制服に着替えて、鞄を肩に提げ、ドアを開ける前に一度ストップして玄関の壁にかけてある鏡の前で自分の姿を見る。顔に目ヤニやよだれの跡と言った汚れはない、制服も綺麗だ。少し跳ねている後ろ髪はくせ毛で、学校もそれは分かっている。だから頭髪検査では引っかからない。
見た目に問題が無いのを確認し、玄関のドアを開ける。外に出れば、潮の匂いが少し混じった風を感じられる。朝日と共にこの潮風を浴びると『朝が来たんだなぁ』と実感がわく。
そして自分の部屋の左隣を見れば、ここ数カ月で随分と親しくなった、黒森峰には本来いないはずの男子だ。
「や、織部」
去年の全国大会決勝戦以来ふさぎ込んでしまった赤星を励まし、立ち直らせて、あまつさえ小梅と付き合うようになった。日本戦車道連盟に就く事を夢見ていて、そこと繋がりがあって黒森峰に半年の留学が許可された、実に不思議な経歴の男だ。西住隊長とは違う意味で、こいつは本当に自分と同じ高校生なのかと疑問に思う事が多々ある。
だが経歴が不思議でも、ごく普通の顔立ちに、性格は至って真面目で優しく、ここが黒森峰と言う女子校でなければ目立ちもしないような人物だ。
「・・・おはよう、根津さん」
だが、そんな織部の挨拶が少し落ち込んでいるように聞こえたのは、私の気のせいだろうか?
ともあれ、その小さな引っ掛かりは深く考えずに並んで学校へと向かう。織部がここにきて数日の間は随分と珍しいものだと思ったが、今となってはほとんど毎日一緒に登校している。
「今日確か、体育バレーだっけ?」
「・・・・・・」
いつものメンバーである赤星、斑田と待ち合わせる交差点まで無言で2人きりで歩くというのも気まずいので、適当に話題を探して話しかける。
ところが、織部からの反応がない。試しに、1度名を呼ぶ。
「織部?」
「・・・・・・あ、ゴメン。何?」
「いや、今日バレーの授業があるって」
「あ、ああ。そうそう、そうだね。まあ、運動音痴なりに頑張るよ」
なんだ、この違和感は。
先ほどの私の言葉には一切反応を示さず、もう1度名を呼んでも反応が遅れている。2カ月以上織部と接してきて、少なくとも織部は人の話はちゃんと聞くし、呼びかけにも応じるという事は既に分かっている。
その織部が無反応、あるいは薄い反応を示すというのは少し考えられない。
織部の様子が変わったのに気づいているが、その原因が分からないまま、私と織部は既に赤星と斑田が待っている交差点へと向かった。
「・・・・・・勘当?」
『・・・ああ』
携帯の向こう側から告げられた不穏な単語に、織部は思わず聞き返す。まほは、実に苦しそうな口調で答えた。
織部は馬鹿ではない。進学校に通っているうえに黒森峰に来るために成績を上位にまで自力で上り詰めたのだから、勉強だってそれなりにできる。
だから、今この場でまほが言った“勘当”とはどういう意味なのかも、知っている。
「・・・・・・それは、親子とか師弟の縁を切るという意味の勘当で?」
『その通りだ』
だが信じられないので、念のためにまほに聞き返す。まほは、先ほどと変わらぬトーンで答えた。
「・・・つまり、みほさんは西住“流”の人間じゃなくなる、と言う事ですか?」
『いや、西住“家”の人間ではなくなる』
師弟関係が解消されるのなら、こう言っては何だがまだマシだ。まだ西住家の人間として、過ごすことができるのだから。
だが、親子の縁を切られるとなればそれは耐え難いものだろう。悪い言い方をすれば、みほは西住家とは無縁の存在となり、身寄りが1人もいなくなる。
「・・・・・・どうしてそんな事に・・・?」
『・・・みほが全国大会に出場していることが、お母様にバレた』
そこで、織部の肩がピクッと震える。
『・・・・・・みほの転校先の大洗が高校戦車道連盟に加入すれば、その話は当然高校戦車道連盟理事長のお母様にも届く。恐らくだが、この時点でお母様はみほの事を疑い始めた』
「・・・・・・・・・・・・」
『だがお母様も、最初はみほを信じていたんだろう。「もう戦車道はできない」と言っていたみほの言葉を信じて送り出し、転校先に戦車道のカリキュラムが無いのを知っていて、たとえ戦車道を始めたとしても戦車道はやらないと、お母様は信じていた』
親が子を想い、信じる気持ちは分かる。織部自身は親でもないけれど、織部の親がある時『親は子供を信じるものだ』と言っていた。
『全国大会に大洗が出場すると聞いた時も、深く疑いはしなかった。だが、お母様は気付いてしまったんだ』
「?」
『2回戦の後に発行された戦車道新聞だ』
体育の時間は嫌いではない。
