすれば、隊長のまほも学力は秀でているに違いない。3年生の知り合いがいないので確かめようも無いのだが。
「そう言えば、明日の訓練隊長と副隊長がいないって言ってたね」
「・・・・・・全国大会の抽選会があるからね」
直下が思い出したかのように呟くと、三河が多少ショックから立ち直ったのか(しかし声のトーンは低い)補足する。
今日の訓練終了時の号令で、まほは『明日、土曜日の訓練は走り込みに変更する』と言った。その理由は先ほどの三河の言葉のように、第63回戦車道全国高校生大会のトーナメント抽選会が開かれ、まほとエリカがその抽選会に参加するからだ。
その抽選会は首都圏にある大型アリーナで行われる。今現在黒森峰学園艦は九州の近くを航行していて、その抽選会の会場まで行くには半日ほどかかる。抽選会は日曜日の昼から行われるので、土曜日に移動をしておかないと抽選会には間に合わない。だから、明日の訓練は隊長であるまほと、副隊長のエリカがいないのだ。
隊長及び副隊長が不在で、戦車に乗って訓練を行うと色々と面倒な事になってしまうので、明日の訓練は予定を変更し、走り込みとなったのだ。土曜に本来やるはずだった訓練―――走行・砲撃訓練は次の走り込みの日と入れ替わる。
また、1日中走り込みを続けるというわけでもなく、明日の訓練は特例として午前中だけだ。
「誰が代表に選ばれるのかな」
「いやぁ、去年選ばれたからって今年も選ばれるとは限らんしなぁ・・・」
「隊長と副隊長は当然として・・・後は誰かな」
直下達は、代表入りできるかどうかが心配らしい。聞けば彼女たちも去年の大会には参加していたという。
一方で小梅は、少し沈んだ表情を浮かべている。全国大会にはあまりいい思い出が無いからだろう。というか、あの大会がきっかけに小梅の人生は大きく狂ってしまったのだから忘れていないはずがない。
その小梅の表情にいち早く気付いた織部は、周りに気付かれないように、そっと肩に手を置く。小梅がそれに気づき、織部を見上げると小梅は、織部が微笑んでいるのを見た。
織部が何を意図して小梅の肩に手を置いたのか、分かるような気がする。織部が小梅の事を気遣っての事だ。
それが嬉しくて、小梅もまた小さく笑う。
実際は、それぞれの心情を知っている根津と斑田が、織部が小梅の肩に手を置いているのに気づき『順調に近づいてるな』と内心で呟いているのだが。
抽選会当日、エリカはまほと共に、抽選会が行われる会場―――さいたまスーパーアリーナに来ていた。
空を見上げれば青空が広がり、夏が近づいてきているのを感じさせてくれるが、最低限の照明だけが点けられている薄暗いアリーナに足を踏み入れれば、その空の明るさも関係なくなる。
今、このアリーナにはその席を全て埋め尽くすほどの、自分と制服は違えど自分と同じ高校生が訪れていた。
この抽選会に参加する、すなわち全国大会に出場する各校の選手たちを全員収容させるつもりでこのアリーナを抽選会の会場に指定したのだろうが、そんなに大勢で来る必要も無いだろうとエリカは思っていた。現に、黒森峰から代表としてやってきたのは自分とまほだけだ。来るのは最低限、隊長・副隊長クラスの人間だけで十分だ。
そんなエリカの考えなど無視して抽選会がスタートする。最初にくじを引くのは、昨年度の優勝校・プラウダ高校だ。
プラウダ高校は、昨年の全国大会で黒森峰が敗北を喫した、10連覇の夢を潰した因縁深き決勝戦の相手だ。
今年は、絶対に勝つ。去年の雪辱を果たして見せる、とエリカは心の中で誓い、拳をぐっと握りしめる。
隣に座るまほの表情は相変わらず凛々しいが、心の奥では今年の優勝に対する意思が固まっているのだろう。
くじの結果、プラウダ高校は3番枠となった。そしてくじを引いた、随分と背の低い少女がステージから降りると、次は我ら黒森峰女学園の番だ。
『黒森峰女学園代表の方、前へ』
プラウダ高校の代表がステージから降りたところで呼び出され、まほが席を立ってステージに向かう。そして淀みない動作でステージに上がり、ゆったりとした動作で迷いなくくじを引くまほ。
『黒森峰女学園、13番』
プラウダ高校とは離れたブロックに入ってしまったので、いきなりぶつかるという事は無い。だが恐らくは今年も、あのプラウダ高校が勝ち上がってくるだろうとエリカは思っていた。何せ去年の優勝校だ、決して侮れない。それを差し引いてもプラウダは四強の一角と知られている。そうそう容易く負けはしないだろう。
まほが戻ってから、順調に去年参加していた学校がくじを引いていく。聖グロリアーナ、サンダース大付属、継続、知波単、アンツィオ、BC自由、コアラの森、ヴァイキング水産、マジノ・・・。後半に進むにつれて、悪く言えばそれほど強くはない学校へと移っていく。
