春に芽吹く梅の花   作:プロッター

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書きたいことがいろいろあったので、
少し投下が遅れてしまい、さらに話自体が長くなってしまいました。
申し訳ございません。

色々と踏み込んだ内容となってしまいましたが、
ゆっくりと生温かい目で読んでいただければ幸いです。


(ジンジャー)

 最寄りの駅からバスに揺られる事十数分。織部と小梅が降りたのは、閑静な住宅街のど真ん中にあるバス停だ。すぐそばの道路を走る車の音を除けば、夏にしては涼しい風に揺られてざわめく街路樹の葉の音ぐらいしか聞こえない。

 訪れた事のない、初めての地で織部は困惑と不安に駆られるが、小梅が『こっちです』と勝手知ったる様子で歩を進める。もちろん小梅は、それが当たり前であるかのように、当然であるかのように、織部と手を繋いでいた。

 交差点をいくつか曲がり、やがて『赤星』という表札が掲げられた1軒の家の前で小梅が足を止める。その家は何の変哲もない、ごく普通のデザインの家だが、織部の実家よりも少し大きめだ。

 こここそが、小梅の実家なのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 無意識につばを飲み込む織部。

 なぜこんなところにと問われれば、今日こそが、織部が小梅の両親との挨拶をする日だからだ。

 夏休みがおよそ半分を過ぎて戦車道の訓練が休みとなり、隊員たちはこの期間の間に遊んだり夏休みの宿題を進めたりして過ごす。

 だが織部と小梅は、この期間に差し掛かるまでの間に宿題をほぼ全て終えて、戦車隊の訓練が無いこの時、この日のために心の準備をしてきたのだ。

 だが、どれだけ準備はしてきたと思っていても、どこかしらにおかしなところがあるのではないかと織部は不安になっている。服は失礼のないように、スーツとまではいかないが小梅との最初のデートでも着た、手持ちの中で一番いい服。手には、ここに来るまでの間に買っておいた菓子折り。

 それに昨日も、ここに来るまでの道中でも、小梅はこう言っていた。

 

『そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ。私の両親は春貴さんに会いたがってますし、悪くは思っていないみたいですから』

 

 そう言われても、じゃあ気兼ねなく行ける、緊張なんて感じない、と言えるほど図太い精神を織部は持ち合わせてはいない。小梅がそう言っていても、小梅の両親が本当にそう思っているかは結局は分からないので、昨日の夜は不安と心配でろくすっぽ寝ることができなかった。

 そして、小梅の実家を前にして織部の緊張は最高潮を迎えており、身体の中の臓器や血管までもが小刻みに震えているような感覚に陥っている。

 小梅の両親に認められないのなら、認められる男になるまでだと思い自負していたのに、いざその場を前にするとこうも平静でいられなくなってしまうとは。もしその言葉を言う機会になったら、果たしてちゃんと舌が回ってそう言えるのかどうかも疑わしい。

 緊張のあまり顔が青ざめてしまっている織部の様子に気付いたのか、小梅が織部の手を強く握る。

 

「大丈夫です」

 

 その声に、織部は小梅の方を向く。小梅は、安心させるように織部の手を握っていて、そしてその顔は笑っていた。

 

「何があっても、私は、春貴さんの味方ですから」

 

 それは、例え小梅の両親が反対する事になろうとも、小梅は織部の傍にずっといて、織部と結ばれる将来を信じているのだろう。

 小梅はもう、疑わずに未来を見据えている。そして織部の事を、そこまで好いていてくれている。

 これを男冥利に尽きると言うかどうかは分からないが、今自分が不安定では小梅を不安にさせてしまうし、本当にその未来が閉ざされてしまうかもしれない。

 そうなる前に、まずは自分がしっかりしなければ、と織部は自分を奮い立たせる。一度深呼吸をして、小梅を見る。もう、顔は青ざめてはいない。

 

「・・・・・・もう大丈夫。ありがとう、小梅さん」

 

 その織部の言葉を聞き、織部が頷いて、表情に笑みを戻したのを見て、小梅はインターホンを押した。

 

 

 彼氏・彼女が相手の両親へ挨拶に行くのは、険悪とまではいわずとも緊迫した雰囲気になるのが、織部には容易に想像できた。ごくたまに見るドラマや、よく読む小説でも、和気藹々とした雰囲気は見受けられない。

 そして、相手の両親から色々と質問攻めにされて、重箱の隅を楊枝でほじくるかのように問い詰められる事だって、少なからずあるだろう。

 もちろん織部も、そうなる事態はあらかじめ予想していたし、交際及び結婚を認めてもらうのもそんなに甘くはない、決して簡単な道程ではないという事だって覚悟の上だ。

 だからこれから織部自身が小梅の両親と話をする際も、そんな一時も気が抜けないような感じになってしまうのだろうと思った。せめて、話している最中に、緊張のあまり胃に穴が開くなんてことが起きないように祈るぐらいだ。

 けれど。

 

「君が・・・織部春貴君、だね?」

「は、はい」

「遠いところよく来てくれたね。歓迎するよ」

「ど、どうも・・・」

 

 畳張りの居間に通され、テーブルを挟み織部と、小梅の父親が対面して正座で座る。小梅は織部の隣に座り、織部と自らの父の挨拶を微笑ましく見ている。テーブルの上には、織部の買ってきたお茶菓子が用意されているが、織部は口も付けないし、気が抜けなくて付けられない。

 一見、小梅の父は織部に対して不快な、もしくは疑うような態度を見せてはいないように見える。むしろその逆で、織部に対して実に友好的に接してきてくれている。

話すうえでは小梅の父の顔を見なければならないが、その表情は柔和で、どこかしら小梅に似ているところがあった。

 

「飲み物は、麦茶でよかったかしら?」

「あ、どうも・・・お気になさらず・・・」

「いえいえ、そんな畏まらなくていいんですよ」

 

 木のソーサーと氷の入った麦茶のコップを織部と小梅、そして小梅の父の前に置くのは、小梅の母だ。少し癖のある赤みがかった茶髪は、やはり小梅に似ていると思った。面白いほどに小梅は、父と母の特徴を受け継いでいる。

 さて、小梅の母が小梅の向かい側に座った事で、織部と、小梅の家族全員が一堂に会し、本当の“挨拶”が始まることとなった。

 小梅の父は友好的な態度で接してくれたし、小梅の母も一見すると織部を敵視しているようには見えない。

 だがそれで緊張がほぐれるかと言うとそんなはずはなく、むしろその逆で自分の事を内心ではどう思っているのか、織部は不安で仕方が無かった。

 家族が揃ったので、織部は改めて自己紹介をする事にした。

 

「・・・初めまして。小梅さんと、お付き合いをさせていただいております、織部春貴と申します。よろしくお願いします」

 

 お辞儀をすると、小梅の両親も『ご丁寧にどうも』とお辞儀を返す。織部の中にある語彙力を駆使してできるだけ丁寧にあいさつをするが、変なところはなかったようだ。

 

「小梅から、大体の話は聞きました。しかし、黒森峰で彼氏ができたと聞いた時は、とても驚きましたよ。それに、その先のことまで考えていると聞いて・・・」

 

 小梅の母が織部の方を見ながら苦笑したように言う。確かに、黒森峰は知っての通り女子校だ。そして学園艦という限られた土地にあるのだから、共学でもない限りは同年代の男性は基本的にいないと言っていい。そこで彼氏ができたと聞いて、驚かないはずはない。

 

「小梅は、君は戦車道の勉強をするために黒森峰に来た、と説明していた。だけど改めて、君の口からその経緯を聞きたい。話してもらえるかな?」

 

 小梅の父が織部に問う。やはり、織部の黒森峰に来た経歴は普通の人が聞けば変な事だろう。女子校に男子が留学するのは普通は考えられない。

 織部もそれは聞かれることは分かっていたので、話す準備はできていた。だが、自分が中学生の頃、何をされたのかを話すかどうかは、まだ決めあぐねていた。こんな話をしても同情を誘うようで卑怯と思えるし、暗い話題を出して空気を悪くしたくはない。

 かといって嘘をついて隠し通すのも少し後ろめたい。

 どうしたものかと悩むが、先に小梅の母が話しかけてきた。

 

