92年 皐月賞。
そのモンスターの名はミホノブルボン。
常識は、敵だ。
ーーー皐月賞が来る。
いよいよ、今週末に迫ってきたクラシック第一弾、皐月賞。
気合いが入ったミホノブルボン先輩のトレーニングはまさに鬼気迫るものがあった。それは、もちろん、義理母がトレーニングについているからに他ならない。
皐月賞、日本ダービー、菊花賞。
おそらくだが、私の知っている知識では現在、トレセン学園で確認できているウマ娘達以外を合わせるとしたら、歴代で七人しか未だに三冠を達成したウマ娘は居ない。
勢いの皐月、運のダービー、実力の菊花というのは有名な話だ。
だからこそ、今回の皐月賞はスプリングステークスにて七身差の圧勝をしたミホノブルボン先輩に有利に働く筈だと私は思っていた。
しかし、G1級のウマ娘が揃い踏みするレースを勝つにはそれなりのトレーニングを積まなければ苦戦を強いられる事にもなりかねない。
だからこそ、レース一週間前にも関わらず、鬼のようなトレーニングをミホノブルボン先輩はこなしているのだ。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
「姉弟子…あまり無理されては…」
思わず、私はその凄まじいトレーニングを行う姉弟子であるミホノブルボン先輩を気遣い声を掛ける。
あの凄まじい鬼トレーニングをこなしても何事もなかったかのようにしていた姉弟子がここまで息を切らすのは本当に珍しい。
それだけ、この人と義理母は三冠という称号に魂を賭けているのだろう。
「まだだ、まだ生ぬるい…、もっと強く」
「よし! ミホノブルボン! あと五本だ! 五本!」
「はいッ!」
凄まじい気迫に押されて、私は姉弟子であるミホノブルボン先輩を制止することができなかった。
坂路の申し子であり、完全無欠のサイボーグ。
それが、ミホノブルボン先輩の真骨頂だ。私と同じ遠山厩舎の集大成として義理母の期待を背負っている以上、自分に妥協しないその姿は美しさを感じる。
恵まれた体格ではない身体を壮絶な努力をしたことで補った。そうして、ミホノブルボン先輩は才能あるウマ娘達をねじ伏せてきたのだ。
そうして、いよいよ、クラシック第一弾。
歴代の名ウマ娘達がその称号を得た皐月賞の当日を迎える事になった。
ライスシャワー先輩ももちろん、ミホノブルボン先輩と同様に凄まじいトレーニングを積んできた事を私は知っている。
どちらを応援すれば良いか、わからない。
ライスシャワー先輩はスプリングステークスからミホノブルボン先輩へのリベンジを固く心に誓っていた。
泥水を啜ろうと、地を這ってでも勝ちたいと身体をマトさんと共に虐めに虐め抜き、しっかりとこの皐月賞に間に合わせてきた。
だが、この距離に関しても、ライスシャワー先輩の適性距離とはいかない。
何故ならば、皐月賞は2000m、この距離ならばライスシャワー先輩の足よりも爆発的に早いウマ娘はゴロゴロと居る。
ナリタタイセイ先輩、セキテイリュウオー先輩、マチカネタンホイザ先輩、スタントマン先輩など。
それなりに勝利数を重ね、実力のあるウマ娘がずらりと並んでいる。これらを交わして、ミホノブルボン先輩に挑むのはなかなか酷というものだ。
だが、それでも、ライスシャワー先輩はいつものように準備をして、万全の状態で挑もうとしていた。
ライバルであるミホノブルボンを超えたいというその一心で。
「ライスシャワー先輩」
「アフちゃん…、今日はブルボンちゃんについとかなくても良いの?」
ライスシャワー先輩は心配で見送りに来た私にそう告げる。
だが、私は左右に首を振った。確かに姉弟子も気にはなるが、ライスシャワー先輩も私にとってみれば家族のようなもの。
同じチームとして、背中を押してあげたいという気持ちが強かった。
ライスシャワー先輩の黒い一式の勝負服を見ると改めて今日のレースが特別なんだなとそう感じる。
私はライスシャワー先輩にニコリと微笑むとこう話をしはじめた。
「義理母が居ますので、それより、ライスシャワー先輩、うちの姉弟子は今日は強敵ですよ?」
「ふふふ、知ってるわ」
