黒森峰女学園は、土曜日と日曜日は休業日となっている。しかし、戦車道の訓練とは土曜日であっても行われている。休みの時間を割いてでも訓練をし鍛錬に励むとは流石強豪校と言える。
しかし今日は土曜だが、戦車道の訓練も休みだった。というのも、どの生徒も新学期が始まって間もないので、何かとバタバタする時期だ。そこへさらに戦車道の訓練も重ねるというのも酷なので、今日だけは戦車道は休みになった。強豪校で戦車隊の練度が抜群と言われていても、その戦車を動かすのは当然ながら人間で、その人間が倒れてしまって戦車隊が動かせなくなってしまっては本末転倒。それは学校側も十分承知の上だったので、この休日の処置が施されたのである。
そんな土曜日、織部は起床して朝食を食べてからしばらくの間は寮にいた。しかし、貴重な休日を1日寮で過ごすというのも無駄に思えてならなかったので、10時を回った今は学園艦内を散策している。散策と言っても、黒森峰学園艦の大半は戦車道の訓練場が占めているので、行動できる範囲は他の学園艦と比べると少ない。甲板より下―――艦の内部へ行けばもっと色々見ることができるのだが、どこを歩いているのか分からなくなって遭難してしまう可能性もあったので、それは諦めた。
仕方なく織部は、黒森峰の街並みを歩いている。黒森峰はドイツと交流があった事でドイツ風の雰囲気ではあるが、街並みは現代日本と同じである。石造りの建物とか、石畳の道路だとかそんなものはない。
織部が当てもなく船尾の方へ向けて歩いていると、道の先がフェンスで仕切られているのが見えた。どうやら、あのフェンスの向こう側は訓練場らしい。
フェンスに近づいてみると、白い看板が掛けてある。その看板には、『これより先、戦車道訓練場につき一般人の立ち入りを禁ずる』と書かれていた。後はありきたりな事しか書かれていない。
仕方ないので、引き返そうと思ったところで、織部の目に小さな花壇が目に入った。
(こんなところがあったのか)
その花壇は、横幅が10m、奥行きが2mほどの大きさしかない。けれど、咲いている花はどれも丁寧に手入れがされているようで、萎れた花も枯れた花も無い。鮮やかな色が織部の目に飛び込んでくる。
真面目な校風の学園艦に、こんなメルヘンチックな場所があるとは。しばしの間見惚れていると、自分と同じようにしゃがみ込んで花壇の花を見ている少女がいるのに気づいた。
その少女は、織部同様休日であるにもかかわらず黒森峰の制服を着ていて、花壇の花を穏やかな眼差しで見つめている。少し癖のある、赤みがかった茶髪のその少女は小梅だった。
「赤星さん」
織部が声を掛けると、小梅はびっくりした様子で織部の事を見る。
「あ、織部さん・・・・・・」
「こんにちは」
織部が挨拶をしながら歩み寄るが、小梅は先ほどまで浮かべていた笑みを消し、また申し訳なさそうな、困ったような表情を浮かべる。
傍に織部が来たところで小梅も立ち上がり、織部と対面する。
「・・・・・・昨日は、すみませんでした」
「?」
小梅は謝る。織部は、謝られるような事をしただろうかと記憶をたどるが、覚えはない。
「・・・・・・私から一緒に帰ろうって誘ったのに、急用で帰って・・・」
そのことか、と織部は思った。けれどそれは別に謝るような事ではない。あの時は疑問に思ったが、もしかしたら本当に急用だったのかもしれないし。
「別にいいですよ。気にしていないですから」
真意を聞きたいという本音を抑えて、織部は笑って言う。その笑顔と言葉に、小梅は胸が締め付けられる感覚に陥る。
織部を騙しているような感じがして、罪悪感に押し潰されそうだった。
最初にあの公園で会った時も、ドイツ料理店でも思ったが、織部は純粋に小梅の事を心配してくれている。おそらくは損得勘定などせずに、小梅の身を案じて、小梅に何があったのかを尋ねたのだ。
その織部を欺いて過ごすなど、小梅には耐えられなかった。
だから小梅は。
「・・・・・・・・・・・・織部さん」
「?」