「小梅が言っていたんです。織部さんは、ずっと小梅の事を支えてくれたって。小梅と同じように、織部さんも傷ついていて、だから支えてくれるんだって」

「そう。だから僕たちは、小梅をここまで元気づけてくれた君の過去を知りたい。もちろん、話せない事があるのならそれでもいい」

 

 小梅の父も、母に同調する。

 どうやら小梅は、織部が過去に受けた事を、はっきりとではないが両親に伝えている。という事は、小梅の両親も織部が過去に何かをされて心に傷を負った事に、恐らく気付いている。

 ならば、隠し通す事はいよいよもって難しくなるだろう。それに隠し通せたとしても、小梅の両親の心に疑問を残す事になってしまう。

 だったらもう話してしまった方が、小梅の両親の胸のつかえを無くすことができる。

 

「・・・・・・分かりました。話します」

 

 順を追って、織部は全て話した。

 中学の頃に織部はいじめを受けて学校に通えず、そこで織部は黒森峰の戦車道を見て、戦車道の世界に引き込まれた。何度か試合を観ているうちに、戦車道連盟の理事長と知り合って、連盟本部を見学したり、理事長と話をしたりして、将来戦車道連盟に就く事を決意した。

 そのためには戦車道の勉強をする必要があり、強豪校での教養を積むために織部は黒森峰に短期留学することとなった。

 戦車道の強豪校には、共学のサンダースやプラウダ等があるはずなのに、なぜ女子校の黒森峰に留学となったのか。それは、織部が黒森峰の戦車の戦いを見て自分を変えたから、という連盟の気遣いもある。

 

「「・・・・・・・・・・・・」」

 

 そこまで話して、織部は一度小梅の両親の顔を見る。案の定、2人とも苦い表情を浮かべていた。

 それは織部がいじめられていたという事実を聞いたから、だと思われる。いや、そうに違いない。一応、どんな仕打ちを受けていたのか詳細は言わなかったが、それでも他人からすれば十分に重い過去だったようだ。

 人が虐げられる様と言うものは、文章で見るだけでも、言葉で聞くだけでも、反吐が出そうになるものだ。ましてやそれが、当事者(被害者)の口から語られるとなれば、その過去の重さや辛さは笑い事では済まされないし、聞き流せるほど軽いものではない。

 

「・・・そうでしたか。そんな事が・・・」

 

 そう呟く小梅の母の言葉は重々しかった。織部の詳細を知っても、どうコメントすればいいのか分からないのだろう。それは別に責められないし、責められる立場に織部はない。

 一方で小梅の父は、大きく頷いて織部の顔を見据える。

 

「そして君は、黒森峰に留学して、小梅に出会ったと」

「はい」

 

 それから織部は、小梅との馴れ初め、そして今日までの経緯を話し出す。

 最初に小梅に出会ったのは新学期が始まる前の3月の春休み。黒森峰学園艦にある公園の、桜の木の下で小梅が泣いていたいのに織部は偶然気付き、そして声をかけたのがきっかけだ。

 その時織部は、泣いている小梅を見て放っておくことができなかった。まず、泣いている女の子を見て見ぬふりして素通りするほど織部も薄情ではなかったし、実際慰めて少しばかり言葉を交わして、昔の自分のように心に“何か”が突き刺さっているのだと気付いた。

 だがその時は深い事は聞けず、一度別れてしまった。小梅も、自分の気持ちに折り合いがついていなかったし、初対面の織部に対して不信感を抱いていたので多くを話す事はできなかった。

 だが新学期で2人は再会を果たし、少しずつ打ち解けていき、やがて小梅は織部に自分の過去何があったのか、最初に出会った公園でどうして泣いていたのかを話した。

 

「小梅さんは、絶望に近い状況にいるのに、黒森峰に居続ける理由を、教えてくれました。試合で小梅さんの事を助けてくれた西住みほという人の行動が、間違っていなかったことを証明するために、小梅さんはどれだけ矢面に立たされても非難を浴びても、黒森峰に残っているんだと」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 小梅の両親は大きく頷く。小梅は、少しだけだが笑っていた。

 

「そんな強い意志を持つ小梅さんを、僕は尊敬せずにはいられませんでした。小梅さんは、心が強くて、それで強い信念を抱いているんだと、気づきました」

 

 そして、自分が責められるのが怖くてみほを庇えず後悔していた小梅に、織部は激しく同意した。自分もまたいじめられていて、周りの人間がいじめに巻き込まれたくないからと敬遠されていたのを覚えていたから、小梅の言っていることも、気持ちも全部が分かった。

 やっとできた、織部という数少ない繋がりを断ち切るまいと必死にあがくその気持ちも、織部には痛いほど理解できた。

 そして小梅の過去の話を聞いてもなお、織部は小梅から離れる事も、嫌いになる事も無かった。

 

「・・・春貴さんは、言ってくれたの。『自分が辛い環境にいるのに信念を持って今を耐える事は、誰にでもできる事じゃない、すごい事だ』って」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 小梅に、織部が実際に言った言葉を言われて織部も少し恥ずかしくなる。

 

「そして春貴さんは、『そんな人を責められるはずが、嫌いになるはずがない、ずっとそばにいる』って、言ってくれた」

 

 そこで、小梅の両親は笑ってくれた。先ほどまでの織部の話を聞いていた時とは、正反対の表情だ。

 だが、小梅の言葉を思い返してみると、織部も少し恥ずかしくなる。まだ小梅とそこまで親しくなかった間柄だったのに、随分と踏み込み、かっこつけた言葉を言ってしまったものだと思う。

 けれど、結果的には本当にずっとそばにいる事になるのかもしれなかった。

 

「小梅さんが強い信念を持って今を懸命に生きているのを傍で見てきて、そして小梅さんが本当はとても心優しい性格をしているのに気づかされて・・・。そして何より、悲しい表情ばかりを見せていた小梅さんが見せてくれた笑顔が、とてもきれいで、可愛くて・・・・・・それで、僕は小梅さんの事が好きになりました」

 

 織部も、ここまで小梅の事を良く言ったことはない。小梅も、初めて自分がここまで言われたので、恥ずかし気に手をもじもじとする。

 

「・・・・・・小梅さんの気持ちが分かる、何て言ったけれど・・・。小梅さんの受けた仕打ちに比べれば、僕の受けたいじめなんて大したことじゃ・・・」

「いや、そうは思わない」

 

 そこで、小梅の父が否定してきた。織部もハッと顔を上げる。

 

「人が傷つけられることに、大きいも小さいもない。織部君は、心を傷つけられる痛みを知っていたから、小梅の気持ちを理解して、小梅の話を聞くことができて、小梅の事を褒めることができたんだと、僕は思う」

「・・・そうね、確かにその通りよ。それこそ誰にでもできる事じゃない、同じように過去に心に傷を負っていた織部君だからこそ、できる事だったんだと私は思うわ」

 

 小梅の両親に諭されて、織部も押し黙る。

 今度は小梅の父が、少し申し訳なさそうな表情を小梅に向けた。

 

「小梅の黒森峰での事情は、あらかたですが電話で聞いていました。どんな状況にあって、自分はどんな気持ちでいるのかを」

 

 恐らく小梅は、最初は全部自分1人で何とかしようと背負い込んでいたのだろう。だが、周りからの敵意やプレッシャー、自らの中で膨れ上がる罪悪感などに耐え切れず、小梅は親へと電話をしたのだろう。その心を押し潰すかのような大きな暗い感情を吐き出すかのように。

 

「本当は、親である僕たちが小梅のところまで行き、直接話を聞いて慰めればよかった・・・。けれど、両親として恥ずかしい話・・・・・・僕らは働いていて、時間が作れなかった」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 悲痛な顔をする小梅の両親。確かに働いている身であれば、学園艦と言う海の上を常に移動し続けている場所まで行く時間を作るのは難しい。

 

「・・・だから僕たちは、ただ小梅に『そこまで辛いのなら辞めてもいい。逃げてもいいんだ』と、逃げ道を作る事しかできず、小梅に向き合って話をすることができなかった・・・」

「・・・・・・私たちでは、小梅を助けることができなかった。小梅が心に負った傷を、癒す事ができなかった」

 

