愛里寿隊長、誕生日おめでとう!(フライング)
前回の予告通り、
今回はあんこうチーム&しほと千代の話です。
お楽しみいただければ幸いです。
夏休みを残り1週間に控えた日に、大洗女子学園の地元・大洗町で全国大会のエキシビションマッチは開催された。熱い砲撃戦を繰り広げ、店を破壊しては店主を喜ばせた試合の後、大洗女子学園は急遽廃校になると文部科学省に告げられてしまった。
元々、目立った成績も無く、生徒数も年々減少傾向にある大洗女子学園は、莫大な維持コストのかかる学園艦の統廃合計画の槍玉にあげられた。
だが、文部科学省からは戦車道全国大会で優勝すれば廃校を免れる“可能性がある”と言われ、その言葉を信じて大洗女子学園は20年ぶりに戦車道を復活させ、そして全国大会で悲願の優勝を果たした。
けれど文部科学省は非情にも、『廃校撤回は可能性の話であり確約ではない』と冷酷な事実を告げ、大洗女子学園は廃校になってしまい、その翌日に大洗女子学園の住人は全員退去し、学園艦は太平洋上にあるとされるスクラップ場へと移動させられてしまった。
だが、諦めきれない彼女たちは何とかして廃校を取り消そうともがき、大学選抜チームとの試合に勝てば廃校撤回を“確約する”という話を取り付け、試合に挑んだ。
けれど試合は絶望的なまでに大洗に不利で、勝ち目など見出せないような試合になってしまった。
しかしその大洗の危機に駆けつけてきたのは、これまでに大洗と砲火を交え、時にはともに戦った学校の精鋭たちだった。そして試合は対する相手・大学選抜チームと互角に持ち込み試合は開始された。
激しい戦いの末、大洗は見事大学選抜チームに勝利し、廃校は今度こそ、本当に、撤回され、学園艦も母港・大洗港に戻ってきたのだ。
そんな大洗の皆の、決死と言っても過言ではないような奮戦を少しも感じさせないほど、 大洗女子学園艦は太平洋を穏やかに航行していた。波の音は静かで、夜空に輝く星々も煌めいて、大学選抜チームとの死闘など夢だったと錯覚させるほど、平穏だった。
そしてその学園艦の住宅街の歩道を歩きながら、大洗の戦車隊の隊長である西住みほは夜空を見上げていた。
こうして海を航行する学園艦から見上げる夜空は、天候が悪くない限りは今のように無数の星々が輝き、今にも降ってきそうなぐらいだ。
夜空を見上げる機会はこれまで何度もあったというのに、今見上げる夜空はこれまでとは全く違うように、新鮮に見えた。
「みぽりん、どうかしたの?」
すると、長い間空を見上げているのが変に見えたのか、一緒に歩いている人物から声を掛けられてしまった。その人物は、明るい茶髪のウェービーヘアの少女・武部沙織だ。
「ううん、何でもないよ。ただ、学園艦から見る星空は綺麗だなぁって思ったの」
心配そうな沙織を落ち着かせるように、みほは笑いながら首を横に振ってそう言う。
「私も、ここから見る星空は好きですよぉ。だってこんなに綺麗な星空、都会じゃ見れないですからね!」
そのみほの言葉に真っ先に反応したのは、かなり癖の強い、薄めの黒のショートボブの秋山優花里だ。彼女は前に、星が良く見えて学校が海の上にあるのも悪くは無いと言っていた。
「・・・・・・ちなみに、都会で星空が見え辛いのは、都会の光が明るすぎて夜空までぼんやりと明るくなってしまうかららしい。それで光の弱い5等星や6等星が見えなくなってしまうんだとか」
「そうだったんですか・・・。麻子さんは本当に物知りですね」
みほと優花里の後ろで豆知識を披露したのは、腰まで伸ばした黒髪と白いカチューシャが特徴の小柄な冷泉麻子。
その麻子の豆知識に素直に驚き感心したのは、麻子と同じように黒い髪を腰まで伸ばしているが、麻子よりも髪が艶やかで、さらに頭の天辺で髪が1本ぴょこんと跳ねている、長身の五十鈴華。
ここにいるみほを含めた5人は、大洗女子学園戦車隊を代表する戦車・Ⅳ号戦車―――あんこうチームの仲間であり、みほにとってはかけがえのない親友だ。
「いや~、でもこうして前みたいに綺麗な夜空が見えるのも、あの試合に勝ったからだよね~」
沙織が腕を伸ばしながら、心底よかったとばかりに呟く。その言葉に同意したのはここにいる全員で、華は沙織の言葉に小さく頷く。
「そうですね・・・あの時、他校の皆さんが来てくれなかったら、私たち今頃、ばらばらになっていたかもしれませんね」
「・・・・・・かもしれない、と言うか間違いなくそうなっていたな」
華の言葉に、麻子が付け加える形でボソッと呟く。だがその麻子のつぶやきは全員に聞こえていた様で、その言葉には全員が全く持ってその通りだと頷く。
生徒会長の角谷杏がやっとの思いでどうにか取り付けてきた試合の条件も、大洗に勝つ隙など与えないとばかりに絶望的に不利だったので、他の学校の皆が増援に駆けつけて来てくれなければ、まず間違いなく大学選抜チームには勝てなかった。
そうなれば、華の言う通り今頃はこの学園艦も解体され、大洗の仲間たちも各地に散り散りになってしまっただろう。
「あの時は・・・皆が来てくれたおかげで勝てたから・・・・・・ありがとうって気持ちも、全然伝えきれてないよ」
みほが、駆けつけて来てくれた皆の顔を思い浮かべながら、微笑む。
試合が終わった後で、杏たちと共に『ありがとう』を皆に伝えたが、あれだけではまだ感謝の気持ちを伝えきれていないと、みほは思っている。
大洗へ戻り、学園艦が戻ってきて、文部科学省に問い合わせて廃校は完全に撤回されたことを確認すると、大洗は改めて応援に来てくれた学校に向けて感謝の気持ちを手紙で伝えた。ちなみに手紙を書いたのは、みほだ。
その手紙には、割とすぐに返事が返ってきた。みほと同じく、手紙で。
『おめでとう』
『Congratulations! いつかまた、正々堂々戦える日を待ってるわ!』
『この私が力を貸してあげたんだから、感謝しなさい!でもま、おめでと!』
『こんな言葉を知ってる?「つねによい目的を見失わずに努力を続ける限り、最後には必ず救われる」』
『学校が戻ってきたようで何よりだ。我々も、パスタを茹でて大洗の復活を祝おう!』