身体を動かすと気分がすっきりする気がするから体育は好きだし、今の体育の科目であるバレーボールも中学の頃は好きだったので文句はない。
中学では、そんな自覚はなかったけれどクラスでは結構上手かったらしくて、周りからは褒めちぎられたものだ。
ともかく、得意なバレーボールなので気を引き締めていこうと思っていたが、ゲームが始まった直後、ぼんやりとしている同じチームの織部君の姿を認めた。
そしてその真正面、反対側のコートにはサーブを打つ準備をしている敵チームのメンバーが。
「織部君、前!」
「・・・・・・・・・え?」
私が注意しても時すでに遅し。相手チームのサーブは、織部君の顔面にクリティカルヒットした。
『うっ』といううめき声と共に、体育館の床に倒れこむ織部君。私はすぐさま織部君に駆け寄り、上半身を起こして支えるが、鼻血は出ていないし目にけがも負っていないように見える。ひとまずは安心だ。
「ごめん、斑田さん」
「謝らないでいいよ。それより、どうしたの?」
織部君が気弱そうに謝るが、別に謝られるような事をした覚えはない。むしろ織部君の方が気になった。相手チームのサーブに一切反応を示さず、私の注意の声を聞いてもすぐに反応しない。
「・・・・・・何でもないよ、ちょっと考え事してたんだ」
「・・・今はゲームに集中した方がいいよ。あんまり気を抜くと、本当にケガするから」
「うん、そうする。ごめんね」
あの織部君が、授業中に別の事を考えるとはずいぶんと珍しい事だ。
授業中でも指されたらすぐに立ち上がって答えをすらすらと述べ(ただしドイツ語に難あり)、体育の授業でも別にサボったりはせず集中しているし(体力はともかくとして)、戦車道だって試合の審判を頑張り整備も手伝う織部君が、授業中に別の考え事をして、挙句自分が被害を被るとは。
赤星さんと付き合い始めて浮かれたのかと思ったけれど、そうは思えない。2人が付き合い始めてから少し経つけれど、これまでそんな弛んでいるような事は無かった。
もっと何か別の理由があるのではないかと思ったけれど、私にはその“別の理由”が全く想像もできない。
戦車道新聞、と言われて織部は思い出す。確かに、この前発行された戦車道新聞の見出しには『大洗女子学園、奇跡の快進撃!』と書かれていた。そして記事には、その大洗女子学園を率いる隊長の記事も―――
「・・・・・・あ」
『・・・君も読んだだろうが、あの記事にはみほの写真が載っていたし、今大洗を率いているのはみほだとも記されている。そして去年の決勝戦の事も、書かれていた』
「・・・・・・・・・」
『お母様は戦車道にまつわる資料は全て読む。その戦車道新聞にだって目を通していた。それで・・・・・・気付かれた』
悔しそうな、辛そうなまほの顔が、電話越しでも目に浮かぶ。
どうして今までしほに言わなかったのか、それは聞かなくても分かる。まほほど聡い人物であれば、みほが戦車道をまだ続けているとしほに知られればどうなるかなどすぐに想像できる。離れていてもみほの事を想うほど妹想いなまほは、“そうなる”のは望むところではない。
みほが悪い立場に立たされないように、みほの事はしほに言わないでおいた。強いて言えば、ずっと隠してきた。
だが隠しきれず、みほの事はしほに全てバレてしまった。
「・・・・・・・・・隊長は、大丈夫なんですか」
『・・・私は特に咎められなかった。だがみほは・・・黒森峰で優勝を逃して西住流の名に泥を塗り、お母様の信頼を裏切って大洗で再び戦車道を始めたとして・・・・・・』
現文、ドイツ語、公民、物理と4連眠くなる授業を切り抜けて、迎えた昼休み。昼食の時間は、授業の時間のようにいつ指されるのかと緊張感をもって過ごすのではなく、気兼ねなくゆったりとリラックスして過ごすことができるので、この時間が一番落ち着く。
隣のクラスの直下と合流し、さらに別のクラスの根津と斑田、そして赤星さんと織部君と合流して食堂に向かう。ちなみに、赤星さんと織部君を呼び捨てにしないのは、別に距離を置いているからとかそう言うわけではない。どうにも、呼び捨てで話せないような雰囲気がするのだ。根津は2人の事も呼び捨てにしているけれど。
ともあれ、いつものメンバーで食堂へと向かい、各々好きなメニューを頼んで席に着く。
だが、今日はいつもとは少し違う気がした。
今この場にいる私を含む6人の食事の量は、根津はがっつり、赤星さんと斑田は若干少なめ、織部君と私は普通といった具合だ。
根津は大盛りのラーメンとチャーハンを食べているし、赤星さんと斑田は生姜焼き定食のごはん少な目。私は普通のきつねうどん。
ところが織部君に至っては違った。
「・・・・・・それだけでいいの?」
