レシピ通り作るための監督(浜風、浦風)が必要なだけです。
磯風がまた黙々とカレーを口に運び始めた一方、時雨は手を止めたままだった。雷蔵は早速、配慮を見せる。
「気になることがあるのか?」
「うん、大したことじゃないんだけど」
時雨はじっと、皿に注がれたカレーを見つめている。本人の言葉を裏付けるように、表情は普段通りだった。
「このカレー、なんというか、一口で胸がいっぱいになるような……」
「胸? 腹じゃなくて?」
提督は聞き返してしまったものの、その表現は的を得ているように感じた。
そう、確かに、このカレーは胃のあたりが重くなってくる気がする……。
何かに気づいたらしい時雨が、磯風に顔を向けた。
「磯風、このカレー、何か特別な作り方とかしてない?」
「心当たりはないが。強いて言えば」
続いて彼女の口から飛び出したカレーのレシピに、場の空気は凍りついた。
「味を引き延ばすのに、水ではもったいないだろ? だからサラダ油を入れたんだ」
「うわ」
それくらいだな、と呟いてまたカレーを食べ始めた磯風に、当然、時雨から追及が入る。
「油の方が、たぶん高いよね」
「違う、違うぞ。私が言っているのはカロリーの話だ」
カロリー?
事態が飲み込めてなさそうな二人のため、磯風は解説を開始し、時雨が聞き手に回る。
「腹が減っては軍《いくさ》は出来ぬ」
「それで?」
「だが水では腹が膨れない」
「うん」
「そして食える液体のうち、油が最も、対重量比のカロリーが優れている」
「そうだね」
「故、水を油に代えれば、最高の戦果を上げられるということだ」
「……そう、かな」
磯風なりの論理に基づき、カレーは油分がその液性を担うという、前代未聞の代物だった。
真実が明らかとなり、時雨はやんわりと、提督に忠言する。
「僕は平気だけど、提督はちょっと、食べない方が良いかも……」
「大丈夫、大丈夫。美味いメシは体に良いんだ」
「油無くして艦は動かん。況んや人をや」
躊躇なく油カレーを浚《さら》えてく二人を前に、一抹の不安を感じつつ、時雨もそれに倣った。
雷蔵が皿を空にする。すると奇跡的なタイミングで、彼の腹の方からぐるぐると音がしだした。
彼は額に脂汗かきながら、よろよろと中腰で立ち上がる。
「アッごめんちょっとトイレ行ってくる」
「奇遇だな。第五司令室《われわれ》の司令も、ちょうど厠にこもっている。これから出撃だと言うのに」
磯風さんの料理は美味しい。美味しいがそれはおそらく、艦娘仕様なのだろう。提督は震える足取りでトイレに向かいながら、そう、思った。
「さて、あらかた夕食は済んだな。私はこれで失礼する」
磯風が食器を重ねて、空の鍋に入れる。それを抱えて、彼女は開きっぱなしの扉から部屋を後にしようとした。
「待って」
今にも敷居を跨ぎそうな磯風を、時雨が呼び止める。
『なんだ』、と半身、磯風は振り向いた。
「磯風は、何の為に戦うの?」
「私か? そうだな」
彼女は抱えた鍋を一瞥すると、すぐに顔を上げた。
「実艦の名に恥じぬよう、この国を護り抜くだけだ。私はな」
「……立派だね」
呟くように、時雨は床へ言葉を投げかける。
視線を外してしまった時雨に向け、磯風はいつもの少し得意げな微笑をしてみせた。
「艤装を今、背負えずとも。守れるものはあるさ。時雨」
言い終わると、今度こそ磯風は敷居を越えて廊下に出た。
そこでまた、先ほどと同じように、半身振り返って別れを告げる。
「では、また来る。そちらの司令にも、よろしく言っておいてくれ」
閉まりかけた扉の向こうから、彼女は少し顔を出して、時雨と目を合わせた。
「大丈夫。私が護ってあげる」
静かに、扉が閉まった。