春に芽吹く梅の花   作:プロッター

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ハッピーバレンタイン!

という思いから書かせていただきました。
今回も長めですが、最後まで読んでいただけるとありがたいです。


バレンタイン企画
唐菖蒲(グラジオラス)


 2月も1週目を過ぎて2週目に入ると、スーパーマーケットやコンビニ、駅ナカの食品売り場などが揃いも揃ってお菓子、特にチョコレートをプッシュしてくる。2月に入ってからその兆候は何となくあったが、最近それが顕著だ。

 それもそのはずで、2月と言えば恋人たちにとって重要な日であるバレンタインデーがあるのだ。というか、今日がまさにバレンタインデーだ。

 バレンタインデーの発祥については諸説あるが、女性が男性にチョコレートを渡すというのは日本独自の文化であるらしい。他の国にはケーキや花束、メッセージカードを男女ともに贈り合う文化があるようで、どうしてこの国はチョコなんだろうなぁ、と目にちらつく広告を見ながら春貴は家路を急ぐ。

 何にせよ、今日がバレンタインデーで各地のカップルが浮かれていようとも、気候には全く影響を及ぼさず、冷たい風が春貴の頬を撫でていく。ただでさえ気温が低くて寒い身体が一層寒くなってきて、ポケットに手を突っ込み、さらにトレンチコートを深く着込んで少しでも体を温め寒さを凌ごうとする。

 やがて自宅の前に辿り着く。この寒い時期は、明かりの点いた自分の住む家を見るだけでなぜか心と身体が温まるような感じがした。それは家の中が暖房で温められているのを想像したからか、それとも自分の家族のことを思い浮かべたからだろうか。多分両方なのかもしれない。

 

「ただいま」

 

 外で考えていても身体は冷える一方なので、ドアを開けて家の中に足を踏み入れる。玄関にまで暖房はついていないが、それでも外の冷たい空気から解放されてほっと一息つく。

 

「おかえりなさい、春貴さん」

 

 靴を脱いで上がろうとしたところで、リビングに繋がるドアを開けてエプロンを付けた小梅が姿を見せた。春貴にとって最も近しい人となった小梅の姿を見ると、先ほどまでの感じていた寒さなど綺麗に吹き飛んでしまう。その寒さに取って代わって心が温まる。

 小梅と結ばれてから年月が経つが、それでも彼女に対する愛は色褪せることはなく、愛おしさを春貴は今なお抱いている。

 

「父さん、おかえりなさい」

「うん、ただいま」

 

 そんな小梅の後ろから愛娘が姿を見せる。少し前までは帰ってくると抱き付いてくるような勢いで出迎えてくれたものだったが、もう間もなく中学校に進学する年齢ともなると、流石にそこまではしなくなる。親特有の、子供の成長による妙な悲しさを春貴は感じ、同時に自分の親もこんな気持ちだったのかなと頭の片隅で思った。

 

「あぁ、寒かった・・・・・・」

「お疲れ様。ご飯できてるから、早く着替えて食べよう?」

「うん、そうする」

 

 まだ冷えている手をこすり合わせて暖を取り、小梅に促されて私室―――小梅と春貴で一緒の部屋だが―――に入って部屋着に着替えることにする。家の中なので別に寝間着でも構わないのだが、まだ夕食も食べていないのに寝間着というのがどうも違和感を拭えないし、だらしないと真面目な春貴は思ってしまう。なので、コートとスーツをハンガーにかけて着替えたのは長袖のTシャツとジーンズという部屋着だった。

 着替え終えてからリビングに移ると、暖房が利いていて春貴の身体が暖かい空気に包まれる。思わず『ふぃ~・・・』と安堵のような息が口から洩れる。小梅が食卓の準備をしていたので手伝おうとしたが、『ゆっくりしていていいよ』とやんわりと断られてしまったので、その厚意に甘んじて大人しく待つことにする。

 そこで『ワンッ』と犬の鳴き声がすぐ近くで聞こえ、足元を見れば尻尾をパタパタと振る愛犬の豆柴が。この子も大分成長してきたが、それでも十分可愛らしい。春貴の足元に前足をかけて、『遊んで』と言いたげに見上げるが、じきに夕飯なので『またあとでね』と呟きながら頭を撫でてやる。すると意図が通じてしまったのか、しゅんと落ち込んだように見えた。可愛い。

 今度は娘の方へと向かい同じような仕草をするが、やはり春貴と同じようにあしらわれてしまって、遂には寂しそうにしながら部屋の隅に設えてあるマットレスに寝そべる。流石に可哀想なので、後で遊んでやろうと思った。

 

「はい、お待ちどうさま」

 

 準備が整ったようなので、テーブルの普段から座る椅子に着き、改めて食卓に並べられた料理を見る。主菜はロールキャベツ、副菜は里芋の煮っ転がしと玉子焼き。さらに白米とみそ汁と、実にバランスの良い食事でどれも美味しそうである。そして、冬の寒空の下で冷えた身体を温めるにはもってこいの料理ばかりだ。

 家族全員が座ったところで、手を合わせる。

 

「それじゃ、食べようか」

「ええ」

「はーい」

「「「いただきます」」」

 

 声をそろえて挨拶をし、夕食の時間が始まる。

 春貴はまず豆腐と葱の味噌汁を一口啜ると、分かっていたがやはり美味しい。初めて自分が小梅の作ったみそ汁を飲んだ時と比べると、味は落ちるどころかむしろその時以上に美味しくなっている。

 

「うん、美味しい」

「ありがとう」

 

 春貴が率直な感想を述べると、小梅はにこりと笑ってそう返してくれる。もう何度交わしたか分からないようなやり取りだったが、それでも2人の間には確かな愛情があるのはお互いに分かっている。

 だが、そのやり取りを何度も見てきた娘は、そんな2人の様子を感心したような、呆れたような顔で眺めていた。

 

「父さんってさ、母さんのみそ汁飲むといつも『美味しい』って言うよね」

「それはもちろん、本当に美味しいから言ってるんだよ」

「まあ確かに美味しいけどさ・・・・・・」

 

 春貴が当たり前の言葉を返すが、娘はまだ少し釈然としないようだ。そこで小梅も微笑みながら自分の気持ちを素直に伝える。

 

「『美味しい』っていう言葉は料理を作ってる私からすれば、何度言われても嬉しいことよ。だから私だってそう言われるのが嫌なんてことはないわ」

「その気持ちもなんとなくわかるけど・・・・・・」

 

 なんとなくであっても、言われれば嬉しいということが伝わればそれでいいのだ。春貴も小梅も笑って、再び食事を再開する。

 

「ところで、今日は学校どうだった?」

 

 夕飯の食卓で、春貴は度々この質問を娘に投げかけてくる。

 その理由はいくつかあって、その中でも最たるものは自分の子供の不調にいち早く気付くためである。先の質問を投げかけて、特に狼狽えたり落ち込んだりしなければそれでいいし、変わったところや引っ掛かりがあればそれは隠さないで話してほしいと思っている。

 それはやはり、春貴が過去に辛い過去を経験したから、あの時のようなことを我が子にまで経験させまいという思いが根底にある。その経験と思いを知っている小梅も、『子供に辛い思いをしてほしくない』という考えによるその質問をすることには賛成だし、小梅だって同じことを考えていた。

 春貴にとっては、自分の娘とは自分とは年齢と性別が全然違う女の子であるから、迂闊に踏み込めないような悩み・問題を抱えている時もあるということは分かっている。そんな時は、春貴は無理矢理聞き出そうとはせずに、自分のいない場所で、小梅と2人きりの時に話してもいいとしていた。

 当人の娘は、こうした質問をしてくる理由は既に聞いている。そして、両親2人がそれぞれが出会う以前に辛い経験をしてきたということも、ざっくりとではあるが知っている。自分だってそんな経験はしたくないから、極力素直に話すことにしていた。

 

「今日は・・・やっぱりバレンタインデーだったからかな?クラスのみんなは結構盛り上がってたよ」

「ああ、やっぱり?」

 

 娘の言葉を聞いて、春貴は今日の帰り道に限らずここ最近で目に付くようになったバレンタインデーの広告が頭にちらつく。

 小梅もどんな話題であれ娘の話に興味があるようで、ロールキャベツを箸で器用に一口サイズに切り取って食べてから、さらに詳しく聞いてくる。

 

「どんな感じに盛り上がってたの?」

「えっとね・・・クラスの女の子が何人かチョコを持って来て、仲の良い男子たちにあげて。それで誰が貰ったかだれが貰ってないかで、ちょっとした張り合いがあったけど盛り上がったよ」

「全員に渡したんじゃないの?」

「うん。仲の良い男子に渡しただけって感じだね。多分義理チョコかも?」

 

 若いなぁと、懐かしいなぁと、春貴と小梅は思う。2人とも、あげたのか貰ったのかはともかくとして、小学生の頃はそんな感じで盛り上がっていたような記憶があるからだ。

 

「そう言えばさ」

「?」

 

 ご飯茶碗を置いて問いかける娘の声を聞いて、小梅と春貴は目を向ける。

 

「父さんと母さんは、黒森峰っていう学校で出会ったんだよね?」

「ええ、そうよ」

「2人が出会ってから最初のバレンタインって、どんなだったの?聞いたことがないけど・・・」

 