思わず私が問いかけるが、織部君は『ちょっと食欲無くてね・・・』としか答えずそそくさと食事を始める。
だが、不審に思っていたのは私だけではないらしく、直下、根津、斑田、そして赤星さんも織部君のトレーの上の料理(?)を見て、言葉を失っている。
まずは白米とみそ汁、これは別に問題はない。
だが、後に載っているのは納豆とほうれん草のおひたし。以上。
誰がどう見たって育ち盛りの男子高校生にしては少なすぎると思うだろう。
いつもなら織部君は、普通の定食ぐらいなら問題なく食べてしまうのに、なぜ今日に限ってこんな少量なのだろうか。今日だけ気分が悪い、食欲がないと言えばそれまでなのだが、織部君がここに来てからこんなことは初めてだったので、少し信じられない。
ダイエット、減量と言う可能性は真っ先に排除する。見るからに織部君は太っていないし、むしろ痩せている気がする。その上織部君は体力がないと自負しているから、なおさら食べなければ駄目だろうに。
うどんを啜るが、織部君の食事が気になってあまり味に集中できない。他の皆も同じようで、それぞれ自分の頼んだものを食べながら織部君の様子をちらちらと窺っている。
いつも通りのメンバーで、いつも通りの場所で昼ご飯を食べているはずなのに、痛烈な違和感があった。
『次の準決勝でみほが勝てば、勘当は見送られる。だが、負けてしまうと間違いなく勘当されるだろう』
「・・・・・・でも、大洗の準決勝の相手は・・・」
『ああ、昨年優勝したプラウダ高校だ。その上レギュレーションも変わったから、プラウダはまず間違いなく15輌で挑む。大洗はその半分以下だし、性能も劣る。勝つ可能性は、限りなくゼロに近い』
まほから事実を淡々と告げられて、織部の気分もずんずん沈んでいく。もはや、みほの勘当は避けられないだろう。
だが、それでも気になる事はある。
「・・・勝てば、勘当が見送られるというのは、どうしてですか」
しほからすれば、みほは西住の名を背負いながらもその教えとは全く違う戦い方をする、邪道のような存在。その邪道と取れる戦い方を世間に知らしめてしまい西住流について間違った認識を広めている状態にある。
それでもまだ、勘当を見送る可能性があるのはどうしてだろうか。やはり親としての情なのか、それとももっと別の理由なのか。
『・・・おそらくだが、お母様はみほに期待をしている』
「え?」
期待、と言う言葉を聞いて織部も少し呆ける。勘当するつもりでいながら、みほに期待をしているというのはどういうことか。矛盾しているようにしか聞こえない。
『・・・みほが西住流本来とはまるで違う戦い方をしているとはいえ、サンダースやアンツィオと言った強豪を破ったのは紛れもない事実だ』
「・・・・・・・・・」
『もしかしたらお母様は、みほの中に可能性を見出しているのかもしれない』
「可能性・・・?」
『西住流の人間でありながら、臨機応変に事に対応して作戦を遂行し、勝利を勝ちとる。それもまた、西住流の戦車道の、1つの道と言えるかもしれない』
「・・・・・・・・・」
『私が言うのもなんだが、西住流本来の戦い方は“高い火力と厚い装甲をもってして、何があろうとも前に進み続ける”流派。だがそれは言い方を変えれば、力任せにごり押して敵を倒す直線的な戦い方だ。無論、作戦はまた別に用意するがそれらは全て西住流の基本のスタンスに則ったもの。だから、あまり回りくどい手は使わないし、逆に搦手に弱いところもある』
まほは西住流の後継者筆頭として、日々精進している。だからこそ、西住流の、黒森峰の戦い方を熟知しているし、そしてその欠点、デメリットをも把握している。
だから先ほどのような事が言えるのだ。
『その西住流の教えを受けているみほが、柔軟な発想と臨機応変な対応を可能として、強豪校を2校も破った』
「・・・・・・・・・・・・」
『だとすれば、西住流の戦い方の欠点を補うような力を持っているみほに、お母様は可能性を見出しているのかもしれない、と私は思う。あくまで私の推測だが』
聖グロリアーナ戦で損傷した愛機・ヤークトパンターが戻ってきて、私は少しホッとした。
西住隊長がいない、まだ修理が終わっていない車輌がある、そして聖グロリアーナという強敵との試合で皆疲れてしまっている、という3つの理由から、今日の訓練は整備だけだ。ここ最近は模擬戦やらなんやらで疲れるし帰る時間も遅くなってしまうので、嬉しい事だ。
さて。ヤークトパンターは、私が戦車隊に正式に入隊してから乗ってきたので愛着がある。履帯が切れやすくて、しかも重くて少し参ってしまうが、それも愛嬌と言う事にしている。
