春に芽吹く梅の花   作:プロッター

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筆者の戦闘描写は今更ですがド下手ですので、
予めご了承ください。


今回の話は正直言って、
自分でもどう思われるか自信がありません。

何卒、最後まで読んでいただければ幸いです。


紫露草(ムラサキツユクサ)

 大洗と大学選抜チームとの戦いからおよそ1週間、そして織部の黒森峰の留学期間が終わるまで残り3週間。

 朝、織部が学校へ行こうとドアを開けると、ほぼ全く同じタイミングで、隣の部屋から根津が姿を現した。

 

「おはよう、根津さん」

「ああ、おはよう」

 

 本当に示し合わせたわけでもなく、事前に打ち合わせたわけでもないのだが、学校のある日は大体こんな感じだ。こんなことがしょっちゅう起きてしまうものだから2人とも慣れてしまった。

 と、そこで根津が上に広がる空を見上げて呟く。

 

「・・・・・・荒れそうだな」

「・・・・・・そうだね」

 

 空はどんよりとした雲に覆われていて、まだ朝にも拘らず、今にも雨が降り出してきそうなぐらい暗かった。

 そう言えば今朝起きたら、スマートフォンに『大雨の恐れあり』という学園艦が発信している天気予報のメールが来ていた。台風の類ではないので大きな心配は不要だが、天気が崩れるとなると気が滅入ってしまうものだ。

 

「ま、どうにかなる。行こうか」

「うん」

 

 根津が深く考えるのを止めると、織部に早く学校へ向かおうと促し、織部もそれに続いた。

 そして、いつも小梅たちと落ち合う交差点には、やはり既に小梅と斑田が待っていた。これもまた、普段と同じ光景だった。そして、この4人で共に学校へ向かうのも、今日まで何度も目にして、経験したことだった。

 だけどこれは、この場にいる誰にとっても日常ではない。この4人の中にいる織部は、本来は黒森峰にいるべき存在ではない。一時の間だけ黒森峰で生活をしているのであって、本来いるべき場所はここではない人間だ。

 だから、学校のある日はほぼ毎日のように共に登校するのも、今月限りで終わる。それを日常と呼ぶのは、少し違う。

 それはこの場にいる全員が分かっていた。特に、当の織部と、その織部とは恋仲である小梅はその事実を忘れた事など無かった。

 そして織部と小梅は、恋仲と言う親しい間柄だからこそ、その別れの日を恐れ、その日が来るのを少しでも遅く感じたかった。

 しかし時間の流れと言うものは非情なほど早く、既にあの大学選抜チームとの戦いから1週間も過ぎてしまっていて、別れの日が近づいてきているのを実感せざるを得なかった。

 残りは3週間だが、これを『まだ3週間も残っている』と捉えるか『あと3週間しか残っていない』と捉えるかは人によって分かれる。

 だが、織部も小梅も、後者の捉え方をしていた。

こうして2人が顔を合わせ、共に言葉を交わすことができる期間は、そう長くは無いと。

 

 

 根津の予想と天気予報メールは的中し、正午過ぎになると外は大雨となってしまった。

 多くの生徒は『雨すごいなー』とか『傘忘れちゃったよ』とか気楽なことを言っていたのだが、織部を含め戦車隊に属する生徒たちはその程度では済まない。

 黒森峰戦車隊は、今目の前で降っているような大雨の下でも訓練が行われるのだ。

それは、実際の戦車道の試合が台風の暴風域の中でもない限りはどんな天候でも行うからである。実際に、今年の全国大会での大洗とプラウダの準決勝は降雪の下行われ、去年の全国大会決勝は雨の中だった。他にも強風で試合が行われたという事例もある。

 だからこのように天気が悪くても、戦車道の試合は、訓練は行われるのだ。

 

 

 さて、雨の勢いは収まる気配を見せることはなく、そのまま戦車道の訓練の時間へと突入してしまう。

 そんな中で行われる今日の訓練は、草原・森林地帯での10対10のフラッグ戦。隊長のまほ率いるAチームと、副隊長のエリカ率いるBチーム。こうして隊長と副隊長がそれぞれチームを率いて戦うのは、これまで何度も見てきた事だったので、今さら驚きはしない。織部が主審に任命される事についてももう抵抗は無い。

 だが、そのチームを構成する戦車の種類だけは、いつもとは少し違った。

 まほのチームは隊長車兼フラッグ車のティーガーⅠと、パンター3輌、Ⅲ号戦車2輌、ラング2輌、ヤークトティーガー1輌、エレファント1輌。

対するエリカのチームは隊長車兼フラッグ車のティーガーⅡとティーガーⅡがもう1輌、パンター3輌、Ⅲ号戦車3輌、ラングが1輌、ヤークトパンター1輌。

 織部の気のせいかもしれないが、まほのチームに戦力が若干偏っている気がした。これまでの模擬戦では、大体両チームに重駆逐戦車が1輌ずつ配備されるはずなのだが、今回はヤークトティーガーとエレファントの両車輌ともまほのチームに割り振られている。

 これにはエリカのチームのメンバーも若干意表を突かれたようで、隊員たちの顔は困惑に染まっている。

 しかして、エリカだけはいつものように、いや、いつも以上に気を引き締めた表情を浮かべている。

 まるで、戦力に偏りがある事についての“理由”を知っているかのようだった。

 号令が終わると、隊員たちは戦車に乗り込み移動の準備を始める。織部と、別の審判係の隊員が格納庫の重い鉄扉を開けると、外は豪雨と表現するに相応しいぐらい雨の勢いが強く、今が昼だという事を忘れさせるように暗い。あまりの雨の激しさに、織部がひきつるように笑う。

 そして戦車は格納庫から各チームの試合開始地点へと向かう。雨の降りしきる中で、大きな戦車が戦場へと向かう姿は、どこかカッコよさがある。だが、織部もそんな戦車の魅力的な一面を堪能する暇は無いので、監視用の高台へと向かう。

 もう半年ほど監視と審判を務めてきたので、監視用の高台がどんな場所かはもちろん知っている。だから予想できたことだったが、この勢いの良すぎる雨は監視用のスペースにまで吹き込んでしまっていた。屋根などあって無いようなもので、雨具の1つでも持ち合わせていなければ瞬く間に濡れ鼠となってしまっただろう。

 だが、織部もポンチョを1着貸し与えられている。ポンチョは、言ってしまえばレインコートにも似たようなものであり、綿や化学繊維の布にゴムなどで防水性を持たせたものだ。これで、多少雨風を凌ぐことはできる。とは言っても、メモなどの紙類は取り出せば瞬く間にずぶ濡れとなってしまうので、持ち合わせてはいない。今日の報告書も、模擬戦の流れを記憶力だけで覚えて報告書に纏めなければならない。

 無線の周波数を合わせて各車輌と他の審判に連絡が届くようにするが、強い雨のせいで電波状況もあまり良くない。他の審判係の準備が整った事を知らせる連絡が来たのだが、ノイズ雑じりでかろうじて聞き取れるレベルだった。

 そして織部が、審判の準備が整った事をまほに伝えるが、これも円滑にはいかなかった。やはりこちらからの声もノイズが雑じって聞き取り辛いのだろう。

 こんな状況でも模擬戦を決行するとは、厳しいというか、無茶だというか。

 ともかく、試合開始時刻が差し迫り、それでもまほから中止の連絡がこないので、模擬戦は予定通り行われるという事だ。元々織部には何か口出しをする権限も無いので、まほがやると言うのなら織部はそれに大人しく従うだけだ。

 両チームの車輌が試合開始地点で待機しているのを双眼鏡で確認し、時計を見て試合開始時刻ぴったりに、審判長である織部が無線に告げた。

 

「試合、開始!」

 

 その言葉はどうにか伝わったようで、双眼鏡の先にある戦車たちは動き出した。

 両チームとも、フラッグ車を中心に陣形を早急に形成して守りを固める。AB両チーム共にフラッグ車を中心に4輌で円形隊形を構築し、残り5輌を隊前方に逆V字型に配備し、フラッグ車を守りながらも敵を突破しやすい配置になっている。

 だが、フラッグ車の守る車輌の配置は違っていた。

まほは、重駆逐戦車のヤークトティーガーとエレファントをそれぞれ前後に置き、左右はパンターで守りを固めてきた。

 一方でエリカは、ラングとヤークトパンターの固定砲塔の戦車とⅢ号戦車は前方に配備、ティーガーⅡはフラッグ車の後方、他はパンターで守る。

 

