2006年、宝塚記念。
誰もが望んだ、魔王と英雄との激突。
奇跡が生んだ二人による壮絶なデットヒート。
残り直線200m。
その勝負を制したのは……。
春のグランプリ、宝塚記念。
丁度、一年以上前、同じ日に私の思いを背負って走ってくれたウマ娘がいた。
今もなお、眠りにつく彼女の思いを背負って私はこのレースに望む。
「……必ず勝つ」
レース場に続く道を漆黒の皇帝の服を着て私は歩く。
その道の先に何があるかはわからない、だけど、向かうと決めたからには最後まで突き通す。
春の三冠、私はその称号を取る事しか頭に無い。
レース場は割れんばかりの歓声で溢れかえっていた。
それはそうだろう、今回の目玉は何と言っても、三冠対決。
『英雄』と呼ばれたディープインパクト。
『魔王』と呼ばれたアフトクラトラスとの対決。
この対戦カードに燃えない者達などいなかった。
会場はあの菊花賞以来の超満員、この二人の対決を見ようと色んな場所から皆が足を運んだ。
魔王VS英雄。URAはそう銘打ち、世界中のウマ娘達はこのレースに注目していた。
「3枠4番! アフトクラトラス!」
「5枠6番! ディープインパクト!」
レース前、私はディープちゃんと共に並んで写真撮影をすることになった。
無敗の日欧三冠をとった凱旋門賞ウマ娘。
そして、もう一人は奇跡に最も近いウマ娘。
この二人が並んだ姿に皆は歓喜していた。今や日本中の誰もが憧れるウマ娘、それが、私とディープインパクトだからだ。
だが、正直、私はあまり写真に撮られるのは好きではない。
「はぁ……」
「随分と嫌そうですね」
「写真はあまり良い思い出はなくてね」
私は察してくるディープインパクトにそう答える。
思い返せば、ブライアン先輩やヒシアマゾン先輩とグラビアとかの写真も撮ったりしたっけな。
まあ、そんな事は今はどうでもいいんだけど。
それから、写真撮影を終えた私は宝塚記念に臨むべく現在に至るわけである。
準備運動や柔軟はしっかりとしているし、特には問題は無い。
レースの前に薬も飲んできた。後は、走って勝つだけである。
宝塚記念、ゲートの前に立つ前にあの日のことがふと頭の中で過った。
『アフちゃん! 勝ってくるね!』
それは、ライスシャワー先輩の笑顔だ。
あの日、笑っていたあの人は今、ベッドの上で目を瞑ったまま。
それでも、いつか、私は彼女は目を覚ましてくれるって信じている。
だから、この宝塚記念は必ず勝つ、ライスシャワー先輩だけじゃない、私の為にも。
「さぁ、今年もやってきました宝塚記念。栄えある20人のウマ娘による競争が始まります。
今年の注目は何と言ってもこの二人、アフトクラトラスとディープインパクトです。さて、宝塚記念を勝ち、栄光を掴むのは誰か」
会場にいる観客達は今か今かと宝塚記念のゲートが開くのを待つ。
ゲートに入った私は深い深呼吸をし、呼吸を整えるとゆっくりとクラウチングスタートの構えをとり、その時を待つ。
鳴り響くファンファーレ、そして、一気にゲート全体に緊張感が増す。
暫しの沈黙の後、バンッ! という音と共にゲートが一斉に開き、ウマ娘全員がスタートを切る。
ドンッと後脚に力を込めて、私は飛び出した。
「さあ! 始まりました宝塚記念! 先ずは先頭争いですが、やはりバランスオブゲームが先頭を取りに行きます」
このレースにはダイワメジャー、カンパニー、ハットトリック、コスモバルクなどそれなりに名の知れたウマ娘がズラリと揃っている。
だが、私にはそんな事は関係ない、敵はただ一人、ディープインパクトだけだ。
そのディープインパクトは中団、私を完全にマークするように追従している。
「これは珍しい、アフトクラトラス。先行気味ですがやや控えた様子、脚をためる作戦か。その後ろからはピッタリとディープインパクトがつけています」
私はディープインパクトの作戦を把握しながらも、私を差しに来るだろうと踏んでいた。
だからこそ、好位置を取っての控えた先行策にしたのである。
