この小説の独自設定です。予めご了承ください。
大会6日目の6月6日。空は厚い雲に覆われて太陽の光は地上に届かず、昼にも拘らず試合会場は少し暗めだった。
今日は黒森峰女学園の初戦、相手は知波単学園だ。それ以外にも織部にとっては重要過ぎるイベントがあるのだが、ひとまずそれは置いておき、まずは目の前の試合に集中する。
高い機動力を駆使して敵布陣の弱点を狙い攻撃して敵陣を突破し、後続と共に敵の後方へと進入して揺さぶりをかけて敵陣を分断する電撃戦を得意とする黒森峰と、真正面からの突撃を得意とする知波単学園。
戦車道を深く知らない者からすれば両者の戦法は似たようなものと思うかもしれないが、実際は似て非なるものだ。黒森峰は「弱点」を探りそこを狙う。知波単は特別な事はせずにただ敵に向けて突っ込む。
『これより、1回戦第7試合、黒森峰女学園対知波単学園の試合を開始します』
観戦席の前に設置されているモニターに、並んでいる両校の選手が映される。そして両校の隊長が一歩前に出て挨拶をし、握手を交わす。
そして互いに戦車に乗りこんで、スタート地点へと向かう。
試合を行うのは山岳地帯。と言っても、頂上から麓まで木が生い茂る山と言うわけではなく、頂上付近だけ木が生えていないので半分は禿山のような感じだ。
両校は、この山を挟むようにそれぞれ東と西からスタートする。お互いの間に山が聳えているので、双眼鏡でも相手の動きを読み取ることは不可能に近く、いかにして早く敵に近づくのかがポイントとなる。
両校の車輌がスタート地点につくと、それまで盛り上がっていた観客席も静まり返る。
織部を含め、1回戦に参戦しない黒森峰戦車隊の面々は、観戦席の最後列に立って試合を見ている。席に座りはしないと言うあたり、礼儀正しすぎやしないかと織部は思わなくも無かったが、自分だけ座るのも何か違うので織部も文句を言わずに立っている。
観ている戦車隊の人数は、全員と言うわけではない。ごくわずか、10人にも満たないぐらいの数だ。この中で織部と親しいのは小梅を除けば根津だけだった。
観ていない理由は恐らく、試合の結果が見えているからだろう。
『試合開始!』
審判長の声が響き、両戦車隊は前進を開始する。
「知波単はどうやって戦うんだろうなぁ」
織部の2つ隣に立つ根津が腕を組みながら考える。織部と根津の隣、つまり二人に挟まれる形で立っている小梅も何か考え込むかのように『うーん』と可愛らしくうなっている。
すると、モニターに両チームの俯瞰図が映し出される。恐らく、どちらかの陣営は山の北側を周り、もう片方は南側を回り込む、あるいは一方が山を登り他方は山を迂回するのだろう。
と思ったが、その予想は外れて両校ともに山を登り始めた。それも何の迷いもなく。
観客たちは黒森峰と知波単が共に山を登り始めて、これは真正面からのぶつかり合いが期待できると一斉に盛り上がった。
「あー、なるほどそう言う事か」
「え?」
根津が何か納得したかのように言葉を洩らす。
「隊長は知波単が山を越えてくると踏んで、真正面からぶつかることにしたんだよ」
「・・・・・・どうして」
そんな事が分かるの、と言いかけたが途中で織部も状況を把握した。
「知波単はどんな時も突撃戦法をとる、まあ悪い言い方をすれば単純だ。だから、知波単は山を迂回するよりも山を越えた方が距離的に近いからって事で山越えをする事に決めたんだ」
「・・・・・・山を挟んでいると、相手の出どころが分かりにくい。だけど相手の動きがある程度分かっているなら、その敵がいる場所に向けて進み敵を撃滅する・・・・・・。隊長はそう考えたって事ですね」
「そう言う事」
小梅が補足し、根津が頷く。
スタート地点にいる黒森峰からすれば、知波単は山の向こう側にいて姿を視認する事はできない。ならば相手はどういうルートでこちらに来るのかをある程度予想しなければならない。南から回ってくるか、北から回ってくるか、はたまた山を越えてくるか。