 2人とも、後悔しているという思いが言葉に滲み出ているぐらい、辛そうな口調で話をしていた。

 

「だから、織部・・・いや、春貴君」

「?」

 

「僕ら親にはできなかった、小梅に真摯に向き合って、小梅の心を癒し、そして昔のように笑うまでに小梅を立ち直らせた君には、本当に感謝をしているし、そして何より君を信じている」

「・・・・・・・・・・・・」

「君なら・・・・・・小梅を幸せにしてやれると」

 

 そう告げる小梅の父は、僅かに笑っていた。そして、織部は小梅の父の言葉の“本当の意味”を、理解した。

 だから織部は、いっそう引き締まった表情をする。

 そして小梅の母は、小梅の方を見た。

 

「・・・小梅」

「・・・・・・うん」

「あなたは、春貴さんの事をどう思っているの?」

 

 そう聞かれた小梅は、最初からその質問を待っていたと言わんばかりに、淀みなく答える。

 

「春貴さんは、辛い過去を経験して人を信じられなかった私の事を心配して、私の過去を聞いても私の傍にいると言ってくれたのが、とても嬉しかった・・・」

 

 織部と、小梅の両親は、静かに小梅の言葉を聞く。

 

「迷惑だったかもしれないのに、私が弱音を吐いたりしても春貴さんは優しく、誠意をもって私と向き合ってくれた。私の傍で、私を支えてくれた」

 

 そこで言葉を切り、スッと息を小さく吸い込んで、自分の嘘偽りない正直な気持ちを告白した。

 

「だから、私は・・・優しくて、誠実な春貴さんの事が、大好き・・・・・・ううん、愛してる」

 

 愛してる、とまで言われたのも織部は初めてだ。気恥ずかしい言葉を告げられて、織部も頭がかゆくなる。頬が赤くなっていくのが鏡を見なくても、顔が熱くなるので分かる。

 小梅の両親は、小梅の言葉を聞くと、顔を見合わせてうんと頷いた。

 そして、2人は織部の事をじっと見据える。

 

「・・・・・・春貴君」

「・・・はい」

 

 心臓が高鳴る。口を固くつぐむ。脚の上に置く己の手を強く握りしめる。手汗がにじみ出て、ズボンの手を置いている辺りが少し湿ったが、構うものか。

 今、織部が集中するべきは、小梅の両親から告げられる次の言葉だ。この緊張感は、人生で一度も経験した事が無いものだ。

高校入試の合否発表なんて目じゃないぐらいだった。

 小梅から告白を受けた日、エリカに詰問された時とはまた違う緊張感。

 黒森峰に留学してから少し経ち、しほと2人だけで監視用高台にいた時とも違う緊張感。

 人生で一度も経験したことはないぐらい強く、大きい緊張感だ。

 いつまでもこんな気持ちに苛まれていては、織部の心は押し潰され、砕け散ってしまうだろう。

 そして、織部の緊張がピークを迎えたところで、ついに小梅の父が口を開いた。

 

 

「・・・・・・どうか、小梅をよろしくお願いします」

「小梅を、幸せにしてやってください」

 

 

 小梅の父がそう告げると頭を下げ、小梅の母も続き、同じように頭を下げる。

その言葉はすなわち、織部が認められたという事だ。

 小梅と将来添い遂げる事が、許された、認めらたという事だった。

 

「・・・・・・はい・・・っ!」

 

 嬉しさと、緊張から解放された事で、涙腺が少し緩んでしまい、涙がにじみ出てしまうが、それでも強い意志を込めた返事を返す。そして、自分の中にある感謝の気持ちを勢いの良いお辞儀で返した。

 織部の隣に座る小梅は、嬉しさが抑えきれずに、微笑みながら涙を流していた。今すぐにでも織部に抱き付きたかったのだが、親の前でそれは恥ずかしすぎる。後で、2人きりになった時に、この思いを織部に伝えたい。言葉では伝えきれない嬉しさを、織部に示したい。

 だから今は、とめどなく流れる涙を拭うだけに留めておいた。

 だけど、その涙はこれまでに流したどの涙とも違うぐらい、温かくて、それでいて、泣いていてとても心地がよかった。

 嬉しかったから、だという事は分かりきっている。

 

 

 

「医者・・・ですか・・・また、すごい職業ですね・・・」

「いやいや、そこまで大それたものじゃあないよ」

 

 織部と小梅、2人の交際と婚約が認められた後は、これまでの張りつめた緊迫感などつゆほど感じさせないように、4人でおしゃべりをすることとなった。緊張のあまり口の中の水分が飛んでいたので、織部は氷が溶けて少し薄くなった麦茶を飲む。

 聞けば、小梅の父は医者であり、市内の大きな病院に勤めているようで、受け持つのは消化器内科だと言う。織部が、ストレスで胃を痛めやすい性質なのでもしかしたらお世話になるかもしれない、と冗談めかしに言うと一同は笑った。

 小梅の母は税理士で、両親ともに今なおバリバリ働く現役だった。凄い血筋に小梅は生まれたのだなと、一介のサラリーマン家庭出身の織部はそう思わざるを得なかった。

 医者と税理士と言う、一見何のつながりも無いような職業の2人がどうして結婚したのかそれが気になったが、アプローチを仕掛けたのは母の方からだったと言う。仕事柄、ストレスを溜めやすく胃に不調をきたした際、まだ研修医だった今の小梅の父と出会い、真摯な対応と優しい雰囲気に惹かれたらしい。そして交際を経て結婚したという。

 中々にロマンチックな出会いだなぁと、織部は思ったし、この馴れ初めを初めて聞いたという小梅も同じようなことを思った。

 そんな2人は共働きで忙しい身ではあっても、小梅が中学に進学して学園艦で1人暮らしをするまでの間は、精いっぱいできる限りの愛情をこめて小梅を育てたという。

 そして小梅の両親は、将来織部が戦車道連盟に就くことができるように応援すると、言ってくれた。そう言われては、織部もいよいよ決意を固めなくてはならない。いや、既にその決意は固まっているし、後戻りをするつもりも無いのだが、それでも改めて絶対その夢を実現させると決意した。

 そんな中で、織部はふと、庭に1本の木が生えているのに気づく。その木は花も葉も落ちてしまっていたが、枝の感じからして何の木かは分かった。

 

「すみません。あれは・・・・・・梅の木ですか?」

「ん?ああ、その通りだ。小梅の名前の由来にもなった木だよ」

「え?それ初耳だよ・・・父さん?」

 

 どうやら、あの梅の木が小梅の名のルーツというのは小梅も初耳だったようで、身を乗り出し、困惑したように聞いた。

 そこで小梅の父は、改めて話す事にした。

 

「小梅が生まれるずっと前から、あの梅の木はウチに生えていたんだ。それで、少し調べてみたら、梅の花言葉は多くあり、『約束を守る』や『忠実』、『澄んだ心』など色々、それもいい花言葉ばかりだった」

「・・・・・・そうだったんだ・・・」

 

 小梅が納得したようにうなずく。

 

「それで思ったんだ。生まれてくる子供も、その花言葉にあやかって優しい心を持って育ってほしいと。それで子供の名前には、『梅』という字をつける事に決めた」

「・・・・・・」

「そしてあなたが生まれて、女の子だから、小さな梅の花のように可愛らしく育ってほしいと願い、“小梅”という名前にしたのよ」

 

 感慨深そうに小梅の父が頷き、小梅の母もにっこりと笑っている。どうやら、小梅の名を決めたのは父の方だったようだ。そして、小梅がその花言葉の通りの正確に成長してくれたのを、今改めて実感し喜んでいるだろう。

 小梅も、そこまで自分の事を思ってそう名付けたのだと知って、嬉しいという気持ちが込み上げてくる。

 織部だって、小梅の両親の思い、願いは、しっかりと小梅の中に根付いていると思わずにはいられなかった。

 

 

 気づけばあっという間に夕食の時間になり、花嫁修業という事で小梅と、そのアシストで小梅の母がキッチンに行った。自炊している身だしただ待っているのも気まずいので、織部も手伝うと具申したが、小梅と小梅の母から『ゆっくりしていていいのよ』とやんわりと断られ、今は小梅の父と共に居間でテレビを鑑賞しながら待っている。

