ウマ娘専用病院。
アフトクラトラスの眠るような顔を見ながら、姉弟子であるミホノブルボンは拳を握りしめていた。
その手をライスシャワーは優しく握る。
それは、ライスシャワーもミホノブルボンと同じ気持ちだった。
何故、こんな風になってしまったのか、どこで間違えたのか。
「馬鹿ですよね、本当……。なんで逝ってしまったのですか……?」
「……うん……」
「私達と……走るんでしょう? ……どうして」
そう口に出すミホノブルボンの声は震えていた。
約束を果たす事ももうできない、共に努力する事も、競い合う事、喜びを分かち合うことも何も出来やしない。
義理母を亡くして、私まで亡くしたミホノブルボンの姉弟子の心はもう、壊れかけていた。
サイボーグと言われて、感情が読み取れないと言われていた彼女は泣き崩れて、ライスシャワーに抱きつきながら号泣した。
「……あああああぁぁぁぁ……! うあぁぁぁぁぁ!!」
「……ブルボンちゃん……辛いよねっ……私もっ」
ミホノブルボンを抱きしめたまま、ライスシャワーも静かに涙を流す。
苦楽も共にしてきた愛すべき家族。
どこまでも優しくて、それでいてヤンチャなウマ娘だった。だからこそ、皆に愛されてやまないウマ娘だったのだ。
アフトクラトラスが亡くなったニュースは日本中を悲しみに包んだ。
悲劇の有馬記念。
人々はアフトクラトラスとディープインパクトが駆けたレースをそう呼んだ。
無敗のウマ娘、日本の至宝とまで言われたウマ娘をその日、亡くしたからだ。
「……アフちゃん……、なんで……」
メジロドーベルはアフトクラトラスが眠る墓の前で絶望したように俯いていた。
こうなる事は知っていた。知っていたはずなのに止める事ができなかった。
あの日、有馬が終わりゆっくりと倒れる彼女の姿が瞼から離れなくて仕方ない。
アフトクラトラスの墓の周りには、そんなメジロドーベルと同様に彼女の死を受け入れられない者たちがいた。
特にディープインパクトはアフトクラトラスの死に相当なショックを受けていた。
彼女が死んだのは自分のせいじゃないかと何度も己を責めた。
あんな約束を、誓いを交わしたから……彼女は。
「……ごめんなさい……。ごめんなさいッ!」
「ディープ……」
「わた……私がッ……約束なんてしたから……っ。先輩にっ……あんな事が……!」
涙を流すディープインパクトにナリタブライアンはゆっくりと近寄り抱きしめる。
それは、自分とて同じことだ。アフトクラトラスを助けるために出来ることはたくさんあったはずなのに。
あの日、あの時、異変があった時にすぐに止めていれば彼女はきっとまた隣で笑っていたかもしれない。
「……お前は悪くないディープ、それならば私も同罪だ……」
「…………ッ」
「あの時に止めていればと何度後悔したかわからない。……それでもアフとお前が駆ける有馬を止めれなかったんだ」
二人のあんな走りを目の当たりにしたら、止めれるわけがない。
異変があった時に諦めない彼女の姿がナリタブライアンの中にはずっと生き続けてる。
有馬から帰ってこなかったアフトクラトラス、彼女の姿はどこまでも誇り高かった。
「……アフっ……、私はお前がいないと……」
生きるのが苦しい、心臓を締め付けられる。
同じ境遇からアフトクラトラスにブライアンは自分を重ねていた。
それでも、彼女は己の道を貫き通して逝ったのだ。
納得したいができない、まだ、信じられないから、いろんな思い出が走馬灯のように皆の頭に駆け巡る。
その日は、まるで皆の心に雨が降っているかのように空も泣いていた。
それから、数日後。
一人のウマ娘がアフトクラトラスの墓を訪れていた。
そのウマ娘の名前はドゥラメンテである。
彼女は未だに現実を受け止められないでいた。
アフトクラトラスが目の前から居なくなって遠くに行ってしまった事がずっと信じられない。
「……アフちゃん先輩……私ね……先輩みたいなウマ娘になりたかったんです」
あのダービーも凱旋門も菊花賞も全てがドゥラメンテにはキラキラして見えた。
アフトクラトラスというウマ娘にはそれだけ人を惹きつける何かがあったのだ。
アフトクラトラスというウマ娘はドゥラメンテにとっての目標だった。
きっと、それはドゥラメンテだけじゃない、他のウマ娘にとってもアフトクラトラスというウマ娘の存在は希望だった。
「私が……、次は私が貴女の意思を継ぎます。皆が貴女の事を忘れないように……」
ドゥラメンテは涙を流しながら、アフトクラトラスの墓の前でそう誓う。
きっと、アフトクラトラスというウマ娘は皆の記憶から永遠に消える事は無い。
泥だらけだった、ドゥラメンテの名前とメジロドーベルの名前が入った鉢巻を着けて彼女は有馬記念を走ってくれた。
だから、今度は彼女の名前を鉢巻に刻んで、そして、彼女が付けていた外套を着けて走り抜ける。
「私の走りを見ててください、アフちゃん先輩」
これが、後に狂気のウマ娘と呼ばれるドゥラメンテの軌跡の始まりだった。
彼女のレースはその破天荒ぶりから、アフトクラトラスの再来と呼ばれるようになるのは先の話である。
いくつものG1レースを走り抜けた彼女の姿を見た人々はその姿をいつも、あの有馬を駆け抜けたアフトクラトラスに重ねていた。