小梅は、顔を俯かせて織部の顔を見ず、織部の首元辺りを見ながら、言った。
「・・・・・・少し・・・お話をしても、いいでしょうか」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
その言葉を、織部は心のどこかで待っていた。
小梅は恐らく、自分の事を全て話す決心がついたのだろう。その決心をつけたきっかけが何なのかは織部には分からなかったが、小梅は勇気を振り絞って織部に全てを話す決意を固めた。
それは、尊重しなければならない。
「・・・いいですよ」
織部が答えると、小梅はホッとしたように息を吐く。
ここで立ったまま話すというのも何だったので、織部と小梅は花壇の近くにあったベンチに座る事にする。
その前に織部が、自動販売機で缶のカフェオレを2つ買い、1つを小梅に渡す。小梅はそれを受け取り財布からお金を出そうとしたが、織部はそれを拒む。
織部が小梅の隣に腰かけると、小梅は渡されたカフェオレの缶を握る。
しかし、小梅はすぐには口を開かない。
これから話す事は、人にぺらぺらと喋っていいような事ではないし、小梅自身もあまり触れたくはない、もっと言えば思い出したくもない辛いものだった。
それを自分から話すには、相当の覚悟が要る。
織部だって、小梅が話す事がどれだけ重いかはなんとなく想像がつく。織部が聞こうとしても小梅自身が話すのを拒むような話だ。自分にだって話したくないような辛い過去があるのだから、その気持ちは分かる。織部1人で受け止め切れるような内容かも分からない。
しかし織部は、これ以上小梅が思い悩み、暗い表情を浮かべている姿など見たくなかった。
小鳥のさえずりが聞こえ、遠くから車のクラクションが聞こえてくる。
やがて、小梅は口を開いた。
「・・・・・・織部さんは、去年の戦車道全国大会の決勝戦の事を、知ってますか?」
小梅が切り出してきたのは、昨年の夏に行われた第62回全国戦車道高校生大会の事だった。そしてその決勝戦の事は、織部も覚えている。
「・・・・・・はい」
決勝戦は、衝撃の結末と言うに相応しいものだった。試合中に川に転落した黒森峰のⅢ号戦車の乗員を、フラッグ車であるティーガーⅠの車長であり黒森峰戦車隊の副隊長・西住みほが、自分の戦車から降りて助けに行ったのだ。
車長を失ったティーガーⅠは、対戦しているプラウダ高校の戦車の砲撃を受けて撃破。黒森峰は敗北し、悲願の10連覇の夢は叶わなかった。
あの試合の様子は全国にテレビ中継されており、その頃から既に戦車道連盟に就く事を夢見ていた織部もその試合はテレビで見ていた。だから、あの時転落した戦車を助けに行ったのが副隊長のみほだというのも知っている。
織部が頷くと、小梅は缶のプルタブを開けて、カフェオレを一口飲み、飲み口を見つめる。
「・・・・・・あの時転落したⅢ号戦車には、私も乗ってたんです」
小梅の告白を聞いて、織部は息を呑む。
あの試合に参加した黒森峰の隊長・副隊長の事は分かっていたが、あの時転落した戦車の乗員については知らなかったからだ。
「・・・副隊長―――みほさんは、私たちを助けるために、フラッグ車にも拘らず戦車を降りて川に飛び込んで・・・。そのせいでフラッグ車は撃破されて黒森峰は準優勝・・・」
自嘲気味に話す小梅。けれど織部は何も言わず、自分もプルタブを開けてカフェオレを一口飲む。
「西住流は、何があっても前に進む流派・・・。そして、犠牲無くして勝利は得られないという考えが根付いています」
織部は西住流という流派については勉強をしてある。だからその基本的な教えや教訓については知っていた。
そして黒森峰のバックには西住流がついている事も知っている。それに黒森峰の戦車隊の隊長と副隊長の西住まほ、みほは西住流の人間であり師範・西住しほの娘だ。故に、黒森峰戦車隊も自然と西住流の教えに則り戦う事になる。
「その西住流の・・・しかも直系のみほさんが、川に落ちた私たち・・・。言ってしまえば、犠牲の私たちを助けようとしたんです。自分の車輌がフラッグ車であるのに、です」
