秋のG1。
私は今年、春シニア三冠、そして、秋のシニア三冠の年間無敗記録を目指しつつ、トレーニングに励んでいた。
流石に宝塚記念を走った後はゆっくり休みましたけどね。
なんやかんやで天皇賞春も走ったので、身体的にもだいぶガタが来ていたみたいですし。
薬と通院はしているが、まあ、だいぶ無茶している気はしています。
この二つをしたからと言って治るものでもありませんからね。
「……ライスシャワー先輩」
私は今日も彼女の見舞いに来ていました。
理由は宝塚記念のトロフィーを渡すためです。あの日、勝てなかった宝塚記念、私が代わりに勝ってきましたからね。
枕元の机の上にトロフィーをそっと置くと、椅子に座り、ライスシャワー先輩に私は話しかけます。
「勝ちましたよ……宝塚記念。私ね、ライスシャワー先輩の笑顔が走る前に浮かんだんです。必ず勝ってくるねって」
私は声を震わせながら、寝ているライスシャワー先輩に告げる。
わかっている。こんな事話しても聞いてるかどうかなんてわかりはしない。
だけど、私はずっと彼女が目を覚ますのを待っていた。いつか、目を覚まして、いつものように走れるようになると。
医者は安楽死を提案してきたが、絶対にそんな事はさせまいと私は抗ってきた。
「私、頑張りましたよね……?」
そう言って寝たきりのライスシャワー先輩に問いかける私。
当然、返答は返って来ない、それが、当たり前だった。いつも私が一方的にライスシャワー先輩に語りかけているだけだから。
寝ているライスシャワー先輩の顔をジッと見つめたまま、私は話を続けます。
「……あの時のライス先輩の気持ち、今なら私もちょっとだけわかる気がします」
それは、私の出るレースが私が勝つからつまらないという人達がいるからだ。
あの日、宝塚記念で私に勝って欲しいと願ってくれたファンも居てくれただろう。
だけど、ため息を吐いて会場を後にするファンもいた事も事実だ。マスメディアもまるで、私を打倒するのが正義だと言わんばかりの煽り方をする連中もいる。
「……気にも止めやしてないんですがね。私はそんな一部の人達のために走ってなんていないんで……」
そう、私はそんな小さな理由で走っているわけじゃ無い。
嫌われようが何だろうが、私は私の道を行くだけだ。それは、栄光と勝利、そして、強者としてのプライド。
ウマ娘と生まれたからには勝ちつづける事が正義、負けるのは許されない。
「重圧というか、別に気にしてなかったですが……ディープインパクトちゃんのあの差しには正直、一瞬背筋が凍りつきましたよ」
私は思いますようにその名前を口にする。
ディープインパクト、その名前の通りにあの凄まじい差し足は才能の塊であった。
奇跡に近いと言われるだけあって、あの走りには驚かされた。
とはいえ、未だ未熟の域は出ていませんでしたがね、経験次第じゃ有馬はどうなるかわからない。
「……ライス先輩。私の走り、最後まで見届けて欲しいんです。……だから、起きてください」
私はそう言って、ライス先輩の手を握りながら静かに涙を流す。
もう、あの日から1年以上経つ、ずっと毎日通い詰めて、ライス先輩が口を開いてくれるのを私は待っていた。
大好きな先輩だから、私の思いまで背負って走ってくれた先輩だから、私のこれからをその目で見届けて欲しい、そう思っていた。
私の涙がそっとライス先輩の手に当たる。
「……ア……フ……ちゃん……」
「……え?」
私はその聞こえてきた言葉に目を見開いた。
そこには、朦朧とした意識の中、目をゆっくりと開いたライスシャワー先輩の姿があった。
私は目から涙が溢れ出てくる。そして、ライスシャワー先輩に抱きついた。
ライスシャワー先輩はそんな大泣きする私の手を強く握り返しながら、大泣きする私の頭を何度も撫でてくれた。