(やっぱり・・・西住隊長の方に戦力が偏ってる気が・・・)

 

 ヤークトティーガーもエレファントも、火力と装甲は黒森峰の中でも上級クラスだ。そんな戦車を2輌も同じチームに配備するとなると、倒すためにはただ圧倒的な火力と装甲で攻める黒森峰の戦法は通用しない。ましてや、エリカのチームはパンターとⅢ号戦車、ラング、そしてヤークトパンターと、火力と装甲はまほのチームに劣っていた。だから、少し知恵を絞らないと簡単には勝てないだろう。

 そんなことを思っていると、まほのチームの戦車が発砲を始めた。両チームともに、距離はお互いに目視できる距離まで近づいている。だが先にまほのチームが発砲したのは、射程の長いヤークトティーガーがいるからだろう。牽制か、本当に狙っていたのかは分からないが、これで恐らくエリカのチームも動きを鈍らせるだろう。

 だがエリカのチームは、ヤークトティーガーの砲撃にも臆することなく速度を変えず前進していた。

 織部は、この程度の砲撃でエリカは怯んだり竦み上がるような臆病者ではないと分かっていた。だから、エリカのチームが陣形を崩さずそのまま前進しているのを見ても、別段驚きはしない。

 まほのチームは、絶えず砲撃を続けている。空が厚い雲に覆われ暗くなっていて、さらに雨の降りしきる暗い中で火花が散り、砲弾が炸裂し、硝煙が上がる光景はなかなか乙なものと織部は思った。

 肝心の戦闘だが、エリカのチームが全く発砲しない。確かに両チームともに距離は近づいてきてはいるが、エリカのチームの主力であるパンターやラングが有効打を与えられる距離にまではまだ近づいてはいない。だが近づきすぎると、逆に敵の戦車からも狙われやすいという事になる。火力・装甲の面ではまほのチームの方が一枚上手だから、このまま突っ込めばエリカのチームは返り討ちにあってしまうだろう。

 だが、ここでエリカの隊は進行方向を9時の方向に変えて森の中へと入っていった。

 

(なんだ、何かの作戦か?)

 

 敵前逃亡、とは思えない。エリカの性格からしてそれは無いし、そもそも黒森峰戦車隊はそんな弱虫ではやっていけない。

 黒森峰の隊員たちの中には、敵の前で逃亡する事を恥じるべき行為だと捉え、例え相手がどれほど強くても、試合が終わるまで、自分の戦車が倒されるまでは全身全霊を籠めて戦う、という精神が根付いている。

 だから、相手が隊長であるまほで、おまけに戦車の性能が劣っていても、それでも最後まで懸命に戦うのが常だから、逃げ出したとは思えなかった。

 そして少しして、まほのチームもエリカのチームを追うように森の中へと入っていく。

 

 

 Bチームが森に進路を変えるほんの少し前の、エリカのティーガーⅡ。

 

「・・・いい?私が合図を出したら、全車輌9時の方向へ進路変更。それまで発砲は控えるように」

『了解!』

 

 隊員たちの返事が返ってきたのを聞き、エリカは小さく頷く。

自らの着るポンチョには雨粒が叩きつけられており、戦車の車体にも無数の雨が打ち付けられている。そして、雨のせいで視界も悪く、仮に今発砲できたとしてもこの雨では狙いは定まりにくい。

 それは対戦するまほのチームにも言える事で、この視界の悪い中では離れた敵の戦車に狙いを定め、ウィークポイントをピンポイントで当てる事は至難の業だ。現に今、まほのチームからの砲撃は続いているが、中々当たらない。

 今現在、エリカのチームは斜面の下の方を進んでおり、まほのチームは反対に斜面の上の方から砲撃を続けている。だが、まだフラッグ車の姿は見えない。

 エリカが合図を出すのは、フラッグ車が姿を見せてからだ。

 やがて、相手チームのフラッグ車・・・まほの乗るティーガーⅠが姿を現した。

 

「今!進路変換!」

「はい!」

 

 エリカが通信を発すると、Bチームは指示通り9時の方向へと進路を変えて、林の中へと向かう。この時、まほのチームに戦車の無防備な横っ腹を曝け出す格好となってしまうので、これはリスクを伴うものだった。

 だが、エリカのティーガーⅡを囲うように配備されたパンター3輌ともう1輌のティーガーⅡは、砲塔をまほたちのチームへと向けて、牽制の姿勢を取りながら林の中へと入っていく。

 

「全車輌、速度を上げて前進!500m進んだら事前の打ち合わせ通り円形に散開。そこで作戦指示を出す」

『了解!』

「宮原は、後方を監視して敵チームが追ってきているのを確認したら報告」

『分かりました!』

 

 エリカは試合開始直後に、大まかな動きについてをチーム全体に説明しておいた。それはもちろん、まほのチームには伝えてはいないし、知っているはずもない。

 だが、作戦の詳細はまだ皆には伝えていない。おまけに、自分の考えている作戦は黒森峰では恐らくやった事が無いであろう作戦だ。

 この作戦、エリカのティーガーⅡの乗員にだけはあらかじめ伝えてある。だが、今エリカの目の前でスコープに顔をつけている砲手・泗水は。

 

『・・・・・・分かりました』

 

 不承不承という感じで聞き入れた。

 言いたいことは分かる。エリカの考えた作戦は、黒森峰のイメージとは少しズレているような感じがするとエリカ自身も思っていたし、無謀とも言える作戦だ。

 もっと考えればいい作戦が浮かんだかもしれないのに、なぜこの作戦を思いついて、なぜこの作戦が上手くいくのかと自分でも分からなかった。

 みほと戦って奇策を何度も目の当たりにして、大学選抜チームとの戦いでも大洗の戦いに今度は協力して、自分も大洗に感化されているのかもしれない。そうなると、誇り高き黒森峰の副隊長として情けない話だと、エリカは自分で失笑する。

 

「目標地点まで、後約150mです」

『後方より敵戦車接近!距離、およそ400m!』

「全車輌、これより作戦内容を通達する」

 

 操縦手が目測で作戦開始地点までの距離をエリカに伝え、もう1輌のティーガーⅡ、つまり最後尾の車長・宮原から連絡を受けると、エリカは無線で自軍車輌に作戦を伝える。

 

 

 小梅の車輌の砲手の泉は、スピーカーから聞こえてきた作戦を聞いてぎょっとした表情を浮かべながら、小梅の方を振り向いた。恐らく泉だけではなく、小梅のパンターの乗員はおろか、エリカのチームの隊員たちも同じだろう。

 やがて、泉が小梅の方を振り返って不安そうな顔を見せる。

 

「そんな作戦・・・・・・」

 

 作戦を聞いていた小梅も、泉とほぼ同意見だ。エリカから聞かされた作戦は、これまで実戦はもちろん、模擬戦でもやった事など無いし、黒森峰特有の戦術とは明らかにかけ離れたものだった。

 

「・・・・・・」

 

 だが、ここで議論している時間は無いし、ここまで来て作戦を考え直すというのも無理な話だ。それに、今この場でそれ以上の作戦を考える事など小梅を含めエリカのチームのメンバーには誰もできなかった。

 その事実に気付いて、泉も気を引き締めてスコープを覗き込む。他の乗員たちも、前を見て、ヘッドセットをつけ直して、砲弾を手に持って、戦闘準備を始める。

 各々、作戦を遂行する意思を示したのを小梅は見届けて、小さく笑い頷く。そして咽頭マイクに手をやり、無線を繋ぐ。

 

「パンター1号車、準備完了です」

 

 小梅が伝えると、車内の通信機から、他の戦車の車長からも準備が整った旨を伝える連絡が聞こえてきた。

 そして、全車輌の作戦準備が整ったのをエリカが確認したところで、エリカの指示が下された。

 

『全車輌、煙幕展開!』

 

 

 

 雨の勢いは止まる気配を見せず、織部の立つ高台にも雨は容赦なく吹き込んでくる。

 しかし、雨など全く気にせずに織部は双眼鏡を覗き込んで、両チームの戦車が進入していった森へと意識を集中する。時折双眼鏡のガラスに雨粒が落ちるのが鬱陶しくて仕方がない。

 それにしても、両チームともに森へ侵入してしまった事で、試合の詳細が分かりづらくなってしまう。こうなってしまっては、どの戦車がやられたのかもここからでは判別できず、戦車に搭載されている判定システムに頼りきりになってしまう。

 と、その時。両チームが姿を消した森の中心辺りから、モヤモヤと煙が上がり始めた。

 

(なんだ、あれ・・・?)