決着はおそらく、最終直線になるだろうと思っていましたからね。
レースは滞りなく進み、それを見ていた観客席にいるアンタレスの皆やルドルフ会長達は静かに見守っていた。
レース開始から、しばらくして。
控えた先行スタートでの好位置をキープしているアフトクラトラスを見ていたナリタブライアンは納得したように声を溢す。
「上手いな、位置取り。あれならディープが仕掛けてきてもすぐに反応できる」
「……そうね、上手いわ」
メジロドーベルもブライアン同様にアフトクラトラスのとった策に感心した。
海外に行った時から積み重ねてきた走り、海外の芝に慣れるのにも時間がかかったが、それでも、結果を残したアフトクラトラス。
その蓄積された経験と勝負勘はおそらく、あの宝塚記念で走っているウマ娘達にはない、それはディープインパクトとて同じだ。
「さあ、1000mを通過、ここからの展開はどうか!」
実況は声を張り上げ、1000m通過を周知する。
ここから一気にレースの展開も早くなってくる。各ウマ娘はラストスパートにかけて、一気に間合いを詰めるからだ。
私はラスト1000mあたりで一気に前の方との間合いを詰めはじめる。
それに釣られるようにして全体も動き始めた。
やれやれ、どうやら皆、私が動き出すのを待っていたのか、やっぱり。
そうして、脚に力を入れようとした途端、私の背中に悪寒が走った。
「…………行かないなら、先に行きますよ」
それは、最終コーナーに入る前だった。
私に並んだかと思いきや耳元で囁き、そのまま一気に仕掛けてきたウマ娘が一人いた。
青いリボンに鹿毛の長く美しい髪、そう、ディープインパクトである。
最終コーナーから仕掛けてくるのは予想外だったな!
私もそれに釣られて、前に行かせないようにディープの横を並走する。
「最終コーナー! 仕掛けたのはディープインパクト! いや! だが、アフトクラトラスも併せて上がってくるっ!」
エンジンが互いにかかり、次々とウマ娘をごぼう抜きしていく私とディープインパクトちゃん。
前から思ってはいたが、すごい脚である。
名前通り、すごい衝撃だ。だが、それだけじゃない。皐月、ダービー、菊花を獲れたのはさらに上があるからだ
最後の直線、ディープインパクトちゃんはその構えをとる。
「今! ディープが翼を広げた! 最後の直線に入りディープインパクト! 翼を広げゴールへ向かうッ!」
それを出してきたという事は私もある程度本気を出さなくちゃいけないだろう。
コーナリングを最小に押さえ、スリップストリームで空気抵抗を無くして、スタミナの消費は極限まで落とした。
存分に見せてやる。これが、義理母とオカさんと共に作り上げた世界を制した走りだ。
「あ、アフトクラトラスッ! あの構えはッ!
地を這う走りだァ! 凱旋門賞を制した地を這う走り! グングンとディープインパクトに迫るッ! まさに天と地の激突だっ!」
グンッと、身体が一気に加速してディープインパクトに並ぶ私。
ディープインパクトちゃん、たしかに強かった。
翼を広げた貴女は今まで戦ってきたウマ娘達よりも秘めたポテンシャルがある。三冠を獲るだけの実力はあったのだろう。
だが、それでも……。
「……私の勝ちだ、ディープインパクト」
「……ッ!?」
それは、残り200mだった。
ディープインパクトと並んだ私はギアを上げ脚に力を入れて加速する。
その加速力はディープインパクトが体験した事のない様な加速の仕方だった。
差しである方のディープインパクトの方が、先行策を取ったアフトクラトラスよりも脚は溜めていた筈だ。
それにも関わらず、ここにきての爆発的なアフトクラトラスの加速。
だが、ディープインパクトとて、これを黙ってやらせるわけにはいかない。
「い……かせるかぁっ!!」
「!?」
私はそのディープインパクトの加速を見て目を見開く。
まさか、更に食らいついてくるとは思いもよらなかった。
両者一歩も引かない展開に実況席のアナウンサーは席を立ち上がり、叫び声をあげる。
