申し訳ございません。
自分で紅茶を淹れ始めたけど、難しい・・・
織部が黒森峰を去るまで残りおよそ2週間。
織部と小梅にとっては、確実に一時の別れの日が近づいている。それはさながら、崖に一歩ずつ近づいているような感覚だった。
そんな折、戦車隊の訓練が無く学園艦も寄港している今日、小梅は織部をデートに誘った。
最初にデートをした時も、本当は小梅から誘おうと思ったのだが、その時は女の子の小梅に言わせるのは情けないと織部が考えて織部から切り出した。
だが今回は、本当に小梅の方から誘った。織部も誘おうと思っていたのかもしれないが、それよりも早く小梅の方から織部を誘ったのだ。
そうまでして急いで小梅が誘った理由、それは2つほどある。1つは、おそらくこの日が織部と陸でデートができる最後の日だから。
黒森峰学園艦は比較的短い間隔で寄港する。だが、この次に寄港する日は10月に入ってからだ。そして織部は、9月30日の織部の誕生日で黒森峰から去ってしまう。その前に、小梅は何か1つでも織部との思い出を増やしたかった。だから、その思い出を増やすためにデートに誘った。
そしてもう1つの理由は、織部の抱えている心の蟠りを消し去るためだ。
この1週間ほど前、織部は黒森峰戦車隊を率いる西住まほから告白を受け、それを小梅と付き合っているという理由で断った。表面上ではあの話は解決したように見えたが、あの時の事は織部の心に罪悪感と言う形で大きな傷跡を残してしまった。
その翌日からは、織部は一見普段通りに振る舞っているように見えた。クラスメイトの根津や斑田と話す時も、食堂で直下や三河と一緒に昼食を摂っている時も、戦車道の訓練に参加している時でも、特別変わったところは見えなかった。
だが、随分と長い間織部の傍にいる小梅には分かった。織部は、何でもないように振る舞っているだけで、本当は心の中はグラグラと不安定なのだと。
織部の見せる笑顔も無理をしているようにしか見えなくて、話す言葉も少し元気が無いように聞こえる。それに気づいているのは恐らくは、小梅だけだ。
そんな織部を、織部の心をどうにかして小梅は持ち直させたかった。そこで小梅はこの寄港を好機と思い、デートに誘ったわけだ。
そして織部は、その誘いを快く受け入れてくれて、デートをするに至る。
またこのデートでは、寄港先でお互いが気になった場所に1か所ずつ行くという事になった。小梅が選んだ場所は、植物園。織部が選んだ場所は、有名な神社だった。何とも、場所のチョイスが正反対と言うべきだった。
ともあれ、小梅は織部がデートの誘いに乗ってくれたことを内心ではとても安心していた。
織部の気持ちを持ち直すという目的もあるが、また織部と2人だけで出かけられるというのが何よりも嬉しかった。2人の実家に挨拶に行った時も2人だけの時間を作ることができたが、こうして2人でしがらみ無く出かけられる方が気が楽だ。
そしてこのデートで、少しでも織部の気持ちが上向きになればいいな、と小梅はそう思わずにはいられなかった。
朝の10時すぎに待ち合わせた織部と小梅は、学園艦と港を繋ぐタラップを降りて、一番近いバス停へと向かう。
織部の服は青のニットシャツに灰色のジャケットとベージュのチノパン。小梅は、クリーム色のコットンニットの上に薄いピンクのカーディガンを羽織り、薄い青のスキニージーンズを履いている。小梅の服は、織部から見れば温かそうだし、最初のデートと比べると少し動きやすさを重視しているように見える。
「肌寒くなってきましたね・・・」
「もう9月だしね・・・。ほんの1、2週間ぐらい前は暑かったのに」
海に近い事もあって冷たい風が吹き、織部と小梅はその風を受けて肌寒くなる。小梅は織部と手をつなぐが、それでもまだ温かくはならない。
バス停に着いても、バスが来るまではまだ少し時間があったのでその冷たい風に晒される事になってしまった。一応、風よけのパネルがあるのだが、気休めにしかならない。
冷たいベンチに座ってバスを待っていると、織部が隣に座る小梅との距離を少しだけ詰めた。
「寒いから・・・・・・少しでも温かくなるかなって・・・」
「・・・そう、ですね」
織部が自分からアクションを起こしたことが少し意外だったけれども、それでもこうして近くにいられる事は嬉しかった。それに、肩をくっつけているだけでも気持ち温かくなれる気がした。
そしてバスが来ると、まずは小梅が行こうと提案した植物園へとバスに乗って向かう。
植物園は、学術研究を主な目的として樹木や草花などを生きたまま栽培している場所だ。これから行く植物園もその例に漏れず多種多様な植物を栽培していて、小梅が気になっているのはバラ園らしい。バラの開花する季節は春らしいが、種類によっては環境次第で咲き続けるらしい。その目的のバラ園に咲くのもその類のものだろう。
バスに揺られる事およそ20分ほどで、植物園にやってきた。入園料は、織部が先んじて小梅の分も払ってくれたので、小梅は財布を出さずに終わった。
