全員熊本県の地名由来です。
あくまで今作品オリジナルの名前ですので、原作とは一切の関係はありません。
予めご了承ください。
雪の降りしきる中、観客席に座る誰もがモニターを見つめている。先ほどまでの『頑張れ』や『負けるな』と言った激励の言葉も今はなりを潜め、緊張した面持ちで声も上げない。
それは観客席の後ろの方に陣取るまほとしほも同じで、この2人もモニターをじっと見つめている。
2人を含め観客全員が見ているそのモニターは、上下で2分割されていた。先ほどまで、上半分に映されていたのは、広い雪原をプラウダ高校の戦車隊から逃げ続けていた大洗女子学園のフラッグ車・八九式中戦車。下半分に映されていたのは、雪の集落を大洗女子学園の少数精鋭から逃げていたプラウダ高校のフラッグ車・T-34/76。
八九式はプラウダのIS-2からの砲撃を受け、T-34は待ち伏せていたⅢ号突撃砲から砲撃を受けて、両車輌ともに黒煙を上げてモニターの映像はぼやけている。
黒煙が晴れる。
IS-2に撃破されたと思われていた八九式は、装甲が吹き飛び、履帯も切られていたが、かろうじてまだ動けていた。
一方で、Ⅲ号突撃砲から砲撃を受けたT-34は、パシュッという甲高い音と共に白旗を揚げた。
『試合終了、大洗女子学園の勝利!』
モニターに大きく大洗女子学園の校章が表示され、さらに“WIN”という文字が浮かび上がる。
緊迫していた雰囲気が緩み、観客席からは歓声が上がり、誰もが拍手をする。
結果を見届けたまほも、決して表情には出さないが安心する。
今回の試合は、実に危なっかしかった。
大洗は戦車が1輌増えたが、それでも15輌いるプラウダとの戦力差は倍以上。加えて、慣れない雪原戦だから慎重に戦うべきだったのだが、大洗は早期決着を目論みまとまって前進。
だが、プラウダの釣り野伏戦法に大洗は嵌った。
隊を囮と伏兵に二分させて、囮部隊を敗走しているように見せかけて伏兵のいるポイントまで相手を誘導。そこで追ってきた敵チームを包囲殲滅する、戦車の保有数が多いプラウダが得意とする戦法だ。
大洗は、集落にある古びた教会風の建物にあえなく撤退。そこでプラウダの隊長・カチューシャからの降伏勧告を受け、3時間の猶予が与えられる。
最初、そこでしほは、帰ろうとした。
プラウダは、戦車の性能、数、練度の全てにおいて大洗を上回っている。その上フィールドのコンディションは雪とプラウダに有利。しかも教会の周りはプラウダに包囲されていて、外へ出ようものなら途端に蜂の巣にされるだろう。
誰がどう見ても、大洗に勝機などなかった。
しほは黒森峰出身で、黒森峰戦車隊が強く発展する黎明期を作った人物だ。それに西住流の師範でもある。故に、戦局を冷静に分析する能力も、彼我の戦力差を考える頭脳も、試合の結末を考える洞察力も、まほを遥かに凌ぐ。
だから、今の大洗がプラウダに勝つ可能性など限りなくゼロに近い、というかほとんど無いと分かっていた。
自分の言葉を曲げて、新しい地で勝手に戦車道をはじめ、世間に“間違った”西住流の力を広めたみほが、今ここで負けてさらに恥をさらす等、見るに堪えない。
勘当を言い渡すためにここへ来たが、それはいずれ本家に呼び出してすればいい事だ。
そう思いしほは席を立ったが、まほはそれを止めた。
まほはこの状況でも、まだみほの事を、みほたち大洗を信じていた。
ただ、猶予時間の間にみほを含めた大洗の隊員たちが珍妙奇天烈な踊りを始めて、それがクローズアップされてモニターに映し出された時は、まほも心の中ではひどく動揺した。隣に座っているしほは一切の表情を失っていたが、あれは確実に心の中で困惑していると、みほより1年長くしほの傍にいるまほには分かった。
ともあれ戦車を直した大洗は、猶予の3時間が終わると、プラウダの包囲網で一番厚い層を突いて突破。38(t)が囮となってプラウダの戦車隊を単騎で相手にし、1輌破損、2輌撃破の戦果を挙げるがすぐさま別動隊に撃破されてしまった。
そしてプラウダの戦車隊から逃げることとなる大洗は、窪地を脱出したところで隊を二分させて、プラウダ戦車隊からフラッグ車と護衛2輌はひたすら逃げ、残りの2輌はプラウダのフラッグ車を狙う。
この時、観客席のまほとしほを除く観戦客はほぼ全員が大洗を応援していた。判官贔屓と言うヤツだろうか。