「もうっ……もう目を覚さないかってっ……! よかったぁ……! 良かったよぉ……っ!」
その私の泣き声を聞いて、看護師達が慌ててやってくる。
そして、目を覚ましたライスシャワー先輩を見て彼女達は慌てた様子で担当医を呼んでくると言って駆け出して行った。
一年以上の時を経て、ライスシャワー先輩は深い闇の底からようやく帰ってきてくれた。
その知らせは、大勢のウマ娘達の耳に入り、皆はこの知らせに歓喜した。
それから、しばらくして。
意識を戻したライスシャワー先輩は担当医から脚の状態について話を聞く事になった。
復帰をするにはかなりの困難が伴うという話だ。正直、治る保証もできない上に治ったとしても以前と同じように走れるとも限らない。
「本来なら引退だ。もう走る必要もないんですよ」
「……はい」
「それでも、やるのかい?」
医者は神妙な面持ちでライスシャワー先輩にそう問いかける。
生死の境を彷徨い、もはや、走る事すらトラウマになってもおかしくない事故にあったのだ。そう言われても仕方ないだろう。
だが、ライスシャワー先輩は強い眼差しで医者を見つめるとしっかりとした口調でこう告げた。
「私には約束がありますから」
「……約束?」
「そうです、私の大切な人との約束です。
……私の大事な後輩がずっと約束を守って来たのに私が破るなんてかっこ悪いでしょ? 先生」
そう言って、晴れやかな笑みを浮かべるライスシャワー先輩。
約束、それはメジロマックイーンさんと姉弟子との誓い。
アメリカの地で再び3人で戦おうと決めた約束、それを果たせないまま、引退をするなんてライスシャワー先輩には考えられなかった。どんなにそれが、困難な道であっても最後まで抗うと心に決めていたのだ。
「……リハビリは過酷ですよ?」
「過酷なのには慣れてますから」
医者の言葉にライスシャワー先輩は何の躊躇もなくそう言ってのけた。
どんなに困難で過酷な道のりであろうと、ライスシャワー先輩は努力で乗り越えて来た。
今更どんなリハビリをやろうがそれを耐え抜く自信がライスシャワー先輩にはある。
それを聞いた医者は笑みを浮かべながら静かに頷くのであった。
来るべき、秋のシニア三冠制覇。
そして、有馬記念に向けて私はオカさんとトレーニングを積み重ねていた。
ライスシャワー先輩が目を覚ました事で、私は更に力を貰ったように感じる。
「はぁ……はぁ……タイムは?」
「うん、縮んでいるな」
「よしっ!」
2500m、この距離のタイムの短縮。
全力を出さずともこのタイムを短縮していけば、更に早くタイムを叩き出せるようになる筈。
そうオカさんと相談した私はそのトレーニングに励んでいた。
もう、凱旋門賞の時期が近づいて来ている。恐らく、ディープインパクトは現地入りして海外の芝に脚を慣らしている頃だろうか。
そんな私を車椅子に座っているライスシャワー先輩は遠目で見ていた。
隣には彼女の車椅子を押すためにドゥラちゃんが側にいる。
「ライスシャワー先輩……。なんで止めないんですか?」
「何が?」
「アフちゃん先輩の事です……」
車椅子に座るライスシャワー先輩にドゥラちゃんは悲しげな表情を浮かべてそう告げる。
しかしながら、ライスシャワー先輩は左右に首を振るとドゥラちゃんに向かいこう話をし始めた。
「アフちゃんには話したわ、けどね、あの娘は言ったの。ライス先輩の為だけじゃなくて自分の約束を守るためだって」
「約……束……?」
「そう、約束。有馬記念で再戦を申し込んできたディープインパクトとの約束よ」
ライスシャワー先輩は儚げな笑みを浮かべたまま、ドゥラちゃんにそう告げる。
私は約束は必ず守ってきた。それは、ファンに対してもそうだし、勝負についてもそうだ。
あれだけ、完膚なきまでに叩きのめしたにも関わらずディープインパクトは私に再戦を申し込んできた。