 やはりそんな話が気になったのは、今日がバレンタインデーという特別な日で、年頃の女の子特有の好奇心が働いたからか、それとも春貴と小梅が普通ではないような出会い方をしたのを知っているからだろう。

 その素朴な疑問を聞いて、2人はその時のことを思い出す。確かそのことは、まだ話したことがなかったような気がした。

 春貴が小梅の顔を見ると、小梅も少しだけ笑みを浮かべて春貴のことを見ていた。その時のことを小梅も思い出して、話すのならば話しても大丈夫だという意味か。

 春貴はみそ汁を啜って、おもむろに話し出す。隠すようなことでもないから話すことに決めた。

 

「聞いたかもしれないけど、僕と小梅さんは元々違う学園艦に住んでいたんだ」

「うん、知ってる」

「それで、僕は戦車道のことを勉強するために特別待遇で黒森峰に短期留学して、その時小梅さんと出会った。これも話したっけ?」

「それも聞いたよ」

 

 意外と自分と小梅のことについては話していたんだな、と春貴は苦笑する。いつ話したんだっけかと少し考えたが、今は一先ずそれを置いておく。

 

「それでまあ・・・その留学していた時期は4月から9月末までだったから、バレンタインの時にはもう僕らは離れ離れになってたんだよ」

 

 

 

 

 

 

「チョコが欲しい」

 

 学園艦全体が真面目で厳格、そして勤勉なことに定評がある黒森峰学園艦。2月も2週目を迎えているが、割と暖かい海域を航行しているのでそこまで寒くはない。ニュースでは本土で降雪を知らせているが、同じ日本であっても本土と海の上では違いがあり過ぎるので、あまり現実味が湧かない。

 そんな学園艦の中心地と言える黒森峰女学園は午前中の授業を終えて昼休みへと突入し、生徒たちはそれぞれ昼食を楽しんでいる。

 食事の時間とは、数少ない息抜きのできる時間であり、束の間の休息と言いかえることもできる時間である。今だけは、学園艦全体に浸透している真面目で厳正な空気から解放されて、心が安らぐ時間である。

 そんな時間に、いやそんな時間だからか、黒森峰女学園の食堂でかけうどんを食べ終えた三河がそんなことを言ってきた。

 

「・・・それをここで言うの?」

 

 その三河の正面に座る斑田が、カリーヴルストを齧り飲み込んでから呆れたように笑って告げる。“ここで”という言葉には『黒森峰という真面目な土地で』という意味と、『黒森峰という女子校で』の2つの意味がある。

 その斑田の隣に座る根津が、カレーを食べ終えて鼻で小さく息を吐いてから告げる。

 

「コンビニとかスーパーで買えばいいだろ」

「いやいや、三河さんは多分そういう意味で言ったんじゃないんだよ」

 

 とんかつを食べ終えた直下が箸を置いて、根津の言葉に答える。根津は直下の言葉を聞いて意味が分からなくなったらしく『?』な表情をする。三河はそんな根津を見て『分かってないなぁ~』と言いながら呆れたように笑い、首を横に振る。そのリアクションが根津は無性にムカついた。

 

「この時期に、買うんじゃなくて貰うことに価値があるんだよ」

「要するにバレンタインに合わせて誰かから貰いたいってことでしょ?」

 

 このまま続けても三河はもったいぶって話が進まないだろうと察した斑田が、三河に重ねる形で結論を述べる。元からチョコの意味が分かっていた直下はともかくとして、根津は『ああ、そういうことか』とようやく納得したようで口にした。

 2月も2週目に突入してバレンタインデーが目前まで近づいているから、三河は唐突であれどもその話題を切り出したのだ。

 

「バレンタインなんてお菓子業界の販促事業だろ?」

 

 身も蓋も無い、ロマンの欠片も無いことを告げる根津。そもそも根津は、物事を現実的に見る傾向がある。だからバレンタインデーでチョコを渡し合うのもそういう背景があるのを知っていたし、変にソワソワしたりもしない。

 

「いや、確かにそうなんだけどさぁ。こうもチョコをプッシュされてくると何だか食べたくなってこない?」

「まあ、気持ちはわかるけど・・・」

 

 三河の言葉に斑田も納得はする。

 どれだけ真面目な土地である黒森峰でも、全国展開しているコンビニやスーパーでは、時期に合わせたフェアやキャンペーンを開催している。だから三河や斑田を含め、黒森峰学園艦で暮らす住人たちの大半は、来るバレンタインに関する広告を見たのだろう。

 加えて、この時期はテレビのCMやニュースでさえもバレンタインに合わせた企画も行われるため、『もうそんな時期か』と思うところはあるのだった。

 

「まあでも、根津さんの言う通り自分で買った方が早いんじゃない?」

「そうじゃなくて、こういう日は誰かからもらうことに意義があると思うんだよ」

 

 分かるような分からないようなことを告げて、直下も流石に首を傾げる。

 

「じゃあ、私たちでトレードしてみる?最近は友チョコが主流って聞いたし」

 

 斑田が提案したのは、今朝のニュースの特集で聞いた話だ。それで、貰うだけかあげるだけにするのではなくて、お互い交換するという形にしてはどうだろうと提案した。

 

「あ、それいいかも」

「まあ・・・・・・やるだけならいいか・・・」

 

 直下は乗り気で、根津もそこまでではないが友チョコの交換には賛成した。三河もそれには頷いたが『貰うだけでもいいんだけどなぁ~』と呟くが、それは聞き逃すような声量ではなかったため、その場にいた三河を除く全員から『がめついなぁ』と共通の印象を抱かれた。

 

「バレンタイン・・・ですか」

 

 そこで、これまで沈黙を貫いてきていた小梅がそう呟いた。既に彼女の前に置かれていた焼き魚定食は空になっている。隣に座っていた直下は『どうかしたの?』と、答えが分かり切っていても話しかける。

 三河がチョコ、ひいてはバレンタインデーの話題を出してから、それまで普通に会話に参加していた小梅が何も話さなくなったことには気づいていた。そして、どうして会話に参加せず聞くだけに徹していたのかにも、確証はないが分かっていた。

 

「やっぱり、織部君に贈りたい?」

 

 三河が、敢えて質問を投げかける。その質問をしたのは、小梅を困らせる意図があったわけではない。小梅が他人に気を遣わせることを嫌う性格をしていると分かっているからだ。

 小梅には恋人がいるが、今この黒森峰学園艦にはいないことは知っている。それで小梅は寂しい思いをしているのも知っているが、『バレンタインという恋人がいる者にとっては定番のイベントの話を振って小梅に寂しい思いはさせたくない』と三河たちが気を遣っていると思わせないために、この話題を振ったのだ。

 

「・・・・・・そうですね、贈りたいです」

 

 その言葉を聞いて、根津が『だよなぁ』と言いたげに大きく頷いて水を飲む。

 今この黒森峰学園艦にはいない小梅の恋人とは、特別待遇で黒森峰に去年の9月末まで短期留学していた織部春貴という少年だ。小梅を除き、今この場にいる根津、斑田、三河、直下の全員はその織部と面識がある。

 そしてその織部のおかげで、ここにいる小梅は過去の失敗や後悔、辛酸、苦痛から立ち直りかつてのような優しい笑顔を取り戻して明るくなったこと、そして小梅がその織部と相思相愛となって付き合っていることは4人とも知っていることだ。

 だからこそ、小梅が一番愛する人であり、そして感謝している織部にチョコを贈りたいという気持ちはあっただろうなと全員が考えていた。

 

「直接渡すのがベストなんだろうけどねぇ」

「いやいや、今の赤星さんの立場じゃそれは無理だよ」

 

 斑田は言うが、直下がその言葉に首を横に振って否定する。その顔は実に残念そうだ。

 小梅が来年度から黒森峰戦車隊の副隊長になるという話は、既に戦車隊の全員が知っている。その話が周知された際の隊員たちの表情は半信半疑といまいちではあったが、隊長である西住まほがその根拠を論理的に説明し、さらに副隊長の逸見エリカが自分も推薦したと告げたのもあって、一応の理解は得られた。

 だから、次期副隊長として隊を率いる重要な立場にいて、そして戦車隊の皆を納得させるような活躍を見せなければならない今、小梅の私情で戦車隊及び学園艦を離れるのは難しいのだ。

 

「でも、赤星さんとしては渡したいんだよね?」

「それはもちろんです」

 

 三河が確認すると、小梅は迷わず頷く。三河も『そうだよねぇ』と最初から答えが分かっていたように小さく呟く。

 直下は、小梅が学園艦から離れられないのなら、織部を学園艦に呼べばいいという案を考え付いたが、即座にダメだと否定する。

 織部だって小梅のことを好いていることは分かっているし、もし小梅が織部にチョコを渡したくても学園艦を離れられないと織部が知れば、織部は恐らく『僕の方から行く』と言うだろう。あるいは、『気持ちだけ受け取っておくよ』と極力小梅に手間をかけさせない方針にするかもしれない。そういう真面目な男だと、直下は織部を評価している。

 だが、織部に手間を取らせることを小梅は望まないだろうし、織部にも織部の予定があって彼の一存でこちらに来ることはできないだろうから、確実性は無いに等しい。

 