やがて大洗のフラッグ車・八九式の護衛は全員IS-2に仕留められたが、八九式は驚異的な手綱さばきでプラウダ戦車隊の砲撃を避け続ける。その動きはもしかすると黒森峰以上にキレがあるぐらいで、まほも感嘆の念を抱いた。
一方で隠れていたプラウダのフラッグ車のT-34は集落の外周をぐるぐると逃げ回っているだけだと気付いた大洗はⅢ突を雪の窪みに埋めて待ち伏せさせる。
そしてT-34が近づいてきたところで発砲。同時に、八九式を追っていたIS-2も発砲し、今に至る。
当初、しほはみほに勘当を言い渡すためにここに来た。だがそれは恐らく、みほが負けた時だろうとまほは思っている。
だからみほが、大洗が勝利を収めた今、しほがどうするのかを身構えて待つ。しほがみほに期待しているというのも可能性の話で、まほの希望的観測でしかない。
だから、しほの口を突いて出る言葉を、まほは静かに待つ。
「・・・勝ったのは相手が油断したからよ」
その口から出た言葉にはしほの厳しさが籠められており、決してみほの事を評価しているわけではないというのが分かる。
だが、そのしほの言葉は少し違うというのがまほの素直な気持ちだ。
「いえ、実力があります」
「実力?」
しほが聞き返す。モニターが変わり、チームメイトから笑顔で囲まれるみほの映像が映される。そしてみほも、笑顔を浮かべて皆と話している。黒森峰では見られなかった、みほの素顔だ。
「・・・みほは、マニュアルに囚われず、臨機応変に事態に対処する力があります」
こうしてしほに意見をする事は、全くと言っていいほどなかった。それこそ、まだ西住流の後継者と言う自覚も薄かった幼いころぐらいしか、こうして母に意見をする事はなかった。
だが、それは今はどうでもいい。みほの力をしほに伝え、認めさせたかった。
「みほの判断と・・・心を合わせて戦った、チームの勝利です」
まほの言葉を聞き、少しだけ考えるように黙るしほ。そして、言った。
「あんなものは邪道・・・。決勝戦では、王者の戦いを見せてやりなさい」
どうやらしほは、みほの勘当を見送るつもりらしい。やはり、プラウダを破った事で新しい可能性を見出し始めているのかも知れない。真意は分からないが、まほは一先ずホッとする。
「西住流の名に懸けて・・・・・・」
みほが勘当されなくて安心しているのは確かだが、これで黒森峰の決勝の相手は決まった。
まさかとは思っていたが、こうして直接戦う事になるとは最初、それこそ抽選会の時は思わなかった。強豪校を3校退け、確実に強くなっている大洗。そして、素人の集まりをこうして全国大会決勝まで引っ張り上げてきたみほ。
みほが新天地で才能を開花させここまで成長できたのは姉として誇らしい。流石は私の妹だと、胸を張って言える。
だが、戦車道についてまほは妥協も譲歩も遠慮も手加減もしない。
それは、自分と共に歩んでくれる同じ戦車の搭乗員、戦車隊の仲間たち、さらに黒森峰の戦車道に憧れて新たに入隊した隊員たちにも失礼だからだ。
戦車隊の皆は、まほの事を慕い、信じているからこそまほについてきてくれている。その皆の思いを蔑ろにしないためにも、まほは全力で試合に挑む。
たとえ相手が友であろうと、恩人だろうと、血のつながりのある家族であろうと。自分と戦う相手には力の限りを尽くし、正々堂々と戦う。
それが、まほにとっての礼儀だ。
だから、みほの成長を見たい、みほの力を世間に認めさせたいと言う私情は胸にしまい込み、モニターの中で仲間と共に笑い合って勝利を喜ぶみほを見ながら、決意を告げた。
「必ず叩き潰します」
朝、通学路を歩く織部と小梅、そして同じクラスの根津と斑田。彼ら彼女らの話題は、もちろん昨日の準決勝の事だ。
「まさかプラウダにまで勝っちゃうとはねぇ・・・」
「強いな大洗・・・」
斑田と根津が感慨深そうに呟く。2人は、同期だったみほが大洗を率いていると知って、その動向が気になったのだ。プラウダ相手にどう戦うか、そして勝敗の行方が気になった。
そしてそれは織部と小梅も同じで、昨日の訓練が終わり、自室に戻ってからすぐに準決勝の試合結果を確認した。
結果は、プラウダが敗北し、大洗が勝利した。
戦車道ニュースサイトのトップにはこの試合の結果が表示されていて、さらには『大洗女子学園、優勝なるか』という記事も関連記事とされていた。
その記事を見てみれば、大洗女子学園のような戦車の台数も練度も圧倒的に劣る無名校が、強豪校を3校も下したというのは前例がなく、しかもその1つは昨年の優勝校ときたものだから、誰もが大洗女子学園の強さを認めることとなった。サンダースやアンツィオを倒したのはまぐれと評価した評論家も、その認識を改めさせられる。
