織部が教室を出て行ってからしばらくの間、エリカは教室の窓に寄り掛かり、外を見ながら考え事をしていた。
昨日の思いがけない、抽選会場とルクレールでのみほとの邂逅で怒りを覚え、それが収まらぬうちに織部とまほが話をするのを聞いてしまって、少し頭に血が上って織部に色々と言葉をぶつけてしまった。
だが冷静になった今でも、間違った事は言っていないとエリカは思っている。
黒森峰戦車隊は、いや戦車道を歩む者は皆、元来指令に忠実で、礼儀正しく謹厳実直で、生真面目であるべきものだ。
それなのに、織部が来てから戦車隊の空気は弛んできている。この前ゴールデンウィークを前に愚痴や文句をこぼしていたのもそうだし、ドイツ料理店で織部や根津たちがやたらと賑やかに食事をしていたのもそうだ。ちょっと前までは、数名で食事をしに来るような事はあっても、あんな風に和やかで賑やかに食事をする輩はいなかった。
そして何より、エリカが敬愛して心酔しているまほに取り入ろうとしている。まほの過去を無理やりにでも浮き彫りにして、知ったような口を利いて、まほの全てを理解しているような口ぶりでアドバイスをして。
それが留学生のすることか。戦車に乗ることもできない男のすることか。あの時黒森峰にいなかった人間の分際で、まほの事を何一つ知らないくせによくもずけずけとものが言えたものだ。
釘を刺したのでもうそんな事はないだろうが、とにかく次そんな事があったら今度はガツンと言ってやる。
そう心に誓って教室を出たところで。
「エリカ」
「はいぃ!?」
幽霊にでも出くわしたようなリアクションを取ってしまったが、そこに、教室のドアに背を預けて立っていた人物がまほだということにはすぐに気づけた。
「た、隊長!?どうなさったのですか・・・?」
「・・・・・・」
どうしてこんなところにいるのか、当然の疑問をぶつけるがまほは何も答えない。
そして、ある心配事が浮かび上がる。
先ほどの織部との話を全て聞かれていたかもしれない、という事だ。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
だとすれば、それほど厄介なことはない。まず、まほと織部の話をエリカが盗み聞いてしまった事を知られるのはマズいし、まほのことを考えて織部に対して詰問し非難したこともエリカの独断だから都合が悪い。そして、エリカ自身がまほの力になりたかったと言うのも聞かれていては、それは本心であっても恥ずかしい。
「・・・・・・隊長室で、エリカと織部の雰囲気が悪いと感じて来てみたんだが、こうなったか」
「・・・・・・・・・大変申し訳ございません」
どうやら、ほぼすべての話を聞かれたようだ。もはや言い逃れもできない。
「エリカは今日やこの前の私と織部の話を盗み聞いていたようだが・・・これで、相子だな」
「・・・・・・・・・」
まほが盗み聞きをしていた事を白状するが、そんな事は些末な問題だ。
エリカがまほたちの会話を盗み聞いていたのがバレてしまった。隊長であるまほの指示に従わなかったのは、副隊長として致命的過ぎる。いや、副隊長どころか隊員としてもだめだろう。隊長の命令に反した行動をとったのだから。
「織部に対し、色々と言葉を突きつけて、かなり棘のある言葉をぶつけていたな」
「・・・・・・・・・」
どうやらまほは、今までの一連の流れの事を快く思っていないらしい。
これは、謹慎か、小梅やみほのようにしばらく戦車から降ろされてしまうのか、もっと悪ければ除隊なんてことも考えられる。
普段から悲観的な思考にはならないエリカも、戦車道やまほが
「・・・誤解を招かないように、1つ言っておく。いや、もう遅いのかもしれないが・・・・・・」
「?」
まほが隊長室に向けて歩き出す。エリカはその斜め後ろについて、歩きながら話すまほの言葉に耳を傾ける。
「織部が私の事を何も知らず、私のざっくりとした話を聞いて、それだけで全てを知ったような口で私に助言をしてきたというのは、確かに1つの見方ではある。だが私は、過去の傷を抉られたと考えていたりも、深入りしてきた事に対して怒っていたりも今はしていない」
「・・・今は・・・?」
まほのちょっとした言葉の言い換えにエリカは首をかしげる。