この時点で、黒森峰の1回戦の相手は知波単学園に決まった。
知波単学園は、個々の練度は高いものの取る作戦は“とにかく突撃”と、それぞれの戦車の特徴や能力を全く生かさない、無鉄砲にもほどがある戦法を仕掛けてくる。ただ真っ直ぐ、具体的な術もなく突っ込むだけなので玉砕する可能性が非常に高く、ここ最近では1、2回戦落ちが続いている。ただしこの全国大会に参加している期間は非常に長いため、期間だけ見れば中堅クラスではあるものの強豪とは言えない学校だ。そろそろ、長年の経験を生かして戦術を変えてくるかもしれない。
ともあれ、さほど脅威ではない学校が1回戦の相手に決まった事でエリカは内心安心したが、それを見透かしているかのように隣に座るまほはエリカの方を見ずステージを見たままこう言った。
「どこが相手であれ、決して敵を軽視せず、油断するな」
それはよくまほから、そして師範のしほからも聞いた言葉だ。相手を舐めて侮ると、逆に足元をすくわれやすい。そうならないために、西住流は決して戦う相手の事を侮らず、常に全力で戦う。
そして、次に呼ばれた学校は。
『大洗女子学園代表の方、前へ』
去年は全国大会に参加してはいない、それどころか聞いた事も無い学校だ。
そう言えば、この前に見た戦車ニュースサイトで、『大洗女子学園、20年ぶりに高校戦車道連盟へ再加盟』という記事があった記憶がある。
戦車道ニュースサイトは、その名の通り戦車道に関するありとあらゆる情報が集まるサイトで、プロリーグ選手や専門家も愛用している。
文科省が、数年後に日本で開催される戦車道世界大会に向けて全国の学校へ戦車道に力を入れるように要請したことも、そのサイトに載っていた。という事は、大洗女子学園はその要請を受けて戦車道を復活させたという事か。
それにしても、いきなり全国大会に出るとは、少し自分たちの立場を弁えてはいないのではないかとエリカも思う。
この全国大会は、戦車道のイメージアップも兼ねているという話を聞いた事がある。だから、イメージダウンにつながるような学校、例えば風紀が乱れている学校や無名校は参加しないことが暗黙のルールになっている。
その暗黙のルールに逆らって参加するとは、大胆というか、馬鹿と言うか。まあ、その暗黙のルールそのものを知らないという可能性もあるが。
さて、そんな大胆不敵な無名校の人物とはどんな輩なのか。エリカが頬杖をついてフンと鼻で息を吐き、その人物の顔を見てやろうと思ったところで。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
変な声が出た。
だって、今壇上に登った、大洗女子学園の代表と思しき生徒は。
(・・・・・・・・・・・・なんで・・・・・・・・・・・・)
見覚えのある栗色のショートヘアで、
ちょっと頼りないおどおどしたような顔の人物は、
(・・・・・・・・・・・・あんたが・・・・・・・・・・・・)
エリカにとっての越えるべき存在であり、
ライバルとも言える存在であり、
そして友達とまでは言えないが親しい存在でもあり、
西住流の後継候補ナンバー2で、
隣に座るまほの実の妹である、
(・・・・・・・・・・・・こんなとこにいるのよ)
西住みほだったのだから。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
隣に座るまほの方を見ると、表情も体勢も変わってはいないが、瞳が揺れているのが分かる。それは明らかに、動揺しているという事だ。
忘れるはずもない、みほは少し前までは黒森峰の生徒で、黒森峰戦車隊の副隊長で、そして去年黒森峰が優勝を逃す事になってしまった大きな原因でもある。
黒森峰を去り、戦車道とは無縁の学校に行ったはずなのに、なぜここにいる?
なぜ、あのような失態を犯し、黒森峰では糾弾されて矢面に立たされ続け、戦車道の道を諦めたはずなのに、なぜまた戦車道をやっている?
『大洗女子学園、8番』
いつの間にか、みほはくじを引き終えていた。そして大洗女子学園と最初に当たる学校は、サンダース大付属高校。強い、というイメージよりも戦車の保有台数が多く資金が潤沢にある、いわばお金持ちというイメージが強い学校だ。しかし黒森峰、プラウダ、聖グロリアーナと並ぶ四強の一角とされている学校で実力もそれなりにある。
だが、当のサンダースは完全に1回戦は勝ったも同然と言わんばかりに喜びの声を上げ、拳を突き上げていた。完全に油断しているが、相手は聞いた事も無い無名校なのだからそうなるのも当然か。
だがエリカは、サンダースの事など、どうでもよかった。
大洗女子学園がどこと戦うかなど、どうでもよかった。
ただエリカの心の中で渦巻いている事はたった一つ。
なぜ、みほがここにいる?
