春に芽吹く梅の花   作:プロッター

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夢百合草(アルストロメリア)

 朝の10時前ほどに小梅の実家を発った織部と小梅は、新幹線と在来線を使って織部の実家の最寄り駅へと向かう。小梅の実家は九州で、織部の実家は関東だから実に5時間以上も移動しなければならない。

 新幹線を降りて在来線に乗り換える際、織部からすれば珍しい事ではないのだが、やはり首都圏の電車の交通量は九州と比べると多いらしく、小梅は人の多さとダイヤの過密さに驚いた様子を見せていた。だが、それだけ駅を利用する客は多いので、はぐれないように織部はしっかりと小梅の手を握り、決して離さない。

 そしてさらに在来線に揺られること数十分。織部の実家の最寄り駅で2人は降りた。そこは、都心とは打って変わって静かな雰囲気のする町だった。一応飲食店やコンビニはあるし、人もそれなりにいるのだがあまり騒々しくはない。

 ここからバスかと小梅は思ったが、どうやら歩いて行ける距離に織部の実家があるようで、小梅の実家への訪問の時とは逆に、織部が小梅の手を引いて歩いて行く。

 10分も歩かずに、『織部』という表札の一軒家の前に到着した。小梅からすれば、自分の実家よりもほんの少し小さい気もするが、それでも立派な家だと思う。

 さて、そんな小梅だが、小梅の実家に行った時の織部同様、委縮しきっている。瞳が緊張と不安でぐらぐらと揺れていて、小梅の手には無意識に力が込められていて、織部の手を強く握っている。その手を握る強さが、小梅がどれだけ緊張しているのかを示していて、織部もどうにかしたいという気持ちになる。

 織部が小梅の両親と話をした際は、比較的良好な関係を築き、かつ波乱も無く認めてもらうことができた(その後に波乱は起きた)。だが、小梅が織部の両親と話をして、同じようになるという保証はどこにもない。

 織部は、自分の親は小梅の事を悪く思ってはいないと言っていたし、一度電話で話した時も嫌な雰囲気にはならなかった。

 だが、それでも小梅の不安は尽きない。

 

「小梅さん」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 織部が話しかける。だが、小梅は緊張のあまり、織部の呼びかけに応える事無く、玄関を見つめているままだ。

 このままでは、実際に織部の両親と会っても緊張のあまりろくに話すことができないだろう。

 何とかしてあげたいと織部は切に思い、考えて、やがて1つの方法を思いつく。

 その方法とは、前に何度か小梅にしてあげてきた事だ。

 

「・・・・・・あ」

「落ち着いて、大丈夫」

 

 小梅の頭に手を乗せて、優しく撫でる。それで、初めて小梅は織部の方を向いてくれた。織部もちゃんと、小梅の顔を見て、そしてなお頭を撫でる手は止めない。

 

「僕は絶対に小梅さんを守る。何があろうと、小梅さんの味方だ」

「・・・・・・・・・・・・春貴さん・・・」

「まあ、ちょっと頼りないところはあるかもしれないけどね・・・」

 

 おどけるように織部が笑い、小梅も少し緊張がほぐれる。

 けれど、頼りない、というのは間違いだ。だって今、小梅は頭を撫でられたことで、心の中にある緊張感が幾分か晴れたし、こうして織部が笑いかけてくれたことで、不安もあまり感じなくなった。こうしてくれるだけでも、織部は十分頼れる人だ。それにこれまでだって、小梅が幾度となく不安な気持ちになった時、織部は傍にいて小梅の事を励まし、支えてくれた。

 改めて、自分が織部の事をどう思っているのか、どれだけ好きなのかを再認識した小梅は。

 

「ありがとう、春貴さん」

 

 小梅が自信に満ちた表情で、織部の事を見上げる。その顔にはもう、不安や緊張はない。

 織部は、その顔を見て少し笑い、それに対して小梅は小首をかしげる。

 

「どうかしたんですか?」

「いや、小梅さんの実家に行った時と同じだなって」

 

 確かにそうだ。小梅の実家を訪れた際も、織部は完全に震えあがっていて、小梅が織部を落ち着かせて、そして踏ん切りがついたところで家に足を踏み入れたのだ。それとほぼ似ている状況に、織部は少し可笑しくなったのだ。

 

「・・・そうですね。ふふっ」

「よし・・・・・・じゃあ行くよ」

「はい」

 

 小梅の緊張も取れたようで、織部は小梅の手を引いて、自分の実家の敷地に足を踏み入れた。

 

 

 織部には兄弟はおらず、父と母の3人家族だ。

 中学・高校のほとんどが学園艦という巨大船舶の上にあり、生徒は皆その学園艦で暮らしている以上、親元を離れて生活する事になる。その例に漏れず、織部も中学からは一人暮らしをしていたのだが、親の性格を忘れたということはない。一度不登校になった際に実家に戻っていたので、忘れるはずはない。それを抜きにしても、よほど仲が険悪ではない限りは親の性格を忘れはしないだろう。

 まず織部の母だが、良い意味で愛想が良い。そして、少し茶目っ気があると織部の父は言っていた。それについては、小梅という彼女ができた事の報告の電話のジョークで分かっている。

 

「まあまあ・・・あなたが小梅さんね?息子がお世話になってます~」

「ど、どうも・・・・・・」

 

 小梅が織部の母と顔を合わせてわずか数分、織部の母は早くも小梅を名前で呼び、リビングで小梅と挨拶を交わしている。

 小梅の家とは違い、畳張りの居間ではなくフローリングのリビングでそれぞれ椅子に座って、特に緊迫した空気でもない。その空気は織部の母の口調からだろうが、小梅もまだ完全には緊張が取れていないようで、まだ少し表情と姿勢が硬い。テーブルに置かれた冷たい緑茶にも、口を付けてはいない。

 

「・・・・・・」

 

 織部の父だが、口を閉じたまま何も言わず、しかしわずかに笑いながらも、織部の母と小梅の話を静かに聞いている。これは怒っているわけでも威嚇しているわけでもないというのは、織部は分かっていた。

 織部の父は、織部の母とは正反対であまり多くは語らない性格をしている。けれど、奔放主義と言うわけではなく、織部がいじめを受けて実家に戻ってきた時も、話を聞いてくれた。

 だから本当は優しい性格をしているのだと、織部は分かっていた。小梅を敵視しているという事も無いはずだ。

 