「・・・というよりさ」

 

 皆が腕を組んでどうするべきかと悩んでいたが、そこで斑田が重要なことを見落としていたとばかりに人差し指を立てる。その声とモーションに気付いた他の4人は斑田の方を向き、斑田は気付いた意見をそのまま伝える。

 それを聞いた4人は『あっ』と、本当にその方法を見落としてしまっていたのだと分かるぐらい、腑抜けた表情をした。

 そして小梅もその方法で行くことに決めて、チョコレートを作ることを決意した。

 

 

 バレンタインデーが刻一刻と近づいてきて世間がそれを大々的に周知しようとも、黒森峰戦車隊は普段通りの訓練を行い続ける。

 間もなく卒業を迎える3年生の戦車隊隊長の西住まほは、今この黒森峰学園艦にはいない。彼女は黒森峰を卒業した後、ドイツのニーダーザクセン大学へと留学することが既に決まっていて、現在はその下見と入学手続きの関係でドイツにいる。黒森峰の卒業式には参加するらしいが、それまでは戻ってこないとのことだった。

 つまり今、黒森峰戦車隊を率いているのは副隊長で、来年度の隊長でもある逸見エリカだった。そしてエリカに代わって副隊長を務めているのは、来年度の副隊長である小梅だった。

 エリカは、まほのように隊の訓練を指揮し、加えて来年度の戦車道全国大会に向けて戦力の分析を行っている。3年生で間もなく卒業を迎える隊員はまほの他にも大勢いるため、空くポジションがある戦車も存在するのだが、それを考慮して分析はしていた。そして次こそは優勝するために、強豪校として黒森峰の名を示すために、今の内から備えているのだ。

 

「波野のパンター11号車は、若干動きにムラッ気があるわね・・・」

「ですが、砲撃の命中率は他と比べると高いですし、操縦の面でだけ少し不安なところがある、という感じですね」

 

 一方で小梅は、副隊長としてエリカと力を合わせていくと決めた以上、エリカの意見は尊重したうえで自分の意見を述べる。意見と言っても、エリカの考えを真っ向から否定したりはせず、改善点を示したり他に懸念する事項を述べるぐらいだ。

 

「そうね・・・。なら、次の練習試合は波野をフラッグの護衛に回しましょうか」

「それがいいと思います。ただ・・・11号車の通信手は3年生で今年卒業してしまいますので、穴埋めが必要になりますけど・・・」

「それは・・・来年度の新入隊員に期待するしかないわね・・・。ダメなら、他の車輌からの移動も考えるか」

 

 エリカも以前、小梅に『力を貸してほしい』と言った。だから当然、エリカは小梅の意見をにべもなく切り捨てたりはせず、しっかりと耳を傾けて意見を聞き、2人で協力していこうとも考えている。

 さらには、まほが以前言っていた『隊員たちの横のつながりを作っていく』という目標も忘れてはいない。それを実現するためにはどうすればいいのかも、2人で考えている。やることはたくさんあった。

 そんな次の世代の黒森峰戦車隊へと動き出している中での今日の訓練は、それぞれの戦車の特性をもう一度見極めるための擬似進撃訓練だ。想定した事例の中で、それぞれの戦車が自車の性能を把握したうえで行動できるかどうかをこの訓練で確かめる。

 訓練の後のミーティングで、エリカと小梅が各車輌の評価できる点と改善すべき点を平等に報告する。そして解散した後も、エリカと小梅は隊長室に残って改めて各戦車の戦力を細分化して分析していく。小梅は今日が初めてではなかったが、まほとエリカが訓練の後でいつもこのような作業をしていたと思うと、尊敬の念を覚える。

 こうした緻密な分析をするのも、その分析を生かして実際に戦車隊の訓練と戦いに反映することも簡単ではない。それでも強豪校と称されるほどに実用化したまほとエリカ・・・というよりも歴代の隊長と副隊長がすごいと思うから、尊敬するのだった。

 尊敬しているからこそ、今その立場にある小梅は決して手を抜いたりはせず、妥協も一切しないでエリカと共に分析を進めていく。今はエリカも小梅も臨時で隊長・副隊長を務めているが、来年度からは本当にそうなるのだから。

 こうして副隊長という立場になって、自分がこれまで指揮を受けていた隊長・副隊長がどれだけ忙しかったのかが分かるようになってきた。

 そうして2人で各戦車のデータと向き合っていると、いつの間にか時刻は夜の7時を回ってしまっていた。

 

「さて、それじゃあ今日はこれぐらいにしとくわよ」

「はい、お疲れ様です」

 

 エリカも小梅も真面目だから、自分の体力と気力の限界を弁えているし、だからこそその限界を無理に超えても身体を壊すだけだとも分かっている。だからエリカはキリのいいところで作業を終え、小梅もそれに従った。

 お互いにそれぞれ荷物を纏めて、2人並んで帰る。エリカと小梅が臨時で隊長・副隊長を務めるようになってから、ほぼ毎日訓練が終わるとこうして2人で一緒に帰っている。これもまた、『戦車隊の中で横のつながりを作っていく』という目標に向けての試みと言えるものだった。それを抜きにしても、今の立場になってから小梅とエリカは親交が増えてきて、仲が良いから一緒に帰るという理由もあった。

 だが、小梅とエリカが揃って帰り際にスーパーに立ち寄ったのは今日が初めてだった。発端は小梅が帰り際に『買いたいものがある』と言ったのだが、エリカもまた『少し気になるものがある』と言って、こうしてスーパーを訪れたのだ。

 自動ドアを開けて店の中に入ると、やはりバレンタインが近いせいか店内に流れるBGMもそんな感じの雰囲気の曲である。夜の7時を回っても買い物客はそこそこいて、黒森峰の生徒らしき女子も何人か見かけた。

 そして2人が向かった先は、示し合わせたわけでもないのに『バレンタインフェア開催中!』とポップアートが施されたチョコレートのコーナーだった。売られているのは小さなトリュフチョコや板チョコ、あるいは手作りチョコレートを作るための器具、材料などだ。

 

「・・・・・・エリカさんもですか?」

「・・・まあ、ちょっと気になって」

 

 エリカは普段、今目の前にあるようなチョコレートはもちろん、お菓子の類を嗜むイメージがあまりない。エリカは、普段の食生活でもカロリーを計算して制限を設けるぐらい真面目だ。好物のハンバーグも週に1度しか食べないと決めているぐらい徹底的だ。

 だから間食とは縁がないと思ったのだが、こうしてチョコレートに興味を示すということは相応の理由があるのだろう。というかその理由は、なぜこうしたチョコレート専門の区画が設けてあるのかを考えればすぐにわかる。

 

「もしかして・・・西住隊長に?」

「そうしたいんだけど・・・」

 

 やはりここ最近の主流となりつつあるバレンタインの友チョコを、まほに贈ろうとしているのだろう。ただエリカの場合、渡す相手に感じているのは友情や親愛とは少し違って、心酔や尊敬の感情だから“友”チョコなのかどうかは少し疑わしい。

 

「隊長は今ドイツにいるし、流石にドイツまで行って渡すっていうのも無理な話でしょ」

「それは・・・そうですね」

「でも、卒業式の時には戻ってくるらしいから、その時に渡そうと思ってるわ」

 

 その卒業式の日はバレンタインデーから1カ月以上先の予定で、それではもうバレンタインチョコというより卒業するまほへの餞別という意味が強くなってしまう。だが、それでもエリカは尊敬するまほに親愛や感謝の気持ちを伝えたいと思っているのだろう。

 

「あんたは・・・・・・まあ想像できるわね」

「あはは・・・多分エリカさんの想像通りだと思います」

 

 エリカも、小梅の恋人である織部と面識はある。というよりも、エリカ自身は織部とは腐れ縁のような関係だと思っている。

 そんな織部と小梅が付き合っているのも、2人が公言する前から薄々感づいていたし、それが判明しても大して驚きはしなかった。だから、小梅がこのチョコレートコーナーに来た時点で、小梅が織部に向けてチョコレートを贈るつもりでいることには気づいていた。

 

「1から作るつもり?」

「ええ、そうしようかなって」

「チョコなんて作ったことあるの?」

「それは・・・無いですね・・・」

 

 エリカの質問に小梅は自信なさげな声で答えるが、それでも表情は不安や緊張を感じているようには見えない。どころか、楽しんでいるような感じさえする。

 

「でも、春貴さんが喜んでくれるのなら私は・・・たとえ作ったことがなくても絶対に完成させます」

 

 ここまで小梅が意気込んでいて、織部が拒絶したらどうするんだろうとエリカは頭の片隅で思ったが、考えるだけ無駄だと悟った。

 エリカが自分と織部の関係を腐れ縁だと評したのは、1度真正面から衝突し合ったこともあってそこまで好ましくない関係だと思ったからだ。それでも、織部は真面目だということは分かっている。その人柄を考えてみれば、付き合っている小梅が丹精込めて作ったものを拒絶するということは考えられなかった。

 

「・・・まあ、頑張んなさい」

「ありがとう、エリカさん。頑張りますね」

 