『人生は理不尽の連続というものだよ。でもその流れに抗い続けていれば、いつか風が味方をして、最後はその理不尽を打ち砕く。君たちはそれを行動と結果で示したんだ』
『こちらこそ、戦車道史に残るような試合を共に戦うことができて、とても嬉しく思います。いつかまた戦う機会を心待ちにしておりますので、これからもよろしくお願いします』
どの手紙が誰の書いたものなのかが分かるくらい、個性豊かなものだった。
聖グロリアーナのダージリンのものであろう手紙の最後の方には、追伸という言葉と共に『ドイツの詩人・ゲーテの言葉ですね』と本文とは違う字体で書かれていた。恐らくこの追伸を書いたのは、本文を書いたダージリンの腹心(?)のオレンジペコだろう。
そして知波単からの手紙は、さながら戦国武将の書状と言うべき紙と文字で書かれていて、最初は何が書いてあるのかさっぱり分からなかった。最終的にはカバさんチームの元忍道履修生で戦国時代ファンの左衛門佐の助力で解読できたのだが。
「でも私は、西住殿の作戦があってこそ、あの島田愛里寿に勝つことができたんだと思いますよ」
優花里がみほの顔を覗き込むようにして言うが、みほは『そんなことないよ』と手を横に振って苦笑する。しかしながら、この場にいるみほ以外の全員は、島田愛里寿を倒すことができたのはみほのおかげだと思っていた。
最後の島田愛里寿との戦いで、空砲を使い島田愛里寿の戦車との差を一気に詰めてゼロ距離射撃を狙うという作戦をみほは決めた。そしてその作戦は見事に成功し、島田愛里寿のセンチュリオンと、彼女たちのⅣ号戦車は相討ちとなった。それで大学選抜チームの車輌は全滅し、大洗女子学園はみほの姉であるまほのティーガーⅠ1輌だけが残り、殲滅戦ルール適用下なので大洗が勝利した。
みほのあの作戦が無ければ、恐らく島田愛里寿に勝つのは厳しかっただろう。みほの持ち味である柔軟な発想と破天荒な作戦があったからあの試合には勝つことができた。
優花里はそう言っているのだ。
「でもさぁ~・・・」
そこで沙織が、先ほどまでの嬉しそうな表情とは対照的にげんなりした表情を見せる。
「宿題がそのままだったのは想定外だったよぉ~・・・」
「・・・・・・当たり前だろ」
沙織の不満たらたらな言葉に、麻子は冷静かつ率直に意見を述べる。
夏休みが終わる1週間前、大洗町のエキシビションマッチが行われた日の時点では、沙織はまだ夏休みの宿題を終わらせてはいなかった。その後、学校が廃校になると言われて宿題も有耶無耶になってしまい、結果廃校は撤回されて宿題も通常通り提出となってしまった。
「計画通りに進めないからいけないんですよ」
「私はエキシビションマッチ前にギリギリで終わらせました。やっぱり戦車道の試合には、憂いなく参戦するのが一番ですからね!」
「・・・・・・そもそも夏休みの宿題は、7月中に終わらせるものだろうが」
華、優花里、麻子が三者三様の意見を述べると、ますます沙織の表情がどんよりとする。どうやら、自分だけが気楽に宿題を進めていた事にショックを受けているらしい。
みほは、苦笑しながら沙織に話しかける。
「で、でも何とか延長期間に間に合ってよかったね」
「うん、あの時は本当に助かった」
宿題を始業式までに終わらせられなかったので、沙織は教師からお叱りを受けるのかと怯えていた。
ところが、沙織を含め大洗の戦車隊の全員が学校を救ってくれたことは教師陣も知っていたので、教師なりの感謝の気持ちを表す形で、宿題の提出期限が延長となった。この救済措置に喜んだのは沙織だけではなく、うさぎさんチームに属する1年生の阪口桂利奈や宇津木優季などだった。
兎にも角にも、その延長期間で沙織はどうにか宿題を終わらせて、お叱りは免れたのだ。
「皆のおかげだよぉ~。ありがとうね」
沙織がみほにお礼を告げる。
延長期間の間に何としても宿題を終わらせようとして、沙織はあんこうチームの仲間にSOSを出した。その呼びかけに応えてみほたちは集まり、沙織の宿題を手伝った。と言っても、筆跡でバレる可能性が高すぎるので、沙織以外が問題を解き、それを沙織が提出物に記した形だ。
「・・・・・・感謝してもらいたいものだな」
「だからこうしてご飯を作ってあげようとしてるんじゃない!」
麻子が、いつになくドヤ顔で言うと沙織が半ばムキになって反論する。
彼女たちが向うのはみほの部屋。そして、沙織の言う通り、沙織の宿題を手伝った事でそのお礼を手料理という形で沙織が示そうとしているのだ。
みほたちの手には、先ほどスーパーで買った食材が入ったビニール袋がある。だが、みほたちも全部沙織に任せるというつもりは無いので、手伝うつもりだ。
「武部殿の料理、美味しいですよね」
「そうですね。あんまり美味しいので、つい食べ過ぎちゃうぐらいです」
今日はどのような料理が出てくるのか、優花里と華が想像を膨らませていると、沙織が振り返って華を指差す。
「華ってばいつもたくさん食べてるのに全然太らないよね、ズルい!」
「花を生ける時は集中しているからでしょうか・・・。集中してるとお腹がすくんですよ」
「沙織さんも全然太ってないように見えるけど・・・」
「ダメだよみぽりん!そうやって油断してるとお肉が余計についちゃって、男子に振り返ってもらえなくなっちゃうんだから」
「・・・・・・世の中には、『いっぱい食べる君が好き』って言葉があってだな」
「あれはね、悪魔の言葉なのよ」
「あれも最近は若干ネタ的な意味合いが強くなってますしねぇ」
皆と一緒に、他愛も無い話をしながら下校して、一緒にご飯を作って食べる。
そんな高校生的にはごく普通な時間を、みほは心から望んでいて、そして楽しんでいた。
黒森峰にいた頃は、引っ込み思案な性格と、黒森峰戦車隊の副隊長と言うそれなりに高い地位にいて、さらに去年の自分が犯した失態が原因で、友達と呼べる人が全くと言っていいほどいなかった。だから独りでいる事が多くて、その皆にとっての“普通”に憧れている節があった。
そんな過去があったからこそ、こうして大洗でそのごく普通の生活を送ることができて、何より大洗と言う大切な場所を取り戻すことができて、本当に嬉しかった。