小梅のカフェオレの缶を握る手に力が入る。
「黒森峰戦車隊には、黒森峰女学園の『誰も成し得た事の無い全国大会10連覇』という期待がかかっていました。昨年までずっと優勝し続けていたから、今年も優勝できる、と黒森峰全体がそう思っていました。けれど、みほさんの起こした行動のせいでそれも叶わず・・・。黒森峰戦車隊に向けられていた期待や希望は、失望や呆れに変わってしまいました・・・」
織部にとって想像することは、なんとなくだができる。
他の誰にもできないことを自分が、自分たちが成し遂げられるというのは並々ならぬ達成感、優越感を得ることができる。それは黒森峰の校風云々という話ではなく、学校という組織全体での話だ。だから黒森峰に限らずどの学校も、大会での優勝や入選などに拘る。
その上黒森峰の戦車隊は前年度まで9連覇を果たしており、その上日本戦車道を代表する西住流の権化とも言うべき強さを誇っていたのだから、黒森峰は戦車隊に対して安心感にも似た感情を抱いていたのだろう。
今年も優勝できる、と。
10連覇の夢は叶ったも同然、と。
けれどそれは、みほの起こしたたった1つのイレギュラーによって阻まれてしまった。
それが要因で黒森峰の連覇はストップ、10連覇も夢と消えてしまった。学校全体が落胆ムードに包まれてしまうというのも想像に難くない。
「・・・・・・それで、私たちを助けたみほさんは、師範から責められました。西住流の教えに反する行動をとり、挙句勝利を逃してしまったのだから・・・」
師範―――西住しほの事も織部は知っている。まだ会った事は一度もないが、日本戦車道連盟曰く、西住流師範と言うだけあって厳格な性格をしており、何か悪い噂を立てようものなら容赦なく吊るし上げにされるというのがもっぱらの噂だった。悪事や謀が一切通じない、鉄の心を持った人物だと、日本戦車道連盟理事長は言っていた。
「・・・・・・そして、みほさんは学校側からも糾弾されて・・・。学校の期待を裏切り、10連覇の夢を踏みにじった、西住流の恥さらし・・・・・・そんな心無い言葉を陰で言われていたのを、私は何度も聞きました・・・」
この時小梅は、自らの足元を見ていたせいで織部の手が震えている事には気づいていない。
「・・・・・・中には、みほさんに正面からそんな言葉を浴びせる人もいました。そして、机をカッターで傷つけたり、上履きにゴミを詰めたりする人も・・・・・・」
小梅はみほとは違うクラスだったので、その事態に直面した時のみほの顔がどんなものだったのかは分からない。
しかし、決して笑みを浮かべてなど、喜んでなどいないだろうというのは馬鹿でも分かる。
その時のみほはどんな気持ちだったのか。
勝利よりも仲間を助ける事を優先したみほだ。仲間想いで心優しい性格をしているというのは想像できる。
そんな人が、自分が正しいと思ってした行動が皆から否定されてしまう。
その時のみほの気持ちは、想像を絶するだろう。
「そして、黒森峰の隊長であり、みほさんの姉であるまほさんも、糾弾されるみほさんの事を庇う事もせず、守ろうともせず・・・・・・。唯一学校で血の繋がりがあって、みほさんが信頼していたまほさんから見放されたと思ったのかもしれません・・・。みほさんは、黒森峰を去ってしまいました・・・・・・」
小梅の瞳から、一筋の涙が頬を伝う。小梅はそれを指で拭い、カフェオレをまた一口飲む。そして話を続ける。
織部は、カフェオレに口もつけずに小梅の話に耳を傾けている。その表情に、僅かに怒りや悲しみの感情がにじみ出ている事に小梅は気付いていない。
「でも、みほさんがいなくなったからと言って、戦車隊への強い風当たりが収まることはありませんでした・・・・・・」
小梅は、織部の方を一度見る。織部は真剣な目つきで、小梅の話に耳を傾けている。
これから言う事は、先ほどよりもさらに話すのが辛い内容だ。けれど、ここまで来てしまって言わないわけにはいかない。
「・・・・・・非難は、あの時川に落ちてしまったⅢ号戦車の乗員・・・・・・つまり、私たちに向けられたんです」
