春に芽吹く梅の花   作:プロッター

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今回も長いですが、今作品のターニングポイントでもありますので
最後まで読んでいただければと思います。


風信子(ヒヤシンス)

 教室に入ってから、陽が沈み暗くなった空に覆われている窓の外を見たまま、エリカは織部に背を向けて何も言わない。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 正直言って、この居心地の悪さは、監視用の高台にしほと2人だけで立っていた時と同じぐらいだ。エリカの背中から感じられる威圧感や、燻る怒りが後ろに立つ織部にひしひしと伝わってくる。

 先ほどのエリカの目を見て分かっていたことだが、どうやらエリカは織部に何か言いたい事があるらしい。それが決して愛の告白だとかそう言う明るい話題ではない事は馬鹿でもわかる。

 やがて、エリカは小さく息を吐いて話し出した。

 

「1つ、あなたに聞くわ」

「・・・・・・はい」

「あなたは、どうして黒森峰に来たのかしら?」

 

 何を聞かれるかと思えば、そんな事か。と感じたが、無意味にそんな事を聞いてくるとは思えない。だが、正直に答える事にする。

 

「・・・・・・戦車道の事を学ぶためです」

「そうね。で、あなたはさっき隊長室で何をしていたのかしら?」

 

 理由は分からないが、エリカは確実に怒っている。

 それだけは先の言葉で織部も分かった。

 だが、隊長室でしていた事は、報告書を出したのと、まほと話をしていた事だ。報告書を出した事はエリカも知っているだろうし、聞きたいことはもう1つの事だろう。

 

「・・・・・・西住隊長と、話をしていました」

「そうよね」

 

 一体、何が言いたいのか織部にはまだ分からない。

 ここで、ようやくエリカが振り向いて織部に正対し、冷たい瞳を織部に向けて、口を開いた。

 

「さっきの話は、西住隊長には申し訳ないけど、聞かせてもらったわ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 それではまほがエリカを外に立たせた意味がない。だって、まほはあの話を聞かないでほしかったから、織部にしか話せなかったからエリカを外に出したのに。

 

「・・・もっと言えば、あなたが赤星の後の処遇を隊長に聞いた時も、私は全部聞いていたわ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 恥ずかしい、と同時に聞き分けが無いなと思う。

 副隊長を務められるエリカほど賢い人物であれば、織部がまほに小梅の事をどうするかを聞いた時点で、織部が小梅にどんな感情を向けているのか気付いている可能性が高い。

 だが、あの時もまほは、エリカに席を外させた。それなのに話を盗み聞きしていたとは、随分とあの時のまほの指示が不服だったと見える。

 

「・・・・・・黒森峰に戦車道の勉強をしに来ただけのくせに、随分と戦車隊の事情に、西住隊長に深入りしていたじゃない」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 確かにあの時、織部は小梅を心配するあまり本来なら聞かなくてもいいような事を聞いてしまったし、まほの事情についても深く聞きすぎてしまったと思っている。織部の中に浮かんだ不安や疑問を消化できず、つい聞いてしまった。

 結果織部は、正式には黒森峰の人間ではないのにもかかわらず、黒森峰戦車隊の事情を深く知りすぎてしまった。

 

「赤星の件に関しては置いておいて、問題は西住隊長の事よ」

「・・・・・・・・・・・・」

「偉そうに西住隊長に色々とアドバイスして」

「・・・・・・・・・・・・」

「西住隊長の事を何も知らないくせに、よくも色々と言えたものね」

 

 エリカの言葉には棘が間違ってはいないが、“偉そう”という言葉に関しては心外だ。

織部はただ、まほから話を聞いてしまった以上、何の助言も感想も言わずにおしまいとするのが心苦しく、また織部自身がそれを許せなかった。

 それに、織部も本当にまほの力にどうにかしてなりたかった。だから、少しでも力になれればと思ってアドバイスをしたのだ。

 だがエリカはそれを、偉そうにアドバイスをしていたと捉えていたらしい。

 

「ここにきて1カ月ぐらいしか経っていないのに、ただ西住隊長の話を聞いた上で全部知ってるように知ったかぶって、隊長の理解者を気取ってアドバイスする事が、たかが留学生のすることかしら?」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 小梅は教室の外で、唇を噛みしめてエリカの言葉を聞いていた。

 内心で小梅は、エリカの言っている事は間違っていると確信していた。

 小梅もあの時、執務室の外で話を聞いていたが、織部は本心からまほの力になりたいと思って話を聞いて、アドバイスをしたのだと分かっている。

 織部は黒森峰に来てから小梅に真摯に向き合い、小梅の話を聞いて、時にはアドバイスをして、そして小梅をここまで導いてくれた。

 織部は小梅が立ち直るのを、しっかりと支えてくれた。織部は真面目に、真剣に小梅を支えてくれていた。

 その織部が、まほに対してだけはエリカの言うように偉そうに知ったかぶりアドバイスをしているとは到底思えない。

 織部だって、真面目にまほと向き合ってくれていたのだろう。

 それを伝えたかったけれど、脚はすくんで動かないし、ここで自分が出て行ってしまえば、事態はさらにややこしくなるかもしれないと思った。

 だから何もできず、唇を噛み、拳を握ってただ中から聞こえてくる話を聞くしかない。

 だが、そこでふと、人の気配を感じて辺りを見渡す。

 そこにはなんと、ドアに背を預けるように、件のまほが立っていたのだ。

 小梅は驚いて声を上げようとするが、まほが口元に人差し指を添えて『静かに』とジェスチャーで伝える。

 小梅も口を閉じ、声を上げず、中の話に耳を傾ける。

 

 

 

「何も言い返さないって事は、そう言う自覚があるって事かしら?」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 この時織部は、昔の事を思い出していた。

