出てきます。
ご了承ください。
食事を終えた織部と小梅は、店の面している通りへと出る。
会計は、小梅が『最初に会った時のお礼がしたい』と言って、頑なに織部が財布からお金を出すのを拒んだ。織部も女の子に全額払わせるというのは忍びないと思って、小梅が財布を取り出そうとするのを止めさせる。
最終的に割り勘という結果に落ち着いたが、小梅にはまだ少し負い目があるように見える。織部は小梅の事を思い『気にしなくていい』とは言ったが、恐らくそれでは小梅も吹っ切れないだろう。
お互いにそれぞれの寮へと向かう間、2人の間に会話はない。
織部は先ほどの店での会話で、何らかの単語が小梅を落ち込ませる原因になっていると分かっていた。けれど、その単語が何なのかが分からないために、迂闊に話しかけることができない。
一方小梅は、まだ織部との距離感が掴めていないために、何を話しかけようか迷っていた。落ち込んでいる自分の事を気遣って話題を変えたり、相談に乗ろうとしてくれたのは素直に嬉しかった。けれど、織部とはまだ出会って間もない。それが小梅の中に不信感を募らせる原因となっているため、話したくても話せない。
そんな調子である交差点に着いたところで、小梅が足を止める。
「じゃ、じゃあ・・・私の寮、こっちですので・・・」
「あ、ああ。うん、僕はこっちだから・・・それでは」
「はい・・・・・・」
曖昧な感じで別れてしまう織部と小梅。だが、小梅はそこで振り返って織部の事を呼び止める。
「あのっ、織部さん」
「・・・?」
小梅は、織部が心配してくれているにもかかわらず、何も話せない事が申し訳なかった。このままでは恐らく織部は、小梅の事を気にかけたまま、心に蟠りを抱えたままだろう。それを少しでも和らげるために。
「・・・また、明日」
笑顔を織部に向けて、明日また会う事を誓い合う。
最初に会ったあの時、小梅も織部も、もうお互いに会えないと思っていたが今は違う。小梅がいるのと同じ黒森峰という場所に、織部はいる。
だから、織部が心に蟠りを抱えたまま、もう小梅に会えないとは思わせないように、明日もまた会えるという事を、伝えた。
「・・・・・・はい、また明日」
織部も、微笑んで挨拶を返す。そして、背を向けて自分の寮へと戻って行った。
小梅は、そんな織部の背中を見つめたまま、肩を落とす。
(・・・・・・ごめんなさい、織部さん・・・)
まだ本心を話せるほど打ち解けてはいない織部に対して、自分の事を心配させてしまった事を小梅は謝る。
(でも、いつか・・・・・・あなたには、私の思いを聞いてもらいたい・・・)
だからこそ、心配をさせてしまった事への償いとして、いずれは自分の口から本心を告げなければならないと小梅は思っていた。
織部は1人で寮へと戻る間、小梅の最後の笑みを思い浮かべていた。
あの清らかな、澄んでいるような笑み。
思えば、あのような笑みを見たのは初めてだ。それほど小梅と出会ってから時も経ってはいないが、小梅はずっと落ち込んでいるように見えて、自然な笑顔と言うものを見たのはさっきが初めてだ。
だから織部は、小梅の笑顔を見ることができて少し安心した。
笑うこともできないほど落ち込んでいるようでは、流石に自分の手に余ることかもしれないと思っていたから。
ともかく、いずれは小梅の口から何があったのかを話してもらいたかった。少し図々しいという自覚はあるが、一度小梅が泣いているのを見た以上、その理由は知りたかった。
けれど、もしその理由を聞けたとしても、その後どうするかは織部にはまだ分からない。
だが、織部も他人から見れば辛い“過去”を背負ってきた者だ。普通に生きていては経験することができないだろう“経験”から、何かアドバイスができるかもしれない。
まずは自分が、小梅が本音を話すことができるように、心が開くまで待つことにしよう。
そうこう考えているうちに、自分の住む寮へと戻ってきた。
寮と言っても、2人以上で一部屋だとか、門限が決まっているとか、食事は寮の食堂でとか、そう言う寮ではない。ごく一般的な賃貸マンションのようなタイプの寮で、外見は違えど中身は一律して1Kの寮がいくつも艦上にある。どの部屋も一人一部屋で、基本自炊。けれど自炊できない人や、戦車道の訓練等で料理する時間が無い人のために学校の食堂は夜の9時ごろまで開いている。