だから今、こうして目の前に修理を終えて戻ってきたのを見ると安心したのだ。
と言うわけで、機甲科の人が修理した際にチェックはしているだろうけれども、念のために各パーツの点検を行う。車内はもちろん履帯や転輪、後は砲塔内の掃除もしておかなければ。
他の皆には通信機や砲身、他内部の点検をお願いし、私は足回りを見る事にする。そう何度も履帯が切れてはいくら愛嬌があっても参ってしまうので、丁寧に見なければと思いしゃがみ込む。
そこで、何か重い、金属類が床に落ちる大きな音が近くでした。
何事かと思い振り返ってみれば、そこにはいそいそと落とした工具を回収している織部君の姿があった。どうやらさっきの音は、工具箱を落としたことによるものらしい。
私は履帯の点検をいったん中止し、織部君に歩み寄って道具を片付けるのを手伝う。
「手伝うよ」
「ごめん・・・・・・」
工具箱の中には細かいパーツも入っていた様で、割と広い範囲に広がっていた。回収には手間取ったけれど、どうにか工具は全て見つけられたようだ。
だが、思い出してみれば織部君が工具箱を落としてしまうなんて初めての事だ。前々から、何度か工具箱を落とす隊員の人は何人もいたし、いつも工具箱を落とす人と言うのもあまりいない。
だけど、織部君みたいな真面目な人がこうして工具箱を落とすというのは、あまり想像がつかなかった。
拾った工具を箱に戻し、蓋を閉める織部君。
「ありがとう、助かったよ」
「気にしないで。それより、大丈夫?」
「何が?」
何が、ではない。
昼のやけに少ない食事もそうだし、真面目な織部君がこうして工具箱を落とす事自体も珍しい。というか初めてだ。それにさっき斑田さんから聞いた話では、体育でも考え事をしてバレーボールが顔に直撃したという。
どう考えたって、普通ではない。
「気分でも悪いなら・・・」
「いや、大丈夫。大丈夫だから・・・・・・」
そう言って織部君は、半ば無理やり会話を打ち切って工具箱を持って行った。向かう先には三河さんのⅢ号戦車がいる。
織部君とは知り合ってもうすぐ3カ月ぐらいになるが、それでも分からないところはある。生真面目な性格で、将来は戦車道連盟に就き、そして赤星さんと付き合っている、とここまでしか知らない。
織部君が今何を考えて、何を思っているのかは本人しか分からない。だから昼の事も、体育の授業での事も、先ほど初めて工具箱を落としたのも、どうしてなのかは分からない。
疑問が尽きず数多の中に残ったまま、整備の時間は過ぎていく。
勘当なんて言葉、小説の中でしか聞いた事がなかったし、実際に現実で聞く事も無いだろうと思っていた。大地主とかお金持ちとかいう自分とは全く違う身分の家族の話で、進学校に通っていて黒森峰に留学していても所詮は一般家庭出身の自分とは縁の無いような話だと思っていた。
だが、今まほから聞かされたことは紛れもない事実だろう。西住流とみほの間にある確執は聞いているし、しほが厳格な人物なのかも知っている。そして西住家がただの家庭とはまるで全然違うというのは百も承知。“勘当”と言う言葉が出てくるのも、頷けてしまう。
『・・・・・・こんなことを君に話して・・・申し訳ないと思っている』
「・・・・・・・・・・・・」
正直な話、ただの友達ぐらいの関係の人であればこんな重い話を聞かされると辟易してしまうだろう。もしかしたら途中で遮ったり投げ出したりするかもしれない。
だが、織部は違う。友達と言うのは少し違うが、西住流と黒森峰戦車隊の事情を知りすぎてしまっている。その発端には織部の知りたいという知識欲もわずかにあったが、それを知っているまほもこうして織部に話をしてきたのだ。
そしてなぜ話をしたのか、その理由はこの前聞いた。黒森峰でみほとまほの全国大会決勝戦後の真実を知り、正確には黒森峰の人間ではないからだ。
織部は知らないが、まほは前まで織部がまたエリカに責め立てられることを考慮してあまり相談を持ち掛けなかったのだ。実際、エリカはもう織部の事を内情偵察やスパイ扱いはしておらずすでに和解しているのだが。
それはともかく、また話すようになったのは。
『・・・誰かに話せずにはいられなかった。この話を自分の胸だけにしまっておくには、私はまだ弱い』
「・・・・・・・・・隊長は、弱くなんて・・・」
あのまほが自らの事を弱いというのならば、自分は一体何なのだと織部は思う。もはや形容することもできないほど貧弱か。
だが、まほが電話の向こう側で首を横に振っているのが分かる。
『いや、皆からは“西住流後継者”や“国際強化選手”などと囃し立てられているが、今日やこの前のようにこうして君に話をしている時点で、私もまだまだだという事が分かる。本当に強い人とは、誰にも弱音を吐いたりこうして相談したりはしないだろう』
