雪の降る中、私は痛む心臓を押さえて、それでも足を止めようとはしなかった。
まだだ、まだ、終わってなんていないんだと。
「はぁ……はぁ……」
周りには私を驚いたように見つめるウマ娘の姿があった。
まるで、私がもう走る事ができないみたいな、そんな表情。そんな彼女達の表情を見て私は色々と察してしまう。
そうか、私の身体がもう限界って事だったのか。
「はは……なんて様なんでしょうね……」
有馬記念に走ると決めて、ディープインパクトを倒すためにたくさんのトレーニングを積んだ。
その結果がこれか、自業自得なんでしょうね、きっと。
だけど、負けたくない、まだ、私は走れるんだって示したい。
「悔しいなぁ……」
ポツリと小さく私は胸を押さえたままその場でつぶやく。
だって、これまで頑張って来たことを何もこの有馬記念にぶつけられてないのだから。
ディープインパクトは約束を果たして、私を迎えてくれたというのに、なんて様だ。
もう、走らなくても良いというレース前に姉弟子から言われた言葉を私は思い出す。
そっか、私はもう走らなくても……。
『……そんなウマ娘だったか? ワシの育てたウマ娘は』
ふと、私の耳に聞こえるはずの無い言葉が聞こえた。
私は慌てて左右に首を振るが、そこには誰もいない、私の周りには同じようにゴールを目指してひたすら駆けるウマ娘達だけだ。
そう、私はこんなところで諦めるようなウマ娘なんかじゃなかった筈だ。
だけど、こんな状態で勝てるのか、あのディープインパクトに。
その時だった。私の耳にその声は確かに届いていた。
それは有馬記念の会場から鳴り響く『アッフ!』という大声援。
まるで、会場全体が私を待っているかのようなその声援に私は思わず顔を上げた。
『その舞台では、見渡す限り満員のお客さんがお前の事を見にきとるんだ。これが、日本で一番、いや、世界で一番強いウマ娘かっ! とな』
私はその時、義理母の言葉を思い出した。
世界一のウマ娘を皆、見にきている。このウマ娘を応援する為に皆が駆けつけてくれる。
一人で走るレースは無いと義理母は私に教えてくれた。
ライバルが、皆が、私を強くしてくれる。
どんなに辛い状況でも、私はその度に何度だって立ち上がって走ってこれた!
「ああああああああああぁぁぁぁぁ!!」
私は己を奮い立たせるようにその場で大声を張り上げる。
そして、力の入らなかった脚に力が戻るのを肌で感じた。
心臓が脚がなんだというのだ。私はここにいる。この場所で走っているんだ。
皆が私のことを待ってくれているんだ。だから、まだ、走れる、頑張れる! 戦える!
ドンッと力を入れた私は一気に加速して、改めて駆け出した。
「!? ……あ、アフトクラトラス!! アフトクラトラス物凄い脚だッ! 何という事か! 先程まで中団まで下がっていたというのにみるみるうちに先頭まで迫っていくッ!」
私の急激な加速に他のウマ娘達は戦慄した。
次から次へと抜き去っていくその姿はまさに突風のようであった。
もはや、誰にも止めることが出来ないそのスピードは一気に背中を突き抜けていく。
迫る中山の坂を私は何も考えずに全力で駆ける。
サイボーグ坂路を何千、何万回も駆け抜けてきた。こんな坂がなんだというのだ。
「うああああああぁぁぁぁ!!」
叫び声と共に一気に駆け上がる坂。
そのスピードは坂の土を蹴るたびにみるみると加速していく、これが、私が義理母から泣くまで走らされた坂路を駆けた積み重ねだ。
その私の様子に実況アナウンサーもその場から立ち上がった。
「アフトクラトラスッ! 鬼の様な形相で先頭ディープインパクトにまで迫るッ! すごいッ! 凄すぎるぞッ!」
そんな私の走りを見ていた会場の皆は震えていた。
凄まじい追い上げ、もう無理だ、追いつけないと誰もが感じたあの瞬間を吹き飛ばすかの様なその走りは誰もが釘付けになった。
激走という言葉がこれほど似合うウマ娘はいないだろう、誰もがそう思った。
観客席にいる一人の男性。
彼はアフトクラトラスの熱烈なファンであった。
アフちゃんねるは欠かさず見ているし、あの、アフトクラトラスの最後の放送を見届けた一人でもある。
「凄い……すげーよ、アッフ……。お前こんなになっても……」
彼の眼からは涙が止まらなかった。
アフトクラトラスというウマ娘がポンコツで愛らしいマスコットだという事はよく知っている。
ファンの一人として、最初に彼女を見た時はただの馬鹿でそれでいて癖が強くて、憎めない、そんなウマ娘だった。
周りがなんと言おうと、彼はずっとアフトクラトラスを追い続けていた。
それは、彼だけじゃ無い、他にもたくさんのファンがアフトクラトラスのその走りに鳥肌が立った。