「春貴・・・・・・随分と可愛い子捕まえたのねぇ」

「捕まえたとか言わないでよ」

「・・・・・・でも春貴に彼女なんて、聞いた時は本当に驚いたぞ」

「早く早くって言っていたくせに」

「・・・・・・それは母さんの方だ」

「でも父さんだって言ってたじゃないか」

「そうよ。春貴に彼女ができたって聞いたとき、父さん小さく『よし、よし』って言ってたじゃない」

「・・・・・・何の事だろうな」

「こっち見て言ってよ」

 

 小梅の実家の時とは違う、織部と両親の淀みない会話を聞いて、小梅の顔がほころぶ。黒森峰にいた時、まほやエリカと話す時とも、根津や斑田たち仲良くなった者たちと話す時とも違う、割と砕けた口調で話す織部の姿が新鮮だったからだ。そして、これが恐らくは織部の本来の喋り方だと思うと、少し可笑しかった。

 と、そこで織部の母が。

 

「あら、やっと笑ってくれた」

 

 小梅を見て織部の母がにこりと笑うと、小梅は慌てて自分の顔を抑える。どうやら小梅はその言葉を悪い意味と捉えてしまったようだが、織部の母は慌てて訂正する。

 

「あ、責めてるんじゃないわよ。ただ、ずっと緊張した感じでいたから・・・」

「でも、仕方ないとは思うよ。僕だっておっかなびっくりだったから」

 

 織部は既に挨拶を終えた身であるから、小梅が緊張しているのが手に取るように分かった。自分だって、最初に小梅の両親と会った時は何を言われるんだろうと不安だったし、実際小梅の両親が好意的に接してきても、逆に後の事が怖かった。

 

「そう言えば、小梅ちゃんのトコにも行ったのよね?」

「そうだよ」

「・・・・・・で、どうだったんだ?」

 

 ここに来る前に、小梅の家で先に挨拶をするというのは事前に伝えてあったから、織部の両親もそれを知っている。だが、その“結果”まではまだ伝えてはいない。

 

「・・・・・・うん」

 

 だが織部は、素直に答えるのには少し乗り気ではなかった。『認めてくれた』と言うのは簡単だし、そうすればこの先の話も円滑に進むだろうが、それを笠に着ているように小梅と織部の関係を認めさせるようなやり方に思えてしまうからだ。織部は本心では、そういうやり方は望んではいない。綺麗ごとかもしれないが、両親にはちゃんと小梅の事を認めてほしかった。

 だが、相手は織部を生まれてから今日この日まで育て上げてきた肉親だ。隠し事など通用しないし、織部の反応で大体事態は掴めた。

 

「・・・・・・そうか」

 

 織部の父が小さく呟き、『バレた』と織部は気付く。まほからみほの勘当の話を持ち掛けられて動揺していた時といい、自分は隠し事が下手なのだと織部は痛感した。

 小梅も織部と同じようで、後は自分がきちんと話さなければいけないと、自分でも分かっていた。

 

「・・・春貴からは、小梅ちゃんがどんな人で、どうやって知り合ったのか、大体は聞いたわ」

「・・・・・・」

「でも、小梅ちゃん自身の口からも、聞いておきたいと思う」

 

 織部の両親も、織部が最初に電話した時に言っていたことが全て出まかせとは微塵も思っていない。それに母は実際に一度、電話越しとはいえ小梅と言葉を交わしている。その時は詳しい話はしていない、ただの挨拶ぐらいだった。

 そして、2人の関係を認めるには、やはりお互いの気持ちを確かめる事が何よりも重要で肝心だ。

 だから織部の両親は、心の中ではどうするかは決めていても、それでも小梅の口から聞いておきたかった。

 

「もちろん、話したくない事があったら、無理して話さなくてもいいのよ」

「・・・・・・別に僕たちは、君を貶めたり、春貴と引き離したりするつもりはない。ただ、結論を出す前に、君から話を聞いておきたいんだ」

 

 2人は、小梅を安心させようと、つとめて優しく低姿勢で話しかける。

 小梅も、織部の両親の言葉で話をする決心がついたらしい。一度、目を閉じて俯き、やがてその目を開いて織部の両親の顔を怯まず、不安や恐れを抑えて、見つめる。

 

「少し、長くなるかもしれませんけど・・・・・・」

 

 織部の母は、笑って頷く。父も、緑茶を一口飲んでから、小梅の顔を見る。

 小梅も、同じように緑茶を飲んで喉を湿らせてから話し出した。

 

「私は・・・戦車道を歩んでいるんです。黒森峰でも、戦車隊に所属しています」

 

 戦車道という言葉に織部の母はあらと口に出す。父はピクッと肩を震わせる。

昨今戦車道は、衰退気味という前の評判を押しのけて、由緒ある伝統的な武芸と誰もが認識している。それはやはり、今年の全国大会決勝戦で大洗女子学園が見せた、奇跡とも伝説とも言える快進撃、そして優勝をもぎ取った事が理由だろう。テレビでも生中継されて繰り広げられた熱戦をきっかけに、誰もが戦車道に興味が湧いたと言っても過言ではない。

 1年ほど前よりも戦車道の話題をテレビで耳にする事が多くなったから、織部の両親も小梅が“あの”戦車道を歩んでいることに驚いているのだろう。

 

「でも私は、去年戦車道の試合で失敗をしてしまったせいで、戦車から降ろされて・・・一緒に戦車に乗っていた仲間も、友達も・・・皆疎遠になってしまいました。何があったのかは・・・・・・すみません、まだ話せないです」

 

 小梅が心底申し訳なさそうに謝るが、織部の両親は『いいんだよ』と言わんばかりに首を横に振り、ゆっくり頷く。

 織部も、無理して話をして、またあの時味わった孤独や苦痛を思い出させるのは、小梅のためにはならないと思っていたから、ここで話すのを止めた小梅の判断は正しいと思っている。

 織部は、小梅の身を案じるように、小梅の方に目を向けて話に耳を傾ける。

 

「学校の皆からも責められて、それでその時の事を思い出すたびに、何度も泣いて、気分も落ち込んでしまって・・・・・・もう自分が、消えてなくなっちゃうかもしれないって、思っていたんです」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 織部の両親は、神妙な面持ちで小梅の話を聞いている。小梅自身が辛そうな表情で話しているからというのもあるし、この2人の子供である織部が似たような境遇を経験しているから、他人事とも言えない。だから、真剣に話を聞くことができるのだ。