「・・・それは、違うと思いますよ」
『何?』
まほの言い分を聞いて、織部は口を挟む。まほは少し困惑したようだが、それでも織部は素直に思った事を口にする。
「本当に強い人は、自分だけで問題や悩みを抱え込まずに、素直に人にそれを話すことができて、皆と協力することができる人です」
『・・・・・・・・・・・・』
「だから、今こうして僕に自分の悩みや弱音を話してくれた西住隊長も、強い人ですよ」
『・・・・・・・・・・・・』
「逆に全部を自分一人で抱え込もうとし、1人で全てを成し遂げ解決しようとする人は、いずれどこかで壊れてしまい、失敗します。たとえ今が成功していても」
前の僕がそうだったように、と織部は心の中で付け加える。
中学でいじめられていた時、周りを信じずに自分1人だけでやっていくしかないと思い込んでしまった結果、織部は心と体を壊してしまい学校に通えなくなってしまった。あの時、自分1人だけでどうにかしようとせずに、友達を頼っていれば少しは状況も変わっていたのかもしれない。
今となっては確かめる術はないけれど、全てを自分一人で抱え込もうとする人こそが一番強い人だとは、少なくとも織部は思えなかった。
あくまで織部の持論だったが、心が不安定な今のまほにはそう思っていてほしかった。
「・・・・・・すみません、知ったような口を利いてしまいました」
『・・・・・・いや、その言葉を聞けただけでも、君に話をした価値があると言うものだよ』
織部の言葉で、まほも少し緊張が取れてしまったらしい。
思えば、ただの留学生で、まほとは住む世界が全然違う一般平民の自分がまほに意見してアドバイスをするという事自体、稀であり烏滸がましい事だと思うが、それをくよくよ気にしていてはまほの力になる事はできない。
力になるのは、まほの本音を聞いてしまった以上は避けては通れない道だ。本音を聞いたうえで後は自分1人でどうにかしろ、というのは無責任だ。
「織部、聞いてるの?」
「・・・・・・あ、はい。なんでしょう?」
「いや、だからパンターの資料を持ってきてほしいんだけど」
「わ、分かりました。すぐに」
私の指示を聞いて、弾かれたように棚から資料の挟まれたファイルを取り出す織部。その資料にはパンターのスペックと各搭乗員の適正能力が全て記されているので、膨大な量となっているのだ。
フラフラしながら資料を抱えて机に置く織部。私は一言『ありがと』とだけ言って、資料に目を落とす。
(・・・・・・それにしても)
織部の事は最初、いけ好かない男だと思っていた。私の尊敬する西住隊長に取り入ろうとして近づき、思い出したくもないだろう去年の事を思い出させて、全てを知ったような気になってアドバイスなんてした、分を弁えていない男だと。
だけど、その西住隊長から私自身のその認識も間違っていたと気付かされて、柄にもなく頭を下げて謝った。それ以来、織部とはまあ友達とまではいわずともそれなりの関係を築いている。
今こうして隊長が不在の時は、唯一の男子で戦車に乗らないからという理由で補佐を任せている。ただ織部1人では不安なので、恐らく織部と親密な関係にある赤星も補佐を務めてもらっている。
昨日まで、織部は真面目に補佐を務めていたし、通常の訓練の時でも審判を務めて、整備の際は皆の手伝いを進んでしている。これらから、織部は真面目な性格だというのが分かる。尤も、この黒森峰に異例の留学を決めた時点で相当な人だというのは分かっていたが。
その織部が、考え事をしていたのか何なのかは分からないが、私の指示を無視して突っ立っていたのがどうも腑に落ちない。戦車の整備の時間で工具箱を落としたのも、またそれと関係があるようで気になる。
何より、織部を見る赤星の顔が少し不安そうだった。
間違いなく、織部は何かを抱えている。
だが、所詮織部と知り合ってからまだ3カ月も満たない上に赤星や根津たちほど接してもいない私には、何を考えているのか全く見当がつかなかった。
陽が沈んでから少しして、織部と小梅は昇降口に来て帰る準備をしていた。
今日の訓練は戦車の整備だけだったので、戦車隊のメンバーは日没前に帰宅することができた。だが、織部と小梅は隊長代理のエリカの補佐役だったために、エリカの指示があるまでは帰ることができなかったのだ。そのエリカから、先ほど『帰ってよし』との指示を受けたので、2人はその指示の通りに帰宅する。エリカはまだ残って資料を読むらしく、織部と小梅は隊長代理で副隊長とはいえ、随分と張り切っているとしみじみと思った。