そして今、大洗女子学園は優勝まで狙えるとまでされていた。相手が過去9連覇を成し遂げた、高校戦車道最強とされる学校であっても、破竹の勢いで勝ち進み圧倒的な戦力差をものともせず勝負をひっくり返してきた大洗女子学園なら、もしかすると・・・と。
他にも、この全国大会に出場したほぼすべての学校が大洗の優勝を信じているとか、大洗女子学園の地元の町は盛り上がっているとか色々と書いてあった。
「・・・・・・でもまあ、そうやすやすと優勝は逃したくないね」
その大洗の決勝戦で戦う相手は自分たち黒森峰だ。そして黒森峰だって優勝を狙っている。優勝して、志半ばで閉ざされた10連覇の夢をまた叶えるためにまた進みだす。だから、大洗が破竹の勢いで勝ち進んでいるからと言って、奇跡を起こすかもしれないからと言って、優勝を譲るつもりなどこれっぽちもない。
根津も斑田も、今この場にいない直下と三河も、それにエリカだって、目前に迫る優勝を目指して全力で戦う。
だが、そこで織部は自分の隣を歩く小梅の姿を見る。
小梅は、最近になって見せるようになった笑顔ではなく、何かを考えているような表情だった。
何を考えているのか、織部には少しだけだが分かる。
小梅は、みほがまだ戦車道をやっていて大洗を率いていると知った時、『みほとはいつか戦いたいと思っていた』と言っていた。それが現実のものとなっているのだから、少しは嬉しいのかもしれない。
ただ、その試合に小梅が参加できるかどうかはまだ分からない。決勝戦に参加する車輌は、恐らく今日まほが黒森峰に帰ってきていれば発表されるかもしれない。決勝戦のレギュレーションは、準決勝からさらに5輌増えた20輌となるからまだチャンスはある。だが、実際どうなるのかは、定かではない。
もし選ばれなかったら、小梅はただ指をくわえて黒森峰と大洗の試合を観戦するだけとなってしまうだろう。自分を助けてくれて、自分が戦いたいと待ち望んでいた人と戦う場が設けられているのに自分は参加できない、それがどれだけ切ない事か。
織部もどうにかしたかったが、策が思い浮かばない。まほに直訴するという手もあるが、『余計なことはするな』というエリカの言葉を忘れてはいないし、自分が他の人物からどう見られているのかも分からないので、それはできるだけ控えるべきだ。
とすれば、本当に手詰まりとなってしまう。
どうすればいいのか悶々と悩んでいる間に、黒森峰の校門をくぐった。
戦車道の時間になり格納庫の前に集まると、まほは既に帰ってきていた。
聞けば、昨日の準決勝は北緯50°を超えたところにある会場で行われたらしい。そこは日本の領土ではないが、ロシアと交友関係にあるプラウダ高校が全国大会の間だけ貸してもらっている場所だったそうだ。だとすればプラウダが有利になるように仕組んだ可能性もあるが、試合会場は戦車道連盟監視下でのルーレットで決められるので、不正のしようはない。もし不正だったとしたら大問題だ。
それはともかく、日本よりも北にある試合会場から黒森峰学園艦までの長時間の移動で疲れているだろうに、それすらも感じさせずまほはいつものように凛々しく毅然とした態度で皆の前に立っている。タフな人だと、織部は素直に思った。
そして今日は訓練終了後のミーティングで、予想した通り決勝戦に参加する車輌を発表する事となった。まほが不在の間にエリカが立案した作戦を基に、さらにまほが大洗の試合を直接観てどのような戦い方でどのような戦車を使えば勝利するかを綿密に計算して、そして試合に参加する戦車が決められる事となった。
この時織部にはもう、小梅が代表に選ばれることをただ祈るしか、願う事しかできなかった。
迎えたミーティングの時間。会議室に全ての車輌の車長+織部が集められ、全員が真剣な眼差しでまほとエリカを見ている。
「ではこれより、決勝戦に出場する車輌とメンバーを発表する」
まほが懐からメモを取り出し、エリカがホワイトボードに板書する準備をする。
「ティーガーⅠ1輌、ティーガーⅡ2輌」
まほの乗るティーガーⅠは確定、そしてエリカのティーガーⅡもそのまま。そして同じティーガーⅡが1輌追加された。
「パンターG型6輌」
パンターが1輌追加投入される。そして小梅の乗る車輌もパンターなので、もしかしたら、本当にもしかしたら小梅が参加できるかもしれない。
