義理母が亡くなってからしばらくして。
私は廃人になったように、目が虚になったままターフに座り込んでいました。
走ることもできず、一緒に駆けてきたトレーナーも今はもう居ない。
その現実が受け止められずに、私の中は空っぽになってしまった。
「………………」
私の目の前には、次のレースに向けて駆けるウマ娘の姿がある。
そこにはトレーナーがいて、幸せそうな顔を浮かべるウマ娘の姿。
その姿に私は義理母の姿を重ねてしまいます。
あれだけ嫌いだった厳しいトレーニング、だけど、そこには確かに愛がありました。
「……アフちゃん?」
「………………」
そう言って、声をかけてきてくれたのはライスシャワー先輩でした。
去年のステイヤー部門では一位になり、今年はマックイーンを倒した事もあって、天皇賞春の連覇をかけて走る予定です。
そんな彼女は、厳しいトレーニングを終えた後に私が心配でこうして様子をいつも見にきてくれます。
「隣、座るね?」
「………………」
目にハイライトが無い私の隣にそう言いながら、ゆっくりと腰を下ろすライス先輩。
私はそれを黙って受け入れます。最早、何かを考えることさえもやめて、思考停止しているようになっていました。
彼女はゆっくりと私の頭を撫でながら、静かな声色で語り始めます。
「アフちゃん、私ね、ようやく皆に認められるようになったんだ」
「………………」
「頑張れって、前とは違って皆が応援してくれるようになったんだよ」
ライス先輩は笑って私の頭を何度も撫でる。
ライス先輩は皆からヒールだとか、悪役だとか散々言われてましたが、私はライス先輩の血の滲むような努力を知っている。
ようやくそれが、皆に伝わるようになってきた事をライス先輩は誇らしげに私に語ってくれた。
その言葉を黙ったまま聞いている私にライス先輩は続けてこう話はじめる。
「アフちゃんは何のために走ってたの?」
「…………私は……」
「私はね、皆の期待に応えたいし、アフちゃんやアンタレスの皆の気持ちを背負って走るつもりだよ」
そう言い切るライス先輩の言葉に私は思わず目を見開く。
義理母は常々言っていた。レースは自分一人だけで走っているわけでは無いと。
皆が見守ってくれていて、それが力になって走る意義に繋がると。
私は今まで、義理母やブルボンの姉弟子の思いと己に課した約束の為に駆けていた。
それを果たした今の私にライス先輩の言葉は心に沁みた。
「……でも私は……」
「わかってる。だから、私がアフちゃんの分まで走る。今はどんなに苦しくったって私は走るのはやめないよ、だから、アフちゃんも一緒に戦って?」
そう言って、そっと手を置いてくるライス先輩。
暖かな手のひらの温もりを感じながら、私の瞳から自然と涙が溢れてきます。
自分の身体の事、義理母の事、いろんなことが重なって、私は今までないくらいにぽっかりと心に穴が空いていました。
それをライス先輩が埋めてくれたようなそんな気がしたのです。
「ブルボンちゃんも海外で待つって言ってくれたもの、私もそれに応えなきゃね」
「BCですか」
「うん、私は勝って今年はそこに行くっ! だってブルボンちゃんと走りたいもの」
力強く頷くライス先輩の声に私は思わず笑みが溢れた。
ブルボン先輩も義理母が亡くなってからは落ち込んで居たが、何かを決めたような顔つきで葬式後にはすぐに海外へとまた飛んでいってしまった。
全てはウマ娘として、義理母に恥じないような生き方をする為にだ。
「ブルボンちゃんは既にコジマトレーナーと共に海を渡ったわ、私も約束を果たさなきゃね」
「ライス先輩……」
「アフちゃん、貴女は貴女の夢を叶える為に走りなさい」
ライス先輩は私の頭を撫でながら言い聞かせるように告げる。
私の夢? 私の夢って何でしたっけ。
世界最強のウマ娘になる事? それとも、誰よりも人気があるウマ娘になる事?