「・・・確かに最初、『みほをあの時どうして守らなかったのか』と聞かれた時は、少しだけだが私も不快に思った。あまりにも、唐突に聞いてきたからな」
「じゃあ・・・・・・・・・」
「だが、私は心のどこかで望んでいたんだ。誰かが、私の話を聞いてくれることを」
「・・・・・・・・・!」
織部も知らないであろうまほの本音を聞いて、エリカは目を見開く。
「みほが黒森峰を去ってから、私は未練や後悔を感じていたんだ。みほを守れなかった事、西住流とみほを天秤にかけて西住流を取ってしまった事を。姉としてあれは本当に正しい行動だったのか?と、何度も自分に問うていた」
「・・・・・・・・・」
「ずっと、後悔していた。そしてそれは、誰にも打ち明けられなかった。戦車隊の隊長として皆を率いる私が弱音を吐き、その上あの時の私の心情や本音を聞いたら、やっと立ち直りかけていた戦車隊はまた混乱してしまうだろうからな」
「・・・・・・・・・」
「自分の後悔や未練を誰にも話せずに、ただ胸の奥で蟠りが大きくなっていく日々を過ごしていて・・・そんな折、織部が多少無礼ではあったが真意を聞いてくれた。それが、どこか私は嬉しかったんだよ」
「・・・・・・・・・」
階段を下りて長い廊下を歩き、隊長室の前に戻る。エリカが先んじてドアを開けて電気を点けると、まほはエリカに応接ソファに座るように促す。エリカは一言『失礼します』と告げてソファに座り、まほもまたエリカに向かい合うように座る。
「織部は私の事を何一つ知らない、とエリカは言っていたしその通りだと私自身でも思う。だが、織部にはなぜか、全てを話せそうな気がしたんだ。興味本位でも、好奇心でもない、もっと別の理由があって織部は私の話を聞いてくれたと、私は思っている」
「・・・・・・・・・」
「その“別の理由”は織部自身しか知らない事だが、赤星の言っていたことが正しいとすれば、織部が過去に負った大きな心の傷と関係しているのかもしれないな」
あの時は異端の存在に加担する者の言っている事など、とエリカは半分聞き流してしまっていたが、確かにそんなことを言っていたような気がする。
果たして織部のその過去に負った大きな心の傷と言うのは、どんなものなのか。もしかすると、小梅やみほが負った傷と同じぐらい、深く苦しいものだったのかもしれない。
「それと、エリカ」
「はい」
「エリカは、織部に『西住隊長の事を何も知らないくせに、よくも色々と言えたものだ』と言っていたな?」
「・・・・・・・・・・・・」
「それは、エリカ自身にも当てはまる事だというのは忘れるな」
ビクッとエリカの肩が震える。
「エリカだって、織部の事を何も知らないはずだ。織部と特別深い関係にある赤星や、同じクラスで親しい根津や斑田はともかくとして、エリカはまだ織部と話した機会もそれほどない。私の記憶している限りでは、報告書を出す時とかそこらで、しかも一言二言、業務的な話しかしていないだろう。普段の訓練や日常生活においても織部の行動を注意深く観察していたとすれば話は別だが」
「・・・・・・・・・」
「だが、私の話を聞いて助言をしてくれた織部の事を、先入観だけで悪しき存在だとして織部の全てを知った気になり、戦車隊の空気が弛んでいる原因と一方的に決めつけて、先ほどのように織部を責め立てたのはあまり褒められたものではない」
「・・・・・・・・・」
返す言葉も無い。
まさに正論であり、反論する材料も何一つ見つけられない。
先ほどの自分の行動はやはり冷静さを欠くものであって、今改めて思い返してみれば具体的な証拠がないにもかかわらず、随分と自分の偏見と憶測だけで責め立ててしまったものだと思う。
あの時の会話でそこまで見通していたまほは、やはり自分とは住む世界が違うと思う。伊達に国際強化選手をやっておらず、西住流の後を継ぐ覚悟を背負ってはいない。
エリカは目を閉じて、顔を下に向ける。
「そして、戦車隊の空気が弛んでいるという話だが、それもまた仕方のない事だとは思う」
「・・・・・・・・・」
「確かにエリカの言う通り、黒森峰は栄誉ある戦車隊であるとは私も思っているし、私は自分の戦車隊に誇りを持っている」
「・・・・・・・・・」
「だが、その戦車隊に所属するのは紛れもなく人間だ。サイボーグでもロボットでもない。多少、環境の変化や疲れなどを嘆いて愚痴を洩らす事も、致し方ないと思っている」