小梅が目を伏せる。また、涙が流れ出そうだった。
織部はカフェオレの缶を左手に持ち、初めて会った時と同じように、右手で小梅を落ち着かせるためにその背中を撫でる。
それで気分が幾らか落ち着き、小梅は話を再開する。
「そもそもあなた達が川に落ちなければ、こんなことにはならなかったって・・・・・・」
小梅の缶を握る手の力が一層強くなる。
「あなた達が戦車道をやらなければ、こんなことにはならなかったって・・・・・・」
涙があふれ出そうな小梅の目がギュッと閉じられる。
「・・・・・・あなた達が黒森峰に来なければ、こんなことにはならなかったって・・・・・・!」
ベコッ、という音が響いた。
その音に驚いて小梅がその音がした方向―――自分の真横を見れば。
目元をひくひくと震えさせて、缶を握っている織部の姿がその瞳に映った。
おそらく織部も、その時の小梅の悔しさが、辛さが分かるのだろう。だから、昨日まで見せていた穏やかな雰囲気から一変して、こうして怒りを露わにしている。
「・・・・・・あの時Ⅲ号戦車に乗っていた人たちは、私を除いて皆黒森峰から去ってしまいました・・・。黒森峰10連覇を成し遂げられなかった事に対する責任・・・周りからの非難に耐えかねて・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
織部は何も言わない。
「私も度々、みほさんが受けたような嫌がらせをされました・・・。そして、私の周りからは自然に人が離れていき・・・・・・。いつしか私は、黒森峰ではほとんど孤独になってしまっていて・・・」
ふと気づけば小梅の握りしめられた左手には、小梅の背中を撫でていた織部の右手が重ねられていた。
それに驚き織部を見る小梅は、織部もまた瞳を閉じて涙を流しているのを見た。
「・・・・・・・・・・・・」
小梅の話に感化されたのか、それとも何か別の要因があるのか。しかし、小梅は話を続ける。
「・・・・・・私は次第に、黒森峰の誰もが私のことを嫌っている、私の事を妬んでいると思い込むようになってしまいました。だから昨日は、織部さんと一緒にいた根津さんを避け、昼休みにまほさんと何かを話していた織部さんが気になり、帰り道で斑田さんから逃げた・・・」
織部は涙を拭き、そう言う事か、と昨日の不可解な小梅の行動に合点がついた。黒森峰の誰もが小梅の事を嫌っていると思い、小梅は織部が根津や斑田、まほから小梅についての悪い噂を聞かされていると思い込んでしまったのだろう。
実際は、それとは全く逆の話をしていたのだが。
「そして、織部さんが根津さん達と親しくしているのをみて、織部さんもまた、皆さんと一緒に私の事を責めるんじゃないかって思って・・・・・・っ」
目を閉じ、しかしそれでも涙をにじませながら語る小梅の手を、織部は優しく包むように握る。小梅はその手を振り払おうとはせずに、その手を甘んじて受けている。
「・・・・・・初めて織部さんに会った時、何も事情を知らない織部さんは私の事を慰めてくれました。それが、すごく嬉しかったです・・・。だからこそ、新学期初日にあなたと再会できて、本当に嬉しかった・・・」
そして、と言いながら小梅は瞳を開ける。
「あなたとのつながりを、断ちたくはなかった。あなたとは、離れたくなかった・・・だから織部さんには、私の下から離れてほしくないと思って昨日、織部さんと一緒に帰りたいと言いました」
これで、全てが腑に落ちた。
小梅が織部に何かを話そうとしなかったのも、根津や斑田と一緒にいた織部を避けたのも、まほと話をしていた織部の事を見ていたのも、全ては自分の事を慰めてくれた織部まで自分の下から離れてほしくなかったから。自分たちがあの全国大会でのそもそもの敗因と知れば、織部もまた小梅から離れてしまうと思ったから、何も話さなかった。
小梅の心に突き刺さっていたものとは、あの忘れられない全国大会での出来事と、それに伴い自らが糾弾されている事による悲しみ、苦しみ、痛みだったのだ。