 

「春貴さんに初めて会ったのは3月の春休みでしたけど・・・その時も私は泣いてました」

 

 そこで一度、織部の父が織部の事を見る。本当か、と無言で聞いていた。織部も同じく何も言わずに頷いて、嘘じゃないことを伝える。それで父は納得したらしく、小梅に再び目を向けた。

 

「その時春貴さんは・・・私の事を心配して、何があったのかを聞いてくれました・・・。でも私は、その時はまだ春貴さんを信用していなかったし、自分で話す事も辛かったから、何も話しませんでした・・・」

 

 今、小梅は悲しげな表情をしているのかと思ったが、織部は実際に小梅の横顔をちらっと見て少し驚いた。

 小梅は、小さく笑っていたのだった。だがその笑みは、喜びや嬉しさではなく、悲しみを帯びているようなものだった。

 

「でも、新学期になって春貴さんとまた会った時は、正直驚きましたし、嬉しかったです。みんな、私の事を責めたり遠ざけていたから、私と普通に接してくれることが、嬉しくて・・・・・・」

 

 顔を上げて、本当に嬉しそうに話す小梅。だが、すぐに小梅は顔を下に向けてしまう。

 

「でも、もし私の事を知ってしまったら・・・また春貴さんも私から離れるんじゃないかなって、不安になって・・・」

 

 今度は織部の両親が織部の事を見てくる。何が言いたいのかは、子供である織部には分かる。だが、それが分かるからこそ織部も首を横に振った。そんな事は断じてないと。

 親子の間での言葉なき会話を小梅は感じ取り、それが終わってから小梅は話を再開する。

 

「・・・でも、私が何が起こったのかを全部話しても、春貴さんは私の事を嫌いになったりもしないで、離れたりしないって言ってくれたんです・・・」

「あらあら」

 

 織部の母がにやにやと織部の事を見る。ちょっと気まずいので腕を組んで目を瞑り見えないふりをする。

 

「皆から責められても黒森峰に残る私の事を、心の強い人だって言ってくれて・・・。そんな人を嫌いになるはずがないって・・・傍にいるって言ってくれたんです」

 

 その時の嬉しさを思い出したのか、小梅の顔は赤い。それを見て、織部の父と母は『やるじゃない』とでも言いたげなにやけた表情で見ているのが、織部には目を閉じていても分かった。

 

「そして、春貴さんが気付かせてくれたんです。友達と疎遠だったのは、私が周りを信用せずに私の方から遠ざけていたんだって・・・。私の事を心配してくれていたのに・・・それに気づかせてくれたおかげで・・・私はまた、皆と一緒に戦車に乗る事ができるようになりました」

 

 小梅の言葉に、織部の両親も嬉しそうに頷く。語る本人の表情が明るくて、それでいてその時の嬉しさを表現してくれているから、それが織部の両親、そして織部自身にも伝わって一緒に嬉しくなってくる。

 

「それから私は、春貴さんとの付き合いが増えていって・・・励ましてもらったり、話をしたり聞いてもらったり、一緒に走ったり・・・出かけたり。それで・・・・・・私は、私と同じで心に傷を負っているからこそ、心優しく人に接することができる、誠実な・・・・・・春貴さんの事が好きになりました」

 

 照れる。純粋に織部はそんな気持ちになってしまい、少し俯く。自分のどこがどう好きなのかを客観的に目の前で述べられると、控えめに言って恥ずかしい。穴があったら入りたいぐらいだ。

 もしかしたら、小梅の実家で織部が小梅の両親に小梅との馴れ初めを話した際、小梅も今の織部と同じように恥ずかしかったのかもしれない。

 

「告白して、春貴さんも私の事を好きだって言ってくれて・・・とっても嬉しかったです。そして、その先の事も・・・・・・私の両親に、もう春貴さんとの事は話して・・・認めてもらいました」

 

 小梅の言葉を聞いて、織部の両親は心の内で『やっぱりそうか』と思った。先ほどの織部の反応からして大体分かったが、小梅も織部とそうなりたいと心から思っている。それは小梅の表情から見ればわかるし、嘘をついていたり脅され言わされている感じは全くしない。正直に、小梅は本心で言っている。

 織部の父は、ジッと織部の顔を見る。逸らす事も許されないほどの真剣な瞳だ。

 織部の父は一介のサラリーマンで、普段は多くは言葉にしないけれども静かに家族を見守る穏やかな性格をしている。

 だが同時に、父は剣道の有段者でもある。道場を開いているわけではないが、通っている道場での実力は指折りと母は言っていたし、父の書斎には盾や賞状がいくつか飾られている。それに織部が小学校の時、そして不登校で実家にいた時、父は毎日竹刀の手入れをしていたのを覚えている。それだけ、織部の父の実力は高い。

 だからか、こうして織部の父が剣道で鍛えられ研ぎ澄まされた真剣な瞳で見る時は、絶対に逆らえない、口答えができない、目を逸らしてはならない、嘘がつけないしついてもすぐにバレる、と織部は分かっていた。

 

「・・・・・・春貴」

「・・・・・・うん」

 

 少し、ほんの少しだけ、父の声のトーンが低くなった気がする。状況が状況なら説教か、もしくは断罪に見える。

 

「・・・・・・改めて聞く。春貴は、小梅さんの事をどう思ってる?」

「この世で、一番愛してる」

 

 間髪入れずに織部は答える。その言葉には一切の迷いも、つゆほども躊躇いを感じないほど、力強く、自信に満ちていた。

 この言葉と口調に、小梅と織部の母は少しだけびっくりしていた。2人とも、ここまで真面目な表情で、なおかつ力強い口調で言葉を発したのは初めて見たし、初めて聞いた。

 唯一動じていないのは面と向かって話をしている織部の父だ。

 

「もう・・・小梅さん以上の人には巡り会えないと思ってる。他の人と添い遂げるなんて考えられないし、あり得ない。それぐらい好きだ」

 

 ここにきて小梅と積み重ねてきた思い出を、交わしてきた言葉を、織部は忘れるような愚かな男ではない。だからこそ、自分と小梅の思い出は何物にも代えがたいものであり、だからこそ織部は小梅の事だけを想うことができる。

 その気持ちを、織部は言葉に乗せた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 織部の父は、織部の顔と目を見て、そして言葉と声を耳で聞き届け、どれだけの覚悟や思いを背負って織部がそう言ったのかを、理解した。