思いを背負い、自分達の声援に応えんと一度は身体が限界を迎えたアフトクラトラス。
それを乗り越え、今彼女は約束を果たさんとしている。
「頑張れっ! アッフ!」
「勝てるぞッ! こんなもんじゃ無いだろッ!」
「いけーっ! 差せッ! 差せるぞッ!」
「もうちょっとだ!」
彼が周りを見渡せば、周りにいるファン達もアフトクラトラスに声をおくっている。
彼女が走る姿は自分だけじゃ無い、周りの人の心を動かすほど、凄い走りなんだ。
今まで応援して、彼女のファンでいてよかったと彼は心の底からそう思った。
彼は今日のために作ってきたアフトクラトラスの旗を掲げ、涙を流しながら力の限り叫ぶ。
「いけーッ! アフトクラトラスゥ!!」
世界一のウマ娘と描かれたそれは、雪の降る中山レース場によく映えた。
彼は声を上げながらそれを振り、アフトクラトラスを最後まで鼓舞する。
負けるなと、勝ってこいと彼女の背中を押すのだ。
中山レース場、残り100m。
加速した私は一気に他のウマ娘達を捲り、グングンとディープインパクトへと迫る。
残りは少ない、だが、まだこれからが勝負だ。
「あ、アフトクラトラスッ! アフトクラトラスがディープインパクトに並んで来ますッ! なんという事だ! あの絶望的な距離から一気に並びかけてきたッ!」
そのスピードに乗った私は追いついたディープインパクトを横目で見る。
そして、ディープインパクトもまた、私が来た事を察してか、笑みを浮かべていた。
当然だと、私が来る事が最初からわかっていたかの様にディープインパクトは笑みを浮かべながら並走する私に向かいこう告げてきた。
「遅いですよ! 先輩ッ!」
「待たせましたね! 後輩ッ!」
そうして、そんなディープインパクトに私も笑いながらそう告げます。
怒涛のレース展開に会場のボルテージは最高潮まで達していました。
ディープインパクトのコールとアフトクラトラスのコールがぶつかり合い、遂にその時を迎えます。
「宝塚から今年二度目の激突ッ! もうスタンドは総立ちだァァ!!」
ボルテージが上がる会場に呼応する様に実況アナウンサーもその場から立ち上がると声を張り上げる。
会場が声援で一気に揺れる。両者の二度目の激突、これが伝説になる事を誰もが理解しているからだ。
「誰もこの一騎打ちに文句はないッ! 有馬記念残り100mッ!
この世紀の一戦を見逃すな!」
ゴール目掛けて爆走する私とディープインパクト。
他には誰もいない、ここまでくればあとはどちらが速いか、それだけだ。
私は脚に力を入れて、最後100mに向け、一気に加速する。
「行かせないッ!」
「……ッ!」
だが、ディープインパクトも食らいつく。
両者、一歩も譲らない展開に会場は盛り上がる。スピードに乗った両者を隔てるものはもはや何もない。
誰もが、手を握り祈る。どうか、この時間が永遠に続きます様にと。
だが、それはいずれ終わりが来るものだ。
「アフトクラトラス伸びるがディープインパクトが食らいつくッ! もうわからないッ! 両者譲らないッ! 譲らないぞッ!」
互いに積み上げ出来たものがぶつかり合う。
ディープインパクトも私も、互いに積み上げてきたものを全て出し尽くす様にぶつかり合った。
海を渡り、そして、日本のこの地、このレースで再戦を誓い、その誓いを私達は果たした。
「アフトクラトラスかッ! ディープインパクトかッ! アフトクラトラスかッ! ディープインパクトが来るッ! アフトクラトラスがまた並ぶッ! 横一線だッ! 横一線ッ!」
声を張り上げるアナウンサーの叫び。
私もディープインパクトも譲らなかった。負けたくないという一心で。
そんな私達の姿を見ていた観客達は食い入る様に勝負の行方を見守る。
ある、名トレーナーが遺したこんな格言があった。
鍛えて最強ウマ娘を作る。
最強は元から最強、それはそうかもしれない。
だが、そんな存在も何もしないままでずっとその場にいれるのかと言われれば否だ。
なぜならば、その存在を越える為に裏では血の滲む様な努力をする者が必ずいるからだ。
「アフちゃん先輩……っ!」
最強である以上は、その背中を必ず誰か見ている。
己の背中を見つめる後輩か、それともライバルか、ファンなのか、それはわからない。
だが、それら積み上げてきたものは必ずレースで現れる。だからこそ、ウマ娘である彼女達はその明日を信じて毎日駆けるのだ。
「はぁ……はぁ……」
周りの空気が止まったような気がした。
私は今までに無いくらいにギアを上げて、最後の最後にディープインパクトまで迫った。
私はこれまで積み上げてきたものを全て出し切れただろうか?
誰かの為に走るのか? 己の為に走るのか?