今、全てを話しきった小梅の心はぐちゃぐちゃだろう。今も小梅は俯きながら涙を流し、小梅の手は、繋がりを決して切りたくないと言わんばかりに、織部の手に絡みついている。
「・・・・・・・・・・・・」
織部は、自らの手の力によって凹んでしまった缶の中にあるカフェオレを全て飲み切ってから、小梅に話しかける。
「・・・・・・話してくれて、ありがとう」
話を聞く前の敬語ではない。素の口調で話す。
それはつまり、相手とは対等な立場でありたいという心の表れだ。
小梅に言いたいことはたくさんあった。けれど、その前に聞きたいことが1つだけあった。
「・・・・・・でも一つだけ、聞かせてほしい」
「・・・・・・・・・・・・」
小梅が、顔を上げて織部の事を見る。涙に濡れてしまっているが、その瞳は織部の事をしっかりと見ていた。
その小梅の顔を見て、織部は問いかける。
「赤星さんは・・・そこまでの仕打ちを受けて、周りから人がいなくなっているにもかかわらず、どうしてまだ黒森峰に残っているの?」
他のⅢ号戦車の乗員も、そしてみほも、転校という形で黒森峰を去り現状からの打破に成功した。
しかし、同じ仕打ちを受けているにもかかわらず小梅は今なお黒森峰に残り、戦車道を続けている。
先の織部の質問は、小梅の両親からも聞かれたことだった。
小梅が自分を取り巻く環境を親に相談したところ、両親は『そこまで辛いのなら辞めてもいい。逃げてもいいんだよ』と言ってくれた。
だが小梅は、決して逃げようとは、戦車道を辞めようとはしなかった。
その理由は、例え黒森峰で孤独になっても、どんなひどい仕打ちを受けても、揺るぎはしない信念があるからだ。
「・・・・・・それは」
小梅は、織部の手を握ってはいない、反対の手に力を籠める。たとえカフェオレの缶を握っていても、その間を握りつぶす勢いで力を籠める。
そして、織部の顔を見て告げる。
「私が黒森峰から、戦車道から逃げてしまえば、みほさんのあの時の行動は全て無駄になってしまいます。勝利ではなく、仲間を助ける事を優先したみほさんの行動が、間違っていたと否定してしまうから」
力強く語る小梅の顔から、織部は決して目を逸らさない。
「だから私は、みほさんの行動が・・・・・・“みほさんの戦車道”が間違っていなかったと証明するために、今も戦車道を続けているんです」
その言葉を聞いた瞬間、織部が微笑んだ。
突然、悲しみや怒りから一転して笑みを浮かべた事に対して小梅は驚く。
「・・・・・・強い信念を、赤星さんは持っているんだね」
織部が言うと、小梅はまた申し訳なさそうにうつむいてしまう。
「・・・でも、私はみほさんの事を助けられなかった・・・」
みほが矢面に立たされている中で、小梅は何もすることができなかった。みほを庇う事も、助けることもできなかった。
「・・・・・・私もまたみほさんの側につけば、同じように責められると思ったから・・・。でも、結局はみほさんがいなくなった後私も責められた・・・」
まるでみほを助けなかった事の罰だと言わんばかりに、小梅もまた黒森峰から責められることとなった。
「・・・・・・いや、その気持ちは分かる」
「え・・・・・・?」
織部が、小梅の手を優しく握る。
「・・・誰だって、そうだ。自分に火の粉が降りかかるのを恐れて、逃げようとする・・・。それは別に恥ずべき事じゃない」
「・・・・・・・・・・・・」
「ひどい仕打ちを受けていれば、自然と心も荒んでいって、人を疑うようになるのも分かる」
「・・・・・・・・・・・・」
「孤独になれば、誰でもいい、自分じゃない誰かを自分の支えにしたいと思うようにもなる」
織部のその言葉には、なぜか重みを感じられる。まるで、自らもまた経験したかのような。
「・・・赤星さんの行動は、全部間違ってるとは思わない。赤星さんは人として、自分を保っていられるような手段を取ったに過ぎないよ」
「・・・・・・・・・・・・」
「『あなたが黒森峰に来なければよかった』なんて間違ってる。そんなの、絶対違う」