だが、知波単学園は突撃戦法に頼る故に動きが直線的でなおかつ単純だ。だから恐らくは、相手に遭遇するまでの時間が早い山越えのルートを通ってくると、隊長のまほと副隊長のエリカは読んだのだ。そして知波単からすれば、黒森峰の戦車隊が山の麓を迂回する形で前進していたとしても、標高の高い山の頂上から見つけてそちらへ向かう事もできる。
だから知波単は山を越えてくると、まほたち黒森峰は読んだのだ。
ここで黒森峰は山を迂回して知波単の後ろから奇襲するという手は使わない。山を迂回するにしても時間がかかるし、仮に回り込んだとしても、山を登り始めている頃には知波単は既に山を下りているかもしれない。そうなれば後は、知波単の動きを読みづらくなる。
それに戦車の燃料も無尽蔵にあるわけではないので、無駄な動きは極力避けたい。
そして黒森峰の得意とする電撃戦は迅速な行動からなるものである。試合開始から少しの間は『そんなに早く敵に遭遇することはないだろう』という相手の心の油断を突いて、事を優位に運ぶことができる。だが時間が経てば経つほど相手も緊張感を覚え始めていき、弱点を集中的に攻撃して敵陣突破を図るという黒森峰の戦法も通じにくくなるだろう。
それらの点を踏まえてまほたちは、知波単と同じように山を登っているのだ。
しかし、黒森峰戦車隊の多くは不整地に適した走行能力があるとはいえ、重戦車が主だ。その機動力は、中戦車や軽戦車と比べると見劣りしてしまう。
それでも全く走破性が良くないというわけではない。黒森峰の機甲科の生徒たちがほぼ徹夜で整備した戦車もちょっとやそっとでは不調を起こしたりはしない。だが流石に、ヤークトティーガーのような重駆逐戦車は山を登るのに少し手間取っている。
やがて、両校が山を登り始めてから数十分が経過したところで動きがあった。
先に山を登り終えたのは知波単学園の戦車だ。モニターには九七式中戦車チハ(新砲塔)と表示されている。
あのチハこそが、知波単学園戦車隊の主力戦車だ。だがその性能は黒森峰と比べると劣っているので、黒森峰のような強豪相手に運用するには、ただ真正面からぶつかっても意味がない。何か策を練るべきなのだが、知波単はそれすらもせず真っ向勝負で挑もうとする。
何輌か知波単の戦車が山を登り終えると、今度は反対側から黒森峰のパンターが先に山頂に達した。恐らくは、まほが偵察のために先に行かせたのだろう。
すると、パンターの姿を視認したであろう知波単の戦車隊は一斉に発砲を開始。
砲撃が始まった事で観客たちは一斉に盛り上がる。
だが両者の距離は余りにも離れすぎているし、チハが決定打を命中させるにはもっと近づかなくてはならない。今はせいぜい掠るのが精いっぱいだ。
1輌目のパンターに攻撃が集中している間に残りの黒森峰の戦車も山を登り終えて、こちらも発砲を開始する。そして砲弾の雨あられに臆することなく、黒森峰戦車隊は前進して知波単学園戦車隊に近づいていく。
砲弾を受けながらも前進する黒森峰戦車隊を見て、織部は思い出していた。
中学1年の時、学校に行けなくなった時、黒森峰と大学選抜の試合を見た時、黒森峰の戦車が敵の攻撃に臆することなく前進していたあの練習試合の事を。
やっぱり、あの戦車の動きには感動や羨望に似た感情を覚えてしまう。
あの戦車の動きを見て自分の人生は変わったのだ。
自分の止まっていた時は動き出したのだ。
あの時の気持ちをまた思い出し、間近で黒森峰の試合を見ている今。やはり自分は、黒森峰に来ることができてよかったと、心の底から思っていた。
試合の方だが、黒森峰のほぼすべての車輌が登り終えたところで本格的に砲撃を始めた。それにより状況も少し変わっている。
黒森峰と知波単との間には、圧倒的な戦力差がある。火力にしても装甲にしても、戦車の性能の面では知波単の方が劣る。ここで知波単は、一旦退いて作戦を練り直した方が賢明かと思われるが、当の知波単はそうはいかなかった。
全車輌が、一斉に黒森峰戦車隊に向けて前進を始めたのだ。
あれこそが、知波単学園戦車隊の名物、突撃だ。
「あー、出ちゃったか。突撃」
「あの状況では、悪手以外の何物でもないですね・・・」