 やがて、どこか懐かしさを感じるようなにおいが漂ってきて振り返ってみれば、エプロン姿の小梅が大きなお皿を台所から持ってきて、それをテーブルの上に置いた。ちらっと見てみれば、それはやはり肉じゃがだった。

 そしてそんな事より、食器を運ぶぐらいのことはするべきだと織部が脳で考える前に行動に移す。小梅の母から『気を遣わなくていいのに』と言ってきたが、織部は『いえいえ』と笑いながらせっせと食器を運ぶ。

 やがて全ての料理がテーブルに載り、4人全員で食卓を囲み、『いただきます』と告げて、まずはみそ汁を一口。

 

「美味しいです」

「ありがとう」

 

 どうやらこのみそ汁は小梅の母が作ったもののようだ。そして、メインディッシュの肉じゃがを取り皿に盛り付けて、食べる。

 まず第一に、美味いと感じた。

 その次に、懐かしさを覚えた。

 

「・・・・・・作ったの、小梅さん?」

「あ、はい」

 

 聞いてみると、小梅は頷いてくれた。そして驚いたように、小梅の父と母は織部の方を見た。

 

「小梅が作ったって、どうして分かったの?」

「あー・・・何度か食べた事があって、それでなんとなくそうかなって思いました」

「ほう」

 

 なぜ小梅が作ったと分かったのか小梅の母が聞いて、織部は何度か食べて小梅の肉じゃがの味を覚えたと言う。それに真っ先に反応したのは小梅の父だ。

 

「小梅の料理を食べた事があったんだね?」

「ええ・・・試験勉強中に、小梅さんにドイツ語を教わった時とかで・・・美味しかったです」

 

 織部の言葉に、小梅の両親はふっと小さく笑う。

 

「先に胃袋を掴んだとは、小梅・・・やるじゃないか」

「若いっていいわねぇ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 親に茶化されて小梅が顔を真っ赤にして俯いてしまう。だが、胃袋を掴んだという表現はあながち間違ってはいないし恥ずかしがる小梅も可愛いので、織部は訂正もしないし、助け舟も出さない。

 和やかな雰囲気のまま夕食の時間は進み、そろそろ全員が食べ終わる頃合いになったところで、小梅の母が織部に話しかけてきた。

 

「泊っていくんでしょう?」

「はい・・・・・・小梅さんからは3泊、と聞いていたんですが・・・本当によろしいんですか?」

 

 小梅の両親と話をする事が決まった際、泊りがけになるという事は聞いていたので、一応それなりの準備はしてきたが、それでも泊るというのは少し緊張するし遠慮も覚える。

 

「良いんですよ、もっと春貴さんと話をしたいですし」

「それに明後日は、近くの神社でお祭りもある。良かったら2人で行ってくるといい」

「・・・・・・では、短い間ですが・・・お世話になります」

 

 織部がお辞儀をして、小梅の両親も笑う。

 そして全員が食べ終わると、今度は流石に織部も食器の片づけを手伝い、さらに小梅の父も手伝った。

 その後は皆で緑茶で一息つく。そこで、小梅の父が話題を切り出してきた。

 

「春貴君のご家族の所にも行くのかい?」

「ええ。ここをお暇する明々後日に、そのままウチの実家へ行こうと思います」

 

 その質問に答えるのは織部。織部の実家へ小梅を連れて行くのは、この小梅の実家から帰る日と同じと織部の実家には伝えてある。

 

「僕らはもう、春貴君と小梅が結ばれるように応援する。もし、春貴君のご家族が2人の婚約に反対するようなら、僕らも2人に加勢するよ」

「・・・・・・ありがとうございます」

 

 小梅の父が、小梅の母と共に織部と小梅の応援をしてくれる。それはありがたい事なのだが、夏休み前の小梅と織部の母の電話を聞く限り、そこまで悪い気持ちを抱いてはいないと思うので、その心配も必要ない、とは思いたい。

 そこで、小梅の母がドアを開けて顔を出してきた。

 

「お風呂湧いたけど、春貴君先に入る?」

「いえ・・・僕は一番最後で大丈夫です」

 

 認められても、一番風呂を貰うまでにはまだ織部も気が緩んではいない。一家の大黒柱であろう小梅の父を差し置いて、というのは流石に烏滸がましいし、申し訳ない。

 

「じゃあ小梅先に入る?」

「私も後でいいよ」

 

 小梅も一番風呂を辞退する。となると、先に入るのは小梅の父と母のどちらかだろうと織部は思う。別に自分はいつ入っても構わないし、むしろまだ赤星家の人間ではないので一番最後だろうと適当に考えながら、緑茶を啜る。

 と、そこで小梅の父が。

 

「何なら春貴君と小梅の2人で入ったらどう?」

 

 超ド級の爆弾発言を落とした。

 気管に緑茶が入り込み盛大に咽て咳き込む織部。ゆでだこのように顔が真っ赤になる小梅。

 小梅の父は『あ、冗談だから。本気にしないでいいから』と取り繕うように言ったが、小梅の母から見れば、悪気は本当にないのだろうが、あまりにも2人が動揺しすぎているので“冗談”と称して、半ば本気で言っていたようにしか思えない。

 2人が落ち着いたところで、風呂の順番は小梅の父→織部→小梅の母→小梅と決まり、織部と小梅に動揺という名の最大級の被害をもたらした爆弾低気圧の中心たる小梅の父はそそくさと風呂場へ消えてしまった。

 

 

 一番最後に風呂に入ることとなった小梅だが、現在一糸まとわぬ姿で湯船につかっている。

 既に前に3人入っているので、少し風呂の温度がぬるくなってしまっていたが、それでも十分心地良い温かさだ。追い炊きをするまでもない。

 さて、風呂に入る前は父親の冗談とは思えないような発言に、織部ともどもひどく動揺したが、少し時間を置いたところで風呂に入って身も心もきれいに洗ったので、今では少し落ち着いて―――

 

「~~~~~~~~~!!!」

 

 いなかった。むしろその逆だ。頭の中がごちゃごちゃになるぐらい、動揺していた。

 父が変なことを言ってしまった上に、今こうして実際に風呂に入って余計困惑してしまっている。

 その理由としては、織部が自分よりも前にこの風呂に入ったからだ。もちろんお湯を張り替えてはいないので、かなり強引で飛躍した解釈をすれば、織部と小梅は間接的に一緒に風呂に入った事になる。

 そう考えなければいいものなのに、小梅と織部の交際と婚約が正式に認められた事と、父の自称冗談なぶっ飛んだ発言のせいで意識せざるを得なくなってしまっている。

 

(父さんの・・・バカ・・・!)

 

 気持ちを落ち着かせようと、小梅は頭ごと湯船に身体を沈ませ、目を固く閉じる事にした。

 

 

 風呂上がりの小梅の姿を見て、織部も呆然とその姿にしばし見惚れてしまった。

 風呂上がりで髪が少し湿気っていて、頬も少し紅くなっている、淡い色のパジャマを着る小梅は、どこか可愛らしさと色っぽさを併せ持っているような気がした。

 けれど、まだ先ほどの小梅の父の発言が尾を引いていて、上手く顔を合わせることができない。ちなみに織部の寝間着だが、普通にTシャツとスウェットだ。

 さて、と言いながら全ての元凶の小梅の父は椅子から立ち上がり、壁に掛けられている時計を見る。

 

「2人とも、今日は移動で疲れているだろうしそろそろ休んだ方がいいよ」

 

 確かに小梅の父の言う通り、今日は朝から移動を続けていて、この小梅の実家に着いたのも昼過ぎだった。だから正直、長時間の移動で疲れてはいる。それに両親との話し合いで織部は小梅以上に緊張し、精神的に疲れていた。

 

「・・・うん、そうする」

 

 小梅も疲れているのか、父の意見に従う。織部も少し肩を回して、あくびを1つして気になる事を聞いた。

 

「僕は何処で寝ればいいですかね?空いてる部屋があればそこで構いませんけど・・・」

 