それと、と織部は付け加えた上で小梅に問う。
「みほさんには、お礼は言ったんでしょ?」
「それは、もちろんですっ!」
つい声を荒げてしまったが、それだけは断言できる。
あの試合の後、落ち込むみほに小梅を含むⅢ号戦車の乗員全員でお礼を言った。そして、自分たちのせいで勝利を逃してしまった事に対する謝罪もした。
それを受けてみほは、泣きそうになりながらも笑顔を浮かべて、こう言ってくれた。
『みんなが無事で・・・よかった・・・!』
織部は小梅の返事を聞いてにこりと笑う。
「・・・・・・多分みほさんは、赤星さんからお礼を言われただけで十分だったと思うよ。助けた人から感謝されれば、それだけでみほさんの行いは間違っていなかったって、伝わったんじゃないかな」
織部が微笑み、小梅は何かに気付いたような表情になる。
「それに赤星さんは・・・黒森峰の誰からも嫌われてるって言ってたけど、それは間違ってる」
「え・・・・・・?」
根津と斑田には申し訳ないが、あの2人と話したことは今なお自らは孤独だと思っている小梅には知らせておくべきことだった。
「・・・昨日、根津さんと斑田さんと話した時、2人とも赤星さんの事が心配だって言ってたんだよ」
「・・・・・・!」
「赤星さんが何かに怯えている、何かを避けているみたいで心配だって言っていた。本当に嫌っているのならそんなことは言わないし、心配したりもしない。ましてや、新参者の僕なんかにそれを言いもしない。西住まほさんだって、昨日は僕に黒森峰に来た理由を聞いてきただけだ」
パキン、と音を立てて織部の手の中の缶が元の形状に戻る。
「少なくとも根津さんと斑田さんは、赤星さんのことを嫌ってはいない」
それに、と付け加えて織部は言う。
小梅の事を安心させるために、小梅の心を支配する悲しみや痛みを少しでも和らげるために、告げる。
「・・・・・・小梅さん」
小梅の事を名前で呼ぶ。
それは小梅と対等な立場でありたいという願いの表れと、小梅が今なお織部が自分の事をどう思っているのかを恐れているであろうことから、小梅の不安や恐怖を解きほぐすためのサインだ。
小梅はそのサインに―――自分の事を名前で呼んでくれたことに気付く。
「僕は・・・初めて小梅さんに会った時、どうして泣いているのかが気になった。昨日一昨日と避けられるような態度を取っていたのが、気になって仕方なかった」
「・・・・・・」
「それで今、泣いていた理由、僕たちの事を避けていた理由を聞いて、それでも小梅さんの中に強い信念があるのを知って・・・・・・小梅さんの事を嫌いになんてならないよ」
「!!」
その言葉を聞いて、小梅の目が見開かれる。
「・・・・・・みほさんの戦車道が間違っていなかったことを証明する、っていう強い信念を持っていて、自分が辛い環境にあるにもかかわらず今を耐え抜いている・・・。誰にでもできるような事じゃない、凄い事だよ」
小梅の視界が歪む。
「そんな人を嫌いになんて、なれるはずがない。責める事なんてできない」
だから、と言って織部は、笑う。小梅を安心させるために。
「僕は小梅さんから離れたりはしない。傍にいるよ」
小梅の視界が完全に涙で歪み、思わず俯いてしまう。
言った後で、織部は気付いた。
これではまるで愛の告白ではないか。プロポーズとも取れてしまう言葉ではないか。
軽はずみな事を言ってしまったと思い、織部は謝ろうとするが。
その前に小梅が織部に抱き付いてきた。
「・・・・・・」
織部はどうしたことかと思ったが、小梅は織部の胸の中で泣いている。
小梅の言う通りだとすれば、小梅は(自身がそう思い込んでいたというのもあるが)周りから責められ遠ざけられて、孤独に近かった。
そんな中で織部に、小梅の行いが、誰にも告げた事の無い信念が認められた。
理解者とも言える人ができた事で小梅は安心や幸福感に似た感覚を得て、小梅はその嬉しさが抑えきれなくなり、織部に抱き付いたのだ。