だが小梅としては不服だったので、織部の事をじっと見つめるが、織部はしれっと笑みを浮かべながら入園チケットを小梅に差し出してきた。
こうして(多少強引だが)さりげない気遣いをしてくれるのも織部の美点であるのだが、今はどうしてだか、無理をしているようにしか見えなかった。
そんな小梅の中の疑問に織部は気付いているのかいないのか分からないが、小梅に『行こう』と言って、小梅と並んで植物園に入る。
この植物園の規模は結構広く、半数以上は屋外になっている。屋内エリアには貴重な草花が栽培されており、バラ園もそこにあるらしい。屋外エリアは整備された緑道を歩く形になっていて、花の香りと色を同時に楽しむことができるようになっている。
園内を歩く織部の隣の小梅は、どことなく普段よりも生き生きとした表情で、咲く花を楽しんでいるように見えた。今笑みを浮かべる小梅は、織部の目分量だが普段よりも2割増で可愛らしかった。
「小梅さんってさ・・・」
「はい?」
なので織部は、少しだけ気になった事を聞いてみる事にした。
「もしかして・・・こういう花とか・・・好きだったりするの?」
「え?」
「ええっと・・・・・・今とか小梅さん、すごい生き生きとした顔だし・・・そうなのかなぁって。あ、間違ってたらごめんね」
今日の他にも、本当に小梅と出会ったばかりの頃。学園艦の花壇の前でお互いの過去の事を告白した時もそうだった。あの時織部が小梅を見かけた時、小梅は穏やかな表情で花壇に咲く花を眺めていた。
だから、もしかしたら、と思ったのだ。
「・・・・・・花は好き、ですね。色とか形とか違いを楽しむのが面白いですし」
確かに、その気持ちは分かる。花の種類は数えきれないほどあり、花びらの形や花全体のシルエットもそれぞれ違う。その違いを楽しむのもまた、花の楽しみ方の1つだ。
織部も、こうしてじっくりと見る事はあまり無いが、その“違い”を見るのもまた面白いと思う。
「そうだね・・・僕も小梅さんの気持ち、分かる」
織部がそう言って、小梅も笑う。
園内には、季節を過ぎてしまい萎れてしまった花もあったが、それを帳消しにするぐらい他の花も綺麗に咲いている。桜の木は流石にダメだったが、丁度シーズンなら綺麗に咲いていただろうに、残念だ。
織部は、小梅と一緒に多くの花を楽しむ。名前を知っている花もあれば、そんな名前の花あるの?というような花まで咲いているので、新しい発見が多い。加えて、色の配置も規則的かつ飽きないように工夫されているので、長い時間楽しめる。
織部もこうして、花をじっくりと見た事など無かった。学園艦の花壇も、小梅と話す事に意識を割いていたので、花を楽しむ事もあまりなかった。だからこうして、改まって純粋に花を眺め楽しむという事が初めてだったのだ。
「結構、種類があるんだね」
「そうですね・・・。ネットで見ましたけどここまで多いとは・・・」
園内を歩き、花の香りと色を楽しんでから少しして、織部がそう呟く。小梅も、この植物園をネットで調べた際に種類が豊富という事は知っていたが、ここまで多いとは思ってもいなかったのだろう。
やがて2人は、屋内ゾーンに足を踏み入れる。
だが、次の瞬間温かい空気が2人の全身を撫でるように吹く。やはり屋外では育てられないような植物を栽培しているからなのか、気温は常に一定に保たれているらしい。
だが、今着ている服のままでは少し暑いので、2人はジャケットとカーディガンをそれぞれ脱いで腕にかけて前へと進む。
熱帯に生息しているらしき植物は色が屋外のものと比べると鮮やかで、これもこれで悪くないと思う。
たまに織部が『毒々しいね・・・』と呟くと、小梅が『でも綺麗ですね』と違った感想を告げる。
そして、そうして屋内エリアを進めばまたドアが現れる。『この先、室内温度は約15度です』と警告文が書かれていたので、2人は上着を羽織り、そしてドアを開ける。
「・・・少し寒いね・・・」
「そ、そうですね・・・・・・」
9月に入って肌寒くなったとはいえ、ここはさらに寒い。2人がそれぞれジャケットとカーディガンを着てもまだ足りない。
なので2人は、自然と手をつなぎ、肩をくっつけて少しでも温かくしようとした。ここに来る前のバス停と同じだ。
しかし、その中には。
「これは・・・・・・」
「わぁ・・・・・・綺麗・・・・・・」
織部と小梅が、思わず声を上げる。それぐらい、目の前の光景は綺麗だった。
地面にはレンガが敷かれていて、バラの色ごとに区画が分けられている。白のガーデンアーチも相まって、全体的に優雅なイメージが強い。
バラと言えば赤というイメージが強いのだが、今2人の目の前に咲くバラは赤色だけではなかった。白に黄色、オレンジ、そしてあまり見る事のない緑のバラなんてものまで咲いていた。
「こうしてみると、バラって結構色が多いんだね・・・」
「本当ですね・・・。緑のバラなんて初めて見ました・・・」
