代償
日欧三冠制覇。
この偉業はその日のうちに日本中、いや、世界中にすぐに広まった。
アフトクラトラスという名のウマ娘がどれだけ凄いウマ娘であるのか、その達成難易度から見ても異次元の強さである事は誰もがわかる。
姉弟子であるミホノブルボン、そして、現最強と言われていたシンボリルドルフをも越えたウマ娘。
その強さに皆は圧倒されるしかなかった。
その代償からは目を逸らしたままで。
「……アフトクラトラスさん」
「はい」
ここは、ウマ娘が通う専門の病院である。
医者は神妙な面持ちで私を見つめてくる。その顔を見て私は何かを察したように目を瞑る。
三冠制覇を成し遂げた私は数日後、この病院に運ばれてくる事になった。
理由はレース終了後のウイニングライブでの出来事である。
「あー、今回もまたルドルフ先輩から怒られますかねぇ」
「まぁたあんなふざけたライブしてたんじゃ、そりゃ怒られるわ! 馬鹿かよお前!」
そんな軽口を叩きながら、ライブが終わりゲラゲラ笑いながら出迎えてくれたゴルシちゃん。
私はゴルシちゃんにいつも通りに笑顔を向けながら、水分補給として飲んでいた飲料水を手渡そうとしていました。
「ほら、外で皆お前のこと待ってるぞ、アフ、ダブル三冠ウマ娘を一眼見たいってな!」
「…………えぇ」
「おい、随分と歯切れ悪そうな返事……」
そして、次の瞬間、私の手から手渡そうとした飲料水がするりと抜け落ちて、その場でバタンッと意識を失うように倒れました。
それを見た途端、ゴルシちゃんは顔を真っ青にしながら目を見開きます。
身体に力が入らない、というよりも激痛が身体に走りました。
「……おい、おい! アフ! おい! 誰かッ! 誰か呼んで来てくれ! アフがッ!」
「どうした!?」
「わかんねぇ! わかんねぇよ! 急に倒れてっ!」
「何!?」
そこからは良く覚えていない。
気がついたら病院のベッドの上で目を覚ましました。そして、それを私はただの疲労だと思いこんでいたんですけどね。
そういう風に思い込もうと思っていたんですが、私の目の前の医者の人はなんだか、神妙な顔してるし。そんな顔されたらなんかあると普通は思うじゃないですか。
「心臓、脚部にかなり負荷が掛かってます。結構、身体に無理させていたのではないですか?」
「……えっと」
「……危ういです。しばらく安静にしてください。もしくは最悪引退を視野に入れてね、このままだと命を落としますよ」
医者は真っ直ぐに私を見据えたままそう言い切る。
医者が言うにはもはや身体が悲鳴を上げているという、このままだと、いずれにしろ私の身体は壊れてしまうというのが見解だった。
既にその兆候は見られているらしい。いや、私にもそれに関しては海外にいる時からずっと感じていた事ではあった。
だけど、私はそれに向き合おうとはしてなかった。現実逃避と言われればそうだろう、無理を通した結果がこれだ。
「……何を馬鹿なことを、そんな事……」
「予後不良という言葉を……聞いた事は?」
私がその言葉を発する前に医師は真剣な眼差しで私にそう問いかけてきた。
私はその医師から発せられた言葉に背筋が凍りつくような感覚に襲われる。
聞き覚えがないわけがなかった。私が前世で目の当たりにした光景が正しければつまりはそういう事なんだろう。
「……そのリスクが……」
「高いです、だからこそ貴女には尚更これ以上の無理はしないで欲しいのですよ」
医者の眼は悲しそうな色をしていた。
私に同情しているのかもしれないし、まあ、きっと誰もがそうなって然るべきだろう。
これだけの才能がありながら、いつ爆発するかわからない爆弾を抱えてしまったウマ娘。
告げるのも正直、戸惑ってしまうような事を医師である彼女は言わなくてはいけない。
「……薬は出しておきます。心臓の負担を和らげるものと、脚のケアに使える塗り薬です。しばらくはレースを控えてください」
「………………」
「本来なら、引退して安静にした方が吉なのですがね、貴女の立場上、それも今は難しいでしょう」
医者はそう告げると私を真っ直ぐに見つめてくる。
私はその医師の言葉に静かに俯いたまま、力強く拳を握りしめた。