 そこでふっと、織部の父の表情と雰囲気が緩んだ気がした。

 

「・・・・・・母さんは?」

「言うまでもないわよ」

 

 問われて織部の母は笑って頷く。2人の意見は一致しているようで、織部の両親は改めて小梅の事を見る。

 母は、また愛想の良い笑みを浮かべて。

 父は、真剣に、だけどもわずかに嬉しさを顔に出して。

 

「・・・・・・春貴は、過去の事が理由で心が弱い。それに、超がつくぐらい真面目だ。親としても心配なぐらいに」

 

 なぜか急に織部自身の話題に移って、織部も小梅も戸惑う。加えて自分の事を褒めてるんだか貶しているんだか分からないような口調で、織部からすれば複雑な気持ちだ。

だが、母は変わらず微笑むままなので、織部と小梅はどういう事態なのかかつかめずにいる。

 

「・・・・・・だからこそ、小梅さん。春貴はあなたの過去に感じた辛さや苦しみを理解して、そしてあなたの事を真っ直ぐ、ひたすら愛すことができるんだと思う」

 

 小梅が目を見開く。織部が、肩を震わせる。

 

「・・・・・・そして、小梅さんがどれだけ春貴の事が好きなのかも、あなたの話を聞いて分かった」

 

 小梅の瞳が潤み、涙が溜まる。小梅の目の前にいる織部の両親の顔が、何だか歪んで見えてきた。

 

「・・・・・・小梅さん」

「・・・・・・はい」

 

 だが、それでも織部の父の声には応じる。例え、堪え切れずに浮かぶ涙で前が見にくくなっても、それだけは怠らない。

 織部の父の言葉を、絶対に聞き逃してはならない。

 そして、告げた。

 

 

「・・・・・・息子を、よろしくお願いします」

 

 

 そこでもう、耐えられなくなった。

 嬉しさの余り、涙を流し、手で抑えてもなおとめどなく涙は溢れて、頭を下げた織部の両親の顔も姿も、見えない。

 織部は、自分もまた嬉しさで涙を額に滲ませても、隣に座る小梅の姿から決して目を離さない。

 自分たちの関係が認められたのは、織部が小梅の両親に話をしたことと、小梅が織部の両親に話をしたこと、そして織部と小梅がお互いに相手をどれだけ想い、慕い、愛し、未来を信じているかが分かってもらえたからだと思っている。

 泣きじゃくる姿を見て、織部は3つの感情を覚える。

 1つ目は、小梅との幸せな未来が約束されて、嬉しいという気持ち。

 2つ目は、自分と小梅との関係を認めてくれた親に対する、感謝の気持ち。

 そして3つ目は、この先自分はもう小梅を悲しませないために、織部自身、そして織部と小梅の望む未来を実現するために努力し、そして必ず叶えるという覚悟だ。

 その3つの気持ちを得ながらも、織部の中にはただただ嬉しいという気持ちがひときわ大きくなっていき、親の目の前という事も忘れて、織部は小梅の肩を抱き寄せた。そして小梅は、織部の胸に顔を埋めて静かに泣いた。そして織部は、小梅を泣き止ませはせずに、背中を撫でてしばしの間、嬉しさや喜びを分かち合った。

 織部の両親も茶化したりはせず、また小梅が泣くのを止めさせたりはせず、ただ愛おしそうな目で2人の事を見つめていた。

 

 

 小梅が泣き止み、落ち着いた頃には日も傾き始めて、夕方が近くなったのだと実感させてくれる。夏特有のセミの鳴き声も収まってきて静かになる。

 ようやく小梅が顔を上げたところで、織部の母は『さて』と立ち上がり夕飯の準備に取り掛かろうとしていた。そこで小梅が手伝いを申し出たが。

 

「ゆっくりしてていいのよ?あなたはもう、家族なんだから」

 

 その『家族』という言葉に、小梅も一瞬だけ固まる。改めて、織部と小梅の事を認め、そして結婚をも認めてくれたから、母も小梅の事を『家族』と表現したのだ。

 だが、それでも小梅は引かずに手伝おうとしたが、最終的には『明日手伝う』という事になった。それで小梅も落ち着き、残った織部、そして織部の父と会話を交わす。

織部の父が剣道の有段者と聞いて小梅は驚き、何で自分は軟弱なのかと織部はますます思う。先ほど、小梅が戦車道を歩んでいると聞いて織部の父がわずかに反応を示したのは、同じ“道”とつくものを嗜んでいるからだろう。戦車は女性しか乗れないのだが、妙な親近感を抱いたらしい。

 織部も昔、父から剣道を勧められたのだが結局はやっていない。その最たる理由は、織部自身人を殴る事が好きではないからだ。それに運動音痴なのもあり、皆についていけないという事で剣道の技術はない。

 そして時間が流れて行き、織部の母が用意した夕食は、種類豊富な揚げ物と、みそ汁、赤飯だった。

 赤飯は吉事を祝う際に食べると言われているが、つまりはそう言う事だろう。揚げ物との食べ合わせがどうなのかはさておき、織部と小梅は恥ずかしいと思うと同時に母の気遣いに少し笑ってしまう。

 揚げ物も赤飯も美味しかったが、確か赤飯は作る前に8時間ほどの下準備が必要だと前にどこかで聞いた事がある。

 とすれば、織部の母は、どうやら織部と小梅が来る前から準備を始めて、織部と小梅の関係を半ば最初から認めるつもりだったようだ。もちろん、無条件で認めるつもりも無かっただろうが、よほどの事が無い限りは認める心積もりだったらしい。

 だが、それについては何も言わなかった。

 

 

 そこから寝るまでは、別段変わったことはない。食事を終えたら織部が食器洗いを手伝わされて、風呂に入る直前でも、織部の父も母も妙なことは言わず粛々と全員風呂に入り、小梅も織部も動揺もすることはなかった。

 そして、寝る段階に入った時だ。

 

「あの、お義母さん」

 

 織部の母を呼ぶ小梅の『おかあさん』という単語のイントネーションが若干違うように聞こえたのは、織部の気のせいではないと思う。

 それはさておき、バラエティー番組を見ていた織部の母は『どうかした?』と問いながら振り返る。

 

「あの、今晩なんですけど・・・・・・」

 

