6月に入り、織部が黒森峰に来てから実に2カ月が経過した。
たった2カ月、留学期間は半分も過ぎていないというのに、1年分ぐらいの出来事を体験したと織部自身では思っている。
だが、そんな織部の事など放っておいて、第63回戦車道全国高校生大会はスタートした。
出場校は全部で16校あり、1回戦は合計8試合ある。1回戦第1試合は6月1日に開催され、試合は1日1試合と決められており黒森峰は第7試合、つまり6月7日に行われる。最後の第8試合は6月8日に開催予定だ。その後2回戦までは少しだけ間が空く。
全国大会が近くなってくると、黒森峰戦車隊の1週間の訓練内容も全国大会に向けて変わっており、模擬戦が主となっている。
模擬戦のルールは大方10輌対10輌のフラッグ戦だ。
全国大会が近くなる前までは模擬戦はあっても殲滅戦ルールだし、1チームの車輌数も5~6輌程度だったが、ここにきて模擬戦の規模が大きくなっている。それは全国大会のルールはフラッグ戦というのと、2回戦までの出場車輌数の制限は10輌となっているからだ。全国大会に近い形で模擬戦を行う事で、全国大会の試合に慣れてもらう。これが模擬戦の規模を大きくした理由だ。
そしてその模擬戦を行う2つのチームの内1つは、全国大会1回戦に出場する戦車だけで構成されている。
その1回戦に参加する車輌は、6月を迎える前にまほとエリカが、全隊員の訓練の出来と過去の戦歴、そして全車輌のスペックのバランスを考慮して決定した。
1回戦に出場するのはティーガーⅠとティーガーⅡが1輌ずつ、パンターが4輌、Ⅲ号戦車が2輌、そしてヤークトパンターとヤークトティーガーが1輌ずつの合計10輌。それらで構成されたAチームと、それとほぼ同格の戦車で構成されたBチームとで試合を行う。
全国大会前の訓練と比べると、戦車1輌1輌の動きが俊敏になっているように見えるし、攻撃も積極的になっている。1回戦に出場する戦車も、そうでない戦車も等しくそう見える。
1回戦に出場する戦車は、本当の試合でしくじる事がないように練度を上げるため。その相手を務める戦車は、出場する戦車が、同じ戦車隊の仲間が強くなれるように。
この2つのチームはそれぞれの理由は少し違えど、根本的には全国大会で勝つために研鑽しているのだ。
織部も一時とはいえ戦車隊の一員であるため、模擬戦では専ら審判員に駆り出されている。最近では審判長を務める事が多くなった。
そのうえ最近は休日返上で訓練を行う事が多くなっているので休む暇もない。
だが、織部は決して愚痴をこぼしたりなどせず真剣に審判を務めている。
戦車に乗っている皆が全国大会での優勝に向けて、また日々戦車に乗って頑張っている。織部はそれに少しでも力になろうと、真剣に審判を務めているのだ。
ここ最近では模擬戦は割と本格的なぶつかり合いを見せ、終わった頃には既に陽は水平線に半分隠れてしまっていることが多い。これでその日の訓練は終わりかと思いきやそうもいかず、少しの間休憩を挟んだ後は、ミーティングが始まる。
このミーティングは、試合に参加したすべての隊員と審判員が参加して、この模擬戦全体の総評、評価点と改善点、そして次の模擬戦での目標を話し合うものだ。
審判員も参加するという事は、当然審判長だった織部もこのミーティングには参加する事になる。
と言っても、審判員は試合の全体的な流れを発表するだけであり、後は実際に試合に参加した者の意見を聞くか、ちょっとした補足をする程度だった。
だが、織部も試合中に取ったメモを見返しながら、試合全体の流れを大まかに、ただし要点はしっかりと押さえて報告する。
何時にどこで交戦が始まったのか、いつどの車輌が撃破されたのか、そして最後に決着がついたのはいつなのか、といった情報を正確に伝える。
隊長のまほは、審判長の織部からの報告をもとにして全体の総評を話す。
まほは模擬戦にAチームの隊長車として参加していて、自分のチームに絶えず指示をしていたにもかかわらず、敵味方を問わず試合に参加していたほとんどの戦車の動きを注意深く観察しており、それぞれの戦車の評価するべき点と改善するべき点をマークしている。
そしてその評価は自分自身の戦車にも下しており、隊長だからと驕り高ぶる事は決してしない。自分の戦車の力を謙遜する事も驕る事もしないまほだからこそ、隊員たちはその背中についていけるのだろう。
ミーティングの時間は内容にもよるが、長くて1時間、短くて30分と言ったところだ。今日のミーティングは1時間弱で終わった。
ミーティングが終わって窓の外を見れば陽は沈んでしまっており、黒森峰学園艦は民家や寮の明かりと街灯を除いて明かりが無くなって、すっかり暗くなっている。
ついこの間までであれば織部は報告書を書くために少し残るのだが、この時期報告書は翌日に出して大丈夫だとまほから言われている。織部も一時の間だけだが戦車隊の一員なので、大会前でハードになった訓練に付き合って夜の7時ぐらいまで学校に残っている。その織部を気遣っての事なのだろうし、エリカが無言で『指示に従え』と訴えかけてきたので大人しく下校する。
1人残って報告書を書く前とは違い、今では他の皆と一緒に下校する事が多くなってきた。それは別に構わないのだが、その反面小梅と一緒にいられる時間がなかなか少なくなってきた事は少し残念だった。