「なおもアフトクラトラスに食らいつくディープインパクトォ! 残り100m! どうだッ! 捉えるかッ!」
正直言って、驚いた。以前にも増して強くなっている事に。
だが、それでも、私は冷静に隣に追いついてくるディープインパクトに視線を向ける。
たしかに強い、並大抵のウマ娘では歯が立たない事も頷ける。
三冠を取ったウマ娘なだけはあるだろう。
だが……。
「……残念だったね」
「……なッ!」
私は脚のギアを更に切り替え、力強く地面を蹴り上げる。
急加速した私のそのスピードを目の当たりにしたディープインパクトは顔が蒼白になる。
まだ、速度が上があるのかという絶望感。詰めた距離があっという間に開いていく。
急加速した私との差は一瞬で1身差もついていた。
「……け! 決着ゥ! アフトクラトラスが抜けた! 抜けた! ディープが追いつけないッ! ディープが食らい付けないッ! 今! アフトクラトラスッ先頭でゴールインッ! 何という強さだァァ!!」
私はゴールを一気に駆け抜けて、静かに大きなため息を吐く。
そして、2着でゴールしたディープインパクトちゃんはその場で膝を突くと地面に力強く拳を叩きつけ、悔しさを露わにしていた。
「くそッ! なんで勝てないのッ!!」
全力を出して挑んだ。トレーナーと共に仕上がりもこれ以上なくしてきたのだろう。
だが、届かない、世界の頂には未だ。
その事がディープインパクトの前に立ち塞がった。しかし、なんと言おうがこれが、現実だ。
私はディープインパクトちゃんのそばに近寄ると静かな声色でこう告げる。
「教えてあげましょうか? ディープ」
「……ッ」
「……貴女がまだ弱いからです」
私はバッサリとディープインパクトちゃんに向かい、そう告げた。
覚悟も足りなければ、経験も浅い。
世界も知らないウマ娘に負けてやるほど、私は甘くはない。
世界に渡ってまで、三冠を取り、挑んできたウマ娘達を私は知っている。その同期達ですら、未だ私に敵わないというのに容易く勝てるなんて思わない方が良い。
「出直してきなさい、ディープインパクト」
「……ぐっ……。アフトクラトラスゥ!」
そう言って、私はその場から踵を返して立ち去っていく。
宝塚記念、ライスシャワー先輩の為にもしっかりと勝ちを挙げる事ができて、私はとりあえず胸を撫で下ろします。
少なくとも、仇は取れた筈だ。
私は観客席に向かい一礼し、スタスタとそのまま控室に戻ろうとしたところ、おい、とオカさんに呼び止められます。
私は深いため息を吐くと、こう問いかけます。
「……オカさん、なんですか?」
「グランプリを勝ったんだ。今日くらい観客達にお礼を述べてもバチはあたるまいよ」
私の手を掴むオカさんは真剣な眼差しで私にそう告げてくる。
確かに私は今まで、G1レースを勝ったとしてもウイニングライブをせずに控えていた。
それは身体の事があったからだ。だが、それに関してトレーナーのオカさんからのこの提案。
私は深いため息をついて肩を竦める。
「ライブをしろと?」
「あぁ、普段はしてないのだから、お前を推してくれた方を含めてこれだけお客さんも来とるんだしな」
私はオカさんから言われて会場を見渡す。
確かにこれだけのお客さんがレース場にくる事はそうそう無いだろう。
オカさんからここまで言われたら、断る事なんて出来ませんしね。
まあ、ライブの一回や二回したところで身体を壊すほどヤワな鍛え方なんてしてませんし。
私は仕方ないと言った具合に肩を竦めると、静かにオカさんの言葉に頷いて同意した。
「……オカさんから言われたんじゃ、仕方ないですね。わかりましたよ」
「よし、良い娘だ」
そう言って、私の事を褒めるオカさん。
まあ、私もせっかく宝塚記念に推してくれたファンに応えずにいるのもなんだか後味が悪いですからね。
私はそれから、オカさんから手を離され静かにウイニングライブの準備をしに控え室に戻る事にした。
宝塚記念を走った阪神レース場には、未だに現実を受け止められないディープインパクトが蹲ったまま、静かに涙を流していた。