 どうやら小梅は、今夜の寝床についての心配があったらしい。それについては、織部の両親は既にどうするのかを決めていたので、口を開こうとする。

 だが、それより早く小梅が次の言葉を口にしたのだ。

 

「春貴さんと、一緒にお休みさせていただいてもいいですか?」

 

 小梅の方から言ってきた。

 織部からすれば、元々大人しい性格の小梅が自分から大胆な発言をしてくることが少し驚きだった。

 とはいえ、織部個人としても小梅に話したい事があったので、むしろ好都合だ。それに、少し小梅と2人きりの時間を作りたかったから、そう言う意味でも僥倖だった。

 しかし、そこで織部の両親が織部に向けて疑わしいものを見る目を向ける。

 

「春貴・・・・・・分かってるだろうけど、小梅ちゃんに手を出すんじゃないわよ」

「・・・・・・まだそれは早いぞ」

「出さないし出せないよ」

 

 若干食い気味に織部が答えると、織部の両親は『ならばよし』とばかりに鼻から息を吐く。

 そして織部は、良い時間になると小梅を連れて2階へ上がり、自分の部屋の前にやってくる。後はドアを開けるだけなのだが、自分の部屋に女の子を連れてきた事など無い。だから躊躇い、緊張が生じてしまう。

 

「どうかしたんですか?」

「いや・・・・・・すごい緊張して」

「私もそうでしたよ」

 

 小梅に言われて、そうだと思い至る。自分が小梅の部屋に足を踏み入れた時だって、小梅は『恥ずかしい』と言っていた。その時は小梅も、少なからず緊張はしていたであろう。だが、あの時は小梅は意を決して織部を招き入れた。同じく緊張している織部だけが、『やっぱりだめだ』と拒絶するのはフェアじゃない。

 恥ずかしいのは一緒だ。

 

「じゃあ、開けるよ」

 

 腹を決めて、ドアを開けて壁際の電気のスイッチを入れる。暖色系の電気がつき、部屋の全貌が明らかになる。

 部屋の壁紙は飾らない白で、置かれている家具も学習机、服を仕舞う箪笥、本棚、そしてシングルサイズのベッドが1台と、見るからに無駄なものが無い。

 小梅が興味ありげに本棚を見ると、『わっ』と小さく声を洩らした。何しろ、本棚の3分の1ぐらいを占めているのは勉強の参考書だ。小学校辺りから、こうして参考書を買い始めるようになり、自発的に勉強をしていた。中学で不登校になった際も、参考書で勉強は止めていなかったこともある。織部は根本的に、勉強を苦行とは思わず、楽しいとさえ思っていたからだ。

 残りの3分の2はどうなのかと言うと、まずその内の半分は有名どころの小説やマンガだった。しかし、これらの本が比較的下の方、取りにくい位置に収めてある辺り、これらの本を普段はあまり読もうとしない、真面目な人間性が見て取れる。

 そして半分は。

 

「・・・・・・戦車の本、ですか・・・?」

「・・・・・・まあ、ハマった時にちょっといろいろ買っちゃった」

 

 戦車道、もしくは戦車関係の本だった。戦車道のルールブックや、世界各国の有名な戦車の図鑑、WW2の戦術、本当にあった怖い戦車など、色々あった。

 戦車道に触れてその世界に引き込まれてから、戦車に対する探究心が湧いて、そしてこうした書籍を買い求めたのだろう。おそらく、これらの本は1から10まで全て読んだに違いない。途中で飽きて止めることはないと、真面目な織部を見ていればわかる。

 

「そうだ、小梅さん」

「はい?」

 

 そこで織部が、何かを思い出したように小梅に話しかける。

 

「明日、ちょっと小梅さんと行きたい場所があるんだけど・・・良ければ、付き合ってもらえるかな?」

「もちろん、良いですよ」

 

 断る理由はない。織部と一緒であれば、どこだろうと楽しいし、決して無駄な時間にならないという自信がある。

 

「ありがとうね」

 

 そこで織部は、いつものように笑ってくれる。

だが、小梅の頭には引っかかることがあった。具体的に何が引っかかるのかは言葉にできないが、何か小さな違和感があった。

 その違和感の正体が分からないまま就寝時間を迎えて、織部と小梅はまた2人でシングルベッドに寝る。小梅の実家で初めて2人で寝る時とは違い、緊張や不安、焦りはない。小梅の家で慣れてしまったというのもあるし、今さら2人はこのぐらいで遠慮したりするような関係ではなくなったのだ。

 明かりを消し、ベッドに入り2人並んで寝転ぶ。そこで織部は、おもむろに言葉を紡ぎ出した。

 

「・・・・・・僕ら・・・将来、本当に結婚できるようになったんだね」

「・・・・・・ええ、そうですね」

 

 今までは、どれだけお互いに相手の事を好きだと言っても、将来結ばれることを望んでも、それは決して本当に実現できるかどうかは分からなかった。もしかしたら、小梅か織部、どちらかの両親が反対する事だってあり得た話だった。だから、今まではまだ、その将来の事はあくまでも希望だった。

 けれど今日、さっき、織部の両親が2人の事を認めた事で、その想い描く将来も実現する事ができるようになった。

 これまで2人は、その未来の事を考えたり、口にしたりするとき、心のどこかでは『もしもそれができなかったら、叶わなかったら』と大なり小なり考えてしまっていた。

 だが、その憂いも今日をもって必要なくなる。織部と小梅、両者の両親から交際と結婚が認められた事で、そんな心配もすることはなくなった。後はもう、2人のそうなりたいという想いと行動が、それを実現させるだけだ。

 

「・・・・・・今、僕・・・すごい安心してる」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 電気が落とされ、ほぼ暗闇に近い状況の中、織部は小梅の手を優しく握る。

 

「・・・・・・言葉にできないぐらい、嬉しい」

 

 織部はそう言った通り、どう言葉にすればいいのか分からなかった。自分の中にある嬉しいという気持ちや、安堵・安心の気持ち、そして喜びの気持ち。それらをひとつ残らず全て小梅に告げたい。

 だが、それらをどう表現すればいいのか、織部には分からない。ただその感情を羅列しても、薄いと思われてしまうかもしれなかった。

 だからせめてと、小梅の手を握り、その喜びを少しでも伝えようとする。

 一方で、小梅は。

 

「私も・・・同じです」

 