 中学の頃、自分がいじめられていた時だ。今と状況は少し違うが、廊下で4~5人に囲まれて、今のエリカのように色々といちゃもんをつけられて詰問され、心無い言葉を浴びせられていた。

 あの時の恐怖感や不快感を思い出し、胃の中がかき混ぜられるような感覚に襲われる。

 

「あなたは本来黒森峰の人間じゃない。だから黒森峰戦車隊の事情を深く知る必要も無いのよ?それは分かってるのかしら?」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 エリカの容赦ない冷酷な言葉が、織部の心に槍のように突き刺さる。

 

「なのに、西住流の人間じゃない、それどころか戦車道を歩んでいる女でもないあなたは、留学生としての分を弁えずにズカズカと隊長に深入りして、過去の傷をえぐるような真似をして、恥ずかしくないの?」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「大体、あなたが来てから戦車隊の雰囲気も弛んでるように見えるわ。普段愚痴をこぼさないような隊員も、文句を垂れるようになって。あなたのせいで、名誉ある黒森峰の風格が崩れてきているのよ」

 

 エリカは黒森峰戦車隊に誇りを持っていると同時に、高い理想を抱いている。だから、こうして理想と現実がかけ離れてきていることに焦りを覚えて、その原因であろう織部を責めているのだ。

 しかし織部からすれば、それは言いがかりにも近い。

 それなのに、何も言い返せない。

 過去に自分が経験したことを思い出してしまい、あの時感じた恐怖や怯えの感情が浮かび上がって口の中が干上がっている。

 

「抽選会であの子・・・西住みほを見た時、西住隊長も動揺してたわ。もしかしたら、あなたが隊長に話をさせて、あの時の事を思い出させたから余計に動揺したのかもしれない」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「あなたはただ戦車道の勉強をしに来ただけ。それなのにあなたは、黒森峰戦車隊の内情を嗅ぎまわってひっかきまわして、西住隊長を動揺させて、戦車隊を弛ませて・・・あなたは戦車隊に迷惑をかける一方よ」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 何も言えない。

 勝手なことをと言い返す事は簡単だが、その勝手なこととする根拠はない。エリカの言葉には、追い詰められて不安定になっている織部には信憑性があるようにも感じられる。いや、どころか全てその通りだと思えてしまう。

 文句を垂れる隊員が増えたという言葉も、ゴールデンウィーク前にエリカに叱られている隊員を見てそう感じたし、内情を嗅ぎまわっているという言葉も、見方を変えればそう見えてしまう。

 今まで織部が接してきた小梅、根津、斑田、直下、三河、そしてまほも言わなかっただけで、織部にはそう言う印象を抱いているのかもしれない。

 全く感じていなかった周りへの猜疑心が、織部の中で頭をもたげる。

 

「私だって、西住隊長の力になりたいのに、でも、何もできなくて悔しいのに・・・・・・・・・あなたは・・・・・・・・・」

 

 エリカが悔し気に言う。

 確かに、まほの傍にいた期間はエリカの方が織部より長い。だからこそ、まほが苦しんでいる事に気付けなかったのが悔しくて、同時に織部がそのエリカを差し置いて核心に近づいていたのが腹立たしいのだろう。

 エリカの気持ちも、織部には分からなくもない。

 

「ほんと、あなたなんて・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 小梅は、エリカが何と言おうとしているのか、直感で察した。

 その言葉とは、あの全国大会で矢面に立たされて傷つき、疲弊しきっていた小梅の心を折った言葉だ。

 その言葉は、黒森峰に来た小梅の心を折り、黒森峰に小梅がいる理由を奪い取った、どんな言葉よりも傷ついた言葉だ。

 その言葉を聞いてしまったら、織部はまた心が傷つき、心を閉じてしまうだろう。

 だって、織部にとって黒森峰は、黒森峰戦車隊は、いじめられて心を閉ざしていた織部自身を変えてくれたのだから。

 

 

 

「あなたなんて・・・・・・・・・・・・黒森峰に来なければよかったのよ」

 

 織部の瞳は見開かれた。

 頭の中が真っ白になってしまった。

 小梅の事も、これまで黒森峰で過ごしてきた時間も、まほからの相談事も、黒森峰に来るまでに積み重ねてきた努力も、黒森峰が自分を変えてくれたことも、戦車道を好きになったきっかけも、すべて頭から抜け落ちた。

 

「待ってください」

 

 そこで、後ろから声を掛けられた。エリカがその声のした方向を向き、織部はが力なく振り返ると、そこに立っていたのは小梅だった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 織部は何も言葉を発しない。むしろ、今の話を小梅に聞かれてしまった事は大きな失態だ。さっきのエリカの話を聞いたら、誰だって織部に対して敵意を抱いてしまうだろう。小梅とてそれは例外とは言い切れない。

 小梅が歩み寄ってくる。何を言われるのか、あるいは何をされるのか。織部は不安だった。

 だが、小梅は織部を庇うように織部の前に立ち、エリカに向かい合った。

 

「どういうつもりかしら」

 

 エリカが腕を組んで聞くが、小梅は毅然とした態度で一歩も怯まずにエリカの事をキッと見る。

 

「エリカさんには、確かに春貴さんの事がそう映っていたのかもしれません。春貴さんがどう見えるのか、それは人それぞれにあると思います」

 

 では小梅も、同じように思っているのだろうか。織部が思うが、小梅はほんの少し織部の顔を見る。

 そして、僅かに笑って見せたのだ。

 

「でも私にはそうは見えません。春貴さんは、黒森峰に来てから、あの全国大会以来沈み込んでしまっていた私の事を心配して声を掛けてくれました。そして、私に真摯に向き合って、私の話を聞いてもなお私の事を信じてくれて・・・私の事を支えてくれました」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「春貴さんはずっと私の事を支えてくれて、そして私は立ち直って、また皆さんと仲良くできるようになって、今も戦車に乗ることができています。もしかしたら、春貴さんがいなかった私はいつか戦車隊を、黒森峰を辞めていたかもしれない。戦車に乗る事だって永久になかったかもしれない・・・。だから私には、春貴さんが誰かに迷惑をかけてるなんて、思えません」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 織部もエリカも、何も言わない。