恋人同士になったのだからデートの1つでもしたかったが、大会が近いせいで今は休日返上で訓練が続いている。
訓練を休んでまでデートをするわけには当然いかないので、もっと恋人らしいことをしたいという本音を押さえつつも、織部と小梅は戦車隊の訓練に取り組んでいる。
6月4日。この日は随分と久しく感じられる、訓練が無い完全に休みの日だった。
全国大会での試合が近いのに訓練もせずにどうして休むのか。
それは、連日の訓練で隊員たちが疲弊しているからという事で、まほが隊員たちを気遣い訓練を無しにしたのだ。本番の試合で乗員たちが疲労困憊で戦車をろくに動かせないなどという事になれば、どこが相手でも太刀打ちできなくなってしまうだろう。
なので今日は、試合前のリラックスと疲労回復のために休みになったのだ。
そして何より、今日この黒森峰に隊長のまほと副隊長のエリカはいない。
その理由は、今日行われる全国大会の1回戦第4試合の対戦カードが関係している。
今日試合を行うのは戦車道四強校の一角であるサンダース大付属高校と、大洗女子学園だった。
大洗女子学園は、20年ぶりに戦車道を復活してその上全国大会にまで出てきたので、戦車道ニュースサイト上では実力未知数のダークホースとされていた。
だが、まほとエリカにとってはダークホースなどと言う認識ではない。なぜなら、その大洗女子学園には黒森峰とも関係が深い西住みほが所属しているのだから。
つまりまほとエリカは、このサンダース対大洗の試合を見に行ったのだ。
まほは心の奥ではみほの事を心配している。反対にエリカは、みほに対して怒りを覚えている。
要は2人とも、みほの事が気になって試合を見に行ったのだと、織部は思っている。
そしてまほは、機会があればみほと話をしようとしているのかもしれない。
隊長と副隊長が揃って試合前に不在という状況に戦車隊の多くのメンバーは驚いていたが、まほが先ほどのようにメンバーの息抜きという理由を説明すると一応は納得したようだ。
ちなみに余談だが、まほとエリカは試合会場の淡路島まで黒森峰の所有するヘリで向かった。しかも操縦するのはエリカ。現代日本の乗り物の運転・操縦免許の取得年齢条件は、昔と比べると低くなっている。だから高校生の身でもちゃんと訓練と講習を受ければヘリや飛行機も操縦できる。エリカもその過程を経て免許を取得したのだろう。
ともあれ、大会本戦前のつかの間の休息を、隊員たちはそれぞれの方法で満喫している。生憎港に寄港してはいないので港町で買い物を楽しむという事は叶わないが、連日の訓練で疲れ切った隊員たちは、一部を除いて外に出て遊びに出歩くという発想にも至らず、自室で悠々自適にのんべんだらりと暮らしているようだ。普段から真面目である以上、休みの日は思いっきり休みを満喫して真面目ゆえのストレスを発散する、というスタンスのようだ。
そんな訓練が休みで、艦上に戦車の砲撃の音も響かない日の昼下がり、織部と小梅は1つの公園を訪れていた。
この公園は、織部と小梅にとってはとても印象に残っている場所だ。
「・・・・・・覚えてますか?この公園で、最初に会った時の事・・・」
「もちろん、覚えてるよ」
今2人は、桜の木の下のベンチに並んで座っている。その桜も、季節を過ぎてしまった事で完全に花は散っており、緑色の葉が広がる枝を覆っている。
貴重な休日に年頃の男女が2人きりで出かけているこの状況だが、デートと表現するのは少し違う。
元々、織部は貴重なこの1日の休日は自室でゆっくり過ごそうと思っていた。
小梅をデートに誘おうという選択肢も考えたが、今学園艦が航行している場所から陸地まで行くのは連絡船で数時間ほどかかるし、小梅も訓練で疲れているだろうから無理に出歩いて余計に疲れさせるのも小梅に申し訳ない。だから、デートに誘いたいという気持ちを我慢して自分の部屋でゆっくりと読書を楽しんでいた。
ところが、昼過ぎになって机に置いていたスマートフォンが震えて、画面を見るとメール着信を告げる。画面を開くと、差出人は小梅、そしてメールの内容は。
『今から会えませんか?』
そのメールには『もちろんいいよ』と返信し、待ち合わせ場所を決めて、制服に着替えて外に出る。
待ち合わせ場所はいつもの交差点。織部が来るとそこには既に小梅が、織部と同じく制服で待っていた。そして小梅と共に歩き、どこで話をしようかと考えながら歩いて目に入ったのがこの公園だ。
まだ桜が咲いていたころ、小梅も織部も新学期を迎える前。ジョギングをしていた小梅が休憩するためにこの公園のベンチに腰かけて、全国大会の自分のミスがきっかけでみほが、自分が責められている事を思い出して涙を流し、そこで偶然にも織部が通りかかって、泣いていた小梅を慰めるために背中を撫でてくれた。
あの時の事がなければ、織部と小梅は今のような関係に至る事も無かっただろう。
そう思うと、奇跡と言ってもいいあの時の出会いに感謝しなくては。
「・・・・・・急に呼び出して、ごめんなさい・・・」
「いやいや、僕は暇してたし・・・気にしなくて大丈夫だよ」
小梅が織部を突然呼び出したことに謝罪するが、織部は謝らなくてもいいと言わんばかりに手を横に振る。