 織部が握る手を、優しく握り返してくれる。

 もちろん小梅だって、嬉しくないはずがない。ずっとその未来を望み、その未来が叶ってほしいと切に願っていた。

 今日、また一歩その未来に近づくことができ、そして後は、織部と小梅の2人でその未来が来る事を疑わず、信じて突き進んでいくだけだ。

 そして何よりも、小梅はその未来が訪れる事が決まったも同然になって、自分の中にある嬉しさや未来への希望に拍車がかかった。

 

「・・・私・・・今からでも、この先の事が待ち遠しいです」

「?」

 

 だって、と言いながら小梅は身をもぞもぞと動かして、布団で顔を少し隠す。その仕草だけで、小梅が少し恥ずかしがっているというのが織部には分かった。

 

「・・・・・・春貴さんと2人で、ずっと一緒にいられたらって・・・“家族”で過ごせたらって考えると、幸せって事しか考えられないですから」

 

 織部の口から、空気が抜けるような笑い声が漏れ出す。

だがそれは決して、失笑や嘲笑などではない。それほどまでに小梅が、織部とのこの先の夢に希望を持っていると、織部の事を好いているのだと、心底思わせてくれることが嬉しかったから。

 そして、自分が小梅と出会って少しの間は、小梅は未来に夢を持つこともできず、悩み後悔して落ち込んでいて、ずっと孤独に近かった。その小梅が今、こうして自分と一緒にいる事を幸せと言って、そして先の夢も見据えるまでに至った事もまた嬉しかったからだ。

 そこまで自分の事を好きでいてくれている小梅の事も、織部は好きだった。

 だから小梅の事を優しく抱きしめて、心の中にある小梅への愛おしさや嬉しさを行動で示す。

 

「・・・・・・ありがとう、小梅さん。僕の事を、そこまで・・・」

 

 小梅も、布団の中だからと、恥ずかしいことを言ったからと嫌がるそぶりは見せず、織部の腕の中で目を閉じて、静かに笑っていた。

 そして2人は、そのまま眠りに就いた。

 

 

 翌日、織部は小梅を連れてある場所へと向かっていた。昨日の言葉の通り、小梅を連れて行きたかった場所だ。

 そこは一応、織部の歩く速さで言えば大体20分ほどで着く場所だが、それは1人だけで歩いた時の時間だ。今は小梅がいるので1人でさっさと行くというわけにはいかないため、小梅と歩調を合わせて歩いている。結果、織部1人で行く時よりも少し時間はかかっていた。だからと言って気を悪くすることはないが。

 やがて2人は、有刺鉄線付きのフェンスで仕切られた広い草原の前にやってきた。

 

「ここは・・・?」

 

 先ほどまでは静かな住宅街だったのに、いきなりこんな平原が姿を現すとは。わけも分からず、小梅は周囲を見渡す。

すると、フェンスに白い看板が取り付けてあるのに気づいた。そこに書いてある文章を読み、小梅はここが何なのかを理解する。

 

「戦車の、演習場?」

「そうだよ」

 

 その白い看板には、『戦車道演習場につき、関係者以外立ち入り禁止』と書かれていた。

 まさかこんなところに、こんな広大な土地があるとは。小梅が少しばかり驚いていると、織部が『こっちだよ』と言って再び歩き出す。どうやら、小梅を連れて来たかった場所は正確にはここではないらしい。

 そして、フェンスに沿って歩道を歩いていると、電光掲示板が立っているのに気付く。織部は『こんなのできたんだ』と呟いた。前に織部がここに来た時は無かったらしい。そしてその掲示板には、『本日、一部区域無料開放中』とあった。恐らく今日は、演習場を使う予定が無いから一般に一部区域を開放しているのだろう。

 さらにそのまま数分ほど歩くと、1つの建物が目に入った。それは、二階建てのコンクリート造りの無機質な建物だった。外側には、階段が付設されており、屋上へと上がることができる。

 織部は小梅を連れて、その階段をのぼり屋上へと足を踏み入れる。そして目の前に広がる草原の演習場を前にして、大きく息を吐いた。

 

「・・・ここは、変わってないなぁ」

 

 先ほどの掲示板を見た時もそうだったが、まるで織部はかつてここに来た事があるような口ぶりだ。広義に言えばここも織部の地元に含まれるのだろうが、それにしたって随分と思い入れがあるように聞こえる。

 と、そこで小梅はハッとようやく気づいた。

 

「もしかして、ここは・・・」

 

 柵を握る織部の背中に小梅は言葉を投げかける。それだけで意味が通じたのか、織部は小さく頷いて、答えた。

 

「僕が初めて、戦車道に触れた場所だ」

 

 不登校だった時、気まぐれにも近い感覚で、家から双眼鏡を持ち出し戦車道を観戦した場所だ。

 あの時、ここで戦車道の試合を観たことで、戦車道の世界に触れ、そして自分の将来なりたいものも見つけるきっかけにもなった。

 そして、その将来の夢を実現させようと強く願い、自分を奮い立たせて不登校から抜け出して、勤勉、努力を重ねて今こうしてその将来の夢が近づいてきている。

 織部が今現在黒森峰に短期留学できているのも、小梅という恋人ができたのも、全てはここで戦車道の世界に触れなければ実現しなかった事だ。

 今の織部を形成しているすべての始まりとなった場所が、ここだ。

 

「ここが・・・・・・」

 

 織部にとっては重要とも言えるこの場所に、小梅を連れてきた理由。それには意味があるのだと小梅には分かっていた。

 

「・・・ここで戦車道に触れなければ、僕は今ここにはいない。黒森峰に来て戦車道の勉強をする事も、小梅さんっていうかけがえのない人もできなかった」

 

 穏やかな風が吹き、緑の草が揺れる草原の演習場を見つめたまま、織部はゆっくりと話す。

 今、織部の目には何が映っているのだろうか。ただ目の前に広がる草原なのか、それとも初めて見た戦車の試合を思い出しているのか。

 

「僕にとっては、人生を変えた場所と言ってもいいぐらいだ」

「・・・・・・そんな大切な場所へ・・・どうして私を?」

 

 小梅は問うが、その答えは何となくだが掴めていた。

 

「・・・・・・小梅さんには、全部知ってほしかったんだ。僕にとっての大切な場所を」

 

 自分にとっての大切な場所を教えるというのは、相手の事を信頼しているからであり、その場所を共有したいという気持ちもある。そして織部にとっては、自分の起源とも言える場所を小梅に教える事で、改めて自分の事を知ってほしいという願望もあった。