 

「そして、春貴さんが隊長の話を聞いたのも、絶対に興味本位や好奇心で聞いたのでも、西住隊長に近づくためでもありません」

 

 小梅の言葉に、エリカは疑問符を浮かべる。

 小梅は、織部には申し訳ないと思ったが、言うことにした。

 

「・・・・・・春貴さんは、過去に心に大きな傷を負っています。多くは私の口からは言えませんが、その傷を負ったから、春貴さんは西住隊長の話を聞いて、アドバイスができたんです。それは春貴さんが心から隊長の事を心配しての事で・・・」

 

『僕自身が辛い体験をして落ち込んでいたからこそ、同じように悩み落ち込んでいる人の事を放っておけないから』

 

 あの言葉が嘘ではないのは、もうこれまで織部と接してきたから分かる。

 だから、小梅は織部が本心からまほの力になりたいと思って話をしたのだと思っている。

 

「私はそう、織部さんの事を信じてます」

 

 力強い目と言葉でエリカに告げる小梅。

 対してエリカは、冷ややかな目はそのままに、小梅の後ろに立つ織部に話しかける。

 

「・・・それで?赤星にここまで言わせておいて、あなたは何か言えないの?」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 織部は、小梅が助け船を出してくれたことは嬉しいが、小梅の言葉を聞いても、エリカの織部に対する認識が間違っているとはまだ言えない。

 今の状況はエリカに分がある。このまま中身の無い言葉を返してもすぐに一蹴されるだろうし、織部はエリカを納得させられるだけの言葉が見つけられない。

 仮に見つけたとしても、それが本心からくる言葉だったとしても、エリカから見れば悪く見える織部の言葉を全て信じろと言うのも難しかった。凶悪犯の『反省している』という言葉が最初は信じられないように。

 そうなれば、いくら言葉を紡いでも無駄なだけ。

 だから織部は、この場では身を引くしかなかった。

 

「・・・・・・確かに、逸見さんの言う通りだ。僕は留学生で、部外者で、門外漢の分際で出しゃばりすぎていたのかもしれない」

「春貴さん・・・!」

 

 小梅が織部の方を振り返って織部の名を呼ぶ。それは織部を引き留めるように、考え直すように告げているのだが、織部もそれは分かっている。

 だが、これ以上言い争いを続けては小梅にも危害が及びかねない。小梅を守るためにも、織部は身を引くのだ。

 

「・・・・・・小梅さんの気遣いも、言葉も嬉しかった。でも、よく考えてみれば逸見さんのように考えるのが普通だと思う。どうやら僕は、黒森峰のお荷物なのかもしれないね」

 

 ふん、とエリカが鼻で笑う。

 

「別に、今すぐ黒森峰から出て行けとは言わないわ。私にはそんな権限も無いしね。今後は、出しゃばった行動は控えるようにしてもらいたいものね」

「・・・・・・そうします」

「要は、余計なことはするなって事よ」

 

 織部が力なく答えると、エリカもまた振り返って窓の外を見る。

 

「報告書は出したわよね?なら、今日はもう帰りなさい。そして、少し頭を冷やしなさい」

「・・・・・・分かりました」

 

 織部は踵を返して、教室の外へと出て行った。外で教室の壁に背を預けていたまほにも全く気付かずに。

 小梅も、織部を追いかけるように教室の外へと出る。

 誰もいなくなった教室で、エリカはハァとため息をつく。

 言いたいことは言えた。

 だが、それでも心に雲がかかっているような気がするのはなぜだろう?

 というより、まさか自分が個人を、しかも男を呼び出して相手に対する不平不満を真正面からぶつけるなんて、冷静さを欠く行動だったと頭の冷えた今では思う。

 やはり、みほと再会したのが原因だろうか。

 そう思うとなぜか悔しくなり、机を忌々し気に軽く蹴った。

 

 

 エリカと別れた後、織部は教室に戻って鞄と荷物を回収し、帰路に就いた。帰り道を歩く織部の足取りは重い。

 そんな力なく歩く織部のすぐ後ろを、小梅が続く。

いつものように並んで歩いてはいない。なぜなら、今の織部の顔は恐らく、普段の明るさを全く感じられないだろうし、小梅もそんな落ち込んだ織部の顔を見たくなかったからだ。

 織部はまず間違いなく、エリカの言葉を受けて心に相当なダメージを負っている。『気にしないで』とか『春貴さんは何も悪くない』とか言っても、今の織部には空しく聞こえるだけだろう。

 そう思う理由、それはやはり小梅が織部の過去を知っているからだ。

人一倍真面目な織部は、小梅の過去を聞いて我が事のように涙を流していたことから、あらゆる事態を深刻に受け止める傾向があるというのが、人の言葉を真面目に受け取る性質を持っているのが分かる。だから先ほどのエリカの言葉も、言いがかりと考えずに全てを正しいと受け取ってしまい、そして自分の行いを全て否定されたと思い込んでしまっている。

 それに気づいているからと言って、何もできない、何も言葉をかけられない小梅は自分の事が悔しかった。

 結果小梅は織部の横を歩くことができず、そして何も話しかけることができず、ただ後ろからついていく事しかできなかった。

 だけど、このままではだめだと小梅は思っている。このまま織部を放っておくことなんて、できないと思っている。

 小梅は、これまで織部に幾度となく助けられ、織部の言葉に救われてきた。周りとの繋がりがほとんどなく孤独だった小梅の事を、織部は救い、小梅と皆との繋がりを取り戻してくれた。