根津が呆れたようにつぶやき、小梅も苦笑しながら言う。確かに小梅の言う通り、この状況での突撃は無謀としか言いようがない。
そんな突撃してくる知波単の戦車隊をものともせずに黒森峰は砲撃を続行。
突撃してくる合間も知波単の戦車隊は砲撃を続けているが、撃破に至る命中弾は皆無だった。
そんな知波単戦車隊に攻撃を続ける黒森峰戦車隊。その中の1輌のパンターが砲撃し、チハ新砲塔を1輌撃破した。
それを皮切りに、Ⅲ号戦車にヤークトティーガーやヤークトパンター、さらにはまほの乗るティーガーⅠやエリカのティーガーⅡも知波単の戦車を次々と撃破していく。
その中で、せめてもの足掻きとボロボロになった知波単の九五式軽戦車が発砲し、ヤークトパンターの履帯を切断した。だが、それは九五式軽戦車も狙っていたわけではないだろうし、その程度ではヤークトパンターも怯まずお返しとばかりにその九五式軽戦車に攻撃する。それで九五式軽戦車は撃破された。
今回1輌だけ投入されたヤークトパンターには直下が乗っている。いつも履帯が重くてしんどいと愚痴る直下は、また戻った後で愚痴るんだろうなぁ、と織部と小梅と根津は心の中で思った。
そんな事を考えていると、知波単の最後に残った車輌・・・フラッグ車が撃破された。そのフラッグ車を撃破したのは、先頭にいたまほのティーガーⅠだ。
「弱点」を探る前に決着がついてしまったな、と織部は思った。
『知波単学園フラッグ車、走行不能。よって、黒森峰女学園の勝利!』
アナウンスが告げるが、観客たちは歓声の1つも上げはしない。
モニターに表示されている知波単学園側の戦車すべてに×印がついていた。フラッグ戦のはずなのに、知波単の車輌が全滅してしまっている。これではまるで殲滅戦だ。
それに対して、黒森峰側は1輌も撃破されてはいない。ヤークトパンターが履帯を切られた程度だが、そんなものは些末なことだ。
その黒森峰の圧倒的な強さを目の当たりにして、観客たちも息を呑んでいるのだ。いくら戦車の性能や作戦に差があると言っても、ここまで強いとは。
これが黒森峰。
これが西住流。
誰もが恐れおののいていた。
そしてモニターに映っているのは、死屍累々と言わんばかりに煙をあげて擱座している知波単学園の戦車隊。その戦車隊を前にして、ティーガーⅠのキューポラから身を乗り出して、無茶な突撃戦法のなれの果ての姿を表情一つ変えずに眺めるまほの姿。
凛々しくも険しくも見えるその表情を見て織部は、6月に入って気温もそれなりに上がってきたというのにうすら寒さを感じた。
試合が終わり挨拶を交わせば、両校ともに解散となる。黒森峰も知波単もそれぞれの車輌を引き連れて自分たちの学園艦へと戻る。
ただ、知波単陣営は全車輌大破という有様なので、回収には時間がかかりそうだ。一方で黒森峰はヤークトパンターの履帯が切れてしまったのでそれに手間がかかるが、特に支障は出ないだろう。
黒森峰の戦車が学園艦に戻る際に、織部や試合に参加しなかった戦車隊員は戦車の搬入を手伝う。手伝うと言ってもせいぜい誘導する程度だ。
どの戦車も目立った外傷はないが、弾を掠めたせいで所々塗装が剥げている。明日か、あるいは今日の夜にでも塗装を塗りなおすだろう。
最初に戻ってきたのはまほのティーガーⅠ、次いでティーガーⅡ、さらにパンターやⅢ号戦車にヤークトティーガーが続き、最後に戻ってきたのは予想通りヤークトパンターだ。
ヤークトパンターの履帯が切れたのは山の頂上付近だったので、回収車が向かうのには時間がかかり、それだと黒森峰の撤収作業全体が遅れる。それに履帯が切れた程度だからすぐに直せるので、自力で履帯を繋いでからすぐに山を下りて戻ってきたのだ。
やがてすべての車輌の搬入が終わり、隊員が全員戻っているのを確認すると、撤収作業は終了する。
その後は、試合に参加した隊員たちで今回の試合のミーティングを行う。このミーティングには、織部も自主的に参加させてもらった。ただし、皆と一緒に椅子には座らず、壁際に立ってミーティングの様子を見学させてもらうというだけだが。