 

 誰かの戦車がやられたのかと思ったが、それにしては煙の量が多すぎるし、何より戦車が撃破された時にあげる煙は大体黒い。だが、あの森から立ち込める煙は白かった。

 とすると。

 

(・・・煙幕?)

 

 確かに煙幕は、黒森峰の車輌にも“一応”搭載されている。

 一応、と表現したのにはちゃんと理由があり、使う機会がほとんどないからだ。煙幕を使う時は大体、敵から逃げる際の時間稼ぎや目くらまし、後は陽動にしか使わない。前者は、今年の全国大会決勝戦で大洗がやって見せて、後者は大学選抜チームが大洗との戦いで見せた。

 けれども、黒森峰の作戦は真正面から敵戦車を攻めるのであって、退避行動はとる事があっても逃げる事など無いし、陽動もあまり使わない。

 では、何のために煙幕を使ったのだろうか。

 

 

 まほ率いるAチームは、陣形を3列縦隊に変えて、突如森に進路を変えたエリカ率いるBチームを追尾していた。

 森の中は木が多く、先ほどまでいた草原の時のように、広がった陣形を維持しながら前進する事は難しい。

 やむを得ず、まほは3列縦隊へと陣形を変えて、追尾を続ける。まほの左右はパンター、前後はヤークトティーガーとエレファント。両列の先頭は固定砲塔のラング、最後尾はⅢ号戦車だ。

 あのエリカが臆して逃げたとは思えず、雨で視界が鈍っているとはいえ撃破されるリスクを背負ってまでもまほたちを十分に引き付けてその上で森へと入った事に、まほは直感的に何か策があると感じ取った。

 そして、エリカのチームは速力を上げて引き離し始める。まほたちのチームも森に侵入したところで、エリカのチームの車輌が煙幕を張ったのだ。

 

「煙幕・・・・・・?」

 

 まほのティーガーⅠの砲手が、スコープ越しにエリカのチームの行動に疑問を呈するが、まほはそれでも動じはしない。

 エリカのチームの車輌は煙幕をまき散らしながら一斉に散開し、まほたちのチームの視界を煙幕で遮る。

 先ほど草原にいた時は、痛いほど叩きつけられていた雨も、頭上に広がる木の枝と葉のおかげでほんの少し勢いが和らいできたように感じられる。

 そこで、森の中にエリカたちが進んでいったのは、森の中が木の枝で雨の勢いが弱まっていることを利用して、煙幕が広がりやすくなる事を利用しようとしていたからだと気付く。そして今、まほたちの視界は白い煙幕で閉ざされてしまっている。

 煙幕を張る寸前で、エリカのチームの車輌が四方八方に散開したので、ここで正面に向けて撃っても命中する確率は限りなく0に近い。それに、今まほのチームは縦隊で動いている。下手をするとフレンドリーファイアの可能性も出てくる。なのでまほは、弾薬を無駄に消費しないように自分のチームの車輌に伝えた。

 と、そこでまほはデジャヴュを覚える。

 

(・・・・・・あの時と似ているな)

 

 状況こそ違うが、こうして相手チームが煙幕を張り自分たちの事を翻弄して、そしてまほが発砲を控えるように指示したのは、今年の全国大会決勝戦、大洗との戦いを思い出させる。

 まほも、自分とエリカのチームには戦車の偏りがある事はもちろん知っている。だから、どうやってエリカがこの戦力差をひっくり返すかを見極めるつもりだった。

 しかし、煙幕を使ってくるというのは少し予想していなかった事だったので、ここからエリカがどうするのかを、まほの中に興味が湧いて出てきた。

 そこで動きがあった。

 まほのすぐ左隣を走行するパンターの側面に、機銃弾が当たったのだ。

 

「・・・どこから?」

 

 そのパンターの車長・波野が出所を知ろうとするが、流石に煙幕で視界が見えない状況ではどうしようもない。

 だが、そこで。

 ズガァン!!

 

「!?」

 

 機銃とは比べ物にならないような衝撃を波野のパンターを襲う。そしてその直後、戦車の天井から『パシュッ!』と言う音と共に白旗が揚がったのを波野は見た。

 

「弾着観測か!」

 

 そして煙幕のせいで周りの状況が掴めていないせいで、波野のパンターの後ろを走るⅢ号戦車が、急に前を行くパンターの動きが止まった事にすぐ対処できず、衝突してしまった。

 

 

 

「パンター1号車。1輌撃破しました。位置は―――」

 

 小梅が報告すると、エリカから『了解』と返ってくる。

 円形に旋回して煙幕を張り、敵戦車の視界を奪う。そして、機銃掃射で煙幕の中にいる敵戦車の位置を仮定し、今度は通常弾で砲撃。敵戦車を撃破してその仮定を確信に変えてから、敵車輌の位置を共有して、いつもの黒森峰の戦い方のように包囲網を狭めながら敵戦車を撃破していく。

 ドイツ海軍の使っていた群狼戦術に近い戦い方だったが、あれは元々潜水艦で行う作戦であり、戦車で行うものではない。なのでこれは、煙幕を使ったのも含めてエリカ自身のオリジナルでもある。

 そして、最初に放った通常弾で煙幕をわずかながらに晴らし、敵戦車の位置を分かりやすくする。相手から見つかりやすくなるリスクも生まれるが、先に準備をしていたこちらの方が優位に立てる。

 

『全車輌前進!一斉砲撃!』

 

 エリカの指示と共に、チーム全体の戦車が前進を始める。木を避けながらまほたちのチームへと近づき、そして砲撃を始めてまほのチームの戦車を攻撃する。

 だが、流石は黒森峰の精鋭。すぐにまほのチームの戦車は冷静さを取り戻して迎撃を始める。しかし、不意打ちに近いこれにはすぐには反応できなかった。特に、固定砲塔のラングはすぐに対処できずに、エリカのチームの戦車に側面を撃ち抜かれて白旗を揚げた。

 加えてここは森の中で木が至る所に生えており、思うような進路を取って進むのが難しかった。

 それにまほのチームからすれば、発砲して来ているエリカのチームの戦車は煙幕の向こう側の存在だ。だから、位置を確かめるのも難しい。

 ところが、アクシデントが起きた。

 風が吹いたのだ。

 

「あ・・・・・・」

 

 キューポラから頭を出していた小梅は、その風に気付く。エリカももちろん気付いただろう。風が吹いたから何なのだと言うと、煙幕が風で払われてしまうのだ。

 まほのチームとエリカのチームの間に立ち込めていた煙幕が払われて、エリカたちからまほのチームの状況が明らかになる。

 だがそれは、同時にまほのチームからもエリカたちのチームの状況が見えるようになったという事だ。

 そしてまほのティーガーⅠは、フラッグ車のエリカのティーガーⅡを視界に捉えると迷うことなくそちらへ戦車を旋回させる。

 だが、その前にエリカの車輌は装填を終え、照準をまほのティーガーⅠに合わせていた。

 

「照準良し!」

「装填完了!」

「よし、撃て―――」

 

 エリカは、乗員から砲撃準備が整った連絡を受けると、すぐに砲撃命令を下す。

 だが、何とタイミングの悪い事か、エリカが命令を出した瞬間、砲撃を受けて照準がずれてしまい、撃たれた砲弾は明後日の方向へと飛んで行ってしまった。

 砲撃してきたのは、まほのティーガーⅠの後ろにいるエレファント。あのエレファントも、エリカの車輌を視界に入れるとそちらへ照準を合わせていた。

 何より最悪な事は、この一連の流れでまほのティーガーⅠが装填を終えてエリカの車輌を照準に収めるに十分な時間を与えてしまった事だ。

 

(しまっ・・・・・・)

 

 エリカが負けを覚悟しかけたところで、状況はさらに転ぶ。

 ティーガーⅡの横合いから、1輌のパンターが、ティーガーⅡを守るように飛び出してきたのだ。

 そのパンターから半身を出していたのは、小梅だった。

 

(赤星・・・!?)