 そんな小梅を救ってくれた織部が、未だかつて見た事がないほど落ち込んでいる。

 だから、織部によって救われた小梅が、今度は織部を助ける番だ。

 小梅は、このまま織部を放っておけば、織部はまた過去にいじめられていた時のように、周りを信じなくなっていき、この先の夢への道も断たれてしまうだろう、諦めてしまうだろうと思っていた。

 それだけは、絶対にさせたくなかった。織部がここまで必死に積み重ねてきたものを、全て無駄にしてしまう事なんて、できるはずがない。

 そんなの、悲しすぎる。

 それに小梅は過去、黒森峰で責められていた恩人であるみほの事を守れずに、ただ何もすることができず、みほが黒森峰から去っていくのを止められなかった。

 また自分の前で、自分にとっての大切な人が去ってしまうのが、小梅はもう嫌だった。

 だから小梅は、今度は絶対にそうはさせないと誓う。

 

「・・・・・・小梅さん」

 

 そこで初めて、織部が話しかけてきた。小梅は少々驚きはしたが織部の言葉に耳を傾ける。

 

「・・・・・・僕はこれで」

 

 気がつけば2人は、いつもの交差点にいた。黙々と考え事をしながら歩いているうちに、ここまで来てしまったのか。

 だが、ここで織部をこのまま行かせてしまっては、もう2度と織部に会えないような気がしてしまう小梅。根拠はないが、今の織部からはそんな感じがしてならない。

 だから、ここは引き留める。

 

「・・・待って、ください」

 

 自分の寮へと向けて歩き出す織部を呼び止める小梅。織部は立ち止まり、黙って後ろを振り返る。

 たったそれだけ、それだけだったのに、小梅は妙な寒気を覚えた。

 今の織部は、小梅の話を聞いてくれていた時のような優しい顔を浮かべておらず、またあの時の穏やかな雰囲気も無い。幾度となく小梅に向けてくれた笑顔もすべて偽物だったかのように、何の感情も浮かばない顔をしている。

 普段気性の穏やかな人が見せるこの虚無感は、妙な寒気や恐ろしさを感じさせる。

 だが、小梅はそれには決して怯まず、屈しない。でなければ、織部を助ける事なんて、できないから。

 

「・・・・・・少し、付き合ってもらってもいいですか」

 

 小梅が告げる。

 織部は、顔色一つ変えずに。

 

「それは、今日必要な事なの?」

 

 言い放った言葉には、『今は関わらないでほしい』という意味が込められている言葉に、小梅は気付いていた。

 そして、あの織部がここまで冷酷な言葉を放ったことが、何よりショックだった。

 それでも、例え普段の織部とまるで違っていても、決して後ずさりはしない。臆さない。

 

「・・・・・・はい。どうしても、今日でなければいけません」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 今、織部は何を思っているのだろう。黙っている織部が、小梅の事を冷めた瞳で見る織部が何を考えているのか、それを考えるのが怖い。

 だが、織部は少し目を閉じて、息を小さく吐いて言った。

 

「・・・・・・分かった」

 

 まだ織部は、小梅の話を聞くぐらいの情は残っていたらしい。この誘いすらも断られていたら、恐らく本当に小梅には打つ手がなかった。

 とにかく、今は織部と話をすることが先決だ。ただ、ここでは少し話しにくい。もっと、話しやすい場所に行こう。

 小梅は『ついてきてください』と織部に告げて、歩き出す。小梅の後ろの方から足音が聞こえてくるので、ちゃんとついてきているのだろう。途中何度か振り返っても、確かに織部は小梅の後ろを歩いている。

 しばしの間歩き続け、やがて着いたのは。

 

「・・・・・・・・・・・・ここ?」

「はい、ここです」

 

 お互いに、自分の抱える過去の傷を告白し合った、あの花壇だ。

 小梅が先んじてベンチに座り、手で座るように促すと、織部も小梅の横に大人しく座る。

 

「・・・・・・大丈夫ですか」

 

 小梅が真っ先に告げたのは、織部を気遣う言葉だ。それだけで、織部の心の中の疑念や緊張感が晴れるとは思っていなかったが。

 

「・・・別に、問題はないよ」

 

 織部は応えてくれた。それだけの事だが、嬉しかった。

 まだ織部は、完全に心を閉ざしてはいない。

 ほんの少し、小梅が織部の顔を覗き込んでみると、織部の表情は悲しんでいる、というより困惑している、という表現がしっくりくるような顔をしていた。

 恐らくは、自分がしてきたことは間違いだったのかと答えの無い疑問を延々と考えているのだろう。

 だがそれが分かったからと言って、具体的にどんな言葉をかければいいのか、小梅には分からなかった。

 今の織部は、どんな言葉をかけられると傷つくのか、どんな言葉をかけられれば気が楽になるのか、小梅には分からない。

 

(そう言えば・・・・・・・・・・・・あの時は・・・・・・・・・・・・)

 

 ふと、自分が織部と出会った時の事を思い出す。

 あの時は、泣いていた小梅を織部が慰めてくれたけれど、小梅自身はなぜ泣いていたのか、何が起きたのかを話すのが辛かった。

 それでも織部は、そこで小梅から離れはせずに、小梅の話を聞こうとしてくれた。

 だけど小梅も、心の辛い部分に触れられるのが怖くて、そして出会ったばかりの織部を信用できなくて話そうとはしなかった。

 あの時の織部の気持ちはどうだったのだろう。今の小梅のように、どうすれば相手の心の傷に触れないように、何を話せばいいのか迷っていたのかもしれない。

 だとすれば、織部はその不安を抱えながら小梅と向き合ってくれていたという事になる。

 たとえ、その傷に触れられたことで相手に恨まれる事になろうとも、その可能性を顧みずに小梅と話をしてくれた。

 そして今、小梅は元の性格に戻りつつあった。

 そこまでして小梅に向き合ってくれた織部、そしてその織部の優しさや誠実さを思うと、改めて嬉しく思うし胸が温かくなる。

 さらにそんな織部の事が好きだという想いが込み上げて来て増幅していく。

 だけど今、その織部は落ち込んでしまっている。

 優しく話をしてくれた織部と今の織部を見比べると、その変貌ぶりを見ると小梅の心が痛む。

 好きな人を、自分の事を救ってくれた人を助けてあげたい。

 落ち込んでいる織部を見ると、なぜか胸が締め付けられる。小梅もなぜか悲しくなってくる。

 そう思い小梅は、織部の事を優しく抱きしめる。

 