 自分なりの激励に笑顔で答える小梅を見て、エリカもふっと笑う。

 そして小梅は、チョコレート作りに必要な材料を見繕い始める。実に楽しそうに、嬉しそうに商品を見て回る小梅を見て、ここまで尽くしてもらえる織部も男冥利に尽きるだろうと思ったし、同時に小梅のチョコ作りが成功したら自分も教えてもらおうか、と少しだけ思った。

 

 

 エリカにも言ったが、小梅は今まで手作りのチョコレートを作ったことはない。それは、これまで小梅には手作りのチョコを贈って、想いを伝えようと思っている人がいなかったからだ。中学生の頃に女友達と交換したチョコレートも市販のものだった。

 だが、今年はこれまでとはもう違う。手作りのチョコを贈って想いを伝えたい(既に伝わってはいるが)人がいる。

 しかし、普段料理をしていて料理が得意と自負していても、やはりチョコレート作りはいつもの料理とは違って難しい。もちろん簡単にできるとは思っていなかったが、ここまで手間暇かかるものだとは思っていなかった。レシピと睨めっこをしながら作業を続け、試作品をいくつか作って味見をする。

 予想できたことだったが、最初に作っただけで上手くできるということはなく、一口食べた小梅は渋い表情を浮かべた。

 それでも、小梅はめげずに新しく美味しいチョコが作れるように頑張る。

 

(・・・・・・春貴さん、喜んでくれるかな・・・)

 

 ここまで小梅がチョコレート作りに打ち込むのは、自分が好いている織部に喜んでほしいという理由だけではない。

 小梅はまだ、失意の底にいた自分のことを立ち直らせてくれた織部に対して、感謝の気持ちを全部伝えきれたとは思っていない。『もう十分伝えきったよね』と満足するほど小梅は傲慢な性格をしていないし、本当に孤独と感じていた小梅を今の戦車隊副隊長の立場にまで導いてくれた織部には、どれだけ感謝しても感謝しきれない。

 多分その気持ちを伝えても、織部は首を横に振って『それは小梅さんの力だよ』と笑って言ってくれるのだろう。それは何度も小梅が言われたことだし、織部も小梅をただ安心させるために口だけで言っているわけではなく本心からそう思っているということも分かっている。

 そんな織部に、自分が織部を想う気持ちと、少しだけでいいから自分の感謝の気持ちを伝えたかった。

 だから小梅は、どれだけの苦労を重ねても、織部に贈るためにチョコを作るのを諦めはしなかった。

 

 

 

 バレンタインデーが近づいてくると男子はソワソワしだし、『誰からチョコ貰いたい?』なんて話題を口にする。そして当日になれば『チョコ貰ったことある?』とか『いくつ貰った?』なんて話題に変わっていく。

 昼休みに購買で買ったおにぎりを食べながら、織部は周りの空気が普段と比べると妙に浮ついているのを感じ取る。クラスの後ろの方から、男子数名がそんな感じの話題で盛り上がっているのが聞こえてきた。

 

「チョコいくつ貰ったかって?本命?」

「義理でも可だ。でも家族からのはノーカンな」

「えーっとだな・・・小学校で1個、中学でも・・・1個貰ったか。だから2個だ」

「くそっ、負けた!」

「じゃあ小学校と中学で2個ずつ貰った僕の勝利ってことで」

「「ちきしょう!!」」

 

 嘆く2人と勝ち誇った様子の1人の話を聞きながら、織部は苦笑して鮭おにぎりを齧る。会話自体は面白そうだが、下手に会話に参加しようものなら確実に『厄介なこと』が起こるので、聞くに徹しようと思った。

 

「ねぇねぇ、織部君」

「何?」

 

 そんな織部に話しかけてきたのは、隣の席で弁当を食べていた鷹森(たかもり)という女子。艶やかな長い黒髪が特徴で、親しみやすい女子としてクラスの男子共の中では人気があるようだ。織部は1年生の時に同じクラスで、仲も割と良い方にあたると思う。

 

「織部君はチョコ貰ったことある?」

 

 唐突に何を聞いてきたのかと思えば、今日がバレンタインだからだろう。そして後ろのクラスメイトの会話が聞こえてきて、興味が湧いたから手近な場所にいた織部に聞いてみようと思ったのだろう。

 

「ないよ、ゼロ」

「へぇ~、義理も?」

「義理も本命も貰ったことはないや」

 

 過去の記憶を掘り起こしても、チョコを貰った記憶はない。学園艦暮らしではない、実家暮らしの時は家族からもらった記憶があるが、それ以外は皆無だ。

 答えていて悲しくなる、とはならない。織部は自分自身モテるとは毛頭思っていないし、バレンタインだからクラスの誰かから義理でもチョコが貰えると思い込むのも厚かましく感じるからだ。

 

「そっかそっか。それじゃあそんな織部君にいいものをあげよう」

「?」

 

 鷹森はそう言いながら、机の中から何かを取り出してそれを織部に渡した。手のひらサイズにも満たない、緑色のホイルで包まれたそれは。

 

「チョコ?」

「そ。あげる」

 

 この2人の会話を聞いて、先ほどまで後ろで話をしていたクラスメイト達の会話が途切れたことに、織部と鷹森は気付いていない。

 

「また急に・・・どうして?」

「いやぁ、おやつ用に持っといたんだけど、織部君が貰ったことないって聞いてなんか可哀想だなぁって思ったから」

 

 それはつまり同情心で渡したということで、義理かどうかすらも怪しい。だがそれを嘆いたりなどせず、むしろその気持ちと貰えるだけありがたかったので、そのお礼は言うことにした。

 

「ありがとう、鷹森さん―――」

「織部、ちょ~~~~~~っといいか?」

 

 だがそのお礼の言葉を言い終える直前で、先ほどまで後ろの方でクラスメイトと会話を繰り広げていた男子・汐見(しおみ)に声を掛けられた。それも若干威圧的な口調で。

 

「え、何?」

「今お前・・・鷹森から何貰った?」

「何って・・・チョコレートだけど」

「チョコっ!チョコですかぁ!!」

 

 そこでわざとらしく、自らの額をパンッと叩く汐見。そのリアクションを見て織部は、先ほど懸念していた『厄介なこと』が起きるなと察した。

 

「お前黒森峰でちやほやされてたくせに、こっちでもチョコ貰うなんて、贅沢な奴だなぁ~」

「いやいや、ちやほやなんてされてないから」

「んなこと言って、ホントは“あの”黒森峰の女子と仲睦まじくしてたんだろ?」

「してないってば」

 

 織部と汐見を除くクラスの連中は、2人の会話を聞いて『またか』と呆れたような達観したような反応を示す。織部の隣に座る鷹森も、『やれやれ』と困った笑みを浮かべていた。

 織部が2年生に進級してから半年の間、黒森峰女学園へ特例として短期留学していたことはクラスの全員が知っている。戦車道についての勉強をするためだということは担任を通してクラスメイトも知っていたが、それでも女子校へと一時的とはいえ留学していたことを羨む生徒(ほとんど男子)は大勢いた。その筆頭とも言えるのが汐見である。

 黒森峰女学園は、戦車道に造詣が深い者からすれば“戦車道の強豪校”という印象を抱く。しかし、それ以外の人からすれば黒森峰は“学力とビジュアルのレベルが高い女子校”という印象が強い。

 その女子校に織部が行ったことが妬ましくてしょうがないのだろう。先のようないちゃもんを付けてくることも今日まで何度もあった。それが明確な悪意があるのではなくて、からかっているのを織部は分かっていたので、取り立てて騒ぎもせず反抗もしないでただ軽くあしらっている。

 黒森峰でどんな勉強をしたのかを、織部はこの学校に戻ってからレポートにして提出した。だが、クラスメイトはどんなことがあったのかを詳しくは知らない。だから好き放題に憶測し、推論を立てて、特に織部が羨ましいと思った者はちょっかいをかけてくる。

 ところが、汐見の『仲睦まじく』という単語に関してはギリギリだなと織部は思う。何しろ、黒森峰では戦車道を通じてそこそこ仲良くなることができた女子が何名もできたし、あまつさえ恋人まで作ってしまったのだから間違っていない。

 加えて、断ったとはいえ戦車道界の星とも言える西住まほからも告白を受けてしまったのだから、『仲睦まじい』という言葉はズバリ命中している。これがバレてしまえばさらに事情が拗れて今以上に厄介なことになるのは想像に難くないので、絶対口外するものかと肝に銘じている。

 ちなみに、夏休みに黒森戦車隊の仲の良いメンバーとプールに行った際に話した、『胸の大小について議論していた男子』とはこの汐見のことで、その汐見に白けた目を向けていたのは隣の鷹森である。

 

「いいよなぁ、羨ましいよなぁ、妬ましいよなぁ」

「遊びに行ったんじゃないし、楽しいことばかりじゃなかったんだよ?挫けそうな時だってあったもの」

「楽しいことばかりじゃない、ってことは、楽しいことがあるにはあったんだな?」

「・・・・・・まあ、うん」

「ちくしょー、こいつめ」

 

 肩をぐりぐりと押し付けてくる汐見がそこはかとなく面倒くさいと、織部は苦笑しながら思う。汐見だって悪意があってこんなことをしているのではなく、勉強ができても彼女ができないことを嘆いて羨ましがっているのだから、気持ちはわからなくもない。だがそれでも、こうして絡まれるのはあまり好きではなかった。