寮の形式は基本的にどの学園艦も同じだが、聖グロリアーナのように食堂が付設されている寮があったり、中には一軒家を貸し出してルームシェアを推奨するような場所もある。学園艦上に実家があるという学生も少なからずいるが、どのような事にも例外はつきものだ。
元々、学園艦が存在する理由の一つに『学生の自主独立心を養い高度な学生自治を行うため』というのがある。なので、一昔前の学生寮のように大人が生活を管理せず、生徒一人一人に一人暮らしという形で自立をさせることで、自主独立心をより高めようという狙いも学校側にあった。故に、どの学校でも寮暮らしは推奨されている。無論、家具家電全てを学生に用意させるというのは負担が大きすぎるので、最低限の家具や家電はあらかじめ支給されている。
織部が留学中に滞在することを許されたのは、黒森峰の第2女子寮だ。ちょうどよく空き部屋があったので、留学期間が終わるまではここに滞在する事になっている。
貸し与えられた部屋は、最上階で一番階段より遠い所に位置している。少々不便ではあるが、所詮織部は仮でここに住む事になっているのだ。待遇に愚痴を言う資格はない。
部屋に戻ると、まだ見慣れていない自分の部屋が目に飛び込んでくる。壁に沿って置かれたベッドに小さなテーブル、ベッドとは反対側の壁に向かって置かれた学習机。何の変哲もない、ごく一般的な間取りとレイアウトだ。
織部は最初の登校日で緊張し、小梅に面と向き合って食事をして、小梅の泣いた理由と落ち込んだ原因を考えてしまい、知らないうちに気疲れしてしまった。
ベッドに仰向けに倒れこみ、天井を見上げる。
(・・・・・・ここまで、来たのか)
織部は、寝転んだまま自分の制服を触る。1年生の間通っていた高校の制服とは正反対のグレーのシャツを握り、自分は間違いなく黒森峰にやってきたのだと改めて実感する。
ほんの少しの間だけ、織部は目を閉じてここに来るまでの事を思い出す。
前に1年間だけ通っていた高校では、自分の真剣さと誠実さを認めてもらうために、必死に勉強をしてきた。それは、一般教養のみならず、戦車道の事もだ。
黒森峰への留学が決定した時は、クラスの男子共からは嫉妬と羨望の入り混じった視線を向けられた。戦車道を知らない人からすれば黒森峰は、ぶっちゃけ『女子のレベルが高いお嬢様学校』という認識だ。そんな学校に行けるなんて、羨ましい、代わってほしい。そんな悲喜こもごもな思いを背に受けて織部はここまでやってきた。
だが織部は黒森峰に別に遊びに来たわけではなく、将来のための勉強をしに来たのである。『周りが女の子ばかりだ!』なんて純粋には喜ばないし、心の中で喜びもしない。
中学の時は、明確に決まった将来のために、そして“失った3カ月”を取り戻すために人並み以上に努力を積み重ねてきた。
そして戦車道に初めて出会った時―――
「・・・・・・・・・・・・・・・」
そこで織部は、思い出しそうになる。
織部が戦車道と出会う事になった、そもそものきっかけを。
「・・・・・・・・・・・くっ」
あの時のことは、4年以上経った今でも思い出すだけで胸糞悪い。虫酸が走る。
織部は立ち上がって制服から私服に着替え、夕食の食材を買うために財布と携帯を持って準備する。一応、1年生の間にいた高校でも自炊はしていたので、新天地であっても生活できるスキルは持っている。
だが織部は、頭の片隅に浮かび上がった過去の思い出を払拭するかのように、乱暴に玄関のドアを閉めてスーパーへと向かった。
夜、小梅は自分の部屋の布団の上で、目を開けたままだった。
思い出すのは、織部の事だ。
初めて出会った時も、今日一緒に食事をしたことも、小梅にとっては全てが新鮮に思えた。落ち込んで泣いていた自分に声を掛けて来てくれたこともそうだし、今日のように家族以外の男の人と2人で食事をしたというのも初めての出来事だったから。
けれど、自分の表情はどこか沈んでいたという自覚はある。それで織部を心配させてしまったのも、分かっていた。
織部には悪い事をしてしまった、と小梅は思っている。
だが、小梅にはもう1つ思う事がある。
どうして織部は、そこまで自分の事を気にかけてくれているのだろうか?