「・・・・・・何を―――」

 

 突然の小梅の大胆な行動に織部も驚き声を出そうとするが、その声もまた途切れる。

 織部を抱きしめた小梅は、織部の傍で、泣いていたのだ。

 ここ最近は、久しく見る事の無かった小梅の泣き顔。最後に見たのはいつだったか。

しかしなぜ、今またその顔を見せてしまったのか、織部には全く分からない。

 

「・・・春貴さんは今・・・エリカさんの言葉を聞いて傷ついてるって私にも分かる・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「でも、春貴さんがそうして落ち込んでると、どうしてか私も、心が痛い・・・」

 

 涙ながらに、小梅は声を洩らす。

 その小梅の話し方が変わったが、それは些末な問題だ。

 その言葉で、織部の中で温かい気持ちが、再び芽生える。

 心の中に渦巻いていた暗い感情が、霧散する。

 

「春貴さんは、エリカさんの言葉が正しくて、春貴さんのこれまでしてきた事が間違っていた、って思ってる・・・のかな」

「・・・・・・・・・・・・うん」

 

 織部は頷いてくれた。

 織部がどう思っているのかを考えてそれを直接聞くというのは相当に危険な賭けでもあったが、織部は応え頷いてくれた。

 

「・・・春貴さんのこれまでしてきた事は、間違ってはいない。これだけは、絶対に言える」

「・・・・・・・・・・・・」

「春貴さんが私の話を聞いてくれたから、私と一緒に悲しんでくれたから、私に向き合ってくれたから・・・私は救われて・・・。今私は、また皆と一緒に戦車道を歩むことができてる。根津さんや斑田さん、三河さんや直下さんと、一緒に笑い合えてる」

「・・・・・・・・・・・・」

「だから、春貴さんの言葉も、行動も、間違ってない・・・私が、それを証明してる」

「・・・・・・でも僕は」

 

 小梅の言葉を聞いていた織部が、小さく呟く。小梅はその言葉を聞き洩らさないように注意深く耳を傾ける。

 

「・・・・・・・・・・・・思い出させたくないような事を思い出させた。小梅さんに辛い過去を思い出させた」

 

 織部は言い訳をするが、小梅は首を横に振り、そして織部を抱きしめる力を少し強くする。織部の体温が伝わってきて、織部の心臓の鼓動も伝わってくる。反対に、自分の体温も、心臓の鼓動も伝わっているのだろう。けど、そんな事は気にしない。

 

「過去を話すには必ず、その過去に向き合わなくちゃいけない。過去に何が起きたかを、思い出さなくちゃいけない。でもそれは、決して春貴さんのせいじゃない」

「・・・・・・・・・・・・」

「私が、春貴さんに全部話したいと思って、自分から自分の過去を見つめなおす事に決めた。西住隊長だって、きっとそう。だから・・・春貴さんは何も悪くない」

「・・・・・・・・・・・・でも、西住隊長にも、小梅さんにも全てを思い出させた。無理に話さなくてもよかったのに・・・」

「それも違う」

 

 また、ギュッと抱きしめる。

 

「私は、私の事を本当に、心の底から心配してくれている春貴さんを信じる事にした・・・。だから、私は全てを話すことにしたの。私は、春貴さんも私から離れるんじゃないかって、少し恐れていたけど・・・。でも、春貴さんは私から離れないで、ずっと今日まで傍にいてくれた・・・支えてくれた・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「それだけで、過去を思い出したせいで傷ついた心なんて、もう直ってる・・・もう、私の心は痛んでない」

 

 小梅は、今なお流れる涙を止められないが、同時に織部も少し震えているのを感じる。

織部も今、泣きたいのを堪えているのだろう。

 でも、今この場には織部と小梅しかいない。だから、泣いてもいいと言わんばかりに小梅は織部の背中を優しく撫でる。

 

「・・・春貴さんは、私の事を、心を救ってくれた。私の事を助けてくれた・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「だから今度は、私が春貴さんを助ける番・・・・・・今ここには、私しかいない。だから・・・・・・泣くのを我慢しなくてもいいよ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どうして」

 

 震える声を織部が洩らす。それだけで、織部も泣きたいのが分かる。

 

「・・・・・・どうして、僕の事をそこまで信じてくれるの・・・?」

 

 どうしてか。

 その理由はただ1つだけだ。

 けど、それを言うのはもう少し後に、もっと良い雰囲気で言いたかったのだが、隠しても仕方はないし、隠すと余計に織部は不安になってしまう。

 それに織部も馬鹿じゃない、いずれは小梅のこの気持ちに気付くかもしれなかった。

 だから、言うしかない。

 

「・・・・・・春貴さんは、私の事を心配して、私の話を聞いてくれて、私の事を救ってくれて・・・。そして、いつも私の傍にいてくれた。私が悩みや心配事を打ち明けても、春貴さんは誠意をもって、私の事を考えて、それで私を・・・支えてくれた。私の傍にいてくれた」

 