試合に参加した隊員たちは、勝ったからと言って浮かれてはいない。内心では喜んでいるのかもしれないが、それは決して面には出さない。自分の感情を押さえて冷静でいるのもまた、真面目な黒森峰生らしい。
ミーティングの内容は大方試合の流れの確認と評価点、改善点を指摘し最後は次の試合に向けての全体的な指標と、普段の訓練の模擬戦後のミーティングとさして変わらない。
改善点は、試合を見ていた織部には無いようにも見られた。だが、山を登る際にどうしても登坂能力に差が出て陣形が崩れるとまほは言っていた。陣形が崩れた場合、そこを突かれて敵が反撃したり逃げるかもしれないからだ。
そしてその改善点の指摘を受けたのは、ヤークトティーガーの車長と乗員だ。
重駆逐戦車だからとはいえ、ヤークトティーガーの不整地での最高速度は、他の戦車の不整地の最高速度と比べると低い。それが今回の陣形の若干の崩れの原因だ。
ヤークトティーガーの車長も少し落ち込むが、次以降今日のような不整地での試合となった時は、ヤークトティーガーの装甲の厚さを生かし、前衛としてフラッグ車の前を行かせるという結論をまほが出した。それ以外の改善点は特になく、ミーティングは1時間ほどで終了して、後の時間は自由時間となった。
試合に参加した斑田、三河、直下の3人は温浴施設で汗を流すと言っていた。
忘れてはならないが今は6月で気温も上昇してきている。それにタンクジャケットは厚手の生地でできているし、戦車の中も通気性はさほど良くはない。だからどうしても汗で服が蒸れてしまうし、それに戦車を動かすのは重労働なので試合後に風呂やシャワーで汗を流し疲れをとるという人も割と多かった。
試合に参加しなかった根津と小梅、そして織部は特にやる事も無いので一度自分の部屋に戻った後で、3人で集まりドイツ料理店でお茶を楽しんでいた。
最初に誘ったのは根津で、『暇だしどうだ?』という言葉で、断る理由もなく織部と小梅は合流したのだ。
「いやぁ、フラッグ戦のつもりが殲滅戦になっちゃったね」
コーヒーを飲みながら根津が呟く。織部と小梅も、隣同士で座りながら小さく頷く。黒森峰が強いという事は知っていたし、相手が相手だったとはいえ、フラッグ戦で敵車輌を全て殲滅してしまうとは織部も思わなかった。そして小梅も、まさじゃそこまで行くとは考えてはいなかっただろう。
「織部は黒森峰の公式戦見るのって初めてだっけ?」
「テレビで見た事は何度かあるけど、生で見たのは初めてかな」
中学1年の時、初めて黒森峰の戦車隊を見たがあれは練習試合だったし、全国大会などの公式戦は大体テレビで見るか戦車道公式サイトに配信されている動画から見るぐらいだ。
公式戦を生で見たのは、自分で言ったように今回が初めてだった。
「どうでした?初めての生観戦は」
「いや・・・・・・なんて言うか、すごかった」
生観戦と言っても、モニターを通してのものだったのだがそれでも実際に観戦席で試合を見たのは人生初体験だった。テレビだと遠目からのカメラで見るだけで分からなかった観客の熱気は間近に感じられたし、全国大会という大きな枠組みの中での試合だったから、模擬戦とは違う緊張感も感じられた。
「やっぱりすごいなぁ、戦ってるのを改めて見ると」
「今さらか・・・・・・」
黒森峰に来てから実に2カ月もの間、何度も戦車の訓練や模擬戦を見てきたのに今更感がある感想を聞いて根津が呆れたように笑う。
そこで、温浴施設から帰ってきた直下たちが合流する。
「やー、お待たせ」
「あーお腹空いたぁ・・・」
直下が声を掛けて来て、三河がお腹を押さえながら席に着く。後ろから斑田も顔を出していつものメンバーが揃った。
三河の発言で思い出したが、試合が始まったのは10時ぐらいで、割と早い決着だったけれど終わったのは12時過ぎ。その後は撤収やらミーティングやら風呂で汗を流したやらで、試合に参加したメンバーはまだ昼食も食べていないのかもしれない。
小梅たち試合を観戦していたメンバーは、撤収作業が終わってから適当に食事を摂り、ミーティングにも参加していた織部は自室でシリアルを食べて一先ず腹を満たしたのだ。そして食べ終わったところで根津に誘われて今に至る。