「・・・・・・・・・」
「私たちは戦車隊の隊員である前に、普通の学生だ。だからこそ、学生生活を謳歌する権利は誰にでもある。その権利まで奪ってしまっては、まだ身も心も完全に成長し切ってはいない私たちは恐らく、どこかで壊れてしまうだろうな」
まさしく、言う通りだ。
戦車隊に所属している者は皆礼儀正しく、忠実で謹厳実直であるというのは確かに理想的ではある。しかし、それが現実に反映されてないからと言って、他人を責める事は間違っていると、今では分かる。
ましてや織部のせいだと決めつけて、織部ただ1人を責め立てるのも正しいとは言い難い。
「・・・・・・・・・私は・・・」
まほから指摘されてはっきりした。
エリカの行動は、織部1人だけを責めたのは、間違っていたのだ。
1年以上まほの傍にいたエリカこそ、まほの事を、戦車隊の事を誰よりも、少なくとも織部なんかよりも考えていたと思っていたのだが、それはただの思い上がりに過ぎなかったという事か。
そして、織部がまほに、戦車隊に悪影響を及ぼしていると思い込んでしまい、織部の事を理解しようともせず、エリカの先入観、価値観を真正面からぶつけてしまった事も、正しくはなかった。
「・・・・・・・・・どうしたら、いいんでしょうか」
口では聞いてみるが、どうすればいいのかはもう頭では分かっていた。
だけど、何か1つでもいい、背中を押してくれる何かが欲しかった。
「・・・織部は恐らく、エリカの言葉を受けて大きく傷ついてしまっている。廊下の外に立っていた私にも気づかないほどなのだから、ひどく落ち込んでいるだろう」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「もしかしたら、その織部の心の傷を、抉るような真似をされたと思っているかもしれない」
本当にそうだとすれば、エリカは織部と同じような事をしてしまったという事になる。まほに深入りし、過去の事を思い出せた織部と同じような事を。
そして、他人が思い出したくもない記憶を無理やりにでも思い出させたり、抉ったりすることは無暗にしてはいけないという事はエリカにも分かる。
「ならば、どうすればいいのか・・・それは、エリカ自身が見つけるべきことだ」
「・・・・・・・・・」
自分で考えて行動する力をつけさせる、というのがまほの考えだ。
だが、だからと言って自由にやれと無責任なことは言いはしない。
「エリカがどんな道を選んだとしても、それがエリカ自身が正しいと思っているのであれば、私はエリカを応援するさ」
それで、エリカの決心はついた。
明日、エリカの取るべき行動は決まった。
けれど話はそれだけでは終わりではなかったらしい。
「・・・それとエリカ」
「・・・・・・はい?」
「エリカが、私の力になりたいと思っているとは思わなかった」
「・・・・・・!」
忘れかけていたが、エリカは思い出した。
あの時自分の言っていた言葉を。
『私だって、西住隊長の力になりたいのに、でも、何もできなくて悔しいのに・・・・・・・・・』
「エリカも私の部下だと思ってしまい、多くを話しては来なかった。だが、それが逆にエリカを苦しめているとは思わなかった」
「いえ、私は・・・!」
エリカが必死に取り繕うとするが、まほはその様子が少し可笑しく見えたのか小さく笑う。
「・・・これからは、なるべくエリカを頼ることにするよ」
「・・・・・・・・・はい」
まほがエリカを頼るという事は嬉しかったし、そのまほの思いは無駄にしたくはない。だからそのまほの言葉は、否定せずに受けることにした。
だが、エリカの中にはまだ悩み、というかしこりが残っている。
それはみほのことだ。まほから言われて、織部に対して行った事は間違っていたと認めてそれは改めるべきだとしても、みほの事は許したわけでも認めたわけでもない。
まほがみほの事をどう思っているのかは、織部との話を聞いて分かった。
だがエリカがみほの事をどう思うのかは別の話だ。
エリカ自身は、どうしたいのか。それはもう見えている。
しかし、それが本当に正しい事なのかどうかは分からない。けれど、人にどう言われたところでそれを曲げるつもりはない。
だけど誰かにそれを告げて、自分の言葉と決意を改めて確認した上で確固たるものにして、この先自分の取るべき行動を、進むべき道を確かなものとしたい。