 部屋を出ようとした小梅の動きが止まる。時計を見上げていた小梅の父が織部の方を見る。台所で食器を片付けていた小梅の母が織部の方を見る。

 場の空気が一瞬で変わったのに織部は気付き、織部の頭の中に嫌な予感がよぎる。織部の人生およそ16年間で養われてきた勘が警鐘を鳴らす。

 そして小梅の父が、何をおかしなことをとでも言いたげな表情で織部を見て、決定的な言葉を告げた。

 

「小梅と一緒に寝るといいさ」

 

 それ見た事か。

 織部はその答えをある程度予想していたし、そもそも婚約が認められた時点で予想できたことだ。

 肝心の小梅だが、案の定困惑しきっている。顔なんて風呂上がりにしては赤いし、手は口元に添えられている。無理もない事だろう。先ほどの(織部には本気か冗談かは判別できないが)一緒に風呂に入るという提案よりは幾分マシとはいえ、それでもハードルが高すぎる事だ。

 織部自身心の準備ができていないのと、小梅が明らかに冷静ではないので、言葉には出さず目と表情だけで『それはちょっと・・・』と伝えるが、小梅の両親は笑って織部の事を見ているだけだ。一切表情を崩さないので、困惑を通り越して恐怖に変わる。

 それだけ小梅の父と母は、織部の事を認めているという事だし、織部なら『大丈夫』と信じているという事だ。それは、織部にもハッキリではないが分かる。

 

「・・・春貴さん」

 

 そこで、後ろから声をかけられた。件の小梅だ。

 もしかしたら『ギギギ・・・』という音でも出そうなぐらい、人形みたいにゆっくりと首を回し、小梅の方を見る。小梅はもう、覚悟を決めたというように真っ直ぐな瞳だ。顔はまだ赤いが、それを除けばその顔はさながら、戦車に乗っている時と同じような表情だ。

 

「・・・もし、春貴さんが良ければ・・・・・・一緒に・・・その・・・・・・」

 

 どうやら、『一緒に寝ましょう』と言うのは少し憚られるようで、最後の方はもごもごと口ごもってしまう。

 ここまで女の子に言わせるのも男として情けない事なので、織部も腹を決めて頷いた。

 

「・・・・・・分かった。一緒に寝よう」

 

 

 

 小梅の先導で、織部は小梅の部屋に通された。黒森峰とは違う、ここが本当の小梅の部屋だ。それだけで緊張感が5割増しだし、ましてや一つ屋根の下で一緒に寝るとなるとこれまでとはまるで全然勝手が違う。

 ドアを開けて、小梅が部屋の電気を点けると、部屋が白色LED電灯で照らされる。

 黒森峰の部屋と同様、明るいパステルカラーが目立ち、実に女の子らしいという感じの色合いだ。ホコリやちりも無いし、小梅がいない間も掃除がきちんとされていたというのが分かる。

 違うところといえば、部屋の広さもそうだし、そこそこ大きい本棚があることぐらいか。その本棚には多くの本が収められていて、有名な絵本や小説などがある。恐らく、中学校で学園艦暮らしが始まる前の小学生ぐらいまでで小梅が興味を持った本なのだろう。

 

「ちょっと・・・恥ずかしいですね・・・」

 

 黒森峰では何度か織部がお邪魔しているのであまり気にならなかったのかもしれないが、実家の自分の部屋に家族以外の男を迎え入れるのは初めてだったようで、少し恥ずかしそうだ。

 そして部屋に先んじて入った小梅が、真っ先に学習机の上に置かれていた写真立てを伏せる。恐らく、小梅の幼少期もしくは黒森峰にくる以前に撮った写真なのだろう。

 見られると恥ずかしいから見せたくない、という気持ちは分かる。織部だって、過去の自分が写っている写真を見るのは、自分でも恥ずかしいものだ。小学校や中学の卒業アルバムだって、ろくに開いた事も無い。そして何より自分の写る写真を他人に見せたことだってない。

 だから、幼少の小梅はどんな感じなのかという好奇心はそっと胸に仕舞い、写真立てはスルーした。

 そして小梅は、部屋のベッド―――どう見てもシングルサイズ―――に腰かける。織部もただ突っ立っているわけにはいかないので、致し方なく小梅の横に座る。

 

「「・・・・・・・・・・・・」」

 

 そしてお互い、何も話すことができなくなってしまった。

 これから2人は、一緒に寝る。付き合い始めてから3カ月近くが経過するが、一緒に寝た事など一度たりともない。それは絶対1人で寝る時とは感覚は違うし、2人だけでデートをする時ともまた違う感じになるというのは流石に分かる。

 ちらっと織部は、今自分が腰掛けているベッドを見る。学園艦の小梅の部屋で見たベッドと比べると少し大きいが、それでもシングルサイズのこのベッドは、どう見積もっても2人で寝るには狭い。

とすれば必然的に、織部と小梅は身体をくっつけて寝なければなるまい。

 それが嬉しいかどうかと聞かれれば、織部は嬉しいと答えられる自信がある。だが、そう思っているのは織部だけで、小梅は不安だ、心配だと思っているのではないだろうか?そんな疑念を感じてやまなかった。

 男と一緒に寝るなんて小梅だって初めてだろうし、だからこそ、“何か”されたらと不安を募らせているのかもしれない。

 男の織部ですら委縮しきっているのだから、小梅が緊張しないはずはない。

 やっぱり別の部屋を用意してもらった方がいいかもしれない、その方がお互いのためだ。という考えが頭をもたげたところで。

 

「は、春貴さんっ」

 

 小梅が話しかけてきた。だがその語調には焦りが見え、緊張を隠せていない。織部も一旦思考を切り離して小梅の方を見る。

 

「ね、寝ましょうか」

 

 小梅が織部の手に、自分の手をそっと重ねて問いかけてくる。先ほど見せた、覚悟を決めた時と同様に、小梅は色々と思うところがあるだろうにこうして勇気を振り絞り、そして織部を信じて一緒に寝るように促してくる。

 そこまでされると、別々で寝るという選択肢が雲散霧消し、織部も踏ん切りがつく。

 

「・・・うん」

 

 まず先に小梅が布団に入り、そして織部が『失礼します・・・』と言いながら同じ布団に入る。そして電気を消せば、もうほとんど視界は奪われたも同然だ。

 だが、やはりベッドがシングルなので2人並んで仰向けに寝ると言うのは難しく、身体を横に向けなければならない。

 だから織部は、小梅とは反対側を向き、壁に身体を向ける。小梅もまた同様に、織部と反対側を向いて背中合わせで寝転がる。だがそれでも、身体は触れてしまう。どこが当たってるとかは関係ない。

 電気を消して、一刻も早く眠りに就いてこの緊張感から早く解放されたいと願うこと10分ほど。織部は目が冴えたままだ。

 小梅はどうなのかは分からない。もう寝てしまっているのか、それともまだ起きているのか。分からないけど、もし眠っていたらと思うと『起きてる?』と聞いてみる事もできない。

 明日は寝不足確定か、と織部が諦め、せめて眠りやすいようにと目を閉じたところで、変化が起こった。

 背中越しの小梅が、寝返りを打ったのだ。もしかして寝相があまり良くないのかな?と織部が悠長なことを考えていると。

 布団の中で小梅が織部の事を背中から抱きしめてきた。

 

「・・・・・・」

 

 目を見開く。布団の中で、小梅の身体が織部と密着し、色々と当たっている。これでは眠気の“ね”の字も浮かび上がってこない。

 心臓が胸を突き破りそうなぐらい高鳴る。もしや自分は今日で人生の幕を閉じるのか、と明後日の感想を抱いていたところで、小梅が呟いた。

 

「・・・・・・ずっと、こうしたかった」

「・・・・・・?」

 

 それは寝言なのか、はたまた起きているのか。だが織部はすぐには応えられず、壁を向いたまま、小梅の言葉に耳を傾ける。

 

「私の事を好きになってくれた理由を、経緯を話して、それで私の父さんと母さんが春貴さんの事を認めてくれて・・・・・・それがとても嬉しくて・・・。私の中で、ただただ嬉しいって気持ちがどんどん大きくなっていって・・・それで、こうしたかった・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 次第に、小梅の声が涙ぐんでいるように聞こえてくる。

 

「よかった・・・・・・・・・・・・よかったぁ・・・」

 