そう言って、ライスシャワー先輩は不敵な笑みを浮かべていた。
勝率が低いのは知っている。だが、クラシックを戦う相手として、ライスシャワー先輩はミホノブルボン先輩と走るのを楽しみにしていた。
一か八か、あの背中を捕まえられるかもしれない、それまで止まる気は無いのだと、ライスシャワー先輩は私に告げる。
「ライバルが居てこそ、強くなれる。そうでしょう?」
「……ふふ、そうですね、ご健闘を」
「えぇ、頑張って来るわね」
そう言って、ライスシャワー先輩は胸を張りゲートへと向かって歩き始めた。私はその背中を静かに見送る。
そして、しばらくして、義理母を横に私の姉弟子である今回の1番人気であるミホノブルボン先輩が姿を現した。
ミホノブルボン先輩は私の側に近寄って来るとニコリと笑みを浮かべる。どうやら、レースに関しては問題なさそうだなと私はゲート入りする前の姉弟子の様子を見てそう思った。
私は肩を竦めると、ミホノブルボン先輩に向かいこう話をしはじめる。
「レースはどうやら問題なさそうですね? 姉弟子」
「そうですね、今は最高に気分がいいです。早く走りたくてたまりませんよ」
そう言いながら、姉弟子は誇らしげに私に語ってきた。
これまで積み上げてきた努力のおかげで、クラシックレースまで走ることができるまでになった。
近未来を感じさせる、まさに、サイボーグという表現がぴったりと似合う。そんな勝負服を身に纏うミホノブルボン先輩。
今日は彼女にとっての晴れ舞台となる1番最初のレースだ。クラシックの主役を取るにはこのレースに勝たなくてはならない。
いつもよりも、ミホノブルボン先輩が私には輝いて見えた。
クラシックレースはウマ娘にとってみれば、走るだけでも名誉あるレースだ。
そのレースに出れる上に1番の期待を背負っている姉弟子を私は誇りに思うし、大好きなのだ。
「信じてます、頑張ってください」
「はい、…それとアフトクラトラス」
「ん? なんでしょうか?」
ミホノブルボン先輩はそう言って、私の頭を優しく撫でると強く抱き寄せるようにして抱擁した。
突然の姉弟子からの抱擁に目を丸くする私。だが、姉弟子のミホノブルボン先輩はしばらく私を抱きしめた後、少し間合いを開けて耳元に近寄る。
そして、彼女は私の耳元でこう告げて来た。
「貴女が続ける道を、私が作って来ます。努力は報われるんだという事を証明してきます。だから、見届けてください」
ミホノブルボン先輩はそう言って、私から身体を離すとゆっくりとゲートに向かい、通路を歩んでいく。
私はそんな、姉弟子の後ろ姿と背中を静かに見つめた。
いつも見ているはずのミホノブルボン先輩の背中が大きく感じる。
そう、これは、私達が今まで積み上げてきたものを証明する戦いだ。
遠山厩舎の集大成として、厳しいトレーニングを組んできたウマ娘が努力と積み上げてきたものだけで挑む大勝負だ。
私は胸が熱くなった。そんな私の心情を察してか、同じようにミホノブルボン先輩の背中を見送る義理母から肩をパンッと叩かれ笑みを浮かべられた。
共にこのレースを見届けよう、義理母が出したかったであろうそういった言葉も口にせずとも私には伝わっていた。
静かに枠入りが全て完了し、いよいよ、その時がやってこようとしていた。
そうして、合図と共に慣例のファンファーレがレース場の熱気を上げる。
クラシックとは昔からある伝統的なレースだ。その知名度の高さがよくわかる。
観客達もファンファーレと共に声を上げ相槌を打つ、会場全体が声で揺れていた。
第52回、クラシック第一弾、皐月賞。
いよいよ発走の時を迎える。
今、ゲートインが終わった各ウマ娘が走る体勢に入る。そして、それと同時に旗を上げる主審。
しばらくして、主審が構えていた旗を振り下ろしたと同時にゲートがパンッ! と一斉に開いた。
その瞬間、一斉にゲートから飛び出すウマ娘達。だが、そんな名だたる実力があるウマ娘の群を割って先頭を取ったのは…。
「おっと、素早くスタートダッシュを決めてポンッと飛び出したのはミホノブルボン、先頭はミホノブルボンとりました」