 一通り織部をいじることに満足したのか、汐見は織部の机に手をついて今度は普通に話しかけてきた。

 

「にしても、戦車道ねぇ。俺には何がいいのか、あんまり分からんけど」

「まあ、元々乙女の嗜みとされているし、男が興味を持つことの方が珍しいんだろうけどね」

「じゃあ、何で織部は戦車道に?」

 

 なんとなく聞いてきた汐見の問いに、織部は言葉を詰まらせる。その戦車道の世界に魅了された理由を話すには、過去に織部は経験したあの忌々しい出来事を話さなければならない。けれどその過去は自分で話したくはないし、それを話して汐見を不快な気持ちにさせたくもなかったから、適当に誤魔化すことにした。

 

「・・・まあ、ちょっとしたきっかけでね」

「ほー。将来は、確か戦車道連盟希望だっけ?」

「うん。だからそのために黒森峰まで行ったんだし」

「それじゃお前、本気で勉強して入れるようにしないと、マジで黒森峰に遊びに行っただけになるぞ」

「それはもちろん。なるつもりでいるし、今も勉強は続けてるよ」

 

 と、そんな話をしていると授業開始5分前を告げる予鈴が鳴り響く。

 

「おっと、そろそろ準備しないとな」

「やっぱりうちの学校、昼休みが30分って短い気がするなぁ」

「そういや、黒森峰はなんぼだったよ?」

「1時間」

「そりゃ羨ましい・・・」

 

 進学校の休み時間の長さを織部と汐見は嘆きながらも、授業の準備を始める。

 先ほどのチョコ云々の話で忘れそうになったが、ここは進学校であり、成績がものをいう場所でもある。

 それでも昼休みには先ほどの『チョコをいくつ貰えたか』などという特に中身も無いバカな会話をして盛り上がったり、1人だけ良い思いをした奴をからかったり、バレンタインで友チョコを交換し合ったり、男子に義理か本命か分からないがチョコを渡したり、のんびりゆったりと昼ご飯を食べたり、すやすやと昼寝をしたりと、割とのびのびと過ごしている。

 もちろん授業中や試験期間中は真剣に勉学に励み、それが過ぎて若干ピリピリした雰囲気にはなるが、こうした休み時間は皆結構のんびり過ごしている。休み時間も勉強漬けという『趣味が勉強』な奴もいるにはいるが、全員そうというわけではない。

 織部たちの担任は、『勉強は確かに大事だが、それ一辺倒だけでは頭がよくなるとは限らない。自分なりの趣味や、適度な息抜きの仕方を覚えておけ』と言っていた。その言葉は尤もだと思ったので、生徒たちはそれぞれのやり方で昼休みを過ごしている。

 準備を終えて、机の上に置いたままの、鷹森からもらったチョコを見る。

 

(・・・・・・チョコか)

 

 極力意識しないようにしていたことに気が向いてしまいそうになったので、それを吹っ切るために包装を解いてチョコを口に含む。ほどほどの甘さが口に広がるが、逆に口の中が少し滑っぽくなってしまったので水筒を取り出して水を飲む。

 とりあえずこれで、午後の授業は切り抜けられそうだ。

 

 

 織部の通う学校は15時半で授業が終了し、部活動などの特に予定がない生徒はこれで下校となる。日替わりローテーションの掃除当番でも、日直でもない、帰宅部の織部はそのまま帰路に就く。黒森峰で日曜以外の戦車隊の訓練がある日は、ほぼ毎日日没前後まで学校に残っていたから、ここに戻ってきた当初は陽が昇っている内に帰れることに違和感を抱くことしきりだった。しかし、ここに戻ってきて4ヶ月が過ぎ、ようやくこっちの生活リズムに慣れてきたところである。

 

「今日はやけにみんな、ソワソワしてたね」

「まあ、バレンタインデーだし仕方ないんじゃないかな」

 

 そんな帰り道を歩く織部に話しかけてきたのは、たまたま一緒に帰ることになった鷹森。周りに誤解されるかもしれなかったが、1年生の時も一緒のクラスだったから仲が良いだけで、それ以上の感情は全くない。織部はもちろん、鷹森だってそうだ。

 ともかく鷹森の言う通り、今日はどことなく空気が浮ついているような感じがした。その原因は2週間ほど前に学年末試験を終えただけではなくて、やはり織部の言った通り今日がバレンタインデーだったからだろう。鷹森もその意見には賛成した。

 進学校に通い、日々勉学に勤しんで己の研鑽に努めている学生たちからすれば、体育祭や文化祭などの学校行事、あるいは祝日や季節ごとのイベントなどはリフレッシュすることができる絶好の機会である。この時だけは年相応に心も意識せずとも躍るものだ。織部を含めた彼ら彼女らは健全な学生であるので、それは何も悪いことではない。

 

「昼休みは災難だったね、汐見君に絡まれて」

「いや、もう慣れたよ・・・」

「顔青いけど・・・?」

 

 織部は本当に慣れてしまったのだ。黒森峰から帰ってきた直後など、今日の比じゃないぐらいの質問攻めにされてからかわれたものだ。今日のなんてその時と比べれば蚊に刺された程度だ。

 

「あっ、そう言えば新川ちゃんが本命っぽいチョコ渡してたよ?」

「誰に?」

「3年生の先輩っぽいね。ハート形にラッピングされてたし、あれは間違いなく本命だね。しかも校舎裏で」

「へぇ~」

 

 クラスメイトが1人青春を謳歌しているという情報を聞いて、織部も素直に頷く。学校とは良くも悪くも出会いが多い場であるから、そういうケースもやはりあるらしかった。後は新川が成功することを祈るだけだ。

 

「鷹森さんは、本命チョコとか渡したことはないの?」

「私?私はないなぁ~・・・そんな感じの人はまだいないし」

 

 義理ですらないチョコを昼に鷹森から貰ったのと、話題のついでで聞いてみたのだが、まだ鷹森は恋する相手に巡り会うことはできていないらしい。

 

「織部君にはいないの?」

「え?」

「こう、この人からチョコを貰えたら嬉しいな~っていう人」

 

 鷹森のその質問も、話の流れて聞いただけだ。純粋な興味だけで聞いたものであって、隊を含んでいたつもりはなかった。

 

「・・・・・・・・・いや、今はいないかな」

 

 だが、その質問を聞いた織部は空を見上げて遠い目をする。その声色には寂しさが含まれていて、表情さえも悲しげだ。

 

「いるんだ、そういう人が」

 

 そんな声と顔をしていれば、誰だってそういうことだと分かる。鷹森だって気付けるぐらいの変化だ。織部も、黒森峰で何度も何度も痛感した、自分は隠し事がド下手で動揺は隠しきれず表情に出るのだと、改めて再認識した。

 

「その人はもしかして、黒森峰でできちゃったのかな?」

「・・・・・・まあ、ね」

 

 ここまで来てはもう隠し通せるはずもないので、観念して白状する。

 鷹森は『そっかぁ~』と言いながら軽く笑う。

 

「汐見君が聞いたら悪鬼羅刹と化しそうだよね。いや、多分他の男子もそうなるか」

「だろうね・・・。だから黙っておいてくれるとありがたいんだけど・・・」

「もちろん。守秘義務はちゃんと守るよ」

「助かるよ・・・」

 

 途中の交差点で、鷹森は文具店へ買い物に行くらしかったのでお別れとなった。軽く手を振って別れると、織部は帰り道を1人で歩いていく。

 織部には、小梅という恋人が黒森峰学園艦にいて、将来結ばれることも誓っている。それは今日だけ、今日という日だけは、意識しないようにしていた。鷹森の質問を受けるまでは。

 無論、今日までその事実を忘れたことはない。ただ、このバレンタインデーという恋人たちにとっての一大イベントと言っても過言ではない日に、今ここではなく遠い場所にいる小梅のことを考えると、恋焦がれる思いをしてしまうからだ。

 織部だって本音を言わせてもらえば、もしも小梅からチョコを貰えるのならば、手作りでも、市販のものでも貰いたかった。そして本当に貰えたら、織部も馬鹿みたく飛び跳ねて喜びはしゃぐだろう。

 しかし、現実はそうもいかない。織部と小梅それぞれの今いる場所は遠く離れていて、直接チョコを渡すことも貰うことも叶わない。

 それが貰うことはできないし、そのことを考えると恋焦がれる思いが一層強くなると分かっていたから、このバレンタインデーだけは小梅のことを意識してはならないと思っていたのだ。

 

(負担になっちゃいけないんだ・・・)

 

 だが、小梅だって黒森峰で頑張っているのだ。戦車隊の次期副隊長として期待を背負っていて、実際今は臨時ではあるものの副隊長を務めているのはメールで知っている。今は新体制に向けて色々と大変な時期なのだから忙しいはずだ。

 そんな小梅に、負担をかけてまでチョコをせがもうとするなど、烏滸がましくて、厚かましいこと極まりない。

 本当は欲しいという気持ちは自分の心の中で思うだけに留めておいて、家路を急ぐ。帰ったら今日出された古文の課題でもこなしてこの気持ちを処理しよう。

 そんなことを考えながら寮へと戻り、ポストを覗いてみる。と言っても、普段から届くものはほとんどないので期待はしていなかった。

 だが、中には1枚の紙きれが入っていた。何だろうと思って見てみると、それは宅配便の不在票だった。恐らく、織部が授業を受けている午前中だか昼過ぎぐらいに届けに来たのだろう。品物は『食品』の欄にチェックされているので、親からの仕送りだろうかと織部は思った。