 織部を抱くように回された小梅の腕が、きゅっと織部の身体を優しく抱く。

 自分は馬鹿だと、織部は改めて思った。

 あの時、『小梅をよろしくお願いします』と小梅の両親に言われた時、小梅は泣いていたではないか。それだけ小梅は、嬉しかったのだ。それなのに自分ときたら、ただ認められた事だけに気を取られ、“小梅と一緒になれる”という事にまで気付けなかった。

 小梅がどれだけこの事を喜んでいたか、嬉しく思っていたのかを分かってやれなかった織部は今、自分の事を恥じた。

 だから織部は、自分の腰に回された小梅の手を優しく解く。それで織部が起きていると分かり、手を解かれたのが残念だったのか、小梅は『あ・・・・・・』と少し残念そうに声を洩らす。

 そして織部もまた寝転がる身体の向きを変えて小梅に向き合い、すかさず小梅を抱き締める。背中越しではなく正面から。色々と当たっているところが多いが、もうそんなのは気にならない。

 

「・・・・・・ごめん、小梅さん」

「・・・・・・・・・・・・」

「小梅さんが、どれだけ嬉しかったのか、喜んでいたのかに気付けなくって」

 

 抱き締められる中で、織部の言葉を静かに聞く小梅。

 織部は、小梅の本当の気持ちに気付けなくて申し訳ないという気持ちと、自分の中にある大きな“喜び”の気持ちを言葉で示す。

 

「・・・・・・僕も、嬉しかった。小梅さんとずっと一緒にいられるって事が、本当に嬉しかった」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・本当によかったよ」

 

 そして自分の中にある“嬉しい”“よかった”という陳腐ではあるが温かい感情を、抱き締めるという行動で表す。

 電気の落ちた暗い部屋に目が慣れてきたのか、視界が少しずつ回復していき、やがて小梅の顔が薄っすらと見えてくる。という事は恐らく、自分の顔も見られてしまっているのだろうけれど、寝る前に感じていた緊張や不安はもう感じない。織部も小梅も、それぞれ向かい合う相手が穏やかな表情を浮かべているのが分かった。

 そして小梅は目を閉じ、小梅が望んでいることにいち早く気付いた織部は同様に目を閉じて、口づけを交わす。

 伝えられなかった、表現する事のできなかった嬉しさや喜びを決して手放さず、忘れる事などないように。

それから眠りに就くまでのほんのわずかな時間の間、その唇を離す事はなかった。

 

 

 先に異変に気付いたのは織部だ。

 明け方になって、小梅の呼吸が荒くなっているのに気付き、決して8月の熱気にやられただけでは理由がつかないほどに額に汗が浮かんでいる。試しに額をくっつけてみれば、熱い。

 小梅は熱を出してしまっていたのだ。

 小梅の両親が起きてすぐ、その事を織部は伝えた。

 そしてその上で、織部は自分が看病したいと両親に訴えた。それはもう小梅とこの先共に過ごしていくのだから義務に近いものだと、織部は思っていた。その織部の気持ちに気付いたのか、小梅の両親は織部に任せる事にした。

 小梅の母からエネルギー補充用の飲料系ゼリーを渡されて、織部はそれを小梅に手渡す。吸えば飲めるタイプなので、そんなに身体は動かさなくていい。熱で身体を動かすのがだるくなっているだろうから、もってこいだ。

 解熱剤を飲ませて、冷水で絞った冷たいタオルを額に乗せて熱を冷まそうとする。そして小梅は横になると、1つだけお願いをしてきた。

 

「・・・春貴さん」

「ん?」

「・・・・・・手を・・・握ってもらってもいいですか?」

 

 断る理由はない。

 小梅がベッドからゆっくりと出した左手をそっと握ると、小梅は縋るように強く握ってきた。織部は、両手で小梅の手を包み込むように握り、無駄だと分かっていても『早く治ってほしい』と願う。

 そして、小梅は一度眠りに就いた。途中で、小梅の母が様子を見に来たが、小梅の安らかな寝顔と、織部が小梅の手を握っているのを見て小さく笑い、手がふさがっている織部に代わってタオルを交換すると、そのまま静かに部屋を出て行った。

 そして小梅は、空腹によるものなのか、昼過ぎ辺りで一度目を覚まして起き上がった。

 熱を出している場合の定番と言えばおかゆだ。それは織部でも作れるので、小梅の両親に頼んで台所を借りて、おかゆを作らせてもらった。

 ただ、おかゆは作り方はシンプルだが時間がかかるもので、出来上がった時は小梅に開口一番『遅くなってごめん』と告げる。

 小梅が上半身を起こすのを手伝い、少し眠ったのと額をぬれタオルで冷やした事で少し症状が改善したのか、血色は良くなっていたし、汗も引いていた。しかし大事を取って、織部はおかゆを小梅に食べさせる。

 とすると、当然とも言える流れで『あーん』をする事になってしまう。

 

「はい、あーん」

「・・・ぁーん・・・」

 

 こういった事は恋人なら定番なのかもしれないが、付き合ってこの方こんなことは一度もしていない。なので一番最初のシチュエーションが熱を出した時と言うのは、いささかムードに欠ける。

 しかし恥ずかしさや残念さなどは頭の片隅に放り投げる。今は、小梅が元気になれるように努めるだけだ。

 ゆっくりと時間をかけておかゆを食べ終わると、小梅は小さく息を吐く。一応、小梅のお腹を満たす事は出来たようだし、少し体調も戻ってきたようで、織部は一先ず安心した。

 食器を台所に返し、手早く洗ってから、台所と器を貸してくれた小梅の母にお礼を言って、小梅の部屋へ戻る。

 そして小梅の部屋に戻ると、熱で少し体温が上がっていたのと、温かいおかゆを食べた事も相まって少し汗をかいていた。

 熱を出して汗をかいた際はこまめに拭いておかないとパジャマがぐっしょりするし、上がった体温を下げるという意味も込めて、冷たいタオルで身体を拭くのが定石だ。

 小梅もある程度は体のだるさも抜けたので、自分で拭ける範囲は拭くことができる。だが、背中はどうしても上手く拭くのが難しく、誰かの手を借りないとならない。

 と、ここで小梅は織部の事を無言でジッと見つめる。

 まさか、“そういうこと”なのか。いやいや。

 ともあれまずは、小梅が自分で拭ける場所―――脚や身体の前側、腕などは自分でも拭けるぐらいには身体も動くので自分で拭き、そして残すは背中のみ(その間、織部は部屋の外で待っていた)。

 そこで織部は、小梅の母を呼ぼうとしたが、小梅が逆にそれを止める。

 そして、何を思ったのか。小梅がドア越しに。

 

『・・・・・・春貴さん』

「・・・・・・うん?」

『・・・・・・背中を、拭いてもらえますか・・・?』

 

 額に銃口を突きつけられたかのような緊迫感が突如織部を襲う。

 嘘だろマジかと織部の脳は叫んでいるし、ここは小梅の母に頼むのが一番妥当だと思う。

 しかし小梅は織部の事を信頼している。だからこそこうして頼んできたのだ。それにグズグズしていては症状がまた悪化してしまうかもしれない。小梅の母に頼むとしても、小梅は織部が自分で看病したいといった手前頼むのも少し情けない話だ。

 また、将来一緒になるとすればこういう機会にも出くわす可能性だって十分考えられる。その予行演習だと捉えれば何も問題はない、と自分に言い聞かせて織部は部屋のドアを開けた。

 小梅は上半身を起こしてベッドに座っている。それだけなら別にいいのだが、小梅はパジャマの上を脱いでいて、その脱いだパジャマで前の部分を隠している。深く考えるべきではないのだろうが、着けていた下着もそのパジャマと一緒に胸の前に隠しているのだろう。一歩間違えれば、恥ずかしい―――いや、マズい事になってしまいかねないぐらい際どかった。

 だめだ、注視すると取り返しのつかないことになる。絶対に視線を向けてはならない。

 織部は自分にそう言い聞かせながら、タオルを水に浸して絞り、そして小梅の背中に回り込む。

 ただ、小梅の背中は、男の自分なんかと比べると段違いに白くて、肌が綺麗だった。触れると崩れ去ってしまいそうだと錯覚するぐらいだった。

 だが、どこかしらを支えておかないと拭きづらいので、織部はそーっと慎重に、ゆっくりと小梅の肩に触れる。

 