となると、試合に参加した直下、三河、斑田の3人は、朝食から何も口にしてはいないという事になるだろう。
三河と直下、斑田がそれぞれ空いたスペースに座る。並び順は小梅、織部、斑田。その向かい側に三河、根津、直下の順だ。三河は席に着くなり早速メニュー(主にお菓子系)を広げて『何にしようかな~』と呟いている。
「こんな時間に食べると夕飯が腹に入らないぞ」
「いやいや、食べないとやってられないって」
根津が一応の忠告をするが、三河は止まらない。直下と斑田は、アイスコーヒーだけを頼むようだ。2人は大丈夫なのだろうか、と思って尋ねる。
「2人はお腹空いてないんだ?」
「空腹もピークを過ぎればどうにかなるしね」
「それにあまり食べ過ぎると太るし」
太る、と斑田が自分のお腹をさすりながら言うが、別に気にするほどの事じゃないと織部自身は思う。しかし、多くを言うと女子のデリケートな部分に触れかねないので黙っておく。
さて、三河も何を頼むか決めたようでそこで店員を呼び、3人は注文する。
後は頼んだものが来るまで適当におしゃべりだ。
「まったく、何でうちの戦車は履帯が切れやすいのかね」
直下が頬杖を突きながら実に不機嫌そうにつぶやく。
やっぱりその話題を出してきたな、とその場にいる直下以外の全員はそう思っていた。
黒森峰の損害としては、あの直下のヤークトパンターの履帯が切られたことぐらいだ。
「前の練習試合でも履帯切れたわよね」
「整備が手抜いたんじゃないの?」
斑田が思い出すようにつぶやいて、三河がからかうように話しかける。
「手抜きなんてことは無いと思うけど、なんでだろな~」
「にしても軽戦車にやられるとはねぇ」
根津もまた、三河と同じように意地の悪い笑みを浮かべて呟く。
あの時の状況を俯瞰的に見ていた根津は、直下の戦車の履帯は知波単の九五式軽戦車の攻撃によって切られたものだと知っている。
「よりにもよって軽戦車か~・・・チハならまだよかったのに」
「まあ軽戦車に一杯食わされるなんてそんなにない経験だしいいんじゃないの?」
やけに軽戦車にやられたことを根に持っているようだが、それについての理由はある。
全国大会は、知っての通り全国の戦車道を嗜む学校が参加する大会であり、どの学校もそれなりの自信を持って参加している。そしてその全国大会での優勝とは誰もが憧れるものであり、皆その優勝目指して全力で挑む。
そうなれば、どの学校も自分の学校の持てる最大の火力で参戦するだろう。となれば、例え軽戦車を所有している学校でも他に中戦車や重戦車を所持していれば、わざわざ軽戦車を投入しようとはしない。
軽戦車は足回りは良いとしても装甲や火力に乏しいので主戦力とはなり辛い。だから必然的に、特別な事情がある学校を除けば全国大会で軽戦車を登用する学校は少ないのだ。
特別な事情とは、予算の都合で軽戦車しか揃えられなかったり、戦車の保有数が少なくて軽戦車も運用しないと戦えないなどだ。豆戦車を主に運用するアンツィオ高校や、戦車道を復活させたばかりの大洗女子学園などがそれにあたる。
今日試合をした知波単学園は、元日本陸軍が所有していた戦車で部隊が構成されているため、統一性の面もあり軽戦車が投入されたようだ。
それに引き換え黒森峰は、重戦車や中戦車を主に運用していて、軽戦車をほとんど所持していない。故に黒森峰戦車隊のほとんどのメンバーは、自分たちの戦車の圧倒的な火力と強固な装甲に自信を持っていて、軽戦車など恐れるに足りないとしか認識していない。
だから、校内模擬戦で軽戦車と戦うことはないうえ公式試合で軽戦車と戦う事は稀であり、その軽戦車から一撃を貰うというのは少し屈辱的なのだ。直下が九五式軽戦車から一撃を受けて履帯を切られたのを悔しがっているのはそのせいだ。
そこで、直下達3人の頼んでいたアイスコーヒー+三河の頼んだクルーラーというドイツのお菓子が来ると、早速三河はクルーラーにかぶりつく。実に美味しそうに食べているのでこちらの腹も空いてきそうだ。
そこで。
