菊花賞。
距離3000mというこの過酷な距離のレース、その歴史は古く、前は京都農林省賞典四歳呼馬と呼ばれていたレースである。
クラシック三冠競走の最終戦として行われ、皐月賞は「最も速いウマ娘が勝つ」、東京優駿 (日本ダービー)は「最も運のあるウマ娘が勝つ」と呼ばれるのに対し、本競走はスピードとスタミナを兼ね備え、2度の坂越えと3000mの長丁場を克服することが求められることから「最も強いウマ娘が勝つ」と称されている。
つまりは、この菊花賞を制した者こそが、現世代で最強のウマ娘を名乗ることが許されるのだ。
そして、その優勝筆頭と呼ばれているウマ娘が三人、他の国にて三冠をひっさげ凱旋という形で集結することとなった。
「ゼンノロブロイさん! 今回のレースではどのような走りを……」
「特には。やれる事を全て出し切るだけですね」
特に注目されているのが、ここ最近で本格化してきたゼンノロブロイことゼンちゃんだろう。
アイルランド三冠、最後のアイリッシュセントレジャーでは圧倒的な力で地元のウマ娘達をねじ伏せ、強さを見せつけたウマ娘。
ディープインパクトと同じチーム、チームミルファクに所属しており、その実力は日を追うごとに更に大きく成長を遂げていた。
「悪いけれど、今、うちのゼンノロブロイは菊花賞の前で少しナーバスになってるの。あまり長時間の取材は遠慮して貰えるかしら?」
「あ……、す、すいません」
「ニホンピロウイナーさん、ですがこんな大レースの前でそれは……」
「何か?」
「い、いえ……」
そう言いながら、しつこく食い下がろうとする記者を一言だけで黙らせるニホンピロウイナーさん。
1600m以下のレースで敵はなしと言われているほどの強さを誇り、「マイルの皇帝」の異名を持つ彼女は現在、サクラバクシンオー先輩、タイキシャトル先輩、そして、新星のロードカナロアと現在、短距離の覇権を巡り争いを繰り広げている強者である。
「まあまあ、記者さんも仕事だからさぁ。そうカリカリしなさんなよピロちゃん」
「……その呼び方はやめなさいって言ったでしょう、トロット」
「まあ、ウイナー先輩の言葉にも一理ありますがね」
そう言いながら現れたのは、「雷帝」の異名を持つ短距離のスペシャリスト、跳ねた金髪の髪の毛が特徴的なトロットサンダー。
そして、その背後からは漆黒の髪に異様な威圧感を放つウマ娘、クロフネが現れた。
会場はいきなりのメンバーの出現におぉ、とどよめくように驚きの声を上げる。
「……もういいですか? 私、読みたい本があるので」
「あ、ちょっ……! まだ聞きたい事が⁉︎」
「やれやれ……」
スタスタと立ち去っていくゼンノロブロイに呆然とする記者達。
そんな彼らを遠目に眺めていた私は思った。
うん、その気持ちはわかる。
でもね、ゼンちゃんはきっと悪気は無いんだよ、本当に本が読みたいだけだと思う。
ゴルシから絡まれていて、ゼンちゃんに助けを求めてスルーされてきた私が言うんだから間違いない。
何度、見捨てられてきた事か、その度にその後図書室で何事もなかったようにコーヒーを飲みながら読書に浸るゼンちゃんを目撃してなんとも言えない気持ちになったよ、私は。
「ゼンちゃんは相変わらずだなぁ」
「あ! アフトクラトラスさん! レースの意気込みを……」
「あ、うち、そういうのやってないんで」
まあ、かくいう私もこんな感じですからね。
ほら見てください記者さん達の顔が引きつってますよ!
うん、流石にゼンちゃんに断られた上に私にあしらわれたんじゃなんだか可哀想ですね。
「はいはい、そんなに顔引きつらせないでくださいよ、冗談です。答えてあげますからちょっとだけですけど」
「ちょっとだけ!?」
「あ、相変わらず厳しいですよぉアフトクラトラスさん」
そう言いながら、苦笑いを浮かべる記者の言葉に周りからは笑いが起きる。
はい、この人達は比較的にまともな記事を書いてくれる人達なので多少なりはインタビューに乗ってあげています。
あ、ロクでもない記事しか書かない人や失礼な記者は会社ごと出禁にしていますので悪しからず。
そんな人達が私の名前を一言でも載せようものならね、もう、やるところまでやるくらいあるので。
「では、質問どうぞ」
「それでは、アフトクラトラスさん。レースへの意気込みを聞かせてもらえますか?」
「意気込みですか……うーん」
「はい!」
そう言いながら私に迫る記者団。
うーん、意気込みも何も特にはないんですけどね、そうだなぁ、強いて言えば。
「1着は取るんで、ウイニングライブは誰か他の人にやってもらいたいですかね」
「おぉ!」
「まさかの勝利宣言ですか!」
「いえ、単に歌って踊るのがめんどくさいだけで……」
そう言い切ろうとした途端、背中に悪寒が走った。
身体が言っている、背後は見てはいけないと。
多分、今、私の背後には恐ろしい何かがいますね、長年の経験からわかるんだなこれが。
ろくな経験値積んで無いですね、はい。
その日 アッフは思い出した。ルドルフ会長の怒髪天に触れたらどうなるかの恐怖を……。
「ア〜フ〜ト〜ク〜ラ〜ト〜ラ〜スゥ〜」
「はい! という訳でね! 記者会見は終了です! 私は自分の人生が終了するかもしれませんのですぐに立ち去りますね!」
「あっ……! アフトクラトラスさぁん!?」
ダッシュでビュンとその場から逃走を謀る私に背後から猛追してくるルドルフ会長。
ぴぃ! 怖いっぴ!