だが、織部の『暇してた』という言葉を聞いて、小梅が少しだけムッとした表情をしたのに織部は気付いていない。
「それで、どうかしたの?」
織部は、恐らくだが小梅が何らかの話があって織部を呼び出したのだと思っていた。小梅も織部とただ会いたくて誘っただけという可能性だって無きにしも非ずだったが、織部には小梅が別の意味で織部を呼び出したのだと思えてならなかった。
織部に促されると、小梅は自然と、織部の左手に自分の右手を重ねる。
「・・・・・・みほさん、今試合をしているんですよね」
「・・・・・・・・・・・・多分」
重ねて言うが、今日は大洗女子学園とサンダース大付属の試合が淡路島で行われている。
西住みほが転校先の大洗女子学園で戦車道をまだ続けていることは、エリカによって小梅ももう知っている。
だが、小梅はそれについてどう思っているのかは分からないし、小梅の口から聞いてもいない。
「・・・・・・・・・・・・みほさんが戦車道を続けてるって聞いた時、正直私は、安心しました」
「・・・・・・・・・・・・」
そして小梅は、ゆっくりと、みほの事をどう思っているのかを話し出した。
小梅にとってみほは、全国大会で勝利よりも仲間を助けることを優先し、自分を助けてくれた恩人だ。
あの決勝戦でエリカに詰め寄られた時に言っていた『仲間を助けたかった』という言葉は、小梅の胸に響くものだった。勝利のためならばどんな犠牲も厭わない、手段を選ばないという考えよりも、仲間を大切にしたいという考えはずっと共感できるものだった。
そして試合の勝敗はともかく、その考えを掲げて実際に行動したみほは、小梅から見ればとても輝いている、太陽のような人だった。
「私のせいで黒森峰が負けた、10連覇を逃した・・・。そんな考えも、みほさんの言葉を聞いたら、その時だけは考えられなくなりました」
「・・・・・・それだけ、みほさんの言葉が胸に響いたって事だね」
「はい」
だから小梅は、みほの事を尊敬している。たとえ周りがみほを責め立てようとも、小梅はそんな真似は断じてしなかった。
だが、やはり自分が責められることを恐れてみほの側に立ちみほを守れなかった。その時の事は今でも悔いている。
戦車道の流派である西住流に生まれ、戦車と共に育ち、小梅と共に戦車隊に入り、戦車道を歩んでいたみほが戦車道を辞めた事はとてもショックだ。
「時々みほさんは、実家で乗っていたⅡ号戦車についての思い出話を話してくれました。だから、みほさんはずっと小さいころから戦車に触れて、戦車と一緒に成長してきたんだと思います。でも、だからこそ、みほさんが戦車に乗るのを辞めると聞いた時はショックでした・・・」
その小梅の言葉に、織部はまほも同じようなことを言っていたなと思い出していた。
「でも、戦車道を大洗で続けている、と聞いた時・・・私は本当に、安心したんです。身を挺して私の事を助けてくれたみほさんは、まだ戦車道の世界にいる・・・。仲間を助けたかったと言っていた、太陽のようなみほさんは、まだ戦車道の世界で生きている・・・って」
「・・・・・・・・・・・・」
太陽のよう、という表現は少し過ぎたかと小梅は自分で言ってて恥ずかしくなったが、織部はまったく気にしていないようだ。
小梅はさらに続ける。
「みほさんが一度黒森峰で辞めたにもかかわらず、また大洗で始めたのはなぜか・・・それは分かりません・・・。でも理由がどうであれ、みほさんがまだ戦車道を続けている事は素直に嬉しいです」
「・・・・・・・・・・・・・・・でも」
織部は、言い淀む。
小梅が、みほが戦車道を続けている事を嬉しく思っているのは分かった。みほの事をどう思っていたのかも、また分かった。
だが、そもそも小梅は黒森峰に、みほは大洗に所属している。それはつまり、もしも黒森峰が勝ち上がり、また大洗も勝ち上がって来れば、小梅もいずれみほと戦わなければならないという事だ。
「・・・・・・分かっています。この全国大会でみほさんとはいずれ、戦う時が来るかもしれない、と」
みほが率いているとはいえ、大洗の実力は未知数だ。このまま勝ち上がってくるかどうかは分からない。だが、黒森峰と大洗が戦う可能性もゼロではない。
その時が来たら、小梅はどうするのだろう。
恩人であり、尊敬しているみほを相手にする時、小梅はどうするのか。
「本当は、私を助けてくれたみほさんと戦うのは少し、辛いです・・・・・・」
やっぱり、そう言うものかと織部は思う。敵同士とはいえ、自分の事を助けてくれた人、自分が尊敬する人と戦うのは忍びないだろう。
「ですが、私も曲がりなりにも戦車乗りの1人です。だから、例え誰と戦う事になっても、試合には真剣に挑まなければなりません。だから、もしみほさんと戦う事になれば、全力で戦わないと、ならないんです」
辛い戦いかもしれない、と織部は思い小梅を見ると、小梅は少し自分の予想とは違った顔をしていた。
少しだけ、笑っていたのだ。
「だけど・・・・・・正直、みほさんと一緒に戦車道をしていた時から、いつかみほさんと戦ってみたい、とは思っていたんです」
「え?」