では、誰にそれを告げるのかと言うと。
(・・・・・・不本意だけど。本当に不本意だけど)
その誰か、とは1人しか思いつかない。
こんな言葉を親しい者に言うと引かれてしまうし、事情を知らない者からすれば何の話だか分からないだろう。ましてや戦車隊に関わる者でないと話も通じやしない。
では、それほど親しいわけではないが、みほの事情をおおよそ知っていて、黒森峰戦車隊の事も大体掴んでいる人物が良い。
そしてこの黒森峰で、西住まほという偉大と言っても過言ではない人物から話を受けて相談に乗っている人物。
だが黒森峰における交友関係はまだ薄く、思いの丈をぶつけても周りに言いふらそうともしない人物。
それは、織部だ。
翌朝、織部と小梅は普段と同じように根津、斑田と一緒に登校していた。
特にこれと言って変わった事を話してはいない。そろそろ訓練が厳しくなる時期だとか、現文の小テストが不安だとか、夜に見たカーチェイス映画が面白かったとか、他愛も無い話をしていた。
だが、織部も小梅も自分たちの関係を自分から進んで話したりはしない。何しろ、恋人同士になれただけにとどまらず、さらにその先のことまで見据えているとなれば、そんな重要な事はおいそれとは話せない。
それに今は全国大会前で皆多かれ少なかれ緊張している。そんな時にそんな重大なことを言っては誰でも動揺するだろう。それで優勝を、黒森峰が再び連覇を目指す最初の大会に負けてしまっては元も子もない。
だから決して、この事は他言無用、織部と小梅2人だけの秘密だ。
なるべくなら周りにはそのことは気取られたくはない。
ないのだが。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
今、織部と小梅は隣同士で歩いているが、その距離はほとんどゼロに近い、というかほとんどゼロだ。もう肩と肩がくっついている。手を繋いでいないのが不自然なぐらいだった。
ちなみに昨日、小梅の部屋で小梅と一緒に夕飯を食べた織部は、夕食を作ってもらったお礼として皿を洗った後、特に小梅には何もせずに自分の部屋に戻った。その日だけで色々ありすぎたせいで、少し気持ちの整理をしておきたかったからだ。
別に、小梅に対して疚しい事は何もしていない。手なんて出せるはずもない。
もしかしたら、本当にもしかしたら、“何か”を期待していたのかもしれない小梅は、それが少し不満だったという事か。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
そして同じくこの場にいる根津と斑田も当然、その小梅と織部の距離が近づいているという事に気付いていた。2人とも戦車道履修生でしかも車長だから、というのは関係あるのかないのかは分からないが、普段から周囲に注意して気を配っている根津と斑田が2人の変化に気付くのは容易だった。
ただ、根津も斑田も、それぞれ織部と小梅から恋についての相談を受けているために、お互いが恋愛感情を抱いている事は知っている。だから今、織部と小梅の距離から2人とも、こう思っていた。
((ああ・・・・・・上手く行ったんだな))
去年の全国大会以来周りから責められ落ち込んでいた小梅も、今こうして持ち直し、さらには恋人までできた。その恋人とは、小梅が立ち直れるように手を差し伸べて傍にいてあげた人物なのだから、心配する事も無い。小梅だって、今は楽しそうに話をしいるし、ちゃんと笑っている。全国大会後に無理やり見せるような、悲しみを隠して押し殺しているような笑みではない、心の底から楽しいと思っているのが分かる笑顔だ。
もう小梅は、あの時の事に囚われて落ち込んではいない。この黒森峰に入ってきた時のように、優しい笑みを浮かべているぐらい立ち直ることができている。
そうなることができたのは、少なからず織部のおかげだろう。
その織部と結ばれる事ができたのなら、根津も斑田も心配はしない。
そして同じ戦車道を歩んでいて、同じ戦車隊に所属しても、他人の恋路を邪魔する事はできない。
だから、根津と斑田は、織部と小梅に向かって言える言葉は1つだけだ。
((・・・・・・お幸せに))