「Ⅲ号戦車J型3輌、Ⅳ号駆逐戦車/70(V)ラング4輌」
Ⅲ号戦車はそのまま、そしてラングが2輌追加。
「ヤークトパンター1輌、ヤークトティーガー1輌、エレファント1輌」
ヤークトパンターと重駆逐戦車2輌はそのまま。これで19輌だから後1輌はどの車輌だろうか。
そしてその最後の車輌とは。
「マウス1輌」
その車輌の名を聞いた瞬間、会議室内の誰もが息を呑み、驚愕に顔を染めた。
たった今、まほが試合に参加させると告げた車輌は、史上最強の超重戦車。練習にも出ることは無かった、黒森峰の隠し玉にして切り札だ。
そして決勝で対する大洗の練度は、恐らくこの場にいるほぼ全員が理解しているだろうが、戦車そのものの性能はたかが知れている。もちろん、マウスの装甲を抜くことができる車輌など1輌たりともいないという事だって承知している。それ以前に数だって、黒森峰の半分もいないのだから戦力過剰もいいところだ。
だがまほは、躊躇なくマウスを投入すると告げたのだ。それには間違いなく、大洗を叩き潰し、黒森峰の優勝を確固たるものとするという意志が籠められているのに気づかないほど、黒森峰戦車隊のメンバーも愚かではない。
空気がざわついたが、やがて落ち着いたのを確認すると、次にまほは試合に参加するメンバーを発表する。
「では次に、決勝戦に参加する車輌のメンバーを発表する。今回、車長の名前を呼びその車長の乗る車輌のメンバー全員が参加する事とする」
ごくり、と誰かがつばを飲み込んだ音が聞こえた。
「ティーガーⅠは私が。ティーガーⅡには、エリカと宮原」
エリカがホワイトボードに名前を書いていく。ただ、ティーガーⅠの下にはまほの名は書かず“隊長”とだけ書いていた。エリカ自身の事も、“逸見”と表記する。
「Ⅲ号戦車は三河、横島、松橋」
三河の名が呼ばれる。織部は、知り合いの名が呼ばれた事で少しだけだが嬉しさを抱いていた。
「Ⅳ号駆逐戦車は不知火、八代、菊池、竜北」
ホワイトボードに名前を書き進めていくエリカ。名前を書き終わるのを見計らって、まほは次に進む。
「ヤークトパンターは直下、ヤークトティーガーは水俣、エレファントは鏡」
直下もまた、連続で出場が決まる。嬉しいやら緊張するやら、抱く感情は様々だろう。
「マウスは根津」
元々、根津は黒森峰の所有する唯一のマウスの車長であるため、これについては驚きはしない。根津も、本来乗る車輌に乗れてもしかしたら嬉しいのかもしれない。
そして最後は、気になるパンターの乗員だ。
「パンターは斑田、天水、波野、姫戸、豊野―――」
これでパンター6輌のうち5輌は決まった。しかもこの5輌は準決勝にも参加していた。
さて後1輌は、誰が乗るのか―――
「赤星」
その名を聞いた瞬間、織部は自分の呼吸が止まったという事を覚えている。
この戦車隊で赤星と言う苗字の人物はたった1人しかいない。
他ならない、赤星小梅だ。
(・・・・・・・・・・・・・・・)
心の中で織部は息をつく。これで、小梅が試合に参加できなかったら、と言う心配事は無くなった。
そして今、決勝戦に出てみほと戦う事が決まった小梅はどんな気持ちなのだろう。嬉しいのだろうか、それとも不安なのだろうか。
何はともあれ、これで決勝戦に参加する車輌とメンバーはすべて決まった。代表に選ばれなかった隊員は、恐らくは残念がっているだろう。だが、選ばれた隊員も浮かれてはいない。
代表に選ばれたという事は、黒森峰の期待と覚悟を背負い、全国優勝をかけて粉骨砕身して戦うことを誓い、約束するという事だ。生半可な気持ちでは挑めない、重要な戦いだ。
そして代表に選ばれた者は、隊長のまほと副隊長のエリカからその実力を認められ、期待され、買われたというわけだ。その期待を裏切らないためにも、全身全霊を込めて戦う。
その意思を、代表に選ばれた者たちは全員が抱いている。
目に見えない闘気のようなものが、この会議室に漂っていた。
翌日から、また試合に向けての模擬戦へと変わった。だが、20輌対20輌の模擬戦は相当見ごたえがあるもので、迫力あるぶつかり合いを見せてくれる。
その中でも、異様な空気を放っているのは、他ならぬマウスだ。主力のパンターよりもはるかに大きいサイズで、動く音が普通と全然違う。普通の戦車の音が『ドドド・・・』だとすれば、マウスは『ガゴゴゴ・・・』だ。それだけ重量があるという事だろう。あんなのに轢かれたらひとたまりもない(マウスに限らず戦車に轢かれたらそうなるだろうが)。