分からないことだらけで、色々な感情がごちゃ混ぜになってしまい、胃袋の中がぐるぐるとかき混ぜられるような感覚に襲われる。
それでも、自分の中にとある感情が芽生えたのだけは分かった。
それは、どうしようもない、怒りだった。
戦車喫茶『ルクレール』は、戦車道を嗜んでいる人や戦車道愛好家、ミリオタの間では有名な店だ。店舗の中は戦車一色、戦車の砲弾や転輪が飾られていて、そこかしこに軍事用品が置かれている。店員は全員軍服を着用し、提供されるケーキは戦車の形を模している。そのケーキを運んでくるのはドラゴンワゴンのラジコンと、戦車と言うよりは軍隊のイメージが強い。
しかしてこのルクレールも、その内装の奇抜さ、面白さが口コミで話題となり、今では一般の客も訪れる事が多くなっているらしい。そしてこれを機に戦車道に興味を持つ人も多いそうだ。
そんなルクレールの目玉と言えるメニューは、戦車を模した形のケーキ。種類も豊富で目移りしそうだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
だが、そのルクレールに訪れていたエリカとまほは、互いにコーヒーしか頼まず向かい合って座っている。
抽選会が始まる前、移動中の新幹線の中ではこのルクレールの事を調べ上げて、普段の訓練で疲れているであろうまほを労わる形で、2人でお茶を楽しもうと思っていたのに、それも台無しだった。
どうしてそうならなかったのか、どうして今は2人とも何も言えずにあるのか、その理由は単純明快。
先ほどの抽選会で、エリカはみほの姿を見た。まほも、見ていたのだろう。
他人の空似かと思ったが、あまりにも容姿とおどおどした様子が似すぎている。とてもそうだとは思えない。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
エリカは一つ溜息をついてコーヒーを飲む。
エリカと共に黒森峰戦車隊に入隊し、副隊長補佐として傍にいて、戦車に乗るうえで大切な事を教えてくれたみほ。
いつしか自分の乗り越える存在として、ライバルに決めたみほ。
去年の全国大会で黒森峰が敗退する直接の原因となったみほ。
そして戦車道から遠ざかり、道を諦めたみほ。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
まほも何を考えているのかは分からないが、恐らくまほの胸中もごちゃごちゃだろう。何せ、まほはみほの事を庇いたかったにも拘らず、西住流のメンツを保ち黒森峰戦車隊を立て直すために庇わなかったのだから。
あの時の事がきっかけで戦車道に背を向けたみほがまた戦車道を歩んでいる事は、姉としては嬉しい事なのかもしれないが、この大会に参加している以上は黒森峰と戦う可能性だって無きにしも非ず。
去年は同じ仲間として戦っていたのに、今回は敵として戦う事になる。
かつての仲間としても、姉としても、複雑な思いを抱えているだろうに。
「エリカ」
「あっ、はい」
うんうん悩んでいると、まほが話しかけてきた。みほの事について考えていると気付かれてしまったのか。
そう思ったのだが、どうもそうではないらしい。
「そろそろ、時間だ」
「分かりました」
エリカとまほは、ここに来るまでに新幹線を使ってきた。無論、帰りも同じ手段で帰る。熊本から東京まで行くのには相当費用が掛かる。移動費は全て学校が賄ってくれるが、その額も限られているため、この抽選会には2人で新幹線で来ているのだ。飛行機は新幹線よりもはるかに早いのだが、逆に費用が新幹線よりも高い。
それはさておき、今から出ないとその新幹線の時間に間に合わない。だからまほは、店を出ようと伝票を手に取り立ち上がったのだ。
エリカも残りのコーヒーを飲み干して、席を立ちあがる。
また4時間以上新幹線に拘束されるのも少々疲れるなぁと思いながら店を出ようとしたところで。
楽しそうに同じ学校の仲間とケーキを食べているみほの姿を見た。
脳裏に、みほが言っていた言葉がよぎる。
『戦車に乗る事を嫌いになると、自分がどうして戦車道を歩んでいるのか、自分はどうして戦車に乗ってるのか、それが分からなくなるから』
『自分の道を見失わないために、その気持ちは、ずっと大切にした方がいいと私は思うよ』
戦車に乗るうえで大切な事を教えてくれたみほが、今目の前で名前も知らないような学校の仲間たちと仲良く楽しそうにお茶を楽しんでいる。
『私はもう・・・西住流には、戦車道には向いていないのかも・・・』
黒森峰を去る前に、学校中から糾弾されて絶望的な状況にいたみほがポツリとこぼした言葉を思い出す。