学校では、周りから見れば織部と小梅の間には別に何も変化が見受けられないように見える。授業中はもちろん、休み時間でもちょっと話をしているぐらいだ。それは前から見た光景なので、深く考えはしない。それに織部も小梅としか話をしないというわけではなく、近くの席に座る生徒とも話をしている。一応、クラスには馴染めてきた感じだ。
織部も小梅も、今朝の事はともかくとして、周りにお互いの関係を気取られて変に茶化されたり噂されたりする事で悪目立ちするのは嫌だ。だから不用意にベタベタしたりはしない。
しかし、明確な変化が起きたのは昼休みだ。
その変化をもたらしたのは織部でも小梅でもない。教室の外から来た人物だ。
「織部いる?」
昼休みの鐘が鳴って、授業道具を机に仕舞い、さあ食堂へ行こうかと立ち上がったところで、訪問者がやってきたのだ。
その人物はドアに近い、一番廊下側の一番前の席に座っていた小梅に話しかける。
しかし、その訪問者を見て小梅は少し驚いたし、席を立って今まさに昼食を食べに行こうとしていたクラスの者たちも驚いている。
その人物は、色々な意味で有名だからだ。
成績が学年トップであることも、黒森峰では珍しい銀髪も、可愛いというより凛々しいという表現が合う顔をしている事も、黒森峰が誇る戦車隊の副隊長と言う事も、全てが周知の事実だ。
「・・・なんですか、逸見さん」
自分の名前が呼ばれたことを耳ざとく聞いた織部は、ドアの前に立つその訪問者・逸見エリカの前に立つ。
「少し話があるの、来なさい」
相手に選択の余地を与えずに強制力を伴うような言葉で相手を誘う口ぶり、昨日と同じだ。
しかしエリカは昨日、(恐らくだが)織部に対するありのままの不満を全てぶつけたはずだが、まだ何か言いたい事があるというのか。
正直、また昨日みたいに責め立てられて心が傷つくのは耐えられないが、逆らうこともできるはずはない。大人しく従う事にする。
「・・・分かりました」
織部は大人しくエリカに付いていこうとする。
と、そこで。
「待ってください」
小梅が席を立ち、エリカに声を掛ける。その場を去ろうとする織部とエリカが歩を止めて小梅に向き直る。
「・・・私も、一緒に行ってもいいですか」
織部とエリカの雰囲気があまり良くなく、昨日のような事になってしまいかねないと思った小梅は、また織部が落ち込んでしまうのを恐れた。だから、今度は織部の横に立ち、織部が挫けそうになったら支えるために、小梅は立ち上がったのだ。
エリカは、小梅を一瞥してからすぐに歩き出す。
「・・・・・・好きにしなさい」
その言葉を聞いた直後、小梅は立ち上がり織部の横に並んでエリカの後についていった。
その様子を根津や斑田を含め、小梅と織部のクラスメイトはほぼ全員が好奇の眼差しで見ていたが、織部も小梅も、エリカだってそれは特に気にしなかった。
食堂に向かっている生徒たちの流れに逆らってエリカと織部、小梅が向かったのは屋上だった。まだ昼休みが始まったばかりなので人気は無い。そしてエリカは、入ってきたドアの鍵を閉めて、織部と小梅の逃げ場を無くした(と2人は思っている)。
空を見上げると青空が広がり、海の上にいるから当たり前ではあるが涼やかな潮風が織部と小梅の頬を撫でる。だが、そんなのは気休め程度にしかならない。
邪魔者が入らないようにすると、エリカはまた織部の前に立つ。
その眼は、昨日のように敵意や悪意に満ちてはいないように見えるが、それでも鋭い。
小梅は、隣に立つ織部の手をそっと握る。織部だって、昨日のエリカとの話を忘れていないはずはない。だから、また同じように糾弾されてしまうのではないかと不安になっているだろう。その不安を少しでも和らげるために、小梅は織部の手を握ったのだ。
ただ、それは当然前に立つエリカには見られている。エリカはその様子を見て、小さくため息をつく。
織部が、小梅の処遇をどうするのかをまほに聞いていた時点である程度理解し、昨日小梅が織部を庇ったのを見ておおよそ見当がついたが、2人はどうやら“そういう”関係らしい。
しかし今、それはどうでもいい事だ。
「・・・・・・最初に言っておくわ。今日は別に、あなたを責めるために呼び出したわけじゃない」
「・・・・・・?」
渋い表情でエリカに正対している織部の顔を見て、少し誤解させてしまっているようだと思ったエリカは、まずその誤解を解くために初めに告げる。