 とりあえず、織部は自分の部屋に戻って部屋着に着替え、記載されている宅配業者の電話番号に連絡して、手順に則り再配達のお願いをする。再配達時刻が17時頃に決まると、織部はそれまでに課題を片付けることに決めた。

 黒森峰での成績は織部の今いる進学校とも共有されていたので、黒森峰でそこそこいい成績を修めていた織部が戻ってきてとやかく言われるようなことにはならなかった。今いる学校の中での織部の成績は中の上程度で、ずば抜けて頭がいいというわけではない。

 黒森峰とこの進学校で共通する科目は対応する成績が反映されたが、残念ながらドイツ語の授業はこの学校にはないため、無用の長物になってしまっている。だがそれでも、小梅のおかげで何とかものにすることができたドイツ語だけは、忘れないように今も勉強を続けている。

 良かった点は、黒森峰とこの学校の授業の進行速度がほぼ同じで、習った場所が違うせいで戻った際に授業についていけなくなるという事態にはならなかったことだ。おかげで、成績も元の状態を維持できている。

 

(これなんて意味だっけ・・・・・・)

 

 そして織部はその現状に満足することはなく、成績をさらに上げていこうと織部は意気込んで、古文辞書を引っ張り出して古文の課題(教科書に載った古文を現代語訳する)を、途中でコーヒーブレイクを入れながら黙々と進めていく。

 やがて17時を過ぎたところで、インターホンが鳴り響く。恐らくは宅配便の再配達だと分かっていたので、課題を進める手を一度止めて戸棚からハンコを取り出して玄関へ向かう。

 ドアを開けると、茶色い段ボールの小包を両手で持つ若い男性が立っていた。『食品』にチェックされていたから親からの仕送りかと思ったが、箱のサイズからしてどうも違うらしい。それはともかく、織部は再配達をさせてしまったことに謝って伝票にハンコを押して荷物を受け取る。

 宅配業者がお辞儀をして踵を返して引き上げていく。織部はドアを閉めて、そこで初めて誰からのものだろうかと送り状を見てみると。

 

『ご依頼主:赤星小梅 様』

 

 

「え」

 

 一瞬我が目を疑って、目を擦ってもう一度見てみるがそこには小梅の名前、そして黒森峰学園艦の寮の住所が書いてある。そして当たり前だが、お届け先の欄には織部の名前とこの寮の住所が記されている。織部が黒森峰を去る前にはお互いにそれぞれの住所を交換したから、小梅がここの住所を知っていても不思議ではない。

 だが、その小梅から送り物が来るということ自体は初めてのことで、そして唐突だったから驚きのあまり現実味が湧かない。

 しかしそれでも、迅速にリビングへと戻りハンコを元あった場所に戻して、ローテーブルにその小包を静かに置き、改めて小梅からの送り物を確認する。

 伝票の品名欄には不在票のチェック通り『食品』と記載されていて、お届け希望日は今日に指定されている。小包自体の大きさは縦およそ25センチ、横およそ20センチほど。

 バレンタインである今日を指定して、小梅から織部に、このサイズの『食品』が届けられる。

 まさかまさかと思いながらカッターナイフを取り出して、箱を丁寧に開けていく。

 包装を解いて段ボールの蓋を開けると、今度は一回り小さな白い箱と、1枚のメモが姿を見せた。この2つの中身を見て、織部の心が『トクン』と跳ねる。この箱の中身が何なのか、心と脳が予想を立てたのだ。

 そして、その白い箱をゆっくりと取り出して、包装されている銀のストライプが入った透明なフィルムを、箱を傷つけないようにカッターで切って、蓋を開ける。

 

 

 白いペーパーパッキンを下に敷いた、ハート型のチョコレートがそこにあった。

 

 

 それを見た直後に、織部の顔が急激に熱を持つ。そして途端にかじりつく、とはならないで再び蓋をそっと閉じて冷蔵庫に一度仕舞う。冷蔵庫のドアを閉めて背中を預け、深呼吸をして気持ちを整える。

 今自分が見たものは、見間違えることはないチョコレート。しかも、ハート型のだ。

 この日にこれが小梅から送られてきたということは、それはすなわちバレンタインデーのチョコレートであることに他ならない。そして恐らくは、手作りのもの。

 冷静かつ論理的に考えてみれば、織部と小梅は恋人同士であり、そしてお互いにそれぞれの暮らす寮の住所も知っていて、さらに小梅は料理が得意なのだから、何もおかしなことではない。

 だが、織部の頭の中では両腕を突き上げて、大声を上げて喜びを表現する自分をイメージしていた。それぐらい、この不意打ちの贈り物は嬉しかった。それでも一度、驚きと嬉しさが共鳴して昂る自分の気持ちを整理して落ち着かせたかったから、こうして冷蔵庫に一時的に保管したのだ。

 興奮が収まってきたところで、同封されていた1枚のメモを見る。

 

『春貴さんへ

 突然のことでびっくりしていると思いますが、

 どうしても春貴さんのためにチョコを作って、贈りたかったのでこうしました。

 味見はしましたが、初めて作ったので春貴さんに気に入ってもらえるかどうかが少し心配です。

 それでもどうか、召し上がってください。  小梅』

 

 そのメモ―――手紙を読んで、今度は織部の目頭が熱くなってきた。

 『どうしても贈りたくて』という文だけで、小梅が自分のことを想ってくれているのが分かる。『初めて作った』というのも、やはり自分のことを考えた上でのことなのだろう。本当に小梅が、自分のことを好いてくれているのだということが分かって、涙が出そうになるほど嬉しくなる。

 すぐにでも織部は、この気持ちを小梅に伝えたいところだったが、今の時間はまだ黒森峰も戦車隊の訓練をしているはずだ。訓練が終わっているとしても、副隊長のポジションにいる小梅はまだ手が空いていないかもしれなかった。

 だから、その気持ちを伝えるのは致し方ないが後にして、まずはこのチョコの味を堪能するべきだと結論付けた織部は、もう一度冷蔵庫からチョコの入った白い箱を取り出す。絶対に落とすものかと白い箱をしっかりと持って、そしてテーブルにもう一度そっと置き、蓋を開く。

 改めてチョコをじっくりと見てみると、初めて作ったとは思えないほど見事なハート形に整えられている。同じサイズと形の金型を使ったような痕跡は見えず、市販のチョコにも見えない。本当に小梅の手作りなんだと思わせられる。

 その無地のチョコレートを縁取るようにホワイトチョコのラインが引かれていて、シンプルだけれどそれでも美味しそうだ。

 そんなチョコレートに、織部はそーっと、骨とう品を扱うかのようにゆっくりと手を伸ばして、そっと手に取る。

そしてひと口、齧った。『パキッ』と心地良い軽い音が鳴って、その小気味いい音も楽しみながら味に集中して咀嚼する。

 

「・・・・・・美味しい」

 

 分かっていた。それは分かっていたことだった。あの小梅が作ったものだったのだから、美味しいに決まっていた。

 それでも、その言葉を口にせずにはいられなかった。口の中がカカオとミルクの絶妙なバランスの上に成り立つまろやかで甘い風味で満たされ、多幸感が心の奥底から湧き上がってくる。口に含んだ瞬間から、こうも幸せになれるようなチョコレートが存在するとは。

 ゆっくりと最初の一口を食べきると、次の一口を食べる。そして一口齧っていくたびに、小梅が自分のことを想ってこのチョコを作ってくれたのだと思うと、小梅の自分に対する愛情というものをより強く感じていく。

 たっぷり1時間ほどかけて、小梅特製のチョコレートを食べ終える。間違いなく、人生で最も時間をかけて食べたものであり、そして人生で一番美味しいと思ったチョコレートだ。

 食べ終えた織部の顔は、本当にチョコレートを貰えて嬉しかったと感じさせる笑みと、チョコレートが無くなってしまったことに対する喪失感を含むかのような悲し気な目つきをしていた。

 何度も何度も、織部は心の中で小梅に『ありがとう』と告げて、そっと蓋を閉じる。

 この箱を捨てる気はなかった。

 

 

 夜の19時過ぎに、小梅は自分の寮へと戻ってきた。

 今日がバレンタインデーで世間が浮かれたムードになっていようとも、黒森峰戦車隊は規律正しく生真面目に、そして熱心に戦車道に励んだ。

 だが、黒森峰も少しずつ変わってきていると、小梅は思った。

 確かに訓練中はミーティングの時間も含め、だれもが真剣に取り組み、そこには余計な感情が一分も混じっているようには見えない。これは以前からもそうだったし、悪いことでもないから問題ない。

 ただ、まだまほが隊長を務めていた頃から取り入れられ始めた『マニュアルに頼らない、マニュアルに無い訓練』は今も定期的に行われているが、隊員たちはその訓練にも柔軟に対応できるようになってきた。