実況アナウンサーのこの声に、よっし! とガッツポーズを取る義理母。ミホノブルボン先輩の好スタートに思わず喜びをあらわにしていた。
ミホノブルボン先輩の戦い方からすれば、先頭取りは絶対だ。なんといっても逃げの戦法、ミホノブルボン先輩の足についてこれるウマ娘は私くらいなものだ。
そのまま、グングンと加速して、後続との差を開かせるミホノブルボン先輩。
後ろには、ライスシャワー先輩が控えてはいるものの、遠目から見て、その表情はあまり好ましいものではなかった。
やはり距離からか、苦戦を強いられている。
そんな中、進行していくレース。800m付近から後続のウマ娘達も先頭を走るミホノブルボン先輩を捕らえようとその差を詰めにいきはじめた。
本来、レースで逃げの戦法を取るウマ娘は、後続のウマ娘が直線よれよれか後ろが溜め過ぎるかでしか勝てないというものがある。
だが、そんな常識をぶち壊すようなレースを姉弟子であるミホノブルボン先輩は私達の前で思う存分披露してくれた。
残り、400m、差を詰めて来る後続のウマ娘達に対して、ミホノブルボン先輩はさらに足を踏み込み、一気に加速して、引き離したのだ。
そして、その差は一瞬にして縮まらない距離にまでなってしまった。
「なぁ…!?」
「嘘でしょ!! あそこからまた伸びるわけっ!?」
後続のウマ娘達は愕然とするしかなかった。
坂路の申し子の足が炸裂する。サイボーグの身体には最早、誰も追いつけることは叶わなかった。
200mを迎えてもなお更に伸びる伸び足、普通なら逃げ戦法をとったウマ娘が失速していても何ら不思議ではない。だが、私の姉弟子は違う。そう、積んで来た地獄のトレーニングの数がそれを可能にしたのだ。
実況も、これには興奮気味に思わず声を上げる。
「先頭はミホノブルボン! 堂々と五連勝で今ゴールイン! やはり、サイボーグは格が違った! 見事に我々の常識を破壊してくれましたっ!」
これには皐月賞を見にきていた観客達も大いに湧いた。
もしかすると、ミホノブルボンは三冠を取るかもしれない、そんな予感をさせる圧勝であった。
当然、ミホノブルボンのその強さを目の当たりにした他のウマ娘達は絶望するしかなかった。
こんな化け物が何故、私達の世代にいるのだと。
だが、怪物と呼ばれる彼女は決して才能があるわけでもなかった。ただ、ひたすらに今日まで積み上げてきただけなのである。
そして、下を向くウマ娘達がいる中でただ一人、皐月賞を取ったミホノブルボンを真っ直ぐに見据えるウマ娘が一人いた。
そう、ライスシャワー先輩である。
観客達から賞賛を受けるミホノブルボン先輩の背中を真っ直ぐに彼女は見つめていた。
「……ブルボンちゃん…」
恵まれない身体、それはライスシャワー先輩とて同じである。
だが、歴然としてミホノブルボン先輩とこのように差があることは彼女には受け入れがたいものだった。
追いつけるはずと思えば思うほど、その差はだんだんと開いていく、ライスシャワー先輩はギリっと悔しさから歯をくいしばるしかなかった。
積み上げてきた努力の量、それが、明確に現れているのだ。
ミホノブルボン先輩は手を観客席に振りながら深いお辞儀をする。
G1皐月賞を優勝したウマ娘。
それは、私の姉弟子であるミホノブルボン先輩が完勝という結果で幕を閉じることになった。
それから、勝利したミホノブルボン先輩によるウイニングライブが開催された。
普段から、厳しくて鬼のような先輩が今日は主役。
ステージに立ち、歌って踊り、いつもは仏頂面なのに笑顔を時折見せるその表情は私にはとても輝いて見えた。
そんな、ウイニングライブを見つめながら、義理母は笑みを浮かべて、隣にいる私にこう告げはじめる。
「次は、お前だぞ。アフトクラトラス」
「…はいっ!」
私は義理母の言葉に力強く頷く。
ステージに立って踊るミホノブルボン先輩も私を指差して、ウインクをしてきた。
あんなに楽しそうに歌って踊るミホノブルボン先輩は見たことが無いような気がする。私は彼女の妹弟子であることがとても誇らしく感じた。
観客達の声が、ミホノブルボン先輩の歌声が会場を盛り上げる。
彼女が駆ける夢はまだ始まったばかりだ。