その嬉しさをみほは噛み締めながら、5人はみほの寮へとやってきた。
そこでみほは、郵便受けを覗くと1通の封筒が入っているのに気づく。ふたを開けて、その封筒の差出人を見たところで。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
みほの動きが止まった。
先ほどまで特に支障なく話していたみほが黙り込んでしまったので、沙織たちもさすがに不審に思う。
「みぽりん・・・?」
「どうかしたんですか?」
沙織と華がみほを呼ぶが、みほが反応しない。
そして、みほの身体がふらっと揺れて、そして倒れそうになる。それを慌てて、華と優花里が支えた。
「西住殿!?」
「ど、どうしたんですか急に・・・?」
華がみほの顔を見るが、そこで華は見た。
みほの顔は恐怖に染まり、瞳に光が宿っていない。
その顔は、華も見覚えがあった。
まだみほが大洗に来て間もない頃、戦車道を突然復活させると決めた生徒会が、みほに戦車道を履修するように半ば強制的に告げた時に見た、あの時のみほの絶望的な表情だ。
「・・・・・・誰からの手紙だ?」
麻子が、みほの様子がおかしくなったのは、今みほが手に握っている封筒が原因だと冷静に分析していた。となると、送ってきた人物に対する怯えをみほは感じていると、麻子は察したのだ。
「お・・・・・・か・・・・・・さ・・・・・・」
「え?」
喉が引っ付いたかのように、みほが細々と声を出すが、それが聞き取れずに沙織が思わず聞き返す。
そしてみほは、沙織の方を向いて、告げた。
「・・・・・・お、母さん・・・から」
みほの部屋は、全体的にパステルカラーで統一されており、棚にはみほのお気に入りである、ボコられグマのボコのぬいぐるみがいくつも並べられている。総じて、穏やかな雰囲気のする部屋だ。
だが、その雰囲気とは裏腹に、みほたちあんこうチームの面々は緊張した面持ちで、テーブルの上に置かれた、みほの母親である西住しほからみほに宛てられた封筒を見ている。皆の位置は、みほからみて右側に華、左側に優花里、正面に沙織と麻子が並んで座っている。
「・・・・・・どうしよう・・・」
みほは、この封筒を開く事を恐れていた。
大学選抜チームとの試合を行う旨が記載された念書にはしほのサインも書かれていて、その時みほは、しほも大洗を無くすまいと動いてくれたのだと、嬉しく思った。
だがその後で改めて思うと、しほは恐らくはみほの学校を守るためではなく、日本の戦車道の未来を守るために動いたのかもしれない、と思うようになった。
元々みほは、去年の決勝戦以来、しほが自分の事を娘として見ているのか疑わしく思っていたし、自分の事を厳しく批判したしほを恐れ、しほとは極力話さないように避けていた部分もあったから、親子間での絆はほぼ無いに等しい。
そんなみほのためにしほが動くなどと、楽観的に考える事がみほにはできなかった。
それにみほの名は、世間に知られてしまっている。今年の全国大会で優勝し、その上大学選抜チームとの戦いも制してしまった事で、戦車道の世界で西住みほの名を知らない者はいないとまでされてしまった。
それをしほがどう思うのかは、しほ自身しか知らない事だ。娘として誇らしいと思うか、黒森峰で失態を犯した分際でと吐き捨てるか。
だがみほは、後者の方だと思い込んでしまっていた。そんなしほが、このタイミングでどんな内容の書類を送ってきたのか、想像するだけで恐ろしい。
それにみほはこれまで、しほから手紙はおろか、メールすらも貰ったことはない。たまに送られてくる仕送りにだって、メモの1つも入ってはいない。だからこうして、手紙をもらう事自体が初めての事だったので余計に緊張していた。
「・・・・・・みほさんのお母様とは・・・文科省から会長が貰ってきた念書にサインされていた・・・?」
「・・・・・・うん」
華が思い出すように、そして確かめるようにみほに聞くと、みほはぎこちなく頷く。
華の向かい側に座る優花里は、この中ではみほの次か、同じぐらい戦車道の事情には詳しい。だから、みほの母が西住流の家元だという事も、高校戦車道連盟理事長だという事も知っていた。
そして戦車道の事情に詳しいからこそ、優花里はルクレールで最初にまほたちと会った時もみほの事を庇い、戦車道が復活して間もないころに、みほと初めて会う前からみほの事を知っていた。
戦車道の面ではみほの事をここにいる誰よりも理解している優花里は、みほが目の前にあるしほからの手紙を開ける事を恐れている気持ちが、よく分かった。あの決勝戦を見ていたから、みほがあの後どのような末路を迎えたのかは、少し考えれば分かったから。
だが同時に、みほと違い、優花里自身は親との衝突などとは全く縁が無くて、こうして親子の間で目に見えるほどの軋轢が存在するという場面を自分で経験したことが無い。
今日まで戦車道では、スパイや情報収集などでみほのサポートに務めていたにもかかわらず、戦車道の問題であり同時に西住家の問題でもあるこの事に関して明確なアドバイスができず、優花里は自分の事が情けなく思えてしまった。
「みぽりん・・・・・・大丈夫・・・?」
沙織が、みほの身を案じるかのように問うが、みほは『だ、大丈夫・・・』と答えるだけだ。それが強がりであることは明らかで、内心では怯え切っていると分かっていた。
沙織も、親からの手紙一つでここまで怯える人物を見た事は無かった。沙織の家族仲は良好で、父親からはよく手紙が送られてくる。けれどその手紙を見る事恐れるなど一度も無いし、むしろ楽しみにしていた面もあった。
だから、今みほが怯える気持ちを理解できないのが、内心では辛かった。いや、みほが自身の母親を恐れる気持ちは、なんとなく理解できても、手紙を見るのが怖いという気持ちが理解できないのだ。そしてそれが辛い。
みほの黒森峰での事情を知ってから、今日までみほの傍にいて、せめてみほが普通の女子高生らしい生活が送れるようにと一緒にいてあげる時間が長かった。
なのに今、沙織自身がみほに対して気の利いた事が何も言えないのが、悔しかった。
「・・・・・・みほさんの気持ち・・・私には分かりますよ」