織部は靴を履き替えて帰ろうと思ったところで。
「春貴さん」
「ん?」
小梅に声を掛けられた。織部は別に疑う事無く小梅の方を見るが、小梅の顔が少し不安な色に染まっているのに気づく。
「・・・・・・ちょっと、うちに寄っていきませんか?」
小梅も、今日の織部の様子がおかしかったのには気づいていた。そして織部自身、今日は調子が悪かったという自覚がある。小梅はそれを悟り、織部を誘ったのだ。
こうなると、誘いを断ってしまえば余計小梅の事を心配させかねない事は織部にも分かる。
だからここで、小梅の誘いを断りはしなかった。
「・・・・・・いいの?」
「はい」
念のため、小梅に本当に大丈夫なのかを聞いておく。小梅が頷くと、織部は小梅と並んで小梅の部屋へと向かう。
学校を出て、人気の無くなった通学路を戻り、小梅の部屋へと到着する。
部屋に上がり、鞄を置くと小梅が先に冷えた緑茶を2人分用意してくれた。織部は『ありがとう』と言いながら、小梅に向かい合うように座る。
織部が緑茶を飲んで一息ついたのを見計らって、小梅が単刀直入に聞いてきた。
「・・・・・・春貴さん、何かあったんですか?」
「・・・・・・・・・・・・」
織部の今日の行動が、いつもと違って妙だった。体育の授業でも、昼食の時も、戦車の整備の時も、エリカの補佐をしていた時だって。
小梅が織部の事を見ていたからこそ、織部の違和感にいち早く気付くことができ、こうして今それを訊ねている。それだけ、小梅と織部は近しい存在だということを示していた。恋人同士なのだから、当然と言えば当然なのかもしれないが。
織部も、こうなった小梅に隠し事はできないと思い全てを話そうとする。
「・・・・・・・・・考え事をしていてね・・・。それで、ちょっと」
「考え事?」
だが、その考え事の内容を話すには、みほが勘当されるという事を話さなければならない。そうなれば、みほの事を案じている小梅の事だから確実に動揺してしまうだろう。
けれどここまできて、全てを隠すというのも難しい。それに、まほに『強い人は自分1人で問題を抱え込まない』と言ってしまったので、隠すというのも少し後ろめたい。
そして恐らく、あやふやに答えても小梅は引かないだろう。
「・・・冷静に聞いてほしいんだ」
「?」
まほのように前置きをして、小梅に心の準備をしてもらう(本当に準備ができているのかは分からないが)。
そして、一度唾を飲み込んで、告げる。
「・・・・・・みほさんが、勘当される」
小梅が息を呑んだのを、織部は確かに感じた。
小梅の目が見開かれたのを、織部は自らの目で確かに見た。
そして、織部はまほから聞いた事を全て話した。まほには心の中で申し訳ないと謝り、まほから聞いた内容をかみ砕いて小梅に伝える。
だが、話を聞いているうちに小梅の顔が曇っていき、小梅が落ち込んでいくのがひしひしと伝わってくる。
そして全てを話し終えた時には、小梅は目を閉じて、俯いてしまっていた。
この話は、小梅を動揺させるには、十分だった。勘当と言う言葉の重みは、そしてそれによってどうなるのかは小梅も理解している。
だが、みほが次の準決勝で勝てば、みほの勘当は見送られるという、僅かな希望だってある。その相手は昨年の優勝校と言う点を除けば、まだチャンスはある。勝つ可能性は、ゼロではない。
「・・・・・・・・・そんな話だったんですか」
それは小梅も分かっているようで、顔にはまだ不安な様子が表れているが、どん底まで落胆しているということは無かった。
しかし織部の考え事の内容は分かったが、なぜ織部がそこまで悩んでいるのかが、小梅にはまだ分からなかった。
「・・・・・・でも、どうして春貴さんがそこまで悩んでいるんですか・・・?」
はっきり言ってしまえば、この話を聞いたからと言って織部が悩みに悩み、日常生活に支障をきたすほど考え込む必要はないのだ。何しろ、織部にできる事など、ほとんどないのだから。
だが織部は、真剣にこの話について悩んでいる。それはなぜなのか。
「・・・・・・西住隊長に、何か具体的なアドバイスをできればよかったのに、できなかったんだ」
なぜ、まほが織部に相談を持ち掛けたのかは、小梅も聞いた。西住流ではない、正式には戦車隊の一員でも黒森峰の人間でもない織部であれば、そう言った同じ枠組みの中にいるからこその遠慮やためらいを感じずに話せると。
だが織部も、相談に乗っている以上はどうにかしてまほの中の蟠りを、完全に消すには至らずとも軽くしたいと思っている。だから、何かアドバイスの1つでも言えればよかったのに、織部が言えたのは、そうして心配なことを素直に吐き出せるまほが強い人とだけ。