織部と小梅は、緑のバラを眺めながら、心の底から驚いているかのようにそう言う。この緑のバラ、けばけばしい緑色ではなくて、目に優しいふわりとした緑色だった。だから、見ていて目が疲れるなんてことは無いし、なぜだか穏やかな気持ちになれるものだった。心の中にあるモヤモヤが、水に溶けていくような感覚さえも覚える。
「あっ、あれって・・・・・・」
「?」
そこで織部が、何かに気付いたかのように一点を見る。小梅も、織部の視線を追ってその一点へと目を向けると、その視線の先にあるのは、他とはまた区別された花壇だった。そして、そこに咲いているのは。
「青い、バラ・・・?」
「初めて見たよ・・・・・・生の」
織部は青いバラは、確か自然には咲かない、遺伝子組み換えなどのバイオテクノロジーで開発されたものだと記憶している。科学技術、遺伝子組み換えによる成果である故に人々の抵抗感が強く、あまり世間では見られないものだ。
なので、こうしてこんなところで偶然にもお目にかかることができるとは織部も思わなかったのだ。
小梅も、青いバラがどんなものかは知識として知っていたのだが、実際に見る事は初めてだったようで、自然と足がその花壇の方へと向いていた。織部もまた同じようにそちらへ向かう。
近くで見てみると、そのバラは青というよりも青紫と言い換えた方がふさわしい色合いで、近くの注釈にも『より青色に近づけるための実験が現在行われています』と書かれている。この植物園はどうやら、植物の研究も行っているようだ。
だが、それでもこうして普段見る事のない青いバラを見られるだけでも、ここに来る価値は十分にあったと言える。
小梅は、横で青いバラを鑑賞する織部の顔が、昨日までと比べると少し明るくなっているのを見て、ホッとした。
「・・・・・・よかったです」
「?」
青いバラを見ながら小梅がポツリとこぼす。織部はその言葉を聞いて小梅の方を見ると、小梅が安心したような笑みを浮かべていた。
「・・・・・・春貴さん、最近ずっとどこか落ち込んでいるように見えたから・・・楽しんでいるのが見れて、ちょっと安心しました」
この時織部は、内心では気付かれてしまったのかと焦ってしまっていた。確かに織部自身、1週間前の事以来少し気分が下向きになっていたという自覚があった。それでもどうにかして上向きにしようと努めてきたのだが、それでも小梅には、気付かれてしまっていた。
自分が無理をしていたのだという事に。
「・・・・・・・・・・・・気付いてた、んだ」
「・・・ええ。もう随分と、春貴さんの傍にいますから」
近しい人ほど、そう言う些細な変化にも気づきやすい。その近しい人が、強いつながりを持っているのであればなおさら。
「・・・・・・うん、そうだね。最近は、少し落ち込んでた」
「・・・・・・やっぱり、1週間前のあの事ですか・・・?」
織部が認め、その原因を小梅は恐る恐る聞いてみると、織部は頷いた。
やがて他にも見物客がやってきたので、一度青いバラの前から離れる。そしてそろそろ本格的に寒くなってきたので、2人はバラ園を出る事にした。もう十分バラは見届けたし、何よりもこれ以上ここにいると本当に風邪を引きかねない。
バラ園の外に出ると屋外エリアに戻るのだが、バラ園の中よりも温かく感じられ、織部と小梅は『ふぅ・・・』と一息つく。
そして織部は、屋外エリアを小梅と共にしばらく歩き、やがて空いているベンチを見つけて隣同士で腰を下ろす。
そして織部は、ぽつぽつと、話し出した。
1週間前のまほの告白、そしてそれを断った事で織部は、ひどく動揺してしまった。
その翌日以降も戦車道の訓練はあるし、織部も報告書を書く事が常となってしまったので、否が応でもまほと顔を合わせて言葉を交わさなければならない。
だが、その告白の事などまるで無かったかのように、まほはいつも通りの感じで織部と接していた。
あの告白を断った日の夜、まほがどうなったのかは織部の知るところではない。すっぱりと諦め忘れられたという可能性が高いのだが、もしかしたら涙の1つでも流していたのかもしれない。その可能性だって、女の子として恋心を抱いた事から考えられるものだ。
そう思うとなおの事、織部の中で罪悪感や不安感が増幅していった。
加えて、まほが普段通り接している以上、自分もいつまでも動揺していられないし落ち込んでもいられないと、自分を無理やりにでも奮い立たせ、あの時の告白も忘れようとした。
しかしながら、人間、忘れたい記憶をすんなりと忘れられれば苦労はしない。織部があの時の告白を忘れようとすればするほど、その時の事を鮮明に思い出し、さらに深い罪悪感と後悔の念に駆られる事になってしまって、結果今でも引きずってしまっている。
だが、この織部の中に蔓延るものは、織部自身が招いた結果なのだ。小梅と付き合い将来の事も約束しているという至極真っ当な理由で断ったのは事実だが、まほという女性をフった事もまた事実だ。その事実は、織部が引き起こしたもので間違いない。