そう言っていたみほが、向いていないと言って辞めてしまった“戦車道”の全国大会に出場するためにここにいる。
『・・・・・・私と同じ西住流だからと、私の妹だからと、1年生であるにもかかわらず副隊長を任せ、あれやこれやと負担をかけ、挙句みほを庇う事も、守る事もできなかった・・・』
『姉として、失格だな』
まほがこの前、織部に話したあの時の真実とまほの真意を思い出す。
まほだって妹であるみほの事を思っていたにもかかわらず、西住流、黒森峰戦車隊の鎖に縛られて庇うことができなかった。
そんな事など全く知らないとばかりに、まほの想いを妹であるにもかかわらず何一つ理解していないみほが今、新しい仲間と一緒に実に楽しそうにケーキを食している。
それを見てエリカは。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
自分を見失ってしまいそうなほどの憤りを覚えた。
何も知らずに笑っているみほに対して、怒りが込み上げてくる。
黒森峰が10連覇を逃した原因を作り、黒森峰を去り、戦車道を辞めると言っていたみほが無名校でまた戦車道を始めて、今度は黒森峰の敵になろうとしている。再び黒森峰が歩み始めようとする連覇への道を、みほが塞ごうとしている。
みほがどうしてまた戦車道を始めたのか、そんな理由は知らないが、今のエリカにはもうそういう風にしか見えない。
前を歩くまほは、みほに気付きながらも通り過ぎようとしている。あの時、織部との話でまほは『いつか謝りたい』と言っていた。それはまほも再会を望んでいたということだろうが、こんな形での再会など望んでいなかっただろう。
でも、エリカは自分の、みほに対する怒りを抑えきれず。
「副隊長?」
声を掛けてしまった。
エリカが声を掛けた事で、まほも立ち止まり、件のみほもその声のした方向を見る。そしてみほは、声を掛けた人物が黒森峰で親しかったエリカであり、その傍には自分の姉でもあるまほがいるのを見て、驚愕に表情を染めている。
「ああ・・・“元”でしたね」
エリカが声を掛けてしまった事で、まほも自然と注目を集める結果になってしまう。
「・・・お姉ちゃん」
みほがまほの事を呼んでしまったために、まほもみほを無視できなくなってしまった。
だからまほは、何か一つ、言葉をかけることにした。
「・・・・・・・・・・・・まだ戦車道をやっているとは思わなかった」
まほは、普段から必要最低限の事しか口にしない。メールであってもそれは同じで、端的過ぎるメールを目にした隊員たちは恐れおののくという噂をエリカも耳にしたことがある。
この前織部に全てを話した際は、全てを話す必要性があったという事であそこまで言葉が出てきたのだが、普段のまほは大体こんな感じだ。
要するにまほは口下手なのだ。
「お言葉ですが、あの試合でのみほさんの判断は間違ってはいませんでした!」
随分癖の強いショートボブの少女が立ち上がって抗議の声を上げる。恐らくはこの子も、大洗で新たにできたみほの仲間だろうが、こんな黒森峰の人間ではない部外者がみほの何を知っているというのだ。みほといた期間は、自分たちの方が上だ。まだ出会って2カ月ぐらいしか経っていないだろうに、みほの理解者を気取るのか。
「部外者は口を出さないでほしいわね」
「・・・・・・すみません」
ショートボブの少女は、エリカの言葉を聞いて肩を落とす。
「行こう、エリカ」
「あ、はい。隊長」
エリカは、まほが新幹線の時間を気にして急かしているのかと思ったが、実際はそうではなかった。
まほは未だに、みほに対してあの時守れなかったことが申し訳ないという気持ちがある。その気持ちを伝えるのには、今の空気は少し悪すぎる。改めて場を設けて、謝ろうとしたのだ。
謝るうえで相手に悪い印象を持たれてしまっては、相手に信用してもらえない。本当に申し訳ないと思っているのかと、疑われる。
つまり、まほはみほには嫌われたくはなかったのだ。
まほがカウンターへと向かい会計を済ませようとする。エリカもそれに続こうとするが、それでもみほに対する怒りは収まっていない。
流石にこんなところで声を荒げてみほを責めるような真似はしない。それだけの良識と理性をエリカは持っている。周りに人がいる状況で嫌味を言うというのも良識の範囲内なのかと問われれば答えにくいが、それは今どうでもいい。
「1回戦はサンダース付属と当たるんでしょ?無様な戦い方をして、西住流の名を汚さない事ね」