その織部の言葉で、まほは最後に『心が少し軽くなった』と言っていたが、みほの勘当についてまほがどうすればいいこうすればいいとは言えなかった。
恐らくまほの中にはまだ、それについての心配事が燻っている。
それが織部は、悔しかったのだ。
「僕がもっと・・・何か言えればよかったのに・・・。そうすれば、西住隊長だって悩まなくても済んだのに」
織部の、頭を押さえながら悔やむような言葉を聞いて、小梅は何も言わない。
だが、すっくと立ちあがり、ゆっくりと織部の下に歩み寄る。そこで織部は顔を上げて小梅を見上げると、小梅は織部の後ろに腰を下ろし、優しく織部を後ろから抱き締めてきた。背中に何か柔らかい感触が伝わってくるがそんな事は二の次だ。
「?」
「・・・・・・春貴さんのその気持ちは、西住隊長の力になりたかったって気持ちは、すごく尊いものだと思う」
「・・・・・・」
「でも、力になりたいからって1人で全部を抱え込んで、そこまで落ち込むことは無いよ」
恐らく小梅は、信じている大切な人に対してはこうして、普段とは違う話し方で喋るのだろう。
前に落ち込み果てていた織部を励まし、告白した時もこの話し方をしていた。どうやら小梅は、織部に対して大事な話をする時は、この話し方になるのだろう。
それはともかく、織部に相談を持ち掛けたまほは当然、悩んでいる。
だが、織部はそのまほ以上にもっと思い悩んでいる。相談をされた側が、相談する側以上に悩むというのは、別に悪い事ではない。だが、それで日常生活に支障をきたすほど悩むのは少し違うと、小梅は思っていた。
「それに、春貴さんが相談を受けたからって、絶対に何かアドバイスをしなきゃいけない、って事も無い」
「・・・・・・」
「春貴さんは真面目だから、何かアドバイスをしなくちゃって、思い込んでるのかもしれないけど、そんな事はないんだよ」
小梅の言う通り、相談を受けた以上、何か1つでもアドバイスをしなくちゃならない、という法も規則も存在しない。だが織部は、真面目であるからこそ何かまほに具体的にこうした方がいいというアドバイスができなかったことを、悔やんでいる。
その織部の思い込みを、小梅はどうにかして解きたかった。だからこうして、織部と触れ合い、そして話をする。
「・・・・・・それに春貴さんは、西住隊長に『強い人だ』って言った。それだけで西住隊長も、安心したんじゃないかな」
「・・・・・・」
みほの勘当について、まほにどうこうした方がいいとは言えなかった。だが、その問題についてまほが自分の中の悩みを織部に打ち明けた事を、織部は素直に強いと言った。
小梅は、それだけで十分なのではないかと言って、織部に錘のようにのしかかっている悩みや不安を取り除こうとした。
「・・・・・・」
「あまり、自分1人だけで全てを抱え込もうとしないで。前に春貴さん、私に言ってくれたでしょ?」
小梅が戦車に再び乗る事が決まり、後輩の指導役を任された時、織部が言った事だ。『全部自分1人で抱え込もうとすると、昔みたいになる』と。
その言葉を教えた当の織部が自分1人で考え込んでしまうというのも、ちゃんちゃらおかしいものだ。
「・・・・・・そうかもしれない」
織部も、少しだが緊張が解けたようで、小さく息を吐いた。
「・・・ありがとう、小梅さん。ちょっと、気が楽になったよ」
「・・・良かったです」
そう言って小梅は腕を解く。織部の顔を見れば、先ほどまでの焦りや不安などの表情はなく、憑き物が落ちたかのように落ち着いていて、少し明るかった。
その織部の顔を見て安心した小梅は、『さてと』と言いながら立ち上がり、キッチンへと向かう。そしてオレンジのエプロンを装着して。
「もういい時間ですし、晩御飯にしましょう。ちょっと待っててくださいね」
どうやらこのまま2人で夕食にするつもりらしい。それについては賛成だし嬉しい申し出が、しかし譲れないことが織部にもあった。
「僕も手伝うよ」
「え、いえ・・・・・・春貴さんは・・・・・・」
座っていていい、と言おうとする小梅を優しく手で制する。
「流石に、何度も何もしないでただ待つだけっていうのは忍びないから、何か手伝わせてほしいな」
小梅が“そうしたい”から、料理を作るのは分かる。だからと言って、それは織部が何もしなくていいという理由にはならない。
男の織部が1人ただ何もせずに食事が出てくるのを待つというのは、少々不遜だと自分でも思う。だから、手伝いを進言したのだ。
そして真面目な織部は、こうなっては引こうとしないのも小梅は分かる。
「・・・・・・では、春貴さんは野菜を切ってもらえますか?」