だから、周りの人間に心配させるのも勝手だと思って、周りには悟られないように平静を装っていた。
だがやはり、織部も隠し事は苦手だし、そう簡単に感情をコントロールできなかった。
そして、小梅に気付かれてしまった。
織部の手は、膝の上で握られている。自分の中にある蟠りを口に出した事で多少すっきりしただろうが、それでもやはり織部の中の後悔、罪悪感は消えはしない。
その横に座る小梅も、織部の膝の上の手を包み込むように優しく握るが、どう言葉をかけていいのかが分からなかった。自分はフラれた事など無いし、告白をしたのもされたのも、織部が初めてで唯一だった。
そしてフラれた側が落ち込むという事は聞いた事があるが、フった側がここまで落ち込むというケースは、あまり聞いた事が無い。
だから正直に言って、明確なアドバイスができるとは小梅自身でも思っていない。ましてや、心の中の後悔や罪悪感を完全に消し去る事だって難しいと分かっているし、まほをフったのももう消せない過去なのだ。
故に小梅に出来る事は、織部の心の中の“それ”を、軽くさせることぐらいだ。
「春貴さん、前に私に言ってくれたこと、覚えてますか?」
「?」
「なんでもかんでも、1人で抱え込まない方がいいって」
あ、と織部は思わず口にしてしまう。
そしてその言葉、かつて小梅から1度言われてしまった言葉でもある。まほからみほの勘当の話を聞いた際に織部が1人で悩んだ結果、日常生活に支障をきたした時だ。
「・・・・・・2回も言われちゃうなんてね・・・」
おどけるように織部が言う。最初にそう言ったのは織部だというのに、そう言った人から同じ言葉を2度も言われてしまうとは、何と情けない事か。
「春貴さんは、真面目過ぎだから1人で考え込んで、抱え込むんです」
「・・・・・・うん」
「でも、今回の話は・・・・・・私も無関係とは言い切れないです」
織部がまほの告白を断った理由は、まほに対して恋心を抱いていなかったのもあるが、それ以前に小梅と付き合っていたからだ。人間としての道を外れないためにそのことをまほに告げて断ったので、小梅もこの話とは全く関係が無いとは言い切れない。
「だから、春貴さんだけが全てを抱え込む必要はないんです」
「・・・・・・だけど―――」
「それに」
なおも織部が何かを言おうとするが、その前に小梅が言葉をかぶせる。
「・・・・・・私、もう春貴さんが何かに悩んで苦しむ姿なんて、見たくないです」
織部の手を包むように握る小梅の手に力が入る。
自分の近しい人が悩み苦しんでいるというのに自分が何もできないというのは、とてつもなく悔しくて辛いものだ。その相手が、相思相愛の親しい関係となっているのであればなおさらだ。
「だから・・・・・・春貴さんが苦しんでいるのなら・・・何かに悩んでいるのなら・・・・・・」
そう言って小梅は、また少し織部との距離を縮める。
「・・・・・・1人で溜め込まないで、私に言って」
そう告げる小梅の言葉には、かすかな哀しさを帯びていることに織部は気付いた。
織部だけの問題だと思っていたのと、小梅に負担をかけさせまいと思っていたから、小梅には何も言わず相談もしなかったのだが、それが却って小梅を落ち込ませてしまう事になってしまった。
「・・・・・・ごめん、小梅さん」
小梅の肩を抱き寄せる織部は、本当に申し訳ないという気持ちを籠めて、そう告げる。
「・・・・・・これからは、もう少し、小梅さんを頼るよ」
「・・・・・・うん」
「・・・・・・でも、小梅さんも、僕を頼ってくれていいから」
「・・・・・・うん」
恋人とは、共に相手の事を心から愛していて、そして互いに支え合うべき関係なのだと、織部と小梅はそれぞれそう思っている。
だからこそ、自分だけが相手を頼っていい、または相手だけが自分に頼っていいというどちらか一方だけの関係を望んではいない。
織部も小梅も、心は優しくて、そしてお互いの事を好きでいるから、そんな関係を望んでいた。
だから2人は、相手から頼られたりすることを苦とは思っていない。むしろそうしてほしいと願っている。
そうすればまた、好きと言う気持ちを実感することができるからだ。
その後、2人は植物園の近くにある喫茶店で昼食にする事にした。お互いに弁当を作るという事も考えたのだが、夜の事も考えてそれはやめておいた。
高校生だけで喫茶店と言うのも少し変に見えるかもしれないが、店員は別に不審なものを見る目で見たりはせず席に通してくれた。
2人掛けの席に通されて、小梅はフレンチトーストとオレンジジュースのセット、織部はオムライスとコーヒーのセットを注文する。
「春貴さんって、コーヒーが好きなんですか?」
「あー・・・そう、なのかな。うん、そうかも」
小梅の記憶している限りでだが、織部はよくコーヒーを飲む。織部が実家に帰った時もそうだったし、黒森峰学園艦のドイツ料理店―――昼のピークを過ぎると喫茶店扱い―――でも度々織部がコーヒーを飲んでいるのを目にした事がある。