肝心の模擬戦の様子だが、やはり高火力の黒森峰でもマウスには歯が立たないようで、どれだけ撃ってもびくともしない。履帯を狙っているが、マウスの履帯は他の戦車と違い、側面の上半分も守られていて、露出している部分が少ない。だから、狙いにくいのだ。唯一の救いは、マウスの動きが鈍いことぐらいだろうか。
そしてマウスと同じチームの1輌のⅢ号戦車が、虎の威を借る狐とばかりにマウスの後ろから敵戦車にちょいちょい攻撃を仕掛けている。それで近くに着弾したらマウスの後ろに引っ込んで機を待つ。実にいやらしい戦い方だが、マウスの装甲の厚さを利用しているので合理的とも言える。
さて、小梅の所属するパンター部隊だが、纏まりつつもフラッグ車を守れる位置について敵戦車に砲撃を続けている。そして守られているフラッグ車のティーガーⅠも隙を見て発砲し続けている。仲間に当てるフレンドリーファイアなどと言う初歩的なミスはしない。
激しい撃ち合いが続き、やがてマウスの所属するチームがフラッグ車を撃ち抜き勝利した。
ちなみに、実際の決勝でもフラッグ車はまほのティーガーⅠに決まっている。難攻不落の超重戦車マウスをフラッグ車にすれば負けないんじゃないだろうか、と織部は思わなくも無かったがまほはそれを良しとはしないらしい。
どれだけ打たれ強いマウスであっても、様々な戦局をひっくり返してきた大洗が、何らかの策を弄してマウスを撃破してくる事だってあり得る。そしてマウスの強さは隊の誰もが理解しており、『マウスがフラッグ車だから安心して戦える』と一種の油断を生んでしまうかもしれない。そこを突かれて負ける事も無きにしも非ずだ。
その油断を作らないために、そして自分が黒森峰の勝敗を背負っているという強い自覚を持つために、まほはフラッグ車を自分の車輌に決めたのだ。
そこで織部は、フラッグ車がやられて試合が終了したことを全車輌に告げて、格納庫へ戻るように指示して監視用の高台を降りて、ミーティングへと向かった。
大洗とプラウダの試合から4日後に、戦車道全国大会決勝戦は行われる。
場所は、富士山の麓にある演習場で、様々な地形を有しており範囲も広大だ。一部のファンからは戦車道の聖地と呼ばれている。陸上自衛隊の訓練場が近くにあり、毎年夏の終わりに一般公開される大規模演習は世間でも有名だ。
その決勝戦を明日に控えた今、その富士演習場に一番近い学園艦が寄港できる港・清水港へと黒森峰学園艦は航行している。対戦相手の大洗女子学園艦は、地元大洗に寄港してそこから電車で来るらしい。清水港は規模が他と比べて小さく、学園艦クラスの巨大船舶は1隻しか寄港できないらしい。
星がきらめく夜空の下で、織部と小梅はあの花壇を訪れていた。発端は織部が小梅から『少し会って話がしたい』と言われた事。大事な試合の前に少し不安な気持ちになってしまったのだろう、と織部は思い、その小梅の呼びかけに応じた。
その会う場所に指定されたのが、この花壇だ。
不思議と、この花壇の前なら色々と本音を話せるような気がした。それはやはり、最初に自分たちの辛い過去を正直に話し、そして2人が自分の素直な想いを告白できたからだろう。2人ともこの場所には、安心感を抱いていた。
「・・・・・・こんな時間に呼び出して、ごめんなさい」
「いいよ、気にしないで」
時刻は間もなく21時。明日の試合に備えて今日はゆっくり休むようにとまほから言われたのだが、こうしてこんな時間に外へ出歩いている辺り2人ともそれを破っているような感じがしないでもないが、それは今は関係ない。
「・・・・・・緊張してる?」
「・・・・・・・・・はい」
ここに来るまでの間、織部は小梅が何を考えていて、何を話したいのかをずっと考えていた。そして小梅の事を少しずつ分かってきた今、小梅は恐らく明日の決勝戦の事について考えていて、それについて織部と話がしたかったのだろう。
話をする、と言うよりは小梅の不安を織部に聞いてもらう、と言う言い方の方が正しい。
そして、織部もそれは分かっているのだと、小梅も理解していた。
「・・・・・・迷惑だったり、しませんか?」
「いやいや、全然」
それが不安で小梅は聞くが、織部は即答して首を横に振る。
「小梅さんが不安になっているのなら、僕はそれを取り除けるように全力で向き合うよ。それはもう、今までも、そしてこれからも同じ。だから、遠慮なんてする必要はないんだ」