 そこで小梅は、織部を抱きしめていた腕を解き、そして織部と向き合う。

 織部の顔は今にも泣きだしそうに歪んでいて、瞳が揺らいでいる。そして小梅もさっきまで泣いていたのだから、涙で濡れてしまっている。

 でも、今から告げる言葉は大切な、小梅の人生でも初めて言う言葉だ。

 だから、しっかりと、小梅自身の強い意思を込めて、告げる。

 

 

「そんな春貴さんの事が・・・私は大好きだから」

 

 

 その言葉は、小梅の気持ちを伝えるには、その言葉だけで十分だった。

 そしてその言葉に、織部の心は射抜かれたような感覚に陥る。

 同時に、堪えていた涙が、溢れ出てきた。

 小梅がまた、優しく織部の事を抱きしめてくれる。背中に手を回して、優しく撫でてくれる。最初に会った時、泣いていた小梅の事を織部が撫でてくれたように。

 織部もまた、小梅の背中に手を回して強く抱きしめる。それは少し痛いくらいだったけど、小梅は何も言わず、織部の抱擁を受け入れる。

 泣きじゃくり、嗚咽を洩らし、強く抱きしめる織部は、涙ながらに言葉を紡ぐ。

 

「ありがとう・・・・・・」

 

 今言える精いっぱいの気持ちを伝える。

 

「・・・・・・ありがとう・・・」

 

 何度でも、その言葉を伝える。

 

「・・・ありがとう・・・・・・」

 

 また、壊れかけた自分の心を救ってくれたことを。

また、孤独になりかけた自分のことを。

 小梅に冷たく当たっていた自分の事を。

 許してくれて、そして救ってくれたことに。

 

「ありがとう・・・・・・・・・」

「・・・もう、十分だよ」

 

 小梅が告げて、織部の背中を優しく撫で、子供をあやすかのように静かに優しく叩く。

 織部は、涙を拭い、小梅に抱きしめられたまま、静かに、だけど小梅に聞こえるように告げる。

 

「・・・小梅さん、僕からも言わせてほしい」

「・・・・・・うん」

 

 さっき小梅が言った言葉を忘れてはいない。その言葉に対する返事は、きちんと返すべきだ。

 そしてその返事は、当然。

 

 

「僕も、小梅さんの事が好きだ。大好きだ」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、織部を抱きしめる小梅の力が少し強くなった気がする。

 織部のすぐ横で、小梅がすすり泣いている声がする。

 小梅も、嬉しかったのだろうか?

 

「・・・・・・嬉しい・・・」

 

 そんな織部の疑問に答えるかのように、小梅がこぼす。

 

「・・・・・・私たち、両想いだったんだ・・・」

「・・・・・・そうだね」

「・・・・・・恋人同士、って事なのかな」

「・・・・・・そうなる、のかなぁ」

 

 さっきまで落ち込んでいたのが嘘のように、織部は小梅と抱き合ってこうして恋人同士になれた事を喜び、お互いに気持ちを確かめ合っている。

 だが、それでも織部は聞いておきたかった。

 

「・・・・・・告白しておいてなんだけど、本当に僕でいいの?」

「春貴さんじゃなくちゃ・・・・・・嫌です」

 

 先ほどとはまた違う話し方になる小梅。恐らくは、先ほどの話し方が素なのかもしれないが、これが話しやすいのであれば止めはしない。

 

「さっきみたいに落ち込んで、小梅さんに辛く当たる事だって、これから先あるかもしれない・・・」

「その時は、また私が助けます」

「僕なんて、心はすごく脆くて弱いよ。それなのに真面目過ぎて、小梅さんを縛るかもしれないし・・・」

「私は、春貴さんが真面目に私と向き合ってくれてたんですから・・・私は、春貴さんの真面目さもまた・・・・・・好きです」

「・・・・・・・・・・・・」

「それに、私の事を真剣に考えてくれている春貴さんが、私を縛りつけるような事はしないって、私は信じてますから」

「・・・・・・そっか」

 

 小梅はここまで、織部の事を信用して、好いてくれている。

 織部は、いつの間にか自分がここまで小梅に想われるほどになっていたことに少なからず感動したし、そして何よりも嬉しかった。

 

「むしろ、私の方こそ、私なんかでいいのかなって・・・」

「?」

 

 今度は、小梅が小さく告げて、そして怯えるように織部とさらにくっつくように抱きしめる。

 

「・・・私だって、何度も春貴さんに助けられて、春貴さんの負担になってるんじゃないかなって・・・・・・」

「・・・・・・言ったはずだよ。僕は小梅さんの傍にいるって。それに僕は、小梅さんを助けたいからそうしてきた。負担だなんて思ってないよ」

「・・・・・・重い女なんて・・・」

「全然、思ってない」

「・・・・・・本当に、私で・・・?」

 

 どうやら小梅の不安はまだ拭えてはいないらしい。

 その不安を解消するために、織部は小梅の頭を優しく撫でる。

 

「・・・・・僕は、本当に小梅さんの事が好きだ。だから小梅さんの事を重いなんて全く思わないし、僕を頼って話をしてくれることを、嬉しく思ってる」

「・・・・・・・・・・・・」

「だから、これからも、よろしく」

 

 そこで織部と小梅は、抱き合いながらも笑みを浮かべる。

 お互いが、お互いの事を好きでいてくれて、そして相手の欠点を補い合い、支え合っていくことを誓い、言葉にして、それぞれの相手に対する気持ちを、知ることができたから。

 それが、とても嬉しかった。

 

 