何の為に走るのかなんて、もう考えてなんかいない、ただ、一つ、今はだった一つだけの思いが私を突き動かしている。
『勝ちたい』という純粋な思いだけだ。
皆が気づかせてくれた。皆の思いが私をここまで走らせてくれた。
だから、私はありったけを出しきったんだ。
「今! ゴールインッ! 有馬記念ッ! ほぼ同時に今ッ! ディープインパクトとアフトクラトラスがゴールを切りましたッ!」
私はゴールを駆け抜けたと共にその声を聞いた。
観客席に座る観客達からは大きな声援が湧き起こる。
あぁ、私は最後まで走り切ったんだとそう思った。
ゴールを抜けた先に見える降り注ぐ雪が私にはすごく幻想的に見えた。
ゴールを突き抜けてから、私はしばらくしてフラフラとおぼつかない足取りで歩く。
そして、それからしばらくして私は力が抜けた様に失速していく、そんな中、私を見つめる観客席にいる人達の姿が見えた。
彼等は私に拍手を送りながら皆、涙を流していた。
これまで、ずっと思っていた。私は彼等が居て皆がいて走れていた。
だから、私は自然と、この言葉が口に出たんだ。
「……ありがとう」
私はそう言葉を発するとゆっくりとその場に倒れ伏した。
倒れ伏す私の横を多くのウマ娘が通っていく、倒れた中山のレース場に積もる雪はとても冷たかった。
だけど、走り切った私の身体はとても熱く、心地よい気持ちだ。私はそんな中、ゆっくりと瞼を閉じた。
レースを駆け抜けたディープインパクトとアフトクラトラス。
どっちも譲らないデッドヒートの中、ゴールはほぼ横一線に並んでゴールインをした。
その光景に周りは騒めく、まさか、こんな結末になるとは誰が予想できただろうか。
「勝負はッ!」
ディープインパクトは慌てて電光掲示板を見つめる。
だが、しばらく経てども判定中のランプがついたままで着順が決まる様子はない。
そんな中、周りの観客達も騒めく中でディープインパクトはふと、己が駆けてきた道を振り返る。
そこには……。
「え……?」
ディープインパクトは目の前に映る光景に唖然とした声が溢れた。
その眼に入ってきたのはフラフラとよろけながら歩くアフトクラトラスの姿があった。
その姿を見た彼女は言葉を失う。
それは、観客席にいたアンタレスの面々もだ。
ドゥラメンテは力なく歩くアフトクラトラスを見て堪えていた涙が一気に溢れ出てきていた。
「アフちゃん先輩は……。もう……っ!」
ドサリッという乾いた音が辺りに響く。
それは、アフトクラトラスがその場で倒れた音だった。
周りにいた全員がその光景に言葉を失った。まるで、力尽きた様に倒れた彼女のその姿に。
実況席にいたアナウンサーは声を張り上げる。
「……あ、アフトクラトラス……! アフトクラトラスが転倒しましたッ! なんという事だッ! なんという事でしょうッ! これは……大丈夫でしょうかッ!」
ディープインパクトは頭が真っ白になった。
雪が降り注ぐ中、アフトクラトラスの頭にその雪が静かに積もってゆく。
すぐに会場を飛び越えたナリタブライアンがすぐさまアフトクラトラスの身体に駆け寄った。
「……アフ! おいしっかりしろッ! アフッ!」
「…………」
だが、アフトクラトラスから返って来たのは沈黙だけだった。
周りの観客達はその姿に言葉が出て来なかった。
こんな状態であんな凄いレースを繰り広げていたのかと、最後の直線のあの脚は彼等の脳裏にしっかりと焼き付いていた。
アグネスタキオンはすぐさまレース場に入るとアフトクラトラスの側に寄り心臓の音を聞く。
すると、彼女は顔色を変えて慌てたように声を張り上げた。
「救護班を早くッ! AEDだッ! 早くしろッ!」
中山レース場はその言葉を聞いて騒めき始めた。
アフトクラトラスが一刻も争う状態になっている。その事をその場にいた全員が把握したのだ。
すぐに救急車がやってくると、アフトクラトラスの顔に酸素マスクがつけられた。
ディープインパクトはそんな彼女の姿を見て、拳を握りしめる。
「……なんで……」
その言葉が自然と出ていた。
こんな状態になってまで、なんで私との勝負を選んだのだと。
こんな決着なんて、望んでなんていない。
電光掲示板には、判定結果が出ていた。
長い判定が続き、その結果が表示される。
ディープインパクト、アフトクラトラス同着。
同時の入賞、入った時には二人ともタイム相違なく、ピッタリにゴールを走り抜いたのだ。
アフトクラトラスは走り抜いてみせたのである。あの絶望的な状況から、最後まで諦めずに。
それから、しばらくして、会場からはディープインパクトとアフトクラトラスの名前を呼ぶ声がずっと鳴り響き渡った。
雪の降る中山レース場。
そのレース場でディープインパクトは鳴り響くコールが降り注ぐ中、一人、拳を握りしめて涙を流すのだった。