去り際に吐き捨てた言葉を聞いてみほが何も言えずに俯く。だが、その言葉に反発したのはみほの向かい側に座る、ウェーブがかった明るい茶髪のロングヘアの少女と、腰まで伸ばした黒い髪の背の高い少女だ。
「何よその言い方!」
「あまりにも失礼じゃ・・・!」
この2人の抗議の声も、事情を全く知らない人間の言葉だと思うと、蚊に刺された程度にしか感じられない。
「あなた達こそ戦車道に対して失礼じゃない?無名校のくせに」
無名校、と言われて2人は言葉に詰まる。この程度の事に言い返せないようではまだまだだ。
彼女たちは暗黙のルールを知らないらしいが、20年ぶりに戦車道を復活させたような新参者の無名校が、いきなり全国大会に出るなんて自分たちの立場を弁えていないとしか言えない。
「この大会はね、戦車道のイメージダウンになるような学校は、参加しないのが暗黙のルールよ」
だからそれをあえて教える。
そして、自分たちの出しゃばる場所ではないという事を認識させる。
「・・・・・・強豪校が有利になるように、示し合わせて作った暗黙のルールとやらで負けたら恥ずかしいな」
そこでボソッと言葉を発したのは、こんな状況でも顔色一つ変えずにケーキを食べている、長い黒髪に白いカチューシャの目立つ背の低い少女だ。
その言葉にエリカが反応し睨みつけるが、その少女は全く意にも介さないとばかりにケーキを食べている。
「もし、あんた達と戦ったら、絶対負けないから!」
明るい茶髪の少女がエリカを指差して宣言する。
どうやら口だけは達者なようだが、それもサンダースや他の学校との試合に勝ち続けなければ叶わない事。自分たちの立場や戦力を顧みずに勢いだけで言葉にするのは賢明とは言えない。
それに、自分たちの事を“あの”黒森峰だとは知らないらしい。あまりにも愚かだ。
「・・・頑張ってね」
だからエリカは鼻で笑い、西住流の端くれなりに、無名校なりにせいぜい頑張れと、口だけの応援の言葉を口にして、エリカはその場を去って行った。
店を出る際に、聖グロリアーナの連中とすれ違う。聖グロは女子校のはずなのに同い年ぐらいのスーツの男を連れていたがそんな事は気にも留めず、まほとエリカは駅へと向かった。
帰りの道中、実に6時間以上もの間、まほはエリカに一切何も話しかけてこなかった。
恐らくは妹のみほを中傷して、大洗女子学園を無名校と侮ったエリカの事を快く思っていないのだろう。だが、今だけは、エリカはまほにどう思われていようが構わない。自分の中に燻るみほへの怒りは、あそこで直接ぶつけなければ、どこで爆発していたのか分からない。
新幹線で熊本に戻って、連絡船で学園艦に戻り、長時間の移動と思いがけない邂逅で疲れていたエリカが、自分の部屋に戻って発した第一声は。
「・・・・・・絶対、認めないから」
週明け最初の訓練は、土曜日に行うはずだった走行訓練と砲撃訓練だ。月曜日の訓練と土曜日の訓練を入れ替えて、一昨日の土曜日は走り込みだったのだ。
そして今週から、全国大会に向けてスケジュールが変更される。だがそれは、後日伝えられることになった。
隊員たちが整列したところで、訓練開始の宣言がされるかと思ったが、その前にトーナメント抽選会の結果が伝えられた。
「1回戦は、知波単学園と戦う」
その学校の名前を聞いた直後、上級生が整列しているあたりが少し安堵したような雰囲気になる。織部は知波単学園がどんな学校なのかはうろ覚えだったが、確か突撃を貴ぶ学校だったか。そして上級生の雰囲気から、それほど脅威ではない学校だというのは分かる。
「相手が誰であろうと決して油断はするな。そして我々は、我々の戦い方を貫く」
まほが告げると、その上級生たちも安堵した雰囲気を改めて緊張した面持ちになる。
「我が校から全国大会に参加する車輌は、まだ決めてはいない。だが、皆の訓練の出来栄えを見て判断する。では、訓練を開始する。全員、戦車に乗り込め」
『はい!』
号令がかかり、全員が戦車に乗るために格納庫へと向かう。織部はまたいつも通り目元ペンを片手に高台へと昇り、訓練の様子を監視する。
全国大会参加車輌を決めるという事もあり、どの車輌も動きが活発になってきていて、車輌の動きにも積極性がある。どの戦車も、的に向かって砲撃するとほぼ中心に命中している。
それはほぼ新入隊員で構成された小梅のパンターも例に漏れず、もはや先輩たちとほぼ同じぐらいの力量にまで育っている。それは新入隊員たちの努力の成果だけではないだろう、小梅の教え方が上手いからかもしれない。
小梅の事を、ここに留学してきたばかりの頃から見てきたのだから、小梅が、小梅の戦車がここまで成長しているのがすごく織部としては嬉しい。