 織部と小梅は、付き合い初めてから3カ月以上が経過し、随分と色々相手の知らない一面を垣間見ることができたような気がしていた。

 しかし、それだけではなく、こうしてここに連れてきた事で小梅に自分の事を理解してもらい、織部は2人の信頼関係をより深めたいと思っていたのだ。

 それを小梅は理解して、静かに笑い頷く。

 

「・・・・・・それにここは、景色も良くて気持ちいいからね」

 

 織部が再び、演習場に目を向ける。小梅も織部の横に並び、一緒になって演習場を見渡す。

 見渡す限りの平原で、少し目を凝らせば木々も見える。そして草原の上に広がる空には、雲がいくつも浮かび穏やかな風に乗りゆっくりと流れている。都会だったら、こうして雲の動きをじっくり見る事など叶わないだろう。

 広大な景色と言うものは、見ているだけで心地良さを感じ、癒しにも似た感覚を得るものだ。学園艦だって、船であるがゆえに周りは海に囲まれて、水平線まで何も見えないというぐらいには広大な景色を見る事が何度かある。だが、こうして自分の訪れた事のない、または久しく訪れていない場所で見る景色と言うのはまた格別だ。

 

「・・・・・・本当ですね・・・。風が気持ちいいです」

 

 目の前に広がる光景を見て小梅もそう思ったようで、静かに目を閉じる。頬を撫でる風を感じ、風に揺られ草木の揺れる音を静かに楽しむ。自然の音を、満喫していた。

 少しの間はそうして自然の景色と音を楽しんでいたが、今は8月下旬で暑い時期だという事を、風が止みじりじりと照り付ける太陽の光が思い出させる。2人は少し暑くなってきたので引き上げる事にする。

 階段を降りて1階の休憩スペースに足を踏み入れる。中は空調が効いていてとても涼しく、汗がみるみる引いていく。自販機で飲み物でも買おうかと思ったが、このあと買い物に行ってくるよう母から言われたので、そこで買えばいいかと思い何も買わないでおく。小梅も同じようだったので、財布は結局出さなかった。

 木製のベンチに座り、壁にある掲示板を見る。そこには、宣伝とも言うべきチラシが2枚貼ってあった。

 片方は、大学選抜チームとくろがね工業という実業団チーム―――簡単に言うと社会人で構成されたチームが試合を行うという。場所は今年の全国大会決勝が行われた東富士演習場で、日時は今日、しかも時間的に既に始まっていた。もっと早くに知っていれば、行けたかもしれない。

 そしてもう1枚のチラシには、“全国大会エキシビションマッチ”と記載されていた。優勝した学校が主体となる行事のようで、各学校のホームタウンで行うものらしい。もちろん、町がそれを許可しない場合もあり、その場合は公式の演習場で行う、と小梅が教えてくれた。

 試合を行うのは、今年優勝した大洗女子学園、強豪校の聖グロリアーナとプラウダ、そして黒森峰も戦った知波単学園だ。チラシにはそれぞれの学校の校章と主力戦車が映っており、試合日時は明後日の8月24日、場所は大洗町だ。という事は町が試合を行うことを許可したという事になる。

 実に興味を惹かれるものだが、残念ながらその日は織部と小梅が黒森峰に帰る日だった。列車の切符も取っているし、連絡船の時間も限られている。見に行く暇が無かったので、諦めざるを得ない。

 

「もっと都合が合えばよかったんだけどね・・・」

「そうですね・・・。みほさんの試合、見てみたかったです」

 

 確かに、町そのもので試合をするというのは面白そうだったし、それに強豪校が揃って試合をするというのも興味深い。西住みほの奇策や戦いがまた見れるかもしれなかった。戦車道が好きだから、将来も戦車道に携わる事を望んでいたからなおの事、この試合が見れないのは実に惜しい。

 10分ほど休んでから、織部が立ち上がる。母に言われた通り、買い物に行くのだ。

 

「せっかく久々に帰省したっていうのに使い走りなんて・・・ねぇ」

「まあまあ・・・」

 

 織部が不満そうに愚痴るが、小梅が窘める。

 今朝、小梅と出かけると織部が言った矢先に母から買い物をついでに頼まれてしまったのだ。この炎天下の中、しかも歩きとはいささか苦行とも言うべきだったが、小梅が断る事無く引き受けてしまったので、織部も致し方なく従う事にしたのだ。

 立ち上がり、休憩スペースと外を区切るガラス張りのドアを見つめる。外には道路と、フェンスで仕切られた演習場が広がっているが、太陽の光が全力で照らす日の下の温度と、アスファルトの照り返す熱の度合いは、推して知るべしだろう。

 

「・・・・・・やっぱり飲み物買っておこうか。途中で倒れたりしたらマズいし」

「・・・ですね」

 

 せっかく実家に帰り、やっと小梅との未来を実現できる一歩を踏み出したのに、熱中症で倒れたなんてシャレにならない。

 織部が財布を取り出し、スモールサイズのスポーツドリンクを2人分買って1本を小梅に差し出す。一口飲んでから、ドアを開き、外の世界に足を踏み入れる。

 

 

 昼食についてだが、買い物に行った先のスーパーに併設されているファミレスで済ませた。

 そして肝心の買い物について。

 買った食材の量はそこそこ多かったが、レジ袋は3つで済んだので、小梅に負担をかけさせまいと織部が全てを持とうとしたが無理だった。織部は泣く泣く小梅に袋を1つ渡して、2人並んで帰路に就く。

 ただ、炎天下の中で決して短くない時間歩くというのは流石に戦車道を嗜む小梅であってもきついようで、額に汗を浮かばせながら2人は家路を歩いた。家に着くころには織部は溶けてしまいそうなぐらいだれてしまっていて、小梅も大きく息を吐いていた。その後は、1人ずつシャワーを浴びて汗を流し、夕食の時間までは休む事にした。

 そして今日は、昨日の約束通り小梅が母の料理を手伝う。

 その日の夕食はカレーとポテトサラダ、そして漬物で、漬物以外はほとんど小梅の作ったものだと、織部の母は言っていた。

 さて、肝心かなめなの味についてだが。

 

「・・・・・・美味いな」

 