昨日のようにまた糾弾されると思っていた織部はエリカにそう言われたことで、緊張や不安が解けると同時に疑問が浮かぶ。何のために自分を呼び出したのだろう、と。
「・・・むしろその逆、あなたに謝りたいと思っているのよ」
「・・・謝る?」
一体、何を謝るというのだろうか。
そこでエリカが、少し溜めるように下を向き、やがて決心がついたのか織部の顔を真っ直ぐに見て告げた。
「昨日の私とあなたの話、西住隊長に聞かれてたわ」
「!!」
織部が小梅の事を見る。小梅は少し申し訳なさそうに俯く。小梅も、まほが聞いていたことは知っていたらしい。
それによってまた別の恐怖が織部を襲う。
昨日のエリカの言葉を聞いていたのなら、まほだってエリカと同じ考えを持っているに違いない。何せ、まほは織部から直接話を聞かれたのだから、エリカよりも状況を理解している。
それにあの話を聞いたとなれば、織部の過ちや態度を再認識させることになり、織部の待遇も改めて考え直さなければならなくなるだろう。そうなれば、もう何度目かも分からないが強制送還の可能性も考えなければならない。
せっかく小梅と恋人同士になれたというのにもうお別れかと思うと、悲しくなる。
だが、どうもそうではないらしい。
「・・・・・・あの後、隊長から言われたのよ。織部が西住隊長の事を何も知らないように、私もあなたの事を知らないって。それで、気付いたのよ」
「?」
「・・・私も、あなたの事を何も知らなかった。何も知らないで、色々と勝手なことを言ってしまった。戦車隊の空気が弛んでいるって言った事も、黒森峰戦車隊を引っ掻きまわしてるって事も・・・・・・全て私がそう思い込んでいて、その原因をあなた1人だと決めつけていただけで・・・それであなたを傷つけたのかもしれなくて・・・」
エリカが少し頭を掻き、やがて観念したかのように目を閉じて頭を下げる。
「・・・・・・昨日の事は、悪かったわね。ごめんなさい」
正直な話、織部はエリカのような厳しそうな人が自らの非を認めて素直に謝ってくるとは思わなかった。いや、厳しい人だからこそこうして自分の過ちを認めてそれをすぐ謝罪することができるのかもしれない。
ただ、このままの空気でいるのも少々気恥ずかしい。
「でも・・・・・・逸見さんに言われて、僕は逸見さんの言う事がどちらかと言えば正しいかもしれない、とは思いましたよ。隊長に深入りしたのだって・・・」
「いいえ・・・。西住隊長は、あなたが話を聞いてくれたことに対しては感謝しているわ」
「感謝・・・?」
「ええ。誰にも相談できず、話すこともできなかった心配事、悩みを話せてよかったって」
一介の高校生である織部とは身分の違う、まほのような偉大な人物から、又聞きであってもそのような言葉が聞けただけで、織部は黒森峰に来た価値はあったのかもしれない。
自分の行動は、恐らくは間違っていなかった。そう思うと、傷ついていた心が癒されていくように感じられる。
そこで小梅が、織部の方を見て優しい笑みを浮かべているのに織部は気付いていない。
「・・・・・・ただ、私はもうあなたの事を昨日言っていた風に思いはしないけど、人によっては私と同じように見えるかもしれない、っていうのは忘れないように」
「それは、もちろん」
エリカから謝れたからと言って、まほから感謝されたからと言って、織部の行動は全部正しいとは言い切れない。エリカから言われたことは頭に入れておいて、今後は余り誤解されるような行動はしないようにするべきだと、織部自身では思っている。
「・・・・・・で、ちょっと1つ、私の話を聞いてもらってもいいかしら?」
「話?」
「別にあなたを責めるわけじゃないわ。単なる決意表明ってところかしら」
エリカが腕を組み、指で自らの腕をトントンと叩く。どうやら、自分の頭の中で言葉を纏めているらしい。やがて指を叩くのを止めて口を開いた。
「・・・・・・みほ・・・西住みほが、無名校を率いて大会に出るっていうのは、隊長から聞いてるわよね?」
「・・・・・・はい」
その時、隣にいた小梅が驚いたように息を呑んだのに織部は気付く。昨日、エリカがぽろっと言っていたのであまり深くは尋ねはしなかったが、まさかそれは本当だったというのか。
「みほさんが・・・・・・?」