 この訓練も元は、全国大会決勝戦での対大洗女子学園戦で露見した、真面目でマニュアルに頼りがちな黒森峰特有の柔軟性の無さを克服するためのものである。その訓練に対応できるようになってきたということは、それだけ隊員たちが柔軟性を身に着けてきたということだ。これは良いことだろう。

 そして今日、黒森峰は本当に変わってきていると思う出来事があった。それは、隊員同士でチョコレートの交換があったということだ。

 無論、訓練中にそんなことをしようものなら暫定隊長のエリカから怒号が飛んでくることは分かっていたので、それを見たのは訓練時間外だった。訓練終了後のロッカールームだったり、教室だったりで、それぞれは友チョコを交換していた。

 規律や風格を重んじるエリカはそれさえも許さないかと思ったが、エリカは意外とこれについては寛容的だった。小梅は知らないが、エリカはかつてまほが言っていた『隊員たちは学生なのだから、学生生活を謳歌する権利が誰にでもある』という言葉を忘れずにいた。だから、ある種の娯楽や息抜きとされている季節のイベントさえ完全に禁じてはならないと思ったのだろう。

 その証拠に。

 

「まさか、エリカさんから貰うなんて・・・」

 

 小梅が鞄から取り出したのは、エリカから受け取ったチョコである。袋にいくつかのトリュフチョコが詰まっているようで、エリカ曰く『市販』らしい。だが、開けてみなければそれが本当かどうかは判別できない。

 

『副隊長として色々世話になってるし、感謝の気持ちを籠めてってことで』

 

 あくまで事務的に処理しようとするつもりだったらしいが、少し照れくさそうに腕を組んで顔も赤くなっていたので、お礼ではなくて友達として贈るチョコ―――つまり友チョコなのだろう。小梅はそれが分かっていてもむやみやたらに追究しようとはせず『ありがとうございます』と笑って答えた。

 さらに今日小梅は、エリカだけではなく同じクラスの根津と斑田、そして三河と直下からもチョコを貰った。以前食堂で『友チョコの交換しようか』と話していたのは聞こえていたので、小梅も一応は用意していたのでお返しに困るということはなかった。

 そして小梅は、チョコを貰えたということは、それだけ自分がエリカや根津たちから親しい間柄だと思われているということだと分かって、それが嬉しかった。ほんの1年前は今とは対極の位置に小梅はいたはずなのに、今となってはそれが嘘のように仲間と共に戦い、そして副隊長として黒森峰を指揮する立場にいる。

 それもやはり、今はここにはいない織部と出会って立ち直ることができたからだ。それだけは断言できる。

 あの時あの場所で、小梅が織部に出会わなければ、恐らく自分はここまで来ることはできなかっただろう。だが、織部のおかげと言えば、織部は恐らくそれを笑って否定して、小梅の力によるものだと優しく告げるのは目に見えていた。

 だから、言葉ではなく行動で感謝の気持ちを織部に伝えるために、手作りのチョコレートを贈ったのだ。もちろん味見はして問題ないと思ったし、形も最大限綺麗にしようと努めて作った。初めてのことだったのでなかなか苦戦したが、それでもどうにか完成させた。そしてバレンタインデーに着くように日付を指定して送ったので、その荷物を載せた船舶が欠航などのトラブルに見舞われない限りは無事に着くと思う。

 届いたら、小梅の作ったチョコを見たら、織部はどんな反応をするだろうか。

 そもそも、着いただろうか。

 そう思いながら鞄から荷物を取り出して片付けて、夕飯の準備をしようとしたところで、スマートフォンが電話の着信を告げた。誰だろと思って画面を見ると。

 

『着信:織部春貴』

 

 驚きの余りスマートフォンを落としそうになるが、持ちこたえて応答ボタンをタップする。

 

「もっ、もしもし?」

『あ、小梅さん。こんばんは、今大丈夫?』

「はい、大丈夫です」

 

 こうして電話越しで言葉を交わすのは、確か正月以来だったと記憶している。あの時は実家で電話をしていたので、電話の後で両親からニンマリとした笑みを向けられながら『春貴君と話してたのかい?』と問われて少し恥ずかしくなったのも覚えている。

 そして今日、織部の方から電話をしてきた理由は分かっている。

 

『チョコ、送ってくれたでしょ?届いたよ』

「ほ、本当ですか?よかったぁ・・・」

 

 まずはちゃんと届いたことが安心だ。何かのトラブルで届かなかったりしたらどうしようという不安は、ひとまずなくなった。

 

『・・・・・・ありがとうね、チョコ。あれって、手作りなんでしょ?しかも初めて・・・』

「はい・・・。初めてだったのであまり自信がなかったんですけど・・・どうでしたか・・・・・・?」

 

 一番の問題は、織部があのチョコをどう思うかだ。美味しいと思ったか、それとも口に合わなかったか、それ以前に迷惑だと思ったのか。それが不安で不安で仕方がない。

 

『・・・・・・すごく、美味しかったよ。甘さも丁度良くて、僕好みの味だった』

 

 電話の向こうで織部が微笑んでいるのが分かる。それぐらい、その言葉は優しい響きがして、1つも嘘をついていないと分かるような口調だった。

 

「本当ですか・・・?」

 

 それでも小梅は、そう聞かずにはいられなかった。

 

『本当だよ。形も初めての手作りって思えないぐらい綺麗なハート形だったし、味もいい感じに甘くて・・・・・・』

 

 褒めたいところはいくらでもあると言いたげにする織部だが、どうやら途中で織部にとって一番の褒め言葉を見つけたようで、一度区切ってから伝える。

 

『・・・あんな美味しいチョコ、今まで食べたことがないよ。今まで食べた中で、一番美味しいチョコだ』

 

 そう告げられて、小梅は自らの胸の中が温まるのを感じる。その言葉が聞けただけで、織部のためにチョコを作った価値は十二分にあるというものだ。

 

「・・・・・・よかったです。迷惑と思われたら、美味しくないって言われたどうしようって・・・不安だったから」

『迷惑なんて、とんでもないよ。小梅さんから贈られるものだったら、何だって嬉しいから』

「え・・・・・・」

 

 織部自身は重要なことを言ったつもりではないのかもしれないが、そのぽろっと告げた言葉は、小梅の心をいともたやすく惹きつけた。

 

『それに、小梅さんの作る料理はどれも美味しかったから。味については全然心配なんてしてなかった。チョコを見た瞬間から、これは美味しいなってわかったよ』

 

 またこうして、織部は意図せず小梅の気持ちを温かくしてくれる。そして小梅の表情を明るくさせ、嬉しい気持ちにさせてくれる。

 

「・・・・・・ありがとう、春貴さん」

『礼を言いたいのは僕の方だよ。というわけで、ホワイトデーはお返しを送るね』

「え、そんな・・・いいですよ。私が送りたくて送っただけですから・・・」

『いやいや。貰いっぱなしっていうのも後味が悪いもの。僕だってお返しがしたいから』

 

 お返し、と聞いて小梅も少し俯く。織部にチョコ作ってあげてそれを送ったのだって、自分をここまで導いてくれた織部に対する恩返しも兼ねて送ったのだ。なのに、その織部からお返しを貰うのは少し違うのではないかと思う。

 けれど、ここでそれを言っても織部の姿勢は変わらないだろうから、今言うべきはその指摘ではない。

 

「・・・・・・分かりました。楽しみにしていますね」

『うん。まあ、僕もチョコは作ったことがないけど、何とかやってみるよ』

「無理はしないでくださいね・・・?市販のものでも構いませんから・・・」

『いやぁ、小梅さんは初めてでも手作りだったっていうのに、僕だけ市販なのも何だかなって』

 

 律儀だなぁと小梅は思うが、同時に織部はそう言う人柄をしているのだということはとうに知っているので、ここで織部は妥協などしないはずだ。

 

『・・・・・・小梅さん』

「はい?」

 

 そこでもう一度、織部が小梅の名を告げて。

 

『・・・ありがとう、小梅さん。大好きだよ』

 

 小梅は、自分の唇が嬉しさの余り震えて、それでいて自分が今笑っているのが分かる。

 

「・・・どういたしまして、春貴さん。私も、春貴さんのことが大好きです」

 

 そして電話は切れて、小梅はスマートフォンを胸の前で静かに握る。

 

「・・・よかった」

 

 息を吐くと同時にそんな言葉が洩れ出す。

 織部にチョコが届いたこと、そして織部が小梅の手作りのチョコを美味しいと言ってくれたこと、そしてまたお互いに愛を伝え合えたことが本当によかった。その感想を聞く前に小梅が抱いていた不安もすべて杞憂で済んだが、喜んでもらえたようで何よりだ。

 安心したあまり、小梅はベッドに仰向けに寝転がる。

 少しの間目を閉じて、先ほどの織部との電話を思い出して、自分の行動が織部に受け入れてもらえた事実も思い出す。嬉しくないはずも無かった。

 しばしの間、達成感と安心感に浸りながらも、壁に掛けられた時計を見上げてもうすぐ夕飯の時間だということに気付いた。明日も学校はあるのだし、あまり遅くなってしまうと寝る時間もまた遅れてしまうと思った小梅は、起き上がってキッチンに向かう。

 今日の夕飯の献立は、織部も褒めてくれた肉じゃがだった。

 

 

 

 

 