 

 エリカが小梅の車輌に、フラッグ車の前に出て守るように指示した覚えはない。となると、小梅は自分の考えで行動したという事になる。

 その直後、小梅のパンターが揺れ、白旗を揚げた。まほのティーガーⅠの砲撃が直撃し、撃破判定を受けたのだ。

 

「私の事は構いませんから、早く!」

 

 マイクも使わず、小梅が大声で言う。エリカは操縦手に止まらず前進するように告げると、ティーガーⅡは前進を続ける。小梅のパンターはティーガーⅡを守る形で前に出てきたのだが、幸いにも角度が斜めになっていたので前進すればパンターを押し退ける形で前進できる。

 偶然か、はたまた狙ったものなのか。それは今はどうでもよかったが、このチャンスを逃すわけにはいかなかった。これでまほの不意を突いた形で、撃破されるのを逃れた事になる。こちらに最初に砲撃を仕掛けたエレファントも、パンターが邪魔になってティーガーⅡを狙えない。それに固定砲塔だから、向きを変えるのもまた時間がかかるだろう。だが、そこまで長い時間は無い。

 正真正銘、これが最後のチャンスだった。

 

「車長!砲弾装填、完了してます!」

「照準良し、いつでもいけます!」

 

 普段よりも装填スピードが速い気がして、『やればできるじゃないの』と内心で苦笑しながら、エリカは正面にいるティーガーⅠ、そして身を乗り出しているまほを見る。

 向こうの戦車も、砲塔をこちらに向けていて、まほもエリカの事を見ている。

 

「「撃て!」」

 

 エリカとまほは、同時に砲撃命令を出した。

 ティーガーⅡとティーガーⅠは、同時に発砲した。

 

 

 

「それでは、今日の訓練は終了とする。解散!」

『お疲れ様でした!!』

 

 模擬戦のミーティングも終わり、格納庫に戻ってまほが号令を行うと、隊員たちは先ほどの訓練の疲れを全く見せないようなはきはきとした声で挨拶をする。その号令が終われば、隊員たちも戦車隊特有の張りつめた空気から解放されて、自分たちの生活へと戻るのだ。

 だが、一部の隊員はそうはいかない。まず隊長のまほと副隊長のエリカはもちろんの事、審判長を務めた事で報告書を提出する義務も生じた織部だって残る。そして、小梅の戦車の乗員たちも自発的にミーティングを行って、戦車内だけでの振り返りを行う。

 

「エリカ」

「はい」

「後で少し、話がある」

「・・・分かりました」

 

 他の隊員たちと同様に織部が引き揚げようとするが、そのまほとエリカの言葉が、どうしてだか気になってしまった。

 元々、エリカは副隊長で、まほの右腕のような存在だ。だから試合が終わった後もまほと一緒に執務室に向かい、まほの補佐を務める。

 だというのに、まほが改まってエリカに話があると告げたのには、何か理由があると思えてならなかった。けれども、あまり深入りするとまた痛い目を見かねないので、その疑問は胸にしまっておいたまま撤収しようとする。

 だが、そのまほが今度は織部に話しかけてきた。

 

「織部」

「はい」

 

 先ほど頭に浮かんだ疑問を頭の片隅へと追いやり、まほに意識を向ける。

 

「今回の模擬戦の報告書、今日提出できるか?」

「はい、大丈夫です」

 

 基本的に織部は、報告書はその日のうちに書き上げて提出する。翌日に持ち越したというケースは、全国大会期間中で訓練終了時刻が普段よりも繰り下がった時ぐらいだ。それ以外の日は、その日のうちに提出できる。

 

「なら・・・提出するのは・・・・・・」

 

 そこでまほは、ジャケットの内側から懐中時計を取り出す。首から提げられている金色のそれは、まほの誕生日祝いで織部が買ったものだ。ちゃんと使ってくれているのは今初めて知ったので、織部は心の中では本当に嬉しく思った。

 

「・・・・・・19時過ぎぐらいにしてほしい」

「?はい、分かりました」

「すまないな、エリカと少し話があるんだ」

「それは別に構いませんが・・・・・・」

 

 報告書を提出する時間を指定するとは、また初めての出来事だ。ただ、その理由はちゃんとまほが説明してくれたので、不満は無い。元々そんなものは抱いていないのだが。

 それで話は終わりかと思ったが、どうもそうではないらしい。まほは、珍しく周りの目を気にするように辺りを見て、そして少し声量を落として織部に告げた。

 

「・・・・・・それと、報告書を出した後で、少し時間を貰えるだろうか?」

「?」

「・・・・・・少し、大事な話がある」

 

 一体、その大事な話の内容が何なのか。それが気になったが、詮索すると藪をつついて蛇を出しかねないので、直接話すまであえて何も聞かないでおいた。

 ともかく、まほから言われたことを留意した上で、教室へと戻り報告書を書き進める事にする。

 しかし今の時刻は17時過ぎ。報告書を出すように言われたのは19時過ぎだから、まだ2時間以上余裕がある。普段は出来上がって見直しが終わったらすぐに提出していたので、なるべく早く書き上げなければと思っていたところがある。けれど今日はその必要もなく、それまでに報告書を書きあげればよいという心の余裕もあった。

 普段から書く内容については過不足の無いように見直しを重ねていたが、今日はじっくり考えながら書くことができる。普段通り、あるいはそれ以上に出来のいい報告書に仕上げようと織部は思った。

 自分の教室へ戻り、電気をつけて自分の席に着き、予め用意しておいた報告書を書き始める。一応、報告書にはどこに何を書くべきかを示す欄があるので、何をどう書けばいいのか分からないなんて事にはならない。それに、もう何度も報告書を書いている身なので、読み手が何を知りたいのかという事はもう分かっている。

 最初の方が書き上がったところで、小梅がやってきた。既にタンクジャケットから制服に着替えていて、疲れている様子も全く見せていない。

 

「お疲れ、小梅さん」

「春貴さんも・・・審判、ありがとうございます」

 

 だが、相手が疲れているように見えないからと言って労いの言葉をかけないというのも失礼だと織部は思う。それに相手が自分に近しい者だからこそ、心から身を案じる気持ちを籠めて告げる。

 一方で小梅も、同じように織部に言葉をかけてくれる。小梅もまた、織部に対して労いと感謝の気持ちを籠めてそう言ってくれた。

 

「あ、そうだ小梅さん」

「はい?」

 

 小梅がさも当然とばかりに織部の横の席に座る。そこで織部は、少しだけ報告書を書く上で分からないことを小梅に聞く事にした。と言っても、報告書に何を書けばいいのか分からない、などという初歩的な質問ではない。

 

「あの森の中での戦闘の流れ・・・もっと詳しく教えてもらってもいいかな?」

 

 まほとエリカの両チームが森の中へ戦闘区域を移動した後、織部のいた監視台から試合の流れは双眼鏡を使っても見ることができなかった。他の審判からも、森の中での戦いは見えなかったと言われた。実際の試合で使うような小型撮影ドローンも無いため、結局審判は森の中での戦闘の流れを知らない。試合の決着も、判定システムの反応で知った事だった。

 その後のミーティングで、試合の流れについては試合に参加した隊員―――主にエリカ―――が報告して、それで森の中の戦闘の大まかな流れは聞き、メモをした。けれど、それだけではまだ内容に不備があるので、改めて試合に参加した隊員に話を聞こうと思っていたのだ。

 

「あ、はい。いいですよ」

 

 小梅から改めて、森の中での戦闘の流れを聞く織部。説明が分かりやすく、それでも要所は抑えた説明のおかげで、大分試合の流れがよくわかる。

 改めて、小梅の説明をメモに記し、試合の流れが大分分かりやすくなったので小梅にありがとうと告げる。小梅は、気にしないで下さいとばかりに笑って首を横に振る。

 ようやく試合の流れが分かってきたところで、織部はぽろっとこぼす。

 

「結構、攻めた作戦だったね」

 

 普段は使わない煙幕を使い、さらに群狼戦術まがいの作戦を仕掛けたというのは、黒森峰が初めて見せるものではないかと織部は思う。

 

「私も正直・・・・・・エリカさんがそんな作戦を立てるなんて思ってもいませんでした」

 

 織部のつぶやきに、小梅は苦笑しながら話す。小梅だってもちろん、黒森峰と西住流を重んじるエリカがあのような作戦を立てた事に驚くほかなかった。試合中は乗員たちを不安にさせないためにも、あまり感情は面に出さなかったが。

 しかし、エリカのチームとまほのチームの戦力の差は明らかだったので、黒森峰の正攻法で攻めても勝率はあまり高くは無かった。だから、搦手を使って勝率を少しでも上げようとしたのだろう。