「華さん・・・・・・」
そんな怯え切ったみほに、優しく話しかけたのは華だ。
「家族とすれ違いが起きてしまうと、声を聞く事も、顔を合わせる事も、手紙を交わす事さえ怖くなってしまいますからね・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・相手がどう思っているのかが気になって仕方が無くて、それでいつしか家族と“話す事”ではなく“家族の事”を無意識に恐れてしまうようになってしまうんです」
華は、戦車道を始めた事を五十鈴流華道の家元でもある自分の親に告げずにいたせいで、勝手な行いをした罰として勘当同然の扱いを受けてしまった。にもかかわらず華は笑ってそれを、『自分の新しい門出』と評し、涙を見せる事もなく、怯えたりもしなかった。
そんな華を、優花里は肝が据わっていると言っていたが、内心ではショックを受けていたのだと、華の勘当の下りを知らない麻子を除く全員が今それに気づいたのだ。
「でも、だからこそ・・・・・・その家族から認められた時の嬉しさは、ひとしおでした」
華は、最終的にその華道の家元の母親と和解した。繊細で奥ゆかし気な五十鈴流の生け花とは違い、躍動感のある花を生けた華に『五十鈴流とは違う新境地を開いた』と華の母は評価し、そして認めるに至ったのだ。
だから華は、家族とのすれ違いをみほと同じように経験しているからこそ、みほの気持ちが分かるのだ。
そして、そのすれ違いを起こしていた家族と和解で来た時の嬉しさを知っているのは、この場では華だけだ。
みほも夏休みにまほと、そして黒森峰のエリカ、小梅と和解できた。その時の嬉しさは確かに筆舌に尽くしがたいものだったが、今度の相手は姉でも、友達でもない、親だ。それも自分の事を厳しく批判していた。だから前とは違う緊張感や不安にみほは苛まれている。
「・・・・・・西住さん」
「・・・・・・?」
そこで、先ほどまで黙りこくっていた麻子が、小さく手を挙げながらみほに話しかけてきた。
「・・・・・・西住さんとご家族の間で、何が起きたのか・・・詳しい事は私にも分からない」
みほはかつて、自分が黒森峰で何が起きたのかはここにいるあんこうチームのメンバーにかいつまんで話した。だが、それが原因で家族とはどんな関係になってしまったのかまでは、話していない。だから麻子の『家族との間で何が起きたのかは分からない』という言葉は正しかった。
けれども、先ほどみほが手紙を見てから様子がおかしくなったのは明らかで、送り主と何らかの確執があった事は麻子からすれば想像に難くない。
そして。
「・・・・・・でも、いずれは西住さん“も”、親と離れ離れになって、二度と言葉を交わすことができなくなる時が、絶対に来る」
「・・・・・・・・・・・・・・・!」
普段は気だるげな印象が強い麻子の、見た事も無いような真剣な表情と、聞いた事も無いような芯のある声。
みほはそこで、思い出す。麻子の両親は、麻子が小学生の頃に事故で亡くなってしまっている。それも、その事故の前に麻子と両親は喧嘩をしてしまい、仲直りすることができないまま永遠の別れを遂げてしまった。
小学生と言うまだ幼い年齢で、早すぎる両親との死別は麻子にとってのトラウマとなり、麻子を親しい者を大切に思う性格へと変え、麻子は唯一の肉親である祖母を大切に思うようになった。
「・・・・・・これは私の経験上だが、もし、ご両親との仲が悪いまま“そう”なったら、一生拭えない、忘れられない後悔と罪悪感を背負って生きていくことになる」
「麻子・・・・・・・・・」
「・・・・・・だから私は、西住さんにはそうなってほしくはない」
沙織は小学生以来の麻子の幼馴染だ。だから、麻子の両親が亡くなった経緯も、その時麻子がどうだったかも知っている。そしてその時以来、麻子がどれだけの後悔の念を抱えているのかも、幼馴染として一緒にいたから分かっていた。
だからこそ、そのトラウマを自ら思い出しながらもみほに戒めている今の麻子が、どれだけ“本気”なのかが分かった。
そしてみほだって、麻子の両親とのことは沙織から聞いた。だから麻子も、他人事とは思えなくてみほに言葉をかけたと分かる。
そしてもし“そう”なったら、みほは恐らく麻子の言ったように、胸の中につかえを抱えたまま、この先生きていく。
それに自分が耐えられるかと問われれば、恐らく無理だと答える。みほ自身は、途中のどこかで壊れてしまうかもしれない。
そして何より、みほも本心ではしほとの和解を望んでいた。夏休みにまほに招かれ黒森峰に行った際、まほから去年の真実を告げられて、まほは頭を下げて来てくれた。
みほはその時、まほだって多くの背負うものがあった事は元より知っていたけれど、それでもまほが自分から謝ってきた事は、素直に嬉しかった。それに、昔の優しかったまほは今もまだいるのだと思わせてくれて、それが嬉しさを増長させた。
そして、まほとの和解を遂げて以来、いつかはしほとも仲直りがしたいとみほは本心から思うようになっていた。
この封筒を最初に見た時は、初めて手にするしほからの手紙という事で驚きと恐怖心が先に来て、その本心を忘れてしまっていたが、この手紙がもしかしたらしほとの仲を取り戻せるような足がかりになるかもしれない。
みほは、沙織と優花里が自分の事を思ってくれているというのがその目を見て分かるし、華と麻子の言葉を聞いて、みほの中での決意が固まった。
「・・・・・・私、この手紙・・・・・・」
『・・・・・・』
「・・・・・・開くね」
みほを含め、この場にいる全員が息をのむ。みほは立ち上がって、棚からカッターナイフを取り出し、封筒の封を丁寧に切る。
そして、中に入っていた3つ折りの便箋を取り出す。結構枚数があった。
みほは、爆発物を取り扱うかのように、便箋を開く。イメージしていた筆ペンではなく、万年筆で書かれた文字は、(失礼かもしれないが)意外にも女性的なイメージが強かった。
そして、みほは文章を読み始める。
『みほへ』
『こうしてあなたに手紙を送るのは初めての事なので、
あなたも驚いているかと思いますが、お元気ですか?