「ひゃっ!?」

「!!」

 

 だが、特に何の前置きも前触れもなく肩を触られた事でびっくりしたのか、小梅が聞いた事も無いような声を上げる。それだけで織部の心臓が一段階跳ねた。咄嗟に『ごめん!』と謝るが、時すでに遅し。小梅も『い、いえ・・・』と肩越しでも分かるくらい顔が赤くなっている。果たしてそれは、熱だけのせいではないだろう。

 しかし早いうちに拭かないとせっかく回復してきた体調がまた悪化しかねないので、白くきれいな背中を傷つけないように、優しくゆっくりと拭いていく。

 満遍なく拭いたところで肩から手を離し、『終わったよ』と告げる。

 そこで、小梅は肩を急に触れられて動揺していたのか、織部の目の前で下着をつけ直そうとしていた

 流石にそれはマズいにもほどがあるので『小梅さんストップ!』と言って気付かせて、踏み止まらせる。小梅もそこで初めて気付き動きを止めて、織部が部屋を出るまで待つ。

 ものの十数秒で小梅が準備を終えて織部を呼ぶと、織部は再度確認を取ったうえで部屋に戻る。小梅が、先ほどの早まった行動が恥ずかしかったのか、それとも熱がぶり返したのか、僅かに顔が赤い。

 それは一応熱のせいという事にしておいて、織部は小梅を横にさせる。布団をかぶせて、自分はベッドの傍らの椅子に座り、小梅の様子を見る。

 そして少しすると、小梅の父と母がノックをしてから入ってきた。小梅の母が様子を訊ねる。

 

「気分はどう?」

「うん、だいぶ良くなってきたと思う。春貴さんが看病してくれたから・・・」

「そうか・・・春貴君が・・・」

 

 小梅の父は、織部の事を見る。その父の視線に織部は気付き、自然とそちらを向く。

 

「君が今日、小梅が熱を出したと言ってから、今の今まで小梅の傍にいて看病をして、君がどれだけ小梅の事を大切に思っているのか、小梅の事を考えているのかが改めて分かった」

 

 そして小梅の父は、母と視線を合わせて頷き、そして織部に向けてこう言った。

 

「やっぱり、小梅の相手は君しかいない」

「ええ。私からも、どうかお願いします」

 

 2人して頭を下げられて、織部は恐縮だが、また自分の事が認められたと思うと悪い気はしない。

 そして織部もまた、将来で小梅の事を託された事で、責任を背負う事になる。その責任と一生向き合う覚悟を決めて、織部は椅子から立ち上がって頭を下げた。

 小梅の両親が部屋を出て、織部が小梅の様子を看ようとすると、小梅は既に身体を寝かせていて、顔を織部に向けないように横に向けていた。

 だが、その小梅の瞳が涙で濡れていたのを見逃さなかった織部は、優しくその涙を拭ってあげた。

 その涙の理由については、あえて何も聞きはしない。

 

 

 翌朝には、小梅の体調は元通りになっていて、生活に支障はなさそうだった。熱を計っても平熱にまで戻っている。

 昨夜も、織部は小梅と一緒のベッドで眠ったが、それは小梅を安心させるという意味合いが強かったし、具合の悪い小梅を心配していたから、最初に寝た時よりも緊張はしなかった。

 それと、熱を出した小梅と昨日はずっと一緒にいた織部だが、熱の兆候はない。体力はないし筋肉もあまりついていないのだが、病気に関しては丈夫な身体なのだろう。

 何はともあれ、小梅の熱が完治したことで、織部も、小梅の両親も一安心した。

 これで、今日の祭りに行くことができるだろう。織部はその話を聞いた時から気になっていたし、小梅さえよければ一緒に行こうと思っていた。その話をすると、小梅は二つ返事で頷き、2人で行くことが決まった。

 祭りが始まるのは夕方からなので、それまでは小梅の実家で寛ぐことになった。寛ぐといっても、リビング(一昨日最初に通された部屋とは違う)でお茶とお茶菓子を傍らに、和気藹々と色々な話をする感じだった。聞く事の無かった小梅の幼少期の話や、織部自身の話も、本当に多くの事を話した。

 そして、間もなく祭りが始まるという時間になると、織部はリビングで待機していた。10分ほど前に、小梅と小梅の母が席を外して、先に祭へ行く準備を終えた織部は今で小梅の事を待っていた。一応、貴重品の類は持つのは当然として、後は小さな肩掛け鞄を持つだけで別に事は足りる。それで準備は終わってしまった。

 そのまま小梅を待つこと数分。

 

「お、お待たせしました・・・・・・」

 

 リビングのドアが開き、小梅の声が聞こえた。織部は座っていたソファから立ち上がり、小梅の方を見る。

 

「随分遅かっ―――」

 

 何かを言おうと織部がするが、それも小梅の姿を見て途切れる。

 今の小梅は、白い牡丹の花の模様が染められている青色の浴衣に白い帯、そして髪には前に織部がプレゼントした梅の花の髪飾りを着けている。その後ろでは、小梅の母がやり切った感を出した笑みを浮かべていた。どうやら、浴衣の着付けで時間を取られていたらしい。

 これまで織部は、女性の浴衣を見たら大体は『風情があるなぁ』としか思ってこなかった。

 だが、今の小梅を前にしてそれぐらいのことしか考えられないかと問われれば、答えは“否”だ。

 

「・・・・・・どう、ですか?」

 

 少し不安げに小梅が聞いてくる。恐らく、自分に自信が無いのかもしれないが、そんな心配はしなくてもいい事だ。

 

「・・・・・・似合ってる。すごい、綺麗だよ」

 

 だから、織部の気持ちをそのまま言葉に表し、伝える。それで小梅の中の心配や不安も無くなったようで、笑ってくれた。

 

「さあ、あまり遅くなると人も多くなっちゃうし、行ってきなさい」

 

 小梅の母が背中を押すように織部と小梅に告げると、2人は早速祭の会場である近くの神社へと向かった。

 もちろん、小梅の履いている靴は普段とは違い、浴衣下駄だ。カラコロと軽やかな音を歩くたびに立てるのは、聞いていて心地が良いものだ。

 そしていざ、祭り会場に来てみれば、祭り開始からそれほど時間が経っていないにもかかわらず、もうすでに多くの人が訪れていた。参道沿いに設置されている屋台は活気にあふれ、ワイワイと訪れた客たちは商品を買い求めている。

 周りを見れば、小梅以外にも浴衣の女性はいるし、男性でも浴衣を着ている人がちらほらいる。男の浴衣っていうのもあまり見ないな、と織部はふと思ったが、それでも小梅とつなぐ手には力を籠めている。

 

「・・・・・・はぐれないようにしないとね」

「そうですね・・・」

 

 屋台で色々食べるだろうからと、昼食は少し軽めに済ませている。それは結果的に正解だったようで、織部も小梅も少し小腹が空いていた。加えて、屋台から漂う料理の匂いが否応なく2人の食欲を駆り立ててくる。

 2人が足を止めたのは、イカ焼き屋台。一本串に刺さっているタイプと、切り分けられているタイプの2種類があった。

 小梅はイカ焼きを食べたい気分だったのと、少しだけ小梅はやってみたい事があった。なので、肩掛け鞄から財布を取り出そうとした織部よりも早く財布を取り出し、切り分けてあるタイプのイカ焼きを1つ買う。

 『タレが飛ばないように気を付けてね~』と出店の人から注意を受けながら、小梅はイカ焼きを受け取る。織部が『僕が買おうと思ったのに・・・』と言いたげな目で小梅を見るが、小梅は小さくウィンクをした。それがとても織部からすれば魅力的だったが、とりあえずイカ焼きは保留にしておいた。

 そして、少し歩くとたこ焼きの屋台。今度は織部が小梅に財布を出させる時間など与えずに素早く買う。

 とりあえずの食料は買えたので、どこか落ち着ける場所で食べようとする。だが、飲食スペースは大体地元の子供たちかおじいちゃんおばあちゃんで埋まっていて、座れる場所など皆無だった。