 

「・・・・・・初めてだよね。模擬戦なのにあんな風に戦力に偏りがあるのって」

 

 試合が終わってもなお、織部にはどうしてまほのチームに戦力が偏っていたのか、その理由が分からずにいた。

 しかし反対に、小梅は何かに気付いているように、思い詰めた表情を浮かべていた。

 

「多分ですけど・・・・・・」

「?」

 

 小梅が何かを言おうとしたので、織部は小梅の方を見る。

 

「あの模擬戦って―――」

 

 

 

 

「今日の模擬戦、中々良かったぞ」

「・・・・・・ありがとうございます」

 

 隊長室の応接スペースでエリカに向かい合って座っていたまほがそう告げる。対するエリカは、あまりうれしくなさそうに告げて頭を下げる。

 心酔するまほから褒められるという事は無上の喜びだが、今この場でそれを表すわけにもいかないし、何よりエリカは少し不安に思うところがあった。

 先ほどの模擬戦では、あの戦力差をひっくり返すために仕方なかったとはいえ、黒森峰、西住流とはまた違う戦法を取ってしまった。煙幕を使ったのはもちろん、前に本で読んだドイツ海軍の群狼戦術を使ったのだって、戦車乗りが海軍の戦いを取り入れるというのはあまり褒められたものではないだろうとエリカは思い込んでいた。

 西住流を、黒森峰の戦いを重んじていたエリカがこうした作戦にしたのは、仕方ないとはいえ、エリカにとっての負い目になってしまった。

 そしてエリカは、この黒森峰、西住流とはまるで違う作戦を取ったうえで失敗した自分が、去年の全国大会のみほに似ていると思うところがあり、それがまたエリカの気持ちを下向きにさせている。

 それにエリカは、この模擬戦が行われた“本当の理由”に、ある程度予想をつけていた。

 

「まさかエリカが、あのような搦手を使ってくるとは思わなかった」

「・・・・・・ですが、結果的に私たちは負けてしまいました」

 

 先ほどの模擬戦、勝利したのはまほのAチームだった。

 最後のティーガーⅠとティーガーⅡの1対1の撃ち合いでほぼ同時に発砲した2輌。  ティーガーⅠもティーガーⅡも互いに相手の動力系を狙っていたのだが、まほのティーガーⅠは、砲撃している最中に僅かに車体の向きを変えていて、直撃しても有効とはならないようにしていたのだった。反対にティーガーⅡは正面に向いたままだったので、動力系にもろに砲弾を受けて撃破判定を受けたのだった。

 

「そう殊勝な態度をとるな。私としても、エリカがあのような作戦を取った事には驚いたが、それだけエリカが成長したという事も分かった」

「・・・・・・・・・」

「あの作戦・・・・・・大洗の戦いからヒントを得たものか?」

「・・・・・・・・・はい」

 

 煙幕を使う作戦は、今年の全国大会決勝戦で大洗が見せた作戦を真似たものだ。2輌の重駆逐戦車を相手にするには、目くらましをして視界を奪い機能させなくするのが一番だと思っての事だった。結果的に、煙幕を張った直後はその2輌を無力化する事に成功し、奇襲には成功した。

 エリカがそうしたのも、やはり大洗の影響を少なからず受けていたからだった。実際に決勝戦で戦い、大学選抜チーム戦で同じチームとして戦ったからだろう。

 だが、それをまほがどう思うのかは分からなかった。多様性を取り入れた事を善とするか悪とするか、それがエリカにとっては怖かった。善であれば良し、悪であればダメだ。

 

「・・・・・・正直な話、黒森峰もこれまでのような戦い方一辺倒では、勝利を目指す事も難しくなっていくだろうと思っていた」

「え・・・・・・・・・?」

 

 まほが腕を組んで告げた事に、エリカは動揺する。弱気な発言をしないまほが、まさか勝利が難しい、もしかしたら負けてしまうなどと、先の事を考えて悲観的になっているのをエリカは初めて見たからだ。

 

「確かに黒森峰は、厚い装甲と高い火力、統率された隊形をもってして敵を撃滅するシンプルな戦法を使う。だが、戦術がシンプルであるが故に、手の内を知られていると逆に対策も取りやすい」

 

 それは、大洗と戦った事でエリカも分かっていたし、まほだってもちろん分かっていることだろう。

 そんな黒森峰とは反対に大洗は、他の人には想像もできないような破天荒な作戦を立てた事でこれまで幾度となく強豪校を破り、さらには最強と言われた島田愛里寿をも打ち破った。それは型にはまらない、敵にとっても想定し得なかった作戦を取った事で相手の不意を突き、勝利のチャンスを自らの手でつかみ取ったからだ。

 

「だからだ。黒森峰も、この先は戦い方を少し考えなければならない、と私は思っている」

「・・・・・・・・・」

 

 少し前のエリカなら、『黒森峰は黒森峰の戦い方を貫くべきです』と言っていただろう。

 だが、まほの言葉は何も間違っていない正論だと思ったし、エリカ自身が黒森峰とは違う戦い方をしてしまった事で説得力が欠片も無くなってしまった。

 

「・・・・・・さっきの模擬戦のエリカの見せた戦いは、黒森峰のこの先の戦いなのかもしれないな」

「・・・・・・そうでしょうか」

「そうだよ、きっと」

 

 ほんのわずかに柔らかい口調のまほの言葉に、エリカもこそばゆくなる。

 

「エリカ」

「・・・・・・はい」

 

 改まってまほがエリカの名を呼び、エリカも姿勢を正す。先ほどまでの、黒森峰の戦い方とは違う戦い方をしてしまった事に対して抱いていた罪悪感は一旦胸に仕舞ってまほの顔を見る。

 

「・・・・・・先の模擬戦・・・あれは、エリカの実力を見極めるためのものだった」

「・・・・・・・・・はい」

「エリカが、私の次の隊長となるに相応しい実力を持っているかどうかを、な」

 

 やはりそうか、とエリカは思った。大学選抜チーム戦の帰りの飛行船の中で、まほがエリカを次の隊長になり得ると言っていた。それから間もなくこうして、明らかに戦力が偏っていた何らかの意図を感じるこの模擬戦が行われたので、なんとなくそうだろうという事は予想していた。

 だが、その結果はどうなのかはまだ分からない。

 恐らくエリカに対する話とは、この事だろう。

 

 

「今度は、エリカが黒森峰を率いる番だ」

「・・・・・・!」

「これからの黒森峰を、よろしく頼む」

 

 

 今この瞬間、逸見エリカは黒森峰を率いる次代の戦車隊長となる事が決まった。この前まほの言っていた『相応しい』ではなく『よろしく頼む』と告げた。

 だが、エリカは。

 

「・・・・・・私で、本当にいいんですか・・・?」

「ああ。エリカでなければ務まらない。そう、自信を持って言える」

 

 これまでエリカは、副隊長として、まほの右腕として戦車隊ではまほの傍にいた。だから隊の事をまほの次に知っているし、そもそもエリカの実力の高さはエリカがまだ入隊したばかりの頃から分かっていた。

 そして大学選抜チーム戦で自分で考え動く力と、急造チームで協力し作戦を成功させる柔軟な対応力も持っていることが分かった。

 加えて、今日の試合でも黒森峰の型にはまらない作戦でまほのチームを翻弄したことで、エリカもまた1つ成長している。

 隊長として持つべき力を持っているエリカが次の隊長になるべきだと、まほ自身が認めたのだ。

 

「・・・・・・引継ぎはこれから、追々やっていくことにしよう」

「・・・分かりました」

 

 これから、エリカは本格的に隊長になるためにまほと共に動き出す。副隊長だった今までとは勝手が違うだろう。

 差し当たり、エリカ自身も変わらなければならないと思っていた。

 自分は、まほとは違って皮肉屋だという自覚はあるし、自分にも他人にも厳しいという事も、分かっている。まほも厳しいと言えば厳しいが、それでも時には優しい一面を隊員に見せてくれる。それが、まほが慕われていた理由でもあるだろう。

 自分も、そうならねばならないなと、まほは思った。

 

「それと、次の副隊長についてだが・・・」

 

 続いてまほがそう口にする。

 副隊長のエリカが隊長となる事によって、副隊長を新しく選ばなければならない。隊長だけでは隊も機能しないとまでは言わないが、それでも代々黒森峰では隊長と副隊長の2人で隊を率いていたし、副隊長までいるのが一般的だ。

