磯風さんのカレーは次回掘り下げます。
「お前が、兵器……」
「うん」
つとめてにこやかに時雨は笑顔を繕っていたが、そこにある隔たりは覆いきれない。提督にしても、目の前の少女が深海棲艦と戦っていけるとは、にわかに信じ難かった。
彼は知っている。海保の船が一撃で航行不能となり、海自はおろか米軍までをも、この海から駆逐した脅威を。
そして、この島国に広がりかけた惨禍を。
互い言葉を継げずに黙りこくっていると、突然、入り口の扉をどんどんと叩く音がした。
「失礼」
ばん、と、あっという間に扉を開けて入って来たのは、艶やかな長い黒髪と、茜色の瞳をした娘だった。
すこし得意げな表情が印象的な彼女もまた、時雨とは違う型なれど、制服を着ている。
「第五司令室、第十七駆逐隊所属の磯風だ。以後よしなに頼む」
両手で取っ手を持ち、鍋を抱える彼女は、返事をよこさない雷蔵と時雨を訝しんだ。
「どうした。この磯風、差し入れを持って来たのだが。……取り込み中だったか?」
「あ、ああ」
「ありがとう。差し入れって、その鍋?」
向き直った時雨が鍋を覗くと、『うむ』と磯風は頷いた。
「今日は私が当番でな。カレーとやらを作ってきた」
「そうなんだ。それを、何で僕たちのところに?」
「金がなくて食うにも困る有様だろうと、司令が言ってきてな。なに、私も相席する。遠慮はいらぬ」
西陽が差し込む部屋の中、磯風は適当なダンボール箱の上に鍋を置いた。
雷蔵も立ち上がって、三人で鍋を囲む。見下ろした鍋の中には、磯風の言う通りカレーが入っていた。
「こりゃありがたい。第五司令室の司令はなんて言うんだ?」
「松谷元治、司令室長、だ」
「あー、あのおっさんが」
名前を聞いて合点がいったようで、提督は少し目線を上げて思い出にふけっている。
「提督の知り合い?」
「ああ。こんなとこで司令やってるとは思わなかった」
雷蔵と時雨が会話しているはたで、磯風は部屋中を見渡していた。
「家具がないのだな。第五司令室から失敬してくる」
***
三人で囲めるくらいの卓袱台と、周りに敷いた座布団三枚。深めの皿に時雨がカレーをよそい、水やスプーンとともに配膳する。
「すまないが米は炊き忘れてしまった。少々不格好だが、こういう汁だと思ってくれ」
「そりゃいいけど……。第五司令室じゃ、こんな早い時間に夕食なのか?」
「いや、今日はこのあと出撃なんだ」
磯風の言葉に、時雨の顔が少し曇る。まださっきの『兵器』ってのを思い悩んでいるのか。どこの世界に、カレーを作って自前で食う兵器があるってんだ。
雷蔵はその旨を伝えたかったが、うまく言葉にできなかった。
それでも伝えたい。不器用でもいいから、なんとかして、教えてあげたい。
「……カレー……オマエ……ジンルイ」
「え。……え?」
必然、時雨の思考は一瞬停止する。
「なんだ? 第九では、カレーを食う前にその呪文を唱えねばならぬのか?」
磯風が間に受ける。それも大いに間違った方向で。イカン、その認識は危険だ。第九司令分室が今後あられもない渾名で称されることになる。
実践しようとする磯風、慌てて止めようとする提督。その様を、時雨はため息まじりに見守る。
***
「おお、うめー、うめー」
「ほんとだね。塩味がなくて、汁物みたい」
「だろう? 今回は司令にもお墨付きをもらっている。ところで」
磯風がふと、食事の手を止めた。
「曙と夕立はいないのか?」
「……うん」
時雨もまた沈痛な面持ちで、その手を止めた。
あけぼの。ゆうだち。磯風の口ぶりからして、その二人も『艦娘』なのだろうか。
提督を蚊帳の外にしたまま、磯風と時雨は話し続ける。
「そうか。いつかまた、共に海へ往きたいものだな」
「そうだね。二人にも伝えておくよ」
会話はそれきり終わりそうだった。短いやり取りながら、彼女たちが、何かやんごとなき事情を共有していることは察しがつく。提督として、それは知っておく必要があるのでは?
雷蔵は思わず、口を挟んだ。
「その二人がどうかしたのか?」
磯風は一瞬口を開きかけた。
が、しばし口を噤《つぐ》んで黙考し、それから徐《おもむ》ろに話し始めた。
「私の口からでは色々と差し障る。司令が話すと言っていたから、その時まで待ってくれ」
「そうか。わかった」
『提督』と『艦娘』の立ち位置がまだよくわかっていない今、無闇な詮索は避け、まず信頼関係の構築から始めるべきなのかもしれない。その思いが、提督の物分かりをよくさせた。