「と言っても、甘いのしか飲めないけどね」
「でも少し大人っぽいと思います」
「あれ、でも小梅さんも飲めるんじゃなかったっけ・・・・・・」
織部も、何度か小梅がコーヒーを飲んでいるのを見た事がある。
「飲めないと言うわけではないですけど・・・・・・」
「進んで飲まない、って感じ?」
「そうですね」
要するに好物かそうでないかの違いだろう。最初に小梅とあの花壇で話をした時、織部はごく自然と缶のカフェオレを渡してしまったが、あの時は飲めないと言うわけではなかったのと出されたものだから飲んだという感じだろう。
「まあ、僕も最初はあんまり好きじゃなかったけど・・・なんだろう、この苦さが癖になると言うか」
「へぇ・・・・・・」
小梅が興味ありげに織部の話を聞く。
すると、先に頼んでおいた小梅のオレンジジュースと、織部のコーヒーが届いた。まず織部は、カップのミルクを半分ほどコーヒーに入れてティースプーンで混ぜ、そして一口飲む。しかし、少し顔を顰めてカップの残りのミルクを全て入れて再び混ぜ、一口飲むとようやく納得のいく味になったようで、小さく頷いた。
「・・・・・・見られると、少し恥ずかしいかな・・・」
織部がコーヒーカップをソーサーに戻し、照れくさいように笑う。この一連の流れ絵を小梅が興味深げに見ていたので、その状態で飲むのが恥ずかしかったのだ。
「でも、ちょっとカッコイイなって思います」
「そう?でも、飲み始めた理由はちょっと変わってるけどね」
カッコいいと言われて、織部は内心、心躍っていた。だが、飲み始めた理由が変わっているというのは本当だ。
コーヒーを飲み始めたのは中学3年ぐらいの時だったが、夜遅くまで勉強を進める際に眠気覚ましでコーヒーを飲み始めたのがきっかけだ。最初は本当に甘い、コーヒー牛乳に近いレベルのものしか飲めなかったが、挑戦を重ねて普通のコーヒーぐらいまでは飲めるようになった。流石にブラックは飲めない。
と、そんな事を話していると頼んでいたフレンチトーストとオムライスが届いた。
「じゃあ、食べようか」
「はい」
いただきますと手を合わせ、織部はオムライスを一口。他の店と比べるのも失礼かもしれないが、他より少し高い分美味しい。喫茶店と言うとコーヒーや紅茶メインというイメージがあるが、こうした食品も提供しているところが多く、それがまた美味しかったりするのだ。
ちらっと小梅の方を見ると、小梅もまた美味しそうにフレンチトーストを食べている。気に入ったようで何よりだと思いながら、織部もオムライスの味に舌鼓を打つ。
そうしてお互い、半分ほど食べ進めたところで少し交換しようという事になった。
「はい、あーん」
そう言って笑顔でフォークに刺したフレンチトーストを差し出す小梅に逆らえるはずもなく、織部は恥ずかしさを押し殺してフレンチトーストを口に含む。ほんのりとしたバターと蜂蜜の味が口に広がって美味しいのだが、顔が熱い。
誰かに見られたら恥ずかしすぎて仕方ないのだが、残念ながら女性の店員が営業スマイルとは思えないような笑顔をしているのを見るに、見られたらしい。恥ずかしすぎる。
「じゃあ、僕も。あーん」
小梅の実家にあいさつに行った時の祭りでもこれはやったのだが、祭りの会場と店の中では全然違う。されるのも恥ずかしいがするのだって滅茶苦茶恥ずかしい。
そして今織部の目の前では、織部がスプーンに載せて差し出したオムライスを味を楽しむ小梅がいる。全く恥ずかしがっている様子が無いので、その胆力に脱帽する織部。
「美味しいです」
「・・・・・・それはよかった」
恥ずかしがっている自分がまだまだだと思い、織部はコーヒーに逃げる。
そんな織部の恥ずかしがる姿が可愛いと思ったのか、小梅は笑いながらオレンジジュースを飲んだ。
喫茶店を出て、植物園の最寄のバス停からまたバスに乗って行くのは、織部が行こうと提案した大きな神社だ。
小梅が植物園に対して織部は神社とは正反対と言ったが、静かなところという意味では共通点がある。2人とも、賑やかな場所より静かな場所でゆっくりしたいという性格の持ち主だったのだ。
さて、バスに揺られる事およそ20分ほどで、目的の神社に到着した。一応、参拝の礼儀作法は一通り嗜んでいる織部と小梅は、鳥居の前で一礼してから境内に足を踏み入れる。
その瞬間、外の世界とはまた別の世界にやってきたかのような感覚に陥る。神社という神様の祀られている神聖な場所だからなのか、先ほどまでいた植物園や喫茶店、街中とは全く異なる空気に包まれていた。
その異なる空気を全身で感じながら、織部と小梅は参道の脇を歩く。参道から外れた所には杉の木が生えていて、ものすごく太い杉の木があった。織部と小梅も、驚嘆の声を上げてその杉の木を視界の端に捉えながら本殿へと向かう。