単純に小梅の事を心配していて、小梅が悲しんでいるその理由を知りたいという気持ちもあるのだろう。
でも、それだけとは小梅は思えない。
織部の事を考えながら、小梅は静かに眠りに就いた。
翌朝、目覚まし時計の音で織部は目を覚まし、ベッドから身を起こす。
手早く制服に着替えて、テレビを点けながら朝食の準備をする。時間短縮のために、朝食はシリアルと決めていた。
シリアルを食べながら、織部はテレビのニュースを見る。政治、経済、芸能、様々なニュースが織部の耳に入ってくるが、一学生の自分が関係あるようなニュースは1つとして流れなかった。
朝食を食べ終えると後片付けをさっさとし、身支度を終えてからドアを開く。海の上にある故に潮の香りが漂う風が吹き、織部の身体を撫でる。
そして、自分が出たのと同じタイミングで、隣の住民も顔を出した。
その人物は、スラックスとスカートの違いはあれど黒森峰の制服を着ており、後ろにはねたセミショートの、黒に近い茶髪の少女だった。その少女もまた、同じタイミングで玄関から出てきた織部に気付いたのか、こちらを見る。そして。
「ああ、織部。おはよう」
織部はここで、この少女が自分の名前を知っていることに違和感を覚える。
織部は昨日、クラス内で自己紹介をしただけで、他のクラスの生徒に挨拶はしていない。とすれば、この少女は織部と同じクラスの人物という事になる。だが、昨日自己紹介をした織部のクラスメイトはゆうに30人を超えている。30人の顔と名前を全て1日で覚えるほど織部の記憶力は良くないため、この少女の名前は相手には申し訳ないが覚えていなかった。これに加えて誕生日まで覚えられていたら、正気の沙汰ではない。
「おはようございます。えっと・・・・・・」
名前が分からず困っていたが、少女は織部の気持ちに気付いたのか手を挙げて謝る。
「・・・ゴメン。まだここにきたばっかりだから、名前を憶えていないのも当然か」
ふっと笑いながら少女が改めて名を告げる。
「私は根津。戦車道をやってる」
「戦車道を?」
「ああ」
織部と、根津と名乗った少女は、同じクラスでせっかく朝挨拶をしたのだからということで一緒に学校へ登校する事にする。
話題はもちろん、根津が名乗った時に言った戦車道の事だった。
「根津さんも戦車道を?」
「そう、ポジションは車長で、乗ってるのはマウスだ」
マウス、と聞いて織部は我が耳を疑う。
マウスは、ソ連の新兵器に対抗するためにドイツが開発した『史上最強の超重戦車』と謳われる戦車だ。その重量は、黒森峰の主力戦車パンターG型のおよそ4台分、最大装甲は240mmと、とにかく一言で言えば『とんでもない戦車』だった。
ちなみに、黒森峰の所有する戦車は全てドイツのもので最低でも3輌ずつあるが、マウスに限っては1輌しかない。理由は、マウスの巨大さ故に維持する事が難しいのもあるし、装甲の厚さは魅力的だが自重で動きは鈍く実戦にはあまり向いていないし、しかも試作車輌が2輌しかできなかったという経歴からだ。
そのたった1輌しかないマウスの車長だなんて、織部は会えただけで妙に感動してしまう。
「あのマウスの車長だなんて・・・すごいです」
「いやいや。でも、マウスは普段練習にも試合にもあまり参加しないから、最近は専らパンターの車長を務めているよ」
謙遜してはいるが、褒められて悪い気はしないのだろう、根津の唇が少し歪んでいる。
「でもすごいですって」
「それほどでも。ところで、“あの”って言う事は、マウスの事は知ってるのか?」
「ええ、一応」
やはり、将来戦車道連盟で働く事を夢見ていて、そして戦車道の名門校の黒森峰に留学するのだから、戦車の事は覚えておいて損はないと思い、戦車道の事と戦車の基本スペックについて勉強はしてきた。と言っても、覚えているのはドイツ戦車と、他の国の有名な戦車ぐらいだったが。
「しかし、まさか黒森峰に男が留学してくるとはね。どうやったらこんなことできるんだ?」
根津の疑問は当然と言える。女子校に男子が留学してくるなんて話は、まるで聞いた事がない。
なぜそんなイレギュラーが通ってしまったのか。それには深い理由があるのだが、織部にとってそれは誰にでもおいそれと喋っていいような事ではない。
なので織部は、適当にはぐらかすことにした。
「まあ、色々ありましてね」
「ふーん」
根津はそれ以上深くは聞いてこなかった。あまり細かい事は気にしない性分なのだろうか。
そこで昨日小梅と別れた交差点に差し掛かり、ちょうどタイミングよく小梅と出会った。
「おはよう、赤星さん」
「やっ、赤星」
織部と根津が声を掛ける。しかし、小梅は。
「お、おはようございます・・・」
2人の姿を見て少しびくりと震え、ぎこちなくお辞儀をし、そのまま走り去ってしまった。
「・・・?」