 カレーについても、サラダについても織部の父がそうコメントした。

 普段から物静かで、こうして料理を食べた時などではあまり感想を口にしない織部の父が、こうして味の感想を呟く事は稀だった。だが、この時は織部も織部の母も同意見だったので、揃ってこう口にした。

 

「「美味しい」」

 

 それに対して小梅ははにかみながら、『ありがとうございます』と言っていた。

 

 

 その翌日、織部と小梅は2人で昨日とは違う場所―――電車で少し遠出してデートでもしようかと思ったのだが、まさかの大雨によってどこかへ出かける事もできず、1日を家で過ごす事になってしまった。

 外は涼しいのだろうが、こんな状況で窓を開ければ家の中が湿気で大変なことになりかねないので、窓は閉め切り除湿で室内の湿度を下げている。結果的に家の中は涼しいので快適だった。

 とはいえ、ただ何もしないというのも少し時間を無駄に使う感じがするので、織部と小梅の2人は、織部の部屋で読書に勤しんだ。織部の読んでいる本はお気に入りの推理小説で、小梅の本は織部の本棚にあった『本当にあった怖い戦車』だ。タイトルが気になって読んでみたらしい。

 織部も小梅も、本音を言わせてもらえば2人でどこかへ出かけたい気分だった。けれど、2人で一緒に、雨の音をBGMに静かに読書を楽しむというのも悪くはない。小梅の思っていたように、織部と一緒ならどこでも楽しかったし、たとえ家で読書になろうとも、それは変わらなかった。織部も同じだったようで、不満や愚痴をこぼしたりはしなかった。BGMにしては、外の雨はいささか強すぎるが。

 結局、雨は1日中降り続け、寝る前になってようやく勢いが収まった感じだ。

 その日の夜も、昨日一昨日と同様に2人で寝たのだが、ベッドに横になってすぐに、織部は小梅に謝った。

 

「・・・・・・小梅さんの実家みたいに、あまり外に行けなくてごめんね」

「そんなこと・・・・・・とても楽しかったですよ。昨日の買い物も、今日の読書も」

 

 それは織部も同意見だった。昨日の買い物も暑かったとはいえ、デートとは違う雰囲気で2人で出かけられたのは楽しかったし、今日の読書のような静かな雰囲気で2人で過ごすというのも悪くはなかった。

 しかし小梅の実家では、1日は熱を出した小梅の看病で潰れたとはいえ、お祭りに行って夏らしいことを経験できた。それだというのに、織部の実家に来れば炎天下の買い物と、大雨の足止めときた。天候のせいとはいえ、せめてと思ったデートができなかった事は悔やむに悔やみきれない。

 それで、小梅の気分を害してしまったかと思うと、不安でならなかった。

 だが、横に寝る小梅はそんな気持ちを一切見せないように微笑んで、織部の事を見つめている。

 

「また今度、埋め合わせをさせてほしいかな」

「大丈夫ですよ。そこまで気にしなくても・・・・・・」

「でも・・・・・・」

 

 小梅がそう言っても、織部の気持ちは晴れない。

 だが、どうにかして詫びたいと思い何かを告げようとする織部の口に、小梅が人差し指を添えて言葉を途切れさせる。

 

「・・・いいんですよ。本当に」

 

 先ほどとは違うような声量。普段よりも少し、嬉しさをにじませるような声に織部も口をつぐむ。そこで小梅は指を離し、天井を見上げる。

 

「・・・・・・春貴さんっていう、私が一番好きで・・・一番愛している人と一緒に過ごせたから」

「・・・・・・小梅さん」

 

 小梅は愛おしそうに目を閉じて、そして笑う。

 

「・・・・・・春貴さんと一緒に過ごせただけで、私は十分幸せですから」

 

 その言葉で、織部の心にかかる靄のようなものが払拭されて、心が晴れやかになった気がする。

 自分の事をここまで想ってくれていて、そして今日のように上手く行かなかった日でさえも、一緒にいることができただけで十分幸せだと、織部を安心させるように言ってくれた。

 だからもう、それ以上織部は何も言いはしない。

 ただ、小梅の身体を優しく抱き寄せるだけだ。自分が好きで、愛していて、なおかつその人もまた自分の事を好きでいるのなら、その人に対する嬉しい気持ちは言葉で伝えるよりも行動で示した方が気持ちが伝わりやすい。

 そして小梅も、穏やかな表情を浮かべる。

 しかし織部の頭には、別の考えるべきことがあった。

 夏休みは後、1週間ほどで終わってしまう。

 そして織部の留学期間が終わるのは9月30日。夏休みが終わる8月31日から1カ月後だ。

 とすれば、織部が小梅と一緒にいられる時間もあとわずかしかない。以前、まほの誕生日で小梅に聞かれた時は、まだ3カ月“も”あると言ったが、今となってはさすがにそうも言ってられない。

 本格的に小梅との一時の別れが近づいてきているのを改めて実感し、織部は恐怖にも似た感情を覚える。

 その時が来たら、自分はどうなってしまうのか。どんな顔をして、どんな言葉を告げて、どんな気持ちになるのか。

 それが怖くなり、小梅を抱き締める力を強くする。

 

「・・・・・・春貴さん?」

 

 それで小梅が少し不安な気持ちになってしまったのか、織部の名を呼ぶ。

 

「・・・・・・ごめん、何でもないよ」

 

 その恐怖を悟られたくはなかったし、織部との別れを再認識させて小梅を悲しませたくも無かったから、織部は嘘をついた。

 しかし織部は、嘘をつくのが下手だった。

だから、何かあるというのは小梅にもすぐに感づかれてしまった。

 けれど、長時間の読書で目が疲れていたことと、織部に抱きしめられて温もりを直に感じてしまった事で睡魔に襲われ、小梅は織部が何を隠しているのかを考える間もなく眠ってしまった。




アルストロメリア
科・属名:ユリ科アルストロメリア属
学名:Alstroemeria spp.
和名:夢百合草
別名:百合水仙(ユリズイセン)、インカの百合
原産地:南アメリカ
花言葉:未来への憧れ、幸福な日々、持続など


あまり多くイベントを書いてしまうと、
話的にだれてしまう感じがしたので、少しだけ端折らせていただきました。
お気に召さない場合は、申し訳ございません。
前の話の時は、このイベントは書いておきたいと考えていたんです。
この作品についても、年内には終わらせる所存でありますので、
最後までお付き合いいただければ幸いです。
感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。




多分次回は、織部と小梅はあまり出て来ません。
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