この神社はそこそこ有名な場所らしく、休日なのも相まって参拝客は割と多い。だが、織部と小梅の知り合いらしき黒森峰の人物は見当たらなかった。恐らくだが、この神社の存在を黒森峰の生徒が知っていたとしても、来るのは恐らく午前中だろう。今は正午を回り14時を回ったところなので、もうだいぶいい時間だ。
「確かここは・・・厄除けとか所願成就、武運長久にご利益があるんだとか」
「武運長久・・・・・・?」
織部が調べていて仕入れた情報を伝えると、小梅が聞き慣れないフレーズに首をかしげる。
厄除けは言わずもがな、所願成就は抱いている願いが叶う事、そして武運長久とは戦う人の無事と命運が長く続く事を祈ること、らしい。
「参拝の仕方って、中々覚えにくいところがあるよね」
「そうですね・・・ちょっと前まで私も、あやふやな感じがしましたから」
手水処で手を清めてから参拝の列に並び、財布からそれぞれ50円玉を取り出してお賽銭の準備をしながらそんな言葉を交わす。一応、参拝の順序は覚えているのだが、それまでは覚えられずにその場で調べたものだ。
少し時間が経ってから、2人の番が回ってくる。賽銭箱に賽銭を投入して、二礼二拍手一礼。そしてお互いに祈願することを念じる。
その直前で、織部と小梅は、お互いの事をちらっと見る。それは決して、礼儀作法を忘れたと言うわけではない。
じっくりと願い事を念じてから、2人はその場を離れて次の参拝客に順番を譲る。
そしてお札やお守りを受ける授与所へ2人は向かうのだが。
「・・・・・・ふふっ」
「・・・・・・あははっ」
2人は、小さく笑う。
なぜ笑うのかと言うと、それは織部と小梅が先ほど相手が祈願したことが、同じような気がしたからだ。
この時祈願したことを言葉に出すのはタブーとされているため確かめる方法は無いが、言わなくても、2人には相手が何と願ったのか、分かった。
実際、2人の願った事は全くと言っていいほど同じだったし、織部と小梅がそれぞれこんなことを願ったのかもしれない、という予想は当たっていた。
織部が願った事とは、『小梅がこの先幸せでいて、一緒にいられるように』。
小梅が願った事とは、『織部がこの先幸せでいて、一緒にいられるように』。
共に相手の幸せを願って、そしてたとえ一度別れる事になろうともまた会う機会が来る事を確信し、最後には一緒になれることを信じてやまないから、そう願ったのだ。
一度別れる事はもう避けられないが、また会えることを信じていれば、その別れの悲しみもさほど深くはない。
いや、そう信じていなければ、心は悲しみで押し潰されそうだった。
授与所では、お札やお守りを受けたり、おみくじを引いたりすることができる。せっかく来たのだから、お守りぐらいは受けて行こうと織部と小梅は思って、どのお守りにしようかを考える。
安全祈願、健康祈願、恋愛祈願、学業系のものや厄除け、さらには金運などもあった。
織部は最初、自分のためか小梅のためか悩んだが、小梅のためにお守りを受けようと結論付けた。
小梅もどのお守りを受けるか同じように悩んでいるが、恐らく小梅も同じように織部のために受けようと思っている。
であれば、織部は小梅に対して願う事、小梅がどうなってほしいのかを考えれば、すぐにどのお守りにするのかが決まった。
「健康祈願のお守りを1つ、お願いします」
授与所の巫女さんにそう言って初穂料を渡し、小さな白い袋に入ったお守りを受け取る。それと同時に小梅も。
「私も健康祈願のお守りを、1つ」
同じように、巫女さんに初穂料を渡してお守りの入った白い袋を受け取る。
そして小梅は。
「はい、春貴さん」
その袋を織部に差し出してきた。やはり、小梅は織部のためにお守りを見繕っていたのだ。
織部もそれは予想していたし、織部も最初からそうするためにお守りを選んだのだから、受け取らない手はない。
「ありがとう、小梅さん。じゃあ、僕からも」
受け取った流れでそのまま、もう片方の手に持ている織部が受けた袋を小梅に差し出す。小梅も、どうやらおおよその見当はついていた様で、少しだけ間を開けてから織部の差し出した袋を受け取った。
「・・・・・・ありがとう、春貴さん」
これで結局、お互いに最初に受けたお守りと同じものが手に渡ったわけだが、自分で受けたものと、相手が受けたものとでは全然意味が違うと思う。自分で願うのではなく、他人からそう願われるというだけで、身を案じてくれているという事だから、嬉しいのだ。
と、そこで巫女さんが微笑ましいものを見る目で見ていたので、猛烈に恥ずかしくなる。お守りを受けたその場所で渡し合うとは軽率だったと2人は気付いて、そして同時に恥ずかしくなったので、おみくじを引かせてもらう事にした。
「・・・・・・おみくじ、1回引かせてください」
「・・・私も、1回」
「はい、100円です・・・・・・・・・頑張ってくださいね」
その巫女さんの『頑張ってください』のニュアンスが、おみくじに対するものではないという事だけは織部と小梅にも分かった。
そのおみくじの結果だが。
「あ、大吉です」
小梅が大吉を引いた。