走りたいのに走れない、こんなもどかしい事があるだろうか。
私の立場を考慮して、敢えて強く忠告してこないところを見ると、このお医者さんも私の事を色々と考えてくれているのだろうけれど。
「一応、身内の方々には私の方から周知はしておきます」
「……はい」
女医さんって色っぽいですよね。
いや、まあ、正直、こんなジョークぐらい言っとかないと気が持ちそうにないんで。
まさか、自分の身体そんな事になってるなんて思いもよらなんだ。
それから、処方箋を貰った私は病院を後にしました。
まあ、私も安静にすることと通院することは約束させられたんですがね、いやはや、無理をしすぎちゃいましたかね、ちょっと。
「アフっ!」
「大丈夫なのか、お前……」
そして、病院から出迎えるようにやって来るトレセン学園の皆様方。
大丈夫と、本当なら言ってのけたいところではあるんですがね。
ミホノブルボンの姉弟子は暗い表情を浮かべて、私の側に近寄ると力強く抱きしめてきます。
「ごめんなさい、アフ」
その言葉を聞いた私は静かに瞳を閉じます。
違います、姉弟子が悪いのではない。
この道を選んだのは紛れもなく私です。
無敗の日欧三冠制覇、その過酷さはわかっていながら、私はそれでも自分で選んで挑戦したに過ぎません。
私は抱きしめてくる姉弟子の髪にそっと手を置くと笑みを浮かべたままこう告げます。
「別に走れなくなった訳じゃありません、少し休めば、またきっと走れるようになりますから」
「……妹弟子」
「だから、皆さんもそんな暗い顔をしないでください、まだ、祝勝会もしてないんですからね」
私は精一杯の作り笑いをして皆にそう告げた。
本当は私だって嫌だ、しばらく走れなくなる事は辛いし、身体の負担なんて知るかって思いたい。
だけれど、今は耐え時なんだろう。きっとそのうち私も走れるようになる筈だから、それまではしばらくは羽を休めないといけないのかもしれません。
「アフ、安心しろ! 天皇賞とジャパンCや有馬記念は代わりに私が取ってきてやる!」
「……ブライアンさん」
「アフちゃん私もよ! 次のエリ女は私が必ず勝ってくるから!」
そう言いながら、ブライアン先輩やメジロドーベル先輩は私を励ましてきます。
私の代わりに走って勝ってくる。この言葉は本当に救われたような気持ちになりました。
涙を流しながら、二人の後ろから現れたドゥラちゃんも私にこう告げてきます。
「アフちゃん先輩! 私……! 私もッ! ぐすっ……! 頑張りますからッ!」
「ドゥラちゃん……ありがとう」
私の言葉にドゥラちゃんは左右に首を振ります。
私の抱えた爆弾、本来なら入院して安静にしなくてはいけないところをお医者さんが気を遣ってくれて通院にしてくれたんです。
ちゃんと治さないといけませんね。
「アフちゃん」
「……ライス先輩」
「次は私が見せる番だね」
そう言いながら、ライス先輩は私の手をギュッと握ってくれました。
皆が私の思いを背負って走ってくれる。その事が本当に嬉しくて仕方がなかった。
静かに自分の瞳から涙が出てくるのがわかった。
「あ、あれ……? 私、こんなに涙脆くなりましたかね?」
「………………馬鹿」
それから、私は静かに抱き寄せられたミホノブルボン先輩の胸に抱き寄せられ、優しく何度も撫でられました。
それから、その瞳から自然と出てくる涙を流しながら、ミホノブルボン先輩の胸の中で静かに泣きます。
どうして、これからだったのに。
ようやく、世界で一番のウマ娘になったのにこんな目に遭わなくちゃいけないんだろう。
「ぐすっ……。うっ……、うぅ……!!」
私は静かに涙を流しながら、悔しさで胸がいっぱいでした。
まだ、果たさなきゃいけない約束も果たしていないのに、これからもっと頑張って走っていたかったのに。
色んな感情がぐるぐると心の内に回って仕方がありませんでした。
それから数日後。
私はボーっとサイボーグ坂路を登るドゥラちゃんを眺めていました。
姉弟子は再び海外へ、そして、ブライアン先輩やドーベルさんは各自レースの調整へ。
皆さんそれぞれ越えるべき目標がありますものね。