本家の方は、秋を迎えた今も少し蒸し暑い日が続いています』
『普段から手紙やメールを送る事も無かったので、
こうして手紙が来た事に驚いているかと思います。
ですが、少しあなたに伝えたい事があって、
この手紙を書かせていただきました』
『昨年の全国大会の決勝戦でのあなたの行動を、
あの時私は西住流の師範として厳しくしなければと思い、
あなたの事を責めてしまいました。
そして自分の行いを否定されたそのことをきっかけに、
あなたは黒森峰を去ってしまいました』
『あの時のみほの行動は、何も正しくなかったと。
西住流にしてみれば間違いとしか言いようがないと。
西住流を継ぐ者として恥を知りなさいと。
私はあなたにそんな言葉を浴びせた記憶があります』
『ですが、あなたは今年の全国大会に、
大洗女子学園を率いる隊長として再び出場しました。
それを知った時、私はひどく憤ったものでした。
昨年の全国大会で西住流の名を汚したあなたが、
戦車道はもうできないと私に告げたあなたが、
またこうして西住を名乗り戦車の表舞台に立ったことが、
私にとっては許せませんでした』
『けれど、あなたは強豪校に勝ち続け、
ついには西住流を体現するまほ率いる黒森峰との戦いにも、
勝利しました。
そしてその試合の最中でみほは、去年のように、
動けなくなった仲間を見捨てる事無く、
助けるために自ら戦車を降りましたね』
『正直、その光景を見ていた私は、
なぜそんな行動をするのかと、疑問に思いました。
けれどその答えは、みほが仲間を見捨てる事ができない、
海のように深い心を持っているからと分かりました』
『そして、去年と同じ行動をとったあの試合では、
あなたは様々な奇策を弄して黒森峰を、まほを倒し、
大洗女子学園を優勝へと導きました。
勝利よりも仲間を優先した行動をあなたはとり、
その上で勝利をもぎ取ったあなたを見て、
昨年のあなたの行動も全てが間違いではなかったと、
そして私のあなたへの態度は間違っていたのだと、
そう思い知らされました』
『みほは元々優しい性格をしているのだという事実を、
親として接するよりも師範として厳しく接している内に、
普通は忘れるはずのない自らの娘の性格を忘れてしまい、
昨年のあなたの行動を頭ごなしに否定してしまいました』
『けれどみほの「仲間を切り捨てることはなく、共に勝利を目指す」
という西住流ではない、みほ流の戦車道をあの試合で見た事で、
間違っていたのは私の方だったのだと痛感しました』
『みほには、みほだけの才能が眠っていたにもかかわらず、
師範である前に親でもある私はそれに気付く事すらできなくて、
その才能を押し殺してしまっていたという事に、気付きました』
『何より、みほの去年の全国大会での行動は、
西住流師範としては間違っていたと評してしまいましたが、
みほの親としての素直な気持ちは、
「みほは、人として立派な事を成し遂げた」というものでした。
自分の身を惜しむことなく人の命を救うという事は、
誰にでもできる事ではありません。
仲間を大切に思い、海のように深い心を持つみほだからこそ、
あのような行動ができたのだと私は思っています』
『それなのに、私は師範として厳しくするべきだと思い込み、
結果あなたの行動の一切を否定してあなたを追い詰めてしまいました。
どころか、西住流の直系の娘だからと、多くのものを背負わせてしまい、
にも拘らずあなたがどれだけ思い悩み、苦しんでいるのかに気付けなかった。
親として、恥じるべきことです。
いえ、最早親と呼ぶ事すら烏滸がましいのかもしれません』
『ですから今、
私がみほに対して思っている、
本当の思いをここに書かせてください』
『みほ』
『今まで多くの事を押し付けて』
『あなたの事を追い詰めて』
『あなたには何もしてあげられなくて』
『あなたの全てを否定してしまって』
『本当に、ごめんなさい』
『夏の終わりの大学選抜チームとの戦いも、
みほが大洗で自分なりの戦車道と仲間を見つけられたのだと知って、
だからこそそのみほの居場所を失わせまいと思い、
あの試合を行うように文部科学省に掛け合いました』
『これまで、親らしいことをあまりできなかったから、
娘の居場所を守ろうと思っての事でした。
今さら母親面しないでほしいと思うかもしれませんが、
そう思われても仕方がありません』
『そして試合当日に、
時には共に戦い、
時には砲火を交えた仲間たちが駆けつけてきたのを見て、
みほが優しい性格をしているからこそ、皆は来てくれたのだと、
私はそう思わずにはいられませんでした』
『あの試合でもあなたは、自分なりの戦い方を貫き、
そして最強と言われていた島田流の後継者にも勝利しました。
まほの力を借りたとはいえ、それでもあなたの力を示すには
十分でした。
あの戦いを見て、やはりみほは、
西住流という器には収まりきらないような、
無限の可能性を秘めているのだと実感しました』
『西住流を体現するまほを超え、
さらには島田流をも凌駕したあなたを見て、
私は親としてあなたの本質を何も見抜けていなかったと、
みほの事を何もわかってやれなかったのだと、
改めて感じました』
『それなのに私は、
みほに対して西住流としてのイメージと戦い方を押し付け、
そのみほの中にある才能を潰してしまっていたという事に、
今になってようやく気付きました』
『だからこそ私は、
みほに対して申し訳ないという気持ちが、
心の底から湧き上がってきました』
『そのみほに対する申し訳なさを、
この手紙であなたに宛てて書き、
全てを告白した次第です』
『そしていつかは、
あなたに面と向かって、
直接自分の過ちを告白して謝りたいと、
今では強く思っています』
『もしも、あなたがまだ、
私の事を母と見てくれているのであれば、
ほんのわずかな時間でも構いませんので、
少しだけ話をさせてください。
急に話をするのが怖いというのであれば、
この手紙に返事を書く形でも構いません』
『そして、もしもまた熊本の本家に来る時は、
今度は怯えて隠れてこっそりという事はせず、
堂々と家の玄関を叩いてください』
『最後になりましたが、
ここまで読んでくださり、
本当にありがとうございます』
『機会がありましたら、
その時はまたよろしくお願いします』
『西住しほ』
手紙を読み終わったみほの顔は、涙で濡れてしまっていた。手に持っている手紙にも、みほの瞳から溢れる涙が数滴落ちてシミができてしまっているが、そんな事はどうでもよかった。
自分の娘宛にしては文体が硬すぎるのは、しほがこうして身内に宛てて手紙を書く事に慣れていないことの現れ。
そしてこの手紙の中に記されていたことは、聞く機会などなかったしほの胸中、本音。
これまでで一度も聞いた事のない、『ごめんなさい』というしほの言葉。
みほの実の親、師範としての葛藤。
しほがみほの事をどのような目で見ていたのか、本当はどんな思いをみほに抱いていたのか。
その全てを、みほは今初めて知った。