くきゅ~、という可愛らしい小さな音が聞こえてきた。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
その音がした方向は、織部の隣。だが斑田からではない。
小梅だ。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
織部の視線に気付いたのか、小梅が少し恥ずかしそうに顔を赤くして窓の外を見る。
テーブルを挟んで向かい側にいる三河はその音には気づいていないらしい。恐らく小梅は、三河がクルーラーを美味しそうに食べているのに触発されて空腹感を覚えたのだろう。
だが、ここで織部は小梅に『お腹空いたの?』なんて直球な言葉を投げたりはしない。空腹を悟られるというのは男女問わず恥ずかしいし、食い意地が張っていると思われかねないからだ。
だから織部は、メニューを手に取りバウムクーヘンを頼む事にした。
店員を呼び注文を終えると、隣に座る斑田が問いかけてきた。
「織部君も昼食べてないの?」
それに対して織部は、少しばかり嘘を交えた本音を告げる。
「昼はシリアルで軽く済ませたんだけど、三河さんが食べてるのを見てたら少しお腹空いちゃって」
と言うと、斑田は納得してくれたようだ。他の皆も深く疑いはしない。
ただ、小梅は『まさか』と一抹の期待を抱いて織部の方を見る。
言葉とは難儀なもので、先ほどのような織部の言葉を普通に男が言えば、『育ち盛りなのかな』と他人から思われるが、女が言うと『結構食べる方なのかな』と少し違う印象を抱かれやすい。そして結構食べる方と女性が言われれば恥ずかしくも思うし、言った人を失礼だという人もいる。女心は実に複雑怪奇だ。
男女でどうして印象が違うのかは分からないが、これはよくある話だ。今に限った話ではない。
やがて頼んだバウムクーヘンがやってくる。よく見る輪の形をしているのではなく、3切れぐらいに小さく切り分けられていた。
一つをフォークで刺して、口に含む。ふわりとした食感とほんのり甘い味が口に広がる。
そこで織部はバウムクーヘンの味を堪能しながらも、小梅が自分とバウムクーヘンに視線を向けていることを見逃しはしない。
そんなほのかに甘いバウムクーヘンを2つ食べたところで、フォークを皿に置き、小梅に話しかける。
「1つ食べる?」
織部は、小梅のお腹が鳴った音を聞き、小梅も少しお腹が空いているという事に気付いている。なので今こうしてさりげなく(?)バウムクーヘンを差し出して、少しでも小梅の腹を満たそうとする。
これを小梅が好意的に取るか有難迷惑と取るか、それは分からなかったがあの音を聞いた以上放っておけなかった。
そして小梅は。
「じゃあ・・・いただきますね」
「うん、いいよ」
小梅はフォークを手に取ってバウムクーヘンに差し、口に入れようとする。どうやら迷惑とは思ってはいなかったようだ。
少し話が逸れるが、根津と斑田は、それぞれ織部と小梅が親密な関係―――恐らくは恋人同士であることを知っている。だから今、小梅と、小梅にバウムクーヘンを渡した織部の事を微笑ましいものを見る目で見ている。
直下も、中間試験前に織部を小梅とくっつけようと図った事から、織部と小梅2人の関係について別に疑問視はしない。
だが、三河に至ってはクラスが違うために2人がそう言う関係になっているという事を知らないので、なぜ織部が悩みも迷いもなく小梅にバウムクーヘンをあげたのかが理解できない。
だから、空気を読んでなるべく口にはしない他の3人に対して、三河は割と純粋に疑問を口にし、率直にものを言える。
さらに織部も小梅も意図していなかったが、小梅は先ほどまで織部が使っていたフォークを使って残ったバウムクーヘンを食べた。
それはすなわち。
「・・・・・・間接キス」
クルーラーを食べていた三河がボソッと呟くと、小梅の顔が真っ赤になる。織部が飲んでいたコーヒーを噴き出さなかったのは、織部自身褒められたものだと思う。