「・・・・・・・・・」
「・・・話してごらん?」
優しい笑みを浮かべる織部。その笑みを見て小梅は、涙腺が緩みそうになるが堪える。
そして自分は、つくづく織部の事が好きなのだという想いが、胸の奥から込み上げてくる。
自分の座る位置を横にずらし、織部の横にぴったりと寄り添うようにくっつく小梅。そして、少しずつ話し出した。
「・・・・・・この前、私が代表に選ばれた時・・・最初はすごく、嬉しかったんです」
「・・・・・・・・・」
まほが決勝戦に出場する車輌とメンバーを発表し、小梅の名が呼ばれた時。小梅は最初は嬉しかった。
ただし徐々に、同じぐらいの不安も感じてしまうようになっていったのだという。
「・・・去年の事を、思い出してしまって」
「・・・・・・やっぱり、忘れられないよね。そう簡単には・・・」
「はい・・・。あれが原因で、私の黒森峰の人生は大きく変わってしまいましたから・・・」
もう過去の事、と簡単に割り切ることは不可能なぐらい、あの時の事は小梅の心に深く杭のように突き刺さっているし、それは簡単には取り除けないという事ももう分かっている。
「・・・春貴さんに出会って、私の話を聞いたうえで、私の傍にいてくれるって聞いて・・・。それは、本当に嬉しかったんです・・・。そして・・・・・・私と恋人同士になって、それだけで・・・あの時感じた悔しさや悲しさを塗り替えられるくらい、幸せな気持ちになれたんです」
「・・・・・・そこまで、僕の事は・・・」
「・・・・・・それぐらい、春貴さんの事が好きです」
正直、ここまで言われると織部は滅茶苦茶恥ずかしい。小梅の顔を直視できない。今の織部の顔は緩んでいるし、夜で暗いだろうが顔だって赤いだろう。
「でもやっぱり・・・その決勝戦に参加するって決まると、やっぱり不安な気持ちはどうしても浮かんできてしまうんです・・・。また、あの時みたいになったらどうしよう・・・って」
「・・・・・・・・・」
小梅が味わったような壮絶な経験と同列に語るのは少し無礼かもしれないが、織部は自分が中学の頃にいじめられ、不登校から復帰する時の事を思い出す。
あの時も織部は、またいじめられたらどうしようと不安に襲われ、前日は眠れないぐらいの恐怖に苛まれたものだ。
同じような目に遭うという根拠はないし、そんな確証も無いのだが、不思議なことに人とは悪い方向へと物事を考えてしまう。特に、真面目な織部だったからこそなおさら。
そして目の前にいる小梅もまた、織部と同じような事になっている。
「・・・また、あの時みたいに仲間の足を引っ張ったらどうしよう、私のせいで優勝を逃したらどうしよう、って・・・・・・」
織部の左腕から、小梅が泣きそうなぐらい震えているのが分かる。小梅は今、押し寄せる大きな不安に囚われている。放っておいてしまうと、心が砕け散ってしまいそうなぐらい、小梅の心は脆く、弱ってしまっている。
ならば、自分はどうするべきだろうか。そう考えて、織部は優しく小梅の肩を抱き寄せる。ただ少しくっつくような先ほどより、ずっと距離は縮まっている。抱き寄せる肩を、優しく叩いて気持ちを落ち着かせる。
「・・・落ち着いて、小梅さん」
「・・・・・・・・・」
あくまで優しく、丁寧に話しかける。小梅の緊張や、不安を解きほぐすように、一定のリズムで、優しく小梅の肩を叩く。
少しずつ、小梅の震えは収まっていく。織部は、自分の思う事を、素直な小梅に対する気持ちを伝える。
「・・・・・・小梅さんは今、不安や恐怖と戦っている。暗い気持ちから逃げないで、ちゃんと向き合ってる。小梅さんは強いよ」
「・・・でも、春貴さんに相談してしまって・・・」
「それは全然悪い事じゃない。むしろ僕だって嬉しいよ」
「え・・・?」
空いている手で織部は頬を掻き、少し恥ずかしそうにそっぽを向きながら答える。
「・・・・・・こうして、小梅さんっていう恋人が、自分一人で何でも抱え込まないで、僕を頼ってくれているのが、嬉しいから」
照れ隠しをするかのように、織部が『あはは・・・ちょっとクサかったかな』と苦笑いを浮かべながら呟くが、そんな事は全くなかった。
今の織部は、小梅の目には格好良くしか映らない。今なら、自分の全てをこの人に捧げられそうな気分だ。
その小梅の気持ちを知らずに、織部は続ける。
「・・・過去の事を思い出して、不安になる事は決して悪い事じゃない。むしろ、過去の失敗を忘れず覚えているから、この先成長していくことができる」