「みほさんがまだ黒森峰にいた頃は一緒に戦って、西住隊長とは違う強さを見せてくれたみほさんが素直にかっこいいと思ってましたし、それに何より強い実力がありました。そんなみほさんと一緒に戦う中で、いつかは対戦してみたい、と思うようになったんです」
「・・・・・・・・・・・・」
「模擬戦とかでは大体、私はみほさんと同じチームに配属されてましたから・・・」
少し照れくさそうに笑うが、小梅の決意も見上げたものだと織部は思う。
もし自分が、小梅と同じような立場になり、みほのような関係の人物と戦うなんてことになれば、恐れ多かったり遠慮したりでまともに戦えないだろう。
それでも小梅は、臆することなくみほと戦う決意を固めた。
多分だが、織部が何を言っても小梅はその決意を諦める事はしないだろう。
というより、織部は端から小梅の決意を否定するようなするつもりはなかった。人の道を外れたり手段を選ばないような真似をするつもりだったら流石に引き留めるが、小梅はそんな事はしないというのは分かっているし、小梅は優しい性格をしているというのも知っている。
だから織部から小梅に言える言葉は。
「・・・・・・僕は、小梅さんを応援する。小梅さんの傍から離れない。だから・・・頑張って」
「・・・・・・はい」
織部の言葉を聞いて、小梅はゆっくりと織部に身体を預けるように傾ける。小梅の体温が伝わってきて、少しドキドキする。
「ただ、私が代表に選ばれればの話なんですけどね・・・」
1回戦の黒森峰対知波単の試合に出場する戦車と選手は既に決まっているが、小梅は選ばれなかった。織部の身近にいる人の中で選ばれたのは、斑田、三河、直下だ。
小梅の戦車は何度も言うように小梅以外が新入隊員だ。もう他の先輩たちの戦車と変わらないぐらいの実力を誇っているが、それでも実戦に出すのはまだ少し不安なのだろう。
ちなみに代表に選ばれなかった根津だが、根津はそもそもマウスの車長であり、普段パンターに乗っているのは、マウスの運用性があまり良くないために訓練で周りと合わせるのが難しいからだ。当然、試合ならば根津は本来の車輌に乗るように言われる。マウスが出るのは決勝戦ぐらいだ。
そんなわけで、小梅と根津は1回戦には出場しない。この先、小梅が代表に選ばれるのかも、分からない。
しかし、選ばれなかったらというのは考えるだけ無駄だ。
「・・・・・・・・・・・・それで、ここからは別の話なんですけど・・・」
「ん?」
織部から身体を離して、小梅が織部の方を向く。その小梅の表情には、先ほどは感じられなかった恥じらいが見て取れるが、一体どうしたことか。
「・・・・・・私たちの事なんですけど・・・・・・」
この小梅の言う“私たち”とは、間違いなく織部と小梅のことを指している。それは考えなくても分かる。
何か問題や不都合でも起きてしまったのだろうか。
「・・・・・・私の親に・・・私たちが付き合っているって事、話しておいた方がいいですよね・・・」
男と女が付き合っている以上、親にはいずれ話さなければならないし、ましてや織部と小梅は結婚を前提に付き合っている。なおの事、それも早いうちに親に話しておかなければならないだろう。
そして場合によっては、織部が実際に小梅の両親と会うという事にもなる。
「・・・そうだね。なるべく、早いうちに話した方がいいかも」
「ただ、私の親って結構心配性で・・・。認めてくれるかちょっと微妙で・・・・・・」
もし認められなかったとしたらどうするか。
諦めるなんて選択肢は存在しない。認められる男になれるよう研鑽するだけだ。親の反応が悪いままで、強引に通して結婚するとなると自分のためにも相手のためにもならない。
できる事なら、小梅の家族とも仲良くしていきたいと織部は思っている。相手の家族から認められないまま、悪い印象を抱かれるというのはとても嫌だ。
直接小梅の両親に会う事になれば、挨拶も含めて小梅との交際を認めてもらいたい。
「でも私は・・・・・・春貴さんとの、その・・・・・・結婚、を認めてもらえるように、全力で説得します」
小梅がぐっと腕を構える。
その小梅の気遣いは嬉しかったが、織部も他人ごとではない。
「僕も話さないとなぁ」
「・・・春貴さんのご両親ってどんな方なんですか・・・?」
「いやぁ、変わったところはないよ。ごく普通の親、だと僕は思う」
そうは言うが、織部は親の事を尊敬している。
中学の頃、織部がいじめられていた時に織部を気遣って実家に戻るように言って、そして戦車道連盟に就くと決めた時はその背中を押してくれた。どんな時でも織部の事を心から思ってくれている、優しい親だ。
けれど時々親とする電話で織部が勉強漬けだと言うと母親は、『彼女の1人でもできればいいのにねぇ』という事がたまにあった。
黒森峰に留学すると言った時も、『出会いを期待しているわね』と有難迷惑な発言をしてきた。
確かにその電話をした時はまさか本当に彼女ができて、あまつさえその先のことまで決めているなんて思わなかったし、親もそこまで思ってはいなかっただろう。
織部も、近いうちに親と話しておかなければならないと思った。
「・・・早ければ、今日の夜にでも電話しようかなと。それで、その後にどうなるのかは、また伝えます」
「・・・僕もそうするかな」