動揺したのは小梅と織部だけではない。根津と斑田は、小梅のように真っ赤にはならずとも、少しだけ頬を赤くして目を逸らしているし、直下は織部と目を合わせようとしない。事の発端を作った三河は、特に何も気にせずにアイスコーヒーを飲んでいた。
一つ咳払いをしてコーヒーカップをソーサーに置き、ちらっと小梅の方を見る。
未だ小梅の頬は赤いが、織部の視線は小梅の唇に向いている。
前に書庫で過失的に押し倒してしまった際にも凝視してしまったが、今はあの時よりも魅力的に見えてしまい―――
と、そこで織部は自分の目を押さえる。
今自分は、踏み入れてはいけないような思考に足を踏み入れそうになった。
邪な考えがよぎった自分の事を恥ずかしく思い、コーヒーを一気に飲む。
その後は、何だかぎくしゃくした雰囲気のまま時間が過ぎて行き、5時ごろになって解散となった。
その日の夜、織部は小梅に呼び出されて、ある場所を訪れていた。
そこは、あの花壇だ。
呼び出された経緯についてだが、自分の部屋で夕食を食べ終えて一息ついたところで小梅からメールを受け取り、そして今こうしてここにいる。
花壇の近くのベンチで、座る事無くお互いに向かい合う織部と小梅。
どうして呼び出されたのか、織部にはおおよその見当がついている。
「・・・・・・誕生日おめでとう、小梅さん」
「ありがとう、春貴さん」
今日は小梅の誕生日だ。それは前に小梅から直接聞かされたことなので知っていたが、そのお祝いの言葉を言ったのは今が初めてだ。
周りに人がいる中でその言葉を告げてしまうと、周りは小梅に対して気遣ってしまうだろうし、小梅もそれは望んではいない。自分の誕生日だからと周りから特別扱いされることを望むような、自分勝手な性格を小梅はしていないのを織部は重々承知していた。
だから今、こうして周りに誰もいない状況で初めて、その言葉を口にしたのだ。
「・・・・・・本当に大丈夫なの?別に何もプレゼントとか用意していなくて・・・」
「ええ、大丈夫です」
小梅から1つの“お願い”を聞き入れる事を条件に、プレゼントは用意しなくていいと言われた。織部はその言葉に従い、プレゼントの類は用意していない。もし用意したとしたら、小梅も少し織部を気遣わせてしまったと心を痛めてしまうだろうと思ったからだ。
しかして、織部にはその“お願い”がどういうものなのか、まったくもって予測できなかった。無茶なことを言いはしないだろうが、自分に叶えられる範囲のお願いであることを望むほかない。
「・・・・・・それで・・・教えてもらいたいんだけど・・・・・・」
「・・・・・・はい」
「・・・・・・お願いって?」
本題に入る織部。あまりの緊張に、冷や汗が垂れるが、対照的に小梅は少し微笑んでいる。
「・・・・・・その、お願いっていうのはですね・・・」
「うん」
「・・・・・・・・・えっと、春貴さんさえよければ、何ですけど・・・・・・」
「?」
小梅からのお願いだというのに、織部の意思を確認してきた事で、余計織部は分からなくなった。
何だ、一体小梅は何を要求してくるつもりなのだ。
謎の恐怖心に織部が襲われている合間に、小梅は織部にゆったりとした動作で歩み寄ってくる。
「・・・・・・私の・・・」
一歩、また一歩と歩いてくる小梅。
まだなお分からないお願いの内容が怖くて、小梅が一歩近づいてくるたびに、じりじりと自分の体温が上がっていくのが分かる。
そして、織部との距離がほぼゼロになったところで歩を止める。そして、織部の顔を見上げて目を閉じる。
この小梅の体勢、どこかで見たような気がする。映画や小説の中で、こんなシーンがあったような。
その自分の見たものの記憶を掘り出して、恋愛経験のない織部でも、このポーズが何のサインなのかが分かった。
そして、小梅は。
「・・・・・・私の、初めてを貰ってください」
いろいろと勘違いしそうなセリフだったが、ここで小梅の言う“初めて”とは何なのか、もう織部にも分かった。
つまりは、小梅はキスをしてほしいという事だ。
その瞬間、織部の中に戸惑いや感動、喜びや焦りの感情が生まれる。
戸惑いとは、小梅の大胆な行動に対するもの。