「もちろん」
言われた通り、織部は小梅から渡された野菜を手際よく切っていく。極力自炊している織部にとってはそれは造作もない事だ。一
方で小梅は、冷蔵庫から新たに肉を取り出し、織部が切った野菜と共にフライパンで炒める。
やがて織部が野菜を切り終えると、今度は野菜と肉を炒めるのを小梅が織部にバトンタッチし、小梅は別の料理を作り始める。味噌を取り出したので、恐らくはみそ汁だろう。
せっかくだし、作り方を横目にでも見ておこうかな、と思っていると小梅が少し笑っているのに気づく。
「・・・どうかした?」
野菜を炒める手を止めず、小梅の事を横目に見ながら尋ねると、小梅がその笑みを崩さずに呟いた。
「・・・こういうの、なんだか新鮮だなって、思ったんです」
「・・・まあ、確かにね」
女子校の学園艦の寮で、男女が2人でキッチンに立って料理をするというのは、かなり違和感がある。しかしそれを新鮮と捉えるか間違っていると捉えるかは人次第で、小梅は前者の方のようだ。ましてや隣に立つのは、自分の恋人なのだしそう考えるのは自然と言えるだろう。
ところが。
「・・・・・・結婚したら、こんな感じなのかなって」
織部にとってその言葉は流石に予想外。野菜を炒める菜箸を落とさなかったのはファインプレー。
小梅の言葉を聞いた途端に織部は恥ずかしくなり、フライパンの中で炒め混ぜられる野菜に目を落とす。ちらっと、気づかれないように小梅の様子を見れば、小梅も顔が真っ赤になっていて盛大に自爆していた。
けれど今、小梅の顔を直に見たらすごい変な顔をしていると言われるに決まっているし、自分でもそんな顔をしている自覚はある。
「・・・・・・そう、なのかもね」
気の利いた事も言えずそんな曖昧なコメントしかできない自分が少し悲しい。
織部と小梅は、将来そうなる事をお互い誓い合っている。だから小梅の先ほどのような言葉が出てくるのもなんら不思議ではないのだが、普段大人しい小梅がそのような大胆な発言をするのが、意外過ぎて仕方がない。
この前の膝枕と言い先ほどの言葉と言い、付き合えば付き合うほど、小梅の意外な一面を垣間見ることができる。
「・・・・・・・・・意外と積極的で、大胆なんだね。小梅さん」
恥ずかしがっている小梅に追い打ちをかけるかの如き言葉。
それがせめてもの、織部の仕返しだった。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」
食事を終えて、食器を洗い終えて、帰る段階に差し掛かる。
あの後、お互いやたらと恥ずかしがっているのが可笑しくなって少し笑ってから、特にアクシデントもハプニングも無く料理は完成して2人は夕ご飯を食べた。
「・・・・・・ありがとうね、ごはん」
「いえ、春貴さんも作ってくれましたから」
「僕はそんな・・・・・・ただ野菜を切って炒めていただけだし」
実際、織部の手伝った事と言えばそれぐらいで、他には皿を並べるぐらいの事しかしていない。後は大体小梅がやってくれたが、小梅はそれだけで十分と言ってくれた。
もう少し自分でも料理の腕をあげて、お礼に何か振る舞いたいなと織部は頭で考えながら、靴を履いて部屋を出ようとする。
そこで。
「春貴さん」
「ん?」
小梅に呼ばれて立ち止まり、振り返る。
その直後、小梅が小さく口づけをしてきた。
「・・・・・・・・・・・・」
あまりにも、不意打ち過ぎてすぐに反応できない織部。対する小梅は、唇を離すと優しい笑みを浮かべていた。
「・・・また明日」
そう呟いた小梅の言葉に織部は。
「・・・うん、また明日」
それだけしか返せず、恥ずかしそうな、それでいて嬉しそうな笑みを浮かべて、織部は部屋を出て行った。
そして、織部が部屋を出てしばらくの間は、小梅はその場に立ち尽くしていた。
数秒。
十数秒。
数十秒。
1分。
「~~~~~~~~~~~~~!!」
やがて小梅は、声にならないような声を上げて顔を真っ赤にし、しゃがみ込んでしまった。
自分がどれだけ恥ずかしい事をしたのか、どれだけ恥ずかしいことを言ったのかを思い出し、恥ずかしくて穴があったら埋まりたいほどだ。
そして、部屋に戻った織部がこの小梅と同じようなリアクションを取った事を小梅は知らないし、小梅もこんなリアクションをしたことを織部は知らない。
ペチュニア
科・属名:ナス科ペチュニア属
学名:Petunia x hybrida
和名:衝羽根朝顔
別名:ペツニア
原産地:南アメリカ
花言葉:心の安らぎ、あなたと一緒なら心が和らぐ
周りから見た織部の印象を改めてはっきりさせる意味も兼ねた今回の話。
感想・ご指摘等があればどうぞ。