みほは、本当の本当の本当は、しほからも愛されていたのだった。
ずっと自分の事を嫌っているのだと思っていたしほの本心を知って、嬉しさがとめどなく胸の奥底からあふれてきてしまい、その嬉しさが涙と言う形で表面化する。
声を上げる事は無かったが、それでもすすり泣いてしまい、目の前にいる親友の4人には情けない顔を見せてしまっているという自覚はある。けれど、涙はどれだけ堪えようとしても止まらない。
そこでふわっと、みほは誰かに抱きしめられた。涙ぐみながらも、自らの身体を抱き寄せた人物の顔を見ると、その人物は沙織で、沙織は優しく笑っていた。
見れば、華も、優花里も、麻子も、沙織と同じように、優しく笑ってくれていた。特に、優花里は涙をにじませていて、普段は笑ったりしないような麻子もほんのわずかに微笑んでいた。
彼女たちは、みほの手紙の内容を見てはいない。だから、何が書いてあるのかは彼女たちは知らない。
けれど、みほの怯えにも似た表情が手紙を読み進めている内に驚きへと変わり、やがて頬が紅潮し、遂には涙を流してしまったのを見て、4人は気付いたのだ。
その手紙に書かれているものとは、みほの中にある怯えや恐れを払拭するような事であり、そしてみほはそれを読んで、心を縛るものから解放されたのだと。
そしてみほを長い間苦しめていた何かからみほが解放されて、久しく流していなかった涙を流したのを見て、彼女たちも親友として、みほに近しい者として自然と嬉しくなったのだ。
「・・・・・・私・・・私ね・・・」
「・・・・・・うん」
沙織に抱きしめられながらも、涙を流していても、みほは言葉を、紡ぐ。
「・・・・・・絶対・・・返事、書くよ」
「・・・・・・うん」
沙織は、みほの栗色の髪を優しく撫でる。沙織のその行動で、泣きじゃくるみほも少し落ち着きを取り戻し、少しして涙は止まった。
「・・・・・・ありがとう、沙織さん」
「・・・・・・ううん、気にしないで」
みほが身体を離して沙織を見つめると、沙織はニコッと笑った。そして、ハンカチでみほの顔の涙を優しく拭き取る。
「・・・みぽりん、可愛いんだから涙は似合わないよ?」
「そ、そうかな・・・・・・」
「絶対そうだって」
涙を拭き終えると、沙織は『さて』と言いながら立ち上がる。
「それじゃ、ごはんつくろっか!」
明るく告げる沙織の言葉に、華、優花里、麻子の3人は大きく頷いた。
「私はサラダを作りますね」
「ご飯は私が炊きましょう!もちろん、飯盒炊爨じゃありませんよ!」
「・・・・・・私は皿を並べるとしよう」
そう言いながら3人は立ち上がり、台所へと向かう。
みほも、手紙を丁寧に畳んで封筒に入れ直し、学習机の上においてから、沙織の料理を手伝うために台所へと足を運んだ。
その日の沙織の、いや、皆で作ったご飯は、いつもよりも美味しく感じられた。
もしかしたら、みほにとっての人生の中で、一番美味しかったかもしれないと、みほ自身は思っていた。
同時刻、都内にあるとある居酒屋。
ここは地元の特産品を使った料理が有名な店・・・ではなく、全国展開しているチェーン店だ。店のイメージは和風で統一されており、全ての席は個室となっている。席の種類はテーブル席と掘りごたつ、座敷席とパターンが3つあり、メニューも老若男女どの層のニーズにも応えるように豊富だ。
そんな居酒屋の掘りごたつ席に、西住流家元の西住しほと、島田流家元の島田千代という、戦車道界の重鎮が向かい合って座っていた。
和のイメージが漂う木製の引き戸の向こうから聞こえる他の客の話声や、店員たちの慌ただしい足音も、今向かい合う2人には聞こえてこない。
「・・・あなたから飲みに誘うとは、珍しいですね。西住流家元さん」
くすくすと、上品に笑いながら千代が告げる。その笑みには若干のからかいが混じっていたことは向かい合うしほにも分かっていたが、その程度のことにいちいち反応などしていられない。
「・・・私が人付き合いが悪いみたいな言い方をしないでください、島田流家元さん」
「あら、そんなつもりはありませんよ?でも、気を悪くさせちゃったのならごめんなさいね」
口元を手で隠し、実に愉快とでもいうかのように笑う千代。その千代の、そこはかとなくムカつく言い方と笑顔に、しほは若干イラつきながらもお冷を飲む。しほが深読みしすぎてしまっていただけのようで、それが千代にとっては面白かったらしい。
この2人は、文部科学省が推進しようとしている日本戦車道プロリーグ設置委員会の委員長と、副委員長だ。
今日、2人がこの東京を訪れていたのは、そのプロリーグ設置委員会を担当する文部科学省の役人が変わったので、その新しい担当と顔合わせをしに来たからだ。
元々その担当していた文部科学省の役人とは、大洗女子学園を廃校させようと画策していた辻廉太だった。新しい担当は辻のように狡猾でずる賢い印象と言うものはあまり無く、逆に物腰の柔らかい人だった。それが本性かどうかは定かではないが、少なくとも辻よりは信用できそうだと2人は思った。
辻が担当から外されたのは、恐らくは大洗女子学園廃校が失敗した事による責任を取らされる形なのだろう。異動ならば妥当なものだと思ったし、2人は大洗を廃校にする事を快く思ってはいなかったので同情する余地も無かった。せいぜい新しい場所で頑張れとしか言えない。
「それで、私を飲みに誘うなんて、何か話があると捉えてもいいのかしら?」
「・・・・・・話・・・まあ、それに近いかもしれないですね」
「?」
いつになく、要領を得ていないしほの言葉に、千代も笑みを引っ込める。ただ事ではないと、瞬時に把握したのだ。
戦車道の話をする時でさえ先のように曖昧な言葉を発する事も無かったというのに、どうしたことだ。
「・・・・・・一体―――」
「おまたせしましたぁ。焼酎水割り2人前でーす」
千代が何事かを問いただそうと思った矢先に、引き戸が3回ノックされるや否や開かれて、コップに入った水割りの焼酎を2つ店員がテーブルに手早く置いた。千代は愛想笑いを浮かべて店員に笑いかけると、店員も頭を下げて引き戸を閉めて行ってしまった。
「・・・・・・まずは、飲みましょう。話はそれからよ」
「・・・・・・そうね」
酒を飲むと、気が大きくなって色々と胸の中にあるモヤモヤを話しやすくなる。それを知っているから千代は酒を勧めたのだ。
だがしほは、蟒蛇と表現するぐらい酒に強い。だからこの程度で舌が回りやすくなるような事も無いだろうが、無いよりはマシなレベルだ。それに千代だってそこそこ飲む方なので、簡単に酔っぱらって前後不覚になりはしない。
お互い自分のコップを手に持ち、千代が先んじて掲げる。それでしほも千代の行動の意図が掴めたようで、同じようにコップを掲げて軽く当て、チン、と甲高い音を奏でる。
「かんぱーい♪」
「・・・・・・乾杯」
そうしてお互いに一口。水とは違う、多少の辛さを含んだ冷たい液体が喉を通り、心が涼しくなるような気分になる。
「・・・・・・で、どうしたのかしら?一体」