それに対して織部は。
「・・・・・・・・・・・・半吉」
何ともコメントのしにくい中途半端なものを引き当ててしまった。しかも調べてみれば、半吉の出る確率は5~10%程度らい。なのにそれを引くとは、無駄な運をここで使ってしてしまった気分になる。
書かれている内容も、可もなく不可もなしと言ったもので、微妙な気持ちだ。
「でも、“病気”は罹るけどすぐ治るってありますよ。“勉学”も、努力は報われるってありますし」
小梅がフォローするように言ってくれるが、なぜか悲しくなってくる。
では、小梅のおみくじの方はどうなのかと言うと。
「“病気”は用心すれば罹らず、“失物”はすぐに見つかる、“願望”多くを望まずいれば叶う・・・・・・・・・」
見れば見るほど、半吉の織部とはまるで違う内容なので、織部は途中で悲しくなって読むのを止めた。だが、半吉にもいい事は書いてあったので結ばずに大事に持って帰ることにする。
そして2人は、絵馬を掛ける絵馬所にやってきた。かなりの数の絵馬が掛けられており、願い事も様々だった。加えてここは武運長久のご利益がある神社なので、武芸を嗜む人も上達を願って絵馬を書いているらしい。『全国優勝!』とか『世界へ向けて』など、自分の望みや決意が描かれた絵馬もあった。
そんな中には。
「あれ、この安斎千代美って・・・」
「アンツィオの隊長・・・ですね」
ふと見かけた絵馬には、聞き覚えのあるアンツィオ高校戦車隊隊長の名前がある『目指せベスト4、じゃなかった優勝!』と書かれた絵馬もあった。同姓同名の別人、とは少し考えにくい。その近くにはアンツィオの戦車・CV33の絵が描かれた絵馬もある。
さらに少し視線を動かせば、マリーと言う少女―――確かBC自由学園の戦車隊隊長―――の『世に平和とケーキのあらん事を』と書かれた絵馬が掛けられていて、そのすぐ下には『友愛』と『革命』という両極端すぎる事が書かれた絵馬もあった。
この神社のある街には学園艦も寄港できる港があるので、他の戦車道のカリキュラムがある学園艦が寄港した際にその隊員たちが描いたのだろう。そして誰かがここに掛けたのをきっかけにこの辺りが戦車道を歩む者の書いた絵馬を掛けるスペースになったらしい。だからこの辺りには戦車道履修生らしき者が描いた絵馬が多いのだ。
「小梅さんも書く?」
「そうですね・・・せっかくですし、書いていきます」
そう言って小梅は絵馬を1枚買い、サインペンで願い事を書く。最初から何を書くのかは頭にあったようで、5分と経たずに小梅は書き終えて、戦車道を歩む者たちが絵馬を掛けているエリアに同じようにかける。
『戦車道で強くなれますように』
「私と黒森峰・・・・・・両方の意味を込めて書きました」
「・・・すごく、良いと思うよ」
自分だけではなく、自分が属している黒森峰の発展と成長を願うというのは、小梅が黒森峰の事を大切に思っているという事だ。
小梅は黒森峰の戦車道で辛い経験をしたが、その時の事を乗り越えて今の小梅はある。そして織部というかけがえのない人と巡り会うことができたのだ。
その小梅が、戦車道を大切に思っていないはずが無かった。だから、絵馬にこう書いたのだ。
「春貴さんも書きますか?」
「あー・・・・・・うん、書こうかな」
織部も絵馬を1枚買ってサインペンで願い事を書き、その絵馬を小梅の絵馬の横に掛ける。
『大願成就』
織部の将来の願いはもう揺るがない。そして、織部にとっては小梅の願いも叶ってほしい。
その二つの意味を込めて、織部はこの言葉を書いたのだ。
「・・・・・・小梅さんはさ」
「?」
そこで織部は気になった事を聞いてみた。
「・・・・・・将来も、戦車道を続けるんだ?」
「・・・・・・ええ、ずっと続けますよ」
戦車道を歩む者たちが掛けた多くの絵馬を見ながら、小梅はそう答える。だが、その答えは織部も予想していたものだ。小梅が戦車道を辞める姿が、織部には想像できなかったし、戦車道を辞めたいと言った事も一度も無かった。絶望的な状況にいても信念を持って戦車道を続けていたのだから、簡単に辞めはしないだろう。
「春貴さんと出会えたのも、戦車道がきっかけですから・・・・・・。それを辞めるなんて、考えられませんよ」
織部と小梅が黒森峰で出会えたのは、織部が戦車道についての勉強するために黒森峰に来たからだ。それが無ければ、織部が黒森峰に来て小梅と巡り会う事も無かった。そして、織部が戦車道の世界に触れなければ、黒森峰に来る事も無かった。
確かに、織部と小梅が出会えたのは戦車道がきっかけだ。そのきっかけである戦車道に背を向ける事も、考えられない。
「・・・・・・つくづく、戦車道に巡り会えてよかったと思うよ」
「私もです」
戦車道のおかげで、織部と小梅は出会い、お互いに恋心を抱き、そして未来を約束することができた。
それは小梅も分かっているし、織部だってもちろん分かっている。
合図はいらない、織部と小梅は手を静かにつなぐ。