「・・・・・・・・・・・・」
「そして小梅さんは強い。だから、あの時みたいなことにはもうならない。僕はそう思う、そう信じてる」
「・・・・・・・・・・・・」
目を閉じて、織部の言った言葉を反芻する。
自分は今、成長している過程にある。その過程で、過去の失敗を思い出して不安に苛まれているところなのだ。
そして織部もまた、その言葉の通りここまで成長してきたのだろう。中学の忘れられない出来事があったからこそ、人よりも努力し続けて成長を遂げ、今この黒森峰にいる。
織部だから言える言葉だ。
「・・・小梅さんは、とても強い人だよ。そしてこれから、もっと強く成長できる。だから、もう失敗はしないはずだ」
「・・・・・・・・・・・・」
先ほどとは違う、心の中で蟠るモヤモヤは、無くなっていた。
だがそれでも、小梅の表情は晴れていないようで、その顔を見た織部もまた、少し不安な表情になる。
そこで織部は、少しだけ、小梅を勇気づけるためにある行動に出た。
「・・・・・・小梅さん」
「?」
小梅が織部の顔を見たところで、織部は小梅にキスをした。
それほど長い時間ではない。つい先日、織部が小梅の部屋を訪れてそして帰る時に小梅から不意打ち気味にされたキスと同じか、それより少し長い程度。
「・・・・・・・・・・・・」
そして唇を離し、小梅に向かい合う。小梅の顔からは、不安は消えていた。
「・・・これで少しは・・・不安は収まったかな・・・?」
それに対する小梅の答えは。
「・・・・・・はい、もちろんです」
先ほどの不安や恐れを感じさせない、優しい笑み。それを見れただけで、十分だ。
だが、先ほど自分のした行動があまりにも恥ずかしすぎて、顔を逸らす織部。小梅の不安が晴れた事に関しては嬉しいが、あれについてはもう忘れることもできないし、取り消す事も叶わない。
「・・・・・・春貴さん」
「・・・?」
そんな恥ずかしさに悶える織部に、小梅が声を掛ける。
何だろう、何を言われるのかが、今の織部にとっては恐ろしい。いや、まだ何か不安を抱いているようであれば織部は最大限の力を尽くして小梅に向き合うが、さっきの行動について色々言及されるのは、傷口に塩を塗り込むような所業だ。
だから、おっかなびっくり小梅に顔を向けると。
小梅が織部の両頬に手を添えて、今度は小梅の方からキスを仕掛けてきたのだ。
だが、お互いの唇が重なり合う時間は、先ほどよりも長い。むしろ、本当に初めての、ファーストキスの時よりも、ずっと長い。
前よりも少し強く唇を重ねる2人。
少しの間キスを続け、やがて小梅の方から唇を離す。
小梅の顔は少し上気していて、
「・・・・・・さっきの、お礼です」
一本取られた、とばかりに織部は小さく笑って目を閉じる。
「・・・・・・明日の試合、頑張ってね」
「・・・・・・はいっ」
もう、小梅の顔に不安はなく、目にも恐れや心配などの気持ちはない。後は試合に臨むだけだ。
黒森峰戦車隊の一員として、勝利をもぎ取るために全力で戦う。
その強い意志は、織部とつなぐ手に籠められていた。
黒森峰学園艦は、清水港に夜中の2時ごろに寄港した。
そして、試合に参加する戦車の積み下ろしを始めたのは早朝5時半。まだ日も昇っていない時間なので作業は慎重を期したが、どうにか全車輌を無事に降ろすことができた。後は近くの貨物駅から、戦車を貨車に乗せて東富士演習場の最寄の駅まで運ぶ。
ちなみにマウスだが、その重量は188tと破格の数値を誇っており、流石にこれほどの車輌は普通の貨車でも運べないので、大物車と言う特別な貨車で別口で運ぶ事になっている。だから、会場入りするのは他と比べて遅い。
そして会場に向かうまでの間、専用列車に乗り込み黒森峰隊員たちは駅へ向かう。
その道中、誰もが姿勢を正して私語の1つも口にせず黙って目的地に着くのを待つというほど黒森峰も堅苦しくはない。早朝5時半から戦車の運び出しをしていたこともあり、試合前に英気を養うために仮眠をとる者や、朝食を食いそびれてサンドイッチを食べる者もいる。織部の知り合いの中で、前者には直下と根津がそれに当たり、三河は後者に当たる。斑田はチームメイトと話しながら外の景色を眺めていた。
そんな中、小梅は少し窓を開けて外の流れる景色を見ながら目的地へ着くのを待ったが、その中で。
「・・・・・・赤星さん」
「?」