だが、小梅の戦車ばかりを見ているわけにもいかないので、織部は他の戦車にも目を向ける。各車輌の動きや砲撃の命中精度を大まかに記録して、それを報告書に記録する。
さらに走行訓練では、対戦車隊のために生み出されたパンツァーカイルと言う楔形の陣形を形成し、前進するというプログラムを行った。この陣形は、敵戦車隊のを突破する際に有効であり、黒森峰戦車特有の強固な装甲と機動力、そして個々人の高い練度によって完成されるものであり、黒森峰はこれを得意としていた。
そしていつものように、陽が傾き空が朱色に染まるまで訓練が続き、やがて戦車隊は格納庫前へと帰還してくる。織部も高台を降りて他の皆と同じように整列し、訓練終了の挨拶が終われば戦車隊は解散となる。黒森峰に来てもうすぐ2カ月になるが、大分このパターンにも慣れてきた。
小梅や根津たちもあとは着替えて帰るのだろうが、織部はやはり報告書を書く仕事が残っているので、教室へ向かう事にする。
しかし、大分長い間報告書を書いていたことでこれにも慣れてしまっていた。何を書けばいいのか、読む人はどんなことを知りたいのかを考えて書けば、おのずと内容は埋まっていく。
意外と早く書き終わったので、まほを待たせることも無いと安堵し、報告書を急いで持って行く。
ノックして隊長室に入れば、まほが椅子に座って各戦車のリストを見ているところだった。
「今日の訓練の報告書を持ってきました」
「ご苦労。確認する」
まほが織部から報告書を受け取って、数分かけて読み、やがて織部の顔を見て頷いた。
「上出来だ」
「ありがとうございます」
そこで織部はもう帰っても大丈夫かと思って踵を返そうとしたが、そうはならなかった。
「織部、少しいいだろうか?」
「?」
「エリカ、すまないが・・・・・・」
「・・・・・・分かりました」
エリカに聞かれたくないような話があるという事か。エリカは、まほが何かを言い終わる前にそれを察し、不服そうに部屋の外へ出ていく。その時、織部とのすれ違いざまに織部の事をキッと睨んできた。織部に何か不満でもあるのかもしれないが、織部はこれまであまりエリカと接していないのでどこで嫌われたのかは皆目見当がつかない。
とにかく、まほとの話に今は集中しなければ。
「どうだ、戦車隊には慣れたか?」
「ええ、そうですね。皆さん良くしてくれてるので、大分馴染んできました」
まほが織部の事を気遣って近況について聞いてくるが、本題はそんな事ではないだろうというのは織部にも分かる。でなければ、エリカをわざわざ部屋の外に出させた意味がない。
織部がそう思っている事に気付いているのか、まほは『ふぅ』と一息つき、やがて口を開いた。
「・・・・・・少し、話を聞いてもらいたい」
「はい。なんでしょうか」
前と同じように、まほが織部を応接スペースに通す。そして同じようにまほに向かい合うように織部が座る。
「昨日、私とエリカが全国大会の抽選会に行ったのは、話したな?」
「はい」
「それで―――」
それからまほは、昨日の出来事を話した。
黒森峰を去り、戦車道の道を諦めたはずのみほが全国大会の抽選会場にいた事。
みほは大洗女子学園と言う名前も知らない学校の代表としてくじを引き、間違いなく全国大会に出場する事。
そして戦車喫茶『ルクレール』で再会し、エリカが大洗の生徒に対して挑発的な言動を取り、険悪な雰囲気でお互い別れてしまった事。
それら全てを、織部に話した。
その上で、まほは語る。
「あの時、ルクレールで会った時、私は黒森峰でみほを守れなかったことを謝りたかった。だが、エリカが大洗側に悪い印象を与えてしまった事で、謝る事も難しくなってしまった」
「・・・・・・確かに、謝る側の態度が悪ければ、いくら謝っても誠意が伝わりにくいですからね」
「ああ・・・だが、エリカの気持ちは分からなくもない。エリカは、まだみほが黒森峰で副隊長としていたころ、副隊長補佐としてみほの傍にいた。だから、エリカがみほに対して怒っているのも、分かる」
仮にエリカがみほと面識がある関係だったとしたら、エリカがみほに、大洗に敵意を向けているのも分かる。何しろ、親しかったはずのみほが黒森峰の優勝、10連覇の夢を打ち砕き、戦車道を辞めると言って黒森峰を去ったはずなのにまた戦車道を始めて、今度は黒森峰の敵という形で黒森峰の連覇への夢を防ごうとしているのだから。
「・・・・・・西住隊長としては、どうお考えなんですか」
「・・・・・・そうだな」
織部に問われ、まほは少し考える。目を閉じて考えを集中し、自分の考えを纏める。
「・・・怒りを全く感じていないと言えば、嘘になる」