感動とは、小梅がそういう願いを伝えられるほどに自分の事を好いているという事に対するもの。
喜びとは、キスの申し出が純粋に嬉しかったことに対するもの。
焦りとは、自分が相手でいいのかという事に対するものだ。
「・・・・・・え、いや・・・その・・・・・・」
突然の申し出に、織部も動揺を隠せない。だって織部だってそんな事などした事がないし、どうすればいいのか分からない。いや、キスがどういうものかは知ってはいるが色々と心の準備が必要である。
「・・・・・・嫌・・・ですか?」
キスの体勢を解き、普通に向き合う小梅。そして不安そうな目で織部の事を見上げる。
「いやそんな、嫌じゃないよ。むしろ僕だってそうしたいと思ってるんだけど・・・・・・色々と心の準備が・・・・・・」
「・・・?」
「それに、本当に僕なんかでいいの・・・・・・?」
一番気にするところはそこだ。
ファーストキスは人生で1度しかない。そう簡単に捧げていいようなものでもないだろう。女の子ならなおさらだ。
ただ、自分以外の男が小梅とキスするのを想像すると虫酸が走るが、自分みたいな男に捧げていいのかとも不安になる。
だが、小梅はニコッと笑う。
「・・・私たち、もう恋人同士ですもの。それに・・・将来は・・・・・・」
「・・・・・・あ、そうか」
そうだ、将来織部と小梅は添い遂げる事を見据えている。そうなれば、キスもする機会だってあるだろう。
だとすれば、今キスする事には何ら違和感もないはずだ。
「それに・・・・・・春貴さんになら、私は・・・」
そこまで小梅が織部のことを想ってくれている事に、織部は感動に似た気持ちになる。
誰かから愛され、また自分もその人の事を愛するというのは、とても心地良いものだ。
「・・・・・・ありがとう、小梅さん」
織部が、自分の事を切に想ってくれている事を嬉しく思い、笑みを浮かべてその言葉を告げる。
そこで、小梅はもう一度瞳を閉じてくいっと顔を上に向ける。
もう、腹は決まった。
小梅の両肩に優しく手を置く。
そして、ゆっくりと小梅の顔に自分の顔を近づけていく。
先ほど、ドイツ料理店で自分の使ったフォークを小梅に渡してしまい、それを小梅が使った事で三河から『間接キス』と指摘されて、あの時はものすごい焦った。そしてあの後小梅の唇を意識してしまい、そんな考えが浮かんでしまうのは自分でも割と変だと思っていた。
しかし今からするのは、間接ではない直接のキスだ。
小梅の可愛らしくも綺麗な薄桃色の唇に、自分の唇を近づけていく。
織部も瞳を閉じる。
そして唇が触れる寸前で、織部が小さく、だが小梅には聞こえるように、告げた。
「・・・・・・小梅さん、大好きだ」
2人の唇が重なり合う。
少しの間、時間にすれば1分にも満たない間、唇を重ねて、やがてどちらからともなく顔を離す。
そこで織部は、小梅が静かに、音もなく涙を流しているのを見た。
「あ、え・・・・・・何か間違ってた・・・?もしかして嫌だったり・・・」
「あ、違います・・・そうじゃなくて・・・」
小梅が涙を拭い、微笑む。
「嬉しかったんです・・・・・・。初めての相手が、春貴さんで本当によかったって・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「春貴さんを好きになれて、良かったって・・・・・・」
織部の胸に熱いものが込み上げてくる。
そして堪らず、小梅を抱き締める。少ししてから、小梅が織部の背中に腕を回す。織部は、小梅の髪を優しく撫でて、そして言った。
「・・・・・・僕も、嬉しかった。小梅さんが最初の人で」
「・・・・・・ありがとう、春貴さん」
夜に花壇の前で抱き合う織部と小梅の頭上に、一筋の流れ星が輝いた。
ナデシコ
科・属名:ナデシコ科ナデシコ属
学名:Dianthus superbus var.longicalycinus
和名:
別名:
原産地:東アジア
花言葉:純愛、大胆、貞節
6月6日・・・梅の日
もう2カ月以上過ぎちゃったけどごめんなさい
リアルの時間と作中の時間のズレに関しては気にしないでいただけると、
嬉しいです