抱き付かれた織部も突然のことに動揺したが、無下に突っぱねる事はしない。今なお胸の中で泣いている小梅を慰めるために、織部は優しく小梅の背中を撫でる。
小梅は、織部に背中を優しく撫でられて、涙をこらえる事ができなくなった。
最初に会った時も小梅は背中を撫でられたが、あの時は小梅の泣きそうになった感情を抑えるため、落ち着かせるためだった。けれど今は、小梅の感情を抑えようとはせず、今だけ、ずっと堪えていた感情を解放させるために、後押しする形で小梅の背中を撫でている。
少しの間、小梅は織部の胸の中で泣き続けたが、やがて顔を離す。まだ涙で瞳が潤んでいるが、それでも織部の顔を見て笑う。
「・・・・・・春貴さん、ありがとうございます」
小梅もまた、織部の事を名前で呼ぶ。それもやはり、織部の事を信頼し、対等な立場でありたいからだろう。
「私の本音を聞いてくれて・・・みっともないところを見せてしまいましたけど・・・」
「いや、これで安心したよ」
織部は首を横に振り、微笑みながら告げる。
「ずっと気になっていたから・・・小梅さんは何について思い悩んでいるんだろう、何が小梅さんをあんな不安な表情にさせているんだろうって。それが知れてよかった」
心底安心したように織部が言うと、立ち上がって自分と小梅の空になった空き缶をゴミ箱に捨てる。
再び小梅の横に腰かける織部。
小梅はハンカチで瞳に浮かんだ涙を拭う。
それを見て織部は、小さく息を吐く。
「・・・・・・小梅さんが話したんだから、僕も話さないと不公平ってもんだよね」
「?」
「・・・・・・どうして僕が、黒森峰にこれたのか。どうして僕が日本戦車道連盟とつながりを持っているのか」
そう言えば、と小梅は思った。
初日にあのドイツ料理店で聞いた時織部ははぐらかし、途中で聞くのを止めてしまったが、それは確かに気になるところではある。
昨年の全国大会の様子を織部が見ていたのもそうだし、織部の家族には戦車乗りがいるわけでもなく、関係者がいるわけでもない。
そんな織部が、どうして戦車道連盟で働きたいと思うようになったのか。
そしてなぜ、そんな織部が日本戦車道連盟とつながりを持っているのか。
だが、当の織部の表情は陰ってしまっている。
「わ、私の事は良いですから、無理に話さなくても・・・」
「・・・・・・僕自身、この話しをするのは少しつらい。でも、小梅さんも僕と同じように話すのが辛いことを、勇気をもって話してくれたんだ。だから、僕も話したい」
それに、と織部は言葉を切って小梅の事を改めて見つめる。
「小梅さんには、全部知っていてもらいたいから」
そう言われてしまうと、小梅も反論できなくなってしまう。
織部は正直な話、自分が戦車道の世界に触れたそもそもの理由を自分から話すのは嫌だった。あの時の思い出は今なお織部の心に突き刺さっており、簡単には消せないものだった。
だからこそ、織部はそれから目を背けて今まで生きてきたが、その思い出がきっかけで戦車道の世界に触れて、戦車道に携わる仕事に就く事を決意した。
故に、その思い出と織部は切り離す事の出来ないものとなっている。
しかし、その思い出は人に気軽に話せるほど明るいものではなかったので、これまでは話してはこなかった。
けれど、今小梅の本音を聞き、小梅が強い信念を持っていることは分かった。そして自分と同じような環境にいた事も、また知ることができた。
織部は小梅の事を、十分信用していた。
だから、自分の過去を話すことができる。
「・・・・・・そうだね・・・どこから話そうか・・・・・・」
ふぅ、と息を吐いて空を見上げて、やがて織部は顔を小梅に向ける。
そこで小梅は、織部が悲しそうな笑みを浮かべているのをみた。
「・・・・・・中学の頃なんだけどね・・・」
そして、織部はこれまで話してこなかった自分の過去の扉を開く。
「僕は・・・・・・いじめられてたんだよ」
アネモネ
科・属名:キンポウゲ科イチリンソウ属
学名:Anemone coronaria
和名:牡丹一華
別名:
原産地:地中海沿岸
花言葉:見放された、見捨てられた、はかない恋、恋の苦しみ