小梅が驚くのも無理はないと、織部もエリカも思っている。
あの全国大会で小梅の事を助けたのは他ならぬみほであり、その事実はあの場所にいたエリカと、小梅から話を聞いた織部は当然知っている。
その後みほがどのような仕打ちを受けていたのかもエリカと小梅は知っているし、みほが自分で『戦車道には向いていない』と言っていたのも聞いた。
その言葉に対して小梅とエリカは、それぞれ全く正反対の感情を抱いている。
「・・・・・・抽選会であの子を見た時・・・私はどうしようもない怒りを覚えていた。戦車に乗るうえで大切なことを私に教えてくれたあの子が戦車道を辞めたのも、『向いていない』って言って隊長にも『戦車道はできない』って言ったのにその言葉を曲げたのも、私には許せなかった・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
小梅の手が少し震えているのが、手を繋いでいる織部には分かる。
小梅にとって恩人であるみほの事をあまり快く思っていない人を前にして、その上その人物がみほの事を悪く言っているのだから、やるせない気持ちになるのも無理はない。
その小梅を少しでも安心させるために、織部は繋ぐ手に力を籠める。
「そんな西住みほが、あの子のせいで砕かれた10連覇の夢をまた目指そうとする黒森峰の邪魔をするっていうのなら・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・私は容赦なくあの子を叩き潰すわ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
執念、という言葉が似合うエリカの言葉には、固い意志が籠められているのが聞いているだけでもわかる。
「・・・・・・悪いわね、こんなことを急に話して。今のはただの、私の意思の確認って感じだから」
「・・・いえ」
織部はそれほど怖くはなかったが、隣に立つ小梅は完全に怯え切ってしまっている。恩人の事を『容赦なく叩き潰す』と告げたエリカに対して恐怖心を抱くのも、無理はない。
織部だって、そんな言葉を放つ女子高生なんてこれまでの人生で会った事などない。
「・・・・・・まあ私も、少し聞いてほしかったのかもね」
「はい?」
「赤星や西住隊長みたいに、自分の考えや悩みとか、そう言うのを」
「・・・・・・・・・・・・」
エリカのは考えや悩み、というよりも決意表明といった感じだろう。
だが、言葉にする事で自分の決めた事を改めて認識して、自分がこの先歩む道をブレずに突き進んでいくことができる。
だからエリカは、織部にそのことを告げたのだろう。
全国大会でエリカの目指す、黒森峰の優勝と、もう1つの目標を。
「何か言いたい事があるなら、言ってくれても構わないわよ」
エリカが不敵な笑みを浮かべる一方で、織部は口をへの字にして何と言うべきかを迷っていた。
隣に立つ小梅は完全に動揺しているし、織部はあの時のみほの行動は、西住流としては間違っていたとしても人としては間違っていないと思っている。だが、みほが10連覇の夢を潰したというエリカの言い分もまた間違ってはいないし、否定したとしてもエリカは止まりはしないだろう。
「・・・・・・それが、逸見さんの決めた道であるならば、止めはしません」
「・・・・・・・・・・・・ふん」
「ただ、1つだけ・・・・・・」
「何かしら?」
昨日ではない、ゴールデンウィーク前のエリカの様子を見て、思った事を言わせてもらうことにした。
「・・・・・・逸見さんは確かに、先輩方を差し置いて副隊長を任されるのですから、実力のある方なんでしょう」
「・・・・・・・・・・・・」
「ですが、あなたが実力ある人と認められたのは、あなたが努力してきたからであると同時に、あなたと同じ戦車に乗る仲間が逸見さんについてきて共に成長することができたから、というのも忘れない方がいいですよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
エリカは黙って織部の言葉を聞いている。今の織部の言葉がどこまで信用してもらえるのかは定かではないが、とりあえずこの前のエリカを見て不安に思った事だけは、言わせてもらう事にする。