「・・・・・・・・・・・・」
「みほは、黒森峰を去る時、私に言ったんだ。『もう、戦車道はできない』と」
自分が正しいと思っていた行動を黒森峰から否定され、師範である実の親からも叱責され、周りの人間すべてが自分の敵だと思い込み、黒森峰で唯一血のつながっている、敬愛するまほにも守ってもらえず、見放されたと思っていたのなら、みほがその“道”を選んだことも頷ける。
「お母様は、みほが戦車道を辞める、黒森峰から転校すると言った時、『それがあなたの選んだ道なら、仕方のない事』と言って、表向きでは反対はしなかったが、内心ではどう思っていたのかは分からない。私も、黒森峰でのみほを取り巻く環境は分かっていた。だから、無理に引き留めずに背中を押して、送り出した」
「・・・・・・・・・・・・」
「だが、そう言ったにも拘らずみほは、また戦車道を続けていた。それも、今度は黒森峰の敵として・・・。自分の言った言葉を曲げ、しかも私たち黒森峰の敵となってまた姿を現した事に、私も少しは怒りを覚えた」
だが、とまほは言葉を切って、ふっと笑う。
「それ以上に、嬉しかったんだ。みほが、また戦車道の道を歩んでいることが」
「・・・・・・?」
「私もみほも、小さいころからずっと戦車に触れながら成長してきた。西住の人間という事は関係ない、私たちと戦車は切っても切れないような関係にある」
「・・・・・・・・・・・・」
「みほも昔はやんちゃでな、満面の笑みを浮かべて戦車に乗っていたんだよ。あの時は、本当に戦車に乗るのが好きで、楽しかったのだろう」
過去を懐かしむかのように、遠い目をするまほ。その時の事は、忘れた事などないのだろう。
「しかし、西住流の後継者として本格的に戦車の訓練を始めると、その笑みを見る機会も次第に少なっていき、遂にはそんな笑みなど知らないという風にみほは引っ込み思案になってしまった」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・これは言ってはいけないのかもしれないが、西住流の後継者候補という立場が、西住流という家系が、みほを縛ってしまっていたのかと私は思っている」
まほも、みほが去ってからみほの事をすっぱり忘れたわけではなく、ちゃんとみほの事を思っていたのだろう。遠い地に行ってしまった唯一無二の妹の事を、しっかりと案じてくれていたのだ。考えてくれていたのだ。
「みほが戦車道を辞める、もう戦車には乗らないと言った時は私も心配だった。戦車と一緒に成長してきたみほが、戦車から離れてしまったらどうなってしまうんだろう、と」
「・・・・・・・・・・・・」
「だが、どんな理由なのかは分からないが、みほが戦車に乗ると知った今は安心してる。もしかしたら、西住流の空気に染まる黒森峰とは違う場所で戦車道をしていれば、みほもかつての明るさを取り戻せるのではないか、と考えている」
確かに、人が成長する過程において大切なことは、周りの環境という要因も大きく関わっているという話は聞いた事がある。
西住流というしがらみに縛られて育ったみほは、明るさを徐々に失ってしまったのだろう。そして今、違う環境で戦車に乗ればみほもかつてのように明るい性格に戻ってくれるのかもしれない、とまほは考えているのだ。
「だからだ、ルクレールで仲間と一緒にお茶を楽しんでいたみほを見た時、安心したんだ。黒森峰では見られなかった笑顔を浮かべていて、楽しそうにケーキを食べていたんだ」
「それは・・・・・・よかった、と言えるんでしょうかね」
「そうだな・・・。どうやら、大洗という環境がみほを少しだけだが変えてくれたらしい」
ただ、とまほは言葉を切る。
「やはり私は、みほにあの時の事を謝りたい。みほが変われたからと言って、過去の事が全てチャラになったわけではないからな」
「・・・・・・・・・・・・西住隊長はやはり・・・」
「?」
ここまでの話を聞いて、素直に思った事を織部は口にする。
「妹想いなんですね」
「・・・・・・ああ、自分でもそう思う。だが、だからこそ、あの時の事は謝りたい」
まほも、ただ自分の中の考えを聞いてほしいということだけで、明確な答えやアドバイスを織部に期待はしていないのかもしれない。
だが、話を聞いた以上どうにかしてあげたいと織部は思っていた。
今、まほはこの先どうすればいいのか、悩んでいる。いや、どうすればいいのかは分かっているのだが、本当にそれでいいのかが分からないのだ。
だから今、第三者に意見を求めている。
「・・・・・・西住隊長は、みほさんと仲を戻したいとお思いで?」
「・・・・・・ああ、そう思っている」