「……はぁ」
私は澄み渡る青空を見上げながら寝転びます。
日欧三冠を取ってから、すっぽりと何か心の中に空洞ができてしまった感覚です。
いや、それだけじゃない。私の身体の事もあって何もできないこの現状が歯痒くて仕方ないのだ。
虚無というのだろうか、頑張りたくても頑張れないこの状況は本当にフラストレーションしか溜まりません。
安静から程遠いトレーニングばかりしてましたからね今まで。
なるほどな、医者が引退しろと勧告したのはこの為でしたか。
絶対的な強さを持ったウマ娘として、このまま一線を退いた方が私のため。
そういう事だったかもしれませんね。
「辛いなぁ……」
私は静かに一人で呟きながら深いため息を吐きます。
ドゥラちゃんが頑張ると言っていましたが、多分、それは再来年の事になるでしょうからね。なんにしてもまだ、彼女はこれから鍛えていく発展途上ですし。
それに、今年の朝日杯は誰が走るのかはもうわかっていますしね。
「随分と、余裕そうですね先輩」
「んあ?」
「日欧と三冠を取ったからという余裕ですか?」
私は煽るようにいきなり声をかけてきたウマ娘にゆっくり顔を向ける。
そこには綺麗な鹿毛の長い髪を靡かせるウマ娘が立っていました。
彼女の名は言わずともわかります。私と同じく小柄でそして、巷では英雄だと言われているウマ娘。
そう、ディープインパクトです。
「まさか? 私との約束、忘れた訳じゃないですよね?」
「……はぁ」
「なんですか、そのため息は」
そう言いながら、ディープちゃんは私の反応にムッとした表情を浮かべる。
いや、そもそももう走る事を止められているのに練習とかレースとか近々で走れる訳ないやろって話。
まあ、後、それにもう一つ。
「……G1のレースは取ったんですか? 貴女」
「……ッ!」
「私に挑戦するならば、それ相応の戦果を残してから出直してきなさい。青二才」
そう、まだ朝日杯も取って無いようなディープちゃんには私は微塵も興味がない。
おそらくはこんな風に煽らなくても彼女なら普通に勝ってしまうでしょうけどね。
ルドルフ会長の前で大口を叩いていたけれど、あくまでも次世代の中では最大の才能を持った天才という認識でしかない。
まあ、今年行ったマラソン大会での記録なんかを見たら、普通のウマ娘なんて足元にも及ばない程の恐ろしい記録を叩き出してるんですがね。
「言われなくても、そのうち突きつけてあげますよッ!」
「楽しみにしてるよ、せいぜい足元をしっかりみとかないと掬われちゃいますからね?」
今はまだ、花開いていないディープインパクト。
だが、私はそれでも気づいている。以前よりも凄く力強くなった身体つきを。
相当なトレーニングをタケさんと積んでいるんだろう。あれでは、ディープちゃんと同期のウマ娘達が可哀想だな。
私は立ち去っていくディープちゃんの逞しくなった後ろ姿を見ながら改めてそう思った。
来年にはどうなっているかわからないだろう。
「来年……ね……」
年が明けたとして、来年、私はどうしたらいいんだろう?
果たして走れないままの現状を受け入れるしかないのだろうか。
もういっそのこと引退して動画配信者にでもなるかな?
いや、わかってる。本当はそんな事なんて望んでいないんだ。
私はターフで走りたいし、もっと強いウマ娘と戦いたい。きっと、海の向こうではもっと私より強いウマ娘がいる事は知っている。
日本でさえ、ブライアン先輩やルドルフ先輩をまだ負かしてさえいない。
ディープちゃんにあんな風に言った癖に自分だって日本一かどうかなんてまだわかんない状態だ。
「アフちゃん先輩〜! ちゃんと見てます〜?」
「あ、う、うん見てるよ!」
「じゃあ、アドバイスくださいよぉ〜」
「ごめんごめん! うーんとね、まず走り方なんだけど……」
無理をして走れない状態になるよりは今からしっかり治しておけば大丈夫な筈だ。
また、来年になって、その時に考えたらいいだろう。
それまでは、今、自分が出来ることを精一杯やってチームの皆に貢献する方がきっと大切だ。
それから、私は日が暗くなるまでドゥラちゃんのトレーニングに付き合ってあげる事にした。