普段の日に話さなかったのは、戦車道の訓練で疲れているからだ。疲れた状態で電話をしていては、言いたいことも言えずに有耶無耶な感じで電話をしなければならないし、真剣さも伝わりにくい。
織部は、今日の夜に親に電話する事が早くも心配になって胃がキリキリと痛む。
「それと、春貴さん・・・」
「何?」
そこで、織部の手に重ねられていた小梅の手に少し力が入る。まだ何か不安な事でもあるのかと思ったが、どうもそうではないようだ。
「・・・今日、お休みでしたよね」
「うん、そうだけど・・・・・・」
「・・・・・・ちょっと私、期待してたんです。自分勝手かもしれないけど・・・・・・」
「?」
微妙に要領を得ていない小梅の言葉に、織部が首をかしげる。すると小梅が、また織部に身を預けるように自分の身体を傾ける。
「春貴さん・・・・・・デートに誘ってくれるかなって」
「!」
小梅もやはり、そう考えていたのだ。
恋人同士だからこそ、2人で一緒にいたいと思う事もまた同じだったのだ。
だけど、織部は別にデートに誘うのが面倒だからとかそんな理由で小梅を誘わなかったのではない。それだけは伝えておく。
「いや・・・・・・小梅さん、いつも戦車の訓練で忙しくて、疲れてるかなって思ったんだ・・・。それで、そんな疲れてるのに外に出歩いて振り回したりしたら、小梅さんにとっても迷惑なんじゃないかと思って・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・小梅さんの事が心配だったんだ。だから、誘えなかった。それで、小梅さんが落ち込んじゃったのなら・・・・・・ごめん」
織部の手に重ねられていた小梅の手から力が抜ける。
そして、小梅が少し体を横にずらして、織部の身体にぴったりとくっつく。また小梅との距離が縮んだことに少し心臓が跳ねるが、小梅は決して離そうとはしない。
「・・・・・・やっぱり春貴さんは、優しい人です」
「・・・・・・・・・・・・」
そして小梅は、息を少し吸って告げた。
「そう言うところが、私は好きですよ」
よかった、と織部は思う。
何に対してよかったのか、それはたくさんある。
小梅と付き合えたこと、小梅が立ち直ってくれたこと、小梅が自分の事を信じてくれていること。
そのどれをとっても、織部にとってはとても嬉しかった。
「・・・・・・でも、やっぱりデートはしたかったです」
そうだよなぁ、と織部は思う。何せ織部自身、デートがしたいと思っていたのだから。今のこの状況もデートに近いのではと思ったが、制服を着ている時点でイメージしているデートとは全然違う。
「だから・・・・・・ほんの少しだけお願いを聞いていただけますか?」
「お願い?」
小梅がゆっくりと身体を離して、織部の顔を見る。織部もその視線を受けて小梅の顔を見る。
「実は、黒森峰の1回戦の日、私の誕生日なんです」
衝撃の事実に織部は目を見開く。
1回戦―――黒森峰と知波単が戦う日となれば、1週間もない。というか明後日だ。
恋人としてそれは祝わなければなるまい。何か、プレゼントを渡さなければと思い至るのも、ごく自然な流れだ。
だが明後日までに、学園艦という物資に限りがあるこの空間で用意できるものなど、たかが知れている。いや、当日なら試合のために寄港するから寄港先で何かが買えるかもしれない。
早くも何をあげれば小梅は喜ぶかという考えの沼にはまり込むと、小梅が織部の肩に手を置いてきた。そこで織部は、ハッと我に返る。
「それで、その日に1つだけ春貴さんにお願いしたい事があるんです。プレゼントではなくて」
「え?」
「プレゼントとかは、用意させるのも少し気が引けますし・・・・・・」
「いや、そんな事・・・・・・」
プレゼントの事に関しては別に気にしなくていいのに、と織部は思う。気遣いとか遠慮だとか、もう織部と小梅は親しい関係になれたのだから、そんなのは気にしなくて大丈夫なのに。デートに誘わなかった事はともかくとして。
だけど、小梅の真っ直ぐな目で見つめられてそんな考えも雲のように散ってしまう。
「1つだけ。その1つだけのお願いを叶えてもらえれば、それだけで私は十分なんです」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
こうも力強く言われては、織部も何も言えない。そのお願いとは何なのかは分からないが、聞き入れる以外に道がない。
「・・・・・・分かった。それで、そのお願いって?」
当然の疑問を織部がぶつけると、小梅少し恥ずかしそうに顔を赤らめて視線を逸らす。織部はその理由が分からないが、小梅が小さく呟いた。
「それは・・・・・・当日のお楽しみです」
その日の夜、織部は自分の部屋で大きく息を吐いた。
夕食を終えて、後片付けをし終えてお茶を飲み、ひと呼吸整えたところで、織部は親に電話をした。今は、電話をした後だ。
黒森峰に来てから何度か電話をしているというのに、話す内容が内容なだけに普段の3倍ぐらいは緊張したし、脈も速かったと思う。
最初は特に当たり障りのない近況報告。
そして本題の、黒森峰で彼女ができた、という話に移ると電話をしていた母親の第一声は。
『エイプリルフールはとっくに過ぎたわよ?』
実に腹立たしいジョークを告げてきた。