 仕方なく、参道から少し外れた場所にある芝生に座って食べる事にした。織部たち以外にも、レジャーシートを広げて集まっている人もいるので、シートを持ってくればよかったかなと小梅はひとりごちる。念のため、織部は小梅が座ろうとする場所を手で払い、気持ちだけでもきれいにしたうえで2人でゆっくりと座る。

 留意しておくべきなのは、小梅は完治したとはいえ病み上がりだ。人ごみに揉まれてまた熱がぶり返す事だって考えられる。だからあまり、人混みの中に長時間いるのは少し避けるべきだ。

 

「では、食べましょうか」

「そうだね」

 

 手を合わせて『いただきます』をし、織部はたこ焼きを、小梅は切り分けられたイカ焼きを1つずつ口に含む。

 

「「美味しい」」

 

 2人の言葉がハモり、顔を見合わせて吹き出す。

 どうしてだか、屋台で食べる料理と言うものは普段と比べると美味しく感じる。ましてやそれが、親しい人、好きな人と一緒ならばなおさらだ。

 と、そこで。小梅がイカ焼きの1つを楊枝で刺して。

 

「春貴さん」

「ん?」

「あーん」

 

 ゆっくりと、差し出してきた。

 そう言えば自分も、昨日やったやつだなと思う。熱で小梅が寝込んでいる時だったので、ムードも悪いしロマンの欠片も無かったが、今は違う。小梅もこれがやって見たくて、先ほどイカ焼きを自分で買い求めたのだろう。

 分かっていたが、可愛い人だなぁと思いながらも織部は口を開けて、イカ焼きを食べる。

 

「うん、美味しい」

 

 それは単純にイカ焼きそのものが美味しいというのもあるだろうが、小梅に食べさせてもらえた、と言うのもあるだろう。

 であれば、自分もするのがお決まりのパターンでもある。そして、同じことをされるというのは小梅も分かっていたようで、何かを期待するような目で織部の事を見ていた。

 だから織部は、自分がそうしたいという気持ちを小梅からの期待と合わせて、たこ焼きの1つを楊枝で刺し、そして差し出す。

 

「はい、あーん」

 

 そしてそれを躊躇なく食べる小梅。咀嚼し、飲み込むと笑みを浮かべてくれた。

 

「美味しいです」

 

 織部も頷く。どうやら、織部と同じ気持ちになったようだ。

 そして2人でたこ焼きとイカ焼きをそれぞれ食べ終えて、祭りの終盤の打ち上げ花火までは、祭りの定番ともいえる色々な事に挑戦する事にした。

 まず射的で、小梅が戦車道で鍛えた目を持って5発全弾命中と言う成果を挙げ、店主と周りにいた客を驚かせた。そして景品は、小梅曰くみほが好きだというボコられグマのボコのぬいぐるみ。織部からすれば可愛いというより、痛々しいという印象を抱くデザインだが、小梅は満足したように抱いていた。ちなみに織部だが、2発が限界で景品はキャラメルだった。

 金魚すくいでは、いきなり持ち帰っても飼えないのでただ掬って遊ぶだけにしたのだが、思いのほか織部がひょいひょいと素早く掬うので小梅が『すごい・・・』と驚いていた。店主の若い男性も『兄ちゃんやるなぁ』と言葉を洩らしていた。景品は無かったが、それでも織部はどこか達成感を抱いていた。ちなみに織部なりのコツは、感覚ではなくちょっとした計算を駆使するのだが、口で説明するのは難しい。

 かき氷を買った際は、シロップが自由にかけられる方式になっていたが織部と小梅はともにイチゴ単体にした。2人の後に買った人たちは、平然と3種類以上を混ぜて色がみょうちきりんになってしまう。あれだと味も分からなくなるだろうに、と織部と小梅は思わなくも無かったが、別に楽しければそれでいいかと思い深くは考えなかった。

 他にも色々食べたり遊んだりして楽しんだが、その一方で織部は小梅が病み上がりという事を忘れず、参道から少し外れた場所で何度か休憩を挟んだ。けれど、小梅も既に全快したようで、織部もホッとした。

 そして、最初に訪れた時は茜色だった空も、陽が落ちた今はすっかり暗くなっており、花火が映えるであろう夜空が広がっていた。

 打ち上げ花火は、神社とは反対側の少し離れたところにある小高い丘から上がるようで、それを知っている常連たちは我先にと一番眺めの良いスポットへ移動していった。となれば、そのスポットは既に人でごった返しているだろうし、そんなところへ行ってもまともに花火が見れる保証はないため、織部と小梅はこの祭り会場に留まる事にした。

 すでに祭りも終盤に差し掛かっているからか、商品や景品の無くなった屋台は既に店じまいを始めているし、客のほとんどがその眺めのいい場所へと行ってしまったので、始まったばかりやピークの時間帯ほど人はあまりいない。

 だがそれでも、参道の脇に吊るされている提灯の明かりは煌々と輝いているし、この祭りに合わせてなのか神社の鳥居や本殿もライトアップされている。

 その光景はとても幻想的で、そして何よりも美しかった。織部も小梅もそう思い、スマートフォンを取り出してそれぞれ写真を撮る。

 

「あ、そうだ春貴さん」

「?」

 

 小梅が、少し前へ踏み出して織部を手招きする。成すがままに織部は小梅の下へと近づくが、そこで小梅が織部と肩をくっつけて身を寄せ合い、そしてスマートフォンで自分たちの写真を撮る。不意打ち気味だったが、織部も小梅と2人だけの写真であれば、恥ずかしくはない。織部単体であれば恥ずかしくて消すように言うところだったが。

 人が少なくなっていてちょうどいい具合に撮れたので、小梅はホッとした。

 そして本殿の鳥居まで歩き、そこで振り返って花火が上がるのを待つ。ここでも十分に見えるらしく、人もそこそこいた。ここでも十分に花火は見れそうだが、参道の脇に生える木の枝と葉のせいで少し邪魔くさい気もする。

 

「今日は・・・とても楽しかったです」

「僕だってそうだよ。こうしてお祭りを楽しんだのなんて、正直久々だ」

 

 学園艦暮らしに加えて、勉強漬けだったこともあり、こうして祭りを訪れたのは、恐らくは小学校の時以来だ。久しく感じていなかった祭り特有の高揚感などを抱くことができて、本当によかったと思う。

 

「また・・・・・・来ることができたらいいですね」

「・・・来れるよ、きっと」

 

 未来を夢見る小梅の言葉に、織部も微笑みながら答える。きっと、とは言ったが恐らくはまた来る事がだろう。なぜか、そう思える自信があった。

 

「・・・・・・春貴さん」

「?」

 

 小梅が、織部同様に夜空を見上げながら話しかけてくる。あと少ししたら、この夜空は花火によって彩りが加えられるだろう。

 

「・・・私・・・・・・春貴さんと付き合えて・・・・・・ううん、春貴さんに出会えて、本当によかった」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 その言葉には、多くのこれまでの思い出、そして2人で交わした言葉の数々が籠められているのが分かる。織部自身、小梅とはここに来るまでに多くの事があったと思っているし、その全ては無駄でなかったと、だからこそ小梅と出会えてよかったと胸を張って言える。

 そして、これから先、織部は小梅とまだまだ多くの思い出を作るつもりだ。

 だから織部だって、言う言葉は同じだ。

 

「・・・・・・僕も。小梅さんと同じ気持ちだ」

「・・・・・・・・・・・・」

「もう、言葉にはできないぐらいの思い出を作れたから、小梅さんと出会えて、本当によかったって、自信を持って言えるよ」

 

「・・・ありがとう」

 

 空を見上げながら織部が告げると、織部の頬に柔らかい感触が伝わり、直後に赤い花火が夜空に咲いた。




ジンジャー
科・属名:ショウガ科ショウガ属
学名:Zingiber officinale
和名:薑
別名:生姜(ショウガ)、生薑
原産地:熱帯アジア
花言葉:あなたを信頼する、豊かな心、誘惑


筆者本人は反省も後悔もしています。
作中でぽろっと書いた『サンダースとプラウダは共学』という設定ですが、
あくまで筆者のオリジナル設定です。
次回もまた、挨拶の話になりますので、
感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


夜の方が筆が進む不思議。
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