「・・・・・・」
千代は一度コップをテーブルに置いて、改めてしほに聞く。しほはと言えば、既にコップの半分ほどの焼酎を飲んでしまって、千代とは目を合わせようとはしていない。
本当に、どうしたというのだろう。普段の屹然としたしほの姿も今は無く、あるのはしおらしいと表現するに相応しいようなしほがいるだけだ。
「・・・・・・子供って、知らない間に成長するものだったと気付かされたのよね」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
何て言った?今。
「・・・・・・・・・・・・・・・酔っぱらうにはまだ早いんじゃなくて?」
「素面、素面よ」
酔って気でも触れてしまったのかと千代は割と本気で思ったが、コップ半分の焼酎程度でしほが酔うはずがない。先ほどの、普段のイメージからは全く想像もつかない発言があまりにも信じられなくてついああ言ってしまったが、どうやらしほは至って本気らしい。
思えば、しほは普段から冗談など言わないし、酔っぱらっても顔が少し赤くなる以外変化が起きない。
どうやら、さっきの言葉は紛れもない、しほの本心のようだ。
「・・・・・・本当、一体何があったのかしら?」
「・・・今年の高校生全国大会、結果はどうなったか知ってるでしょう?」
「モチのロンよ」
あの全国大会の結末・・・特に大洗女子学園の破竹の快進撃と、伝説と言っても過言ではない戦果は、高校生の間だけではなく戦車道界隈に知れ渡っている。千代も大学戦車道連盟理事長として戦車道の世界に深く携わっている身であるから、大学生とは違う高校生の大会であっても、何が起きたのかは知っている。
もちろん、優勝した大洗女子学園を率いていたのは元黒森峰の副隊長である西住みほで、今目の前にいるしほの娘だという事だって、知っている。
「あの大会でみほの戦いを見て・・・思ったのよ。私はみほの事、何も分かっていなかったんだって」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
千代は、何も言わずにしほの顔を見て話の続きを促す。いちいち茶々を入れてこないあたり、千代も真剣に話を聞いてくれているのだと、しほは理解している。それはとてもありがたい事だったので、遠慮なく話させてもらう事にした。
「みほは誰よりも優しい子だった・・・。だから去年の全国大会で、あんな行動に出て・・・。それなのに私は、親としてみほと接しはせず、ただ師範として厳しくしただけだった。それで結局みほは黒森峰から去ってしまって・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・でも大洗で、みほの中にあった才能は開花して、素人の集まりでしかない無名の学校を全国優勝にまで導いて・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「私は結局、みほの親でありながら、みほの中に眠っていた才能に気付けなくて、むしろ突き放してばっかりだったんだって」
そこでしほは、コップに残る焼酎を全て飲み干す。お代わりを注文するのは後にしよう。
「・・・大洗でみほは知らない間に、自分の中の才能に目覚めて、西住流のまほを超えるぐらい強くなっていたんだって、しみじみと思ったのよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・ふふっ」
そこまで聞いて、千代が小さく笑った。何を笑っているんだと、しほがギロッと千代を睨むが、そんなしほの鋭い眼光などに怯みはせず、千代は可笑しいとばかりに笑う。
「あなたの口から、そんな言葉が聞けるとは思わなくてねぇ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
確かに、自分でも柄にもないことを言ってしまったという自覚はある。酒が入ったせいで、少し饒舌になってしまったのだろうか。
「娘の成長に感動するなんて、なかなか可愛いところがあるじゃない。しぽりん♪」
「黙りなさい、ちよきち」
少し調子に乗っているように見えたので、しほは先ほどとは違いいつものようにキリっとした口調でピシャリと告げる。だが千代には、そのしほの姿が照れ隠しにしか見えないので効果が全くない。
2人がお互いに『しぽりん』『ちよきち』と呼び合うのは、本当の本当にプライベート、戦車道とは全く関係のない時、あるいはからかう時ぐらいしか言わない。
元々2人は、まだ西住流の家元どころか、師範にもなる前、幼い頃から知っている仲だ。
西住流と島田流は、全てにおいて正反対。
西住流は“集”を重視し、島田流は“個”を重視する。
“和”のイメージが強いのが西住流、“洋”のイメージが強いのは島田流。
西住流の戦い方は“統率された軍隊”のようと誰かが例え、島田流の戦いは“変幻自在の忍者”のようと誰かが例えた。
けれども、知名度は島田流よりも西住流の方が上だった。それは恐らく、西住流が“集”に重きをおき、隊で結束して戦うのが、チームワークで動かす戦車を使う武芸である戦車道のイメージに合っているからだろう。
それは島田流が一番気にしていることであり、島田流は西住流よりも知名度が低い事を気にしていた。それ故、島田流は西住流を一方的にライバル視しているのだ。
だが西住流は、島田流の事は別にライバルと思っているわけではないし、むしろその逆で、自分たちと同じく日本戦車道を代表する由緒ある流派だと認めている。だからなぜ、島田流がライバル視しているのかがいまいち理解できていない節があった。
しほと千代はそんな因縁のある両家のそれぞれの直系の娘であったから、幼いころから面識があった。けれど、お互いに先ほどの様なあだ名で呼び合うぐらいには親しい仲だった。
だが、千代が大人になるにつれて、その西住流と島田流の間にある壁、溝を知り、先代と同じように西住流をライバル視するようになった。
けれどそれでしほとの仲が拗れてしまったと言うわけではなく、極たまに今のように2人で酒を飲み交わす仲でもある。
「でもねぇ、確かにその通りよね。子供っていうのは、時に親の私たちには想像できないぐらい速いスピードで成長するのよ?」
「・・・・・・やっぱり、そういうものかしら」
「ウチの愛里寿を見てみなさい。嫌というほど実感させられるから」
「・・・・・・飛び級なんてさせておいて何を言っているのやら」
「愛里寿はねぇ、中学校、高校程度の器に収まるような子じゃないの。あの子には、無限の可能性があるのよ。その愛里寿のために私は、あの子が活躍できる場を与えただけ、よ」
「・・・・・・親バカも極まれりね」
しほは口ではそう言うが、確かに千代の一人娘、島田愛里寿には多くの可能性を秘めていると思う。
先の大洗女子学園と大学選抜チームとの戦いで、しほは愛里寿の戦いを改めて目にした。センチュリオンで多数の戦車を一度に相手取り、ほぼ全く被弾する事無く敵を撃滅するその姿は、無双と呼ぶに相応しかった。