傾き始めた太陽が、戦車道を歩む者たちの夢、目標が書かれた絵馬と、織部と小梅2人の背中を照らした。
日が完全に沈み切る前に2人は学園艦に戻り、帰り道で夕食の買い物をした2人は織部の部屋へと来ていた。
「散らかってるけど・・・上がって」
「お邪魔します・・・」
こうして織部の部屋に小梅を呼んだのはこれが初めてだ。どうしてそうなったのか、それはいつも小梅の部屋にお邪魔してご飯を食べているので、たまには織部の部屋でと思っての事だ。下心は無い。
「ここが、春貴さんの部屋・・・」
小梅が、織部の部屋を見回す。壁紙は変えておらず、ベッドと小さなテーブル、学習机とシンプルな間取りで、別段変わったところは無い。それに、織部の実家の部屋にも小梅は入った事があるのだから物珍しさも無いだろうが、やはり普段織部が生活している部屋という事で、他とは違う感じがするのだろう。
(・・・・・・それにしても)
普段自分が生活する場所に小梅がいるというのは、少し妙な感じだ。もしかしたら、織部を自分の部屋にあげる小梅も同じような気持ちだったのかもしれない。
「じゃ、そろそろ作ろうか」
「そうですね。あまり遅くなるのもいけませんし」
そして2人は、ビニール袋から食材を取り出して、キッチンに持って行って食器を取り出し料理の準備を始める。織部も小梅に習って自炊をする機会も増えてきたのだが、腕はまだまだなので、小梅のレクチャーを受けながらになる。
作る料理は、小梅の得意料理でもある肉じゃがだ。作るのはあくまで織部で、小梅はその横でみそ汁を作りながら、要所要所を織部に教えてくれる。その手際の良さに織部も舌を巻いた。
そして、19時前にはご飯も炊けて、肉じゃがとみそ汁、そしてポテトサラダが出来上がって食卓に並べられた。
「じゃ、いただきます」
「いただきます」
お互い向かい合って座り、手を合わせて挨拶をしてからまずはみそ汁を一口。分かっていたが、やはり美味しかった。
そして、肝心の肉じゃがについてだが。
「・・・・・・美味しいですよ、春貴さん」
「え、そうかな・・・・・・」
小梅はそう言うが、織部からすれば小梅の作った肉じゃがの味を知っているので、そこまで美味しくは感じられない。まだまだだと織部は自己評価する。
「小梅さんに比べたら、まだまだだよ・・・・・・」
「そんな事無いですって。自信を持っていいぐらいですよ」
小梅がそう言ってくれたので、織部も少し自信を持つことにする。
そうして箸を進めていくのだが、途中で小梅が箸を止めてしまった。
「・・・・・・どうかした?」
織部がそれにいち早く気付き、小梅に声をかける。
小梅は、少し悲しげな顔をして、目の前に広がる料理を見ていた。
「・・・・・・終わっちゃいましたね」
その終わったとは、デートが、だろう。
織部が黒森峰にいる間で、最後のデートだ。その最後のデートの日も終わってしまい、まるで祭りが終わった後のような喪失感や脱力感を小梅は抱き、そして織部との別れが近づいているという事をまた思い出してしまったのだ。
織部も、小梅の言葉を聞いて、それに気づく。
もう小梅といられる時間は、もうあとわずかしかない。
「・・・・・・春貴さん」
「?」
織部の名を、悲しげに、縋るように告げる小梅。
「・・・・・・私との、思い出を・・・・・・忘れないでくださいね」
今、小梅は織部と重ねた思い出を思い返しているのだろう。初めて出会った事と、初めてお互いの過去を告白し合い、そしてお互いに恋人同士となれた日、将来を約束できた日と、今日のようなデートの事。
半年近くで織部と小梅が重ねた多くの思い出を、小梅は思い出して、それを織部に忘れてほしくはなかった。
もちろん織部とて、忘れるつもりはさらさらない。小梅との思い出を忘れるという事は、小梅と付き合っているということの否定に繋がる。
「忘れない。絶対、忘れないよ」
力強く、そう告げた織部の言葉に、小梅も微笑んでくれる。
この時織部の心には、まだ小梅には告げていない言葉があった。
それは、これまで何度も言おう言おうと思っていた言葉だが、まだそれには覚悟が、足りなかった。自分の将来の夢もまだ、未確定だから告げられなかった。
この言葉は、黒森峰にいられる間にはまだ言えなかった。
だから、その言葉を告げられる覚悟を背負い、将来を確かなものにするために、自分も頑張らなければならないと、織部は心に誓った。
ワスレナグサ
科・属名:ムラサキ科ワスレナグサ属
学名:Myosotis scorpioides
和名:勿忘草、忘れな草
別名:ミオソティス
原産地:ヨーロッパ
花言葉:私を忘れないで、思い出、真実の愛など
この作品もあと数話ぐらいで完結の予定ですので、
最後までお付き合いいただければと思います。
感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。
余談
金閣寺と八坂神社でそれぞれ1回ずつ半吉のおみくじを引いた筆者は一体・・・?