それに応えなければならないという使命感、私の立場で這い上がって来ると宣言した者との約束を反故にするなど考えられなかった。
それは、私もディープインパクトちゃんに敬意を表しているからだ。
「少なくとも、少しは肩の荷が降りてくれたのならいいのだけど……。アフちゃんがあぁなったのは私の責任でもあると思うから……」
「ライス先輩……」
「私も……約束を果たさなきゃね」
そう言って、ドゥラちゃんに微笑みかけるライスシャワー先輩。
私の身体のことを知った上でその決意をライスシャワー先輩は汲み取ってくれた。
だが、いずれにしろこのまま放っておけないのも事実だ。
「何ができるかわからないけど、アフちゃんは私がバックアップするつもり……こんな身体だけどね」
「ライスシャワー先輩……」
「だから、ドゥラちゃんも応援してあげて? あの娘の事を」
ライスシャワー先輩からそう言われたドゥラちゃんは力強く頷く。
秋のシニア三冠と年間無敗記録。
この記録に挑もうとしている私の旅路をドゥラちゃんもライスシャワー先輩も見届けてくれる。
どこまで頑張れるかは正直、わかりません。
今も薬を飲んで、通院までして体に鞭を打って走っているのだから。
秋の天皇賞、ジャパンカップ、そして、有馬記念。
どれも簡単に勝てるようなレースじゃない事くらい私も理解している。
「はああああああ!!」
だけど、私はそれでも駆ける。
一つの約束を果たすために、私に挑むと言ったウマ娘の挑戦を受けるために。
今度は私自身の為、ウマ娘として、私が生きている意義を見せつけるために。
それから、季節は巡り秋。
秋の天皇賞、私はもちろん1番人気に推されていた。
一方で海外レース凱旋門賞では、ディープインパクトが一番人気に推され出ていた。
テレビの向こう側に映っていた彼女の姿は以前とはまるで別人のように洗練されていて、鬼気迫るようなものを感じた。
そして、始まった凱旋門賞は最後のラストスパート、ディープインパクトが先頭に躍り出る。
「ディープが! 今! 世界制覇に向けて翼を広げました! 後続も追い縋るが抜けて来るッ! 強いッ! 強いッ! ハリケーンラン迫る! だが寄せ付けないッ! ディープインパクト! 行くかっ!」
ディープインパクトの走りはそれはもう凄まじいという一言に尽きます。
執念、かなり強い執念が籠った走りでした。後続のウマ娘もそのディープのスピードには誰も追いつけない。
才能が開花したと表現すべきでしょうかね、その強さは世界を驚かせるに値する強さでした。
「すげーな、ディープインパクトッ!」
「なんて速さ……」
それを目の当たりにしていたウオッカちゃんもダイワスカーレットちゃんもそのディープインパクトの走りに声が溢れる。
憧れすら追いつかない、海外のウマ娘をも圧倒したその強さは皆を戦慄させた。
だが、それを見ていた私は逆に有馬記念が楽しみになって仕方がありませんでした。
強くなったディープインパクト、姉弟子がサポートに付いていると聞いていましたからね、それでこそ倒し甲斐があるというものです。
私は天皇賞・秋に続く通路の途中でふと、その事を思い出しながら笑みを溢します。
そして、私が通路から出てレース場に出るとお馴染みのアナウンスが会場内に木霊しました。
「4枠5番! さあ、主役の登場ッ! 今日も勝ってしまうのでしょうかアフトクラトラス! 一番人気ですッ!」
当たり前のように推される一番人気。
私はそれに応えるように今日もターフを駆ける。誰が何と言おうと私は私らしく走るだけだからだ。
何故なら、凱旋門賞を勝ったディープインパクトと戦うのに、こんな場所で立ち止まっていられないから。
ライスシャワー先輩も復帰に向けて戦っている。だから、私も力の限り走り続けて、交わした約束を必ず果たしてみせる。
今日も私を祝福するように歓喜の声が会場に響き渡っていた。