 その副隊長を誰にするのか、と言う話だ。

 

「・・・・・・1人、私が推薦したい隊員がいます」

 

 そこでエリカは、おずおずと手を挙げてまほに意見する。まほはそれに気を悪くする事無く、エリカの意見に耳を傾けた。

 

 

 まほから指示された時間になったので、織部は報告書を提出しに来た。隊長室の前にやってきて、ドアをノックする前に時計を見て指定された時間であることを確認すると、織部はここで初めてノックをする。

 

「織部です。報告書の提出に来ました」

『入りなさい』

 

 エリカの声が聞こえ、織部はドアを開けて中へと足を踏み入れる。

 するとそこには。

 

「・・・・・・あれ?逸見さん?」

 

 普段なら、まほが椅子に座り、机に多くの資料を並べて読みふけっているはずだったのだが、なぜか今、普段まほが座っている椅子にはエリカが座っていて、その横にまほが立っている。普段とは逆の立ち位置だった。おまけにエリカはカチンコチンと言う擬音が似合うぐらいに固くなってしまっていて、その椅子に座る事に慣れていないのが明らかだ。

 なぜエリカがその椅子に座っているのか、という疑問が織部の頭に浮かぶが、まほがその疑問を見透かしていたかのように告げた。

 

「今日の模擬戦のエリカの戦いを見て、エリカを次の隊長にする事に決めたんだ。それで、まずは隊長の椅子から慣れてもらおう思ってな」

「ああ、そう言う事ですか・・・・・・・・・」

 

 先ほど織部は小梅と話している時に、先ほどの模擬戦の理由を予想ではあるが聞いた。結果は小梅の想像通り、エリカの実力を見極めるためのものだった。

 今学期も残り半年を切り、3年生たちは卒業後の事を考え始める。あるいはもうすでに決めている人が多い。この時期に、こうして不意に作為的な何かを感じた模擬戦を、ただの日常の一コマと処理するのは難しい。何かあると勘繰るのが自然だ。

 そして小梅は、この模擬戦は“なにか”を試すためだと気付いたのだ。その“なにか”とはエリカの事だったのだ。

 

「では、報告書は・・・」

「ああ、それは私が見る」

 

 まほがそこで前に出てきたので、織部は報告書を差し出す。まほが報告書を読んでいる間に、エリカがまほの目を盗んで椅子から立ち上がった。どうやら、まだこの隊長の椅子に座るのは恐れ多いようだ。

 

「うん、良く書けている。試合の流れも、細かく書けている」

「それは、別の隊員の方から試合の詳細を聞いて書きました。できるだけ分かりやすいように書き上げたいと思いまして」

「・・・・・・そうか」

 

 エリカは、織部の言っていた『別の隊員』が小梅だという事にとっくに気付いていた。2人の関係を見れば当然とも言えるし、先ほどの模擬戦でエリカと同様に最前線にいたのは小梅だ。だから聞くなら小梅が妥当だと思ったのだ。

 

「・・・・・・そうだ、織部。このあと少し、いいだろうか?」

「あ、はい。分かりました」

 

 織部は、このあとまほから少し話があると言われている。なので、このまほの申し出にも別に抵抗は無かった。

 だがここで、エリカの戦車道で養われた勘が働く。

 何か嫌な予感がすると。

 放っておくと、ろくでもない事になりかねないと。

 

「エリカも、今日は上がっていいぞ」

「・・・・・・分かりました。もう少し、片づけを終えたら帰ります」

 

 そう言ってまほは、織部を連れて隊長室を出て行ってしまった。

その後エリカは、気付かれないように2人の後を音もなく追った。

 心の中ではまほに『申し訳ない』と謝りながら。

 

 

 教室の外の廊下で小梅は、窓の外を眺めていた。雨の勢いは少し収まってきてはいるが、それでもまだ傘が無いと辛いほどの量だ。

 一応折り畳み傘は持ってきてはいるが、一緒に帰る織部はどうだろうかと小梅は心配する。もしかすると、相合傘という事にもなるかもしれない。

 織部といられる時間はどんどん短くなっていき、別れの時は着々と近づいてきている。

 その時がきてしまったら、小梅はどうなってしまうのか、どうするのか、自分自身でもそれはまだ分からないし、見つけられてもいない。

 だけど、それでも、別れの日が来る事は知っているからこそ、それまではせめて織部の傍にいたかった。

 それほどまでに、小梅は織部の事を好きでいて、恋していて、何よりも、愛していた。

 と、そこで小梅はあることに気付く。

 

(・・・・・・あれは、隊長・・・?)

 

 中庭を挟んだ向かい側の校舎の1階下―――3年生の教室がある廊下を歩くのはまほ。そしてその後ろを織部が歩いていた。

 そこで小梅の頭の中で警告音が鳴り響く。

 痛烈なまでに、不安が胸の奥から湧き出てくる。

 そのような不安を感じたのは、戦車隊の隊員として養われた危機察知能力ではなく、女の子としての不安な気持ちだ。

 何か嫌な事が起こりそうだと、小梅の中の勘が叫んでいる。行かないと、取り返しのつかないことになってしまうと。

 小梅はその不安を抱いた直後、駆け出す。階段を降りて、廊下を進み、織部とまほが歩いて行った教室へと向かう。

 その織部とまほが入ったらしき教室の前、正確にはドアに、背中をつけて中からは見えないように立っているエリカを見つけた。

 エリカもまた小梅に気付き、小梅に目で『音を立てるな』と指示を下す。それだけで小梅も意図が伝わって、口をつぐみエリカの横に立って教室の中から聞こえてくる音に全神経を集中させる。小梅の立っている位置から教室の中は見えないし、見ようとすると逆に向こうにバレてしまいかねなかった。

 

「・・・・・・急に呼び出して、すまない」

「いえ・・・・・・それは構いません。ですが、一体どのような用件でしょうか?」

 

 窓の外から聞こえる雨の音が大きくなった気がする。雨の勢いが強くなったのだろうか。

 だが、それで中の会話が聞こえなくなるなどと言う事だけは絶対に避けたい。小梅は、聴覚をこれでもかというぐらい研ぎ澄ませて教室の中の会話に耳を傾ける。

 

「・・・・・・その前に、一つだけ私から聞きたい事がある」

「?」

「・・・以前、大学選抜チーム戦に向かう際に、飛行船で君に話したことを覚えているか?」

「・・・・・・はい」

 

 エリカと小梅は、頭に疑問符を浮かべる。そんな会話をしていたというのは今初めて知った事だ。それは、小梅からすれば小梅が部屋に戻った後の事で、エリカからすれば織部が操縦室に来る前の事だったのだから、知らないのも当然だった。

 

「・・・・・・私は君に、『君と話してから安心感を抱くようになった』と、『君がいると、安心できる』と言ったはずなんだ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 エリカと小梅が目を見開く。あのまほが、そんな言葉を口にするとは到底思えなかったからだ。そんな言葉を言っていた記憶は2人の中には存在しないし、そもそもそんな言葉を口にするイメージが皆無だった。

 そんな恋する女の子のような事をまほが―――

 と、そこでエリカと小梅は同じ推測を立てた。

 まさか、と。

 そんな、と。

 

「あの時君は、私の言葉を聞いてどう思った?正直に、教えてほしい」

「・・・・・・・・・・・・・・・正直に言いますと、どうしてそんなことを言われるのかが、分かりませんでした」

 

 答えるまでに、若干の間がある。

 小梅はそこから、もしかしたら織部も“気付いた”のかもしれないと思った。

 織部の傍にいた小梅から見ても、織部は馬鹿ではないと分かるし、むしろ賢いと思える。学業の面で見ても、人の気持ちを汲み取る面で見てもそうだと言える。小梅の恋心に気付かなかった面では鈍いと思うが、それは今は関係ない。

 

「・・・・・・私は、元々口下手だからな。そう思われても仕方ないか」

「・・・・・・」

 

 まほの少しばかり呆れたような声。もし表情が見えたのなら、失笑しているのかもしれないと小梅たちは思う。

 

「・・・・・・こういうことを言うのは初めてで、私も少し緊張している」

「・・・・・・」

「・・・だから、単刀直入に言わせてほしい」

 

 エリカの額に脂汗が滲む。

 小梅の瞳が不安と焦りで揺れる。

 2人の拳が無意識に握られ、震えている。

 窓の外の雨の音が、聞こえなくなる。

 世界中の音が、止まったように錯覚する。

 