やはり姉妹である以上、黒森峰や西住流で苦楽を共にしたのだからその縁が拗れたままでいるのは嫌なのだろう。
「なら、その謝りたいという気持ちは大切にしたまま、機を見て謝るしかないですね・・・。それも、次に会った時・・・」
「・・・・・・だが、みほを含めて大洗は、恐らく私たち黒森峰に対していい印象を抱いてはいないだろう。それにみほは、黒森峰でみほの事を守らなかった私の事を、多かれ少なかれ恨んでいるかもしれない」
「・・・・・・それについても、改めて謝罪すればいい。西住隊長のような、僕やみほさんよりも1年長く生きていて、国際強化選手や西住流の後継者など一介の高校生が背負わないようなものまで背負う貴女みたいな人が、誠意をもって、真剣に謝れば、その想いも伝わるはずです」
織部の言葉に、まほは少し驚いたような顔をしたが、やがて小さく笑って目を閉じる。
これで、決まった。
織部の言葉で、この先自分が何をするべきなのか、分かった。
「・・・・・・話を聞いてくれてありがとう。決心がついたよ」
「・・・・・・それはよかった」
「ああ。君のおかげだ」
まほは立ち上がる。ただ、織部は1つだけ聞いておきたかった。
「西住隊長」
「ん?」
「1つ、伺ってもよろしいでしょうか」
「なんだ?」
ここまで話してもらって何だが、それでもこの事については聞いておきたかった。
「どうして、僕に話そうと思ったんですか?」
その問いに対するまほの答えは、織部に話す前から決まっていた。
「君は私が話したことで、黒森峰で唯一私とみほのあの時の真実を知っている人間だ。だから、みほとのことを色々話す事も、相談する事もできる」
「・・・・・・」
「それに、立場上私は人に相談する事が難しい。戦車隊の隊長である私が部下に悩みや相談事を打ち明けてしまえば、部下に対して気を遣わせてしまうから。だが君は、留学生という正式には黒森峰戦車隊から外れた形でここにいる。他の隊員とは違うから、話せるんだ」
「・・・・・・そうですか」
織部も、まほの言葉を聞いて大体理解した。真実を知っている人間だから、事情を知っているから相談事をする事もできるし、色々とアドバイスをしてくれる。
ただ、“唯一”というのは少し違うが。
ともあれ話が終わり、まほが外にいるであろうエリカを呼び戻す。それと入れ替わる形で織部が帰ろうとするが。
「織部」
エリカに呼び止められた。織部が『はい?』と返事をして振り向くと、エリカは。
「後で話があるの。付き合いなさい」
敵意に満ちた目で織部の事を見ていた。
その目には、織部も見覚えがある。
中学生の頃、自分をいじめていた連中のしていた目と同じだ。あの目の鋭さ、冷たさは今も覚えている。思い出すだけで、背中に怖気が走る。
「・・・・・・分かりました」
だがまほの前で逆らう事などできないし、そのエリカの目は反対する事を認めないとばかりに鋭く冷たかった。
ともかく織部は、隊長室の外でエリカの事を待った。
それほど時間も経たずにエリカが部屋から出て来て、織部を見ると顎で『ついて来い』と命令し、歩き出す。織部もその後に、何も言わずについていった。
同時刻、小梅は教室で織部の事を待っていた。
訓練終了の号令の後、小梅の戦車の乗員と軽いミーティングをした後で、タンクジャケットから制服に着替え、教室に戻り織部とまた一緒に帰ろうと誘おうと教室に来てみれば、織部の姿はなかった。ただ、織部の鞄はまだ机にかけられたままだったので、恐らく報告書を出しに隊長室に行っているのだと思い、大人しく教室で待っていたのだ。
文庫本の小説を読んでいると、廊下から足音が聞こえてくる。織部かと思ったが、足音は2つ聞こえてくるのでそうとも限らない。
教室のドアの窓からチラッと外を覗えば、不機嫌そうなエリカの後ろを織部が黙ってついて行っていた。
その瞬間、言い知れぬ不安が小梅を襲う。
あの2人の険悪な雰囲気から、何かマズい事が起こりかねないと、小梅の勘が言っている。
そしてそのマズい事とは、織部が危険にさらされるであろうことだ。
2人が小梅のいる教室の前を通り過ぎたところで、静かに聞こえないようにドアを開き、織部とエリカの後姿を覗う。2人は、2つ隣の教室のドアを開けて中に入り、ドアを閉めた。
そこで小梅は教室を出て忍び足で、その教室の前に立ち、中から聞こえてくる話声に耳を傾けた。
オトギリソウ
科・属名:オトギリソウ科オトギリソウ属
学名:Hypericum erectum
和名:弟切草
別名:鷹の傷薬、血止め草
原産地:日本、中国、朝鮮半島
花言葉:敵意、恨み、秘密、迷信