13歳ながら大学に飛び級し、大学選抜チームと言う、全国の大学生の精鋭が揃ったチームの隊長を務め、さらに社会人チームをも破った愛里寿の実力は、千代が評価するのも頷けるぐらいだ。
「・・・・・・でもねぇ・・・」
「?」
すると、誇らしげな表情をしていた千代が一変し、表情に陰りを見せて、落ち込んだような口調で話しだした。
「愛里寿がね・・・この前、大洗女子学園に興味があるって言ってきたの」
「・・・・・・どういう事?」
「・・・愛里寿も、お宅の2番目が黒森峰を去ってから大洗で才能が花開いた事を知ってるの。だから、その2番目―――西住みほを変えた大洗に興味があるって話」
近くにボコミュージアムもあるしね、と千代が付け加えるが、愛里寿の言葉にも一理あるとしほは思う。
人が成長するには、もちろんその当人が努力する事が重要だが、周りの環境も大きく影響する。みほが元々秘めていた才能が開花したのは、その環境によるものでもあると、しほは考えていた。
黒森峰で押し殺されてしまっていたみほの中の才能を開花させ、無名校の素人の集団を優勝まで導くに至ったみほを育てた大洗女子学園と言う場所・環境に興味がある、そう言う事だろう。
それは別に悪い事ではないだろう、としほは思う。では、なぜ千代は落ち込んでしまっているのだろう。
「・・・・・・愛里寿、いきなり大学に飛び級しちゃったから、高校生活とか経験した事無いのよ」
「ええ、それはそうよね」
「でね・・・・・・もしできるなら、大洗に入学したい、って言ってたのよ」
ああ、なんとなく話が見えてきた。
「私としては、愛里寿の意見は尊重したいのよ?だって私の可愛い一人娘だもの」
「・・・そうね。約束を果たせなかったのにボコミュージアムを改装したぐらいあなた娘に激甘だものね」
「でもね、学園艦って言ったら寮で一人暮らしでしょ?そうなると、愛里寿と一緒にご飯を食べる事もお風呂に入る事もできなくなっちゃって、寂しくなるのよね」
正真正銘の親バカだと、目の前でコップに残った焼酎を煽りしょぼくれている千代を見ながら、しほは内心でそう評価した。
娘は13歳と、随分成長した身であるのに依然として一緒に風呂に入っているとは、愛里寿からしても恥ずかしい、と言うか嫌な事だろう。多分だが、千代が無理やり一緒に入らせているような感じがしてならない。
一方で、娘と一緒にご飯が食べられなくて寂しい、と思う気持ちは多少分かる。まだみほもまほも幼かったころは食卓は2人が賑やかにしてくれたものだったが、2人が成長していくにつれてその賑わいも鳴りを潜めてしまって、今となってはしほと常夫だけで食事する事が多くなっている。常夫と2人きりと言うのも悪くはないが、娘がいないというのは、いささか寂しいものだ。
「・・・・・・娘の晴れやかな門出ぐらい、笑って見送りなさい。島田流家元さん」
「・・・・・・分かってるのよ。分かってるんだけど、私の可愛い愛里寿が傍にいなくなると思うと・・・」
よよよと泣き真似をする千代を見て、これを件の愛里寿が見たらどう思うのだろうなと、明後日の考えをしていた。
そこで店員が、頼んでいた唐揚げと焼き鳥を持って来て、泣き真似をする千代を見てぎょっとした。しほは『気にしないでください』と言いながら料理を受け取り、お代わりの焼酎の水割りを2人分頼む。
「・・・・・・ねえ、ちよきち」
「・・・・・・何よぅ、しぽりん」
だがしかし、こうしてしほの目の前で、今こうして娘の愛里寿に対する愛情を臆面もなく曝け出す千代の姿は、しほからすれば少しばかり羨ましかった。
自分は真面目な故、娘に対する愛情と言うものがストレートに話せない。それにみほに対しては、親としてこれまで接してくることができなかったと自信を持って言えるぐらい、厳しく接していた。結果みほを追い詰めてしまったのだから。
しほの中にある、みほを認めることができなくて申し訳ないという気持ちを文章に籠めて、みほに手紙を送った。その手紙でしほなりの愛情を示したつもりだったが、千代のようには上手く表現する事はできなかったと、しほは思っている。
だからこそ、目の前にいる千代のように娘への愛情を隠すことなく伝え、さらには行動で示している姿勢は、しほにとっては―――
「・・・・・・あなたのそう、自分の娘の事を素直に褒めるところ・・・・・・嫌いじゃないわ」
その言葉を聞いた瞬間、千代はガバッと顔を上げる。
「・・・・・・・・・・・・・・・あなただれ?本当にしぽりん?」
「・・・・・・まあ、らしくもないって気はするわね」
苦笑しながらしほは唐揚げを1つ口に含む。揚げたてだったらしく滅茶苦茶熱い、口の中で転がし、はふはふと口の中に空気を入れて冷ます。いい感じに冷まして飲み込むと、仄かなにんにくの風味を堪能する。
「ふぅ~ん・・・・・・変わったわねぇ~」
そう言いながら千代は、ねぎまの焼き鳥を手に取り、上品に食べる。ねぎまは密かに狙っていたので、しほは少し凹む。
だが確かに、千代の言う通り自分は少し変わったのだと思う。
みほが全国大会で優勝し、まほもみほと自分から和解を遂げて、自分も今のままではいられないと思って行動を起こした。親らしいことをできなかったという事実も認め、娘であるみほの大切な居場所である大洗女子学園の廃校撤回に力を貸した。
みほが戦車道を見つけてから、自分も変わることができたのだと思う。娘の戦いを見てやっと、自分の考えが変わったのだと思うと、自分も結構頑なだったのだと思う。みほの事を勘当すると告げた事に関しても、あれは自分も冷静ではなく大人げなかったと思うし、若者言葉で言う黒歴史にあたるものかもしれない。
そして今日、(多少行き過ぎではあるものの)千代の娘に対する愛情を聞いた事で、自分も少し変わるべきだと思った。
流石に千代のように娘にベタベタするというのは恥ずかしい。だが、もう少し娘に対する態度を軟化した方がいいのかもしれないと、心では思っていた。
と、そこで店員がおかわりの焼酎を持ってきた。
しほは、カップを受け取ると先んじて掲げ、千代もしほの意図に気付いて微笑み、コップを軽くぶつけ、チンという甲高い音が鳴る。
まだ、2人の酒の席は始まったばかりだ。
バーベナ
科・属名:クマツヅラ科クマツヅラ属
学名:Verbena spp.
和名:美女桜
別名:ビジョザクラ
原産地:アメリカ大陸の熱帯から温帯にかけて
花言葉:家族の絆、家庭の平和、魅力など
千代の娘への愛情は直球、しほの娘への愛情は変化球。
そして役人は恐らく無事ではない。
Varianteで役人に正論ぶつけた千代さんはかっこよかったです。
次回から話が黒森峰視点に戻ります。
感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。
余談
夏休みの宿題、アヒルさんチームはほぼ全員根性で早めに終わらせるけど、間違いだらけで再提出パターンかもしれないという筆者の想像。