だが、織部が根気よく何度もそう言うと、母はようやく伊達や酔狂で言っているのではないと悟り『あらあらあら、まあまあ・・・・・・』と実に嬉しそうに声を弾ませた。そして、どんな子なのかとか、どうやって知り合ったのか、どこが好きなのかとかを根掘り葉掘り聞かれた。親に隠し事をするのは苦手な織部は仕方なく、包み隠さずすべて話した。ただ、流石に『小梅が黒森峰で絶望的な状況にいた』というのを話すのは小梅にも申し訳ないので、『小梅が悩んでいたところに自分が声を掛けて、そこから仲が進展した』とだけ話した。それだけで母親は納得したらしい。
そしてさらにその先の話、結婚することまで考えている、と話した時の母親は。
『ええええええええええっ!!?』
これまでで聞いた事の無いような大声をあげた。電話の向こう側から父の『なんだどうした!?』と慌てふためく声が聞こえてきたぐらい、母も父も動揺していた。
それからどうにかして宥めると、こう言ってくれたのだ。
『随分と、いい子と巡り会えたじゃない』
そして最終的には『来られるのなら一度ウチに来てもらいたい』と言った。確かに、電話越しでこんな重大な報告をして、それで『はいそうですか』と納得できるはずもない。ちゃんとその相手―――つまりは小梅の話も聞いて、それに親と向かい合ってちゃんと話をしなくては駄目だろう。
それについては小梅と話をして、さらにいつなら行けそうなのかをメールで送ると言って、電話は切れた。
そして今、時間にすれば10分程度の通話内容を思い出して、またため息を1つ吐く。何度も何度も『彼女作りなさい』と言っておいて、いざできたと言えば『エイプリルフールはとっくに過ぎた』だ。まさかあんな反応を示すとは思わなかった。
ただ、しきりに『よかったじゃない』と言ってくれたのは素直に嬉しい。やはり、自分の事をちゃんと考えてくれていたようだ。
と、そこでスマートフォンが電話の着信を告げる。親が何か言い忘れたのだろうかと思い画面を見ると、小梅からの電話だった。
「もしもし?」
『あ、こんばんは。今、大丈夫ですか?』
「うん、大丈夫だよ」
確か昼に公園で会った時小梅は『夜に親に電話をする』と言っていた。その言葉と、小梅がこのタイミングで電話をかけてきたという事は、やはり親に話すのが不安だったのか、それとも・・・。
『さっき、ウチの親と電話で話をしました・・・』
「・・・・・・・・・・・・・・・で、何て言っていた?」
ものすごい不安に襲われる。背中から嫌な汗が噴き出す。
認められなければ認められるような男になるまでだ、と考えてはいたのだが、小梅の両親が小梅の彼氏及び結婚相手に求めるスペックがどんなものかは分からない。もしかしたら自分の想像をはるかに超える様なものなのかもしれない。
もしそうだとしたら、小梅に相応しくなれるように織部自身は誠心誠意努める。だが、もし、自分には到底不可能なぐらいその基準が高かったら・・・・・・?
そんな不安な考えがおよそ2~3秒で頭をよぎるが。
『・・・「いい人に出会えたんだね」って言ってくれました』
次に発した小梅の言葉は安心感を覚えるような口調で、何より小梅自身もホッとしているような口調だった。
『色々、春貴さんとの思い出を話したんです。どうやって出会ったのかとか、どんな性格をしているのかとか、どこが好きになったのかとか・・・・・・』
「あ、僕と同じだ」
『え?じゃあ春貴さんも・・・・・・?』
「うん、さっき電話した。随分と驚いてたよ」
『それで、その・・・・・・なんて言ってました?』
小梅もまた、織部と同じような不安を抱いているのだろう。
それに気づいた織部は、その不安をすぐに解消できるように結論を述べる。
「『随分といい子に巡り会えたじゃない』って。小梅さんのとこと似てるね」
『そうですね・・・・・・ふふっ』
小梅が笑い、織部も小さく笑う。
少しの間沈黙が訪れて、やがて小梅が口を開いた。
『私の両親は・・・・・・私が黒森峰でどんな状態だったのかを、おおよそ知っています。だからこそ、その状態から私を救ってくれた春貴さんに・・・・・・その・・・・・・』
黒森峰でどんな状態だったのか、とは小梅が織部に出会うまでにどんな仕打ちを受けていたのか、ということだろう。そして小梅の両親はそれを知っている。
だが、小梅は何かもごもごと口ごもるが、やがて意を決したかのように言った。
『・・・・・・すごく、感謝しているって、すごく興味があるって言ってました』
「・・・・・・・・・・・・・・・」
どうやら悪い印象を抱かれてはいないらしい。それだけで、まずは一安心だ。
『それで、できれば私の実家に来て、挨拶がしたいと』
それもある程度予想はしていたから、そこまで驚きはしない。織部だって、小梅を実家に連れてきてほしいと言われていたのだから。
「・・・・・・僕も同じだ。小梅さんに、ウチの実家に来て挨拶したいって、ウチの親は言ってた」
『・・・・・・どこも、同じみたいですね』
「そうだね」
また少し笑い、そこで小梅が問いかける。
『それで・・・・・・春貴さんが良ければなんですけど、両親と挨拶をするというのは・・・・・・』
「もちろん、構わないよ」