「結構、イイ感じだったんだ」

 

 話を聞き終えた娘は、ニヤニヤと小梅のことを見ていた。春貴と共に話をした小梅自身も、あの時抱いた安心感と嬉しさ思い出して微笑んでいた。

 話しをしながらも食事は続けていたので、3人の皿は全て綺麗に空になっていた。

 

「あの時は本当に嬉しかった・・・。今まで食べた中で一番美味しいって言ってくれたから・・・」

「嬉しかったのは僕の方だよ。まさか貰えるとは思わなかったし、それに本当に美味しかったんだもの」

 

 改めて春貴がこの場でその時のことを伝えると、小梅はそれが実に嬉しいのか少しだけ頬を赤く染める。春貴もその時味わったチョコレートの味を思い出して、うんうんと頷き頬が緩む。一方で娘は、いい歳した夫婦が若かりし頃を思い出している様子を見て『はいはい』と呆れたように笑った。

 さて、昔話をしていたら少し時間が過ぎてしまっていたので、3人で手を合わせる。

 

「「「ごちそうさまでした」」」

 

 食後、春貴と娘は犬と軽く遊んでやり(滅茶苦茶喜んでいた)、1人ずつ風呂に入ってから、やがて寝る時間になる。娘は21時を過ぎた辺りで眠りに就いた。

 あの子ももうすぐ小学校を卒業し、中学校に入学すれば学園艦暮らしとなって自分たちから離れて生活することになる。そうなれば、自分の娘の不調に気付くことも難しくなるだろう。

 だが、もしも何かあれば、すぐに連絡をするように入ってある。SOSを出せば、春貴も小梅も急いで娘の下に駆けつけるつもりでいた。

 それもやはり、春貴が経験したような辛い気持ちを娘に抱かせないため、娘を守るためだ。どれだけ辛いのかはそれを経験した春貴がよく分かっている。だから放っておくことなど断じてあり得ない。

 小梅も春貴の気持ちを分かっているから、そして自分が産んだ子供なのだから、もちろん心配して、春貴と同じような考えを持っている。

 春貴と小梅は、娘の寝顔をこっそり見ながら、そう固く自分に言い聞かせる。

 そして2人はは22時半ぐらいに一緒のベッドに入った。

 学生の頃に、お互いの実家に挨拶に行って泊った際は、一緒のベッドに寝ることさえもおっかなびっくり緊張していた。だが、あの時はシングルベッドで身体が密着していたからであり、晴れて結婚して、2人用のサイズのベッドに寝る今は緊張も無い。

 

「・・・・・・あのバレンタインの日」

「?」

 

 部屋の電気を消して灯るのはヘッドサイドランプだけとなったところで、小梅が部屋の天井を見上げながらポツリと呟く。春貴は小梅に顔を向けるが、小梅は天井を見上げたままだ。

 

「私は、春貴さんに恩返しがしたかったの」

「恩返し・・・?」

「みほさんが転校するきっかけを作って、周りから非難されて、泣いていた私を救ってくれた春貴さんに」

 

 春貴はまだ、何も言わない。小梅が何かを言いたげにしていることが分かっているから、横槍を入れることはしない。

 

「立ち直ることができて、根津さんや直下さん達とまた一緒に楽しく過ごせるようになって、戦車にも乗ることができるようになって・・・。そして黒森峰の副隊長にもなれて・・・」

「・・・・・・」

「それもみんな、春貴さんが私のことを見捨てないで、傍にいてくれたから」

 

 身体を捩り、小梅は春貴の方を見る。春貴は、そんな小梅に優しく目を向けて、視線を合わせる。

 

「だから私は、そんな春貴さんに少しでもお礼がしたかった。それで、バレンタインっていうイベントと合わせて、春貴さんにチョコを贈ったの」

「・・・・・・そっか」

 

 春貴は、そんな小梅の髪を優しく撫でる。少し癖のある髪は、昔と全く変わっていないけれど、この髪が春貴は好きだ。

 

「・・・・・・でも、僕としては、小梅さんが立ち直れるように道を示しただけに過ぎない。立ち直って、皆と仲直りをして、戦車に乗って実力を示して、そして黒森峰を率いることができるようになったのは、全部小梅さんの力だ」

「・・・・・・」

「そして今、プロの戦車道選手として戦い続けているのも、やっぱり小梅さんだ。僕はそんな小梅さんを支えたいから支えているだけ。お礼や恩返しなんて・・・・・・」

「・・・そう言うと思った」

 

 小梅がおどけたように笑って告げて、春貴も苦笑する。長い間付き添っていると、相手の気持ちや性格を理解してくるようになる。夫婦という最も近しい存在ならなおさらだ。

 

「それでも春貴さんに喜んでもらいたかった。だから、チョコを作って、贈らずにはいられなかった・・・。あの時の電話で春貴さんが『嬉しかった』『美味しかった』って言ってくれて、私も本当に嬉しかったんだから・・・」

 

 小梅が春貴の方へと身を寄せる。春貴はそれを拒むことなく、小梅の肩に手を回して優しく抱き寄せる。

 

「あの時は、直接渡したいと思ってたけど、できなくて・・・」

「・・・」

「ううん、春貴さんが黒森峰からいなくなる時も、もっと一緒にいたいと思ってた。離れても、何度だって会いたいって思ってた」

「・・・・・・でも今は、一緒に暮らすことができてる。もう、離れ離れになることなんてないんだ」

 

 その時抱いていた小梅の寂しさを埋めるように、小梅を抱き寄せる力を強くする。自分は間違いなく、小梅にとって最も近しい存在だということ、そしてそんな自分が今ここにいることを示す。

 

「・・・・・・春貴さん」

「・・・何?」

 

 小梅は、春貴の胸に顔を埋める。そして、小さく告げた。

 

「私と、一緒になってくれて・・・・・・」

「・・・・・・」

「本当にありがとう・・・」

 

 その小梅の髪を、春貴は優しく撫でる。小梅が眠りに就くまで、優しく、優しく、撫で続ける。

 やがて、小梅は春貴の胸の中で目を閉じて、寝息を立て始めた。

 その寝息を傍で感じながら、春貴は小さく笑う。

 これまで小梅は、プロ戦車道界で一人前となるまでに、他の選手との差や自分の力量不足などを痛感して、時折落ち込んでしまうことがあった。

 だが、どんな時であっても春貴は小梅のそばを離れたりなどせず、ずっと小梅に寄り添ってきた。時には話を聞いて、時には共に涙を流し、時には慰めて、小梅のことを支えてきた。

 それは、もはや小梅にとって最も近しい存在である自分にしかできないことだというのは分かっている。

 だから春貴は、例え自分が仕事で疲れていようとも、戦車道連盟に勤める自分よりもずっと辛いプロの世界で生きている小梅を支えていくのだと、既に心に誓っている。

 今、自分の胸の中で安らかな寝顔で寝息を立てている小梅を見て、自分が一生をかけて支えていくんだと、改めて覚悟を決めた。

 小梅を支えるという強い決意を改めて胸に刻み、春貴は小梅の額にそっと口づけを落とした。

 春貴は小梅を起こさないように静かにヘッドサイドランプを消して、瞳を閉じる。

 その胸に、小梅の温もりを感じながら、春貴は眠りに就いた。




グラジオラス
科・属名:アヤメ科グラジオラス属
学名:Gladiolus spp.
和名:唐菖蒲
別名:唐菖蒲(トウショウブ)阿蘭陀菖蒲(オランダショウブ)
原産地:南アフリカ、地中海沿岸、中央ヨーロッパ
花言葉:記憶、たゆまぬ努力、ひたむきな愛など

これにて、小梅と織部の物語は本当に完結となります。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

以前書いたアッサム編、カルパッチョ編とは違い、
小梅には誕生日が設定されていないため(作中でオリジナルで決めてしまいましたが)、こうした日に合わせた特別編を書かせていただきました。

前2作品とは違って、今回の特別編では2人が大人になってからの時間を少し長めに書いてみました。楽しんでいただけたら幸いです。

ちなみにものすごい今更ですが、黒森峰モブガールズの名前の由来は、
直下(なおした)(ヤークトパンター車長)…『直したばっかりなのにぃ!』というセリフから
斑田(はんだ)(パンター車長)…搭乗車輌『パンター』をもじって
三河(みかわ)(Ⅲ号戦車車長)…搭乗車輌『Ⅲ』号戦車より漢数字の『三』のつく苗字を考えて
根津(ねづ)(マウス車長)…搭乗車輌『マウス』の日本語訳『ネズミ』をもじって
と言った感じです。
他の黒森峰の隊員の名前は以前説明しましたが熊本県の地名です。

ケイ編の途中での投稿という形になってしまいまして、あちらを読んでくださっている方々にはお待たせしてしまい、大変申し訳ございません。
向こうも随時投稿していきますのでよろしくお願いいたします。

重ねて書きますが、ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。
感想を書いてくださった方、評価をしてくださった方、
本当にありがとうございます。

現在ケイ編を鋭意執筆中、次回作も現在考案予定ですので、
今後ともよろしくお願いいたします。

それではまたどこかでお会いいたしましょう。


最後にこの言葉で、締めさせてください。
ガルパンはいいぞ。
小梅は優しい良い子だぞ。

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