小梅は、織部と根津の2人―――具体的には根津の方を見て何か怯えたような表情をしていた。それに気付いた織部は根津の顔を見るが、根津はキョトンとしていた。
「最近、赤星はあんな感じなんだよね」
「?」
根津の少し残念そうな、心配そうな声を聞いて織部は根津の方を見る。
「なんか・・・たまにあるんだよ。避けられているような感じが」
「避けられてる?」
「そう。特定の人を避けてるって言うか・・・・・・」
小梅が人を避け始めたのは、去年の全国大会―――もっと言えば、去年副隊長が黒森峰を去った後からだ。
実を言うと根津は、小梅が人を避けている理由については心当たりがあった。
「・・・・・・心配だ」
根津がポツリと漏らした言葉を織部は聞き逃さなかったが、決して深入りはしない。
自分は今は黒森峰の人間だが、あくまで仮で、昨日転入してきたばかりの新入りだ。ぽっと出の新入りがあれこれ聞いては印象を悪くしてしまう。それに、根津にも触れてほしくないところがあるかもしれない。
迂闊に聞くのは得策ではないので、織部は何も聞かないことにした。
1年生であれば、今日もまたオリエンテーションになるのだが、2年生以上はもう今日から一般授業に入る事になった。ちなみに織部は、春休み中に学校についての案内を受けていたので、勝手が違って分からないとかどこに何があるのか把握できないとか、その点については心配しなくて大丈夫だった。
1時限目から5時限目までは普通の授業、6時限目は選択科目だ。
選択科目は、戦車道、華道、茶道、書道の4つの中から選ぶのだが、やはりここは戦車道の強豪校、戦車道を選択する生徒は大勢いた。
選択科目以外の授業は、織部は1年の間は別の高校に通っていたものの、内容自体は普通の高校と大差ないので、何とかついていくことができた。
ただ、今日ではないが週に2、3回ある“ドイツ語”の授業だけは理解に苦しんだが。
後で根津に聞いた話によれば、建学時と比べると黒森峰とドイツの交流は若干疎遠になりつつあるが、それでも交流はまだ続いている。さらに、世界的に見てもドイツは戦車道に強い国とされており、黒森峰卒業後にドイツに留学してさらに戦車道を学ぶ生徒もいるらしい。だから、ドイツ語の授業があるのだ。
だが織部は、ドイツ語なんて『
ともあれ、通常の授業は特に問題ないので織部は一先ずホッとした。
4時限目を終えると、昼休みになる。
生徒の皆がドイツ人気質―――強い責任感と正義感を持ち、勤勉で真面目、しかも学校のモットーは『質実剛健』『謹厳実直』なので常に緊張感を持って生活している。が、休み時間はやはり適度に息抜きをするようで、休み時間になったばかりの教室の中は和やかな雰囲気に包まれている。
これからもちろん、織部は食堂へ行って昼食を摂るつもりだ。
けれど、1人で食べようとは思っていない。周りに女子しかいない状況で男子がたった1人で昼食を摂るというのは良くも悪くも目立つ。悪目立ちしたくない織部はそれを避ける事にする。
それに、小梅の事が気がかりだった。今日は今のところ、昨日のドイツ料理店の時のように陰口を叩かれている様子は見えないが、根津が今朝言っていた『特定の人を避けているように見える』という言葉が織部の頭に引っ掛かったままだ。
確かに根津の言う通り今朝、同じクラスであるにもかかわらず織部と根津と一緒に登校しようとはしなかった。小梅が別の人と待ち合わせをしていたり、急いでいたという可能性もあるが、あのぎこちない小梅の様子ではそのどちらの可能性も考えにくい。
とにかく、小梅から真意を聞きたかった。
そう思い織部は席を立つが、その前に織部に声がかかった。
「織部」
その声の主は根津。織部に向かって手招きをしている。どうやら、誰かが織部を訪ねてきたらしい。
仕方ない、小梅を誘うよりもまずはその来訪者の用件を伺うのが先だ。
そう思い織部は根津が手をこまねいているドアへと向かい、ドアから顔をのぞかせてその来訪者の顔を見る。
その人物は、焦げ茶色のミディアムヘアーで、織部とほぼ同じ身長。女性的な体つきが目を引くが、その瞳は大の大人でも怯みそうなほど鋭く、キリっとした表情で織部の事を見ていた。
その人物は、日本戦車道に置いて名を知らない人はいない人物だ。
もちろん、織部はその人物の名を知っていた。
「西住、まほ・・・・・・さん?」
スイートピー
科・属名:マメ科レンリソウ属
学名:Lathyrus odoratus
和名:麝香豌豆
別名:
原産国:イタリア・シシリー島
花言葉:別離、門出、ほのかな喜び、優しい思い出
根津・・・アニメ本編12話に登場したマウス車長。
『おい軽戦車!そこをどけ!』の人。
感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。