とはいえ、余計なことはしないと思った矢先にこうしてエリカにアドバイスをしているあたり、意志薄弱と言うやつか。
「仲間に厳しく当たるのは副隊長としての威厳があるからかもしれませんが、厳しく押さえつけて接していくと不信感や反抗心を生んでいき、いずれ仲間は離れていきますよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
少し考えこむエリカ。思い当たる節があるのか過去の記憶を顧みているのだろう。
一方で小梅は、みほが戦車道を続けていたことと、エリカの決意を聞いて心が揺れ動いていたが、それでも織部の『仲間は離れていく』という言葉に重みを感じていた。
それはやはり、織部がいじめられていた時、周囲の人間を織部が信じなくなったことで人が離れ離してしまった時があるから、重みが感じられるのだろう。
エリカも、小さく息を吐いて呟いた。
「・・・・・・確かに、そうかもしれないわね」
戦車は1人だけでは動かせないし戦えない。搭乗員同士の連携とチームワークが無ければ、まともに戦えはしないだろう。
エリカは副隊長であり、ティーガーⅡの車長でもある。その車長が威圧的で厳格な態度で同乗者たちに厳しく当たっていては、同乗者たちもエリカに対して恐怖心や反抗心が募っていくだろう。そうなってしまっては、いずれ連携力は乱れて戦車の動きが悪くなり、実力を発揮することもできず撃破されてしまうだろう。
エリカの尊敬するまほのティーガーⅠも高い実力を誇っているが、その実力の裏には確かな乗員同士の連携やチームワークがあるのだろう。
まほに憧れて、まほのような戦車乗りを目指すのならば、まほのように連携力を重要視した方がいいだろう。そのためには、仲間への信頼を大切にせねばなるまい。
織部の言う事にも一理あったので、エリカはうなずいた。
「・・・・・・時間を取らせて、悪かったわね」
昼休みという貴重な時間を取らせてしまった事に関しては素直に詫びて、エリカは織部たちとすれ違い、屋上のドアの鍵を開けてドアを開けようとする。
その前に。
「・・・織部」
「はい?
「・・・・・・私に対する敬語は、戦車道の時だけでいいわよ」
と、エリカは織部に言葉をかける。予想のはるか上の言葉を聞いて面食らうが、エリカはすぐにこちらへ向き直って指差す。
「勘違いしないでよ。ただ戦車に乗っていないときに敬語で話されると変な気分がするだけで、そこまであなたと仲良くなりたいとかそう言うわけじゃないから」
そう言い残してエリカは去って行った。ツンデレに聞こえなくも無かったが、何も言うまい。
後に残ったのは織部と小梅のみ。
だが、小梅の瞳は揺れている。恩人のみほが戦車道を続けているという事は驚きだろうし、そしてその恩人のみほをエリカが全力で叩き潰すと、真正面から戦うと宣言したことに対しても動揺しているのだろう。
小梅の心中は今、色々と混ざり合ってしまっているだろう。それは今の小梅の不安そうな表情から見て取れる。
織部はそんな小梅の肩を優しく抱き寄せる。
小梅が少し、ピクッと震えたのが分かる。恐らくは突然の織部の行動に戸惑っているのだろう。だが、すぐに気持ちが落ち着いたようで、織部に身を預けるように首を傾ける。
「・・・・・・お昼ごはん、食べに行こうか」
「・・・・・・はい」
小梅だって、また新しい悩みを抱えているだろう。動揺して気持ちの整理がついていない今それを言わせるのは少し小梅にとっては酷だ。
だからまずは、昼ご飯を食べて気持ちを落ち着かせるべきだ。小梅から話を聞くのは、少し気持ちが落ち着いてからでいい。
多少時間がかかっても構わない。
小梅と恋人同士になり、将来結婚まで見据えている今、いやそれ以前から小梅の傍にいると誓ったのだから、小梅が思い悩み落ち込んでいるのならば自分が支えると心に決めている。
だから小梅を見捨てるような事は決してしない。
小梅が苦悩を、葛藤を抱えているのなら、織部は小梅と共にそれと向かい合っていく。
それは小梅の恋人としての義務だと、織部自身は思っていた。
タンジー
科・属名:キク科ヨモギギク属
学名:Tanacetum vulgare
和名:蓬菊、
別名:―
原産地:ヨーロッパ、中央アジア
花言葉:あなたとの戦いを宣言する、抵抗、婦人の美徳
フラグではない。
決してフラグではない。