いや、どれも違う、私の夢はずっと前から決まっていた。
遥かな、夢の11Rを目指していたんだ。
私はずっと、姉弟子の遠い背中を追いかけ、ライス先輩のウマ娘としての誇り高い姿にひたすら憧れていた。
「……私は、もっと強くなりたい」
「それは、何故?」
「だって、まだ、私は倒してない強い人達がたくさん居ますから」
私は首を傾げるライス先輩に向かい静かにそう告げた。
そうだ、私には倒さなきゃいけない人達がまだいる、越えなきゃいけない人達がまだ居るんだ。
こんな場所で、クヨクヨ悩んでも仕方ない事は分かっていた事じゃないですか。
「うん、いい顔になった」
「えへへ」
「私も勝つからね天皇賞」
そう言い切るライス先輩、私は彼女の言葉に心が救われた気がしました。
それからというもの、ライス先輩はマトさんと共に厳しいトレーニングに入りました。
毎日のように飛ぶ激にライス先輩は必死に応えるように駆けます。
そして、私もまた、そんな天皇賞に向けて頑張るライス先輩を応援すべく助言をします。
「ライス先輩、残り600mでフォームが崩れたままでしたよ」
「なるほどね、ありがとう」
走り方のチェックや、スタートの切り方など、言い始めたらキリがありませんが、気づいた事はなんでも報告しました。
今の私にできるのはこんな事くらいですからね。
出来ることなら並走などをしてあげたいところなんですけど、それを代わりにしてくれる人達が居ました。
「私がやるよ、並走は任せろ」
「私もよ、ちょうど空いてるしね」
「アフよぉ〜水クセェじゃねぇか、一枚噛ませろよ」
「皆……」
ブライアン先輩やドーベルさん、そして、ゴルシちゃんまで、幅広い人達がライス先輩を応援する為に駆けつけてくれました。
もちろん、アンタレスのメンバー達だってそうです。
トレーナーはオカさんが引き継いで指導していたアンタレス、そのアンタレスの皆はライス先輩の為に全面的に協力してくれたのです。
「学級委員ですから! 任せなさい!」
「トレーニングは合理的にやるのが一番だよ、モルモット君」
「しょうがね、私も協力すんべさ」
「はっ……! 勝負師の腕がなるぜ」
バクシンオー先輩は瞬発力、タキオン先輩は厳しいトレーニングをより合理的にしてくれました。
メイセイオペラ先輩はダート並走を快く引き受けてくださり、ナカヤマフェスタ先輩は勝負の仕掛け方のトレーニングに。
皆が皆、ライスシャワー先輩の為に一つに団結し、背中を後押ししてくれます。
「ライスシャワー! 残り300!」
「はいっ!」
マトさんもこの申し出を快諾してくれて、皆でライスシャワー先輩の天皇賞連覇に向けて一丸となって取り組みました。
皆の思いを背負って走る。
その鬼気迫るライスシャワー先輩のトレーニング姿に私は改めて、その大切さに気づかされた気がします。
「アフちゃん、今のタイムは?」
「良かったです! 1秒短縮しました!」
「やった!」
華やかな笑顔で喜びライスシャワー先輩。
天皇賞春の二連覇。
その偉業は並大抵の努力じゃ成し遂げる事など出来ない。
ライスシャワー先輩はこれまでその積み重ねでG1を獲った努力の人だ。ミホノブルボンの姉弟子を倒したのもそうだが、並々ならぬ努力が実を結んだ結果だろう。
「次! スピード行くぞ! バクシンオー! 並走お願い出来るか?」
「はい! 喜んで!」
そして、今、ライスシャワー先輩に足りないものもこうして補えるトレーニングが皆さんのお陰でできています。
瞬発力にスピード。サイボーグ坂路以外でもこの部分を本番さながらに補っていかないと、天皇賞の長いレースでスタートや勝負所を間違えれば致命傷になりかねませんからね。
そして、天皇賞春に向けて特訓する事数週間。
私は自ら走れないながらも、ライスシャワー先輩にしてあげる事は全てしてあげた。
今まで応援してもらっていた分、私もライスシャワー先輩の力になりたいと心からそう思ったからだ。
迎えた天皇賞春の当日、ライスシャワー先輩は私にこう言った。
「ありがとうアフちゃん、貴女の想い確かに受け取ったわ」
「ライスシャワー先輩……」
「私ね、貴女やブルボンちゃんが羨ましかった」
そう言いながら、レース会場に続く通路の中でライスシャワー先輩は真っ直ぐ私を見つめたままそう告げる。
羨ましかった、その言葉を聞いた私は目を丸くする。
私に羨ましがる要素なんて無いような気がするんですけどね。
「皆から愛されるウマ娘。貴女もブルボンちゃんもそうだったから」
「そんな……ライス先輩だって」
「私は違うわ、ヒールと呼ばれて皆からは後ろ指を刺されてたから」
そう言いながら、ライス先輩は小さな笑みを浮かべる。
勝利を求められるウマ娘とそうでないウマ娘。
観客や第三者はそれまでの努力や過程を知らない、知らないからこそ、好き勝手な言葉を並べて否定する。
だけど、ライス先輩はそれにずっと抗って戦ってきたのだ。
「でもね、私は私。これまでやってきた事をこのレースでぶつけるわ」
「………………」
「だから見ててアフちゃんっ!」
そう言って、覚悟を決めたような顔つきになったライスシャワー先輩はゆっくりとレース場に足を向けて歩き始める。
全く、何を今更、私はずっと見ていましたよライスシャワー先輩の背中を。
私の駆ける理由を作ってくれた人なんだから。
静かに会場に向かうライスシャワー先輩の背中を見届けた私は踵を返して、観客席へと向かい歩いていく。
ライスシャワー先輩が挑む、2度目の天皇賞春。
その熱気は最高潮まで達していた。
「アフ、ライスシャワーはどうだった?」
「えぇ、凄い気合い入ってましたよ」
「私達も協力した甲斐があったというものだな」
そう言いながら、頷くナリタブライアン先輩。
ここにいる皆はライスシャワー先輩の為に、そして、走れない私の思いを背負い走るウマ娘達ばかりだ。
もちろん、チームメイトもそうなのだが、チーム関係なく積極的に関わってくれた人達もいてくれた。
走れない私の思いも皆が背負ってくれている。
長い間、ずっとこれまでも皆は私と一緒に走ってくれていた。
だから、私もライスシャワー先輩が勝つところをちゃんと見届けるんだ。
割れんばかりの拍手が飛び交う中、会場に入ってきたライスシャワー先輩は堂々としていて、私にはその姿がとても眩しく見えて仕方がなかった。
今日の主役、それは紛れもなく彼女だから。