 訓練が終了してから大分時間が経ってしまい、空には月が浮かんでいた。

 しかしそんな事は気にせずにしばしの間、お互いに自分が抱く相手への気持ちを確かめ合いながら抱き合う。

 そうしてどれだけ時間が経っただろうか、不意に2人は恥ずかしくなって身体を離し、それが可笑しくてお互いに笑みを浮かべる。

 そして、花壇に咲く花を見れば、どうしてだか、2人を祝福しているかのように、笑っているように見えた。

 だが、いつまでもここにいるわけにはいかない。明日がまだある。

 小梅が織部の行いを認めてはくれたが、エリカの言葉も忘れていないわけではない。周りの人全てがエリカのように織部の事を見ているとは思いたくはないが、少なくともエリカは織部に対してああいう印象を抱いている。エリカが傍にいるまほからも、そう見えていたのだと思う。

 なら、これからはあまり目立つ行動はしないようにする。ただ言われた通りの事をするだけでいい。余計な詮索はしないでおけば、エリカやまほには悪く映らないはずだ。

 そんな事を考えている織部は今。

 

「・・・・・・本当にいいの?」

「大丈夫ですよ、私がこうしたいと望んたことですから」

 

 小梅の部屋にお邪魔していた。そしてテーブルの前でそわそわしながら座っている。

 改めて思うと、女の子の、それも好きな人の部屋に上がり込むなんて割と踏み込み過ぎているような事にしか思えてならない。

 相手が、恋人であるのならばなおさら。

 そして、今からしてもらう事を考えると、余計に織部の心は落ち着かない。

 

「・・・お待ちどうさまです」

 

 そう言って小梅は、出来立ての肉じゃがが盛られた皿をテーブルの真ん中に置く。湯気立つ肉じゃがの匂いが織部の鼻腔を刺激し、食欲を駆り立てられる。

 さらにはみそ汁と炊き立てのご飯、さらにはキュウリの酢の物が添えられる。

 

「では、食べましょう」

「・・・うん」

 

 小梅が織部に向かい合う形で座り、お互い手を合わせて。

 

「「いただきます」」

 

 みそ汁の椀を手に、一口飲もうとする前に織部が小梅に話しかける。

 

「・・・ごめんね。またご馳走になっちゃって・・・」

「いえ、気にしないでください。さっきも言いましたけど、私がこうしたいと思ったからですし・・・それに、春貴さんが私の料理を褒めてくれたのはとても嬉しくて、だからまた食べて喜んでもらえたら、と思ったんです」

 

 右手に箸を持ち、左手にみそ汁のお椀を持ってそのみそ汁を見たまま小梅が呟く。だが、すぐにハッとしたように織部に向き直った。

 

「って、ごめんなさい・・・。私・・・・・・」

 

 自分の都合で織部を呼んだことを申し訳なく思っているのだろう。だけど織部は全然そんな事は気にしていない。むしろその逆だ。

 

「気にしないでいいよ。僕だって、小梅さんの料理は食べたかったし、それと・・・・・・」

 

 そこで織部が言い淀み、先の小梅と同じようにみそ汁を見る。

 だが、すぐに顔を上げて告げた。

 

「・・・僕らはもう恋人同士だ。だからそんな気遣いや遠慮は、しなくてもいいんだ」

 

 その言葉で、小梅も不安が無くなったのか、小さく笑った。

 

「・・・・・・そうですね。私たち・・・・・・恋人、同士ですものね」

 

 言っていて何だか恥ずかしくなる。織部も同様に、少しこそばゆくなってしまい、みそ汁を飲んで逃げることにした。

 

「・・・・・・やっぱり、美味しい」

 

 いっそ懐かしさすら感じてしまうみそ汁の味に、また涙腺が緩みそうになる。だがここで泣いてしまっては、せっかくの小梅の手料理を堪能できないので、必死に堪える。

 次に食べるは肉じゃが。前に食べたのは作り置きだったが、今目の前にあるのは間違いなく作りたてのもの。作り置きのものでも十分美味しかったのだから、作りたてもさぞ美味しいだろう。

 そう思いながら一口食べる。

 

「・・・・・・・・・・・・美味しい、すごく」

「ありがとうございます」

 

 小梅が律儀にお礼の言葉を告げる。そこで織部は、前に思っていたことを口にする。

 

「この前・・・初めて小梅さんの肉じゃがを食べた時にね・・・」

「?」

「・・・胃袋を、掴まれたような感じがしたんだ」

 

 織部の言葉に、小梅は吹き出し、そして小さく笑う。

 

「この肉じゃが・・・・・・小梅さんが自分でレシピを?」

「いいえ・・・母から教わったんです。小学校の時、まだ学園艦暮らしで親元から離れていないときに」

「そっか・・・・・・」

 

 何気なく織部が聞くと、小梅はちょうど、母から教わっていた時の事を思い出す。

 その時は、学園艦で1人暮らしをするためには家事スキルが必要だと言われて色々教わった。料理についても、一通り教わって、今まで何とかやってこれた。

 今こうして、人に振る舞うことまでは考えていなかったが、改めて母から料理を教わってよかったと思う。

 

「・・・・・・・・・・・・春貴さん」

「?」

 

 そこで小梅は、この前最初に織部がこの部屋で一緒にご飯を食べた時の事、そこで織部から言われたことを思い出す。

 

「前に春貴さんがここにきて一緒に昼ご飯を食べた時、何て言ったか覚えてますか?」

 

 小梅に言われて、織部は思い出す。

 確かあの時、織部は。

 

『自信持った方がいいよ。これ、すごい美味しいもん』

『・・・・・・すごく、美味しい』

『いい―――』

 

「・・・・・・・・・・・・覚えてる」

 

 『いいお嫁さんになりそうだね』と、あの時織部はそう言った。

 あれは随分と軽はずみな発言だったが、決して嘘ではないと織部自身は思っている。実際に織部の胃袋は掴まれて、すっかりと虜になってしまっているのだから。

 

「・・・・・・あの言葉を聞いた時は、私すごく嬉しかったんですよ?」

 

 何を言われるのか、織部は不安に襲われる。

 やはり小梅には、あの言葉は不愉快だったのかと怯える。

 