隣に座る、小梅が車長を務めるパンターの操縦手の玉名が話しかけてきたのだ。
「今・・・・・・少々お時間よろしいでしょうか?」
「はい、大丈夫ですよ。どうかしましたか?」
小梅がパンターの車長に復帰し、こうして1年の後輩の指導をするようになってから随分経つが、大分打ち解けることができた。最初はそれこそ、小梅は後輩の指導をした事も無かったし、後輩たちも小梅が1年先輩と言う事で遠慮する事が多くて、奇妙な距離感で接してきた。けれど、今ではそこまで緊張感を抱かずに話をすることができる。でなければ、今ここで小梅に話しかける事などなかっただろう。
「・・・私・・・こうした大きな大会に出場するなんて初めてで・・・しかもそれが決勝戦っていう黒森峰の優勝が懸かった試合だなんて・・・それで、正直ちょっと不安になってるんです」
そこで小梅は、ちらっと近くに座る、自分と同じ戦車に乗る搭乗員の表情を覗う。確かに、少し緊張の色が見て取れた。
無理もない話だろう。おそらく彼女たちにとっては初めての公式戦で、しかもそれが決勝戦と言う大舞台だなんて恐れ多いにもほどがある。
加えて相手は強豪校を次々と打ち破った大洗女子学園だ。だから自分たちの腕が果たして通用するのかと、恐れているのだろう。
「どうすれば・・・・・・緊張しないでしょうか・・・・・・」
初めての公式戦で緊張してまともに戦えなかったらと不安になっているのだろう。
だが正直言って、完全に緊張をほぐす方法はない。緊張しないと思い込んでも心のどこかで、緊張を感じてしまう。
だが、緊張を“無くす”方法はないが、緊張を“和らげる”方法はある。
「・・・私も、最初に公式戦に参加する時は緊張してました」
「赤星さんも?」
「はい。その時は、皆さんと同じように緊張してましたよ」
でも、と言って少し窓の外を見る。すぐにトンネルに入って真っ暗になってしまった。
「・・・自分がどうにかしなくちゃ、って思ってたんですよ。あの時は」
「?」
「他に、仲間がたくさんいるのに」
黒森峰の一員だからと言う強い自覚を持ってしまい、自分がどうにかしなければと思い込んで、余計に緊張をしてしまっていたのだ。
だが、自分の周りには、共に戦ってくれる多くの仲間がいた事に気付いたのだ。
「全てを1人でやろうとは思わないでください。皆さんと、仲間と力を合わせて、勝利を目指しましょう」
その言葉は、織部から教わった言葉を少しもじったものだ。自分1人で全てを抱え込もうとはしない、自分には共に戦う仲間がいる事を忘れてはならない。
それは誰に対しても言える言葉だ。
「・・・・・・でも、もし負けたら・・・」
そう思う事自体は悪い事ではない。負けるビジョンが見えないと思う事も悪くはないが、それは見方を変えれば驕り慢心していると捉えられる。
だが、負けると不安になっていると、その不安は試合に表れ、本当に負けてしまいかねない。
「・・・負けてしまったら、と言うのは可能性の話です。それに惑わされて勝機を逃しては、元も子もありません」
「・・・・・・」
「それに、ただ戦って負けるよりも、仲間と力を合わせて戦い負けた方がずっといいです」
「・・・・・・・・・」
「だから、勝つことを第一に考えてください。そして仲間と力を合わせる事も、忘れないでください」
小梅が告げると、玉名は小梅の言葉を目を閉じて理解し、良く噛み砕いて理解する。
「・・・分かりました!」
先ほどまでの不安はもうない、自信に満ちた表情を浮かべる玉名。
そして、近くに座る他の搭乗員たちも、同じような顔だ。中には、笑みすら浮かべる人もいる。
トンネルを抜けると、もうすぐで演習場の最寄り駅につく。
車内のアナウンスがそれを告げると、前方車輌にいたまほが小梅たちの車輌にやってきた。
「もうすぐ到着だ。準備をするように」
『はい!』
まほの言葉に、全員が大きな声で答える。いつの間にか、寝ていたはずの根津や直下、他の隊員たちも起きていた。
もうすぐで、大洗女子学園との決戦の地へとたどり着く。
立ち上がり、車輌のドアへと向かう隊員たち。その眼にはやはり、絶対に勝ち、優勝をもぎ取るという意志が籠められていた。
やがて列車は減速して、駅へと進入していく。
ルピナス
科・属名:マメ科ルピナス属
学名:Lupinus spp.
和名:羽団扇豆
別名:昇り藤、立ち藤、
原産地:南北アメリカ、地中海沿岸
花言葉:あなたは私の安らぎ、いつも幸せ、想像力、貪欲