ウイニングライブをサボるなんて堂々とマスコミの人達の前で明言すれば、そりゃ怒られますわ。
その後、抵抗虚しく捕まった私はルドルフ会長からお説教を受けたのは言うまでもない。
多分、トレセン学園でルドルフ会長に1番怒られてるのは私じゃないだろうか。
「ネオユニヴァースさん、ライバル二人に対して一言お願いできますでしょうか?」
「ん? あぁ、アフちゃんはあの感じだからねぇ。別にどうって事は無いよ」
「いや、ですけど、雪辱戦にもなる訳ですし……」
「あぁ……。そう言えばそうだったかな?」
そう言いながら、ネオちゃんはルドルフ会長から追われている私を横目で見ながら肩を竦めて記者に答える。
唯一、負けた相手、ネオユニヴァースのキャリアに泥をつけたウマ娘。
それが、欧州の地で海外の名だたるウマ娘達を蹴散らし、再び日本の地に戻ってきた。
だが、ネオユニヴァースとて、それに甘んじていた訳では無い。
フランスという地で死に物狂いでそのウマ娘にリベンジする為に全てを費やしてきた。
ルドルフ会長から逃げる私とネオちゃんの視線が交差する。
そして、その瞬間、私は何故か空気が止まるような感覚を感じた。
それから、瞳を閉じたネオちゃんは記者団にこう語り始める。
「……アイルランド三冠のゼンノロブロイ、欧州三冠のアフトクラトラス。同期であるこの二人とは菊花賞で白黒はっきりさせます。後は菊花賞で実際に私達のレースを観て貰えばわかるでしょう。以上です、アデュー」
「あっ……!」
そう言いながら、踵を返し記者団の前から立ち去っていくネオちゃん。
私を含め三者三様にそれぞれの思いを抱きながら、来るべき決戦、菊花賞に向けて静かな闘志を燃やしていた。
同期だからこそ、負けられない戦いがそこにはある。
私とて、その気持ちに嘘偽りは無い。
ルドルフ会長から怒られた後、夜、私は一人で静かにトレセン学園の屋上で夜空を見上げていた。
「……菊花賞……か……」
およそ、一年前、姉弟子がライスシャワー先輩に阻まれなし得なかった最終レース。
あの日の事は鮮明に覚えている。
姉弟子なら、きっと三冠を取るだろうと信じていた。だが、それを積み重ねてきた努力で覆したライスシャワー先輩。
あの二人が激突した日本での最後のレース。
「……妹弟子、こんなところに居たのですか」
夜空を一人で見上げていた私の背後から聞こえて来る聴き慣れた声。
私は振り返り、その声の主の顔を真っ直ぐに見つめる。
そこには、いつも背中を見ていた見慣れたウマ娘の姿があった。
「……姉弟子」
「こんなところで黄昏てるなんてらしくないですね」
そう言いながら、姉弟子はそっと私の隣に腰を下ろしながら微笑みかけて来る。
記者会見では、おちゃらけていたように振る舞っていたものの、やはり、この人はどうやら私の事はお見通しみたいだったようですね。
それはそうか、身内ですしね。
「……ちょっと考え事してましてね」
「そうですか、まぁ、どんな事を考えていたのかは大体想像がつきますが」
そう言いながら、私の隣に座った姉弟子もまた夜空を見上げる。
暫しの間、私と姉弟子の間に沈黙が流れる。
別に言葉を交わさなくても、なんとなく、姉弟子が私に伝えたい事は理解できていた。
いつも共に凄まじいトレーニングを積んできたからこそわかるものがあります。
「……気負い過ぎないように」
「…………」
「貴女は貴女らしく走ればいい、ただそれだけです」
姉弟子は私にそう告げると優しく頭を抱えるように抱きしめてくる。
少しだけ、私はそれに驚いたが、静かに瞳を閉じるとその言葉にゆっくりと首を小さく傾け頷いて応えた。
次のレースは大きな意味があるレースだ。
だからこそ、プレッシャーはある。1番人気という大きな期待と姉弟子が叶えられなかった日本での三冠を獲るという渇望。
姉弟子が敗れ、ライスシャワー先輩が勝った菊花賞。
私は妹弟子として、そして、ライスシャワー先輩の後輩としてそのレースに応える為に走らなくてはいけない。
夜空に輝く月の下で静かに私は闘志を燃やしながら姉弟子と共に過ごすのでした。