「あの、あの時は―――」

「でも、同時に私は・・・・・・」

 

 怒られるのを、嫌われるのを恐れて先に謝ろうとするがそれを阻む小梅。あの時と同じだ。

 

「・・・・・・それが・・・・・・将来の、その・・・・・・私の“相手”が・・・・・・」

 

 そして織部の方を見て、言った。

 

「・・・・・・春貴さんだったらいいな、って思ったんです・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 思考がフリーズするが、すぐに再起動する。

 そして小梅の言った言葉の意味を、改めて考えなおす。

 今話している内容とは、小梅に対して『いいお嫁さんになる』と言ってしまった事。

 それについては小梅は嬉しいと言っていたし、その上でその“相手”が織部ならいいとも言っていた。

 となると、小梅が何を意味して言っているのか、大体つかめた。

 だが、それと同時に。

 

「・・・・・・・・・・・・え、それは・・・・・・つまり・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・はい。私は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 小梅は言葉を切り(溜めたとも言う)、そして言った。

 言ってしまった。

 

 

「将来春貴さんとは・・・・・・・・・・・・結ばれたい・・・・・・。結婚したい、と思っています」

 

 

 夢を、この先の自分の望みを、小梅は告げた。

 ちょっと前までは、周りの人を遠ざけ遠ざけられて、戦車にも乗せてもらえず、この先の夢なんて抱く事もできなかっただろうに。

 今こうして、小梅は幸せな未来を思い描き、それを素直に告げることができるまでに、持ち直している。もしかしたらこれが小梅の本当の姿なのかもしれない。

 だけど、そこまで先の事を見据えているとは、織部も予想外だった。

 そこまで小梅が、積極的に物事を考えているとは、思ってもいなかった。

 頭の中で織部は『うわああああ・・・!』と恥ずかしい声を上げる。いや、口から小さく『うわあああ・・・』と漏れ出す。

 だって今日一日だけで色々と起こりすぎて、脳がオーバーヒートしそうだった。

 だがしかし、このまま何も言わないというのは男が廃る。

 それに織部自身、小梅と“そうなりたい”とは思っている。

 だから、決して軽はずみなんかじゃない、覚悟を持って、言うしかない。

 

「・・・・・・僕も・・・・・・小梅さんとは・・・・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・将来、そういう関係になりたい、と思ってる」

 

 ストレートに言えなかった辺り、織部も意気地なしだった。そんな自覚はある。

 

「“そういう関係”って?」

 

 でも、小梅は逃がしはしなかった。しかも聞いてきている小梅の顔が緩んでいるあたり、絶対にからかっている。

 『くっ』と恥ずかしさのあまり心の中で毒づいてから、織部は観念して自分の感情を、想いを白状する。

 

 

「・・・・・・僕も小梅さんと同じだ。将来は、小梅さんと結婚したい」

 

 

 織部だって、こうして人を好きになった事なんて無かったし、恐らく今後、他の誰かを好きになる事も無いだろう。

 それほどまでに、織部は小梅に恋をしていた。愛を抱いていた。

 小梅の笑顔に心底惚れてしまい、胃袋を掴まれて虜になってしまって、黒森峰で強い信念を掲げて懸命に生きる姿に共感して感銘を覚えて、その姿に惹かれたのだ。

 それで小梅から全ての想いを告げられて、織部も自分の中にある想いを告白した。

 そして今、恋人同士となることができ、さらにその先のことまで小梅は見据えていることを知った。

 織部だってここまで小梅と向き合ってきて、小梅の事を好きになって、やっと恋人同士になれたというのに、小梅以外の人と結ばれるなんて考えられなかった。それに、小梅が自分以外の誰かと結ばれると想像すると、胸が茨で締め付けられるかのようにズキズキと痛む。

 

「・・・・・・小梅さん以外の人と結ばれるなんて、考えられない」

「・・・・・・私もです。春貴さんとでないと・・・・・・」

 

 その想いを織部が告げると、小梅もまた同じように言ってくれる。

 小梅にそこまで想われているなんて、そう思うとまた涙があふれ出そうだ。

 

「・・・・・・ごめんなさい、からかうようなことを言って」

「・・・いや、おかげで踏ん切りがついた。覚悟を決められたよ」

 

 少し試すように織部に問いかけた事を、小梅が謝る。だが、織部の言う通り、あの質問があったから、織部は覚悟を決めたのだ。

 これから先、小梅と共に、歩き続ける道を。

 

「・・・・・・結婚を前提としたお付き合い、か」

「・・・・・・そうですね」

 

 お互いに笑みを浮かべてお辞儀をして、食事を再開する2人。

 周りからすれば、まだ“その事”を考えるのは少し早すぎる、まだ若すぎると思うだろう。

 だから、織部と小梅は今こうして恋人同士の関係でいる。

 だけどいつかは、『思っている』『したい』じゃない、本当の自分の決心を告げなくてはと、お互いに思っていた。

 それまでは、そう遠くはないかもしれないその時までは、今の関係でいよう。

 恋人同士の関係で。




ヒヤシンス
科・属名:キジカクシ科ヒヤシンス属
学名:Hyacinthus orientalis
和名:風信子
別名:ヒアシンス
原産地:地中海東部沿岸
花言葉:悲しみを超えた愛、遊び、ゲーム、スポーツ


あの全国大会の渦中にいて、みほと関わりのあった小梅の話を書く以上、
あの時の状況や、周りのみほに対する考えを書く必要がありました。
また、その黒森峰を率いているまほとエリカの話も書く必要が出てきました。
結果、この話の本題と言える『主人公と小梅の恋愛』からズレている内容になってしまいました。
大変申し訳ございません。



なお、まほの性格が割と柔らかいのは、
まほは妹想いで礼儀正しいから、根は優しいのではないか思ったからです。
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