やはり、結婚まで考えているのだから親には直接言わなければならないだろう。自分の覚悟を、小梅とずっと一緒にいるという覚悟を、小梅と生涯を共にする覚悟をきちんと話して認めてもらう。それが一番、事をスムーズに収められる。
「・・・・・・で、ウチもまた同じなんだけど・・・」
『はい、私もできれば・・・・・・いいえ、ぜひ春貴さんの両親と話したいです』
そしてそう思うのは小梅も同じだったようだ。
だが、実家に行くとなると日帰りでは無理だろう。行きと帰りの移動の時間、さらにはそれぞれの両親と話をする時間を考えれば、3~4日が目安だ。そんな長い間の休みがあるのは直近では、そして織部が黒森峰にいる間では夏休みしかない。
聞けば、戦車隊は夏休みも戦車道の訓練があるが、少しの間訓練がない期間があるらしい。その期間隊員たちは、ペースが遅れている夏休みの課題を進めたり、実家に帰ったりするようだ。
では、織部と小梅がお互いの両親に挨拶に行くのはその時にという事に決定された。
その詳しい日にちは7月の頭あたりに隊長のまほから連絡を受けるまでは分からない。その日にちが決まったら、お互いが実家に挨拶に行く日をそれぞれの実家に伝える、という形になる。
「・・・小梅さん」
『はい?』
話が終わり、後は電話を切るだけという段階になるがその前に織部が小梅に話しかける。
もう一度、自分がどれだけ本気なのか、どれだけ自分が小梅のことを思っているのかを、伝えるために。
「・・・・・・僕はもう、小梅さん以外の人と結ばれるなんて考えられない」
『・・・・・・・・・』
「だから僕は、どんな事があっても小梅さんに、小梅さんの家族に認められるような男になる。だから、その・・・・・・・・・心配しないでほしい」
織部の決意を聞いて小梅は。
『・・・・・・・・・ありがとう、春貴さん』
そして最後に一言。
『やっぱり私、春貴さんの事・・・・・・・・・大好きです』
陽が沈み暗くなった海を航行する、黒森峰女学園への連絡船のデッキの上で、まほは静かに海を眺めていた。
まほは、大洗女子学園対サンダース大付属の試合を見届けて自らの暮らす黒森峰学園艦に戻っているところだ。だが、行きはエリカの操縦するヘリに乗ってきたのに、どうして帰りは船なのか。
それは、エリカがヘリを操縦し、大洗のメンバーを何人か茨城の病院まで連れて行ったからだ。
どうしてそんなことをしたのかと言うと、大洗のメンバーの一人の親族が倒れて病院に運び込まれたという話を聞き、一刻も早く病院へ向かうためにまほが乗ってきたヘリを使うように言ったのだ。
そもそも、まほとエリカがこの試合を見に来たのは、恐らくみほが隊長を務めている大洗の実力をこの目で確かめてみるためであり、あわよくばみほに直接会って“あの時”の事を謝りたかったからだ。
エリカがついてきたのは、エリカもやはりみほの事が気になっていたのだろう。ルクレールでの事やこの前の夜に教室でエリカが織部に放った言葉でそれはあらかた分かった。
肝心の試合は最初、サンダースが“不自然なほどに”大洗の先手を取って追い込んでいた。だが意外にも先に相手の戦車を撃破したのは大洗で、これにはまほの隣で観戦していたエリカも驚いていた。
そして隠れていたサンダースのフラッグ車を先に見つけた大洗はこれを全車輌で追撃。サンダースはさらにその後ろを4輌で追尾して、試合はまさに鬼ごっこの様相を呈した。
最終的には丘の上から大洗のⅣ号戦車が、サンダースのフラッグ車のシャーマンを僅差で撃破し、大洗が勝利となった。
四強校の一角を、20年ぶりに戦車道を復活させたダークホースが破った事で、今頃戦車道ニュースサイトは大騒ぎだろう。
だが、サンダースが大洗の戦車を追撃する際、残っている8輌全てで追わずにその半分の4輌だけで追撃していた。あの時、サンダースの残存車輌全てで追撃すれば大洗も勝つことはできなかっただろう。
サンダース戦車隊の隊長であるケイという少女とまほは面識がある。ケイはフェアプレイ精神に溢れており、卑怯卑劣という言葉とは無縁の存在だ。その寛大な性格は割と有名で、他校のスパイさえも責めずむしろ『また遊びに来てね!』と、あっけらかんとそのスパイに言ったという噂を聞いた事がある。
だが大規模な戦車隊の指揮能力は確かで、何十輌といる戦車隊を自らの手足のように自在に動かすケイの指揮は、もしかしたらまほよりも上かもしれない。
そんなケイが大洗を追撃する際、何も考えずに半分の車輌で追うとは考えにくいので、恐らくは何か大洗に後ろめたい気持ちがあったのだろう。弱小校だと侮ったのでも、弱小校だからと手を緩めたわけでもない、もっと別の理由があるとまほは考えている。
ともあれ、大洗はサンダースを下して2回戦進出を決めた。それには少なからず隊長であるみほの力もある。
だからみほに対して労いの言葉をかけるために、それと少し話もしたくて、まほは帰る前にみほの下へ行こうとした。
そこで、まほはある場面に出くわした。
ルクレールでも見た、白いカチューシャと長い黒髪が特徴の小柄な少女。その少女が『おばぁ』と呼ぶ恐らくは親族が倒れて病院に運び込まれたと。そしてすぐに病院に行きたいけれど、大洗学園艦はすぐには動けず、どうすることもできないと。