あの有馬記念から、数年後。
アフトクラトラスの功績を讃え、彼女の名前を冠したレースが開催される事になった。
G1アフトクラトラス記念。
亡くなったアフトクラトラスが残した幾つものG1勝利はもはや、誰にも超えることのできない伝説と化した。
そんなアフトクラトラスの名を冠したこのレースでは、日本のみならず海外からも参加するウマ娘が数多くいたという。
「……凄いな、アフのやつ。こんなに愛されていたんだな」
「それはそうさ、あいつ以上に人に愛されてやまないウマ娘はいないだろう」
アフトクラトラス記念を見つめるルドルフの横でナリタブライアンは懐かしそうにそう呟く。
そんなアフトクラトラス記念で、焼きそばを売って回るのはゴールドシップだった。
このレースを見にきた人に楽しんで帰って欲しい、それは、このレースの名前にもなった自分の親友がきっとそう望んでいると思っていたから。
「……ふぅ、アフ、お前のレース凄い盛り上がりだぜ?」
アフトクラトラス記念で走るウマ娘に向かい観客達は声をあげて応援する。
ウマ娘の背中を押すように彼らは今日もそのレースを見守るのだ。
そこには、必ず面影が見える。
有馬記念で走った、アフトクラトラスがゴールを駆け抜けていく姿がたとえ見えなくても彼らの目には見えていた。
誇り高く、最後まで有馬を駆け抜けた英雄。
魔王とまで言われた一人のウマ娘は、英雄として、彼らの記憶の中で永遠に生き続ける。
季節が巡り、春になり新しい新入生や転入生達がトレセン学園へとやってくる。
生徒会長のシンボリルドルフは新入生や転入生に必ずある話をした。
「君は、アフトクラトラスというウマ娘の話を聞いたことはあるかい?」
「いえ、ないです!」
「そうか、じゃあ、教えてあげよう。世界一馬鹿でそして愛されていたウマ娘の話を」
こうして、アフトクラトラスというウマ娘は皆から語り継がれていく。
どんなに時が経とうとも、アフトクラトラスが刻んだ軌跡はずっと皆から愛される英雄譚となっていった。
さまざまな困難や苦労、そして、栄光。
約束を果たすために己の命を賭け、駆けたウマ娘。
そして、最後に彼女と戦ったディープインパクトは海を渡り、今では世界にその名を轟かせている。
ある記者が彼女にこう訊ねた。
「貴女が尊敬するウマ娘は誰ですか?」
ディープインパクトは決まってこう答えた。
それは、有馬記念よりも前からずっと抱いていた気持ち、いつか彼女を越えたいとずっと望んでいた。
だが、それはもう叶わない、だからこそ、彼女はディープインパクトの中でずっと生きつづけていた。
「アフトクラトラス、彼女以上に私の憧れのウマ娘は居ません」
アフトクラトラスこそが、今でもなお、永遠に尊敬すべき先輩であり、ウマ娘であると。
中山レース場にはアフトクラトラスの慰霊碑が置かれている。
その慰霊碑には、年間で数万人という観客が手を合わせに訪れる。
そこには『鍛えて強くなった最強のウマ娘』という肩書きが刻まれていた。
アフトクラトラスの墓の隣には、彼女を鍛えたであろうトレーナーの名が刻まれている。
「ブルボンちゃん、そろそろ行こっか」
「そうですね」
毎年、ライスシャワーとミホノブルボンの二人は必ず墓参りへ訪れていた。
自分がG1を走る日、楽しいことや悲しいこと、辛いことがあった日、それを話しにこの場所を訪れる。
二人が自分達を見守ってくれているとそう信じているから。
「……いってくるね、アフちゃん」
「アメリカへ」
アメリカの地に渡る報告をしに二人はやってきていた。
再びアメリカの地で走ろうと交わした約束。
その約束をようやく果たす事ができるという報告をアフトクラトラスに話すべく墓を訪れていたのである。
アメリカでライスシャワーとミホノブルボン、そして、メジロマックイーンの3人で世界最高峰のBCターフを戦う。
「応援してね、アフちゃん」
二人は手を合わせ終わると、墓から立ち去っていく。
メジロドーベルはアフトクラトラスの意思を継ぎ、アンタレスの新人ウマ娘の指導に当たっている。
鍛えて、強くする。この信条を無くさないように後輩達へとそれを受け継がせていた。
「あと500本! 追加!」
「ひぇー!!」
サイボーグ坂路では、今日もウマ娘の悲鳴が木霊している。
だけど、そのトレーニングを耐え切り、遠山式をやり切ったウマ娘は必ず栄光を手にする事ができるとトレセン学園では噂になっていた。
メジロドーベルはいつも、自分の教え子のレースの前に中山にあるアフトクラトラスの慰霊碑の前で手を合わせる。
「また、G1を獲らせてね、アフちゃん!」
アフトクラトラスが見守ってくれている。
そう信じて、今日も彼女は教え子をレースへ向かわせる。
季節が巡り、桜が舞う季節がやってくる。
トレセン学園へ入ってくるあるウマ娘が居た。
生徒会長であるルドルフと対面した彼女は笑みを浮かべながら、迷わずこう言い切る。
「私はアフトクラトラスさんみたいなウマ娘になりたいです」
アフトクラトラスはそう言われる伝説になった。
ルドルフ会長はそのウマ娘の言葉に満面の笑みを浮かべながら頷く。
アフトクラトラス、彼女の歩んだ生き様は永遠に人々から愛されていた。