 

「私は、織部・・・君の事が好きだ」

 

 

 今、自分の心臓は動いているだろうか。

 呼吸は、ちゃんとできてるだろうか。

 できていなければおかしい事すらもちゃんとできているかわからなくなるぐらい、心が揺れ動く。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 織部が何も言わない。何を考えているのか、何を思っているのか、告白を受けてどう感じているのか、それは織部以外には誰も分からない。

 だが小梅からすれば、織部が何も言わないことが不安でならないし、何より気になる事がある。

 それは、今の織部の心に、自分はちゃんと存在しているのだろうか、という事だ。

 

「君が初めに私の事を聞いてきた時は、私も少し君の事を悪く思った。人の触れてほしくはない場所に、多少の遠慮や気遣いがあったとはいえ触れたのだからな」

「・・・・・・・・・・・・その時は、すみませんでした」

 

 織部がようやく言葉を発するが、小梅が聞きたいのはその言葉ではなかった。

 

「だが、あの時君は私にどうしたいのかを聞いてくれた。そこで私は、みほと本当は話をして、仲を取り戻したいという事実に気付かせてくれた。そしてこんな私でも、姉失格ではないと、そう言ってくれた」

「・・・・・・・・・・・・」

「誰にもあんな話はしていないし、そんな言葉をかけてもらった事も無かった。だからそれが、私には嬉しかったんだ」

 

 そのことは、エリカと小梅が本当に最初に盗み聞いてしまった、織部とまほの話だった。

 その時のまほの気持ちは分からなかったが、今こうしてその真実を聞くと、またあの時の話が違った風に解釈できる。

 

「その後も君は、私の相談に乗ってくれた。君は、私の本心、『みほに謝りたい』という気持ちを忘れさせることはなく、私の事を応援してくれた」

「・・・・・・・・・・・・」

「そして私は・・・みほと仲直りをすることができたんだ」

 

 その仲直りとは、夏休みでみほを黒森峰に招いた時の事だろう。それは、小梅にとっても、エリカにとっても重要な出来事だったのだから、すぐにわかった。

 

「君に対しては、感謝の気持ちを抱いていた。みほとの関係に悲観していた私の事を慰めて、そしてその上でみほと私が和解することを望み、そして背中を押してくれたことに対して」

「・・・・・・・・・・・・」

「その時以来か、私は安心感を抱くようになった。君に話す事に」

 

 小梅からは見えないが、エリカからは織部が目を閉じて俯いてしまったのが見える。果たして織部が今抱くその気持ちは何なのか、それはエリカには理解できない。

 

「その安心感も、やがては別の“もの”に変わった」

「・・・・・・・・・・・・」

「君の事を考えると、なぜか胸が焦がれるような思いになり、温かい気持ちになれる」

「・・・・・・・・・・・・」

「それが・・・・・・“恋”だと知った」

 

 それが、まほが織部を好きになった経緯、動機、恋の芽生えだった。

 そして、織部が言葉を一切発していないのに、小梅はどうしようもない不安を抱く。織部の心が見えない、本心が、今の織部の気持ちが読めないからだ。

 小梅に対しては常に真摯に向き合い、支えられ、時には支えた織部が、今何を思っているのか。

 

「・・・・・・西住隊長の気持ちは、大変嬉しく思います」

 

 小梅の肩がビクッと揺れる。エリカが横で、息を呑んだ気がする。

 雨の音が、徐々に聞こえてくる。

 

 

「・・・・・・けれど、すみません。西住隊長の気持ちは、僕には受け止められません」

 

 

 それが織部の答えだった。

 心の中の緊張の鎖が切れて、小梅はうっかり息を吐きそうになるが、今ここで音を立ててはならないと言うエリカの命令を思い出して踏み止まる。

 

「僕にはもう・・・・・・心に決めた、将来結ばれることを約束した人がいます。なので、すみません」

 

 そこでエリカが、小梅の方を勢い良く振り返る。だが小梅は、反応しない。

 

「・・・・・・そうか」

 

 まほの口調は、ほんの少し、ほんの少しだけ落胆の感情が雑じっているように聞こえたのは、決して気のせいではないと思う。

 

「・・・急に呼び出して、急にこんなことを話して済まなかった」

「いえ・・・西住隊長が謝る事は・・・」

「・・・・・・やはり、君は優しい男だ」

 

 最後のまほの言葉は、優しさを帯びているように聞こえた。

 そしてエリカは、まほが踵を返して教室を出ようとしていることにいち早く気付き、小梅にジェスチャーで隣の教室に隠れろと伝えると、まほに気付かれないように音を極力立てず隣の教室のドアを開けて身を滑り込ませる。そして、息を殺して存在を消しにかかる。

 ドアの傍に座って外から見えないようにしてジッとする。ドアの外から1人分の足音が聞こえるが、こちらに気付いて立ち止まった様子は無い。その足音の主は、そのまま通り過ぎて行った。

 試しにエリカがドアの窓から外の様子をうかがうが、周りに人の姿は見えない。音をたてないようにドアを開けて周りの様子を広く見ても、人はいない。

 しかし2人は念のため、しばらくその場で様子を見る事にした。

 10秒。状況は変わらない。

 20秒。変化は起きない。

 30秒―――

 隣の教室から『ガタン!』という音が聞こえた。その音を聞いて即座に小梅が、隣の教室へと駆けだす。

 中を見ると、織部の姿が無い。先ほど聞こえた足音は1人分しかなく、最初に教室を出ようとしたのはまほだったのはエリカの様子から分かっていたから、教室には織部が残っているはずなのだが。

 いや、よく見ると織部はいた。整然と並べられた机と机の間、冷たい床に織部は座り込んでしまっていた。

 

「春貴さん・・・!」

 

 小梅が駆け寄ると、織部は手で顔を抑えていて、呼吸もわずかに荒かった。その表情は困惑というよりも後悔という表現がしっくりくる。

 

「・・・・・・もしかして、聞いてた・・・?」

 

 織部が恐る恐る、確認するように小梅に聞くと、小梅は表情を曇らせる。だが、それだけで織部には答えが分かった。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・ごめん」

「謝る事なんて・・・・・・・・・」

 

 織部が何に対して謝ったのかは分からない。だが、ここで織部が謝るのはお門違いだという事は小梅にも分かった。

 

「・・・・・・西住隊長には・・・悪い事をしたと思う」

「・・・でも、春貴さんはちゃんとした理由があって、断ったんですから・・・。春貴さんが気に病むことはないと私は思います」

 

 どうやら、以前プールでエリカが言っていたように、まほは鈍いところがあったらしい。織部と小梅が付き合っていることに気付いていれば、告白などしてこなかっただろう。

 

「・・・・・・初めて告白してきた人が、小梅さんで良かったと、本当に思ってる」

「え・・・・・・・・・?」

「告白を断るのって・・・・・・・・・ものすごく、辛くて、耐え難いものだったんだって、今知った」

 

 織部が生れて初めて告白された相手は、自分も好きだった小梅だった。だから、断ることはなくその返事を受け入れて、付き合う事が決まった。

 だから、先ほどのように告白を断った事など無かったのだ。そして、それがどれだけの罪悪感を生み出すようなものなのか、それを初めて知ったのだ。脚に力が入らなくなるぐらい、脱力感に襲われた。

 物事を真面目に考えすぎる傾向のある織部だからこそ、こうして告白してきた女性を振るという初めての事態に、困惑しているのだ。しかも相手が、“あの”西住まほで、これまで何度か相談を受けて、小梅と同じように向かい合って話していたからこそ、その人の気持ちを裏切るという事が辛く、自分でも哀しくなったのだ。

 その罪悪感、後悔に押し潰されそうになり、織部の瞳は揺れて俯く。

 そんな織部の顔に、小梅は優しく手を添えた。

 そして、まだ困惑している様子の織部に、小梅は静かに唇を重ねた。

 小梅にとっては、織部が小梅と付き合ってくれていることを理由に告白を断ってくれたことが、本当に嬉しかった。

 だがそれでも、自分の付き合っている人が告白されるというのは、とてつもなく心が締め付けられる思いだった。真面目で優しい織部なら、鞍替えするなどという事は無いと分かっていたし、信じていたのだが、万が一、億が一その可能性があったらと、そんな考えが浮かんでしまった。

 悪い言い方をするなら、織部を疑った。

 この口づけは、罪悪感に押し潰されそうになっている織部への慰め、自分の存在を忘れる事無く告白を断った織部に対する嬉しさ、そして織部を疑った事の償いの意味が詰まっている。