そこでまほは、ねぎらいの言葉をかける事も、みほと話をする事も忘れて自分たちの乗ってきたヘリを使って向かう事を具申した。
大洗に対して悪い印象を抱いているエリカは最初、それに対してごねた。だが、自分たちと同じ戦車道を歩む者が困っているのならば、それに手を差し伸べるのもまた戦車道だと考えているまほはエリカにこう言った。
「これも戦車道よ」
それでエリカは一応納得したらしく、渋々ながらもヘリを準備して、その小柄な生徒ともう1人、明るい茶髪のウェーブヘアの少女を乗せて、茨城・水戸の病院へと飛び立って行った。
流石にこんな状態でみほの事を労ったりあの時の事を話したりするのは憚られるので、多くは語らずにまほはその場を去って行った。まほの去り際にみほが何かを言っていたが、まほがヘッドセットをつけていたのとヘリのローターが回転する大きな音で聞こえなかった。
(あれでよかったのだろうか)
あの時は、あれが最善の手だと思いまほはそうした。あの時あの場所にいたのに何もしないというのは非情が過ぎると思うし、自分の考える戦車道と言うもののイメージに反していると思ったから、ヘリを使うように言った。
あの行動が大洗のみほたちから見れば、どう見えたのだろう。みほたちの表情から驚いているという事は分かったが、それ以上の、どんな感情を抱いているのかは分からない。
しかし悔やむべきは、また話ができなかった事だ。
もうこの先、みほと会う機会はほとんどないだろう。2回戦も見に行ければいいのだが、流石にそう何日も大会期間中に戦車隊を放っておくのはだめだとまほは思う。
となれば恐らくだが、次に会うのは本当に黒森峰と大洗が戦う時となるだろう。
だが、黒森峰と大洗はブロックが離れており、直接対決するとすれば決勝戦しかない。大洗が決勝まで勝ち上がるには、また四強校の一角であり去年の優勝校であるプラウダ高校とまた戦う事になる。
サンダースを倒したとはいえ、大洗は本当に強いとはまだ断言できない。それについては大洗の実力次第だ。
そしてもう一つ、懸念すべきことがあった。
まほの母であり西住流師範のしほに、みほが戦車道を続けていることを知られたら、大事になるだろうという事だ。
みほが黒森峰を去り大洗へ転校する際、その転校先の学校の名前は一応しほにも伝えていた。
そして、みほはもう戦車道をしないから大洗へ転校する、という話もしほは聞いた。
その転校先の大洗が戦車道を復活させ、高校戦車道連盟に再加盟した際は、当然高校戦車道連盟の理事長であるしほにもその話は伝わる。
だが、しほも一人の親だ。実の娘であるみほの言葉を信じて、例え転校先の学校が戦車道を復活させたとしても、みほは戦車道を再び歩むことはないだろうと思っているかもしれない。
大洗も全国大会参戦直後は、実力が分からない学校という認知だけで、別に取り立てて騒がれる事も無かった。ましてやその学校の隊長やメンバーが戦車道界隈に公になるという事も無かった。
けれど、大洗が強豪校のサンダースを倒してしまった事で、大洗は注目を一気に集める事になるだろう。そうなれば、みほが戦車隊を率いているという事がしほに知られるのも時間の問題だ。このまま勝ち進んでいけば、確実に戦車道の何らかの媒体からしほにバレる。
そうなれば、しほが確実に怒るのは目に見えている。ただでさえ去年の全国大会で失態を晒したというのに、戦車道をしないという言葉を曲げて無名校でも戦車道を始め、西住を名乗って隊を率いるみほがどうなってしまうのかは、まほには分からない。ただ、みほのためにならないことになるという事だけは分かる。
だから何としても、しほには知られたくなかった。
だが、そのためにはどうすればいいのか、まほには分からない。まほ1人では答えを見つけることができない。
誰かに相談すればいいのだが、エリカはみほに、大洗にいい印象を抱いてはいないから相談できない。なるべく頼ると言ったのだがそれも叶いそうにない。
では、事情をある程度知っている織部に話すべきかと思ったが、それもだめだとまほは思う。
この前のエリカと織部の話を盗み聞いて、織部はエリカから見れば黒森峰の事情を引っ掻きまわしていると思われている。エリカがあの後織部と何か話したのかはまほの知るところではないが、エリカは織部に対してもまだいい印象を抱いていないと思う。
そこで自分が相談を持ち込めば、また織部はエリカに何か言われて傷ついてしまうかもしれない。
だから織部に何かを相談するのも、少し気が引けた。
(どうすればいい・・・・・・・・・私は・・・・・・・・・)
思考の沼にハマりかけるが、明後日は黒森峰の初戦だ。こんなところで躓いてしまっては、西住流の面目丸つぶれ。それこそしほから叱責を受けるに違いない。
頬を小さく叩き、不安や恐れは一先ず考えないようにする。
明日の訓練は戦車の最終確認、明後日は知波単との試合だ。
今は目の前の試合に集中する。でなければ、先の事を悩む事すらできはしない。
やがて、少し離れた場所に黒森峰学園艦の艦影が見えてきた。
ゼラニウム
科・属名:フクロウソウ科テンジクアオイ属
学名:Pelargonium zonale
和名:天竺葵
別名:―
原産地:南アフリカ
花言葉:決心、決意(ピンク)