 ほんのわずかな時間だけ唇を重ねてから離すと、織部は苦笑とも取れる笑みを浮かべながら、静かに涙を流していた。

 涙を流しているのはどうしてなのか、そこには多くの感情がないまぜになってしまっているのだろうなと、小梅はすぐに分かった。

 

「・・・・・・・・・随分とお熱いようで」

 

 そして、小梅の後ろから聞こえた茶化すような声に、織部と小梅はビクッと肩を震わせる。そして振り向いてみれば、扉に寄り掛かるようにして腕を組み立っているエリカがいた。

 

「・・・・・・・・・逸見さんも、聞いてたんだよね。多分」

「ええ、バッチリとね」

 

 この後、エリカが織部にどんな言葉をかけてくるのか、織部は怖かった。

 エリカがまほを心酔しているという事は分かっている。そのまほを振ってしまった織部を、エリカはどう思っているのかは、なんとなくだが分かる。

 何を言われて責められるのかと思うとまた落ち込んでしまうが、意外にもエリカの表情は怒りではなく、呆れにも似た何かのように見える。

 

「・・・・・・ま、あんたたちが付き合ってるのは知ってたから、断るとは思っていたけどね。隊長が告白なんてしたのは完全に予想外だったけど」

 

 エリカに怒っている様子は無い。むしろ仕方が無いと諦めてしまっているようにも見える。だが、そう見えるだけで内心では織部に対する怒りや憎しみを滾らせているのかもしれない。

 それにかつて、エリカは織部に真っ向から批判を浴びせた事がある。その時の事をエリカは謝ってきたが、今回はまた事情が違う。

 

「・・・・・・僕を責めないの?」

「責める?どうしてよ」

 

 だからたまらず織部が聞くが、エリカはその質問こそ意味が分からないという風に首をかしげる。

 

「隊長があなたに告白したことには驚いたけど、それは隊長自身の意思でもある。流石にそれは私にもどうにもならないし、あなたが悪いってわけじゃない。告白を断ったのだって、赤星と付き合ってるからっていう至極真っ当な理由があっての事だし、今回の事は仕方ないと思ってるわ」

 

 エリカの言葉に嘘は無い。これは紛れもない本心だ。

 まほが誰を好きになるかというのはまほの自由であり、エリカがそれに口出しする資格は無い。その相手である織部の事をエリカはかつて咎めた事があるが、それは織部の事を深く知らないエリカの方にも非があったという事をまほに気付かされてしまった。

 エリカだって織部の事を今では悪い奴ではないと思っているし、小梅と問題なく付き合っている以上性格に難があると言うわけではないのも考えられる。

 だからエリカも、今回の件に限っては織部に対しては何も咎めはしない。

 しかしながら、エリカは一つだけ織部に聞いておきたい事があった。

 

「・・・・・・ねえ、織部」

「・・・・・・何?」

「これは・・・もしもの話だけど・・・・・・」

 

 エリカが珍しく、何かを言うのを躊躇うが、やがてすぐに織部の顔を見て問いかける。

 

「・・・・・・もし、あなたが赤星と付き合っていなかったとしたら、あなたは西住隊長の告白をOKしたの?」

 

 それは、純粋な興味と言うのもあるし、不安というのもあった。

 そしてその質問、小梅も少し気になっていたことだった。もし自分と織部が付き合っていなかったらという事は考えるだけでも寒気が走るが、織部自身がどう動くのか、それもまた同時に気になるところだった。

 エリカの問いに対して織部は、ほんのわずかに躊躇いを見せてから、答える。

 

「・・・・・・断ってた」

「・・・・・・・・・」

 

 エリカの表情を覗うと、無言で『理由を言え』と目で言っている。織部も、流石にこのままではいけないと分かっていたので理由を説明した。

 まほがどれほどのものを背負っているのかは、織部に限らずこの場にいる全員が知っていることだ。西住流の後継者筆頭で、国際強化選手で、黒森峰を率いる隊長だ。隊長という立場はいずれ退くだろうが、それでもその肩書は一介の高校生の背負うそれではないというのが分かる。

 だからこそ織部は、まほが自分とは住む世界が違う人だと思っていて、尊敬する気持ちはあっても、恋心までは抱けなかった。

 そしてそのまほから告白を受けるという事は、その肩書を背負うまほを支えていくことになるのだと思っている。

 だが、織部はそんなまほを支えられる自信が無い。そこまで自分は強い人間だとは思っていないし、もしまほほどの人物がつまずきそうになる場面など織部には想像できない。みほとの関係が拗れた事で相談には乗ったが、自分たちよりも過酷な戦車道の世界に生きるまほがそれ以上の場面に直面して躓いたとして、その時まほの気持ちを受け止められるかと聞かれても、織部は頷けない。

 だから、例え告白されていたとしても、自分にはまほほどの人物の気持ちを受け止める勇気が、自信が無かったから、断っていただろう、と織部は告げた。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 しかし、だからと言って織部が付き合ってる小梅ならまだ大丈夫、などと考えてはいないし、小梅の事をまほとは違って低く見ているとは微塵も思っていない。

 過去にいじめを受けた織部からすれば小梅の辛い過去は痛いほど分かるし、似たような経験をしたからこそより親身になって接することができるし、支えられる。強い信念を持っていることに関してもそうだ。織部はその信念を抱く小梅の事を応援したいと思っていたし、支えたいとも考えていた。

 それ以前に、織部は小梅の事が心から好きだった。小梅だけが持つ魅力の虜となっている。そして小梅もまた、織部の事を心から好きでいて、未来の事までも考えてくれている。

 小梅は、織部が初めて心から好きになった、恋心を抱いた女性(ひと)だ。

 それが、まほと小梅に対する気持ちの、決定的な差だ。

 

「・・・・・・なるほどねぇ」

 

 それも隠すことなく告げると、エリカも納得したように、そして織部をバカにするような笑みを浮かべる。

 

「あの西住隊長の告白を蹴るなんて、モテる男は辛いわねぇ」

「勘弁してよ・・・」

 

 口調からエリカは冗談で言っているのだと分かっているのだが、その『モテる男は辛い』というよく聞くフレーズも、織部にとっては笑えないし、そんな言葉は口が裂けても言えない。実際織部は罪悪感と後悔に押し潰されそうになって辛いことこの上なかったのだし、織部は自分がモテると自信を持って言えるほど自意識過剰でもない。

 心底凹んだ様子でそう言う織部を見ながら、エリカも肩をすくめて息を吐き、そして織部と小梅の2人を視界に捉えながら教室を出ようとする。

 

「まあ、今回の事は秘密にしとくわよ」

「是非ともそうしてくれるとありがたいよ・・・」

 

 苦笑しながら織部が言うが、それに対する返事は告げず、代わりにエリカはドアを開けてから。

 

「・・・・・・赤星と幸せになりなさい」

 

 そう言って、行ってしまった。

 最後の、ものすごく普段のエリカとは違うような応援の言葉に織部と小梅は驚いたが、そう言えば『将来結ばれる』と言ってしまった事を思い出した。

 秘密にしておきたかったことだが、それを言ってしまった事を織部が謝るが、小梅は笑ってそれを許してくれた。

 しかし、こうして知られてしまうと、何としても、絶対に、それを成し遂げないとと思うようになった。いや、元々そうなりたいと強く願っていたのだし今更揺るぎはしないのだが。

 織部も落ち着いたところで、小梅は織部の手を引いて立ち上がらせて、教室に戻って帰り支度をする事にした。

 

 

 まほからの告白は、織部が真っ当な理由で断った。

それについて小梅もエリカもそれを責めはしなかった。だから織部も、気に病む必要は無いはずだった。

 だがそれでも、今日の事はトラウマとまでは言わないが、忘れられない過去として織部の中に蓄積され、忘れてはならない経験として織部の心に焼き付けられることになってしまった。

 一生向き合っていかねばならない、心の傷になった。




ムラサキツユクサ
科・属名:ツユクサ科ムラサキツユクサ属
学名:Tradescantia ohiensis
和名:紫露草
別名:―
原産地:北アメリカ
花言葉:尊敬しているが恋ではない


告白を受けるという事も、断るという事も、
尋常ではない覚悟が必要なのだと筆者は思います。

この物語におけるまほの立ち位置は、
準主人公・サブヒロインな感じでした。


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